*今までレポートで指摘してきたことをはっきり言及している興味深い内容です。いろいろご意見はあるとは、思いますが、客観的な事実だけは押さえておくべきだと考えます。  

平成231013         JB PRESSより 

 

原発は潜在的核保有国となるための隠れ蓑 

~「国体維持」のために福島は見捨てられた:西村吉雄×烏賀陽弘道対談~ 

 

<新聞・テレビが経営的にも、言論的にも弱体化する中、米国では寄付をベースとする「非営利ジャーナリズム」が新たな潮流となりつつある。個人からの寄付で福島第一原子力発電所事故の検証リポートの出版を目指すFUKUSHIMAプロジェクト編集部会長の西村吉雄氏と、読者からの投げ銭で取材活動を行っているフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏に、日本のジャーナリズムの未来について語ってもらった。> 

 

  

西村 吉雄(にしむら・よしお)氏
1942年生まれ。71年東京工業大学博士課程修了、日経マグロウヒル(現日経BP)入社。「日経エレクトロニクス」編集長、日経BP社発行人、編集委員など歴任。東京大学大学院教授などを経て、現在は早稲田大学大学院ジャーナリズムコース客員教授、東工大学長特別補佐。FUKUSHIMAプロジェクトでは編集部会長を務める(撮影:前田せいめい、以下同)昨日の前篇「報道人は食っていけるか、生き残れるか?」に引き続き、2人が福島第一原発事故を取材・分析する中で行き着いた、「軍事としての原発」に関する議論を紹介する。

西村 

FUKUSHIMAプロジェクトの執筆作業の過程でいろいろ資料を集めているのですが、調べれば調べるほど「原発」と「核兵器」との関係が浮き彫りになってくる。

 1969年に外務省が「我が国の外交政策大綱」という内部文書を作成しています。2010年にその文書が公開(PDFhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku_hokoku/pdfs/kaku_hokoku02.pdfされたのですが、そこには「核兵器は当面保有しないが、核兵器を作るだけの技術力と経済力は保持する」との方針が明記されていた。それは、  不動の方針としてずっと続いてきたのでしょう。

 だから、「市場経済の観点で、原発は儲からないから撤退する」という選択は電力会社には許されなかった。

  原子力発電所の立地する自治体にはさまざまな名目で補助金や交付金が出ていて、あれを勘定に入れれば、原子力発電のコストはちっとも安くない。でも「あれは国防費です」「経済的なためのお金ではありません」ということになれば、それはしょうがないよねということがウラであったかもしれない。

日本は潜在的核保有国の筆頭格? 

烏賀陽 

米国の大学院の最初の授業で「君たちは、世界に何カ国核保有国があるか知っているか?」と聞かれました。

 「アメリカ、ソ連、イギリス、南アフリカ、イスラエル・・・」と名前を挙げていくと、教授は「実際に核兵器を持っている国とは別に、核兵器を開発可能で、それを飛ばして相手国に打ち込むロケット技術もあるけれど、政治的な判断で核兵器を持たない国がある。それはどこか?」と言うのです。「もしかして日本ですか?」と聞いたら「そうだ」と。 

 

日本は衛星を軌道に乗せるロケット技術があり、それは大陸間弾道ミサイルの技術とまったく変わらない。プルトニウムも持っている。核兵器に使うものとは種類が違うけれども、精製技術は応用可能です。

 世界からみれば、日本は、いつでも、あと一歩で核兵器を持って武装することができる潜在的核保有国の筆頭格なのです。僕は教授に「日本には非核三原則がありまして・・・」と必死に説明したのですが「いやいや、政治的意思なんていうものは一晩で変わってしまうのだから、意味がない」とあっさり蹴飛ばされました。日本は核保有国と非核国の中間にある「核保有国1.5」みたいな存在なんですね。

「核抑止力としての原発」を社説でさらけ出した読売新聞 

西村 

読売新聞は97日付社説で「日本はプルトニウムを利用することが許されていて、日本の原子力発電は潜在的な核抑止力となっている。だから、脱原発してはいけない」と書いた。

 これには驚きました。それは、みんな薄々は感じながらも「それを言っちゃあ、おしまいよ」みたいな暗黙の了解が成立していたことかと思っていたのですが、社説で言い切ってしまった。



烏賀陽 弘道(うがや・ひろみち)氏
1963年生まれ。86年京都大学経済学部卒、朝日新聞社入社。津支局、名古屋本社社会部、「AERA」編集部などを経て、2003年フリーランスに。主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』、『報道災害【原発編】』(上杉隆氏との共著)など

烏賀陽 

日本非核国の神話の終わりですね。

西村 

文筆家の内田樹さんは、講演で「ドイツ、イタリアの脱原発の流れの中で、アメリカは日本にも脱原発してほしいと思っているはずだ」と言っていました。第2次世界大戦の敗戦国の枢軸国3カ国は核クラブから出ていってくれということなんです。

 本当の核クラブは米・ロ・英・仏の旧連合国と中国の5カ国で、これらは国連安全保障理事会の常任理事国です。日本は、これだけの不手際を起こし、世界にご迷惑をかけて、その上、プルトニウムを持っていてテロに狙われたら危なくてしょうがない状態。

烏賀陽 

日本の権力の本当の意思が3月11日の大震災を境にむき出しになってきたような気がします。

 読売新聞の9月7日の社説も、「正体見たり!」という感じです。もともと読売は正力松太郎の政治的な野望のために大きくなった新聞。日本が原発を導入する際の、プロパガンダに大きな役割を果たしました。ニュース媒体としてだけでなく、ビートルズを呼んだり、プロ野球をやるのと同じレベルで原子力博覧会とかいうのをやって興行主として原発を振興した。日本を親・原発国にしたことについて、読売新聞の功績は非常に大きい。その文脈で考えると、9月7日の社説は、ある意味、本当に正直になったな、という気がするんです。

 アメリカ側は、読売新聞がいかに日本の権力の中枢の代弁者として機能しているかを知っています。その前提で、アメリカ側にシグナルを送って、出方を見ているのかもしれませんね。

 核クラブからの退場を求められる日本

西村 

ある時点まではアメリカにとっても日本が潜在的核保有国であることに意味があった。ただ、日本がプルトニウムを作ることに対して、アメリカは何度も何度もブレーキをかけている。青森県六ヶ所村の日本原燃の核燃料再処理工場がいまだに稼働していないのも、アメリカからの圧力が背景にあるのです。

 日本が、国内と再処理を委託しているイギリス、フランスとに大量のプルトニウムを保有している状態を、アメリカが好ましくないと思い始めている。だから、大震災をきっかけに「核クラブから出ていって」というのが、アメリカの本音になってきていると思います。

烏賀陽 

日本の原子力防災は全然役に立たなかったということが、今回、明らかになりました。では、アメリカの原子力防災はどうなっているのか。ニューヨークの約50km北にあるインディアンポイント原発の避難計画はネットで簡単に調べられます。それを見ると、実にきめ細かいのです。

 なぜだろうと思って、アメリカに住む知人にメールしたところ、「当たり前だ。アメリカは核戦争を想定して、住民の避難計画を考えているのだから、原発事故はその応用に過ぎないだろう」というわけなんです。

 アメリカは「ソ連からいつミサイルが飛んでくるか」という時代を50年過ごしてきて、核防災を意識せざるを得なかった。そういう国と日本とでは違って当然なんです。日本は「お上が民を平気で見捨てる」とかいう以前に、そもそも、本土での戦争は想定していないんじゃないかという気がします。核防災が全くなっていないというのも、その辺りに起因するのではないか。

西村 

これはほとんど誰も言っていなくて、私一人言い続けているのですが、日本のエネルギー問題は、大したことないと思うんです。人口は減る一方なので、必要なエネルギーも減っていくに決まっています。必死になって再生可能エネルギーに研究投資なんてしなくても、じきに余ります。実は、このことを一番よく知っているのは電力会社で、だから、彼らは設備投資したくないんです。

 この夏、全国の原子力発電所の3分の2が止まり、原発による発電は1割あるかないかでした。それでも、この程度の影響で済んでしまった。原発を全部止めたところで、電力供給面では大して困らない。でも、潜在的核兵器であるというならば、意味合いが全然違ってくる。

烏賀陽 

なるほど、国策というのは、そういうことなんですね。

儲からなくても、日本には原発撤退の自由はなかった

西村 

本当のことを言うのはまずいから、これまでは「電気が足りない」とか「エネルギーバランス」とかを強調してきたのでしょう。読売新聞の社説はむき出しに言わざるを得ないところに追い詰められてきたのかという気がします。

烏賀陽 

確かに、そういうふうに説明すると、きれいに説明がつきます。官僚機構は暴走機関車のようなところがあって、「これは、いかん」と思っていても、動き出してしまうと誰にも止められない。複数の変数がどんどん増えて、3次方程式、4次方程式になってどんどんマイナスの関数を描いているのが現況じゃないかと思うんです。

西村 

高速増殖炉路線は、まさに、それです。今、一番安くて安全な核燃料の処分方法は「使い捨て」です。再処理しない方が安上がり。だから、フランスもイギリスも「高速増殖炉は、もう成り立たない」と断念した。なのに、日本だけが止められない。頭のいい官僚なら、止めるべきだと分かっているはずなのに、誰も「止める」と言い出せない。言い出しかけた人が次々と左遷されているのを目の当たりにして、もう言えないんです。

烏賀陽 

原発事故を契機に「原子力ムラ」の存在が問題視されるようになりました。電力会社と、政府と、微々たるアカデミズムの学会で人材を分け合い、情報も閉鎖系の中で巡っていることが非難された。

 しかし、アメリカにも「原子力ムラ」はあります。原子力の研究者、技術者は出身大学が限られているので、みんな同窓生で顔見知り。まさに「ムラ」です。ただ、アメリカの「原子力ムラ」の中には、軍という巨大な組織が入っていて、核技術者の巨大な就職先でもあります。軍は、経済原理でもなく、官僚の原理とも別のメカニズムで動いている全く別の世界。「ムラ」を巨大なものが分断しているという感じです。

西村 

米国では軍の存在が明示的で、原子力の軍事的側面を誰もが知っている。その分、電力会社は「普通の株式会社」としての自由度が与えられているんです。儲からないと思えば、原発は造らない。この20年、新しい原発はひとつも建てられていません。

烏賀陽 

スリーマイル事故以来、止まっていますね。

西村 

彼らは、儲からないから止めたんです。現在では、廃炉のビジネスの方が中心になっている。ところが、日本には軍がなく、潜在的な軍事のところは隠しておいて、平和利用だけを全面的に出す。それを原子力ムラでやってきたために、電力会社側に撤退の自由が無い。これが、ある意味で閉鎖的なんです。

「自給の脅迫観念」で核燃料サイクル路線に邁進

烏賀陽 

不謹慎な冗談なのですが・・・最も効率の良い核燃料の処分方法は核兵器にすることです。

西村 

日本が現在、公式に保有していることになっているプルトニウムは国内と、英仏に預けてある分を合計すると、多分、1万発ぐらい作れます。

六ヶ所村の燃料再処理工場が2012年10月から稼働します。アメリカからの強い圧力で、すぐに核爆弾には転用できないように、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料として取り出しますが、実際には毎年8トンのプルトニウムができるそうで、それは核爆弾1000発分に相当します。

烏賀陽 

アメリカがカリカリするのも仕方ないですね。これは、日本が最後まで抱えている冷戦構造なのかもしれません。「いつかはなりたい核保有国」と思いながら原発を稼働させ、プルトニウムを取り出していたのに、気がついたら冷戦は終わって、アメリカもイギリスもフランスも「もう核兵器の時代じゃないよ」とか言っている。

西村 

もう1つ日本が逃れられなかったのが、「自給の脅迫観念」です。構造的には食料自給とよく似ている。でも、石油を輸入せずに食料が自給できるわけないし、理屈で考えると、全く合理性が無いのですがね。高速増殖炉にこだわるのも、「核燃料をリサイクルし続ければ純国産エネルギーを持つのと同じだ」という発想から抜けきれなかったからなのでしょう。

烏賀陽 

第2次世界大戦の引き金になったのが経済封鎖だったことがトラウマになっているのかもしれません。

 私はアメリカの大学院で「国際安全保障論」を専攻しました。そのプログラムの3つの柱は、軍事学、エネルギー政策、食料問題です。それこそが、一国が自立して存在するための基本です。 恐らく、アメリカからは「日本はエネルギー自給に非常にナーバスで、あわよくばエネルギーのついでにプルトニウムで核武装と思っているのだろう」ということが、見え見えなんだと思います。

西村 

ただ、「国」って何なんでしょうか。地球全体で考えれば自給が成り立っています。でも、シンガポールでは自給という概念はナンセンスです。マレーシアから水が来なければ3日で機能停止する。でも、シンガポールは恐らく水を自給しようなんて考えません。国土が狭いので、食料自給も成り立たない。

 日本も全てを自給するのはナンセンスですが、自給の観念に取り憑かれるぐらいのサイズはある。そこで「国とは何か」という問題が多分、関係してくるんです。

国体維持の犠牲になった福島県民

烏賀陽 

福島に取材に行って、村人全員が退避することになった飯舘村を3日ほど回ってきました。その村の39歳の小学校職員の方が「飯舘村は県庁所在地の福島市を守るために犠牲にされた。パニックを起こさないために、飯舘村が被曝するのをそのままにされた。福島県は東京を守るために見捨てられた」と言うんです。この言葉はものすごく胸に響いた。

恐らく、「自給の意味のあるサイズ」ということで霞が関の人が考えているのは、東京を守ることであり、「国体を維持する」ことでしかないのではないか。そのためには福島県民を平気で見捨てるんだなって、思ったのです。

「国体維持」なんて言葉は使いたくないけれど、本土決戦と言いながら沖縄を虐殺の荒野にしてしまった発想と、福島県民を見捨てたのと、基本的には同じことでしょう。 天皇制を中心とした国体を維持しようとした連中と、エネルギー自給だかプルトニウムだかを維持しようとした連中と何が違うのか――と思うんですよ。

西村 

日本の人口は、2050年には9000万人ぐらいになると言われています。「エネルギーが足りない、足りない」と言っていますが、この2~3年の夏のピークを乗り切れば、あとはなんとかなると思うんです。2100年には、上位予測でも現在の半分強の6000万人余り、減少が早い場合4000万人という可能性もあります。その過程で東京、名古屋、関西など都市部への人口集中が加速するのは確実です。

2010年末に国土審議会が出した推計では、東北地方は2050年までに今よりも40%人口が減ってしまう。震災前から、東北には年寄り世帯が数軒だけしか住んでいないような限界集落がありましたが、地震の影響でさらにひどくなるでしょう。

烏賀陽 

福島では震災半年で既に人口が何万人も流出していて、30年ぶりかに200万人を切ったそうです。

先日、4月に取材した南相馬市の方々の避難先を訪ねてきました。皆さん、「放射能が怖くて、南相馬には帰れない」と言っていました。

南相馬市の大半の地域は屋内退避も解除されているのですが、小学校の校庭でポンと線量計を置いたら1マイクロシーベルトぐらいありました。校庭は、校舎というデカい屋根で受けた雨が流れ込んでくるし、コンクリートと違ってどんどん吸収してしまうのでものすごく線量が高い。

山形県寒河江市に避難している南相馬の小学校の少年野球の監督さんは、「よそ様の子どもにそんなところで野球しろとは、とても言えない」と言っていました。監督の息子さん2人は野球進学が決まっていたのですが、「放射能のかたまりみたいなグラウンドでヘッドスライディングなんてできない」と、山形に残って野球を続けるようです。

飯舘村の村立小学校のPTA会報誌を見せてもらったら、その小学校の子どもたちの転校先の小学校がリストアップされているのですが、全部で20都道府県ありました。これって、ディアスポラ、難民ですよね。国土の一部が、放射能であれ、軍隊であれ、何ものかによって占領され、職場や家、学校から追われる人が大量に発生する。避難というよりも難民です。

震災の影響を加味すれば、東北地方の人口は2050年時点で現在の5割前後まで減ってしまうかもしれません。東北、少なくとも福島からは立ち去りたいと浮き足だっている人も多いですから。

西村 

被災された方々の気持ちに沿って、住宅や生活の再建を考えていくことも大切ですが、マクロの問題としては、これだけの人口減を復興策に反映させていくことも考えなければいけない課題だと思います。

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