「2011年 オキュパイドジャパン Occupied Japan」

1945年8月15日、日本という国が敗戦の屈辱を味わってから66年の歳月が経ち、二十一世紀もその十分の一時を刻んだ。にもかかわらず、3月11日の東日本大震災と福島原発の事故後の政府、マスコミの動きを眺めていると残念ながら、日本の戦後が永遠といまだに続いていることがよくわかる。

 

ところで、十年以上前にノリタケのMADE  IN  OCCUPIED  JAPAN というりっぱな洋皿を教養豊かな年配の知人から借用したことがある。戦後直後に製造されたとは思えないりっぱなものであった。ある日、その皿をずっと眺めていて私が思ったことは、結局、現在も日本は「オキュパイドジャパン」のまま全く変わりがないのではないかということだった。

 



 たしかに私たちは、サンフランシスコ講和条約が1951年(昭和26年)9月8日に調印され、1952年(昭和27年)4月28日に発効し、日本が再び独立国になったと社会科の教科書で教えられてきたし、そう信じてきた。

しかしながら、戦後60年以上を経て改めて冷静に考えてみると明らかに日本は独立国ではない。今までいろいろな方がその状況をそれぞれの言い方をしてきた。半独立国、属国、保護国、植民地等いろいろな言い方があるようだ。

そう言えば、子供の頃、歳の離れた父から訳もわからずに聞かされてきた言葉が思い出される。軍医だった父は戦争中、何年も南方の戦地で働いていた。

「情けない。日本は戦争に負けてアメリカの植民地になった!」と彼は何もわからない子供たちにそんなことを時々喋っていたものだ。

そして、今回の3月11日の大震災、原発事故で改めて私たちが認識できたことは、日本はこのような非常事態に対応できるちゃんとした独立国家、主権国家ではなかったということである。

あまりにも残念なことだが、日本には「国民を守るために正しい情報を提供し、国民とともに行動する政府というものがなかったのである。そして私たちは、政府やマスコミによってあまりに無知な状態に戦後半世紀にわたって隔離されてきたことがはっきりしてきた。

いわゆる「閉ざされた言語空間」にずっと閉じこめられてきたのである。

 

そう言えば、スキャンダルで失脚した防衛省の事務次官だった守屋武昌氏は「普天間交渉秘録」で次のように書いている。

「現在でも東京の港区、渋谷区、新宿区、西部地域の上空七千メートルまでは、米軍の上空になっている。朝鮮戦争の際ハワイ、グアムの米軍基地から最短距離で朝鮮半島に至る航空路がそこにあり、東京、神奈川、山梨、長野、そして新潟のそれぞれ一部は、現在でもコリドー(回廊)として米軍が使用しているからだ。西日本や北陸から羽田空港に向かう民間航空機が伊豆大島から高度を下げ、銚子から回り込むように羽田に着陸するのは、この空域を避けて飛ばなければならないからである。日本は占領期のままではないか。」



今回は、最近のレポートで断片的に指摘させていただいたことをまとめて解説させていただきたい。そしてそのことが、現在の日本の政治経済情況を物語ることにつながるはずである。

 

 レイムダックに陥っていた菅 直人総理を救ったのは、衆目の一致するところである。彼を救ったのは、皮肉にも日本を国難に陥れた東日本大震災だったことは間違いない。

そして、菅 直人総理は、原発事故対応、震災復興について、オプチュニストとしての素質を如何なく発揮し続けている。市民運動家として何の背景もなく総理まで登り詰めた男の真骨頂である。確かに彼には何の信念も政策もないが、戦後日本の永田町の権力構造が身に染みてわかっているのである。「与党内の基盤が弱くても、野党から嫌われても米国の言うことを120%聞き入れ、その後ろ盾を得たなら政権維持はできる!」そのように菅 直人氏は開き直っているのである。



*週刊ポスト2011年5月20日号より(引用) 

GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権」



  焼け野原からの戦後復興に大震災の復興計画を重ね合わせる菅直人・首相は、屈辱の歴史までも真似ようとするのか。GHQ(連合国軍総司令部)に主権を奪われ、自主憲法さえ作れなかったあの時代は、この国の在り方に大きな禍根を残している。だが、菅政権はこの震災対応の中、国の主権を米国に売り払うことで、自らの権力を守り切ろうとしている――。

この国の政府は震災発生以来、「第2の進駐」を受けている。首相官邸ではそれを如実に物語る光景が繰り広げられていた。

菅首相や枝野幸男・官房長官、各首相補佐官らの執務室が並ぶ官邸の4、5階は記者の立ち入りが禁止されているが、そこでは細野豪志・首相補佐官、福山哲郎・官房副長官らがある部屋に頻繁に出入りしていた。部屋の主は、米国政府から派遣された「アドバイザー」で、名前も身分も一切明らかにされていない。

官邸の事務方スタッフは、その素性と役割についてこう説明する。

「その人物は米原子力規制委員会(NRC)のスタッフとされ、官邸に専用の部屋が与えられ、細野補佐官とともに原発事故対応の日米連絡調整会議の立ち上げ作業にあたった。常駐していたのは原発対応のために横田基地で待機していた米海兵隊の特殊兵器対処部隊(CBIRF)が帰国した4月20日頃までだが、その後も官邸に顔を出している。福島第一原発の水素爆発を防ぐために実行された窒素封入や、格納容器の水棺作戦などは、そのアドバイザーとの協議を経て方針が決められた」

原発事故対策統合本部長を務める菅首相に代わって、“決裁権”を握っていたというのだ。

官邸へのアドバイザー派遣は、菅政権の原発事故発生直後にオバマ政権が強く要求したものだった。当初、菅首相や枝野長官は難色を示したが、ルース駐日大使は福島第一原発から80km圏内に居住する米国人に避難勧告を出し、横田基地から政府チャーター機で米国人を避難させるなどして、“受け入れなければ日本を見捨てる”と暗に圧力をかけた。菅首相は3月19日、ルース大使との会談で要求を呑んだとされる。

外国の政府関係者を官邸に入れてその指示を受けるなど、国家の主権を放棄したも同然であり、GHQ占領下と変わらない。

しかも、その人物は「ただの原子力の専門家」ではなかったと見られている。

米国は震災直後にNRCの専門家約30人を日本に派遣して政府と東電の対策統合本部に送り込み、大使館内にもタスクフォースを設置した。3月22日に発足した日米連絡調整会議(非公開)にはルース大使やNRCのヤツコ委員長といった大物が出席し、その下に「放射性物質遮蔽」「核燃料棒処理」「原発廃炉」「医療・生活支援」の4チームを編成して専門家が具体的な対応策を練っている。

「原発事故対応のスペシャリスト」だというなら、統合対策本部や連絡調整会議に参加する方が、情報収集という意味でも効率的な働きができるはずだ。にもかかわらず、その後1か月間も官邸に常駐する必要があったのは、原発対応以外の「特別の任務」を帯びていたからだろう。



米民主党のブレーンから興味深い証言を得た。

「ホワイトハウスが、菅政権に原発事故の対処策を講じる能力があるかどうかを疑っているのは間違いない。だが、すでに原発処理についてはいち早くフランスのサルコジ大統領が訪日したことで、同国の原子力企業アレバ社が請け負う方向で話が進んでいる。

むしろ米国が懸念しているのは、これから震災復興を手掛ける菅政権が危うい状態にあること。オバマ大統領は、普天間基地移設をはじめ、日米間の懸案を解決すると約束した菅政権が続くことを望んでいる。

そのため、ホワイトハウスでは国家安全保障会議などが中心になって、日米関係を悪化させることがないように指導するオペレーションを震災後から展開している。“特別な専門家”の派遣もそのひとつと考えていい」



菅政権は米国の指導の下、国会では震災復興より米国への“貢ぎ物”を優先させた。3月末に年間1880億円の在日米軍への思いやり予算を5年間にわたって負担する「在日米軍駐留経費負担特別協定」を国会承認し、428日には、日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行(JBIC)を独立させる法案を成立させた。

JBICは米軍のグアム移転費用を低利融資する窓口になっているが、法改正によってこれまでは途上国向けに限られていたインフラ輸出への融資を拡大し、先進国も対象にできることになった。

経産省幹部はこう指摘する。

「菅政権は米国への新幹線輸出を進めているが、JBIC独立により、その資金を日本が拠出できることになる。アメリカも満足だろう」

※週刊ポスト2011年5月20日号 (引用終)



ところで、日本銀行が「東日本大震災」後の3月14日から8営業日連続で総額102兆6千億円の資金を銀行や証券会社向けのいわゆるコール市場、短期金融市場に投入していたことにも注目すべきである。(3月24日の朝日新聞)。

日銀、8営業日連続の資金供給 短期金融市場に2兆円
http://www.asahi.com/business/update/0324/TKY201103240098.html
 日本銀行は24日午前9時半過ぎ、銀行や証券会社などが必要な資金をやりとりする短期金融市場に2兆円の資金を供給する公開市場操作(オペ)を実施した。28日に金融機関に貸し出す分。日銀による大量資金供給は東日本大震災後の14日から8営業日連続で、資金供給の総額は102兆6千億円になる。


日銀が震災直後から銀行に資金供給した102兆6千億円はどこ に消えたのか?

 日銀は102兆6千億円もの金をすでに金融機関に流していた。しかしながら、この資金が震災被災者の救援や被災地の復興に直接役立っているという話は一切聞こえてこない。ではこの資金はいったいどこに行ったのか?
 日銀が資金供給した金融機関は3大メガバンク(三菱UFJフィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループ) と2大証券会社(野村証券、大和証券)である。この資金の使い道は「大震災の救済復興」を担当する政府ではなく直接は関係しない3大メガバンクと2大証券が握っている。3大メガバンクと2大証券は融資の回収リスクがあったり、融資リターンが低い案件には決して融資も投資もしないから、102兆6千億の資金の大部分はいわゆる「円のキャリートレード」として国際金融資本(ゴールドマン・サックス、シティグループ、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ、JPモ ルガン)に低金利で貸し出されていたことになる。

米国ユダヤ系投資銀行=国際金融資本はこれらの資金を投機資金としてBrics各国へ投資し現地経済をバブル化させ、先進国の株、債券、国債へ投機して国家財政を破綻させ、原油、金、食料への買占めで価格暴騰を引き起こしている。
 3月11日にマグニチュード9の大地震に見舞われた日本の株価を630円も暴落させ円を76円代まで暴騰させたのは、人の不幸に乗じて金儲けをたくらむ強欲な米国国際金融資本の仕業であることは言うまでもない。
 経済ニュースで時々報道されるように、巨額の財政赤字と貿易赤字をハイパーインフレで一気に解消しようとする目論むオバマ政権とFRBは大量のドルを印刷して米国ユダヤ系投資銀行に流している。
 日本銀行は米国支配層の要請に応じて表向きは「大震災対応資金」と称して大量の円を印刷してゼロ金利で3大メガバンクと2大証券会社に流し、その大部分は米国に流れ莫大な投機資金となっている。このように震災後、日本銀行は、国内対応とは打って変わって迅速に米国のためには本当にいい仕事をしている
 不思議の国、日本である。

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