m.yamamoto

7月 112018

日本のマスメディアは全く報道しないが、2020年東京オリンピック開催は多くの不都合な真実を抱えている。そろそろ、このことを経営者、投資家は、頭に入れて動くべき状況に入り始めている。これから多くの人が体調不良の大幅な増加という状況におかれて、放射能汚染の現実を思い知る日も刻一刻と近づいているので要注意だ。 

実際に、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍を超えている。

201136月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」、甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」(文科省20111125日公表値)という驚くべき数値になっている。世界最大の債権国である日本を利用して世界経済、日本経済を回すために騒がなかっただけで、東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻状況が水面下で進行していると考えられる。

 195157年に計97回行われたアメリカのネバダ大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出している。220キロといえば、福島第一原発~東京駅、福島第一原発~釜石と同じ距離である。

核実験と原発事故は違うのではと考えている方が多いが、中身は同じ200種以上の放射性物質である。福島第一原発の場合、3号機から猛毒であるプルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これらはセシウムよりはるかに危険度が高い。3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」以上も多い。

 ところで、国際的な原子力専門メディア、「Nuclear Engineering Internationalが、20151126日日付で3号機から蒸気、(おそらくトリチウム水蒸気)が噴出しているのを作業員が目撃しているとの報道している。

*以下引用

More problems for Fukushima 

Tokyo Electric Power Co (Tepco) has admitted that radioactive ground water from the Fukushima Daiichi nuclear power plant has probably been leaking into the Pacific Ocean. It is the first time Tepco has officially acknowledged that contaminated water from the plant may have reached the sea, despite several studies and findings from the Nuclear Regulation Authority (NRA) which confirmed leakages. 

Now we believe that contaminated water has flown out to the sea,” Masayuki Ono, Tepco’s general manager, told a news conference in comments broadcast on Japan’s public NHK television. “We would like to offer our deep apology for causing grave worries for many people, especially for people in Fukushima.”Tepco’s admission has underlined concerns raised by NRA, which earlier in November said its experts had found high levels of caesium in samples taken from coastal seawater and the pit water near the facility. NRA had ordered Tepco to investigate the possibility of a leak, but Tepco said there was insufficient evidence to link the high levels of caesium to a leakage from the plant.

*NRA: Nuclear Regulation Authority

While Tepco acknowledged that contaminated water from the reactors is seeping through ground water channels before flowing into the sea, it said water sample tests showed that the impact of the leakage appeared to be controlled by silt fences built around the reactors, as there was no significant rise in the levels of radioactivity in the sea water. 

However, Tepco admitted in April, that around 120t of radioactive water may have leaked into the surrounding ground from a storage tank, and earlier this month, tests on ground water samples showed that levels of caesium-134 had increased more than 110 times in a few days. To prevent further seepage of ground water to the ocean, Tepco is injecting chemical sodium silicate into part of the seawall separating the sea and nuclear plant, which will solidify a larger part of the seawall with the chemical, Reuters reported. 

Tepco is also struggling to contain radioactivity at the plant. Workers on 24November reported steam from inside the unit 3 reactor building for the second time in a week. Tepco is investigating the cause after initially suggesting rainwater could have been the source. 

We think it’s possible that rain made its way through the reactor building and, having fallen on the primary containment vessel, which is hot, evaporated [and created] steam,” Tepco spokeswoman Mami Yoshida said, according to Reuters. 

The steam rising from unit 3 was noticed by repair crew who were removing contaminated debris from the facility. “All work to remove debris in and around unit 3 was stopped,” a spokesperson for Tepco told The Daily Telegraph. “We have confirmed that radiation levels around the pressure chamber have not changed, and we were able to confirm that the reactor has not reached criticality.” 

The incident underscores the concerns and challenges involved in decommissioning the Fukushima plant, including how to dispose of the water used to cool its melting reactors. Tepco has poured thousands of gallons of water over the reactors since the 2011 incident, and disposing of the water with radioactive content is a major problem.

(引用終わり)

 

また、2015年秋には、福島県宅地建物取引業協会が東京電力を訪れ、約25億円の損害補償を申し入れしている。不動産への原発被害がいよいよ顕在化し、今後は周辺地域、都市圏への波及が警戒される事態もいよいよ間近である。このことを以下の数字がよく物語っている:東京23区の賃貸マンション空室率の上昇が止まらない。既に千代田区36%、中央区28%、目黒区27%となっている。日本政府が放射能汚染を頑なに隠蔽する一番大きな理由は、首都圏の不動産価格を下げたくないからである。都市圏の地価は10%の毀損で100兆円近い評価損失となる。これだけで金融の信用創造機能は不全に陥ってしまう。農林水産業や事業損失に加え不動産の賠償が加わるとなれば、脆弱な日本政府の財政は重大な局面に直面することになる。そのために官民上げて情報統制に狂奔し、被害実態を隠蔽している。

また、下記の避難基準を見ていただきたい。以前も指摘したが、民主党の菅直人政権時代、福島県という地方自冶体を残すために採用されたのが下記の基準である。

この背景は船橋洋一氏の「カウントダウン・メルトダウン」に詳細に描かれている。

チェルノブイリより4倍も高いフクシマの避難基準

ところで現在、マスコミは不気味な沈黙を守っているが、(今から2年前には少しはマスメディアも取り上げた)フクシマのトリチウウム汚染水の問題は、現在どうなっているのだろうか。以下に2年前の東洋経済の記事を参考資料に上げておくので、読んでいただきたい。隠蔽体質の日本政府は、国際世論の批判を恐れて公式発表していないが、日本が汚染水を海洋に放出し続けていることはほぼ、間違いないと考えてもいいのではないか。そして、このことが国際的に公になっただけで、「アンダーコントロール」を声高に叫んでオリンピックを東京に誘致した日本政府は窮地に陥ることは間違いない。

 

*以下、2016423日東洋経済の記事より

 

現実味帯びる「トリチウム汚染水」の海洋放出

福島原発タンク1000基に貯まる最大の難題

岡田広行 : 東洋経済記者

 

東京電力・福島第一原子力発電所をめぐる問題で、除去困難な放射性物質であるトリチウム(三重水素)を含んだ汚染水の海洋放出が現実味を帯びてきた。

経済産業省が設置した汚染水処理対策委員会の「トリチウム水タスクフォース」は419日、約1000基のタンクに保管されているトリチウム汚染水の処理方法について、コストや処理期間などの試算結果を発表。「(タスクフォースは)処理方法を決める場ではない」(山本一良主査=名古屋大学参与・名誉教授)としたうえで、水に薄めて海に流す方法が最も低いコストで済むとの試算を明らかにした。

 

原子炉建屋に流入する地下水は1300400トン 

福島第一原発の敷地内では、原子炉建屋に流入する地下水が1日に300400トンに上り、炉心から溶け落ちた燃料と混じり合って生じる汚染水の処理に追われている。

多核種除去設備「ALPS」の本格稼働により、昨年までに高濃度の汚染水のうちでほとんどの放射性核種を基準以下に減らすことができるようになっているとはいえ、現在の技術では取り除くことが困難な物質であるトリチウムが残っているため、タンク内の汚染水は増え続ける一方だ。

すでにタンクに保管されている汚染水の総量は80万トンに達しており、敷地を埋め尽くしつつある。東電では「このままではタンクを造ることができるゾーンは数年でなくなる」(松本純・東電ホールディングス・福島第一廃炉推進カンパニーバイスプレジデント)と危機感を強めている。

そこで持ち上がっているのが、トリチウム水を告示濃度以下に薄めて海に放出するというやり方だ。

原子力規制委員会の田中俊一委員長は323日の日本外国特派員協会での講演で、「トリチウム除去は技術的にもほぼ不可能に近いことなので、どの国もみな排水している。漁業者が反対しているのは安全の問題ではなくて、どちらかというと風評被害の問題。もっと政治のほうで努力していただきたい」と政府に対し政治決断を促している。

410日に福島県いわき市内で開催された「第1回福島第一廃炉国際フォーラム」でメインスピーカーを務めたウィリアム・マグウッド4世・経済協力開発機構・原子力機関事務局長も、「このままタンクを造り続けるわけにはいかない」としたうえで、「ほかの国であれば(トリチウムは)すでに海に流しているだろう」と言及している。

こうした中でタスクフォースでは、「地層注入」「海洋放出」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」の5つの選択肢を設定したうえで、前処理について「希釈」「同位体分離」「なし(そのまま処分)」の場合の技術的成立性について検証。その結果を55パターンからなる一覧表にまとめた。

 

希釈後海洋放出がもっとも処理コストが少ない

これだけでは何を意味するかわかりにくいが、実際に取り得るパターンは限られているとのニュアンスが読み取れる。というのは、地層注入では適切な地層を見つけ出せるか未知数であること、地下埋設では広大な面積が必要で数千億円規模のコストがかかることなどが記されているからだ。

そうした中でもっとも処理コストが少ないとされたのが「希釈後海洋放出」。調査から設計、建設、処分、監視までのトータルコストは「18億~34億円」で済むとされている。

「希釈して海洋放出」のシナリオでは、1400トン(立方メートル)のトリチウム汚染水を、告示濃度の1リットル当たり6万ベクレル以下になるように海水と混ぜて希釈したうえで海に流す。いま存在する80万トンの処分終了までに要する期間は88カ月(約7年)と算定されている。

しかし、事は簡単ではない。現在、東電は地下水バイパスやサブドレンを通じてくみ上げた地下水を海に放出しているが、その際の基準値は漁協との取り決めにより1リットル当たり1500ベクレルに設定している。今回、シミュレーションで用いられた告示濃度の6万ベクレルはその40倍に上る。合意のうえで40倍も基準を緩めることが前提になる。

 

タンク内に事故前の放出量の400年分

そもそも東電がタンクに貯め込んだトリチウムの総量そのものが膨大だ。東電の推定によれば、201312月時点で汚染水に含まれていたトリチウムの総量は8×1014乗(=800兆ベクレル)。これは原発事故前に東電が保安規定で定めていた年間の放出管理基準値(2.2×1013乗=22兆ベクレル)の40倍近い。

事故前から全国各地の原発はトリチウムを海に放出していたが、福島第一の実績は2009年度で2×1012乗(2兆ベクレル)。この数字と比べると、タンクに貯められているトリチウムの総量は約400倍(=400年分)にも上る。

原子力に関わる多くの専門家は「健康や環境に与える影響はないに等しい」と声をそろえるが、異論もある。トリチウムが放射性物質であることに変わりはない。東北地方の水産物は今でも買い控えや輸入禁止措置に見舞われているだけに、復興途上の被災地が受けるダメージも大きい。「希釈後海洋放出」の実際のコストは計り知れない。

(引用終わり)

 

現在、日本のマスメディアは官邸や巨大なオリンピック利権に配慮して本当の事が全く言えない状況に陥っていることを常に頭に入れておく必要がある。

多くの国民にできるだけ、意識させないように最大限の配慮をしているが、「NHKスペシャル廃炉への道 2016 核燃料デブリ迫られる決断(NHK総合・2016/5/29 放送)」で、報道されたようにメルトダウンした核燃料(デブリ)の処理も実際には何のメドも立っていないのが現実である。

さらに大手メディアが、無視しているためにほとんどの国民は全く知らないが、メルトダウンした核燃料が地下水と反応して天然原子炉になる可能性を地球化学の権威、小嶋稔東京大学名誉教授が指摘していることも忘れてはならない。これも2012年地球化学学会で「福島原発―再臨界の可能性」― オクロ天然原子炉の教訓(小嶋, 羽場麻希子)として公式に学会発表されている公開情報である。

以前、小嶋教授が一般向けに岩波の「図書2013/7月号」に寄稿したものを東愛知新聞の論説に一部引用したが、今回はその全文を紹介する。以下。

 

天然原子炉と福島原発事故

地球化学者黒田和夫の遺したもの

                 小嶋  稔

 

 福島原発事故は放射性物質の流出で環境へ甚大な災害をもたらした。さらに私を含む同位体地球化学を専攻する者の多くは、福島第一原子力発電所一号炉のメルトダウンした核燃料が再臨界を起こし、大規模な核分裂連鎖反応を起こすのでは、との危惧を払拭し切れない。もしそのような事態ともなれば、東日木が壊滅するとの菅元首相の警告が現実のものになってしまう。加えて、こうした危惧を裏付けるように、去年7月に経済産業省で行なわれた「福島第一原子力発電所事故に関する技術ワークショップ」での報告は、たいへんショッキングなものであった。

 このワークショップでは、2011年3月の原発事故の直後にウランの核分裂連鎖反応の再臨界が起きる可能性があったことが議論されている。細密な計算結果から連鎖反応の可能性が高かったにもかかわらず、なぜか大規模なウランの核分裂連鎖反応が起きなかった。しかしこの幸運は、海水の注入により、予想もしなかった塩素(正確には塩素系同位体のひとつ塩素35)の中性子吸収効果という、まったくの偶然に助けられた結果だったと結論している。さらに、この驚くべき事実に関する一般への報道が十分にはなされていない、というのもまた驚きである。

 過去2年、放射能汚染の議論・報道がマスコミを賑わしている反面、さらに深刻な再臨界の議論が専門家の間ですら皆無に近い。しかし、1972年9月フランス原子力庁が発表したガボン協和国(アフリカ)での「オクロ天然原子炉」発見は、再臨界は原子炉内に限らず自然界でも起きる事を証明した。福島第一原発一号炉のメルトダウンしたウラン核燃料が現在どのような状態なのかよく分かっていない。しかし、メルトダウンの現状は、きわめて厳格なコントロール下で正常運転中の原子炉より、「オクロ天然原子炉」の「火元」になったオクロ・ウラン鉱床の状態に近い可能性も否定出来ない。

 東電原発事故の対応は、現状ではほとんど汚染除去などの対症療法に限られているのは事態の緊急性からやむを得ない面もあるが、より長期的な視点からの再臨界の議論は、その結果の重大性を考えるとけっして看過されてはならない。「オクロ天然原子炉」は、こうした問題の解明に貴重な手掛かりを与えてくれる。

 ここでは今後の日本と日本人にとって最大の課題となった福島原発事故の処理問題に「オクロ天然原子炉」の持つきわめて重要な科学的意義について述べたい。また「天然原子炉」という画期的なアイデアを世界で初めて提案した地球・宇宙化学者故黒田和夫教授――生涯の三分の二以上を帰化したアメリカ合衆国で過ごし、日本には比較的馴染みの薄いまま彼の地で2002年に没した――の素顔の一面も紹介したい。まず現今のウラン核燃料原子力発電の誕生の場面をごく簡単に眺めよう。

ナチの脅威から逃れイタリアからアメリカ合衆国に亡命したエンリコ・フェルミ(ノーベル物理学賞受賞者)を中心にシカゴ大学の研究者らは、シカゴ大学キャンパスの隅にある体育館の地下実験室で初めて原子炉の実験に成功した。第二次世界大戦最中の1942年のことである。実験計画は極秘のベールに包まれ、詳細が発表されたのは戦後暫くたってのことである。この原子炉の出力はわずか2分の1ワット、豆電球を点す程度の実験炉であった。サッカー場の片隅には「1942年12月2日、人類はここに初めてウランの連鎖反応から原子力エネルギーをとりだすことに成功した」と書かれた小さな掲示板が立てられている。自然界にかつて存在したことのない、人智を尽くした精巧の極みとも言うべき原子炉の創造によって、人智は自然を超えた、とでも言わんばかりである。実験に際し、フェルミらは当然ながら核分裂連鎖反応が周りの自然界に「飛火」しないか、という懸念を綿密に検討し、その結果を踏まえ実験に踏み切った。しかし、この「自然を超えた人智」という思い込みは間違いであったことが、シカゴ大学での実験原子炉成功から30年後に実証されることになる。その理論的予測は当時アーカンソー州立大学に赴任して間もない黒田和夫が1956年に発表した画期的な論文によってなされたのであるが、しかしこれは「天然原子炉の発見」というフランス原子力庁の1972年の公式発表まで、ほぼ完全に無視される。フェルミらの創った原子炉がいかに人びとを驚嘆させたかは、当時の合衆国国防委員会の長官が「イタリアの航海者が新世界に上陸した」と賞賛したことからもうかがえる。余談ながらこの賞賛のメッセージは、原子炉の建設が極秘研究として遂行されたため暗号文で送られたという。このようにフェルミの業績は同じくイタリア出身のコロンブスによるアメリカ大陸到達にもたとえられ、さらにはガリレオ以来イタリアが生んだ最高の物理学者とも称されたフェルミの名声とも重なって、原子炉の完全性に対する世間の疑念を払拭するのに貢献した事は容易にうなずける。

一方の黒田和夫は1917年に福岡県に生まれ、東京帝国大学理学部化学科を卒業、1944年には異例の若さで同教室の助教授に就任したが、49年には助教授を休職し、新婚の妻を残してアメリカに渡った。冷戦下にあった当時のアメリカは日本やドイツなど旧敵国の優れた科学者に永住権を与え招聘していた。サンフランシスコに着いた黒田は、移民局の役人に、提示したoccupied Japanのスタンプの押された旅券などくずかごに捨ててしまえと言われ、仰天したと書いている。 アメリカに渡った黒田は渡米3年後にアーカンソー州立大学に準教授の職を得、化学を専攻するオランダ系アメリカ人と再婚、以降1987年に名誉教授として退職するまで同大学で地球・宇宙化学の研究と学生の指導に当たった。黒田の死後ルイーズ夫人は、黒田の遺品の中にあった戦時中の日本の原爆開発計画に関する文書を日本に返還し、文書は現在、理化学研究所記念史料室に丁寧に保管されている。黒田自身は、当時の日本の原爆計画には直接関わってはいないが、偶然の巡りあわせで、理化学研究所で進行中だった原子爆弾開発計画に巻き込まれることになった。 終戦前日の8月14日、理化学研究所で原爆計画に関わっていた旧知の研究者が東大の黒田の研究室を訪れ、廃棄処分を命じられていた原爆計画に関する文書を持参し秘匿を頼んだ。明くる15日は無条件降伏受諾の日であり、原爆計画と黒田の直接の関わりはわずか10日であっけなく終った。黒田自身の記録(『十七億年前の原子炉』講談社ブルーバックス、1988年)や後年黒田と筆者との会話の記憶をもとにこの間の経緯を簡単に辿ってみよう。

広島に原爆が投下された8月6日、黒田は理学部長の水島三一郎教授に呼び出された。講座主任の木村健二郎教授(当時黒田は教授の女婿)がたまたま不在のため助教授の黒田が代わりに呼ばれたもので、広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾かどうか、との政府からの問い合わせがあった、と言うのである。黒田は即座に、間違いなく原子爆弾です、と答えた。こうして黒田は木村教授のかわりに(当時木村教授は進行中の原爆開発計画における化学部門の総括者でもあった)海軍省に赴いた。そこで黒田は海軍省の高官に原子爆弾に関するすべての文献資料を早急にまとめて作成するよう要求される。さらにその高官は今後の原爆製造についても黒田に任せたいとの口ぶりだった。日本の原爆計画は、開戦後から陸軍の管轄下で理化学研究所を中心に進められて来たが、戦争が末期的状態になり、これまで傍観していた海軍も敗色濃厚な戦争の推移にいたたまれず、にわかに原爆開発にとびついたのだろう。国家存亡の危機的状況下での要請である。海軍省を出た黒田は、その足で焼け残っていた神田の学士会館に行き、一部屋を自分に使わせるよう求めた。会館側は黒田の高揚感に圧倒されたのであろうか、最上の部屋を提供した。黒田はここから東大に通い原爆関係の文献をしらべ始めたが、敗戦で黒田の「原爆プロジェクト〈海軍省版〉」はあっけなく消滅した。しかし、敗戦前日の14日に旧知の研究者が密かに持ち込んだ書類は、後年日本の原爆研究の歴史を辿る唯一の公式文書として貴重な存在となった。露見すれば厳しい処罰も予想される危険を冒して思い切った行動をとった研究者が誰だったのか分からない。さらに黒田がどのようにしてアメリカに持ち込んだのかも不明である。

筆者が初めて黒田に会ったのは、1978年箱根で開催された希ガス地球化学に関する日米科学シンポジウムの折であった。黒田は彼の講演で、まずスライドの一枚目で日の丸を示し、これは日本の旗に非ず、自身の生涯の研究テーマの太陽である、とわざわざ断ってから講演を始めたのが印象深い。あとで本人から聞いた話では、このスライドは彼のアメリカの大学の学期最初の講義に必ず学生に見せるものだと言う。10年ほど後に第二回の同シンポジウムが、今度はアメリカ側の主催でイェローストーン国立公園において開かれた。この折に黒田は、「一回目の箱根では日本は旗色が悪かったが、このイェローストーンでは日本の完全勝利に終った」と述べ、日本の研究者には面映い思いを、またアメリカの研究者にはまたかの苦笑いを誘った。こうした黒田のいささか子供っぽい対抗意識は、生涯を通し黒田の言動に見られる。

戦時中、黒田の研究は自然界とりわけ温泉水等に含まれるラジウム含有量の調査であった。アメリカに渡った黒田は、1951年ニューヨークで開かれたアメリカ化学会の創立75周年記念特別年会「地球化学シンポジウム」の招待講演者として初めて国際会議の檜舞台に立った。このシンポジウムで黒田の温泉水のラジウム含有量に関する研究発表を聞いたアーカンソー州立大学化学科のエドワード教授は大変興味を示し、黒田を同大学へ招いた。アメリカ南部アーカンソー州の州都は後年人種差別撤廃運動の発端となったリトルロックで、保守的な土地柄である。エドワード教授は、州の国立公園内にある温泉の熱源は地下にあるラジウムではないか、という考えの持ち主で、これを証明しようと黒田の研究に目をつけた。結果は無論否定的であった。現在ではおそらく地球化学者のほとんどがこのような仮説を一笑に付すであろうが、筆者は、現在でもこうした話が意外な尾を引いていることをアメリカ南部での学会で実感する機会に出会ってい

る。アーカンソー州の隣のテネシー州にはアメリカ最大規模のオークリッジ国立研究所がある。筆者は、2010年にテネシー州で開催された地球・宇宙化学では最も権威のあるとされるゴールドシュミット国際会議において、地元選出の合衆国上院議員が国の原子力政策に関する招待講演を行い、あらゆる子不ルギーに比べ原子力が桁違いに有利だとする熱のこもった主張を聞いた。サッカー場一面程度の敷地があれば、アメリカー国の放射性廃棄物の処理なら充分まかなえるというこの上院議員の主張を聞き、鼻白んだ記憶が生々しい。現在でも大規模な温泉の熱源が原子核エネルギーだとする極論を必ずしも否定しない原子カエネルギー擁護派の一部科学者の見解は、身近な大規模な温泉群(テネシー州の国立公園にはアメリカでも最大規模の温泉がある)に永年なじんできた同州の住民にとっては原子炉の安全性の間接的な保証にも感じられ、アメリカでもとりわけ保守的でしかも大規模な原子力関連の研究所を持つ南部諸州には強い政治的アピールを持つのであろう。

黒田は、温泉水のラジウム含有量の研究の傍ら、1947年になってようやく発表されたフェルミらの原子炉理論に強く興味をひかれ、独自の研究を始めた。フェルミらが、核分裂連鎖反応が外部に「飛火」するのを怖れ、詳しい研究を行ったことは既に述べた。この一環として、フェルミらはかつてキュリー夫人がラジウムを抽出したチェコのヨアヒムス・ウラン鉱床をはじめ、多くのウラン鉱床で核分裂連鎖反応の痕跡があるか否かの詳しい調査を行った。しかしこの詳細な研究結果からはその痕跡は見出せなかった。ところが黒田はこの結論には重大な見落としがあるのに気付き、ウラン核分裂連鎖反応は自然界でも起こり得ると主張した。しかし、この黒田の主張はシカゴ大学のフェルミらの研究グループをはじめ多方面から強い反発を受け、無視され続けるが、20年後に事態は意外な展開を見せる。

1972年フランス原子力庁は、かつてフランスの植民地だった赤道直下のアフリカにあるガボン共和国のオクロ鉱山から産出されたウラン鉱石がきわめて異常な同位体組成を持ち、その同位体組成は現在の原子炉で使用済のウラン燃料の燃えカスと酷似している、と発表した。さらに原子力庁は、その同位体異常は20年程前に黒田が予言した天然原子炉仮説でほぼ完全に説明出来る、と結論した。これを報じたフランスの『ル・モンド』は、フェルミらの原子炉は自然の故知を真似たにすぎないと、黒田の画期的なアイデアを認めなかったシカゴ学派への皮肉とも取れる論評を載せている。フランスの科学者による天然原子炉の発見を賞賛することで、アメリカに押され気味の当時のフラ

ンス科学界が一矢を報いた、との思いも透けて見える。ともあれ黒田の画期的な予言はこうしてようやく陽の目を見る事になった。

1972年のオクロ天然原子炉の発見以来、天然原子炉の地球化学的研究は原子炉から出る放射性廃棄物処理のモデルとして重要視されてきた。こうした研究の結果、オクロ天然原子炉は、今から約20億年前にウランが臨界に達し、約15万年間にわたり原子の火が間欠的に燃え続けた、そしてその間の総出力は現在の100万キロワット級の原子力発電炉五基を1年間フル稼働した時に発生する熱エネルギーに相当する、と結論された。さらにオクロ天然原子炉は約15万年間連続的に核反応を起こしていたのではなく、かなり間欠的だった、とも推定されている。

現在の福島第一原発の一号炉はメルトダウンを起こし、原子炉から漏れ出した約35トンのウラン燃料は、これも一緒に溶融した周りの物質と混じり合いきわめて複雑な化学組成の物質(デブリ)を創り、原子炉格納容器下部に溜まっていると思われているが、詳しい状況は極度に高い放射線のため直接観測は不可能で、実態は分からない。

シカゴ大学の研究者らが天然原子炉の可能性を無視したのは、現在の鉱床ウランに含まれる水の量に基づいて計算を行い(ウラン核分裂連鎖反応を起こすには、ウラン原子のまわりに充分な量の水の存在が不可欠である)、核分裂連鎖反応の「延焼」を推定した結果であった。他方、自然界でウランが鉱床として形成される際には、ウランはまず岩石中から徐々に水に溶けしみ出し、そうして集まってきた水の中で沈澱堆積しウラン鉱を形成した、という点に黒田は注目した。つまり豊富な水の存在はウラン鉱床形成に不可欠の条件であった。さらにウランの鉱床の中には形成年代が古いものがあり、この二つの条件が重なるとウラン核分裂連鎖反応がより起りやすい状態になる。

ウラン鉱床の古さが問題になる理由を説明しよう。

現在、天然に存在するウランは、ともに放射崩壊する二つの同位体ウラン235とウラン238を含み、その割合は約1対138である。このうち核燃料になるのはウラン235で、ウラン238は燃料には使えない。従って原子炉の燃料として用いるにはウラン235の割合を人為的に増やしておく必要がある。これがいわゆる濃縮ウラン燃料と呼ばれるものである。しかしウラン235の放射崩壊半減期はウラン238の7分の1と短い(約7億年)ので、古いウランほどウラン235の相対的な割合が高くなる。たとえば20億年前に遡ると、その割合は現在の約3.7倍となり、現今原子力発電に用いられている濃縮ウラン燃料のウラン235濃縮度にほぼ近い価となる。したがって、福島第一原発一号

炉のメルトダウン・デブリウランが置かれている環境は、豊富な水の存在、そしてウラン235の濃縮という、核分裂連鎖反応を起こす二つの重要な因子が高くなり、「オクロ天然原子炉」の環境に、より近づくことになる。

黒田の提起した「天然原子炉」は、福島原発事故の今後の処理に科学的側面から大きな教訓を与えてくれる。福島第一原発一号炉のメルトダウンした燃料デブリが不幸にしてもう一つの「オクロ天然原子炉」にならない事を願い、黒田の遺訓を活かして、この深刻な問題に一刻も早い対応を訴えたい。

        (おじまみのる・地球惑星科学)

(引用終わり)

 

如何だろうか。核燃料がメルトダウンしたフクシマ第一原発があまりにも危険な状況に放置されたままになっていることが理解できるのではないだろうか。日本の現実は、オリンピックなどやっている場合ではないのである。 

もう一つの不都合な真実は、その失敗が明らかになりつつあるアベノミクスをさらに推し進めていることによって将来、起こる国債のデフォルト、国家財政の破綻である。(むろん、大東亜戦争後のようにハイパーインフレによって乗り越えたいと考えているだろうが、)ご存じのように、現在日本の株価は日銀、年金資金等の公的資金で必死に買い支えているが、それもすでに目先の天井を打ったと見るべき状況にある。報道によれば、日経平均採用銘柄の90%で日銀が大株主になるという異常事態になっている。

さらに国際的に明らかになりつつある東京オリンピック誘致に関する誘致買収疑惑もある。

 

東京オリンピック誘致金銭疑惑の簡単な経緯>

現在、「国際陸連」のドーピング問題を調査している「世界反ドーピング機関(WADA)」の第三者委員会が公表した報告書で、東京が勝った20年夏季オリンピック招致に絡んで日本側が国際陸連に協賛金を支払ったと指摘されている。

支払いは「国際陸連」主催の競技大会「ダイヤモンドリーグ」の協賛金として400万ドル(約47200万円)から500万ドル(約59000万円)が、2回に分けて支払われたのではないかとしている。当時、「国際陸連」の会長であったディアク氏は、「IOC(国際オリンピック委員会)」の委員を務めていて、開催地決定の投票権があった。英大手紙の「ガーディアン」などによると、オリンピック招致のライバルだったイスタンブールは協賛金を支払わず、当時のディアク国際陸連会長の支持を失い、東京が開催権を獲得したとしている。

現在「IOC」は、「WADA」の第三者機関に対して資料の提出を求め、フランス検察庁がこの問題の具体的な調査に入っている。512日、イギリスの大衆紙「デイリー・メール」は、「日本の秘密支払いが証明されれば、ロンドンが2020年オリンピック開催へ」という題名の記事を掲載し、「東京オリンピック招致委員会」の銀行口座の存在が確認されたことを明らかにした。

同記事によるとフランス検察庁は、「東京オリンピック招致委員会」の銀行口座から、ディアク前会長の息子が所有するシンガポールの「Black Tidings社」への2回の支払いの調査を開始したことを明らかにした。少なくとも22000万円の支払いが行われた可能性が高いとしている。「Black Tidings社」は、「国際陸連」のドーピング疑惑で発生した資金のマネー・ロンダリングでフランス検察庁は捜査を行っていた。

記事によると、もし「東京オリンピック招致委員会」が「国際陸連」のドーピングスキャンダルの中心になっている会社に不法な支払いを行なったと結論した場合、「IOC」は2020年の東京開催の決定を白紙に戻し、ロンドンに開催地を変更する可能性があると報じた。ロンドンは2012年の開催地であり、当時の施設がそのまま使える状態にある。

 

このように東京オリンピック開催の裏にある不都合な真実を多くの日本人が知るべき時が近づいている。要するに海外勢が不都合な真実を声高に言い出せば、オリンピック返上になる可能性が高いということである。今までは世界最大の債権国=日本が米国を中心とした債務国にお金を回して世界経済は回っている現実があるので、海外勢は日本政府の隠蔽を黙認していた過ぎない。たしかにまだ、北朝鮮の非核化に日本が巨額のお金を出すという役割が残っているが、そちらにメドが付けば何が起きてもおかしくない状況になるのではないか。

このほかにも太陽活動の変動によって活動期に入った環太平洋火山帯にある日本列島のことも考慮すれば、地震等の大きな災害も大変心配されるところである。 

オリンピックのお祭り騒ぎをする前に日本にはすべきことが山積しているという厳しい現実に目を向けるべき時が迫って来ている。

実は出口のない日銀の異次元金融緩和

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7月 022018

三年ほど前に東京で宮澤喜一前首相に薫陶を受けた方から「十年以内に安倍さんは戦後最悪の総理の烙印を押されるよ」と、言われた言葉が未だに脳裏に刻み込まれ、今でも政治スキャンダルのニュースを聞く度にその声が甦ってくる。

ところで、本年615日に行われた日銀総裁記者会見で黒田総裁は、記者の「総裁は今も2%の物価安定目標が達成できると信じていますか」という質問に「信ぜよ、さらば救われん、と言うつもりはないが、信じなければ、物価も上がらないなと思う」と迷言。すでに米欧の中央銀行が出口戦略に動くなかで日本だけが現政権と共に出口のない異次元金融緩和の道を突き進もうとしている姿勢を明らかにした。

それではマスコミによって鳴り物入りで宣伝されたアベノミクスとは、結局何だったのか。

それは、第二次安倍政権の間の日銀のバランスシート変化を見れば一目瞭然である。直近の2018622日と6年前の201215日のバランスシートを比較してみよう。この6年の間に日銀の総資産は約143兆円から約533兆円、約3.7倍に急膨張している。その主立った内訳は、社債・株式は約5兆円から約27兆円に約5.4倍に、国債は約90兆円から約451兆円、約5倍にそして、当座預金は約36.5兆円から約393兆円、約10.7倍になっている。これだけ見ても興味深い事実がいろいろ浮かび上がってくる。

現在の株高は、日銀が日経平均採用銘柄の大株主になっていることからも明らかだが日銀と年金資金の株買いによって演出されているに過ぎない。これを裏付けるように627日の日経の報道によれば、日銀のETF(上場投資信託)購入は2010年に始まり、13年就任の黒田東彦総裁による異次元緩和で急増。16年夏からは年6兆円も買い続け、過去に購入した保有株の額は推計25兆円と東証1部の時価総額約652兆円の4%弱に達している。日経が実質的な日銀保有比率を試算したところ、3735社中さらに1年前の833社から1.7倍に増加し、1446社で10位以内の大株主になっている。東京ドーム、サッポロホールディングス、ユニチカ、日本板硝子、イオンの5社では実質的な筆頭株主になっているとも分析している。例えばユニクロを展開するファーストリテイリング株は、ETFに多く組み込まれており、日銀が1兆円ETFを買うごとにファストリ株を200億円買うことになる。今のペースで計算すると1年後に市場に流通するファストリ株がほぼ枯渇してしまうというから驚きだ。要するに中央銀行として通貨発行権を持つ日銀が株式市場で好景気を印象づけるために手張りをして株価を吊り上げているということなのである。一言で言えば、将来のことは考えず、安倍政権はアベノミクスと称して財政規律の緩和を推進し、株価を上げて、支持率維持の道具として使ったということである。

やはりここで、一番注目すべきは国債保有額だろう。この数字の意味は、膨れあがる財政赤字に苦しむ日本政府が実質的に財政支出を中央銀行が紙幣の増刷で引き受ける財政ファイナンスによって手当てしていることを意味している。その資金があるから、安倍総理は海外で数十兆円以上のお金を散在することができ、政権のお友達企業に優先的に予算を付けることができるのである。さらに興味深い数字は当座預金393兆円である。これは日銀の総資産の約74%にあたる。つまり、とんでもない金融緩和をしているのだが、都銀をはじめとする銀行に融資機能がなく、政府も有効な成長戦略を打ち出す能力がないので、お金が日銀の当座預金に戻ってきているということを意味している。現在の日銀の総資産から当座預金の金額を引くと約140兆円、6年前の総資産とほぼ同額になる。つまり、実際にはこれほどの金融緩和をしているにもかかわらず、お金は回っていないのである。

おそらく、政権へのマスコミの配慮もあるだろうが、不祥事続きの安倍内閣支持率が30%をなかなか切らないのは、企業経営者を中心に株高、低金利の恩恵を受けていることと、この状況の不自然さを無意識に感じていてボートを揺らしたら何が起こるかわからないという心理が働いているためではないだろうか。

そもそも米国に唆されて始めた異次元金融緩和だが、そのご本尊である元FRB(連邦準備制度理事会)議長で著名な経済学者のベン・バーナンキが昨年5月に日銀で行われた講演で「私は理解が足りなかった」、「初期の論文での指摘は楽観的で、中央銀行が量的緩和を実行すれば、デフレを克服できるはずと確信しすぎた」、「ほかの選択肢を無視しすぎた」などと言い始めたのだから日銀も大変である。

いずれにしても、オーソドックスな方法では、もはや日銀は異次元の量的緩和から脱出できないことを企業経営者は頭に入れておくべき時期に入っている。

その結果、

○日銀に資金が集まり景気が悪化する

○日銀のバランスシートが膨らみすぎて出口戦略が実現不能になる

○金融システム不安が表面化する

○日銀の信用度が低下し日銀券が売られる(超円安を招く)

以上の可能性が時間の経過と共に高まっていくことになるだろう。一言付け加えるなら、財政当局が心密かに一番望んでいるのは、ハイパーインフレによる借金帳消しであることは言うまでもない。

 

*参考資料

<太平洋戦争前後の日本の通貨流通高と物価>

太平洋戦争前後の通貨流通量と物価(熊倉正

鉱工業生産指数は1937年の値が100、通貨流通高と卸売物価指数は1937年の値が1になるように調整。(出所)日本経済研究所編(1958)『日本経済統計集-明治・大正・昭和』等をもとに明治学院大学国際学部教授 熊倉正修氏集計

 

6月 232018

2018612日にシンガポールで行われた歴史的な米朝首脳会談の評価が日本では総じて低いようである。

例えば、613日の朝日新聞の社説は、「その歴史的な進展に世界が注目したのは当然だったが、2人が交わした合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった。最大の焦点である非核化問題について、具体的な範囲も、工程も、時期もない。一方の北朝鮮は、体制の保証という念願の一筆を米大統領から得た。公表されていない別の合意があるのかは不明だ。署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る。」と書いている。

北朝鮮のミサイル発射でJアラートまで駆使して半島有事を煽っていた、ちょっと前までの日本政府の現状を考えれば、この会談によって朝鮮半島有事が取りあえず遠のいたことをまず、評価すべきなのにこの社説はでは、全くそのことに触れていないのも不思議なところである。しかし、その後の韓国、北朝鮮、中国、ロシアの活発な外交交渉の展開、マティス国防長官による米韓軍事演習の無期限延期などの発表を見ると、明らかに大きく歴史は動き出している。

考えてみれば、日本のマスコミは先の米国大統領選においてもトランプ氏が大統領になることをほとんど予測していなかった。ヒラリー女史が当選し、今までと同様の米国の国際戦略が続くことを当然のこととしていたのである。そのためにトランプが何をしようとしているのか、何の為に大統領に選ばれたのかを、いまだに全く理解しようとしていない。

それでは、彼はどういう役割を担って大統領になったのか、それを考えるためには第二次世界大戦以降の世界経済の変遷を振り返る必要がある。大戦後、すべての技術、お金、金(ゴールド)、インフラがアメリカ合衆国に集中していた。そのため、西側諸国の経済は、米国が共産圏であるソ連に対抗するために豊富な資金、技術を、提供することによって離陸し、成長してきた。そして1965年以降、西ドイツ、日本が経済的に頭角をあらわすとともに、米国はベトナム戦争等の巨額の出費(これによって日本経済は高度成長した)もあり、いわゆるドルの垂れ流し状態に陥る。その結果、起きたのが、1971年のニクソンショックで、ニクソンは金とドルの交換の停止、10%の輸入課徴金の導入等の政策を発表し、第二次世界大戦後の通貨枠組み:ブレトン・ウッズ体制を解体、世界の通貨体制を変動相場制に移行させた。しかし、その後も米国の赤字基調は変わらず、1985年にはプラザ合意による大幅なドルの切り下げという事態に日本は共和党のレーガン政権時代に追い込まれる。貿易黒字を貯めこむ日本は、内需拡大を迫られ、その後、バブル経済が発生することになる。1965年以降、日米貿易摩擦が発生し、製造業間の調整交渉が日米両政府によって重ねられてきたが、80年代後半以降、米国はトヨタの負け(製造業)をソロモン(金融業)で取り返す戦略に転換。日本が貯めこんだドルを米国債、株式に投資させ、米国に還元させることで儲ける仕組みをつくりだした。この方式を新興国に当てはめ、始まったのが、現在のグローバル金融である。そして、グローバル金融を支えてきたのが、IT革命だ。つまり、賃金の安い新興国に米国企業が工場を作る投資をし、その製品を米国に輸出させた儲けは、米国の金融機関が吸い上げるという仕組みである。ポイントは、この仕組みを円滑に機能させるためには、米国のルール:新自由主義と新保守主義の思潮から作り出された価値観(ワシントンコンセンサス)をそれら、すべての国に受け入れさせる必要があり、軍需産業維持のための戦争と価値観の押し付け外交が密接に結びついていった点にある。つまり、そのルールを押し付けるためには、米軍が世界展開していることが好都合だったということである。ところが、2008年のリーマンショックでこのグローバル金融がうまく、機能しないことが露呈し、中央銀行制度ができて以来、初めての異常な金融緩和が始まったが、現在、それもすでに限界に達している。

この状況を打開するために選ばれたのがトランプなのである。

基本的なトランプの考え方は次の三つである。

(1)グローバル金融はうまく機能しない。

(2)アメリカは世界の警察官をやめ、世界に軍事展開することをやめるべきだ。

(3)金融で儲けることができないなら、米国内で製造業を復活させるしかない。

ということは、基本的にトランプは早く、米軍を世界から撤退させたい、そのためには極東の冷戦も早く終わらせるべきだと考えているということである。このような分析は日本のマスコミでは報道されることはないが、北朝鮮の金正恩はこのトランプの考えをしっかりと理解し、核カードという札を手にした時点で勝負に出てきた相当したたかな政治家であるという見方もできるのである。 

もちろん、このような動きが進むことは、1945815日以降の日本のあり方を根本的に変えることにも繋がっていく。このことを、マスコミを含む日本のイスタブリシュメントは、巨大利権化された日米安保体制(今は日米同盟体制という言葉に変わったが、)のなかで見たくない。それが日本のマスメディアの論調を左右する空気と今もなっている。考えてみれば、日本の戦後体制は、天皇実録を読み込んだ豊下楢彦氏が「昭和天皇の戦後日本:〈憲法・安保体制〉にいたる道」で明らかにしたように昭和天皇とマッカーサーの11回の会談で実際には決まってしまったようなものなのである。この冷戦下のなかで半ば独立を放棄し、経済的利益を追求する戦略はベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終わるまでは、きわめて有効に機能した。本来ならば、この時点で世界情勢の変化に合わせて外交戦略も変えるべきものだったはずだが、長年にわたる日米安保を中心とした利権構造があまりにも強固なものになり、変えることができなかったのである。その意味では、安保利権者にとっては、極東における分断された朝鮮半島の存在はあまりに好都合だったと考えることもできるだろう。しかしながら、それもこの612日の米朝首脳会談で大きく変わろうとしている。考えてみれば、日本という国がこれほど太平洋側ばかりに顔を向けていた歴史は、日本の長い歴史のなかでほとんどない。多くの日本人は忘れてしまっているが、廃藩置県後の都道府県の人口は、明治時代までは新潟県が一番だったのである。日本海側は、決して裏日本ではなかったのである。その意味で本来のユーラシア大陸に顔を向ける時代の転換点が訪れているとも言えよう。

 ところで、第二次世界大戦後、米国のアジア情勢分析のトップだったオーウェン・ラティモアは「アジアの情勢」(119P)のなかで、次のように書いている。 

「アメリカの対日政策は、日本の歩む方向にアジアを進ませることができる、という仮説の上に立っている。仮説の連鎖の第一環は、日本をアジアの工場とロシアに対する防壁とに仕立て上げることができる、と言う考えである。この仮説は、アメリカの政策の道具として日本は、イギリスとドイツとネパール王国とが持つすべての価値を、一身に兼ね備えているという驚くべき理論の上に立っているのだ。日本はイギリスと同じように据え付けの航空母艦として使うこともできるし、ドイツと同じように周囲のどれよりも発達した工業を持っているので、ドイツのように付近の主な国々の工業の発達を利用し、またそれを反ロシア的方向に誘導するための中心とすることができる。インドから独立しており、インドとイギリスに凶暴なグルカ人傭兵を供給しているネパール王国と同じように、生まれつき訓練された日本人は、<伝統的に反ロシア的>であるから、時と共に、独自の政治を持たず、自国の<作業場>をまかなってくれるアメリカに対して堅い忠誠を致すところの、新しい植民地軍隊を供給する国になるだろう、と期待されているのである。 

如何だろうか。オーウェン・ラティモアはこんなことは、アメリカの都合のいい幻想に過ぎないと分析しているにもかかわらず、現在の日本が19491月に書かれた文章の通りの日本になっていることに戦慄しないだろうか。 

 何れにしろ、極東における冷戦が終わろうとしている現実、すなわち日本の戦後が終わることを冷静に受け止める歴史的な時を迎えようとしている。

 

オーウェン・ラティモア

Owen Lattimore1900729 – 1989531日)は、アメリカ合衆国の中国学者。第二次世界大戦前には太平洋問題調査会(IPR)の中心的スタッフを長くつとめ、また戦時期には中華民国の蒋介石の私的顧問となるなど合衆国の対中政策の形成に関与していたため、戦後はマッカーシズム(赤狩り)の標的の一人となり迫害を受けた。1942年、中央アジアの探険、研究に対して、イギリスの王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた。

The Situation in Asia1949年)

アジアの情勢

さらば、閉ざされた言語空間

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4月 102018

戦後を代表する評論家である江藤淳氏には、「閉ざされた言語空間~占領軍の検閲と戦後日本」という名著がある。江藤氏は昭和54年、ワシントンに9か月間滞在し、3つの図書館で一次資料を精力的に調べ、米国による日本占領前(周到な計画)、占領後(実行)の検閲の実態を明らかにした。そしてGHQは、その計画通りに終戦後、約8000人近くもの英語の話せる日本人を雇用し、彼らを使い、秘密裏に日本のメディアに対する徹底した「検閲」を行った。江藤氏がこのような調査をおこなったのは、戦後30年以上経過した昭和54年当時においても占領期と同じことが日本社会で起きているという一種不思議な感覚を拭い去ることができなかったからだとも書いている。おそらく、これは鋭い作家の直感だったのだろう。「北朝鮮外交の真実」という本の著者でもある元外交官原田武夫氏は、この件について下記のように書いている。

「米国は日本独立後も引き続き、日本メディアを監視し続けている。しかも、その主たる部隊の一つは神奈川県・座間市にあり、そこで現実に77名もの「日本人」が米国のインテリジェンス・コミュニティーのために働き続けているのである。そして驚くべきことに、彼らの給料を「在日米軍に対する思いやり予算」という形で支払っているのは、私たち日本人なのだ。「監視」しているということは、同時にインテリジェンス・サイクルの出口、すなわち「非公然活動」も展開されていることを意味する。」

つまり、江藤淳氏の直感は正しかったのである。彼も文庫本あとがきに「文庫に収めるにあたって、テクストの改変は一切行わなかった。米占領軍の検閲に端を発する日本のジャーナリズムの隠微な自己検閲システムは、不思議なことに平成改元以来再び勢いを得始め、次第にまた猛威をふるいつつあるように見える」と書いている。一例を上げるなら、昨年11月には、トランプ大統領が米国大統領として初めて治外法権である在日米軍基地経由で日本に入国するという異例のパフォーマンスをしてきた。たしかに米国大統領は米軍の最高司令官なので、日米地位協定に規定される軍人と見なすことは、可能だが随行してくる国務省の職員は民間人なので、本当は米軍基地経由で日本に入国することは、厳密に言えば、地位協定上、問題があるはずなのである。しかしながら、このことを指摘する日本の大手メディアは一つもなかった。逆に評論家の池田信夫氏は、トランプ大統領が横田基地から日本に入国したのは、米軍は在日米軍基地から自由に出撃できると北朝鮮に見せることだと解説しているほどだ。しかしながら歴史はそれとは違う方向に動き、この5月には、歴史的な米朝首脳会談が行われることになっている。韓国の一存だけでこのようなことが進むはずはないのでトランプ周辺が動いていたことは間違いないだろう。その後、このことは、日本テレビの取材でも裏付けられている。ところで平成20年には、江藤氏の上記の著書を引き継ぐような大阪大学名誉教授松田武氏の「戦後日本におけるアメリカのソフトパワー~半永久的依存の起源~」という本も出版され、詳細に日本社会の言論状況を分析。アメリカ合衆国のソフトパワーは、戦後日本のエリート知識人を精神的にアメリカに依存する弱々しい人間にしてしまったように思われると結論している。現在、朝鮮半島情勢、イスラエルをめぐる中東情勢、英国のEU離脱によるヨーロッパ情勢、トランプ登場による米国の内部分裂、日本を取り巻く情勢が大きく変わろうとするなかで日本も「閉ざされた言語空間」の扉を、勇気をもって開く時を迎えている。

アベノミクスの舞台裏

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4月 042018

総務省統計局のホームページを見ると、世帯単位における裕福さ、生活レベルの度合いを示す指標の一つであるエンゲル係数は、昭和40年には38.1%、生活水準の向上に伴い低下が続き、昭和54年には30%を下回り、平成19年には23%となっている。そのエンゲル係数が平成25年より上昇、現在26%に迫っている。主因はアベノミクスによる円安による輸入物価の上昇と景気拡大が続いているのに、実質賃金が低下する過去の景気拡大局面では見られなかった事態が続いていることにある。

 ところで、アベノミクスという経済政策は、大規模な金融緩和、拡張的な財政政策、民間投資を呼び起こす成長戦略という三本の矢から成り立っている。しかしながら、バブル崩壊後、財政赤字を積み重ねてきた日本には財政余力が乏しく、既得権益が強い日本では、有効な成長戦略が打ち出せないなかで今まで有効に機能してきたと言えるのは、金融緩和だけである。大規模な金融政策導入の政策根拠となったのが、第二次安倍内閣が発足する総選挙前に出版された浜田宏一氏の「アメリカは日本経済の復活を知っている」という本である。そもそも中央銀行による異次元金融緩和とうものは、20089月のリーマンショックによって始まったものである。ITバブル崩壊の後、2000年代に2倍の価格に上がった米国の住宅価格が下落。そのため、20089月には、住宅証券(AAA格)が40%下落。この下落のため、住宅証券をもつ金融機関の連鎖的な破産が起こることになった。ところで米国の住宅ローンは、日本(200兆円)の約5倍(1000兆円)の巨大な証券市場を形成している。ところで、住宅ローンの回収率で決まる価値(MBS等の市場価格)が40%下がると、金融機関が受ける損害は、400兆円になる。ちなみに、米国の金融機関の総自己資本は200兆円レベルである。

そのため、20089月には、米国大手のほぼ全部の金融機関が実質で、債務超過になってしまった。金融機関の債務超過は、経済の取引に必要な流通するマネー量を急減させる。当然、株価も下がり、ドルも下落した。20088月は、1929年に始まり1933年まで続いた米国経済の大収縮、つまり信用恐慌になるほどのスケールのものであった。放置しておけば、信用恐慌を招くことが必至、そこで米政府は金融機関の連鎖的な倒産を避けるため、銀行に出資し、FRBは銀行が保有する不良化した債券を買い取ってドルを供給することにした。

その総額は、リーマン・ブラザースの倒産直後に1兆ドル、その後も1兆ドルを追加し、129月からのQE3の量的緩和(MBSの買い)も加わって、FRBのバランスシートは、3.3兆ドルと20089月以前の4倍以上に膨らんでいった。金額で言えば、FRB2.5兆ドル(250兆円)の米ドルを、金融機関に対し、増加供給した。買ったのは、米国債(1.8兆ドル:180兆円)と、値下がりして不良化した住宅証券(MBS1.1ドル兆:110兆円)である。FRBによる米国債の巨額購入は、米国の金利を下げ、国債価格を高騰させた。この目的は、国債をもつ金融機関に利益を与え、住宅証券の下落で失った自己資本を回復させることにあった。同じ目的で、もっと直接に米国FRBは、40%下落していたMBS(住宅ローンの回収を担保にした証券)を1.1兆ドルも、額面で買っている。米ドルを増発し続けてきた米国FRBは、「出口政策」を模索している。出口政策はFRBが買ってきた米国債やMBSを逆に売って、市場のドルを吸収して減らすことである。これを行うには、米国債を買い増ししてくれる強力なパートナーがいないと、米国はドル安になって金利が上がり、経済は不況に陥ることになる。世界最大の債権国である日本が採用したアベノミクスによる円安政策は、実は、米ドルとドル債買いであり、円と円債の売りである。このような仕組みで日本は、同盟国であるアメリカの経済をアベノミクスによって支え続けてきた。これがアベノミクスの舞台裏である。 

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