8月 082012

 今回は、前回のレポートで紹介させていただいた米国が仕掛ける「心理戦」というものを理解するのに良い記事がありましたので、紹介させていただきます。 

 もともと、近代に成立した国民国家においての教育というものは、その国を支配する層のプロパガンダという側面を持ちます。また、グローバルな視点に立てば、世界の超エリートたちはノーベル賞のようなものも、世界の科学、技術、芸術、政治を大きくコントロールするための手段として使っています。最近では、オバマのノーベル平和賞受賞など、その典型でしょう。 

 さらに彼らは、科学技術の枠まで、コントロールする権利があるという不遜な考えまで持っているようですが、もしかすると、彼らに取って都合の悪い技術などは、封印、抹殺されているのかもしれません。 

とにかく日本においては、戦後アメリカによる心理戦があまりに、長く、長期にわたって続いているために、のほんほんと普通に暮らしていると、いかに私たちがおかしな状態に置かれてしまっているか、気が付かないような状況が意図的につくりだされています。 

はっきり言ってしまえば、日本のマスメディアは、意識している、していないは、別にして現在でもアメリカに完全にコントロールされた状態にあると言っても間違いではありません。







「なぜアメリカは「原爆投下は正しい」と言い張るのか」 

窪田順生

 

~広島は昨日、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。一瞬で14万人もの尊い命を奪ったわけだが、なぜアメリカは「原爆投下は正しい」といい続けるのだろうか。その背景にある、アメリカの論理に迫ってみた。~



<窪田順生氏のプロフィール>

1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話紙編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌でルポを発表するかたわらで、報道対策アドバイザーとしても活動している。『14階段――検証 新潟少女92カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクターモミ消しのプロが駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)がある。





 広島は昨日、67回目の「原爆の日」を迎えた。原爆の投下を命じたトルーマン元大統領の孫が初めて平和式典に参列をしたと話題になっていた。

 1988年に消費税を導入した竹下登元首相の孫にあるDAIGOに恨み、つらみをぶつけたところで不毛なように、この孫にはなんの罪もない。とはいえ、14万人という尊い命を一瞬で消し去った史上最悪の「大量殺戮兵器」を、祖父がつかったことについて、いったいどう考えているのかと読売新聞が尋ねたら、こんな答えが返ってきた。



 「私は米国の教育を受け、原爆投下は早期終戦のためと教わった」

 彼は正直者で、これは大多数の米国人のホンネでもある。世論調査では、有権者の6割が「原爆投下を正しかった」と今も信じて疑わないという。このような考えの根底にも、やはり「教育」がある。



 例えば、ロサンゼルスの教科書の副読本を訳してみると、こんな内容が書かれていた。



「南京大虐殺として知られる事件は、戦争の恐ろしさを証明しました。2カ月間に、日本兵は7000人の女性をレイプし、数十万人の非武装兵士や民間人や殺害し、南京市内の3分の1を焼き払いました。その後、日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に放り込まれるなどして、40万人の中国人が命を奪われました。」



 まさしく「悪魔の軍隊」という感じだ。こういう教育をほどこされた子どもたちがオトナになると、日本の悪事を止めるためには広島の14万人や長崎の8万人は、「平和のためには避けられなかった犠牲」という考えになる。

ロサンゼルスの教科書の副読本。南京大虐殺で「40万人の中国人が命を奪われました」と書かれている



南京大虐殺の犠牲者数





 ロサンゼルスの学生が学ぶ、教科書の副読本 なんとも納得のいかない話だが、ここで気にかかるのは、「40万人」という犠牲者数だ。中国の南京大虐殺記念館でも入口には「30万人」の看板があるのに、米国はなぜさらに10万人も上乗せしているのか。



 ご存じのように、南京事件というのはいまだに犠牲者数に諸説ある。学者によっては40万人だとか、30万人だとか、5万人だとか、3000人だとか見解は分かれており、なかにはまったくの捏造だと主張している研究者もいる。ここまで幅があるのは、信頼に足りる「虐殺」の証拠がないからだ。



 当時、南京にいた各国の大使館職員だとか、牧師だとかは怪しげな伝聞しか証言していないし、外国人ジャーナリストたちは、福島第一原発報道を彷彿とさせるようなダイナミックなガセを飛ばしている。しかも、この時は中国軍が親日的な南京市民を殺害していたことも分かっている。



 そんな胡散臭い南京事件が「戦争犯罪」として初めて裁かれたのは東京裁判だ。

ここでは南京入城に関する戦闘で、埋葬された遺体が15万5000体なので、少なく見積もっても「20万人」だとされた。もちろん、当時でも犠牲者は43万人だとか訴えている人々もいたにはいたが、連合軍というか、米国的には「20万人」がオフィシャルとされた。それがいつのまにやら、倍に膨れ上がって、米国の少年少女たちに刷り込まれることとなったというわけだ。



 実はもうひとつ、米国がかかわる虐殺で、終戦直後から犠牲者が「倍増」しているケースがある。



 それが広島だ。



 原子力爆弾は単なる「大量破壊兵器」ではない。被ばくをした人は、重い後遺症に苦しめられて亡くなっていく。つまり、「虐殺を継続させる兵器」なのだ。



 事実、この67年で広島の犠牲者は年をおうごとに増え続けている。今年の原爆死没者名簿は、直近1年間に亡くなった人や新たに死亡が確認された5729人の名前が書き加えられ、28万959人となった。



40万人虐殺の過ちを繰り返しません」と言う日

 

 この増え続ける犠牲者にあまり注目が集まると、「悪魔の軍隊」が日本軍ではなく、実は自分たちだったことがバレてしまう。米国からすると、「日本の自業自得」を成立させるにはやはり犠牲者数でバランスをとらなくてはいけない。広島にならって南京も増えていったと考えるとスジがとおる。



 イラクに「大量破壊兵器」があるとか因縁をつけて戦争をおっぱじめる国の人たちが考えそうなことだが、この「倍増ルール」を中国もならって、最近では30万どころではなく、40万人近いという主張もある。



 原爆の慰霊碑には、「過ちは繰り返しませんから」と記されている。主語が分からないが、日本語で書かれている以上、米国の「過ち」ではないだろう。素直に読めば、「日本人の反省」ということになる。



 太平洋戦争が終わって67年が経過するが、日本はいまだに「プロパガンダ」という戦争で負けっぱなしだ。この調子でいけば、我々の子どもたちが、「40万人虐殺の過ちを繰り返しません」と世界中で頭を垂れる日も近い?

21世紀になっても「心理的占領下」にある日本

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8月 062012

以前、「アメリカニズムの終焉」というレポートで、下記のようなことを書いた。以下。



考えてみれば、私は、日本人なのに能や歌舞伎よりハリウッド映画の方をよっぽどよく知っている。ビビアン・リー主演の「風と共に去りぬ」は20回以上見たし、オードーリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」も10回以上見ている。冷静になって振り返ってみれば、戦後のアメリカ文化の日本への浸透にはすさまじいものがある。フジテレビに対して現在、韓流偏重放送だと抗議している人たちがいるが、アメリカ偏重はその比ではないだろう。



 私たちの世代は、訳もわからず、「トムとジェリー」というアニメを見させられ、「ベン・ケイシー」や「コンバット」、「パパは何でも知っている」、「奥様は魔女」というアメリカのテレビドラマの再放送をずっと見させられ、米国の中流家庭の文化的な生活に憧れを抱くように誘導されてきたのである。小学校でもディズニィーのアニメ映画を何回か見せられた記憶がある。「巨人の星」という人気漫画に出てくるスプリングの塊の「大リーグ養成ギブス」、まさにアメリカメジャーリーグに対する憧れそのものである。その流れがあったからこそ、我々は、野茂、イチロー、ゴジラ松井秀喜のメジャーリーグでの活躍に心を躍らせたのではないか。



 私たち日本人をこのようなアメリカによる心理的占領下の状態に封じ込めておくために、米国のエリートたちは、自分たちがコントロールできるマイクロ波通信網を日本、東南アジアに張り巡らせるべきだと終戦後、考えていた。

そして、A級戦犯だった正力松太郎という、飛んでもなく活力に溢れた野心家が、CIAから「ポドム」というコード名までつけられるほどに、米国に入り込み、おのれの野望を達成しようと邁進していく。その結果、彼は日本の「テレビの父」、「原子力の父」となった。 

 たしかにそれは、戦争に負けた国の中でしたたかに生きた男の成功物語であることは、間違いない。問題なのは、彼がCIA=米国の力を利用しながら、築き上げたのが、日本テレビや読売新聞といった国民世論に大きな影響を与えるマスコミ王国だということにある。いまだに多くの国民は、プロ野球の巨人戦を放映する日本テレビが、CIAという米国の国益を追求する諜報機関に便宜を図ることで、今日の成功を勝ち得た側面を知らないのではないか。 

当たり前のことだが、このような出自の報道機関が公正、中立な報道をすることは、きわめて難しいことは誰にも、容易に想像がつくことである。

 日本の戦後史は、こういった不都合な真実を隠す、敢えて見ないようにすることによって成り立っていた。しかしながら、その限界が、昨年の311・東日本大震災によって多くの人にも見えるようになってきている。



 今回は、われわれ日本人が、戦後テレビ放送を楽しむようになった真実の歴史を知る上で、きわめて有用な本を紹介したい。6年前に読んだ本を紹介するのは、恐縮だが、戦後史の事実を少しでも多くの方に知っていただきたい。過去から学ばなければ、新しい日本の未来を切り拓くことはとても無理だと考えるからである。

今回、紹介する本は、有馬哲夫氏の「「日本テレビとCIA~発掘された「正力フアイル」~」である。



 ◎有馬教授が米国公文書館の公開された外交機密文書から明らかにした事実は以下。

 

 正力松太郎氏がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている。

正力松太郎氏のCIAファイルは、圧倒的な量だった。同じCIAファイルとして既に研究されている岸信介元首相や重光葵元外相のものと比べても、圧倒的なボリュームである。CIAが正力松太郎氏を徹底してマークしていた証明である。CIAは、正力氏を「PODAM(ポダム)」という暗号名まで付けている。

1951年、公職追放を解除された正力松太郎氏は、日本テレビを作ろうと資金集めにかかる。VOA創立者のサウス・ダコタ州選出の共和党右派・上院議員カール・ムントは正力松太郎氏に、VOAのTV版創立を働きかける。

その結果、CIAの資金提供で、日本テレビは創立されることとなった。

 その目的は米軍が日本本土で行う軍事作戦に関し、日本人が関心を持たず、警戒せず、無知で居続けてもらうためだった? TVで、娯楽番組、スポーツ番組を大量に放送し、そちらの方に、日本人の意識を反らすためだったのである。このことを「心理的再占領状態」だと米国は明言している。



たしかに正力松太郎氏とCIAが共に夢見た「マイクロ波通信網」は潰えたが、両者の共生関係はその後も途切れることはなかった。 

以前、レポートで紹介したように正力氏はその後、原子力開発行政に深く関わることになっていく。読売新聞と日本テレビはフル稼働で原子力のイメージアップに努めた。

CIAも原子力に対する日本の世論を転換させたのは正力氏の功績だとはっきり認めている。



 正力氏は、1920年、警視庁官房主事として、戦争に反対する労働組合等を弾圧する仕事をしていた。その後、1924年、読売新聞を買収。この新聞で、第二次世界大戦中、戦争を煽った事によって、読売新聞の事実上の創立者である正力氏は、45~48年まで戦争犯罪の容疑で巣鴨拘置所に拘置されることになった。

上記に書いたように1951年、公職追放を解除された正力松太郎氏は、日本テレビを作ろうと資金集めにかかる。

当時、世界の覇権国としての姿を現しつつあった米国には、アメリカの政策が正しいと宣伝する目的で、米軍の別働部隊としてラジオ放送局VOAをつくっていた。

VOA創立者のサウス・ダコタ州選出の共和党右派・上院議員カール・ムントは、部下であるニューヨークの弁護士=議会対策の顧問弁護士であり軍人でもあったヘンリー・ホールスウセン少佐を、日本に派遣し、正力松太郎氏に、VOAのTV版創立を働きかける。ヘンリー・ホールスウセンはユニテル社という極東全域を支配する、米軍用TV企業を経営していた。

正力松太郎氏は米国・国防総省と政界に強いコネを持つ、ワシントンのマーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所を通じ、アメリカ国防総省に、日本テレビを日本支配=米国の政策宣伝TVとして創立する趣旨を伝え、ペンタゴンに協力を要請、承諾を得る。この「提携」の下、CIAの資金提供で、日本テレビは創立されたのである。

この米国の支援による、日本テレビ創立には、アメリカ上院外交委員会のバーク・ヒッケンルーパー上院議員、ジョン・スパークマン上院議員、軍事委員会のエベレット・ダークセン上院議員が、「米軍が日本本土で行う軍事作戦に関し、日本人が関心を持たず、警戒せず、無知で居続けてもらうためには、TVで、娯楽番組、スポーツ番組を大量に放送し、そちらの方に、日本人の気を反らす必要がある」として、議会への説得工作を展開したようである。

敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。米軍は3S(スクリーン、セックス、スポーツの3sのこと、終戦後アメリカは日本人があまり政治のことなど深く考えないように「3S作戦」なるものを占領政策として実行した)作戦実行のため、読売新聞の創立者、正力松太郎氏とともに日本テレビ放送網の創立を目指したのである。

CIAのコード名を持つ正力松太郎氏は、CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に煽った新聞でもあった。日本に中国侵略と日米戦争を行わせることは、読売新聞を使った米国の情報戦略であった可能性もゼロとは言えまい。



<参考資料>

*今から、6年前に元外交官天木直人氏が下記のように書いている。以下。



CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎

 

 これは超弩級のニュースである。本日発売の週刊新潮2月16日号(2006年)で、早稲田大学の有馬哲夫という教授が、正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実を明らかにした。その根拠は、例によって、米国公文書館の公開された外交機密文書である。しかも彼が見つけた文書はいまだ殆ど誰も手にしていない文書であるという。研究者にとっては願ってもない貴重な文書だったと有馬教授は述べている。この発見がこれからどこまで日本で波紋を広げていくのか。

 その文書から有馬教授が読み解いた事実の一端は次のとおりである。

 まずそのファイルの量である。同じCIAのファイルとして既に研究されている岸信介元首相や重光葵元外相のものと比べても、圧倒的な厚みであるという。CIAが正力を如何に徹底してマークしていたかの証明である。しかも正力を「ポダム」という暗号で呼んでいる。

 正力は東京帝大を出て警察庁につとめ戦前、無政府主義者、共産主義者の取締りで名をあげたという。その正力は政界の大物から大金を借りて当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収し、自ら陣頭指揮をとって、奇抜な企画や大衆に親しみやすい紙面つくりに励み、毎日、朝日につぐ大新聞に読売を成長させたといわれている。

米国はその正力に目を付け、援助を与えることによって彼のマスコミに対する大きな影響力を利用しようとしたのだ。日本全土に、親米・反共のプロパガンダを流す手段にしたのだ。

 今度の研究で具体的に明かされた事実として、CIAが1000万ドルの借款を正力に与えて、全国縦断マイクロ波通信網を建設させようとしていたという。これが完成した暁には、CIAは日本テレビと契約を結んで、アメリカの宣伝と軍事目的に利用する計画であったという。

 幸か不幸か、この工作は成就直前で破綻した。その原因は、「正力とアメリカの国防総省が陰謀をめぐらし、正力がアメリカの軍事目的のために、アメリカの資金で全国的な通信網を建設しようとしている・・・近代国家の中枢神経である通信網を、アメリカに売り渡すのはとんでもない」という怪文書がばらまかれ、国会で取り上げられたためCIAが作戦を見直したからである。

 それにしてもCIAは資金や女性問題、果ては麻薬によるコントロールまであらゆる情報をファイルして工作対象者をマークしていることがこの文書で明らかにされている。正力の場合は、「テレビのベンチャーに対するアメリカの資金供与」と記載されていたと有馬教授は書いている。

 これまでにも岸信介元首相をはじめとして様々な日本の指導者が米国の手先となって、米国の日本間接統治に手を貸していたことが明らかにされている。しかし今回のCIAの正力ファイルはこの事実をここまで詳しく明らかに示した。

読売グループが何故ここまで対米追従のメディアであるのかは、この歴史的事実からつじつまが合う。

あれから半世紀、小泉、竹中は言うに及ばず、米国CIAの日本工作は我々国民の知らないところで驚くべき広さと、深さで進んでいることであろう。しかし恐れる必要はない。その事実が国民に知れた時点で、大きなしっぺ返しを食らう事になる。最後の決めては情報公開である。内部告発でも、密告でもなんでもいい。とにかく一つでも多くの隠された事実を白日の下にさらすことだ。これこそがジャーナリズムの使命であり、醍醐味である。(引用終わり)



*以前、レポートで紹介した本より

「洗脳支配」

~日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて~

苫米地英人・著  ビジネス社  2008年3月刊

 <テレビの世界で起きている恐ろしい現実>

 

 いまテレビでは、明らかに馬鹿な日本人をつくるプロジェクトが始まっています。

テレビ局トップが相談して決めたのか、アメリカ大使館からそのような指令が飛んだのか、確認するすべはありません。ですが、トップクラスの意思決定が働いているとしかいいようがないほど、その兆候がはっきりと現れているのです。



その典型が、テレビ画面に、テロップや字幕ふうの活字(スーパーインポーズ)を映すやり方です。最近のバラエティ番組では、タレントのしゃべりにかぶせて、大きな活字でその内容を採録したり、第三者的にツッコミのナレーションを入れたりするようになりました。その活字が踊ったり、さらにそこに効果音がかぶせられたりすることも、よく見受けられるようになりました。

 

これこそが、人間のIQを下げるもっとも効果的な方法だとされているのです。実際、過去に行なわれた実験で、次のような結果が生まれることが証明されています。



その実験では、被験者に映像を見せながら、画面に映った内容を表す擬態語など、抽象的な単語を次々と見せていくということが行なわれました。それを続けていくと、わずかな時間で段階的に思考能力が失われました。そして、さらに続けていくと、被験者の脳波が何も考えていない状態と同じ波形になり、そのままそれが継続していきました。つまり、そうした映像がついには見る側の思考そのものを止めてしまったということです。

人間は、そうした刺激を受けると、能動的に思考を行なうことができなくなります。これができなくなれば、物事を見て、感じとり、そこから抽象的な思考をすすめていくこともできなくなるわけです。抽象的な思考を行なうことは、人間の脳の前頭前野、もっとも高度な部分における脳の働きなのですが、この働きをそっくり失ってしまうのです。

テレビ局の人間は、一般の人々が想像する以上に、映像における大衆操作についてよく学んでいます。もちろん、制作会社のADさんがそうだといっているのではなく、テレビ局のなかには、大衆操作の禁じ手など、テレビの闇テクニックに通じた専門家がいるのです。



いま番組制作にあたっている主力世代の年齢は35歳から40歳くらいです。彼らは、上からの命令に何も疑問を持ちません。すでに、抽象的な思考を抑制する番組制作にも慣らされ、それをおかしいと問題にするようなことはありません。当然、闇テクニックを知る上層部からの命令に疑問を持つことなく、番組制作に邁進することでしょう。



彼らは、自分たちと同じ子羊をつくるために、日本人の抽象的思考を無差別に大量破壊し始めるのかもしれません。あたかも朝起きて神の声を聞き、用意した爆弾を車に積み込み、人の集まる繁華街に突っ込んでいくテロリストのように‥‥。

人間は抽象的な思考ができるという能力を持っています。たとえば、「弱肉強食で勝たなくても、まあいいや」とか「自分のことはいいから、隣の人を助けてよ」というのがそれです。私たちが日常的に行なっているこうした思考こそが、私たちが人間であることの本来の証ですが、支配者たちにとっては、これをやられると困るのです。なぜでしょうか。



 それは、人間のコントロールが効かなくなるのです。支配者たちが人間をコントロールするためには、自分のことだけを考える人間の集まりであればあるほど都合がいいのです。抽象的に物事を考えようとせず、それに与えられた価値を疑わずに忠実に動いてくれれば動いてくれるほどいいわけです。



<消費コントロールという名の支配システム>



 テレビのホームコメディ番組を通じて、アメリカ流の生活様式や思想が日本人の頭に深く刻みこまれるようになったのは、1960年代のことです。戦後、GHQ(占領軍総司令部)が日本人に罪の意識を植えつけるために、WGIP(War Guilt Information Program)を徹底的に行ないましたが、それはテレビなどの番組制作にも色濃く反映されています。



たとえば、NHKが1960年代に制作した数多くの太平洋戦争ドキュメンタリーは、その典型的な例といえます。戦争に担ぎ出された兵隊の人生や、戦争に巻き込まれた婦女子の悲哀、大量の自決者を出した沖縄の悲劇、ヒロシマ、ナガサキの原子爆弾の恐怖。こうしたドキュメンタリー番組は、左翼がつくったのではないかと疑うほど、ひとつひとつの映像が日本軍部などに対する強烈な告発意識で貫かれていました。

おそらく、GHQの意向を受けて、NHKが1960年代の番組制作能力を総動員し、入念に撮影・編集したものと思われます。私たちはこうした番組を見るたびに、「日本の軍部が悪かった。日本人の選択こそ間違っていた」との意識を埋め込まれたのです。

その洗脳の地ならしがあらかた出来上がると、今度はアメリカ流の生活様式や思想がいかに素晴らしいものであるか、コメディーや西部劇といった番組を通じて埋め込まれることになります。



アメリカ流の生活様式や価値観に対する憧れは、すぐに国民的な消費に結びつきました。これが1950年代の白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機という「三種の神器」から、60年代のカラーテレビ・カー・クーラーという「3C」への、すさまじい消費熱を呼ぶわけです。



私が前振りとしてこんな解説を述べたのは、消費こそつねに支配者によって仕掛けられているものだからです。資本主義のなかで支配者たちが行なっていることの最大のものは、消費行動の徹底的なコントロールです。なぜなら、私たちがお金を稼ぎ、そのお金を彼らのコントロールが利かないところで使われると、彼らの支配システムが維持できなくなるからです。



たとえば、明治維新以来、日本に「洋モノがいい」というカルチャーが根づきました。カルチャーというと、人々の間に自然発生的に生まれたかのような印象を受けますが、これは支配者たちによって意図的に仕掛けられたものといわざるを得ません。原初的には、尖兵となった貿易商がヨーロッパの魅力的な品々を手がかりに彼らの価値観を日本人に植えつけることから始まったということです。



その仕掛けは現代に継承され、たとえばルイ・ヴィトンやグッチというブランドの隆盛となって現れています。実際、これらのブランドのオーナーは、みなヨーロッパの支配階級です。互いに競合関係にあるブランドですが、オーナーはみな仲間内の人々といえます。スポーツブランドのアディダスやプーマにしても、オーナーは兄弟なのです。



 彼らの消費コントロールは、じつに圧倒的な力で私たちを支配しています。



たとえば、マイクロソフトのビル・ゲイツは巨万の富を築きましたが、ジーンズとTシャツという格好をしていますが、日本の若い女の子は、わずかな月収にもかかわらず、ルイ・ヴィトンのバッグを提げて歩いている。なぜこのような馬鹿げたことが起こっているかといえば、仕掛けられた消費コントロールの力以外にありません。



金持ちの支配層は、すでに世界の富の99.99パーセントを押さえていますから、それ以上の富を我が物にすることを目指しているわけではありません。彼らは消費行動をコントロールし、彼らが世界に敷いたシステムを維持するために、人間の思考そのものを支配下に置きたいのです。



このように、支配は消費行動をコントロールすることで決まります。逆にいえば、支配されないために私たちがとり得る一番の手段は、自分の消費を自分でコントロールすることです。とくに、もっとも抽象度の低い自分の行動をコントロールすることでしょう。



たとえば、食べ物。グルメ雑誌があったらすぐ捨てる。このレストランが美味しいと聞いたらすぐ疑う。うまいものは食わない。グルメ番組は見ない、などなど。これはとても重要なことです。(引用終わり)





  戦後、マッカーサーの率いるGHQを使って世界の支配層がわが国に対して行なったWGIP(War Guilt Information Program)が、今では完全に国民の意識を洗脳してしまった状況を作り出してきた。広島の原爆記念碑のそばに「二度と過ちは繰り返しません」と懺悔する言葉が掲げられているのも、まさにその現れである。あたかも「日本がアメリカ様に戦争を仕掛けたのですから、空襲や原爆で被災したのも、すべて日本人が悪かったのです」と詫びているかのようである。

新型爆弾の威力を試す目的で、人口が密集した都市に原爆を落としたアメリカに対する批判の声は、今日でもマスコミでは全く聞かれない。いまなお強力にコントロールされているのである。



さらに今日では、世界支配層がテレビという強力なメディアを使って日本人の洗脳支配を進めている、というのがこの本で著者が述べている内容だ。人々がルイ・ヴィトンやグッチなどのブランド商品に憧れるのも、すべて支配層に操られているためだと彼は、分析している。マスコミの中枢には、そのようにして意図的に大衆を操っている人物たちがいるということを肝に銘じておく必要がある。ちなみに、最も巧妙に操作されている媒体は著者によれば、NHKだということだが、



著者の苫米地英人はオウム真理教の事件でマスコミに登場し、オウム真理教の洗脳をどう、どう回復させるかを解説していた人である。

 

<苫米地英人プロフィール>

1959年東京都生まれ。脳機能学者、計算言語学者、認知心理学者、分析哲学者。

上智大学外国語学部卒業後、三菱地所に入社。2年後イェール大学大学院に留学。同大学人工知能研究所、認知科学研究所研究員を経て、カーネギーメロン大学大学院に転入。計算言語学の博士号を取得する(日本人初)。帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、通商産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。

現在は(株)ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ(株)CEO、天台宗ハワイ別院国際部長。在学中に世界初の音声通訳システムを開発したのを皮切りに、オウム真理教信者の脱洗脳や、各国政府の対テロリスト洗脳防止訓練プラグラムの開発・指導、能力開発プログラム「PX2」の日本向けアレンジ、国際健康健美長壽學研究會顧問、國際気功科学連合會副会長と、その活動は多岐にわたる。



             

 

    

     

8月に考えること(再掲)

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8月 012012

 *二年前のレポートです。(再掲します。)

「日本のあまりにも長い戦後はいつ終わるのか」

 

 10年に一度と言われる暑い夏の8月が始まった。

終戦記念日の8月15日を含むこの月に戦争や戦後史に思いを馳せることにはそれなりの意味があるのではないだろうか。



 ところで、「龍馬伝」というNHKの大河ドラマが人気のようである。

国民作家と呼ばれた司馬遼太郎氏が「竜馬がゆく」という小説を産経新聞に連載したのが、1962年から1966年、日本経済が奇跡の高度成長を始めた東京オリンピックを挟んだ時代であった。司馬氏の作品は、高度成長する、躍動する日本に相応しい読む者を元気づける素晴らしい大衆小説であった。ところで、小説というのは、作家による一つの小さな説に過ぎないのであって、勘違いする人々が多いが歴史ではない。

 2010年の日本人としても、ドラマや小説のような龍馬が本当に歴史上の実像だったと信じたい処だが、これから、日本が本当に独立自尊の国なるためには、それはあまりにも拙いことだと言わなければならない。アヘン貿易で大儲けした「ジャーディン・マセソン商会」がグラバーという男を通して、坂本龍馬や長州、薩摩の藩士をサポート、操縦していたのであり、そこには、フリーメンソンという国家を超えた組織を通じて世界経済を牛耳りつつあった人々の意向が見事に反映されていると冷徹に見るべきであろう。

 

多くの従業員の明日を預かる経営者、子ども達の未来に関与する教師、国、地方の未来を決める立場にある政治家と称する人々ぐらいは、もう少しほんとうの事を知るべき時期にいよいよ日本も入ったと思われる。

 

 ところで、「美味しんぼ」という人気漫画の原作者雁屋 哲氏が、「美味しんぼ日記」というブログに興味深い記事を書いている。過激な表現を故意にする人なので、文書表現等に問題があるかもしれないが、取りあえず、そのまま引用する。(長文のため、編集)

(以下引用)~中略~

 

 私は、鳩山由紀夫氏は善意の人だったと思う。 ただ、辺野古問題は、上に書いた、竹の子みたいな物だったのではないか。氏は、掘ろうと思えば掘れると思った。ところが、どっこい、地下の根は複雑に入り組んでいて、しかも強力で、魑魅魍魎も跋扈していて、とても掘れない。私たちの場合は、悪戦苦闘の末に、竹の子を掘り出すことは出来たが、氏は出来なかった。長濱義和さんの使ったような、兇悪な竹の根も断ちきることの出来る刃の長いクワを鳩山由紀夫氏は持っていなかった。

 氏を妨げた物は、端的に言えば、アメリカが日本の社会に張り巡らした醜悪な竹の根である。アメリカは日本中に根を張っていて、日本人がちょっと形の良い竹の子を掘ろうとすると邪魔をする。ときには、掘ろうとした人間の社会的生命を葬ってしまう。今回も、鳩山由紀夫氏はアメリカの張り巡らした節だらけの根に掴まって負けた。氏は、次の総選挙にも出馬しないという。実質的に政治家生命は絶たれてしまった。アメリカに逆らうとこうなると言うことが分かって、今度首相になった菅直人氏は勿論、これから誰が総理大臣になっても、沖縄に限らず日本の在日米軍基地に対して文句を言うことはないだろう。

 話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。

敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。

その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。

 結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。

 じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。

 下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。

 http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html

これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。

 

この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を、冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。

 当時の日本の指導者たちは、アメリカの指導者たちに比べると、正に精神年齢12歳の子供同然であったことが、この文書を読むと痛感させられて、実に悲しくなる。

 アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。

 そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。

 その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。

 その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。

「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」

 これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。

 http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html

そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。

 これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。

 天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。

 天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。

寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)このような一次資料を基にして、私は5月4日の日記の中で、沖縄をアメリカの基地にしたのは昭和天皇である、と書いたのだ。無責任な憶測でも、噂話の又聞きで書いたのでもない。

 事実が文書としてこうして残っていて、みんなが良く知っているのに、みんなが、言わないようにしている。正しい事実を公に論じることをしない日本という国は、不思議な国なのだ。天皇が、戦争犯罪に問われなかったのは、戦争は天皇が自分の意志で始めたのではなかったからだという理由による物ではなかったか。それを主張する物が「昭和天皇独白録」である。

 戦争犯罪を問われそうになると、自分は立憲君主だから部下の言う事を認可してきただけで、主体的に戦争を指導したのではないと言った昭和天皇が、戦争が負けたら相手の国の元帥に、沖縄をずっと占領していてくれなど主体的に言う。こう言うことが許されるのだから、日本は不思議な国だ。

 米軍が沖縄を占領し続けることを天皇が主体的にアメリカに頼んでいるのである。

 具合が悪いと、それは部下がしたことで自分は知らないと云い、自分の命に関わってくるところになると相手の元帥に自分の国を民ごと切り渡して与える。

 しかも、他の国にはやらない、君だけにやるんだから、後はよろしく頼むよ、と言う。先に挙げた「昭和天皇独白録」「寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋社刊)の259ページに、秦郁彦教授が、マッカーサー記念館の「総司令官ファイル」の中から発掘した文書として、寺崎英成と思われる政府高官が伝えた天皇の言葉が記されている。

 それによると

「(前略)日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、占領は長期間つづくほうが望ましいと、陛下は感じている」

 昭和天皇自らが、アメリカの支配を望むと仰言られたのだ。どうして、下々の人間が天皇陛下のお言葉に反することが出来ようか。その陛下の有り難い大御心を奉じたてまつって、アメリカは日本占領をいまだに続け、以来ずっと日本はアメリカの奴隷であり続けているのである。~中略~

 

 ところで、1945年8月15日までの昭和天皇は、元帥帽をかぶり、いかめしい天皇服を着て、白馬にまたがって、皇軍を率いていた大元帥の勇ましい姿だった。

戦争当時、昭和天皇の側近を務めた木戸幸一の記した「木戸幸一日記」という物がある。公共図書館に行けば置いてあるから読んで欲しい。

 その中には、昭和天皇の生々しい言動が記録されている。木戸幸一日記に寄れば、昭和天皇は、対米開戦を決める前に、海軍や陸軍の指導者の話を何度も何度も、聞いた後に

「海軍大臣、総長に、先ほどの件を尋ねたるに、何れも相当の確信を以て奉答せる故、予定の通りに進むる様首相に伝へよ」と言っている。

 昭和天皇は、アメリカとの戦争を始める前にさんざん検討を重ねているのである。

 それは、勝つか、負けるか、の検討であって、戦争の善悪の検討ではない。

 戦前の昭和天皇は操り人形ではなかった。(同じ人間が、戦後には、アメリカの傀儡、操り人形になったのだが、戦争を始める時点では、人形ではなく自分の意志で動いていた) 同じ、「木戸幸一日記」の1942年(昭和17年)2月16日に、次の記述がある、(日本がシンガポールを陥落させた直後のことである)

「シンガポール陥落につき祝辞を呈す。

 陛下には、シンガポール陥落を聴こし召され(お聞きになって)、天機殊の外麗しく(天皇の機嫌は大変に良かった)、次々赫々たる戦果の挙がるについても、木戸には度々云う様だけれど、全く最初に慎重に充分研究したからだとつくづく思ふと仰せあり。誠に感泣す。(これまでに充分研究して戦争を始めたんだから、勝つのは当たり前だ、と天皇は言ったのだ。それに対して、木戸は感動して泣いた)」とある。

 

 もうひとつ、木戸幸一日記から。

 1942年3月9日、前々日に、日本軍がインドネシア、ビルマを陥れたという知らせを聞いて、

「(前略)竜顔(天皇の顔のことをこう言う)殊の外麗しくにこにこと遊ばされ『あまり戦果が早く上がりすぎるよ』との仰せあり。」

 もう一つ。

 1942年6月8日、ミッドウェーでの敗戦を聴いた後で、

「今回の損害は誠に残念であるが、軍令部総長には之により士気の阻喪を来さざる様に注意せよ。尚、今後の作戦消極退嬰とならざる様にせよと命じ置いたとのお話しあり。英邁なる御資質を今目の当たり景仰し奉り、真に皇国日本の有り難さを痛感せり」

 もともと、この「昭和天皇独白録」は、昭和天皇を戦争犯罪人にせずに、傀儡として戦後の日本を支配したいというアメリカの意志の元に作られた物だ。こう言うアメリカの工作のお陰で、昭和天皇は戦争責任を問われることなく「平和を愛する天皇」として、歴代天皇としてはまれな長寿まで生き続けたのだ。

  昭和天皇が、まず、自分自身を立憲君主国天皇と言いながら、その範囲を自分で超えて、「沖縄をアメリカの基地にしろ」「日本も出来るだけ長く占領を続けろ」と言った。こう言う時の天皇の言葉の力は大きいらしく、いまだに、天皇の言葉のままだ。

 日本全体のアメリカの隷属化の第一は昭和天皇の言葉による物であることは明らかになった。言葉は力である。

 昭和天皇は、当時は非常なる権力者であったから、昭和天皇の言葉はそのまま強力な力となった。

 

では、次に日本をアメリカに隷属し奴隷となることを推進したのは誰か。それは、過去半世紀にわたって日本を支配してきた「自民党」である。

 2007年にニューヨーク・タイムズの記者ティム・ワイナーが「Legacy of Ashes. The History of the CIA」という本を出版した。「Legacy」とは遺産のこと。

「Legacy of Ashes」で「灰の遺産」と言うことになる。

 

 これは、もともと、アイゼンハウワー大統領の言葉だそうだが、どのような状況で何をさしていったのか、この本からだけでは分からない。しかし、戦争直後に言った言葉であり、戦後のヨーロッパやアメリカの各地のあの壊滅的状態を思い起こせば、そして、この本のあちこちの表現を見ればその意味は想像がつく。

 あの当時のドイツと言えば、遺産としては灰しか残っていなかったのだから。

「The History of the CIA」という副題から推察すると、CIAから次世代のアメリカが(現代のアメリカのことである)受け継ぐのは戦後のヨーロッパのように「灰だけだ」と言うことになる。

 ずいぶん、厳しい言葉だが、この本を読んでみると、この題名に納得がいく。

 

私たちは、CIAというと、大変に優れた諜報機関で、全世界にスパイ網を持ち、世界中の情報を収集し、と同時にアメリカにとって邪魔な国を倒すための陰謀を巧みに企んできた恐ろしくもあり強力な存在だと思ってきた。

 ところが、この 「Legacy of Ashes」では、如何にCIAが無能で、情報機関としても陰謀機関としても、大きな失敗ばかり重ねてきたか暴いているのだ。

 例えば、自発的にCIAのスパイになってくれたソ連での人々を、CIAがわのソ連のスパイが密告して全員殺された。レーガン大統領の時に、イランに武器を売り付け其の代金を中東で使うというイラン・コントラ事件が起こって、CIAも、中東での関係もめちゃくちゃにしてしまった。恐ろしく情報能力が低下して、ソ連の軍事能力を過信し、アフガニスタンに武器を大量に提供してソ連のアフガン侵攻を阻止しソ連を崩壊させる一助となったのはいいが、其の大量の武器が今アメリカを困らせている。大統領がCIAを信じないし、CIAも大統領を喜ばせることしか伝えない。CIAは大統領に嘘をつくのである。イラク戦争の時も、CIAは大量破壊兵器があると強調して戦争を始めたが、結局、全て偽の情報でイラクに大量破壊兵器はなかった。CIAの組織力はくずれ、世界中にいるCIAの人間は、ニューヨークのFBIの職員の数より少ない。  2004年にブッシュ大統領は、CIAのしていることは「just guessing」だといった。

「guess」とは推量とか、あて推量で言い当てる、と言う意味だ。要するに、CIAは「事実に基づいた判断ではなく、勝手に思いこみで言っているんだろう」、とブッシュは言ったのだ。これは、「Political death sentence(政治的死刑宣告)」だとワイナーは書いている。こんなことを今までに言った大統領はいない。

 2005年に中央情報長官の職が廃止されたことでCIAがアメリカの政治の中心で果たしてきて役割は終わった。アメリカは、情報機関を立て直さなければならないが、遺産として目の前にあるは「Ashes」である。というのが、ワイナーのこの本に書いてあることだ。

 実に恐ろしいくらい、愚かな失敗をCIAは繰返している。

 CIAと言えば泣く子も黙る恐ろしい存在だと思い込んでいた私など、それじゃ、幽霊と思ってススキにおびえていたのか、と愕然となった。今まで、CIAとソ連の諜報機関との戦いを描いていたハリウッド製のスパイ映画は何だったのと言うことにもなる。なお、ワイナーによれば、ここに書いたものは、CIA、ホワイト・ハウス、連邦政府の55000以上の文書、2000以上の、アメリカ情報機関担当員、兵士たち、外交官たち、のオーラル・ヒストリー(自分の歴史的体験を口述したもの)、そして、1987年以来行われた、300以上の、CIAの職員、退役職員、(その中には10人の元長官も含まれている)に対して行われたインタビューを元にしている。

 この文書は、全て実名の情報に基いている。出所を明らかにしない引用、匿名の情報、噂話の類は一切用いていない。この本はCIAの真実の全てを書いたものとは言えないかも知れないが、ここに書かれたことは全て真実である、とワイナーは述べている。

 幸いなことにこの本が2008年に文藝春秋社によって日本語訳が出版されたので、日本人も容易に読めるようになった。(なお、文藝春秋社版の日本訳と私の持っているアメリカのAnchor Books版とでは、この第12章の内容が甚だしく違うところが多い。

 文藝春秋社の編集部の解説によれば、文藝春秋社版の第12章の前半と、第46章は日本語版のために著者が追加執筆した物だという。他にも、Anchor Books版になくて、文藝春秋社版にある部分がある。結果として、本来は50章の本なのに、日本版にはおまけで1章付け加えられた。私は、アメリカのAnchor Books版を元にしていたので、危うくこの付け加えられた一章を見落とすところだったが、後で述べるように、1994年にワイナーによって書かれたNew York Timesの記事には、もっと厳しい内容が書かれているので、この付け加えられた章がなくとも、私には問題がなかった。

(英語版が手に入らない日本の読者には意味があるだろう)逆に、英語版で大事なところが、文藝春秋社版では欠けているところがあるので、私は一応Anchor Books版を基本に、文藝春秋社版を参考にすることにした。)

 さて、改めて言うが、この本を読んで、私はCIAがこれ程までに無能な機関であり、ここまで数々失敗を重ねてきたひどい政府機関であることを知って驚いた。

 そして、一番驚いたのは、この駄目機関であるCIAがただ一つ成功した例があることである。それは、ああ、なんと、この日本という国の支配なのである。

 今回の眼目は、この本の第12章である。その章のタイトルは、「We ran it in a different way.」となっている。「run」とは、動かす、管理する、指揮する、支配する、と言う意味である。ここでの、「it」は日本の政治のこと。すなわち日本のことである。「we」はCIAのこと。「in a different way」とは、当時日本を占領していた連合軍司令官であるマッカーサー元帥とは、違う方法で、と言う意味である。

 なぜ、わざわざこの部分を英語の原文のまま示したか、それは、この「We ran it in a different way」という言葉の持つ、冷酷さ、非情さ、おごり高ぶった情感をはっきり読者諸姉諸兄に味わって頂きたいからである。これを、文藝春秋社の日本語訳のように「別のやり方でやった」などとしてしまっては、このアメリカの非情さが分からない。

 英語と言う言語の持つ実に直裁的な冷酷な味わい、そして、それが、アメリカ人の心理をそのまま反映した物なのだが、それが消えてしまう。我々日本人は、アメリカ人に、「run」されたのだ。「rape」と変わらない。其の屈辱感を、しっかり身にしみて貰いたいために、あえて英語の原文を示したのだ。

 始まりは、1948年の末。 ワイナーは次のように書いている。

「2人の戦争犯罪人が、他の戦争犯罪人たちが絞首台に連れて行かれた前日に、戦後三年間入れられていた巣鴨刑務所から釈放された」その2人とは岸信介と、児玉誉士夫である。

岸信介は、1896年山口県生まれ。東京大学の法学部を卒業して農商務省に入り、東条内閣の対米宣戦時の商工大臣であり、敗戦後A級戦犯に指定されたが、釈放され、その後総理大臣になって対米安全保障条約・新条約の締結を行った。

児玉誉士夫は、1911年福島県生まれ。 戦前右翼の活動家として活躍し、戦中は海軍の庇護の元に中国で「児玉機関」と言う組織を動かし、強奪的にタングステン、モリブデン、などの貴金属、宝石類を大量に集め、それを海軍の力を利用して日本に送り届けた。(それを自分の物としたのが凄い)敗戦後、A級戦犯とされるが釈放された後、中国から持ち帰った巨額の資産を元に、政界に影響を及ぼし、やくざ・暴力団・右翼のまとめ役、フィクサーとして力を振るった。

 Anchor Books版に書かれていて、文藝春秋社版に書かれていない文章は、以下の物である。

「Two of the most influential agents the United States ever recruited helped carry out the CIA’s mission to control the government.」Anchor Books

 拙訳「かつてアメリカがリクルートした二人の一番影響力のあるエイジェントがCIAの日本政府を支配する任務を遂行するのを助けた」で、其の二人の男とは、岸信介と児玉誉士夫である。

 リクルート、エイジェント、この二つの言葉の持つ意味は重い。会社にリクルートされて其の会社に勤めたら、貴方は其の会社の人間だ。エイジェントとなったら、貴方はその会社の人間だ。これが、会社でもなく、アメリカ政府なのだ。

 岸信介と児玉誉士夫は、アメリカ政府に雇われて、アメリカ政府のために働く人間になったのである。もっと正確に言えばアメリカ政府の人間になったのである。

 岸信介と児玉誉士夫は日本人のためではなく、アメリカ政府のために働く人間になったのだ。文藝春秋社版では、この岸信介が「アメリカのエイジェント」だったことを明確に書かない。文藝春秋社が翻訳に使った底本が、そうなっていたのかも知れない。しかし、ワイナーの本は、まずアメリカで出版され、非常に高く評価されたのだ。アメリカの恥部を暴いた其の著者が、国ごとによって違う内容の版を出すとは思えない。この一文が無くては、自民党の本当の姿を理解出来ない。この一文を見のがしてはならないのだ。岸信介は、アメリカにリクルートされたエイジェントだった。

 エイジェントとは軽い言葉ではない。アメリカのエイジェントとなったら日本のために働くのではなく、アメリカのために働くのだ。正確に言えば、岸信介はアメリカに魂を売ったアメリカの手先、「売国奴」、だったのだ。何度でも繰り返したい。この一文は非常に重い意味を持っているのだ。日本国民が、日本の首相だと思っていた人間が、実は日本人のためではなくアメリカのために働いていたのだ。我々日本人は「売国奴」を首相として崇めていたのだ。こんな事があっていいものだろうか。ワイナーの記述は、まだまだ続く。 分かりやすいようにまとめよう。

(念のために断っておくが、ワイナーが言明しているように、以下に書くことは真実である。すべて、文書や記録が残っている。)

 岸信介と児玉誉士夫は、CIAのエイジェントとなった。

 CIAの助けによって、岸信介は自民党の党首となり、首相となった。

 児玉誉士夫は暴力団のナンバーワンとなり、CIAに協力した。

 岸信介と、児玉誉士夫が、戦後の日本の政治の形を作った。

 岸信介は、児玉誉士夫の金を使って選挙に勝った。

 代議士になると、岸信介はその後50年に渡って日本を支配する自民党を作り上げた。  岸信介の作った「自由民主党」は自由主義的でもなければ民主主義的でもなく、戦争で亡びたはずの日本帝国の灰の中から起き上がってきた右翼的で封建的な指導者たちのクラブだった。

CIAと自民党との相互の間で一番重要だったのは、金と情報の交換だった。その金で党を支援し、内部情報提供者をリクルートした。アメリカは、一世代後に、代議士になったり、大臣になったり、党の長老になったりすることが見込める若い人間たちとの間に金銭による関係を作り上げた。岸信介は党の指導者として、CIAが自分の配下の議員たち1人1人をリクルートして支配するのを許した。

 この部分、Anchor Books版では、次のように書かれている。

「As the party’s leader, he(岸信介)allowed the CIA to recruit and run his political followers on a seat-by-seat basis in the Japanese parliament.」

 文藝春秋社版では、そこのところが、

「岸は保守合同後、幹事長に就任する党の有力者だったが、議会のなかに、岸に協力する議員を増やす工作をCIAが始めるのを黙認することになる」と書かれている。

 Anchor Books版に描かれた岸は、自分の配下をCIAに売る悪辣な男である。

岸信介は、トップに上り詰めるための策動をする間に、日本とアメリカの間の安全保障条約を作り直す作業をCIAと一緒にすると約束した。岸信介は、日本の外交政策をアメリカの要求を満たすように変えると約束した。それによると、アメリカは日本に軍事基地を保持し、核兵器を貯蔵しても良いというのである。

 それに対して、岸信介はアメリカの秘密の政治的な協力を要請した。

 もう充分だろう、と思うが、先ほど書いたように、実は、ワイナーは、1994年10月9日付けのNew York Timesに「CIA Spent Millions to Support Japanese Right in 50s and 60s. 」(CIAは日本の右翼を助けるために1950年代から60年代に書けて何百万ドルもの金を使った)と言う記事を書いている。その記事の内容は、今回の本の内容に近いし、文藝春秋社版用に書き下ろしたと言う部分も、実はこの中に含まれている。この本よりももっと具体的なことも書いてある。

 

そこから幾つか拾ってみよう。

 1970年頃に、日本とアメリカの貿易摩擦が起こっていたし、その頃には自民党も経済的に自立出来ていたので、自民党に対する資金援助は終わった。しかし、CIAは長期間にわたって築き上げた関係を利用した。1970年代から1980年代初期に東京に駐在していたCIA職員は「我々は全ての政府機関に入り込んでいた」と語った。

「CIAは首相の側近までリクルートしており、同時に農林省とも同じような関係を結んでいたので、日米農産物貿易交渉で、日本がどのようなことを言うか事前に知っていた」とも語った。元警察庁長官で、1970年代に自民党の代議士になり、1969年には法務大臣になった後藤田正晴は、自分が諜報活動に深く関わってきた1950年代60年代について「私はCIAと深いつながりを持っていた」と言っている。

1958年に、当時の自民党の大蔵大臣だった佐藤栄作が選挙資金の援助をCIAに要求して、その資金で自民党は選挙に勝った。1976年にロッキード事件が起こって日本は騒然としたが、それは、同時にCIAにとって、それまでの工作が暴露される恐れのある危険な事件だった。ハワイで隠退生活をしている元のCIAの職員は電話で、次のようなことを語った。

「この事件は、ロッキードなんかよりもっともっと深いのだ。もし、日本という国のことについて知りたかったら、自民党の結党時のことと、それに対してCIAがどれだけ深く関わったか知らなければ駄目だ。」

 

 もう、本当に充分だろう。日本を半世紀にわたって支配してきた「自民党」はCIAのエイジェントによって作られたCIAのために働く党だったのだ。狡猾な旧日本帝国の官僚である岸信介、中国で強奪して来た資産で力を持ったやくざ・暴力団の親玉である児玉誉士夫。この2人の魂をアメリカに売り渡した売国奴によって作られた党だったのである。作られただけでなく、自民党は長い間、政治的・金銭的援助と引き替えに日本をアメリカの代わりに支配を受け付け続けていたのだ。日本人は長い間、自民党を支持し続けて来たが、実はアメリカの政策に従っていただけだったのだ。我々は、アメリカに支配されてきたのだ。

 CIAが、有望な若い者達にも金を与えていたと言うことも忘れてはならない。官僚から自民党の政治家になった者は大勢いる。CIAの金は官僚にまで回っていたのだ。

 事実、1970年代後期、80年代初めに東京に駐在したCIA局員はワイナーに「われわれは全ての政府機関に浸透した」と述べている。

 CIAは首相側近さえも取り込み、農林水産省とも非常に有力なつてがあったので、日本が通商交渉でどんなことを言うか、事前に知ることが出来たとはなんと情けないことだろう。日本の官僚たちもアメリカに逆らえない弱みを握られているのだ。

 これで、日本がアメリカに隷属し続けた原因が分かるだろう。

 

 自民党議員も政府官僚はみんなアメリカから金を貰って弱みを握られているからアメリカに反することは出来ない。自民党の二世・三世議員も同じことだ。祖父と父が従ってきたボスにどうして息子が反抗出来るか。だから民主党政権になって、辺野古問題でアメリカの意志に反することを言い出したら、日本の官僚組織が一団となって、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏を引きずり下ろすために全力を傾けたのだ。

 誰なのか正体の知れない「市民団体」に訴えさせて、一旦不起訴と決まった小沢一郎氏を検察審議会に、「起訴相当」の判決を出させたりもした。

どうして、あんな事をさせるのか。考えてみれば、日本の官僚は上下関係でがんじがらめになっている。自分たちの先輩の決めたことを自分が覆したら、官僚世界から追放される。官僚は官僚の世界から追放されたら生きて行けない。東大法学部を卒業した人間はその肩書きしか人間としての力はない。その肩書きが通用するのは官僚に関係する社会だけであって、実社会に放り出されたら、全く無能力である。だから、日本では改革などと言葉で言っても、絶対に改革が実行されない。

 それと同じで、現在の官僚は、米軍の沖縄基地の自由使用と言う過去の先輩たちの決めた慣例をひっくり返したらえらいことになると怯えたのだろう。で、人間としての価値もない無能な官僚全体がよって、たかって民主党攻撃に回っているという訳だ。

 さて、もう一つ言わなければならないことがある。それは、日本の新聞、テレビ、など、いわゆるマスコミの問題である。民主党をけなし続けているのは、大新聞、テレビ各局である。では、その報道機関、マスコミが、アメリカの魔手から逃れていたのか。これが、実はそうではない。民主党攻撃に必死になったマスコミも、実は、アメリカの手先なのだ。

(引用終わり)

 

言葉遣いはともかく、興味深い事実を雁屋氏は、提示している。

 ニーチェに「善悪の彼岸」という本ある。政治の世界を見る場合は、善悪の彼岸に立って見るべきであろう。我々の先人は、欧米列強の圧力を受けた結果とは言え、命がけで時代に合わせた国民国家をつくり、近代史における列強の帝国主義に遅れて参戦した。そのため、欧米によって巧みに日清、日露という戦争に誘導されたが、何とかそれらを切り抜け、国際連盟の常任理事国になる等、一定の成果を上げた。そして、「大東亜共栄圏」という欧米列強を排除した経済圏の創設を夢見、元帥である天皇もその先頭に立って奮戦したが、戦略欠如のため、見事に負けてしまったのである。

 ところで、戦争とは、国同士の喧嘩である。どちらか一方が全面的に正しい、悪であるなどということが、あるはずがない。その意味で戦勝国が敗戦国を裁く裁判には、政治的な意味はあるにせよ、本当に意味での正当性はないはずである。だからこそ、あのチャーチルでさえ、「現代文明の倫理の原則は、戦争に敗れた国家の指導者は、戦勝国民によって死刑に処せられるべきであると規定しているようである。ローマ人は反対の原則に従った。彼らの征服は、その勇敢なる行為と同じくその寛大さに負うところが多かったのである。」などと言い訳しているのである。

 ところで、広島、長崎で人類初の原爆被害を受けている日本人が、普通に米国のその悪を連想できなくなっている現象をどう解釈すべきか。

米国のウオーギルティープログラムGHQのWGP=戦争贖罪プロパガンダ戦略によって巧みに「日本人は、今回の戦争において大変残虐なことをしたので、ジュネーブ条約に違反する一般市民を含む無差別爆撃を核兵器によってされてもしようがない」と洗脳されているのである。

 米国は、国家戦略にしたがって、この半世紀にわたって、日本を占領し、自国の国益のために巧みに利用してきた。たまたま、冷戦が存在したことが、日本の経済成長、経済自立を可能にしただけなのである。(もちろん、軍事的、政治的には自立はしていないが、)自民党も、既に解党した社会党もそういうバランスの時代に存在価値があった政党である。雁屋氏は自民党が、CIAからお金を貰っていたことを非難しているが、第二次世界大戦後の発展途上国であった国々では、よくあったことである。

1950、1960年代の日本は、自由主義陣営の発展途上国であったということを意味しているに過ぎない。

 

 今まで、何度も指摘させていただいたが、冷戦が終わった時から、日本は、米国から収穫すべき対象になったのである。これも何度も指摘させていただいているが、1985年のプラザ合意がその分岐点なのである。戦後政治の流れを考えれば、ベルリンの壁が崩壊した時点で、自民党も社会党もその存在意義を失っていたとも言えよう。

 おそらく、日本の政治が混乱しているのは、左も右も米国依存症という病気にかかっていることにある。今までの自民党の政治家の「従米」も、そんなことお構いなしに平和憲法を唱えている左の脳天気な人々も、日本という国が米国軍に占領されている、人によっては駐留しているというかもしれないが、そのことによって成り立っている現実を直視しようとしていない。すなわち、これらの人々も日本を自立させようとは、思っていないのであろう。

 ところで、政治というのは現実である。米国が覇権国でなくなる「帝国以後」の時代に入ったら、そんなことを言っていることも、ご機嫌伺いしているだけでは生き延びていくことも、できないのである。ビル・トッテンという青い目の日本人が興味深い指摘を「アメリカ帝国の衰退」という題名でしている。

 

(引用はじめ)

 第三世界の国は工業製品のほとんどを海外から輸入し、代わりに天然資源を輸出している。また、第三世界の国の経済は国内資本が不足しているため、外国からの資本に依存している。まさにアメリカはこの条件に当てはまる。そして第三世界のもう一つの特徴は医療などに問題があることだ。これも、先進国の中でアメリカの平均寿命が最も短いことは偶然ではない。特にアメリカでは、所得格差の拡大からここ20年間で富裕層と貧困層の平均寿命に大きな差ができつつある。例えば、貧しい黒人男性の平均寿命は66.9歳だが、裕福な白人女性は81.1歳と、14歳以上も離れている。また乳児死亡率も他の先進国より高く、これは高度医療設備がありながらも医療保険がないために、貧しい家庭では乳幼児の病気に対して何もできないという格差の現われであろう。

 その一方で、貧しい第三世界の国々と大きく異なる点が少なくとも2つある。一つはエネルギー資源の消費量が世界のどの国よりも格段に多いこと、そして、どこよりも多く軍事にお金をかけ、複雑で高度かつ高額の兵器を大量に保有していることだ。そしてこの2つが、アメリカ帝国が没落に向かう理由と深く関連している。

 アメリカが世界に誇る軍隊を持っているのは国民の健康や安寧のためではない。帝国がいつの時代にもそうであったように、それは帝国を支配する者が富を手にするためであり、そのために世界のあらゆるところに軍隊を派遣している。そしてその結果として、アメリカ国民は世界人口の5%に過ぎないにもかかわらず、世界の資源の3分の1を使い続けることができるのだ。

 今から100年前、イギリス帝国は世界中から富を集めることで国民の生活水準をあげた。同じように帝国主義のアメリカは今、大量のエネルギーを使って高い生活水準を保っている。しかしこの途方もない贅沢な暮らしをしているアメリカも、イギリスが衰退して帝国の地位をアメリカに引き渡したように、水準を徐々に下げざるを得なくなってきている。帝国を維持するコストは、それがもたらす便益をもはや大きく上回り、また、ますます格差の広がる国内の国民から不満の声が高まってくるからだ。

 中国へのアヘン戦争、イギリス東インド会社の拡大からインドを支配下におき、エジプトの実質支配、さらにはカナダ、オーストラリア、南アフリカといった自治領を持つイギリス帝国が衰退することを、誰が1910年に想像したであろうか。

 それから100年たった2010年、同じようにアメリカ帝国の衰退は誰にも止められない。もちろん帝国の属国である日本であっても。そしてそれは、われわれも身の振り方を改める時期にあることを意味している。

(引用終わり)

時を合わせるように、野中広務氏がまた、爆弾発言したようである。

*岩下俊三のブログより引用

「機密費がマスコミへ」につづく野中広務・第二の「爆弾発言」

 

前提として野中広務はボケては、いない。また個人的な思惑もない、というよりいまさら陰謀をめぐらす根拠がない。そこそこの名誉と金と己の限界を知り、しかも年齢的に先は長くはない。あらゆる欲望から離脱した人間の「爆弾発言」に揣摩憶測は不要である。単に墓場まで秘密にすることと、死ぬ前に言っておきたいこがあるということだろう。そのひとつが「官房機密費」がマスコミに流れていたという事実の暴露であった。

 そして今回「鳩山前首相が1ヶ月半前に、外務省の元高官を通じて沖縄県知事のところに行って辺野古に移設することを決めるように、そして、小沢氏を道連れに辞任するように、米国から命じられた。自分は、元高官から話をきいた」と発言した。さらに「みんなの党の後ろには、竹中平蔵氏がついているので、木村剛の逮捕があったが、今後、同党に関わる市場原理集団の問題がアレコレ出て来るのではないか」とも言っている。

 過去の野中の怪人ぶりからして、なんかの思惑や陰謀、怨念であるとして受け流す人もいるだろうが、それは事実を知れれたくない人間の言い分であって、僕は野中がこの歳になって嘘をいっているとは到底思えない。理由は上に述べた通り、発言によって得することもないし、たとえこの発言によって利することがあったとしても、その成果が生きているうちにある保障もなければ、そもそも権力に対する欲望も嫉妬も枯れているはずだ。これは老人になって見なければたぶん理解できないだろうが、そう思われてならない。

 自分の漏れ聞くところでも、鳩山はアメリカに辞めさせられたし、菅も恫喝されているという。つまりこれは明らかにアメリカの内政干渉であるが、基本的に属国である国民は戦後一貫してきたこの体制に表立って無関心を装っている。しかし国民は去年民主党のマニフェストに騙されただけであったのか、そうではない。心の奥底でアメリカのいいなりになるのはもういやだという国民感情に、民主党とくに鳩山が答えてくれそうな「幻想」をもったからではないだろうか。その鳩山をアメリカの手先=官僚にこまされた関係閣僚が説得し、最後はその後ろ盾が直接鳩山に辞任を迫ったのだ。5月の鳩山の虚ろな目を覚えている。そして今の菅の恐怖に怯えた目を再認識する。木村逮捕も何処か不思議な感じがする。もと警察である亀井の怨念という説もあるが、いずれにしても新自由主義=小泉・竹中路線=アメリカナイズに反する野中なりの警告であるとも思われる。つまりトカゲの尻尾(木村)切りだけでは終わらないということであり、大胆に「みんなの党」は竹中一派であると断言しているところに、野中のなみなみならぬ決意が垣間見える。

 野中広務は反戦の人でもある。ここはひとつ、長い確執と恩讐を超えて「悪魔」と手を組んででも、日本を売り渡そうとしている勢力に抵抗して欲しいものだ。  

(引用 終わり)

 

 現在、地球上で異変が起きているとしか思えない事件が頻発している。「中国でエイズに似た謎のウイルスが拡大か」、「中国では洪水被害により一億人以上が被災」、「異常高温と干ばつに見舞われているロシア」、「南米では凍死者、ペンギンの大量死」、「大連のパイプライン爆発事故」「ハリケーン「ボニー」がメキシコ湾へ」、「地球を保護していた「熱圏」が崩壊してしまった?」大きな時代の変化を予感させる事件ばかりである。

 1945年以降、都合よく、米国による永久占領状態におかれ、惰眠を貪ってきた日本も冷戦が終わり、米国の覇権が衰退するなか、そろそろ目を覚まさなければならない時代を迎えたようである。暑い夏だが、心ある人には、日本の自立について、本気で考えてもらいたいものである。

<参考資料>

*「毎日・夕刊の衝撃記事 「日本の政治の黒幕はアメリカ」」

 5大紙と言われる新聞に、【日本の政治の黒幕はアメリカ】と発言したのを、記事として掲載されたのは、おそらく初めてだろう。7月30日毎日夕刊「特集ワイド」記事「日本の政治これから」の中に、毎日新聞夕刊編集長の近藤勝重氏が、同紙小菅洋人政治部長との対談で述べている。以下はその発言の前後である。

小菅洋人政治部長:・・・先の人事では菅さんが小沢さんの影響力を排除して支持率のV字回復を果たしましたが、党内はねじれ国会を前にして、小沢批判だけでは事は済まないという空気です。菅さんと小沢さん、さらには鳩山由紀夫前首相との間で代表戦後の党のあり方について心理戦が始まっているのです。

近藤編集長:小菅さんは前回、「小沢さんは辞めた方がいい」と言いました。集団の中で自己主張の強い人間を嫌うと、歴史的に「黒幕化」します。そういう意味でも、「辞めた方がいい」ということかもしれませんが、本当の意味で【日本の政治の黒幕はアメリカ】だと思います。沖縄の基地問題など、この最大の黒幕に太刀打ちするには、相当な力業が必要です。そこにも小沢待望論が出てくる素地があると思います。

小菅氏:公明党と組むとか、自民党との大連立を仕掛けるとかは、小沢さんにしかできないかもしれない。しかし問題は小沢さんが何をしたいのかが分からない。かって「日本改造計画」では自己責任を強調したが、今はあの輝きは感じられない。小沢さんが代表選に立って「俺はこの国をこうするんだ」という場面を見たい気はします。(引用終わり)

 ところで、外務省国際情報局長だった孫崎 亨氏が驚くべき本をこの夏に出版した。下記の本である。この本を読まれれば、上記のレポートがすべて事実だということがわかる。ただ、「満州の妖怪」と呼ばれた岸信介氏の腹の中をどう読むかという違いがあるだけである。外務省の要職にいた方がこのように本当の事を暴露し始めている。大きく時代が動いていく前兆ではないかと思われる。

素晴らしい日本人がいました!

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7月 272012

*素晴らしい日本人の物語を紹介します。

「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修(まさなお)物語」

田中秀雄=著

(草思社)

 

 是非、お時間がある時に読んでいただきたい本である。一読していただければ、戦後、巧みに語られた、つくられた、流布された物語の中に散りばめられた数々の嘘に吃驚される方も多いのではないかと思われる。相も変わらず、韓流の時代劇が、天下のNHKで恒常的に放送されている。残念なことだが、これらのドラマは、朝鮮社会の真実の歴史を伝えるものでは全くない。

 もちろん、韓国の人々が自分たちを美化する気持ちはよくわかるが、こういったドラマを日本の公共放送であるNHKが取り上げることにはもっと、節度をわきまえるべきではないのか。誰でも少し、本を読めばわかることだが、朝鮮の人々は、日本の江戸時代よりはるかに強い身分社会のなかで、陸続きの中国に属国として搾取されてきた哀しい歴史を持っている民族である。

 そのために民族意識を維持するために意図的に国をあげて反日教育をやるしか、現在、国家としてのアイデンティティを確立できない面を持つ哀しい国なのである。かといって、隣国である日本のマスコミがそれにここまで付き合う必要はどこにもないはずである。

 

ともあれ、新渡戸稲造の「武士道」を実践する素晴らしい日本人が戦前の朝鮮にいたことを少しでも多くの人に知っていただきたいものである。



*草思社公式サイトより引用

日本の朝鮮統治の歴史を公正に評価するための手がかりとなる力作評伝!

 

日韓に「感動的な関係」があった

 

 今年、二〇一〇年は日韓併合百年に当たります。本書はこの日本の統治時代に朝鮮金融組合理事として、疲弊した農村の振興に尽力した重松髜修の半生を丹念に追った評伝です。

 明治二十四年、愛媛県に生まれた重松は、旧制松山中学を卒業後、明治四十五年に東洋協会専門学校(拓殖大学の前身)の朝鮮語科で学び、大正四年、朝鮮総督府の官吏(土地調査局)となります。その二年後、「感激性のある仕事がしたい」との思いから、農民のための金融機関、朝鮮金融組合に移り、理事として平安南道江東の寒村に赴任。大正八年に起きた万歳騒擾(三・一独立運動)のさいに被弾し右足が不自由になるも、私財をなげうって近代的養鶏を指導し、養鶏によって得た卵の売上を金融組合に貯蓄させ、貯めたお金で耕牛を買うという原則をつくります。牛を買うだけでなく、その貯金は農地購入や貧困家庭の就学資金にもあてられ、ついには貧しい小作農が奮起して三十七歳にして医者になることまで起きます。当初はかたくなで、足が不自由な重松を嘲笑することもあった村の人々ですが、彼の熱意がしだいに理解されるようになり、やがて彼は「聖者」と仰がれ(二〇九頁)、昭和十一年三月、村人は感謝の意を表するために彼の頌徳碑を建立します(二〇〇頁~)。

 台湾の荒蕪地を穀倉地帯に変えたことから、地元の人々によって銅像を建てられたダム技術者・八田與一の名前は広く知られていますが、朝鮮にも人々に深く感謝された日本人がいたということです(ちなみに頌徳碑を建てられたのは重松ひとりではありません)。統治時代を評して「日韓にはかつて不幸な時代があった」といわれますが、重松の半生は双方に「感動的な関係」があったことを雄弁に物語っています。「後日談」の項で、重松の教えを受けたことがある人物(韓国有数のガス供給会社・大成工業会長)が、韓国に重松の業績を知る人がいないことを嘆いています。それは日本人も同様であり、日韓併合から百年を機に、この熱誠・無私の先人の存在を日本人自身が知ることは、両国が前向きな関係を築くうえでも実に意義深いことといえるでしょう。

一面的ではない統治の現実

 

 日本による統治期間は三十五年ですが、重松は学生時代を含めて三十一年間を朝鮮で過ごしています。本書の意義はもうひとつ、重松の足跡をたどることで統治の現実の一端が見えてくることです。統治の施策として悪名高い「創始改名」。これに抗議して自殺する人がいる一方で積極的に改名した人もいます。重松の周辺では彼の薫陶を受けた二人の人が自ら進んで創始改名をしており、その受け止め方はさまざまだったことがわかります。そしてもうひとつ。重松はその抜群の知名度から戦時中、請われて「国民総力朝鮮聯盟」の実践部長となり、朝鮮の人々の徴用、徴兵にかかわることになります。重松は内地に徴用された労働者を慰問することもありましたが、その見聞録(『国民総力』昭和十九年八月十五日号)に記された彼らの暮らしぶりは、戦後にいわれ始めた「強制連行」の言葉から連想されるイメージとは大いに異なるものであることもわかります。

日本の朝鮮統治の歴史はときに政治問題に発展するためか冷静な評価を下しにくいところがあるようですが、本書の登場で、より公正な検証が進むことを念願してやみません。

 終戦直後、聯盟実践部長の経歴から重松は牢獄に入れられます。しかしたまたま彼を取り調べた検事は、重松が与えた鶏で上級学校に進み、早稲田大学を卒業後、司法界に奉職していた「教え子」であり、彼のひそかな手配によって重松は混乱のなか、無事帰国することができました。『滝の白糸』思わせるこの奇跡的なエピソードを最後に付け加えておきます。

*著者の言葉

「私のところに東北の古い町から、B4判の紙一枚の裏表に書名と出版社、刊行年度だけが書かれた古本カタログが毎月送られてくる。そこに『朝鮮農村物語』という、なんの予備知識もなかった古本があって注文してみた。どこに興味を持ったかといえば、戦前に出た朝鮮関係の本ということだけだった。ちょうど『石原莞爾の時代』(芙蓉書房出版)を執筆している最中で、その傍らに読み始めたのだが、私は次第にその世界に引き込まれていった。

読み終わったとき、私は不思議な感動に包まれていた。日本の朝鮮統治時代に日本人と朝鮮人の間にこんなに麗しく感動的な出来事があったのかという事実に驚くと共に、主人公の重松髜修(まさなお)とは一体どういう人物なのだろうという探求心が沸々と起こってきた。

その調査の過程で、石原莞爾ともまんざら無関係ではないことが分り、私は『石原莞爾の時代』(48頁)にそのことを書き付けた。

石原の本の刊行後、私は猛然と重松探索に邁進した。『続朝鮮農村物語』という著書もあることが分り、国会図書館でじっくり2日かけて読んだ。そこにあるたった1行から拓殖大学の卒業生ということが分かった。私には拓大に勤める友人がいる。彼の協力を借りて、私は重松資料の探索に全精力を傾けた。そして戦後は故郷の愛媛県に帰っているらしいことも分った。

拓大卒業生の団体の学友会を通して遺族を調べてもらった。学友会は愛媛県支部長の連絡先を教えてくれた。支部長は松山市議会議員の土井田学氏であったことは幸いしたと思う。個人情報保護法の時代である。土井田氏のおかげで、『朝鮮農村物語』に出てくる愛らしい娘さんがご存命で、愛媛県の松山市に住んでいることが分った。

松山に行って土井田氏に会うと、偶然のことに、重松髜修の孫に当たる邦昭さんとは高校の同窓生であった。

娘さんの晃子さんと松山の自宅で会い、色々の思い出話を聞いているときに、『朝鮮農村物語』には全く出てこない話がなにげなく出てきた。朝鮮農民に感謝され、頌徳碑が建てられていたというのだ。まるで台湾の八田與一ではないか!

八田與一とは、日本統治下の台湾で烏山頭ダムを作り、荒涼たる大地だった嘉南平野を穀倉地帯にして、農民から感謝され、銅像を建てられた日本人技師である。

自伝というべき『朝鮮農村物語』にこの頌徳碑の話が出てこないのは、重松髜修という人の奥ゆかしさであろう。

ただ朝鮮から日本に引揚げてくるときに荷物があらかた失われた晃子さんには、証明となる写真もなく、建てられていたはずの平安南道江東郡は現在の北朝鮮にあり、私には行く手だてもない。

しかし帰京する新幹線の中で私はふと思った。重松氏が関係していた金融組合の機関紙を探せば、その手がかりがあるかもしれないと。国会図書館その他での必死の探索の結果、『金融組合』誌の口絵に、頌徳碑の記念写真を見つけたときには、宝物を探し当てた思いで有頂天となった。

そして是非ともこの人物の伝記を書き上げなければいけないと思った。日本の朝鮮統治の真実の一端が重松髜修の人生にあると思ったからであり、この写真はその歴然たる証拠となるからだ。まさに重松髜修は朝鮮における八田與一なのである。

その思いで、私はこの伝記を書き上げた。朝鮮統治史において戦後は忘れられていた重松髜修という人物を、我々日本人は歴史に残さなければいけない。記憶にとどめておかなければならない。それは我々の義務ではないだろうか。

重松は日本の朝鮮統治35年のうち、31年を当地で暮らしている。おまけに、有名な3・1独立運動で暴徒に拳銃で右足を撃たれて死にかけ、一生を不具の身となった体験を持っている。つまり朝鮮人の憎悪のこもった銃弾を受け止めた身で、貧しく報われない朝鮮農民の中に入っていき、その暮らしを豊かにし、感謝されて頌徳碑を建てられたのである。

いわば彼は朝鮮人の憎悪を大いなる愛へと昇華させた奇跡の人物なのである。朝鮮統治も昭和の時代になると「内鮮融和」から「内鮮一体」というスローガンが謳われるが、ある意味で、重松という人物はその象徴的存在だったのだろう。

彼は貧しい小作農民を医師にもしている。彼の持つ潜在力を引き出したのである。そういったことから彼は朝鮮中で名を知られていく。遂には戦時中には朝鮮人の戦争への協力を促すために朝鮮聯盟の実践部長になる。その経歴が戦後は問題とされて牢獄に入れられてしまう。しかし彼を逃がそうとする検事がいた。重松のおかげで早稲田大学に進めた人物である。彼は重松をひそかに日本に逃がすのである。」

<昭和11年(1936年)4月5日朝鮮農民の手により、重松髜修の頌徳碑が建立される。平安南道江東群江東面芝里にて。碑文は「江東金融組合 理事 重松髜修記念碑」。>

 本年は日韓併合からちょうど100年になる。いろんな形で、これを論じる人々があふれるだろう。しかし、朝鮮人から聖者のように尊敬されていた日本人がいたことを、我々日本人も、韓国人も忘れてはならない。

両国関係には、「かつて不幸な時期があった」とよく言われる。しかし、日本統治の35年間には、双方の「感動的な関係があった」、そのことを重松髜修の人生は雄弁に語っているのである。重松髜修の伝記はそれを日韓双方の人々に知らしめる意義があると私は信じている。」

<田中秀雄プロフィール>

1952年生まれ。日本近現代史研究家、映画評論家。東亜連盟の流れをくむ石原莞爾平和思想研究会をはじめ、台湾研究フォーラム、日韓教育文化協議会、軍事史学会、戦略研究学会等の会員、福岡県出身。慶應義塾文学部を卒業。

主な著作:『映画に見る東アジアの近代』(芙蓉書房出版、2002年9月)、『石原莞爾と小澤開作 民族協和を求めて』(芙蓉書房出版、2008年6月)、『石原莞爾の時代 時代精神の体現者たち』(芙蓉書房出版、2008年6月)、『朝鮮で聖者と呼ばれた日本人』(草思社、2010年2月)。

 ところで今でも、多くの日本人が経済利益とは関係ないところで、世界の人々のために献身的な努力を続けている。三年前にエボラ出血熱やSARSの現場でも活躍する感染症のスペシャリストである進藤奈邦子さんという女性医師のことを紹介する良い番組があった。多くの日本人は知らないが、WHOのような国際機関は、日本人と日本が提供するお金がなかったら、実際には動かないと言ってもよい状況のようである。

日本という不思議の国で、韓流ドラマがこれほど放送されるのも、ホリエモンが持て囃されたのも、ソフトバンクの孫 正義氏がよくマスコミに取り上げられるのも、フランスのル・モンドに指摘されるまで、NHKが官邸前の原発反対デモを放送しなかったのも、当たり前だが、すべて意図的なものである。

改めて「米国教育使節団報告書」を読む

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7月 242012

 日本の近現代教育は、「被仰出書(おおせいだされしょ)」太政官布告214号、<明治5年:1872年>、「教育勅語」<明治23年:1890年>、今回改めて紹介する「米国教育使節団報告書」<昭和21年:1946年>、この三つの文書によって形づけられてきた。そして、現在まで続く日本の戦後教育を決定づけたのが、「米国教育使節団報告書」である。この文書は報告書という体裁をとっているが、実際には、当時日本を支配していたGHQの勧告書とも言うべきものであり、米国の意図のもとに、日本を改良?しようというものだった。



それでは、美辞麗句を取り除いて浮かび上がってくる米国エリートの真意は何か。

結論から先に書いてしまえば、それは、「日本人を日本人でなくすこと、アメリッッポン人に変えることである。」

 どうしても、人のいい日本人は、欧米のエリートの「悪の論理」についていけないので、美辞麗句に惑わされてしまう。「そうは言ってもいいことも言ってくれている」と。たとえば、1820年、世界の所得の約60%は、中国、インド、東南アジア、朝鮮、日本で占めていた。西洋が豊かになったのは、歴史から見れば、ごく最近のことなのである。そして、それは、帝国主義、植民地支配という手段でもたらされたものだ。そして、2025年には、1820年の比率に戻る=アジアに富が戻ってくると推定されている。このことを現在、我々は「アジアの時代」と呼んでいるのである。大航海時代以降の植民地からの富の収奪によってのみ、西洋は、産業革命を可能にする資本の蓄積をすることができた。そのために失われた民族、言語がどれだけあったかを、考えると背筋が寒くなるほどである。

以前のレポートから二つ文書を引用させていただく。以下。

ブレンジスキー元大統領補佐官は「アウト・オブ・コントロール」という自著の中で次のようなことを書いている。

「日本は軍事大国化が世界からの孤立に繋がることを認識している。日本のリーダーたちは、それよりも同盟国で最強の米国と密接に関係を保ち、米国の主導のもとにパートーナー・シップを築くことが望ましい姿だと考えている。その先には太平洋をはさんだ日米コミュニティ=アメリッポンが見える。」

 

「自由民権 村松愛蔵とその予告」(柴田良保著)より

「日本人が自発的に日本人でなくなる道をとるなら、それは日本民族の集団自殺であるが、それでも良い。だが、もしも日本人がその歴史的民族的伝統を復活させるようなことが、あれば我々キリスト教、ユダヤ財閥、フリーメーソン連合はただちに日本を包囲して今度こそ、日本民族を一人残らず、皆殺しにする作戦を発動するであろう。」

 だからこそ、この報告書には、「国語改革」と称して日本語のローマ字化を進めるべきだなどというとんでもないことが書いてあるのである。以下、同報告書より引用。

「国語の改革」

 

 われわれはいまや、もし日本の児童への責任感が見逃してさえくれるならば、慎しみのためにも気楽さのためにも、むしろ避けるべきだと思われる一つの問題に直面する。国語は、一つの有機体として、国民生活と非常に緊密な関わりをもっているので、外部からこれに迫ろうとするのは危険である。しかし、この緊密性こそ、純粋に内部からの改良を遅らせる働きもしているのである。

中間の道というものがある。ここでもそれが中庸の道となるであろう。国語改革の仕上げが内部からのみ行なわれうるだろうということは、われわれもよく承知している。だがその手はじめは、どこからでも刺激を受けてよいであろう。われわれが使命と感じているのは、こうした友情のこもった刺激であり、またそれとともに、来るべき世代のすべての人々がかならずや感謝するであろうことがらにただちに着手するよう、現在の世代を極力激励することである。

 われわれは、深い義務感から、そしてただそれのみから、日本の書き言葉の根本的改革を勧める。

国語改革の問題は、明らかに、根本的かつ緊急である。それは小学校から大学に至るまでの教育計画のほとんどあらゆる部門に影響を与える。この問題に対する満足すべき解答が見出せないとすれば、意見の一致をみた多くの教育目標を達成することは非常に困難になるであろう。たとえば、諸外国についての知識を深めることも、日本の民主主義を促進することも、阻害されることになるであろう。

教育の過程において、さらにすべての知的成長において、国語の役割が非常に大きいことは一般に認められている。在学期間中も、その後の生活においても、国語は学習上の主要な要素である。日本人は他の国民と同じく、音と文字とで表わされた言語記号を用いて考える。教育の全過程の質と能率は、これらの記号の特徴のいかんによって深く影響を受ける。

書かれた形の日本語は、学習上の恐るべき障害である。日本語はおおむね漢字で書かれるが、その漢字を覚えることが生徒にとって過重な負担となっていることは、ほとんどすべての識者が認めるところである。初等教育の期間を通じて、生徒たちは、文字を覚えたり書いたりすることだけに、勉強時間の大部分を割くことを要求される。教育のこの最初の期間に、広範にわたる有益な語学や数学の技術、自然界や人間社会についての基本的な知識などの習得に捧げられるべき時間が、こうした文字を覚えるための苦闘に空費されるのである。

漢字を覚えたり書いたりするために法外な時間数が割り当てられるが、その成果には失望させられる。生徒たちは、民主的な市民となるに必要最低限の言語能力に、小学校を卒業した時点ではまだ欠けているであろう。彼らは新聞や大衆雑誌のような一般的読み物を読むにも困難を感じる。一般に、現代の問題や思想を扱った書物を理解することはできない。とりわけ、彼らは、読書を学校卒業後の自己啓発のための手軽な道具とできる程度に国語を習得することには、一般に成功してはいないのである。しかも、日本の学校を参観した者で、生徒たちが精神的には明敏であり、著しく勤勉であることを否定しうる者は一人もいないのである。

市民としての基本的な義務を効果的に果たすためにも、個々人は、社会問題に関わる事実についての簡単な記述の内容を理解できねばならない。また、学校を卒業したのち、自分自身の運命に直接影響を与える諸々の状況を一歩一歩乗り超えることができるような、一般教育の諸要素を身につけるべきである。もし児童が、初等学校を卒業する以前に、こうした事柄について第一歩を踏み出していないなら、それ以後は、ほとんど自力で踏み出す暇はなく、またその気にもならないであろう。日本の児童の約八十五パーセントが、この時期に学校教育を終えてしまうのである。

中等学校に行く残りの十五パーセントについても、国語の問題は残されている。これら年長の少年少女たちは、国字記号を覚えるという果てもない仕事に苦労し続けるのである。いったい、いかなる近代国家が、このようにむずかしく、しかも時間ばかり浪費する表現手段や意志疎通手段を持つという贅沢への余裕をもつだろうか。

国語改革の必要性は、日本ではかなり前から認められている。すぐれた学者たちがこの問題に多大な注意を払っており、著述家や編集者を含めた多くの有力な市民が、いろいろな可能性を探究してきた。現在では、約三十ほどの団体がこの問題に取り組んでいると報告されている。

 おおざっぱに言うと、書き言葉の改革に対して三つの提案が討議されている。第一のものは漢字の数を減らすことを要求する、第二のものは漢字の全廃およびある形態の仮名の採用を要求する、第三は漢字・仮名を両方とも全廃し、ある形態のローマ字の採用を要求する。

これら三つの提案のうちどれを選ぶかは容易な問題ではない。しかし、歴史的事実、教育、言語分析の観点からみて、本使節団としては、いずれ漢字は一般的書き言葉としては全廃され、音標文字システムが採用されるべきであると信ずる。

音標文字のシステムは比較的習得しやすく、そのため学習過程全体を非常に容易なものにするであろう。まず、辞書、カタログ、タイプライター、ライノタイプ機やその他の言語補助手段の使用が簡単になる。さらに重要なのは、日本人の大多数が、芸術、哲学、科学技術、に関する自国の書物の中で発見できる知識や知恵に、さらに近づきやすくなることである。また、これによって、外国文学の研究も容易になるであろう。

漢字に含まれているある種の美的価値やその他の価値は音標文字では決して完全に伝えられえない、ということは容易に認めることができる。しかし、一般の人々が、国内および国外の事情について充分な知識をもち、且つ充分に表現できなければならないとすれば、彼らは、読み書きについてのもっと単純な手段を与えられなければならないのである。

統一的且つ実際的計画の完成は遅くてもよいであろう。だが、いまこそそれを始める好機である。

本使節団の判断では、仮名よりもローマ字のほうに利が多いと思われる。さらに、ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つであろう。

ここに多くの困難が含まれていることもわかっている。多くの日本人が躊躇する自然の気持もよくわかる。また提案された改革の重大さも充分自覚している。しかしそれでも、あえてわれわれは、次のことを提案するのである。

ある形のローマ字が、すべての可能な手段によって一般に使用されること。

選択された特定のローマ字の形態は、日本人の学者、教育界の指導者、および政治家から成る委員会によって決定されること。

この委員会は過渡期における国語改革計画をまとめる責任を引き受けること。

この委員会は新聞、定期刊行物、書籍その他の文書を通じて、学校および社会生活、国民生活にローマ字を導入するための計画と実行案とをたてること。

この委員会はまた、さらに民主的な形の話し言葉を作り出す手段を研究すること。

子供たちの勉強時間を不断に枯渇させている現状に鑑み、この委員会は早急に結成されるべきこと。適当な期間内に、完全な報告と包括的な計画案が公表されることが望まれる。

この大事業に乗り出すために任命された国語委員会は、新しい形式の使用から生ずる学習過程についてのさまざまな資料を収集する国家的言語研究機関にまで発展するかもしれない。そうした機関は他の国々の学者たちを惹きつけることになるであろう。なぜなら、日本のこうした経験の中から、多くの人々が、どこにでもただちに役立つ諸々の着想を発見するであろうからである。

 いまこそ、国語改革のこの記念すべき第一歩を踏み出す絶好の時機である。おそらく、このような好機は、これからの何世代もにわたって二度と来ないかも知れない。日本人の眼は未来に向けられている。日本人は、国内生活においても、また国際的指向においても、簡単で能率的な文字による伝達方法を必要とするような新しい方向に向かって進み出している。同時に、戦争は、日本の言語と文化を研究するよう、多くの外国人を刺激してきた。こうした興味が今後とも保持され、育成されうるためには、新しい記述方式が開発されなければならないであろう。言語というものは広大なる公道であって、決して障害物であってはならないのである。

この世に永久の平和をもたらしたいと願う思慮深い人々は、場所を問わず男女を問わず、国家の独立性と排他性の精神を支える言語的支柱をできる限り崩し去る必要があるものと自覚している。ローマ字の採用は、国境を超えた知識や思想の伝達のために大きな貢献をすることになるであろう。(引用終わり)

 

 ところで、子供の頃にこの物語を読んだ記憶をお持ちではないだろうか。以下、引用。

 

アルフォンス・ドーデ「最後の授業」

 

 フランツ少年はその日も國語の宿題をしてをらず、おまけに朝寢坊、いつそ授業を怠けて何處かへ遊びに行かうかとも考へた。フランス語のややこしい分詞法の諳記などより、風光明媚なアルザスの野原を驅け廻るはうが遙かに樂しい。が、やはりそれは良くない、さう思ひ直して、大急ぎで學校へと向つた。

 ところが、教室は何時になく靜かだし、普段は恐い擔任のアメル先生も遲刻を咎めず、優しく著席を促した。しかも先生は正裝してゐる。更に奧の席には、元村長を始め地元の大人たちが沈痛な面持で腰を下ろし、或る者は古い初等讀本を膝の上に開いてゐる。「教室全體に、何か異樣な嚴かさがあつた」。やがて先生が、優しく且つ重々しく語り始める。

 「皆さん、私が授業をするのはこれが最後です。アルザスとロレーヌの學校では、ドイツ語しか教へてはいけないといふ命令が、ベルリンから來ました…… 新しい先生が明日見えます。今日はフランス語の最後の授業です。」

 普佛戰爭でフランスが負けたためアルザスはプロシャ領となり、アメル先生は退職を餘儀なくされるのである。そんな「最後の授業」だといふのに、宿題を忘れたフランツ少年は案の定、指名されても碌に答へられず、これまでの度重なる不勉強を心底恥ぢた。だが、今日ばかりは先生も叱らずに言つた、惡いのは君たち子供だけではない、教育を輕んじた點では吾々大人も同罪だ、「いつも勉強を翌日に延ばすのがアルザスの大きな不幸」であり、これではドイツ人たちにかう言はれても仕方がない、「どうしたんだ、君たちはフランス人だと言ひ張つてゐた。それなのに自分の言葉を話す事も書く事も出來ないのか!」

 これで最後かと思ふと、教師も生徒も自づと發奮した。アメル先生が「これほど辛抱強く説明し」てくれた事は今迄に無かつたし、フランツ少年も「これほどよく聞いた事は一度だつて無かつた」。先生は熱辯を振るひ、「世界中で一番美しい、一番はつきりとした、一番力強い言葉」であるフランス語を決して忘れてはいけない、何故なら「或る民族が奴隸となつても、その國語を保つてゐる限りは、その牢獄の鍵を握つてゐるやうなものだから」と説いた。そして遂には感極まつて絶句し、黒板に大きな字で力強く「フランス萬歳!」と書いて、「最後の授業」は終つたのである。(引用終わり)

アルフォンス・ドーデ(1840~97)は独仏戦争(1870~71年)を題材にいくつかの短編小説を書いた。それをまとめて73年に刊行された「月曜物語」の中の一編が「最後の授業」。フランス語の美しさを説く「アメル先生」の迫力がすごい。「先生がこんなに大きく見えたことはありません」と作中で「フランツ」少年が語っている。母国語を奪われる状況の重大さを、アメル先生の「大きさ」が物語っている。

いい悪いは、別にして、日本の戦後教育を決定づけた報告書である。現在の日本の教育問題を考える上では、必読書であることは、間違いない。

 

 大津市のいじめ自殺事件、豊橋市の野外教育活動において起きた三ヶ日ボート転覆事故における市、教育委員会の一般常識から理解しがたい対応等を考えると、戦後GHQによって植え付けられた教育制度が、現在の日本社会において機能不全に陥っている姿が、はっきりと見えてくる。ここでも、戦後日本人が主体的に教育を考える機会が巧みに米国によって奪われていた事実に突き当たる。

こんな現実があるために、ある学校法人の理事長が

「戦後日本の教育をダメにしたのは、GHQが派遣したアメリカ教育使節団と、それに迎合した日本の教育者たちだ。そのおかげで、わが国にある古き良きものはすべて叩き潰され、残骸をさらすことになった。」というような本音を語ることになるのだろう。

 もちろん、いろいろなご意見があることは、承知しているが、この報告書が日本の戦後教育を方向付けたことを否定する方はおられないだろう。だからこそ、すべての思い込みを捨てて読み直す必要があるのではないか。

 日本人が主体的に自分の国の教育を見直さなければならない時代に入ったことだけは、間違いないはずだ。

<参考資料>

(1)中日新聞【社会】 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012071890010012.html

調査委の人選焦点に 大津の中2自殺

2012年7月18日 01時00分

 

 大津市立皇子山(おうじやま)中2年男子生徒=当時(13)=が昨年10月に飛び降り自殺した事件で、大津市の越直美市長は17日、近く設ける外部調査委員会で「いじめと自殺の因果関係はあった」という前提で調査に乗り出す考えを明らかにした。

 「学校や市教委の調査が不十分だった。もう一度調査すれば、新事実が確認できると思う」。生徒の両親側が同級生らのいじめが原因として市をはじめ、同級生3人とその保護者に7700万円の損害賠償を求めた訴訟の第2回口頭弁論が大津地裁で開かれた後、越市長は語った。

 弁論で大津市側は「いじめと自殺の因果関係を今後認める可能性が高く、和解の協議をさせていただきたい」と両親側に伝えた。だが、これまで市は「いじめを苦にしていたと断定できず過失責任はない」との姿勢を示していただけに、両親側の不信は根強い。

 両親側は、市の外部調査にも多くの注文をつける。委員会の公開はもちろん、両親側が委員を人選し、聞き取り調査には大津市職員が関与しないことなど5点を求める。代理人の石川賢治弁護士は、専門家の大学教授らに委員就任の打診を既に始めたことを明かした。

 一方、市教育委員会の沢村憲次教育長は「いじめが自殺の一因である可能性は高い」とするものの「2番目や3番目の要因も明らかにされるべきだ。家庭環境がどうなのか、学校から聞いている」と、自殺は複合的な要因があったとする主張を変えていない。

 文部科学省によると、自殺があった場合、学校は全教員や生徒から聞き取りをし、遺族が望む場合は学校や市教委が主体ではない第三者の調査委を設置できる指針を昨年6月に全国に通知している。児童生徒課の担当者は「調査委の人選は、可能な限り遺族の意見を聴いてほしい。たとえ係争中でも、調査委は中立性を重んじられるもので、問題を突き詰められる」と話している。

(2)東愛知新聞より(2012年 5月2日)

「西野さん両親が豊橋市など提訴」

~安全配慮義務の責任追及、名地裁豊橋支部へ提出、浜名湖の章南中ボート転覆事故~

 

浜名湖で一昨年6月に起きた豊橋市章南中学校のカッターボート転覆事故で、死亡した西野花菜さん(当時12歳)の父親の友章さん、母親の光美さんが1日、名古屋地裁豊橋支部に総額6829万円の損害賠償請求の訴えを起こした。被告は、「三ヶ日青年の家」指定管理者の小学館集英社プロダクションと同施設設置者の静岡県、そして学校設置者の豊橋市。第1回口頭弁論は早ければ6月に開かれる。

(加藤広宣)

 友章さんは午後2時すぎ、訴訟代理人の小林修、菊地令比等弁護士とともに名古屋地裁豊橋支部へ訴状を提出した。

 訴状は10日後には被告3者のもとに郵送され、各被告は不服があれば答弁書で反論する。口頭弁論は公開で行われ、原告および被告3者が一堂にそろう。

 指定管理者と静岡県はすでに事故責任を認めていることから、訴状では豊橋市の責任を中心に列挙。具体的には①引率教諭は生徒の体重比を考慮せずに座席配置を決めた②校長は出航前、天候に関する調査を怠った③出航後、早い段階で救助要請ができたのに、要請は35分後だった④三ヶ日青年の家に対して、乗船者名簿の提出を怠った―など9項目にわたって安全配慮義務を怠ったと指摘した。

 今回の提訴について、西野さんは「豊橋市の責任を明確にすることで、今後の学校教育に生かしてほしかったからだ」と説明。代理人の小林弁護士は「裁判所が市の責任を認めれば、教師たちの意識も変わる。子どもたちの教育に責任を取ろうという機運も生まれるはずだ」と説明し、訴訟の意義を訴えた。

 請求額6829万円の内訳は、逸失利益(花菜さんが18歳~67歳に得られる収入から生活費など差し引いた額)が4429万円、慰謝料が2400万円。

 提訴された豊橋市の佐原光一市長は「これまでの取り組みやご両親に対する誠意が伝わらず、提訴にまで至ったことは大変残念に受けとめている。訴状が届いたら、内容を吟味して対応したい」とコメントを発表した。

(3)「岐路に立つ教育委員会制度」

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_1003913_po_20070112053.pdf?contentNo=1

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