*烏賀陽 弘道氏のいいレポートです。是非、ご一読下さい。

原発避難者の「許されざる結婚」

福島への偏見や差別は本当にあるのか(その1

烏賀陽 弘道

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34401

<烏賀陽 弘道:プロフィール>

  1963年、京都市生まれ。1986年京都大学経済学部卒業。同年、朝日新聞社に入社。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。92年にコロンビア大学修士課程に自費留学。国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。2003年に退社しフリーランスに。主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』『カラオケ秘史』『Jポップとは何か』『Jポップの心象風景』などがある。

福島第一原発事故から避難した人たちが差別や偏見にさらされたという話をよく聞く。「放射能がうつると学校でいじめられた」「福島ナンバーの車を避難先(他県)で駐車していたら『帰れ』と車体に落書きされた」など。新聞やテレビでは「けしからん」「あってはならないこと」と非難の大合唱である。

 が、私は当事者に会って話を確かめた記事を見たことがない。

 私は自分の目で確かめないうちは信じないでおこうと決めた。「いかにもありそうな話」だからだ。

 現実は人間の想像を超える。「なるほど、それはありそうだ」と思う話など、デマかつくり話、よくて脚色であることが大半である。誰にも悪意がなくても、伝わるうちに尾ひれがつくことはよくある。

 そんな原発災害被災者への差別や偏見は、本当にあるのだろうか。もしそうなら、ヒロシマやナガサキの被害者に起きたのと同じ「人災」が繰り返されたことになる。

 そこで、避難民の人に取材で会うたびに「そういう話を直接知っていますか」と聞いて回った。やはり大半の答えは「そういう話を聞いたことがある」だった。

 が、ごく稀に「そういう人間を知っている」という答えに出会う。その時は紹介してもらって会いに行く。そんな作業を重ねた。

避難者と聞いて顔色を変えた恋人の両親

そのうちにこんな話が出てきた。

  「福島から避難した男性が、山形の避難先でボランティアの女性と恋に落ちた。結婚しようと真剣につきあっているのに、相手の親が『福島の男はダメだ』と許してくれない。放射能被曝を差別しているらしい」。

 福島市から高速道路を2時間弱走って、山形県に行った。雪がほとんど積もらない福島とちがって、宮城県を通り、蔵王を越えるあたりから豪雪になった。山形県側では、家々の屋根に布団のような雪がのしかかり、バットぐらいの太さのつららが伸びていた。

 和田良一さん(仮名)が山形県寒河江市のアパートで待っていた。こたつで向かい合った。窓から雪をかぶった山脈が見える。畳1枚分くらいあるでかい薄型テレビが街角グルメ番組をやっている。

 32歳。茶髪。アメリカンカジュアルの黒ロンT。若く見える。去年の3月15日に福島県南相馬市をクルマで脱出して以来、ずっと避難生活を続けている。

 最初の避難生活を送っていた体育館で、ボランティアに来ていた9歳下の女性と知り合った。恋に落ちた。

が、向こうの両親がなかなか交際を許してくれない。彼女が和田さんのことを話そうとすると、それだけで顔色が変わるというのだ。

  「体育館の人でしょう?」

  「被災してきた人でしょう?」

  「体育館の人」とは、避難所になっている市営体育館で暮らしている福島からの避難者のことだ。そんな呼ばれ方をしているのが話の端々で分かってきた。

 避難中の身で、仕事や住所が不安定であることがいけないのだろうか。いや、きちんと青果の配達の仕事に就いた。普通でも15万円、繁忙期は残業を重ねて25万円は稼ぐ。家賃7万5000円の一戸建てを借りて、一緒に避難してきた両親と共に暮らしている。

 どうやら「放射能」が絡んでいるらしい。彼女ははっきりとは言わないが、話の端々から分かってきた。

福島ナンバーを見て遠くに駐車した車

和田さんにはいやな思い出があった。

 4月下旬、体育館暮らしを出て温泉街の古い宿に移り住んだ後のことだ。夜、出かけようと駐車場に向かうと、暗がりの中、自分の車の周りに人垣ができているのが見えた。「あれ?」と思うや、向こうもこちらに気づいたらしい。ばっと人が散った。若者らしき人影が、10人くらい走り去った。いたずらか?と近寄る。何もない。

 ふと気づいた。駐車場に、福島ナンバーは自分の車しかないのだ。福島からの避難者の車だというので、何が積んであるのかのぞき込んでいたのかもしれない。それにしては人数が多すぎる。いろいろな考えがぐるぐる頭の中を回る。

 また、ファミレスやスーパーの駐車場で、隣に停めようとした車が、こちらの車を見たとたん、またエンジンをかけて走り去った。ふと見ると、はるかに離れたところに停め直していた。一体どうしたのだ。そうか、福島ナンバーを見たのだ。放射能で車が汚染されている、うつると思ったのか。

 ショックだった。

 福島からの避難者への差別や偏見があるという話を新聞やテレビで見聞きしていた。「誰彼さんがこんな目にあったそうだ」という話も聞く。放射能被曝への差別なのかどうか、本当のことは、分からない。聞いても誰も「そうだ」とは言わない。確認のしようがない。

しかし、少なくとも自分が好奇の目で見られていることは分かる。自分が「平常な暮らしでは、そこにいるはずのない人間であること」も承知している。

そして、誰もそれを表立って言うことがない。本音と建前は違う。立場を変えてみれば容易に想像できることだ。

これだけの条件がそろうと、何もかも敏感にならずにはいられない。銀行の窓口でも役所の補助金の窓口でも、相手が通帳や免許証を持つ手つきがおかしく思える。なんだか、汚れものでもつまむような持ち方だ。

ショッピングモールでクレジットカードの勧誘員が声をかけてくる。「いや、こっちの人間じゃないんで」と振り払ってもしつこく言い寄る勧誘員が「実は福島の南相馬から避難で来てます」と言うと「ああー」と言ったきり、口を開けたまま絶句してしまう。

 そこには想像が膨らむ余地がたくさんある。

福島県民であることの「罪悪感」

「言っておきますけど、山形の人はとても優しくて親切なんです」

 和田さんは言葉に力を込めた。

 23歳の恋人は、建設会社の事務をしている。体育館に福島からの避難者が多数いると聞いて、家にあるタオルや毛布を抱えて駆けつけてきた。全国から届く支援物資を整理してくれた。子供たちとゲームをしたり、ぬいぐるみで遊ぶ。そんな地道な作業をボランティアで引き受けてくれた。優しい女性だった。結婚しようと思っている。

 「雪の降らない土地から来たんだから」と近所の人は玄関の雪かきをしてくれる。「雪道の運転の仕方」から「雪道で転ばない歩き方」の講習まであった。足を垂直に上げて歩くお手本を実演して見せてくれた。彼女は「そんな歩き方をする人なんて見たことがない」と笑い転げた。

 和田さんの話を聞いているうちに気づいたことがある。福島第一原発事故を「福島県民全体のせい」でもあるかのように感じているのだ。

 「自分でもおかしいと思うんですが」と和田さんは苦笑いをしながら言う。

 仕事で得意先と打ち解ける。雑談をする。向こうは山形県出身だと思って「地元、どこ?」と聞いてくる。「福島です」という言葉が喉まで出かかった瞬間、ふとためらう。放射能のことを言われるんじゃないか。急に冷たくされるんじゃないか。先回りして、そう怖がっている自分に気づくのだ。

あるいは、テレビでニュースを見ている人たちが「農産物の風評被害が心配だなあ」と話し合っているのを聞く時。申し訳ないと感じる。自分だって被害者のはずなのに。

自分の故郷に連れて行けない

秋になってようやく向こうの両親に会ってもらえた。「結婚を前提につきあってます」という挨拶のつもりだった。幸い、お父さんは「頑強に反対」というふうでもなかった。

 そうなると、彼女に自分の故郷を見せたくなってきた。南相馬市に連れて行って、自分が生まれ育った土地を見てほしい。自分が通った学校や、地元のお祭りを見てほしい。それは自分の一部なのだ。何より、震災が起きた場所、津波が来た場所を見てほしい。それが自分を山形に運んだのだから。

 しかし、できない。もしバレて「危険な場所に娘を連れていった」と両親の怒りを買ったらどうするのか。せっかく打ち解けてきたのに。

 「結婚して子供ができて『ヘンなのができました』となったら、絶対に『あの時連れていったからだ』と突っ込まれますよね。(南相馬に行こうとは)口にできないです」

 「ヘンなのができたら『ほれ、やっぱり』となるでしょう? マイナスは1つでも少なくしておきたいんです」

 「ヘンなのができたら」という言葉に、私はぎくりとした。それはもちろん、妊娠した子供に異常が起きることを指す。避難所で知り合った夫婦が死産だった、流産した、といった話を聞くたびに、和田さんだけでなく、誰もが「放射能のせいなのか」と答えの出ない問いを自問自答する。

 高濃度の放射能の雲の下をくぐり抜けて避難してきた和田さんたちは、神経質にならずにいられないのだ。

子供が砂をつかむことを考えると・・・

福島県にいた頃、和田さんは原発で働いていた。福島第一原発で3月4日まで働いていた。たまたま工事が前倒しになり、震災当日は福島第二原発で足場を組み立てる作業をしていた。揺れが襲ってきた時、タワークレーンがまるで蛇のように波打つのが見えた。事務棟のガラス窓が一斉に割れ、破片が雪のように降ってきた。作業員の乗るバスが10センチくらい跳ね上がるのが見えた。

 恋人には原発で働いていたことも隠さずに伝えてある。

 福島第一原発事故がなくても、被曝に偏見のありそうな仕事に思える。大丈夫だったのだろうか。

和田さんは照れたように笑った。

 「『福島に原発なんてあったんだね』『なんで東北電力の管内なのに東京電力に電気をあげるの?』なんて不思議そうに笑って言うんですよ」

南相馬には原発で働く人が多い。なんだ、そうか。山形の人は全然違うんだ。肩の力がすっと抜けるような気がした。

原発内部で防護服を着て作業をしていた和田さんは「放射線管理区域」に出入りする時の放射線被曝の厳しいチェックを毎日経験している。今の南相馬市は管理区域の中と同じ線量の空間だ。

「南相馬で世帯を構えて子供を育てるとなると・・・今でも子供の屋外活動が1日2時間だか3時間に制限されているんですよ・・・そこで子供が砂をつかんだりするかもと考えると・・・うーん、やっぱり難しいだろうなあ」

 父は68歳、母は65歳。2人とも脳梗塞を経験している。親は故郷に戻りたい。自分はそばにいてやりたいと思う。前回登場した石谷さんのように自分1人は南相馬で働き、妻や子供を山形県に住まわせる。週末ごとに往復する。それしか選択肢がないように思える。

 「こっち(山形県)に戻ると、ほっとするようになったんです」

 和田さんは苦笑いをした。

 友だちはいない。慣れないことも多い。しかし、南相馬市に帰ると、どうしても放射線被曝のことを考えずにはいられない。「何も心配することがないくつろぎ」は失われてしまった。墨汁が1滴落ちた水がどんなに澄んで見えても、それはもう真水ではありえないように、もうそれはかつてのふるさとではないのだ。

「差別されているのでは」という疑心暗鬼

 結局、和田さんが交際を反対されるのは放射能被曝への偏見かどうかは、分からない。両親を訪ねて真意を尋ねても「ハイそうです。被曝した人は娘の相手にはダメです」と言うことはないだろう。まったく別の事情があるのかもしれない。

それは問題ではない。和田さんのように「原発事故のあった福島からの避難者だから差別されているのではないか」と気を回して悩まなくてはいけない、という状況が間違っているのだ。差別や偏見は「ある」「ない」は問題ではない。被害者が「そう思われているのではないか」と悩まなくてはいけないだけで、すでにストレスなのだ。

 福島第一原発事故がなければ、そんな苦しみはなかったのだから。

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