86日、89日はそれぞれ広島(ウラン型)、長崎(プルトニウム型)に原爆が投下された人類にとって、特に日本人にとって忘れてはならない日である。

 

<ところであなたは、日本の中枢は事前に「広島、小倉もしくは長崎に原爆が投下される」ことを知っていたという驚くべき史実が存在することをご存じだろうか。>

 

 201186日には、NHKスペシャルで「原発投下~活かされなかった極秘情報~」という番組が放送されたので、この番組は見た方もいるのではないだろうか。今でもインターネットでは見ることができるので、是非、視聴していただきたい。以下。

http://bww.jp/r/%E7%89%B9%E9%9B%86/%E3%80%90%E7%89%B9%E9%9B%86%E3%80%91-%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E2%89%AAnhk%E6%B8%BE%E8%BA%AB%E3%81%AE%E5%BF%85%E8%A6%8B%E6%98%A0%E5%83%8F%E2%89%AB-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6/

 

また、この番組は、「黙殺された極秘情報 原爆投下」松木秀文、夜久泰裕(NHK出版)という本にもなっている。

広島と長崎の原爆について、私たちは、これまで突然米軍の奇襲攻撃を受けたのだと信じ込まされてきたが、テニアン島を拠点に作戦展開をする米軍特殊航空部隊の原爆投下の動きを日本軍の大本営情報部が事前に察知していたという事実を、NHK広島が1年間がかりの取材で明らかにしている。86日の広島、89日の長崎の爆撃のいずれも日本の大本営は米軍のコールサインを傍受しているにもかかわらず、空襲警報すら出さず、おそらく、故意(終戦工作のために)に傍観していたと考えられるのである。これでは、何も知らされずにただ死んでいった一般国民をこの国の指導者は、生かすも殺すも自由な家畜と見なしていたと思われても仕方がないと思われる。兎に角、国民の生命の安全よりも国の担当者の事情やメンツ、国体維持(天皇制維持)を優先させた結果、無防備な市民の頭上を悪魔たちの核爆弾が容赦なく襲ったということはどうも間違いないようである。

 そして、日本政府は<原子爆弾災害調査特別委員会>を原爆投下直後に組織し、一番米国が欲しがるだろう原発投下直後の人体、環境への影響調査を人命救助より優先し、731部隊の免責の取引材料にしようとしたことまでこの本には書かれている。政治というモノは残酷なものだとは承知しているが、まさに恐るべき日本政府の動きである。

                                                                                                                                                                                                                                                                        

 

黙殺された極秘情報 原発投下
さらに驚くべき事実を「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本がベストセラーになった古川愛哲という作家、歴史資料収集家が、「原爆投下は予告されていた~帝国陸海軍の「犯罪」」という本の中で指摘している。

古川氏は長らく歴史資料を収集し、それを書籍にまとめることを生業とする中で、自らの中に一つの疑念が生まれてきたと書いている。

それは、「第二次世界大戦において、なぜ日本国内では、政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残ったのか」というものであった。その疑念は、次第に「空襲や原爆投下を、一部の人間は事前に知っていたのではないか」というものに変わっていく。とりわけ原爆において、アメリカによる事前の投下予告がなされたのではないかと著者はいろいろな資料をあたり、突き詰めていく。

原発投下は予告されていた

 

「二度にわたる原爆投下は、予告なしになされたとするのが定説だが、私は疑問を持っていた。なぜならば、政治家や官僚、高級軍人の戦災死者が少なく、しかも、原爆投下予告を中国の広東で傍受した1人の日本人兵士が存在したからだ。この兵士、黒木雄司氏は当時伍長、そして自らの体験を書物として残していたのだが、歴史家は認めてこなかった。ところが一本のドキュメンタリー映画が、この人物の証言を補強し、あたかもパズルの最後の一片をはめ込むかのごとく整理してくれた。それがまた、私の原爆投下と終戦工作に対する疑念を、ますます深めることになったのだ」

 

古川氏に原爆投下と終戦工作に対する疑念を深めさせたドキュメンタリー映画は、アメリカで制作された「原爆死」というタイトルの作品である。1994年度の学生アカデミー賞のドキュメンタリー部門で金メダルを獲得している。

この作品によると、長崎への原爆投下直後、それも当日(89日)、連合軍の捕虜救出のために、米軍救出部隊が長崎に上陸したというのである。しかも上陸の手引きを日本海軍が秘かに行っていたというのだから、驚きである。この救出部隊の一人が中心的な登場人物、実はこの映画の制作者の父親である。

この映画を観て大変な衝撃を受けた著者は、真実を隠蔽してきた「この国の偽らざる姿の本質」が浮かび上がるとして、次のように書いている。

 

「思うに、この国は強者が弱者を盾にして利を貪り謳歌し、失敗すると強者が弱者を置き去りにして逃げ打つ――その歴史を繰り返してきたのではないか。たとえば第二次世界大戦では、内地でも戦地でもこれが繰り返されてきた。」(これには勝者によって美化されすぎた明治維新の下克上構造に原因がある。後日、このことをレポートで解説したい。)

 

いわゆる「ノブレス・オブリージュ」が息づくイギリスなどでは、貴族階級出身者が就く高級軍人の死亡率は非常に高いにもかかわらず、日本では、空襲や原爆投下において政治家や官僚、高級軍人の死亡率が異常に低いという摩訶不思議な現象が生じていることを古川氏は指摘している。そして、フクシマ原発事故についても、それは繰り返されたと著者は書いている。福島原発のメルトダウンが確実視されはじめた頃、霞ヶ関ではあるリストが出回っていた。それは、関東よりも西にあたる都市のホテルの空室状況、ガソリンスタンドの営業状況などを詳細に記入したリストだった。小生もこの話は永田町で仕事をする人間から当時聞いている。彼はその時、地方統一選挙も延期の可能性があるともアドバイスしてくれたのであった。

「つまり、官僚たちが考えたことは、自らが西へ西へと逃げることであり、組織を挙げて、ホテルの空室状況とガソリン不足の実態を、把握しようとしたのである。そして事実、多くの職員が名古屋、大阪などのホテルを予約し、家族を『退避』させたという。この話を聞いたとき、私は怒髪天を突く思いに駆られた。」

 

さらに著者は、政府と東京電力が放射能被害の実態を隠し続けて国民を欺いてきたことに関して、次のように書いている。

 

「震災後、政府は放射線予測システムSPEEDI(スピーディ)の情報公開の遅れを詫びているが、何のことはない、実際は福島原発被災直後から、そのデータを知っていたのである。事実、震災翌日、福島原発に向かう際に、管直人首相は、自分自身の生命や健康に影響が出ないことをSPEEDIにより確認したうえで、現地に赴いたというではないか。つまり、政府・高官はSPEEDIのデータを自らのために使いはするが、国民に対しては隠蔽し続けたのである。その結果、本来は被曝する必要がなかった約1万人が放射能を浴びたという・・・・・・」

 

 このように日本という国の本質は、装いが変わっていることに騙されている人があまりにも多いが、現在も中身は何も変わっていないのである。

また、原爆投下については、古川氏も言及している第五航空情報連隊情報室に所属していた黒木雄司氏の「原発投下は予告されていた!」(光人社)も興味深いものである。以下、引用。

原発投下は予告されていた 黒木雄司

~まえがき~

毎年八月六日、広島原爆忌の来るたびに、午前八時に下番してすぐ寝ついた私を、午前八時三十二分に田中候補生が起こしに来て、「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたとニューディリー放送が放送しました。八時十五分に投下されたそうです」といったのを、いつも思い出す。(二五三頁)このニューディリー放送では原爆に関連して、まず昭和二十年六月一日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと(一五八頁)。次に七月十五日、世界で初めての原子爆弾核爆発の実験成功のこと(二一四頁)

さらに八月三日、原子爆弾第一号として八月六日広島に投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を三日はもちろん、四日も五日も毎日つづけて朝と昼と晩の三回延べ九回の予告放送をし、長崎原爆投下も二日前から同様に毎日三回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた。

この一連のニューディリー放送にもとづいて第五航空情報連隊情報室長芦田大尉は第五航空情報連隊長に六月一日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告が上申されていなかったのではないだろうか。どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ。

(中略)

この記録は私が現在の中華人民共和国南部の広東において、昭和二十年三月十一日付で野戦高射砲第五十五大隊第二中隊より転属し、第五航空情報連隊情報室に勤務、情報室解散の昭和二十年八月二十一日までの約五ヵ月間の日々を記録したものである。したがって人物名、場所名などはすべて実名実在のものである。

(中略)

私もようやく今年は数え年でいうと古稀となり、老の仲間に入ってゆくので、惚けないうちにと書くこととした。書いているうちに先ほども書いたように、原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろと考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない。

 

平成四年七月   黒木雄司

(引用終わり)

<そして現在、2011年のフクシマ原発事故以来、継続する放射能汚染について、本当に正確な情報を東電、政府は国民に提供しているのだろうか。> これがあまりにも疑問なのである。

 以下の素朴な疑問に対してまともに反論出来る人はほとんどいないのではないか。

最近の報道から取り上げてみよう。

 

最近の報道(TBS)によればhttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2553929.html

「福島第一原発3号機、プールに落下の大型装置を撤去」

 

廃炉に向けた作業が行われている福島第一原発3号機では、2日、使用済み燃料プールに落ちた大型装置の撤去作業が行われました。

 福島第一原発3号機の使用済み燃料プールには今も566本の核燃料が残されていますが、プールの中には爆発で吹き飛んだ大量のがれきが落下していて、燃料取り出しの障害になっています。

 2日は午前中から長さ14メートル、重さおよそ20トンの「燃料交換機」をプールから取り出す作業が行われ、昼ごろには2台のクレーンを使って巨大な装置が吊り上げられました。東京電力によりますと、作業は午後1時すぎに無事に終了し、空気中の放射性物質の濃度にも有意な変化はなかったということです。 東京電力では今後、残りのがれきを撤去した上で、再来年度から3号機の燃料プールにある核燃料566本の取り出しを始める計画です。(8/217:30

 ところで、3号機は2011314日に水蒸気爆発したとされているが、当時から水蒸気爆発と核爆発が起きたのではないかという指摘があった。以下。

フクシマ3号機 爆発

<2012.01.05ニュース>

福島第一原発の事故を受けて、原発の安全性への不安が広がっている。これまで「原発批判」と言えば、もともと反原発の考えを持った人々が中心だった。ところが福島原発の事故以後、これまで原発推進に尽力してきた人々が原発批判をはじめている。元原発検査員、元電力会社社員などが隠されてきた事実を内部にいた彼らが暴き出す!

◆元原発検査員が証言!福島原発3号機の爆発はピカドン(核爆発)だった!!

 

「福島第一原発3号機で3月14日に起きた爆発はピカドン(核爆発)だ!!」

そう語るのは、2010年の春まで日本原子力安全基盤機構(JNES)で原発検査員を務めていた藤原節男氏。原発の施設と運用について隅々まで知る専門家の一人だ。

「3号機の爆発では、一度ピカっと炎が出たあと、ドーンと黒煙がまっすぐ建屋上方へと立ちのぼっています。水素爆発であんな黒い煙は出ません。キノコ雲の形状といい、核爆発の現象に酷似している」

しかし、政府、東電の発表では、原子炉内部は安定を取り戻してきているはずだが?

 

「重要な放射能飛散原因は、使用済み燃料プールです」

彼は、原発を陸側から写した航空写真を取り出した。

「建屋上部フレームは、使用済み燃料プールの場所が吹っ飛んでいます。プール内で爆発が起こり、そこにあった燃料棒は飛び散ってしまったとおもわれます」

だが、たとえ使用済み燃料が溶融して下に溜まっても、果たしてそれで、核爆発は起きるのだろうか。

 

「3号機の燃料プール内では爆発が生じるまでに冷却水が少なくなり、ジルカロイ・水反応で水素が発生。上方の燃料被覆管が溶けて、中のペレットはブロック崩し状態。プール内が原子炉さながら、小出力で臨界状態となって水が沸騰したとおもわれます。そしてプール水面上方で水素爆発。その圧力で沸騰水中のボイド(水蒸気)が圧縮。ボイド反応度係数はマイナスなので一気に核分裂の反応度が高まり、即発臨界の核爆発が起きた。3号機爆発のスローモーションビデオを観ると爆発音が3回聞こえる。これが水素爆発の後に核爆発が生じた証拠です」

続いて彼が指さしたのは、排気筒と3号機を結ぶ配管部分だ。太いパイプはそこで断裂し、短い管が口をあけて転がっている。

 

「東電は定期点検中の4号機で水素爆発が起きたのは、3号機で発生した水素がこの配管を通って、4号機建屋に入ったためだと説明しました。しかし、写真を見ると、この通り配管はつながっていない。4号機でも使用済み燃料プール内で水素が発生して爆発したと言える。3、4号機爆発とも使用済み燃料プールの水素なら、1号機も使用済み燃料プールの水素による爆発ではないか。これら重要な事故シナリオについて、誰もダメ出しをしていない」


<藤原節男氏>

72年4月、三菱原子力工業(現・三菱重工業)入社。2005年原子力安全基盤機構勤務、検査業務部調査役。2009年3月、北海道電力泊原子力発電所3号機の使用前検査を手がけ、組織的なデータ改ざんなどを内部通報。2010年3月退職。

藤原節男

フクシマ原発爆発跡

フクシマ原発爆発跡2

 

これほど、爆発で破壊された様子を見ると、とても3号機の核燃料プールに使い済み核燃料がまだ残っているはとても信じられない。それなら東電や政府は上記のニュースを、映像を創り上げてまで報道させているのだろうか。おそらく、フクシマ第一原発の1号機、2号機、3号機、4号機、この4つの原子炉の核燃料と燃料貯蔵プールにあった核燃料棒。この全てが、地下に、周囲に、そして海に、拡散してしまった最悪の現実をなんとかできるだけ国民の目から隠し続けたい。そのために行っているプロパガンダ=愚行ではないのか。

トリチウム水蒸気拡散 

上記の映像は、フクシマ第一原発からトリチウム水水蒸気が拡散している状況をよく捉えている。

また、以下の映像を見ていただければ、3号機爆発が水蒸気爆発でないことがよくわかるはずだ。https://www.youtube.com/watch?v=Gh1E1-u4CkU

いわき四倉海岸

2015年のフクシマ第一から40㎞の海岸の様子、ガイアカウンターの数字は法的基準の47倍を示している。

 

 以前のレポートでも紹介したが、2015年の3月中旬以降、どうもフクシマ第一は新たな段階に入ったようなのである。以下。(週プレNEWS 427()60分配信)

 


「周辺地域で線量が1000倍に急上昇!“フクイチ”で何かが起きている!?

 

4月6日から8日に突如として高い線量を検出した南相馬市のモニタリングポスト。特に常磐自動車道の鹿島SAでは55μSvという通常の1000倍もの数値を記録、福島県は計器故障と発表し線量測定を即中止した…

このところ福島第一原発の様子が、どうもおかしい。特に気になるのが2号機で、4月3日に格納容器の温度が約20℃から70℃へ急上昇した。

さらに2日後には88℃に達し、4月第3週現在も70℃前後から下がっていない。もちろん熱源は4年前に圧力容器からメルトダウンした最大重量100tとも推定される核燃料である。

その温度は、事故当初は太陽の表面に近い4000℃前後で、不純物が混じって核燃デブリ(ゴミ)と化した今でも塊の内部は1000℃以上を保っているとみられる。つまり、2号機内ではデブリがなんらかの原因で活発化して放熱量が高まっているようなのだ。

 

この点について琉球大学理学部の古川雅英教授(環境放射線学)は次のように説明する。

 

「1~3号機ともに核燃デブリを冷やすために放水作業を続けていますが、その水量調整が実は大変に難しい。少ないと文字通り焼け石に水です。また、極めて稀(まれ)なケースですが、環境条件が整えば、水によって減速された核分裂中性子が連鎖的な核分裂を誘発する可能性もあります」

 

だから東電の事故処理対策では、今のところ1~3号機ひとつにつき、一般の水道蛇口ふたつを全開にしたほどの注水を続けている。これは巨大な原子炉格納容器と比べれば意外にわずかな水量といえる。

 

にもかかわらず、なぜ2号機の温度は急上昇したのか?

 

似た異変は3号機内部でも起きているようで、今年に入って何度か3号機の屋上から大量の蒸気が噴き出す様子がライブ配信映像で目撃された。

そして、もっと見逃せないのが2号機の温度上昇と連動するように4月6日から福島第一原発周辺の「放射線モニタリングポスト」が軒並み高い数値を示し始めたことだ。

中でも原発から北方向の南相馬市では、復旧したての常磐自動車道・南相馬鹿島SA(サービスエリア)ポストで通常線量の1000倍にあたる毎時55μSv(マイクロシーベルト)を最大に、市街地各所で数十倍の上昇が見られた。

 

それぞれの線量上昇時には福島第一原発方向からの風が吹いていた。福島県内各地の放射能汚染を詳しく調べてきた「南相馬・避難勧奨地域の会」の小澤洋一さんはこう語る。

 

「これら福島県が設置したモニターの高線量折れ線グラフは、異様に長い剣のように突き出た1、2本のピークが特徴的で、しかも短時間に限られた場所で現れたため、あいにく私の個人測定ではキャッチしていません。

しかし福島県は、この後すぐに40ヵ所ものモニターを“機器調整中”とし測定を止めました。この対応はあまりにも不自然だと思います。もし本当に高額な精密モニター機器が何十台も同時故障したというなら、それ自体が行政上の大問題でしょう」

 

この福島第一原発2号機の温度急上昇と関係がありそうな異変は、実は福島県以外にも及んでいた。そのひとつが4月7日の東京都内だ。

 

本誌は原発事故から4年間、都内43ヵ所の「定点」で月数回ペースの線量測定を実施してきた。そして北東・北方向から4、5mの風が吹き続けた7日正午から夕方にかけて、港区・新宿区・渋谷区・世田谷区を中心にいつもの2~4倍に達する線量上昇を確認した。

また「原子力規制委員会」が公開した4月中旬までの全国線量グラフにも東北各県や神奈川県などで急激な上昇が見られた。

原発事故以来、東日本地域では地表面に染み込んだ放射性セシウムが1~3月頃の乾燥期に空中へ舞い上がり、線量を高める「2次汚染現象」が続いてきた。ところが今年の春は、まるで様子が違う。今の福島第一原発から直接飛来した強い放射性物質が一部地域の線量をスポット的に引き上げているとしか思えないのだ。

この新しい傾向は、何を意味するのか? 考えられるのは、原発内の核燃デブリが従来の注水冷却工程に対して異なった反応を示す状態に変化した可能性、例えば、デブリが格納容器下のコンクリートを突き抜けて地盤まで到達(メルトアウト)し、地下水と接触するなどだ。(引用終わり)


 

私たち日本人が頭に入れておくべきことは、1945年の広島・長崎と同様、2011年のフクシマ原発事故によって、日本は核による荒廃という新たな未開の分野を引き受ける、人間の能力の限界をテストする「闇の科学実験の中心」となっているという残酷な現実である。

そして、広島と長崎にもたらされた荒廃も、東京のすぐ北の損傷したフクシマ第一原発で現在進行中の大惨事と比較すれば、小さなものだということになる可能性が現在、次第に大きくなっている。そしてその事実を、日本政府は必死になって隠蔽しようとしている。

あまりにも残念なことだが、1945年の原爆投下の時と日本政府は少しも変わっていないのである。自分の立場やメンツしか考えることができない人間の集まりだということである。

最後にフェイスブックの投稿を読んでいただきたい。たぶん真実であろう。以下。

 


松平英丈  81 21:46 ·

 

滅多に更新しないのですが、是非書いてくれというので、ここに書くことにしました。

私の友人が白血病の診断を受けました。身体が怠く、頻繁に鼻出血があるんだけど相談され、病院に受診するよう勧めました。まさかとは思いましたが、そのまさかが的中してしまい、白血病の診断を受けて来ました。本人も覚悟をしていたので取り乱すことなく、淡々と病状、今後の治療法など、病院の先生から聞かされたことをボクに語ってくれました。非常に残念な気持ちでいっぱいです。

問題なのは何故彼が白血病になってしまったかと言う事です。

彼はお寺の住職をしています。そして福島に別院があり、3.11の地震以来週の半分は福島で生活をしながら、避難をされている檀家さんを含めた住民の皆さんの、精神的な支えとして尽力しておりました。ボクには真似のできないことで、頭が下がる思いです。

活動している場所は、当然避難地域外です。しかし、現在その避難地域外で爆発的に白血病患者が増えています。大げさな話、病院の待合室の患者さんの半分は白血病患者ではないかという勢いです。覚悟をしていたというのは、このことだったんですね。

福島の放射線拡散の状況は、継続しています。蓄積している分、酷くなっています。もう既に、チェルノブイリの数倍らしいです。

当然国もマスコミもこの事実を把握しているはずです。何故オモテに出てこないで隠すのでしょう。オリンピックなんてやっている場合ではないと思います。

日本という国は、自分の都合でマスコミをコントロールします。マスコミもそれに従います。それは何故か、国税庁という伝家の宝刀を持っているからです。お金で縛るのが一番効果的だと言う事をよく知っています。

最近の憲法違反の法案といい、マスコミ操作といい、終戦前の状況に似ていませんか?人間の生命より、目先のお金と権力に固執する人たちがこの国のうえに立っています。良いのかなぁ〜〜(引用終わり)


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