10月16日公開のアニメーション映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が、もはや社会現象と呼べるほどの記録的大ヒットとなっている。

先日、やっと、この映画を見ることができたが、大人でも十分、楽しむことができる作品に仕上がっていることを確認することができた。今まで更新不可能と言われていたあの宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」(2001年)の歴代最高興収308億円を超えるのもほぼ、間違いないようである。

コロナ禍の中でこれだけの数字を上げていることにやはり、注目すべきであり、特筆すべき社会現象が日本に起きていると考えるべきであろう.                                                                                                                                                                                               鬼滅の刃

 物語の舞台は大正時代、平穏につつましく生きる一家の長男である竈門炭治郎が炭売りから家に戻ると、家族は「鬼」に惨殺され、唯一の生き残りである妹、禰豆子(ねずこ)は鬼となっていた。最愛の妹を人間に戻すため、そして一家の仇を討つため、心優しい炭治郎が鬼狩りの道へと進んでいくという、ある意味、荒唐無稽な話である。

登場する鬼とは、元々、人間であり、人を食らうことで生命を繋ぐ生き物となってしまったものたちのことである。鬼は、不老不死であり、超人的な身体能力や怪力を持っている。中には特異な能力<鬼血術>を使う者もいる。彼らの弱点は、太陽光と首を斬られることである。この辺の設定は、伝統的な吸血鬼の物語を踏襲しているので、受け入れ易いのではないかと思われる。

今回の映画では登場しないが、鬼のラスボスが鬼舞辻無惨 (きぶつじむざん )であり、鬼の始祖とされている。自身の血を与えることで人間を鬼に変えられる唯一の存在であり、炭治郎の妹である禰豆子を鬼へと変えた張本人である。元々、彼も人間で、とても病弱であった彼は一千年ほど前に医者の薬で鬼になってしまったとされている。

炭治郎たちの最終目標は、このラスボスである鬼舞辻無惨を倒すことである。これが物語の骨格である。

 それでは、なぜ、この物語が特にこの映画がこれほど、多くの子供から大人までの共感を生んでいるのか、考えてみよう。

今回、公開された無限列車編の映画は、鬼を退治する鬼殺隊の柱(「鬼殺隊」において、最高位に立つ九人の剣士のこと。)である煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の物語である。

多くの識者が指摘しているが、この映画が訴えているのは、「強いものは弱いものを守るべきだ」というあまりにも単純な理想である。

物語を読んでいけば、すぐにわかることだが、この漫画が描く鬼舞辻無惨を頂点とする鬼の社会は、新自由主義の市場原理が支配する、より強くなるためには人の命など、実際にはどうでもいいと思っている、「今だけ、自分だけ、お金だけ」の現代社会そのものである。その中で、「お前が強く生まれたのは、弱い人たちを守るためだ」という、母の教えを利己主義の鬼側ではなく、利他主義の人側に立って頑なに生きようとする煉獄杏寿郎の生き様がこの映画のなかで異様に光り輝いて見える仕掛けになっている。それは、私たち一人一人が本当は、<世のため、人のために生きたい>という思いを現実社会に適応するために抑えているが、誰もが持っているからであろう。

 ところで、安倍総理の突然の辞任で今秋、首相に就任した菅義偉氏は、「自助、共助、公助」という政策理念を掲げ、あの竹中平蔵氏をブレインに新自由主義路線をコロナ禍の中で貫徹しようとしている。

この「自助、共助、公助」という言葉が最初に使われた政府関係文書は、平成バブルが崩壊した1994年の「二十一世紀福祉ビジョン」(1994年3月、厚生労働大臣の私的懇談会である「高齢社会福祉ビジョン懇談会」によってだされた提言。21世紀の少子・高齢社会における社会保障の全体像や、主要施策の基本方向、財源構造のあり方などについての中長期的な方向性を具体的・定量的に示した。)であった。

このような提言がなされた背景には、バブル経済の崩壊があり、日本型の土建国家モデル、無償で受けられる福祉サービス(現物給付)より所得の確保(現金給付)を優先させたモデルの崩壊がある。この頃からセイフティーネットの議論がさかんになるが、実際にはセイフティーネットが整備されないまま、規制緩和が米国の圧力を受けた新自由主義者によって進められてしまったのが日本の現実である。その意味で先進国のなかで突出した自殺者が多い国に日本がなっているのも当然なのである。

要するに現在、日本という国においては、「自助、共助を基本として、その残りの部分を国が担う」という弱者切り捨ての発想で福祉政策が進められていると考えるべきなのだろう。

考えてみれば、渡部昇一氏のような論客がサミュエル・スマイルズの「自助論」を紹介して自己責任論が持てはやされるようになったのもバブル経済が終焉した頃からである。

自助論

その結果、現在、公の責任は限りなく曖昧なものになってしまっている。

いまだに勘違いさせられている人もいるが、元々、消費税は社会保障給付費の持続性を確保する名目で導入され、その後、何回か税率が引き上げられてきたが、実際には法人税と所得税の穴埋めに使われて大企業や富裕層が恩恵を受けているに過ぎないことが明らかになっている。

 以上のことを少し考えればわかるが、私たちは、この漫画が描く鬼社会の組織原理で生きることを余儀なくされているのである。だから、私たちはこの映画を見て今の社会で失われてしまった「強いものは、弱いものを助けるべきだ」という煉獄杏寿郎の力強いメッセージに共感してしまうのだろう。ただ、これほど、この映画が大きなヒットになったことは、今のままの社会では、いけないという思いを多くの日本人がまだ、持っているということも意味している。それがアフターコロナの社会を築いていく上で、これから大きな意味を持ってくるのではないか。

そう言えば、フランスの碩学、ジャック・アタリ氏が興味深いことを述べていたので引用させていただく。以下。

「命の経済」に転換へ国際社会は総力を 仏経済学者ジャック・アタリ氏

2020年7月26日(東京新聞)

世界で甚大な被害を引き起こしている新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、社会生活を大きく制限した。以前から新たなウイルスの大流行に警鐘を鳴らしてきたフランスの経済学者で思想家のジャック・アタリ氏(76)は社会の準備不足を懸念、命を重視した経済システムへの転換を訴える。(聞き手=パリ支局・竹田佳彦)

ジャック・アタリ

◆保健分野への準備不十分

 2016年の著作で、新しいタイプのインフルエンザが明日にでも流行する兆しがあると指摘した。世界は気候変動の危機に加え、疾病大流行のリスクがあるが、準備してきたとは言い難い。とりわけ欧州は、米国に比べても保健分野への投資が不十分だった。今後も温暖化によって蚊が大量発生すれば、新型ウイルスが大流行しかねない。

 今回の新型コロナでは、中国当局による感染者数の公表に疑問も残るが、世界が大損害をこうむったのは間違いない。一方、韓国は15年に流行した中東呼吸器症候群(MERS)を教訓に疾病管理本部を強化し、流行後の管理態勢を整備した。今回の対策の成功例といえる。

 感染実態を把握する検査とマスク着用を徹底し、感染者が出た際には行動確認をする。ロックダウン(都市封鎖)ではなく、韓国式対策をしていれば、各国は経済的、人的にも被害を抑制できただろう。これまでは自動車や航空、化学などの産業が重視されてきたが、見直す時が来た。医療衛生や教育、研究、食糧…。今後は命に関わる分野を重視した「命の経済」を目指す必要がある。

◆欧州、経済・医療で強い連帯

 パンデミック後の世界秩序をめぐり、感染の広がった欧州で中国が存在感を高めたといわれる。だが、それは誤りだ。確かに各国に医療支援はしたが、マスクなど象徴的な物資を少々送った程度で、政治的な打算が働いたやり方だ。

 欧州には非常に強い連帯があった。欧州中央銀行(ECB)は量的金融緩和政策を拡大し、各国経済を支援。フランスの患者をスイスやドイツが受け入れるなど、各国は医療でも相互に協力した。7500億ユーロ(約92兆円)規模の復興基金も動き始めている。自然なやり方で助け合っており、中国の影響力が強まったとはいえない。

 国際社会の中で、中国は米国の代わりにはなり得ず、将来の超大国でもない。国の指導者に対する表現の自由がない国は真の超大国ではないし、恐怖政治で国は良くならない。崩壊したソビエト連邦は軍事大国以上でも以下でもなかった。

◆超大国は存在しなくなる

 中国は独裁国家であり、世界に示せるモデルも持っていない。自国民を養うという強迫観念にとらわれて食糧の入手先を血眼になって探している。太平洋の支配をもくろむが、ベトナム、カザフスタン、ロシアなど周辺国は中国に対して疑心暗鬼だ。地域ですら覇権を握れていないのだ。

 とはいえ、今後は米中の二大国が併存する世界になる。日本や欧州、世界的な大企業は一大勢力かもしれないが、超大国は存在しなくなる。あえて巨大な勢力があるとすれば、自然だ。人類を圧倒するほどの力を持っているのだから。

 米中対立が深刻化する中、これからは13世紀以降初めてリーダーがいない世界になる。世界秩序はなくなり、ますます分裂していく恐れがある。

◆利己的な利他主義が鍵

 私が今後の世界で鍵となると考えるのが「利他主義」だ。他人のために尽くすことが、めぐりめぐって結局は自らの利益になる。

 例えばマスクを考えてみよう。他人を感染から守るために着けるが、同様に他人も着ければ自分の身を守ることにつながる。「利己的な利他主義」の好例だ。自らに利益がなければ、人は利他的になりにくい。外出制限は利他主義の対極にある。自己の中に閉じこもるだけの愚策であり、経済危機も引き起こした。

 パンデミック後の世界は他者としての将来世代の利益を考慮しなければならない。何が将来世代にとって重要なのか。政治家らも考える時だ。

 人類の安全保障や将来のため、生活のあり方や思考法を変えて「命の経済」に向かわなければならない。新型ウイルスに限らず、気候変動による危機なども叫ばれる中、国際社会には総力を挙げた取り組みが求められている。

(引用終わり)

 アタリ氏が言うようにこれからコロナ以後の世界で鍵となるのが「利他主義」なのである。

「今だけ、自分だけ、お金だけ」の社会から他人のために尽くす社会への転換が求められていることを象徴する社会現象が「鬼滅の刃」の大ヒットだったのではないだろうか。少なくとも私たちがそういった社会への憧憬を抱いていることだけは間違いないだろう。

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