9月 232019

2020年の東京オリンピックに関して、新国立競技場の問題や、エンブレム盗用疑惑問題など、色々な問題が出ていたことを覚えておられる方も多いだろう。

2020年東京オリンピック

そもそもオリンピックという4年に1回開かれる世界運動会とは一体何なのだろうか。

 

「オリンピック開催の本当の意味」とは何か、ということに関して、以前、藤原肇氏が大変面白いことを書かれていたので記憶に残っている。

 

藤原肇『小泉純一郎と日本の病理』(光文社)という本に問題の書が2005年に出版されたことを覚えておられるだろうか。

 

この本は、小泉純一郎氏の隠された暗い過去を暴きながら、そのような人物が持てはされる現代日本の政治経済の病理的状況を鋭く分析したものである。

読者を通常のマスコミ評論では考えられない異次元まで連れて行ってくれる本である。

小泉純一郎と日本の病理

著者の藤原肇氏はもともと地質学の専門家で石油が専門であるが、国際政治の分野でも活発な評論活動をしている。最近では廃刊になった「財界にほん」でも加計学園問題で鋭すぎる発言をしていた。

以下。

参照:「日本を破壊したゾンビ政治と愚民化のための言論統制」

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai201804.html

藤原 肇(ふじわらはじめ)プロフィール

1938年に東京の神田で生まれた江戸っ子。

十代は文学少年として教養小説に耽溺したが、次第に岩登りに熱中するようになり、その頃の記録は「山岳誌」(東明社)の解説に詳しい。埼玉大学で地質学を専攻した後で、フランスのグルーノーブル大学に学び、アルプスの構造地質学を修めた理学博士。札幌市のオリンピック代表や、グルーノーブル市のオリンピック・アタッシェを歴任。

 

アフリカや中東やヨーロッパの大陸棚の石油開発を体験した後、カナダに移住して北極洋の石油開発を幾つかの多国籍石油企業で担当し、四十代の人生の始まりと共に石油コンサルタントとして独立する。米国のカンサス州に進出して石油開発に従事したことは、「地球発想の新時代」(東明社)にある通り。その後はビジネスから半ば引退して、国際政治や経済の動きを注目しながら、フリーランサーに近い活動をしている。

 

現在はカリフォルニア州のパームスプリングに住み、メタサイエンスについての論陣を展開している。また、現代社会の遊軍的な存在として、独特なエネルギー史観に基づいた視点を駆使しながら、国際政治や石油戦略についてのアドバイスをしたり、生命現象や宇宙論について思索を行ない、必要に応じてコンメタリーの提供を行なったりしている。

 

藤原肇氏は、リュージュ競技の選手として冬季プレオリンピックに出場経験があり、そして1968年のグルノーブル大会では役員として、主催都市の五輪アタッシェの仕事をやったことで、オリンピックとは何かについて知ることができたということだ。

 

リュージュ競技は過酷で、藤原氏は選手として自分が奴隷ではないかと感じたので、1年だけで選手はやめた。そして、そのような奴隷を競わせて楽しむ人々がいて、それがスポーツの祭典を装っており、オリンピック選手という美名での実態が剣闘士に似ていると気付いたという。そして、その「奴隷の主人」に関心を持ち、グルノーブルや札幌でオリンピック関係者と付き合いながら、1つの重要な結論に達したのである。

 

グルノーブル冬季五輪大会では、私は市長のアタッシェに就任していたため、各国の選手団長と同格のCパスを持ち、ほとんどどこでもフリーパスで入れた。このCパスの上にはBパスを持つ人々がいて、それはグルノーブル市長やIOCの役員だった。だが、さらにその上にはAパスを持つ人々がいて、それが「雲の上の人々」“people above the low” だったのである。この人々が王侯貴族たちだったことで私の目からウロコが落ちた。

私はリヒテンシュタイン Liechtenstein の総監督を務めていたプリンスと親しくなり、そして、彼を通してヨーロッパの貴族 aristocrat たちを知る機会に恵まれた。そして、彼らと話して、オリンピックの実態は、王侯貴族たちが4年に1度集まるためにあり、スポーツ大会の上にサロンがあると初めてわかった。しかも、貴族たちはオリンピックのパーティーを使い、息子や娘たちのお見合いの席にしていたのだ。

機会に恵まれてあるパーティーに出席したが、そこにはモンテネグロ Monte-Negro 大公妃が出席していた。そしてさらに驚いたのはキエフ大公 Grand-Duke of Kiev の子孫までいて、「どこに住んでいるのですか」と聞くと、「パリ Paris に住んでいます」と言うのである。つまり、ヨーロッパには一般が知り得ないサロン社会があって、厳然と活動をし続けているのであり、地図から消えたはずの国が今でも存在するのだ。

 

つまり、私が垣間見たのはヨーロッパの核心であり、この人々と市民たちが近代社会(モダンソシエティ)を作っていて、歴史の教科書ではすでに姿を消した、1815年のウィーン体制 Metternich System が生きていた。これは移植された近代と民主主義(デモクラシー)の下で育って、教科書で近代を学んだだけの私たちには理解不能 out of thought な世界の話だから、それを知っただけでも私は幸運だったと思っている。

(p.147-148)

 

 

こうして藤原氏は、「人間が築き上げている世界の成り立ちについて、真の意味を知」ったということである。

 

オリンピックが所詮そうしたものであれば、庶民にとっては結局の所どうでもいい行事であり、醒めた目で見るしかないだろう。

 

新国立競技場やエンブレムなどは瑣末な問題で、そもそもオリンピックなんてそんなにありがたがるべきものではないようである。

 

七夕の日に想う

Tea-Time コメントは受け付けていません。
7月 072019

七夕に降る雨のことを「催涙雨」と言う。

 

織姫と彦星が雨によって会うことのできない悲しみの涙だと想っていたが、本当の意味はどうも違うようだ。

 

七夕の朝に降る雨には、会えなかった一年分の「嘆きの涙」

 

七夕の昼、夕方に降る雨には、再会した「喜びの涙」

 

夜、明け方に降る雨には、また、別れなければならない「悲しみの涙」

 

このように「催涙雨」には、いろいろな意味があるということらしい。

 

こんなことを書いたのは、物事の事象には、いろいろな見方があるわけだが、若いときには、よほどの運に恵まれない限り、そのことを知ることができないということを考えていたからだ。

 

たとえば、「催涙雨」についても、雨が降って愛し合う二人が会うことができないという意味しか若いときには知らなかった。

 

これは私たちが暮らしている社会についても言えることで、学校で習った社会科の勉強と、マスメディアが流す情報、働いている、所属している会社、組織社会のなかで学んだことだけでは、本当の人間が生きる社会の実相を知ることはとても難しい。

 

今、私たちは明治維新に匹敵する大転換の時代をおそらく、生きているのだが、テレビのニュースを見ていても、毎日の新聞を見ていてもそのことに気が付くことはできない。

 

あのベルリンの壁が崩壊した時も、一年前にそのことを予見していた人は、ほとんどいなかったのが、現実だ。でも壁は壊され、東ドイツという国は崩壊してしまったのだ。

 

現在、日本銀行、年金資金を使って株価を吊り上げ、その裏で実質賃金は下がり、社会保険等の国民負担率は上がっているのに、都合のいい話だけを表に出して経済を良くしたと誇らしげに語る政治家たちがメインロードを闊歩している。

 

アメリカの大統領になったトランプ氏は、もう、日米安保を破棄したいと言い始めているにもかかわらず、辺野古埋立てを進めようと必死に基地利権にしがみついているのが、日本のエスタブリシュメントだ。

 

思い返せば、トランプ氏は、大統領に当選する前から「日米安保はいらない、自分の国は自分で守るべきだ」と言っていたから、現在、表に出てきた発言は本音だろう。

 

もちろん、意図的なリークであることは言うまでもない。

 

それでも、そんなことは有り得ないと、日本の支配層は高を括っているようにしか見えない。

 

考えてみれば、戦後の日米安保体制というものは、冷戦構造を基にできたものだ。

前提条件が変わった時点でその仕組みは役割を終えたと考えるのが自然だ。

 

思い返せば、1980年代半ば過ぎのバブル時代、不思議な程、多くの日本人は楽天的だった。

 

あの時、この繁栄が20年、30年続くと多くの日本人は思っていたはずだ。

高級ディスコで踊り狂っていた紳士淑女の姿が目に浮かぶ。

サラダ記念日

想えば、俵 万智さんの「サラダ記念日」が出版されたのが、この時期であった。

 

<『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日>

 

この歌を読み返すと不思議な明るさと脳天気だった自分自身と日本人の姿が甦ってくる。

 

すべては変わってしまったのだ。

そして今、時代の転換点が訪れようとしている。

坂東玉三郎さんに仏文化勲章授与!

Tea-Time コメントは受け付けていません。
2月 232013

素晴らしいの一言!ご存じのように、坂東玉三郎氏は重要無形文化財の保持者、いわゆる人間国宝に認定されている。その彼にフランス文化省は芸術文化勲章の最高章である「コマンドゥール」を授与し、授章式がパリで行われた。

フランスの芸術文化勲章は、フランスや世界各国で芸術や文学の分野で功績があった人物に贈られる勲章で、「コマンドゥール」はその最高章に当たる。

大和撫子表彰台独占、鈴木明子選手は、二位

Tea-Time コメントは受け付けていません。
2月 212013

 日の丸が三旗揚がり、「君が代」が流れた。表彰台の上には、3人の日本女子、浅田真央、鈴木明子、村上佳菜子が誇らしげに微笑みを浮かべて立っていた。

2月8日から大阪で開かれていたフィギュアスケート四大陸選手権。日本女子がこの大会の表彰台を独占したのは、2003年北京大会(優勝・村主章枝、2位・荒川静香、3位・中野友加里)以来、実に10年ぶりのこと。素晴らしい!

浅田真央選手がトリプルアクセルを決めたのは、見事だったが、豊橋出身の鈴木明子選手は、アクセルの失敗があったものの、立ち直って残りをノーミスで滑りきった。「このところ不調が続いていたので、ほっとしています。世界選手権では自分の演技の完成形をみんなに見てもらいたい」と世界選手権での活躍を予感させる前向きなコメント。楽しみである。




現実にはあり得ない「眼差し」

Tea-Time コメントは受け付けていません。
10月 242012

 先日、神戸市立博物館で有名なフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」別名「、青いターバンの女」を見てきた。この絵を見ることによって、現実にはあり得ない少女の眼差しを見る、感じることができる。潤んだ唇をかすかに開き、少女はその肩越しに、大きな灰青色の瞳をこちらに向けている。何もかも見透かしたような、謎めいた表情を画家は巧みな技法で作り出している。そう言えば、NHK衛星放送の「極上美の饗宴」という番組で写真家の篠山紀信氏と共にこの絵を分析していた。

そのときにその番組で分析していたことが以下である。

・フェルメールのアトリエは北向きだった。北のやわらかな光と、カメラオブスキュラによるやわらかな輪郭のぼけが、彼の絵画の特徴となった。
・「真珠の耳飾りの少女」の絵の首の角度だと、実際には真珠には光はあたらない。真珠に光があたるには、少女はもっと正面を向いていなければならない。
・また、真珠に光が当たる場合、真珠の後ろ側にはターバンが映り込むはずだが、それが描かれていない。異なる角度からの見え方を一枚の絵に描いていることがわかる。
・当時のオランダには、絵に描かれたように大きな真珠は存在しなかった。このサイズの真珠は、19世紀の日本で養殖によって初めて可能になった。フェルメールは真珠の存在感を増すために、あえて大きく描いた。
・唇の右端の光は、1994年の修復によって発見された。
・少女の左右の眼の角度は微妙に異なっている。
 
以上である。要するに私たちは現実には、あり得ない少女の「眼差し」に誘惑されるのである。いい絵である。本物を見に行く価値は高い。

1
© 2011 山本正樹 オフィシャルブログ Suffusion theme by Sayontan Sinha