あまりにも暖かく湿度のある穏やかな正月の三日間が終わると、波乱の幕開けとなった2016年であった。株式市場は中国株の影響を受けて暴落し、サウジアラビアはイランと断交を発表、人騒がせな北朝鮮の金 正恩は、小型水爆の祝砲を響かせ、自身の誕生日のお祝いとした。

考えてみれば、ローマ法王フランシスコは、昨年クリスマス前に下記のような恐ろしい、人を脅かすような説教をしている。以下。 

While the world starves, burns, and descends further into chaos, we should realise that this year’s Christmas celebrations for those who choose to celebrate it may be their last.”

http://catholictruthblog.com/2015/12/22/pope-francis-last-christmas-warning/

法皇は2015年のクリスマスが最後になるかもしれないと述べたのである。

要するにヴァチカンは現在、グローバル社会全体が既に「第三次世界大戦」に巻き込まれているという情勢分析をしていて、これから状況は益々ひどくなっていくという認識を持っているということである。三年前のレポートで紹介した「金融ワンワールド」落合莞爾氏と全く同じ認識(「テロとの戦争」というものは形を変えた世界大戦であるという認識)である。もう少し、付け足すと、この世界大戦が終わったら、世界は激変しているのでは、と考えることがとても重要なのである。

 ところで、国立研究開発法人情報通信研究機構が開設している公開サイト「宇宙天気情報」によると太陽の黒点数がこれから急速に減少していくようである。

太陽黒点数予想201512月に「60」である太陽黒点数が、来年(2016年)11月には驚くべきことに「30」、すなわち半減してしまう。要するに太陽活動は著しく減退していくと予想されているのである。そして、そのことによる影響こそ、今、人類が真剣に考えなければならない大きな問題となっている。太陽黒点数が著しく減っている時期は、気候が温暖化するのではなく「寒冷化」してきたということは、歴史的事実である。     以下。

 

The Huffington Post

「太陽に元気がない」地球寒冷化の予兆?太陽の磁場に異変       2013年11月18日

太陽に異変が

2013年は太陽の活動が強くなったり弱くなったりする11年周期の中で、活動がピークになる「極大期」に当たり、太陽の北極と南極の磁場が入れ替わる「極域磁場転換」が起きるはずが、いまだに起きていないという。MSN産経ニュースが報じた。

活動ピーク年には増えるはずの太陽の元気のバロメーターとされる「黒点」も今年は異常に少ない。今後、太陽は活動の低調期に入り、併せて地球も寒冷化すると指摘する専門家もいる。
MSN産経ニュース「太陽元気なし 寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少」より 2013/11/18http://www.sankei.com/life/news/131118/lif1311180022-n1.html

ガリレオがおよそ400年前に黒点を初めて観測して以来、科学者たちによって太陽の黒点の観測が行われて来たが、太陽は11年ごとに北極と南極の磁場が入れ替わることが分かっている。その詳しいメカニズムは解明されていないが、「極域磁場転換」が起こる年は太陽の活動が最も活発になり、高緯度の地帯に多数の黒点ができるという。しかし、ウォール・ストリート・ジャーナルによると、極大期に近づいているにしては「全くぱっとしない」と米航空宇宙局(NASA)の科学者ジョナサン・サーテイン氏は話したという。通常、太陽の活動がピークの年には、常時150200の黒点が観測される。また、大量の電磁や粒子を放出することによって起こる太陽嵐によって地球上の電信施設が損傷を受けることもしばしば起きていたが、今年はこれまで観測された黒点は概ね50100ぐらいにとどまっており、ここ200年で最も少ないという。

さらに、今回の極域磁場転換では、北極の磁場はマイナスからプラスに反転しているが、南極の磁場はマイナスのままの状態が続く「異常現象」が起こっているという。2012年に太陽観測衛星「ひので」が、北極の磁場がマイナスからプラスに転じている様子を観測したが、南極は安定してプラスを維持を維持していると、国立天文台は発表していた。

JAXAによると、りくべつ宇宙地球科学館の上出洋介館長がインタビューで以下のように解説している。

昨年1月、「ひので」は、北極の磁場が、マイナス極からプラス極へ反転するのに向かってゼロ状態になっていることを見つけました。また、南極がプラス極のままほとんど変化していないことも確認しました。その結果、北極と南極がともにプラス極となって、赤道付近にマイナス極ができるような、太陽の磁場が4重極磁場構造になったわけです。人によっては、この状態を「異変」が起きていると言います。
(宇宙航空研究開発機構(JAXA)「太陽のオーロラが地球のオーロラをつくるりくべつ宇宙地球科学館館長上出洋介」より 2013/8/29

太陽磁場の変化

従来の太陽の磁場(左)と2012年5月以降の太陽の磁場(右)(提供:国立天文台/JAXA)

今年と似たような状況はおよそ、300年前にも起こっていた。NHK解説員室の「解説アーカイブ」では以下のように説明している。

最近観測された黒点の変化(周期ののび)に似たことが、かつて起きたとされている。それは300年前の「マウンダー極小期」と呼ばれる時期で、黒点がほとんどない状況が70-80年続いた。当時の資料によると、寒冷化した地域が出現し、テムズ川も凍った。北半球平均気温は、現在より-0.6度。マウンダー極小期の前後からみると-0.1~-0.2度寒くなったのではないかとされている。北半球の平均では、大したことないように見えるが、局所的に気温のでこぼこがあり、中には非常に低温になったところもあったとされている。

NHK解説員室解説アーカイブ「くらし☆解説 『太陽異変 地球が寒くなる?』」より 2012/05/08

300年前の「マウンダー極小期」のような現象が今後、地球で再び起こることはあるのだろうか。「地球は間違いなく寒冷化に転じる」(大気海洋地球物理学者の中村元隆氏)と断言する専門家もいるというが、上出洋介氏は、前出のインタビューで次のように語っている。 


だいだい100年ごとに1回はこのような低活動期があり、それに応じて地球が寒冷化している記録が残っていますので、太陽にしてみれば、当たり前のことが起きているのかもしれません。人間の寿命がそれより短いからあたふたとしているだけで、太陽は今頃「何に驚いてるの?」と笑っているかもしれませんね
(宇宙航空研究開発機構(JAXA)「太陽のオーロラが地球のオーロラをつくるりくべつ宇宙地球科学館館長上出洋介」より 2013/8/29(引用終わり)

しかしながら、現在、日本の冬は暖かく湿っている。なぜだろうか。 

世界の天気を見てもソウルもパリもロンドンもパリもニューヨークも日本ほど顕著に気温が高いわけではない。

下記の富士山は本年1月5日の撮影ということだが、ゴールデンウイーク並みに雪が少ない。

雪の少ない富士山 2016年正月

これは、フクシマ第一から、メルトダウン、メルトスルーして溶け落ちた核燃料(デブリ)が大量の放射性水蒸気と熱を日本上空に拡散させていると考えれば、すんなり理解できる話である。要するに現在、トリチウム水水蒸気が日本上空を覆っているのである。

トリチウムとは

フクシマ第一の汚染水の中には、放射性セシウムと放射性ストロンチウムと共に、トリチウムという放射性物質が汚染水に大量に流れこんでいる。トリチウムという放射性物質は、元素としては水素である。しかし通常の水素は原子核が陽子1個でできているが、トリチウムの原子核は、そこに中性子が2個くっついている。重い水素なので、「三重水素」とも呼ばれる。この放射性物質トリチウムがなぜおそろしいかというと、化学的には水素なので、水素のように振る舞うからだ。つまり人間の体は、大部分が水でできている。水は、水素と酸素の化合物H2Oである。血液であれリンパ液であれ、細胞をつくっている中心部分の染色体であれ、その遺伝情報を伝えるデオキシリボ核酸(DNA)の分子であれ、水素なしには存在しない。DNAを構成する究極の原子は水素H、炭素C、酸素O、窒素N、リンPである。その水素が、放射線を出す水素になってしまえば、体内で、どれほどおそろしいことが起こるかは、誰でも想像できるだろう。それがわれわれの体内に入って、自由に移動している。そしてトリチウムの原子核についていた中性子が、“マイナスの電荷を持った電子”を放出して、“プラスの電荷を持った陽子”に変化し、水素がヘリウムHeになる。その時に出される電子が、ベータ線と呼ばれる放射線なのである。

この放射能が半分に減るまでの期間、半減期は12.3年なので、安全な1000分の1になるのに123年かかるから、この影響はほぼ一世紀続くことになる。

多くの国民には知らされていないが、私たち日本人は「風の谷のナウシカ」のような日本列島に知らないうちに2011年3月11日以降、住まわされているのである

今回は、本当の日本史に詳しい新井信介氏の悲壮な決意を紹介したい。ここまで考えている人もいるのである。以下。(*読みやすいように大幅に編集加筆) 

<国家(政府)は私的暴力機関と言う側面を持ちます。だから暴走する政府の政策には、本当の対策が必要になります。生存を暴走する国家に預けるのは愚かの極みです>2015年 12月

新井信介 

中国と日本。皇帝と天皇の違い。ここから、現在の日本社会と日本人を考えてみましょう。

中華皇帝は「易姓革命」ですね。それに対し、天皇は「万世一系」と言われますが、これは、明治維新後に創作された物語ですから当然フイクションです。皇室典範も男系男子も明治の元老伊藤博文が勝手に決めたものです。いわゆるこれが、「田布施システム」の根幹となっています。 

 長州藩の下忍であった伊藤博文を筆頭とする維新の立役者たちは、戦国時代から日本に入り込んだバチカンのイエズス会(=欧米植民地支配の先兵の役割を果たしてきた)の手法を取り入れ、<人のいい日本人>を徹底的に洗脳してきました。明治という近代国家を英国勢と共にでっち上げ、天皇からの「恩寵」をありがたがり、現在、放映中の「あさが来た」というNHKの朝ドラ(ドラマの中では、加野屋が十万両の提供を出来たばかりの維新政府に求められていました。)を見ていてもわかるように、日本列島にある経営資源を強制的に全部、自分たちが作った明治政府に集中させました。そして、「天皇の赤子」と言う言葉を創りだし、新政府支配下の臣民は、統治機能の良きパーツになろうと努力するように徹底的に臣民を教育し、訓練しました。その上、近代の思想、科学も、「お上」=東京大学の権威が選び出したものだけを、盲目的に学ぶことだけに専念させました。つまり、日本のエリートとは、極論すれば、人間コピー機や人間演算器にされてしまった人材と、言っても過言ではないのです。 

そのため、明治以降のごく普通の日本人の関心や興味が、森羅万象=(自然(じねん))に向かわないようになってしまいました。目に見える国家の枠組みだけを見上げるようにされてしまったのです。

特に、「自分が、何をどう考えているか、その考えている自分を、きちんと知る」と、いう哲学がすっぽり抜け落ちたままになってしまいました。権力と権威が一致し、しかも、この権威が太古の昔からずっと、この日本列島に存在したと、為政者に都合がいいフイクションを私たちは真実だと思い込まされてきたのです。 

少し勉強すればわかることですが、日本史において「天皇」の存在は、持統天皇が皇祖神「アマテラス」をつくりだして、696年に退位した後からは、ごく一部を除いてずっと、名誉職=権威で、権力=政体ではありませんでした。天皇は、天武の時にその呼称が生まれましたが、大王(おおきみ)として皇帝並みの権限を振るったのは、崇神、垂仁、応神、仁徳、雄略、継体、欽明、天武ぐらいでしょう。 

ところで、昨秋(2015年 秋)、日本の評論家に経済破綻間近と言われていた中国の人民元が、SDR(特別引き出し権)をもつ国際通貨になりました。逆にわが日本国では、どんどん貧困層が増えていても、放射能がまき散らされていても、まだ一般の日本人は国家(仕組み、制度)を信頼し切っています。この両国の違いはどこから来るのでしょうか。

それは、一言で言ってしまえば、近代国家になってから後の、地下経済の厚さの違いにあります。一般の日本人にはこのことを全く認識していませんが、大陸に言ったことのある日本人はこのことを知っているはずです。中国大陸は、始皇帝による統一以後、国家(統治体)が壊れても、通貨は、それ自体は存続し、時に、新しい国家、新政権、新政府で、自分の命を、守る、大切な道具として機能しました。中国人は要するに政府を盲目的に信用しません。国家権力の本質が暴力であり、それが、出来上がると、国家それ自体が存続するために、さらなる詐欺と暴力を、使い続けることを知りつくしているからです。一時代に三つの国家があったことも、ひどい時には、華北全域が戦乱状態の五胡十六国の時代という時代もありました。こうした政治権力事情の国柄だから、一つの国家(統治体)にとてもじゃないが、全面的に自分の生存を預けるわけにはいかなかったのです。

仲間や同志を生存次元で支え合うために、血縁、地縁で、彼らは結社を築いていきました。それが、幇(ぱん)ですね。幇は様々な次元で広がり、掟を作り、地上に、どんな国家ができようとも、お互いが生存できるように支え合ってきました。そして政権とは、いつの時代も、対等の関係で取引してきたのが中国の歴史です。  

中国では皇帝になるのは天に選ばれた一族ですが、その一族がつくりだした国家は、私的暴力機構だと、中国人は知り尽くしています。だから、常に、幇(ぱん)を生存の基礎に置いてきました。政府は一時的。しかし、幇(ぱん)は、政府を超えて存在する。地理的にも、時間的にも。これがいわゆる「華人ネットワーク」というものです。 

あの毛沢東が政権を取る時、彼を支持したのが、青幇(チンパン)ではなく、紅幇(ホンパン)でした。そこに清朝打倒を目指す明の貴族層の洪門(こうもん)と、客家(ハッカ)が加わりました。(宋三姉妹も客家ですね。)だから共産党政権ができても、それを心底から信用することは決してありません。彼らに取って国家も、政権も、一時的なものに過ぎません。だから、中国人は自分たちで、様々な、独自のネットワークをつくるのです。そして、そのネットワークの中に、仲間で使える金融資産まで、潜りこませていきます。それを、国家の指導者も、省レベルの役人も、実業家も、学校の先生も、道路工事の作業員も、売春婦も、みんなが、独自に、自分なりの、生存のための、パンを作っています。これらが彼らの互助組織であり、生存保障につながっていきます。

これらのネットワークが、1984年の改革開放の後、海外の中華の人間とで、縦横無尽に個々の人間の力量に応じて、広がっていきました。1994年に、外貨兌換券がなくなり、2001年以後、米ドルの資本が大量に大陸に入り、しかも人民元でも、債権が発行され、地方政府にも認められると人民元マネーは、共産党政府に管理されないところで、どんどん、貸し借り、融資や信用保証が、広がっていきました。これが、現在、中国経済の地下経済になっています。  

さらに、胡錦濤時代に、外貨準備が、世界一になり、さらに、「走出去」と、海外への資本進出を政府が、国家方針として打ち出すと、自分の幇(パン)を伸ばして、海外に住む新たな仲間と、すぐに新たなパンを作っていきました。政府が損しても、パンの構成員は、その政策の裏で儲ける。これは、中国の外でも、大陸内でも、同じで、ここに政府が赤字でも、中国社会全体では、マネーで十分に潤う、地下経済構造が完成しているのです。

政府の人間は表では、それを、いけない、まずいという建前ですが、個人になると、みんな、パンの構成員に成っているのです。要するに完全なダブルスタンダードです。

「上に政策あれば、下に対策有り」は、権力者自身も行っているのです。(要するに日本を見るのと同じ感覚で中国を判断すれば、完全に間違えるということです。)

しかもこの「対策」が、巨大です。かといってどこかに、統一管理する司令塔があるわけではありません。民族を構成する、個々人が、自分自身の生存するために、巨大なサブシステムを、いつも確保しているのです。

そしておそらく、この地下経済の規模が現在、国家経済の、数倍から、十倍以上にもなっています。これが、さらに、IMFがみとめるSDRの対象通貨になることで、海外でも、より大きなパンができて、人民元と米ドルとで、相互に信用状態が生まれ、それを、さらに、国家を超えたパンが利用する状況が生まれます。

もうそこでは、表の「外国為替管理法」という国際的な政策をらくらく飛び越えた「マネー」での融通が、これまで以上に、簡単にできるようになります。これでFRBが発行した米ドル建ての資産まで十分に延命する可能性が出てきました。 

つまり、習近平政権の国家税収がどうなろうと株式が暴落しようが、巨大化した中国地下経済が、米ドル資産の流通と結びつけば、中国社会それ自体も、十分に安泰だということです。そして本当の「朋友」のみを助け合うのが、「パン」だと言われています。 

それに対し、我が日本人は、明治以来、お上に気に入られようと、言われるままに真面目に努力し、「滅私奉公」の果てに1945年の敗戦に導かれましたが、戦後は、米国が意図的に天皇の「権威」が残したために国家権力に対する盲目的服従が治らず、自分自身の生存の基盤を、江戸時代に築かれていた地域の「結(ゆい)」のようなつながり(地縁)をことごとく壊して、政府の行政のマネーと表の企業社会の収入だけに頼るように馴致されてしまいました。 

 現在、日本の国家が消費税や資産課税という増税路線を明確にし、命に関わる「放射能汚染」の嘘情報を広めて、完全に暴力装置という、その本質がむき出しになって醜い姿をさらしているにもかかわらず、それでも、自分の生存をこの政府と表の正しい稼ぎだけに預けている真面目な日本人がほとんどです。

 完全に人間としての余裕を失っている姿ですね。真面目に勉強し、お上のいうことを真に受け、マスコミ報道を鵜呑みにし、生存を国家に預けたことの報いというものでしょう。

 人間の生存は、天地自然の純粋な恵みと、相互扶助の人間関係のみが保証してくれるものです。本来、マネーは、生活を豊かにする道具ですが、同時に国家の暴力から逃れる手段だったはずです。今、多くの日本人にはこれが枯渇しています。 

 「苛政は、虎よりも猛し」これが、中国人が、政治と向かい合う時の姿勢です。 

しかし、今の日本人は、その政府の政策がすでに苛政であるのに、それを、未だに美しいもの、立派なもの、自分を大切にしてくれるものと、信じています。

悲しいが、「自分が、何を考えているか?どうして、自分は、こう考えているか?他の考え方もあるのではないか?自分が、信じている世界は、まやかしではないか?常に、こう考えていない」と、現実は、生きていけないのですが、現在、日本人は進んで「檻の中」に入ったまま、「茹でかえる」になって死んでいこうとしています。 

私はどんなことがあっても生き抜いて、それでも、この日本列島で生まれ、演じられてきた様々な日本文化の核心を伝えられる存在でいたいと思います。

それには、若者たちを、どうしても救わねばなりません。微力ゆえに、わずかであってもできる範囲で。

健康な肉体で、生き残ってくれれば、まだまだ、希望はあります。みんな。死ぬな!

生き残れ!

 「豚になってでも、生きよ。」・・・これは文化大革命の時代を描いた、名画『芙蓉鎮』の中の言葉です。

 マネーなんか殆ど無くたって、愛される人間になって人間関係を築いて、とにかく、「放射能」のないところに、這ってでも移住して、とにかく、生き残る。ここから未来は始まります。(終わり)

 

<新井信介プロフィール>長野県中野市で昭和32年(1957年)にリンゴ問屋の息子として生まれる。日本の歴史に圧倒的影響を与え、しかも、世界でもっとも多くの人間の住む国、中国と商売しないのはおかしいと東京外国語大学の中国語学科に進んだ後、今度は、世の中の現実と構造を知りたい思い、商社に入り、北京駐在員として自動車・電気機関車などの輸出、さらに、本社では経済協力案件を担当。しかし、88年秋、プラザ合意に始まったバブル経済が過熱していく中、昭和天皇が倒れ、「金儲けどころじゃない、日本がおかしくなる」と、世直しを決意して退社。日本の政策転換とバブルの早期処理を訴えるが、結果は、「失われた20年」に。98年から、「世紀末の大転換」を確信し、著作と講演を進めてきた。 

兎に角、有意な日本人は大きな時代の節目に備えることである。1989年にベルリンの壁が崩壊したが、1~2年前に現地を訪れた人であのような形で壁がなくなることを予想した人は一人もいない。変わる時には、社会は一気に変わる。その時に社会を支えるのは有意な本来の日本の心を持った人たちである。それまでかけがえのない生命(イノチ)を大切にすることである。

終わりに青い眼の日本人ビル・トッテン氏が正論を書いているので、紹介させていただく。もっとも大統領選の民主党有力候補であるヒラリー・クリントン女史ですら、TPPには反対しているので、この協定が本当に成立するかどうかは、疑問だが、以下の文書を読んでいただければ、TPPが如何に日本人を馬鹿にしたものかよくわかるはずである。以下。

 

「英語版TPP条文」     201614 

環太平洋連携協定(TPP)交渉参加国が10月初めに大筋合意したという条項を、115日、ニュージーランド政府が公開した。 

秘密で行われていた交渉の内容がようやく英語の世界では明らかにされたが、30章からなる文書は細かい取り決めまで含むと55554ページにも及ぶ。政府は概要を掲載するだけで、条文はニュージーランド政府のホームページへ、となっている。

協定は英語、スペイン語、フランス語を正文とする、とあるが、経済の規模からみてなぜ日本語が正文になっていないのか。日本の制度や法律を変えるほどの効力を持つ協定を、英語版しか国民に提供せず、日本政府が交渉の場で日本語版を要求しないこと自体が、TPPが一方的な押し付けであると考えざるを得ない。これだけでも、TPPの本質が「日本の主権喪失」にあるといえるだろう。 

しかしTPPによってマイナスの影響を受けるのは日本国民だけでない。条文の公開以来、各国の研究者や市民グループ、NGOなどから多国籍企業の利益を優先するものだという強い批判が出ており、TPP協定の原型ともいえる北米自由貿易協定(NAFTA)の施行で雇用が海外に流出し、国内賃金の低下をはじめとする多くの悪影響がもたされたアメリカでは、強い反対運動が起きている。 

もちろん全ての国民が6千ページ近くの文書を読み、理解することは容易ではないが、わずかな概要だけで、TPPを検討し、承認すべきではない。オバマ大統領がTPPを「新しいタイプの貿易協定」と呼んだことからわかるようにそれは単なる製品やサービス、投資や資本に関する文書ではなく、政治的な協定だからだ。つまり、多国籍企業が国や国民の主権、民主主義そのもののあり方を変えようとしている。 

公開された条文の27章(運用および制度に関する規定章)と28章(紛争解決章)だけを見ても明らかだ。27章には、TPP締約国は大臣または上級職員のレベルで会合するTPP委員会を設置し、協定に基づく義務の実施に向けて進捗(しんちょく)状況を報告しなければならないとある。TPPは「生きている協定」と呼ばれ、常に見直しが入るとされるが、では一度政府が批准した後で変更がなされれば、あらためて批准の必要はないのだろうか。また委員会メンバーをどのように選出するのか、そこでの議論が公開されるのか、さらには、この委員会で決定されたことを政府や国民が覆すことができるのか。その内容次第ではTPPは、国の法律の上位にくる機関となってしまう。

そして28章には、企業と政府の紛争解決は当事国の国内法にかかわらず、TPPの「裁判所」に提訴されることが明記されている。自民党が反対したISDS条項がしっかりとそこにあるのだ。政府が特定秘密保護法を持ち出せば、このTPPの人民裁判の内容を国民に秘密にすることすら考えられる。 

カナダでは新政権が発足したため、前政権が交渉したTPPの合意内容について議会で討議を行うだけでなく、国民が内容を理解し意見を表明できるようパブリックコメントを募集するという。当然であろう。しかし日本では条文を知りたければ英文を読めと、国民に説明すらない。(引用終わり)

 

サンフランシスコ講和条約の日本文も正文ではないことは知る人ぞ知る話だが、戦後70年経っても日本という国は、国際社会でこのような扱いを受けていることをもっと多くの人が知るべきだろう。この条約の批准を検討する国会議員で、まともにTPP条約案を読む人間は一人もいないと思われるのも、この国の機能不全に陥っている戦後民主主義の悲しい姿を物語っている。


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