「2011年を考える」
                                                               

 おそらく、昨年、秋の尖閣諸島問題に象徴されるように、2000年以降、急速に中国が経済力(もっとも中国がこのように大きな経済成長をすることを可能にしたのは、米国の「日本封じ込め」戦略にある)をつけてきたことによって、米国と中国の国際政治における覇権を巡る綱引きがより大きなものになり、日本をはじめとした周辺国が翻弄される時代が暫く続くと思われる。もっとも、仕掛けるのは米国であり、中国がそれに過剰反応するということなのだが、
 このことを副島隆彦氏は「中国バブル経済はアメリカに勝つ」(ビジネス社)という本で解説している。最も小生は、副島氏が指摘するように、中国がアメリカに変わって世界の覇権国になるとは思わない。今までのレポートでも申し上げたように世界は、多極化するのである。
 
 ところで、中国は1842年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国の独立に至る107年間、半植民地状態と国内の分裂を経験し、さらに49年から71年の国連復帰までは、「米国による封じ込め政策」を経験し、またソビエトの社会主義圏からもスターリン批判等によって排除され、孤立させられていた。おそらく、このような苦難の歴史の経験から、中国はとても強いトラウマをもっていると想像できる。
 こうしたトラウマが背景となり、現在の中国は被害妄想的とも言えるほど防衛的な意識が強く、それが外交政策にも強く反映していくと見るべきであろう。
 その意味では、中国には、日本の一部のタカ派評論家が言うような米国からの覇権の奪取を目的とするような拡張的な意図はないと見るべきであるし、自国の国力を中国のエリートは、我々が思う以上に客観的に把握していると考えてよいのではないかと思われる。
 中国外務省の実質的なトップであるダイ・ビングオ国務委員は「国益3原則」を発表している。それらは、(1)共産党政権の維持、(2)中国の統一性の維持、(3)経済的権益の確保の3つである。この3原則の範囲外の問題に関しては柔軟に対応するが、3原則が適応される領域では一切の妥協はせず、武力の使用も辞さないとしている。
 黄海や東シナ海、そして南沙諸島や東沙諸島などは3原則の適用範囲とし、妥協はしないとしている。
 そのために、中国は、このような原則を背景にして軍事力の増強と近代化を急ピッチで進めている。(もっとも中国の軍事費の増加要因に関しては、(1)の共産政権の維持のためのコストという側面も忘れてはならない。いわゆる7億人以上いると言われる農民の暴動を押さえていくためには過度に陸軍兵力の増強を図らなければならない宿命にある。)ロシアから購入した空母、「バリャーク」を乗員訓練用空母として導入したほか、米軍の空母機動部隊を撃退する性能をもつ最新鋭巡航ミサイル、そして第5世代のステルス戦闘機など多数の最新鋭兵器の導入を進めつつある。
 中国が「国益三原則」を強く押し出すとき、やはり黄海や南シナ海、さらに南沙諸島や東沙諸島で緊張が高まることになるはずだ。


2011年は米国と中国によって世界が大きく変化する

 2011年は、米国と中国によって世界が大きく変化する年になりそうである。その中で、中国と米国の覇権を巡る駆け引きが世界を動かしていく大きな要因になることは、間違いない。被害妄想的な気質の強い中国は、「国益三原則」を強硬に適用し、中国が自らのサバイバル圏として定めた地域でさまざまな矛盾・事件を引き起こして行くことになる。もちろん、そう言った方向に中国を誘導していくのが、米国の戦略である。
 そう言った意味で、注意すべきは、中国以上に危険な方向に舵を取っていく可能性のある米国である。
 ご存じのように、米国の覇権は、1980年代半ば以降、凋落傾向にあり、覇権が中国などの新興諸国にいずれ移行するはずだと言われて、すでに久しい時間が経過している。ともあれ、世界が米国の一極覇権構造から、多極化に向かっていることは、間違いないところである。
 ところで、現在の米国は、バブル経済の救済策として実施した量的金融緩和も手伝って、ドルの価値は下落し、そのためドル建て資産の信用失墜から米国債の下落に歯止めがかからず、FRBが米国債の大量購入を行ってなんとか予算のやり繰りをつけているような状態に陥っている。ここは一つ、冷静に日本という国がなければ、米国は、すでに予算を組めない状況であることを、もう少し、多くの日本人が認識すべきだと思われる。すべては、そのための米国の対日政策なのである。当然、少しでも見識がある人なら、このような状態であるアメリカの覇権がこれからも長く続くはずはないと考えるのではないか。
 現実にドル離れは急速に進んでおり、ロシアは中国向けのエネルギー供給で、ドルではなく決済通貨として元やルーブルを使用することにした。また中国は、マレーシアなど二国間で相互に国債を交換し、それをもとに自国の通貨を使って決済するシステムを拡大しようとしている。このような状況から、おそらく、基軸通貨としてドルが放棄されるのは時間の問題であり、それととももに米国の覇権も失われていくことになるはずだ。本年前半には、1ドル=70円台時代に入るのではないか。それに伴い金の価格が上がるのであろう。(もっとも米国は、一度、金価格の急落を仕掛けてくるだろうが、)
 
 ところで、国際政治における覇権とは何を意味しているのか?

 覇権とは、国際政治において頻繁に使われる言葉である。しかし、覇権とは、そもそも何を意味しているのだろうか?
 まず覇権とは何を意味しているのかはっきりしておきたい。
簡単にいうと覇権とは、利益誘導や軍事的な脅しなどを通して、他の国々の同意を取り付けたり、隷属を強いるなどして、自国の望む国際秩序を実現する力のことを指す。したがって、米国の覇権という場合、アメリカが自ら望み、自国の国益を実現できる秩序を世界各地に構築できる能力をアメリカが保持していることを指している。
 そうであるなら、米国の覇権の源泉は、どこにあるのだろうか。
アメリカの覇権は、今までは以下の四つの強力なパワーの源泉によって支えられていたと考えられよう。

(1)経済的な力
 巨大な国内市場を世界に開放し、ドルを唯一の決済通貨として世界経済の秩序を編 成し、これを調整する経済的な力。アメリカに従わない国を世界経済から排除する ことができた。(第二次世界大戦の勝利によってこの事が可能になった。)
(2)民主主義の象徴としての力
 長い間、アメリカは「民主主義」の象徴であった。自らの外交政策を民主主義の価 値によって制御し、フェアな外交を行うという象徴的な信頼感を作ることに成功し た。この信頼感=プロパガンダで多くの国々を納得させることができた。
(3)世界最大の軍事力
 アメリカの軍事力は、中国とロシアを含めた主要先進国すべてを合わせた規模より も大きい。唯一、世界的な展開力を持つ軍事力を保有する。従わない国を軍事的に 脅し、アメリカの国益を受け入れるように強制することができた。
(4)情報力
   インターネットや軍事衛星等を使った情報収集力、及びそれらを活用できる世界 一の諜報機関を持っている。

 これまで米国は、この四つの力で他の国々を圧倒し、世界のさまざまな地域をコントロール下に置いた。そうすることで、アメリカの国益に合致した世界秩序を実現することができたのである。
 そして、これら四つの中でも突出していたのは、やはり(1)の世界経済を編成する力である。その意味ではアメリカは、世界経済を編成する資本の力として覇権を維持していたといってもよい。これこそアメリカの覇権の特徴であった。
 しかし、これらの力は長く持続することはできなかった。次第に綻び、失われる方向に向かった。まず(1)だが、特にリーマンショック以降、バーチャルな金融テクノロジーで膨張させていたアメリカの個人消費は大きく落ち込み、世界最大の市場としての位置を次第に失いつつある。このため、かつてのようにドル建ての投資がアメリカに還流しにくくなり、その結果、ドルは大幅に下落するようになった。それとともに米国債も下落し、ドルの信用が不安定になったため、ドル離れが急速に進行しつつあるのが現状だ。
 この結果、アメリカは世界経済を編成する力を失いつつある。その意味で、(1)の力の源泉は急速に失われつつある。もちろん、現在でもドルは基軸通貨であるものの、将来的には中国やEU、そしてロシアやインドを含んだ多極型の決済通貨システムに移行しつつあるのが現状である。
 さらに(2)も、1990年代には民主主義の象徴としてのイメージはかろうじて維持していたが、2003年のイラク侵略以降、それも完全に地に落ちてしまった。いまでは国内の共和党右派や超保守派のティーパーティー運動などの人々だけが熱狂的に信じる幻想程度のものでしかなくなった。イラク侵略以後、アメリカの民主主義の熱狂とは、結局、アメリカのナショナリズム(国粋主義)を合理化する口実に過ぎなかったことが露呈した。アメリカの民主主義は国際社会に対して、説得性を失いつつある。
 
 ではこれで米国の覇権は、終焉するのであろうか?

 確かに、経済的な力も民主主義の象徴的な力もアメリカは急速に失いつつある。だが、だからといって、これがそのまますぐにアメリカの覇権の喪失に直結するかといえばかならずしもそのようには言えない。
 米国にはまだ、世界最大の軍事力が残っている。これによる圧力と脅しによって、自らの国益に合致した国際秩序を無理に維持することはまだ、十分可能である。
 しかし現在のアメリカには、それだけの規模の軍事力を維持するだけの経済力はもはやないのではないかとの指摘も確かにある。
 だが逆に、強大な軍事力を行使して世界各地の緊張を煽り、そうすることで同盟国の結束を図りながら、米国の軍事力を同盟国に維持させるという方法は十分に可能である。事実、日本が毎年支払っている米軍基地の維持費、「思いやり予算」などはその典型である。

覇権の喪失に抵抗し、変質する米国

 ジャパンハンドラーズのリーダーであるジョセフ・ナイの論文にもあるように、現在のアメリカは自身の覇権を放棄する意志はない。そしてもし、米国が覇権を維持する方法がその極端に突出した軍事力しかなくなっているとすれば、今後アメリカは、覇権の維持で軍事力への依存を深め、軍事力を全面に押し出して来る可能性が高いと考えるべきであろう。
 米国は、あらゆる手段を使って、世界各地でその諜報能力を使って緊張を煽りながら、多極化の方向を無理矢理押し止どめ、覇権を維持する方向へと向かうと見ることも十分に可能である。

 その意味では、現在の中国の強硬な態度は逆に米国にそのチャンスを与えているとも言えよう。
 一方中国は、今年も「国益三原則」を南沙諸島や東沙諸島、また黄海や東シナ海に適用し、かなり強硬な態度に出て来る可能性が大きいと思われる。1月13日から中米首脳会談で、ある程度の妥協が成立したが、基本的に中国は強硬な態度を保持する可能性が高いと見た方がよい。
 しかし、中国の強硬な態度が高める地域の緊張は、軍事力しか頼る手段がなくなった米国にとって、緊張を利用して同盟国の結束を固め、覇権を維持する絶好の機会を与えることに繋がる。
 昨年の9月、米国によって演出された尖閣諸島騒ぎで見せた中国の強硬な態度は、中国ーアセアン自由貿易協定で中国と蜜月ムードにあった東南アジア諸国の態度を一変させ、アメリカへと結集させた。(現在、騒がれているTPPもその流れである。)今年もこれと同じことをアメリカは行うと見ることができる。本年も、アメリカの方から世界各地で緊張を高め、覇権の維持を積極的に図っていくのではないか。今回の北朝鮮のヨンピョントウ攻撃はこうした実例であろう。
 このような過程を経てアメリカは、これまでのどちらかというと経済的なパワーから、軍事的なパワーへと急速に変質することによって覇権国を維持しようとする戦略に打って出てくる可能性が高い。
 このことは、軍事的な対立の局面が今年は非常に多くなる可能性があるということを意味している。もちろん、そのことは石油価格、金価格等に大きな影響を与えることは、言うまでもないだろう。

 米国のこのような動きのなかで、現在、衆目の一致するところであるが、「政権交代」した日本の政治は、菅直人総理のうつろな目に象徴されるように完全に機能不全に陥っている。
以前のレポートでも指摘したように、冷戦構造の世界にあっては、全く好都合であった戦後作られた「日本というシステム」が、機能しなくなっている。米国のエリートと戦後既得権を得た日本のエリート(政治、官僚、経済界、マスコミ)の利益のために現在、国益(一般国民の利益)が失われているのである。今から振り返ると国際社会における冷戦構造は、彼らの私的利益と国益が一致した幸福な時代であったと言えるのかもしれない。その成功体験があまりに鮮烈なので、いまだに民主党、自民党の国会議員の多くが、冷戦時代の日本に戻ることができるというアナクロニズムに陥っている。このことが、現在の日本の政治を閉塞状況に押しやっていると考えてもいいのかもしれない。
 このような政治の閉塞状況のなか、愛知県での河村たかし名古屋市長、前衆議院議員大村秀章氏の県知事、市長選のダブル選挙の「地域政党」的な動きが今、東京をはじめ、全国から注目されている。今後の動きによっては、日本の政治の閉塞状況を打ち破る本物の動きの切っ掛けになるかもしれない。
 当事者である河村たかし氏が「VOICE1月号(2011)」に論文を載せているので、分析してみよう。(以下引用)

          『「減税に抗する「職業議員」との激闘記」
                                                                       河村たかし(名古屋市長)


まず、わが身を削れ

 平成22年12月8日、私が提出した、市民税10%減税を恒久化する条例案と、市議会議員報酬を1,630万円から800万円に半減する条例案が、名古屋市議会によって否決された。とりわけ市民税10%減税は、私が市長に立候補したときに名古屋市民の皆さんに訴えた「一丁目一番地」の政策。それが否定されてしまったのである。
 10%の市民税減税は、平成22年度から恒久減税として実施したかったが、市議会が同年3月に条例を「平成22年度に限って実施」と修正してしまっていた。今回それを覆すどころか、そもそも否決されてしまった。平成23年度に減税を継続させることが、これで不可能になった。
 なぜ、こんなことになったのか。そしてなぜ、私はこの点にこだわって戦いを続けているのか。いま、あらためて考えを述べたいと思う。
 まず、減税についてである。なぜ減税をせねばならないのか。そう問われたとき、私は「民間の企業は、どこも厳しい価格競争のなかで、知恵と汗を振り絞ってコストダウンを実現しているのに、行政だけ税金を取れるのをいいことに、のうのうとしていることが許されるのですか」と答えることにしている。私も30年余り、厳しい価格競争のなかで家業である古紙業の商売をやってきたが、その間、「財源がありませんので、値引きできません」などといったことはない。当たり前だ。そんなことをいったら、取引先にも相手にされなくなり、たちまち会社は潰れてしまう。
 行政も、まずは減税を行なうことによって、わが身を削り、行財政改革を実現していくべきなのだ。いま、民主党が国政に「事業仕分け」を導入しているが、そもそも、どこの企業がそんな手法を導入しているだろうか。商売は、そのように甘いものではない。商売上の値引きは、いってみれば毎日減税をしているようなものである。収入が減るとなれば、四の五のいわずにそれに対応せねばならなくなるのだ。
 さらにいえば、行政の無駄遣いがどこにあるか、いちばん知っているのは、担当部局の部局長であって、第三者の仕分け人ではありえない。就任当初、市役所のある職員と懇談していたら、「市長が本当に減税をやり、しかもその分を市民に返すというので、それならひと肌脱ごうと思った。減税がなかったらできなかったですよ」と話してくれた。人件費にしても、外郭団体の無駄遣いにしても、これまでなら、「まあ、ええわ」で済ませてきたものを見直してくれたというのである。実際に、平成22年度の市民税減税によって161億円の収入減となったのだが、市の職員たちは行財政改革によって185億円の財源を生み出したのである。
 しかも、それはよりよい公共サービス実施との合わせ技であった。名古屋市は、500円の「ワンコインがん検診」や、市交通局の「学生定期券」(自宅から学校の最短経路に限らず、アルバイトや習い事等の経路など、自由な区間で学生定期券を買える制度)、水道料金の最大1割値下げなどの行政サービス拡充を、減税と両立させてきた。行政も、民間の商売と同じように、税金を減らしつつ、よりよい公共サービスを提供することが重要なのだ。
 このようなことをいうと、名古屋市が平成20年以降、市債の起債を増やしたことをとらえて、「借金を増やして減税の成果を語るとは何事だ」と批判する人が出てくる。待ってほしい。現在、地方財政法で、地方自治体が市民税減税を行なう場合、国が設定している標準税率(6%)に満たない場合には総務大臣の許可が必要だと決められている。借金に頼って減税をすることを防ぐためだが、名古屋市は「減税による減収額を上回る行財政改革の取り組みを予定しており、世代間の負担公平に一定の配慮がなされている」と認められて、起債しているのだ。
 それに、名古屋市の市債残高は、平成20年から平成22年までで3.16%増加しているが、政令指定都市合計(平成19年度以降になった団体を除く)では、同期間に市債残高は3.2%増加している。つまり、名古屋市だけでなく政令指定都市全体も増加しているのだ。これは当たり前の話で、これだけ経済が厳しいのだから、民間経済を活性化させるためにも、市債を増やしてでも事業をしていかねばならないのである。
そもそも、不景気になって民間の投資マインドが冷え込んでしまうと、「貯蓄過剰」の状況が生まれてしまう。たとえば、最近の全国銀行の預貸率は73%ほどだという。預貸率とは、集めた預金などに対する、貸出し金額の割合のことだから、簡単にいえば、100万円の預金を集めたのに、73万円しか民間に貸し出せなかった、ということである。残りの27万円は貸し先がないという状況なのだ。
 このような場合には政府が、そのお金を借りて有効に使うようにしなければ、お金の行き先がなくなって金詰まりの状況になってしまう。
 これが、いま国債の発行が増えている状況の裏側である。つまり国債発行のかたちで、民間で行き先がなくなっているお金を使わなければ、経済はますます冷え込んでしまうのだ。それも考えずに、ただただ「日本は財政危機」と危機を煽りつづけるのは大きな間違いなのである。
 ギリシャの破綻を例として財政危機を強調する議論もあるが、それも間違いだ。ギリシャは国債を発行して「公務員天国をつくった」から潰れたのであって、「国債を発行したから潰れた」のではない。さらによくいわれるように、ギリシャは国債を外国に買ってもらっていたのに対し、日本は国内の貯蓄過剰分で賄っているのだから、その性質もまったく異なる。
 日本の官僚が、「いま日本には約900兆円の借金がある。この状況の改善が急務で、増税こそが正義だ」と国民を洗脳しているが、そんなことは嘘八百だ。
 経済回復させるためには、まず「減税」を実現させて、行財政のムダを省くとともに、民間の手元に残るお金を増やして経済を活性化させる。そして民間の貯蓄過剰分を国や自治体の債券で吸収し、有効に使う(公務員天国をつくるのではなく、経済活性化のために使う)ことによって、活発なお金の流れを取り戻すことが肝要なのである。


議員が「悪い王様」に!

 名古屋市は、率先して「減税」に取り組もうとしたのに、なぜ市議会が反対したのか。ここに、いまの日本の政治の大きな問題点がある。議員が「職業化」して税金議員になってしまっていることが、大変な弊害をもたらしているのである。
 議員たちが「減税」に反対するのは、自分たちの既得権と真っ正面からぶつかるからである。まず、減税をすると、議員たちが使い途を決められる金額が減ってしまう。これは議員たちからすれば自分たちの権力の源泉の一部を手放さなければならないことになる。さらに、自分たちの報酬が減ることにもつながる。市の職員たちが身を削って行財政改革を進めているのに、議員だけが高額の報酬を貰いつづけるわけにはいかなくなるからだ。
 議員の既得権固守を象徴する、もう一つの出来事が、名古屋で進めようとしている「地域委員会」への抵抗である。
 これは名古屋市内の小学校の学区単位で、ボランティアの地域委員を住民の投票で選出し、彼らに地域の課題とその解決策を検討してもらい、実際にその取り組みに対して予算付けをしていくものである。「住民が協力して、自らの手で自分たちの町をよりよくしていく」ことで、地域コミュニティの活性化を図ろうというプランだ。すでに平成22年にモデル事業を行ない、「歴史的建造物を活かしたまちづくり」「健康パトロール」「安心安全なまちづくり」など、創意工夫あふれる取り組みがなされるようになった。
 だが、市議会はこの事業を拡大させる予算案にも反対をした。議員たちからすれば、これまでは地域で選ばれるのは自分たちだけだったのに、そこに地域委員が現われた。考えようによっては、地域委員は、いつ自分の対抗馬になるかもわからない。家業を守るために、地域の民主主義の芽をつぶそうとするのである。
 歴史的にみれば議会制の始まりは、かつて国王が勝手な税金を掛けてくるのに市民たちが対抗したことにあったはずだ。だが、日本では議員が職業になり、家業化することで、より税金を安くするにはどうするかを考えるのではなく、どうすれば自らの報酬と地位を守れるかということばかりに頭を働かせるようになってしまった。議員自体が、「悪い王様」と変わらぬ立場になってしまったのである。
 私が議員報酬の半減を訴えたのは、このような問題意識があったからだ。議員はパブリックサーバント(公僕)であり、市民の給与と同じ水準でやるべきではないか、と考えたのである。
 まずは「隗より始めよ」で、市長の給与を年額2,700万円から800万円に減らし、さらに4年ごとに4,220万円もらえる退職金を廃止した。そのうえで、議員の報酬も800万円にしようとしたのだが、それが猛烈な抵抗に遭うことになった。
 日本は議員の数が多すぎるうえに、報酬が高すぎる。名古屋市は人口約226万人で議員定数75人、報酬年額(制度値)は約1,630万円。だが、シカゴは人口約283万人で、議員定数は50人、報酬年額は約910万円。ロンドンは人口約756万人で議員定数は25人、報酬年額は約690万円である。バンクーバーは、議員の給与を市内の平均所得に合わせているという。
 このようなデータを示しても、「議員は選挙にお金がかかる。事務所にも経費がかかる」などという人がいる。しかし、そのようなものは本来、寄付金で賄うべきものではないか。
 また、議員の報酬を減らすと庶民が議員になりづらくなる、などという議論もあるが、それも大きな間違いだ。海外のボランティア議員は、ボランティアだからこそ多選せずに早く辞め、そのぶん次々に庶民が議員になっていく。しかし日本では、議員が家業化しているので高齢になるまで選挙に出馬しつづけ、やがて世襲して議席を占拠しつづける。政治に参加できる人が結果的に限られてしまうのだ。
 現実問題として、現在、お金も何もなくて選挙に勝つケースが、どれほどあるだろうか。新鮮感があるためか、ただ若いというだけで議員に当選する最近の風潮もあるが、それはそれで問題だろう。社会経験が未熟なのに正しい政治ができるのか、疑問な点も多々あるからだ。
 いずれにせよ、「権力とは税金を取ること」であり、いまや職業議員たちがその急先鋒になっていることが、今回、私が提出した条例案の否決で明らかになったことは間違いない。


燃え上がった市民の怒り

 自らの掲げる「一丁目一番地」の政策が否定されたとき、政治家はどうすべきか。私は、そこで市民に対して市議会の解散請求(リコール)を呼びかけ、市民もそれに応えてくれた。この私の行動に対して「市長も、市議会議員も、それぞれ市民に選ばれた代表であり、市長がその議会の声を聞かないのは、二元代表制の原則を踏みにじる、独裁的横暴だ」などという声が挙がる。だが、私はその意見は間違っていると思う。
 私は、年収800万円とはいえ、市民の血税をいただいている。しかも、市長に当選するうえでの最大の公約が「減税」であった。それを否決されて、「議会の意向なので、どうしようもないんです」といって済む問題だろうか。しかも市議会は、私の政策を実行すれば既得権を侵される立場にある「当事者」だ。その議会に否決されて、諦めろというのか。
 総理大臣ならば、衆議院を解散して民意を問うことができる。ならば、市長が信念を貫き、市議会リコールの旗を振って、何の悪いことがあるだろうか。しかも、それは民意に問うことなのだから、けっして「暴君」などといわれるいわれはない。
 まことにありがたいことに、5万人弱にも及ぶ方々が署名を集める受任者として必死に走り回ってくださり、リコールの署名は、約466,000人分集まった。だが、思わぬ抵抗に遭うことになった。市選挙管理委員会が、署名の審査を厳正に行なうとして、審査期間を1カ月延長したうえに、結果的に11万人分以上を無効としたのである。このため、一時は、住民投票成立に必要な365,795人に届かない、ということになった。
 むろん私とて、その審査が適正なものならば異論はない。だが、その審査はあまりにも「度を越した」ものであった。これまでの審査では、市民の直接請求権を尊重する意味で、比較的緩い基準が取られていた。今回の署名活動も、それに準じて行なわれていた。だが、署名の提出が終わった9月30日に開かれた市選挙管理委員会の議事録に、「今回の署名の目的は市議会の解散であり、署名の審査はより厳格にしていく必要がある」とあるように、基準が厳しくされたのである。
 そして、とてつもないことが行なわれた。11月29日付の『中日新聞』によれば、住所の地番「20-3」が「20・3」にみえるという理由で無効にされたり、受任者の住所欄に書き損じて2平方ミリメートル程度の点が残ってしまっていたものを、請求代表者の「訂正印なし」という理由で無効とするなど、やりたい放題だったというのだ。高齢のため字を上手に書けず、それを無効だといわれて「わしも長く生きすぎた」と肩を落とした方がおられるという話も聞いた。「電話帳を写した可能性がある」などと、ひどいことをいう人がいたが、生年月日を書かなければいけないのだから、そんなことができるわけがない。
 なぜ約11万人分の署名は、無効にされたのか。市選挙管理委員四名のうち、3名が市議会OBだといえば、疑念を抱く人もいるかもしれない。審査基準も、前出の『中日新聞』が報じるところによれば、選挙管理委員会事務局長が「事務局としては、これまでの実例・判例からそこまで明確にしてよいものか疑問は残ります」といったのに、委員がそれを遮って厳格化させたという。
 議員の立場を守るために、そこまでして、市民の権利を踏みにじる「署名の虐殺」が行なわれたのだ。民主主義の仮面を被った独裁政治のような恐ろしさを肌身に感じた思いがした。
 当然、このような審査に、市民の怒りは燃え上がった。署名を無効にされたことへの異議申し立ては3万件を超えたのである。かくて2010年12月15日に、リコールを問う住民投票のため必要な署名数が確定したのであった。
この場合でも、即解散になるわけではなく、議会解散の是非を問う住民投票を経て、解散となる。民意を問う場が署名審査の次の段階に控えていることを考えれば、「署名虐殺」に走った今回の名古屋市選挙管理委員会の対応は、どう考えても異常であった。署名の審査に際して選挙管理委員が優先すべきは、「市民の政治活動の自由を守ること」であるはずだ。
 私は市長就任以来、「民主主義発祥の地ナゴヤ」という言葉を掲げてきた。だが、まさにいま「民主主義の真価」が問われているのである。


首長経験者の力をもっと国政に

 いま「中京都構想」を掲げ、来る愛知県知事選に立候補予定の大村秀章氏や、同じく「大阪都構想」を掲げている橋下徹大阪府知事と連携することを考えている。これは、愛知県と名古屋市を一体化し、現在、県と政令指定都市とで重複している行政を効率化することによって、減税を全県規模に拡大していこう、という考えである。
 ここで気を付けねばならぬことは、この構想の主たる目的は「県と政令指定都市の一体化」という間仕切りの話ではなく、あくまでその結果実現される「減税」にある、ということである。
 市民からすれば、間仕切りの話だけでは、何の意味もない。「減税」こそ、本稿でみてきたように大きな抵抗に直面する可能性が大きいが、市民の幸せに直結するものであり、全力で取り組むべき課題なのだ。
 私は衆議院議員を経験したのちに市長を務めたわけだが、国のためにお役に立とうと思ったら、「地域を経営する」という地方自治体の首長の経験はきわめて有意義なものだと実感している。首長経験者の力をもっと国政に反映させることができれば、日本の政治も、いまのように改革にも取り組めず、大事なことを何も決められない状況から脱することができるのではないか。橋下徹氏ら改革派首長や日本創新党などの首長経験者と連携し、声を挙げていきたいと考えている。
 いちばんの近道は、首長や地方議員と国会議員の兼職を認めるようにすることだ。すでにフランスなどでは行なわれており、十分に実現可能である。いま家業を継ぐ「職業政治家」ばかりになり、政界へのリクルート力が大幅に低下してしまった。それを打開するためにも、有効な一手だ。
 二番目は首長グループをつくっていくことであろうが、やはり旗印は「減税」であるべきであろう。世界の政治をみても、たとえば「アメリカの共和党が減税で民主党が増税」というように、ここが最大の対立軸になっている。私も日本の民主党を「減税民主党」にすべく努力してきたのだが、いまや国会は右も左も、みな「増税勢力」になってしまった。これではいけない。
 実際に改革に取り組んできた首長は、「納税者のみなさん、ありがとう」という実感を強くもっている。この得難い実感を結集し、増税勢力と対抗できれば、日本の国は見違えるような元気な国になるはずだ。ぜひ、それをめざしたい。 』(引用終わり)


 どのように考えられるだろうか?

 間違いがあるので、最初に指摘させていただきたい。米国の地方議会において、特に市議会においてボランティア議員が多いのは、米国においては、州政府がほとんどの行政の仕事をこなしているので、市役所の仕事が日本に比べると極端に少ないということに理由がある。アメリカにおいても国会議員には、世襲が多いことは、大統領選挙を見ていれば一目同然であろう。つまり、職業議員が多いということである。
 
 新自由主義を主張したマネタリストの経済学が破綻した今、生き残っている経済学は、ケインズだけである。その意味で、この論文で、河村氏が主張している減税して、民間に金を回して、需要不足は、公が起債して財政支出すると言う政策は、その意味で理に叶っている。もちろん、減税分を行政改革で浮かせるということが絶対条件ではあるが。また、河村氏のソブリンリスクに対する考えも大旨正しい。もっと言うならば、マスコミは、指摘しないが、日本国債の問題より、一番の問題は、米軍に防衛してもらっているという不可思議な占領状態のなかで米国の連邦政府や州政府の財政赤字を日本がファイナンスし過ぎていることである。現在の米国の経済状況では、おそらく、返ってくる当てのない米国債や、カルフォニアのような財政破綻している州債を大量に買わされていることの方がよほど大問題であろう。
 また、多くの改革首長に地方議会がこのような批判にさらされているのは、残念なことだが、現状の選挙制度で当選してくる議員の資質の低さにも原因がある。ろくな政治・経済の知識もなく、議員になった場合、二元代表とは言え、チェック機能が働かないのは、当然であろう。しかし、そうは言ってもそう言った議員を当選させたのは、一般有権者である。卵が先か、鶏が先かの議論である。
 考えるに、議員の定数が多すぎるのである。悪貨は良貨を駆逐するのである。そのために地域代表的な選挙が展開され、議員の資質が二の次のなるのではないか。
その意味では、地方自治法に規定された二元代表制をしっかり機能させたいのであれば、定数を絞って専門性をを高めることが必要不可欠になってくる。
 また、すべての議員がボランティアになってしまえば、首長の独断専行をチェックすることは、事実上、全く不可能になるのでは、ないかとも考えられる。
 氏の指摘を待つまでもなく、ヨーロッパのように地方議員や首長と国会議員の兼業を認めることは、政治の効率を高めることに繋がる。これから大いに検討すべきであろう。
 

 ところで、大村氏や河村氏がタッグを組んで「大名古屋=中京都」を作り、中京圏の経済効率を高めることは、大いに結構なことだが、わが東三河は、周辺地域に埋没する危険性もこの政策は秘めている。この地域のためには今一度、リーダーシップを執る首長がいない現在、東三河全体の政令指定都市化を、広域連携を真剣に考える地域政党的な動きが、急務になる展開が待っているのではないかと考えられる。心ある方にこのことを真剣に考えてもらいたい。

                          *今回は本の紹介です。
                                                               
 ところで、日本の政治経済の大きな動きを間違いなく読み取る一つの法則・秘訣が存在することをご存じだろうか。
 戦後の政治経済の動きは、善悪を超えて、この視点で眺めることによってすべてのマクロの政治・経済の動きが整合性をもって読むことができるのである。
 今までのレポートでも時々紹介してきたが、その秘訣は、すべての幻想、思い込みを捨てて、日本が戦争に負けた国であり、現在も米国の実質上、植民地(属国)であると冷徹に眺めることである。おそらく、今までは、この視点を貫徹することによって、日本の政治経済の大きな動きは間違いなく読み取ることができたのである。
 
  今回、紹介する本、植草一秀著「日本の独立」(飛鳥新社)は、そのことを逆証明するような本である。植草氏と言えば、「シャルウイ・ダンス」の周防正行監督が「それでもボクはやっていない」という映画に取り上げた痴漢冤罪事件で有名になってしまったエコノミストである。
 彼は、米国の後ろ盾を得て日本の権力の頂点にいた小泉・竹中氏の経済政策を強烈に批判していたので、当然のように不可思議な事件に巻き込まれて一時、完全に表舞台から追放された人間である。 そのために彼は、米(アメリカ)、官(官僚組織)、業(財界)政(議員を中心にした政界)、電(マスメディア)に対して「悪徳ペンタゴン」という過激な言葉を使うので、もしかするとアレルギーを起こす方がいるかもしれない。
 しかし、このことを大阪大学の教授松田 武氏はもっと上品に、学術的に「『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー――半永久的依存の起源』(岩波書店, 2008年)で解説しているので、松田教授の本を読めば、植草氏の言っていることが大旨理解できるはずである。
 
 一言で言ってしまえば、日本という国では、米国の都合と日本のエリートと言われる人々のある意味、私的利益のために、「戦後」がかくも長く続いているのである。  経営コンサルタントの船井幸雄氏がこの本を紹介しているのでご紹介する。以下。

 『この本『日本の独立』の内容は、まったくよく分ります。特に小泉・竹中両氏の権力者としてやったことについて彼なりに詳しく解明しています。
 私は同書により、「そごう」が最終的につぶされた理由を知りました。
 私にとりましては、世界一の百貨店を目ざして驀進していた「そごう」が2000年7月に突然、西武百貨店に合併され、その後、実体としては世間から消えてしまい、水島廣雄さんが晩節を汚さねばならなかった本当の理由がなかなか分らなかったのです。
 もっとも深く力を入れて付きあってきた百貨店ですし、水島さんには長年いろんな意味でお世話になりました。
 残念で仕方のないことだったのですが、この本を読んで理由がはっきりしてきました。
 経営者にとっては、政治家と銀行家は、どんなに親しくとも信用してはいけないようです。が、政治とか金融とかの世界の実態とは、そんなものなのでしょう。
 本書のサブタイトルは“主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘”となっています。
 とりあえず目次を紹介します。
まえがき

I 六・二クーデターの真実
第1章 信なくば立たず
第2章 対米隷属派による政権乗っ取り
第3章 日本の支配者は誰か
第4章 小泉竹中政治への回帰

II 小泉竹中政治の大罪
第5章 日本経済の破壊
第6章 官僚利権の温存
第7章 政治権力と大資本の癒着
第8章 対米隷属政治
第9章 権力の濫用と官邸独裁
第10章 平成の黒い霧(1)新生銀行上場認可
第11章 平成の黒い霧(2)りそな銀行の乗っ取り
第12章 平成の黒い霧(3)郵政米営化・郵政私物化
第13章 平成の黒い霧(4)「かんぽの宿」不正払い下げ未遂事件
第14章 平成の黒い霧(5)日本新興銀行設立の闇

III この国のかたち
第15章 大久保利通と官僚主権構造
第16章 米国による日本支配構造の系譜
第17章 対米隷属の父・吉田茂
第18章 CIAの対日工作
第19章 カネによる政治の支配

IV 菅直人政権の「逆コース」
第20章 政権交代に託された5つの課題
第21章 財政再建原理主義・市場原理主義の毒
第22章 「最小不幸社会」政策下の不幸放置
第23章 「抑止力」という名のプロパガンダ
第24章 官僚意識を変革する秘策

V 主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘
第25章 小沢一郎氏の『政治とカネ』問題研究
第26章 前近代の警察・検察・裁判所制度
第27章 菅直人と小沢一郎の全面戦争
第28章 政界再編と日本のルネサンス
あとがき

 この本は、本体1714円ですが、ふつうの人なら2-3時間で一読できます。
 日本人なら、絶対に読んでおいた方がよい本だと思います。政治家や官僚というのは、どんな人たちなのか、米国とはどんな国なのか、日本に対しての彼らの考え方は?
 その米国の代理人のような日本の政治家や官僚の思考と行動は……などが、植草流の見方ですが、本書でだれにもはっきり分ると思います。
 しかも彼の見方は、ほとんど正しいようだ……と私は思うのです。
 充分に調べていますし、論理に矛盾がありません。
 はっきり言いまして最近読んだ本の中で、本書くらいアタマをすっきり整理してくれたのは他にありませんでした。
 私は、いまの資本主義や、利権がらみの政治や行政には、そんなに興味を持っていません。エゴまみれ、お金まみれの人非人たちのキツネとタヌキの化かしあいのような世界のようで、こんな世界がそんなに永続しないのは、まちがいないでしょうし、時流が、そのように動いていると思うからです。
 それでも、植草さんが、この本で書いていることぐらいは知っておいた方が絶対によいと思います。
 できることなら、日本国民としてとりあえず本書の内容を、信じる信じないは別にして知っておいてほしいと思い、きょうここに、紹介することにしたのです。
 できれば1800円を投じて、本書をぜひ御一読ください。』

 以前、「壊れ始めた日本」というレポートに書いた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」が日本国の中にしっかり存在し、日本人の国益を一般人にはわからぬように奪い取っていくシステムが戦後の1945年から1970年の間にほぼ完成しているのである。
 
そのシステムを植草氏は「悪徳ペンタゴン」と言い、松田教授は、「戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー」と言っているのである。
 米国がその覇権を維持するために、軍事力、政治力によって自国経済の空洞化を埋めようと悪戦苦闘している現在、、善悪を超えてその実態を知っておくことは、これからの日本社会を考える人には、必要不可欠だと思われる。是非、一読を勧めたい。

                                                    「壊れ始めた日本」(1)
                                                               
 
 数々の外交の失態、警視庁の国際テロ捜査資料の流失、海上保安庁の中国漁船衝突ビデオ流失事件、もしかすると、現在、「戦後作られた日本という国のシステム」が壊れ始めているのかもしれない。
 
 間違いなく言えることが一つあるような気がする。第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能したのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと我々は、考えるべき時期を迎えたのではないかと言うことだ。
 事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンパッシング」と称する日本経済封じ込め戦略を着々と実行し、結果、現在の中国経済の成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたのであろう。
 兎も角、現在、機能しなくなった日本の戦後システムすべてを見直す時代に入ったことは、間違いあるまい。以前にも書いたが、米国に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、本当の意味で日本の未来を切り拓くことは、できないことをある程度の人々が共通の認識として持てるようにすべきではないかと思われる。
 戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。もう、そろそろ心ある日本人は、「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるのではないか。知識人と言われる方々に期待したいところである。

 十年以上前の話だが、人生の大先輩に「日本永久占領」片岡鉄哉著(講談社α文庫)を読んでいただき、感想を聞かせていただいたことがある。
 そして、その人生の大先輩は、こう言われた。「確かにこの本に書いてあることは、真実だと思う。しかし、戦後の貧しさを考えれば、現在の日本は本当に豊かになった。米国との関係で、世界一の債権大国の豊かさを日本人一人一人が享受しているわけではないが、仕方がない。」と。
 
 果たしてそうだろうか。

「日本永久占領」という本のテーマは、日本を狂わせたのは、戦後、米国から押しつけられた「日本国憲法」であり、ゆえに、憲法が作られた過程、そして、日米関係において、本来、進むべき道が、吉田茂とマッカーサーによって、著しく歪められたという事実の論証にある。現在の沖縄の基地問題しかり、自衛隊の問題もしかり、日本政府の国際政治の対応もしかり。全ての問題の根源は、この本で書かれている歴史を知らない限り、何も解決はしないと言っても過言ではないかもしれない。
おそらく、このままの状態を放置すれば、日本は米国による永久占領状態に止まることになるのだろうが、米国にその状態を維持するだけの覇権力が残っていないとしたら、我々はどうすべきなのか、真剣に考えなければならないだろう。

 ところで、日本の戦後を形作ったのは、象徴天皇制と平和憲法と日米安保条約の三点セットである。そして、昭和天皇自身が日本の戦後体制の形成に大きく関与していたというのが、日本人が聞きたくない、語りたくない歴史の真実なのである。さすがに、片岡氏は、吉田茂の政治行動に関与した昭和天皇の戦後直後の二重外交には、全く触れていない。小生は、この事実を、最近、数冊の本によって確認したために、日本人として大変深い悲しみを胸に抱えることになってしまった。
 昭和天皇自身は、自身が導いた属国日本が、冷戦終了後、米国に巧みに経済的に収奪され、漂流する日本国となった姿を見ることなく、崩御されたのは、まことに幸運なことでは、あった。
 
 ここで、今から約60年前である1949(昭和24)年に、米国が日本で一体何をしたのかということについて振り返ってみよう。
 1949(昭和24)年、日本は「主権国家」ではなかった。なぜなら、第二次世界大戦における敗戦により、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による支配を受けることになったからである。そして、そのGHQを事実上仕切っていたのが、かつての敵国である米国であった。不平等条約(吉田 茂はこの事を熟知していた)である「日米同盟」が連呼される今となってはもはや信じがたいことであるが、この時、米国は日本をどうすることもできた全能の勝者であり、日本はなすがままに任せるしかない悲しき敗者なのであった。
 GHQは日本を占領統治するにあたり、「民主化」と「非軍事化」を掲げ、一斉に日本で構造破壊を始めた。しかし、爆撃機B29による連日の空襲で焼け野原となり、工場が崩壊する中、消費財の生産など一切ままならなかったのが、当時の日本の状況である。しかも、戦地からは続々と人々が引き上げてきて、「需要」は急上昇した。 その結果、「モノ不足」とそれに伴う「価格の急騰(=ハイパーインフレーション)」が日に日に深刻となり、日本政府の失策も重なって、もはや経済崩壊の危機にまで陥った。
 ところが、GHQは米国本国から「日本の経済復興」を当初、宿題として課されてはいなかったため、インフレを抑えるどころか、逆にそれを加速させるかのように「構造破壊(たとえば財閥解体)」を熱心に進めていったのである。
 しかし、1947(昭和22)年ごろになって状況は一変。それまでも不審な動きを見せていたソ連が北ペルシアでの撤退期限を守らなかったことから、一気に東西冷戦が始まったからである。あわてた米国は世界戦略を練り直すはめとなった。その中で、日本を一体どうすべきかということが議題に取り上げられたのである。
 そして、そこで行われた集中的な日本戦略見直しの結果、一人の銀行家が日本に「救世主」として派遣されることとなった。デトロイト銀行の頭取として腕をならしていたジョセフ・M・ドッジである。日本史を学んだことのある方であれば、「ドッジ・ライン」と聞けばピンとくるはずだ。彼が超緊縮型の予算案を日本政府に提示したとき、日本側はこれを「ドッジ・ライン」と呼んだのである。「放漫な財政支出を日本政府がやめることが、極度に進んだインフレを収束させるのにはもっとも有効だ」と考えたドッジによる強硬策であったと、一般の教科書には書いてある。
 そして、このように「苦い良薬」を煎じてくれたからこそ、日本はその後、奇跡と言われる経済復興を遂げたのであって、まさにドッジは戦後日本経済にとっての恩人だとも言われる所以だろう。
 しかし、ここに決定的な「落とし穴」がある。なぜなら、米国人から見たとき、とりわけ現代を生きる米国人のエリートたちの目から見ると、ドッジの功績はもっと別のところにある。それは何か。
 その頃、米国国内では議会を中心として、多額の対日復興援助が「本当に米国のためになっているのか」という批判が高まっていた。したがって、GHQとしてはこうした批判に応えるべく、何らかの仕掛けをしなければならない立場に置かれていたのである。そこでドッジが考えついたのが、「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組みをつくること」なのであった。
 ドッジはまず、米国が日本にあたる援助(小麦など食糧支援が主)を日本政府にマーケットで売りさばかせ、それと同額のカネを日本銀行に開設された口座に積ませた。そして、そこに貯まっていく資金を、今度はGHQ、すなわち米国の指示に基づいてだけ日本政府が使うことを許したのである。いわゆる「見返資金」である。
 それでは米国はこの資金を一体何に使わせたのかというと、意外にも「日本人に米国の良さを宣伝する」といったプロパガンダ目的ではほとんど使われていない(総額の2%前後)。それに代わって、もっとも使われたのが、かつて軍国主義の屋台骨として戦争協力をしたために解体されるはずであった「特殊銀行」(当時の日本興業銀行など)を経由する形での、ありとあらゆる日本の企業が復興するための資金提供であった。そして、ドッジによる熱心な指導により、銀行セクターをはじめとする日本経済全体がそれまでの「復興インフレ」による壊滅的な打撃から立ち直ることに成功したのである。
 その後、1952(昭和27)年にGHQは日本から最終的に「撤退」し、日本は、名目上の「再独立」を達成する。例の「見返資金」はどうなったのかといえば、米国に返金されることはなく、そのまま名称を変えて日本の経済発展のために用いられ続けた。そして、やがて日本は高度経済成長を迎えることになる。
 おそらく、小泉政権で、米国の手先として「構造改革」を推し進め、米国のために尽力した竹中平蔵氏が特殊銀行の日本開発銀行出身者なのも偶然ではないと考えるべきであろう。
 竹中氏の改革政策というものは、現実には、ほとんど米国の金融資本のためのものだったことは、現在では、かなりの方が理解されてきたところだと思われる。
結果として下記の様な政策効果がもたらされた。
 
小泉・竹中改革は新たな税金略奪者を日本政府に招き入れた

・骨太の改革は税金の収奪者を国内の利権団体から欧米の強大資本に移転させる結  果になる
・国内の利権団体も欧米の強大資本も日本人の税金を私物化しようとしている点にお いてまったく同じだ
・90年代の米国式改革が短期的ではあるが、成功した国は米国だけであり、他の国 々には混乱だけが残された。米国においても想定元本5京円というとんでもないデ リバティブ金融商品の借金だけが残され、現在、米国はデフォルトするか、戦争を するしかない 状況にまで追い込まれている
・民間企業の最大の利益は民間人同士のフェアなビジネスにではなく、上手に税金を 引っぱり出すことで得られる これは世界における大財閥の形成の過程を勉強すれ ば、明らかである
・日本の政治家や官僚は、米国政府+欧米の強大資本がどうやって日本で金儲けをし ようとしているか、金儲けの絵図面が理解できていないか、もしくは自分たちさえ よければいいと考えている
 ・だから絶好の格好のカモとして狙われているのではないか
 意図するとせざるとにかかわりなく、こういう改革を売国奴的改革というしかないのではないか 
                   それでは、米国政府から日本銀行・日本政府への要求とは何だったのか。
一言で言えば、「ここまで育ててやったのだから、金=富をよこせ」ということだったのである。そのための方法が下記のようなものであった。
・量的金融緩和:豊富な円資金を米国に還流させろ
・金融システム安定化(不良債権処理を加速化させ、整理統合)させ、金融機関を米 国資本に差し出せ
・内需を支えるために失業対策などを行え
・米国にとって都合のよいルールに変えろ
・成長のための日米経済パートナーシップ(商法改正等)
・規制改革(金融改革、司法改革、医療改革、通信改革、etc)
・市場重視
・米国の民間人を公的・民間部門のリストラに活用しろ
 
 一言でまとめてしまえば、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降の日本の経済史の裏面史は、米国による日本の富の収奪の歴史なのである。一例を上げるなら、1980年代に「セイホ」と名を轟かせ、米国経済を米国債購入によって支え続けた日本の生命保険会社が、莫大な為替差損を被り、外資に乗っ取られていったことは、まだ、記憶に新しいのではないだろうか。

 それでは、1955年の保守合同以降、半世紀以上にわたって日本の政治を担ってきた自民党の戦後政治とは、どのようなものだったのだろうか。
 一言で表現すれば、「自民党政治の終わり」という本で、野中尚人氏が主張しているように
「自民党システムは一種のインサイダー政治であったが、その網の目が自民党だけでなく野党のネットワークをも通じて、社会の隅々まで広がっていたのである。「一億総中流」とは、まさにその結果であった。自民党はもちろん、それと協働した行政官僚制が大きな役割を担い、国対政治を通じて野党も暗黙の参加者であった」
 
 江戸時代から行政官僚制が先行して確立していた日本においては、権能が憲法によって保障された国会が、民主主義が確立された戦後から巧みに行政に融合していったのである。もちろん、戦後、GHQが軍隊以外の官僚機構をそのまま温存して占領政策を推し進めたことが、このことを決定的にしたことは言うまでもない。そして、大きな政策決定は政府が行うが、日々の細かい政府の仕事は、行政官僚が担う役割分担が確立されたのである。このような官僚が政府と一体となったボトムアップとコンセンサス重視式の政治運営は、冷戦という限られた経済圏の中で、経済成長を追求するには、まことに効率的に機能したのである。
 そして、このシステムは、戦後の冷戦期における経済成長と世界秩序の安定を前提にある意味、議員の後援会活動等を通じて「草の根民主政治」を具現してきたが、その限界、問題点としては、
①利害による民意吸収の裏腹として利権による腐敗を生じやすく、公共財や政治理念 から遠くなりがちであること、
②世界秩序の変動や低成長経済や社会の高齢化による分配の困難化といった大きな環 境変動に対処するには、自民党システムにおけるリーダーシップの欠如が致命的で あることが挙げられる。

 この戦後の冷戦構造の下で、自民党政治が創りあげてきたのが、日本型の安定した資本主義システムであった。その特色は、
   (1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム
  (2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係(間接 金融システム)
   (3)ケインズ的経済政策を主体とした政府主導の旺盛な公共投資による有効需要の創出
   (4)地域と政治家のインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した所得の再分配システム
 
 このようなシステムは、日本企業の安定成長をもたらし、所得の再分配を保障し、安定した社会をつくりあげるのに極めて有効に機能した。しかし、政治家や官僚のインフォーマルな関係を通して所得の再分配が決定されたため、投資に関与する人間が利益を掠め取るという腐敗した関係の温床にもなるという欠陥も併せ持っていた。
  しかしながら、このシステムが、会社村、専業主婦の共同体、学校の共同体というような戦後日本社会の安定した生活環境をもたらしたことは疑いのないところだろう。
  先程から何回も指摘しているが、このような環境に日本が置かれたのは、冷戦という国際社会の構造があったからに他ならない。冷戦が終了したときに、「この冷戦の勝者は日本だ」と米国に言われたことを思い出していただきたい。
 レポートで何回も指摘したように冷戦の勝者である日本から国富を奪うための米国の戦略が、「ワシントンコンセンサス」であり、「グローバリズム」であり、それを進めるための「構造改革」であった。身も蓋もない言い方をしてしまえば、日本で言われていた「構造改革」とは、1980年代半ばに考え出された米国の対日経済戦略そのものだったのだと言っても過言ではないのである。いろいろ他のまともな改革も一緒にして、その本質が見えないように「構造改革」と言われたので、多くの国民が勘違いをしてしまったのである。
 その真意は、上記に述べた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」それが、あれほど党内、国内に反対の多かった竹中氏が主導した構造改革を推し進めることを可能にしたのである。もちろん、米国の政策に対して意識的に、無意識に協力するような仕掛けが戦後、日本社会のあらゆる処にに仕掛けられていたことは言うまでもない。
 その結果、現在、日本の公共圏は、大変な劣化をし、「格差社会」と言われるようになってしまったのである。現在、安定した社会が失われつつある不安を、いろいろな思惑がある勢力が扇動しようとしているのが、日本の状況であろう。
 
 このように「戦後つくられた日本というシステム」が壊れていこうとしていると同時に米国による第二次世界大戦後につくられた世界秩序(パックスアメリカーナ)も砂上の楼閣のように、消え去ろうとしている。

 ところで、小生が異国人であったなら、世界一の債権大国、つまり、世界一の金持ち国、そして潜在的資源大国の国をどのような状況においておきたいだろうか。
 その国の国民を覚醒させないで、自分の言うとおりに動く状態にずっと置いておきたいと考えるだろう。おわかりだろう。すべての国は、日本に対してそう考えているのである。

powerball

小生は、小沢一郎という政治家と面識もないので、彼についての私的な感情は、全くない。しかし、小沢一郎という政治家がこれほどマスコミに叩かれるのには、不可思議である。特に今回の民主党の代表選を巡る大手マスコミの世論調査の数字とネットでの世論調査との数字の大きな違いは余りに不可解である。今回はその裏にどんな思惑が隠されているのかを考えてみたい。

民主党の代表選挙は、これまでに前例のない展開になっている。新聞・テレビなどの大手メディアと、それ以外のメディア、特にネット上の世論が大きく分かれている状況なのだ。9月6日に発表された朝日新聞の世論調査では、菅直人首相支持が65%で小沢一郎前幹事長が17%、同じ日の読売新聞の調査でも菅支持66%、小沢支持18%で、これだけ見ると大勢は決したように見えてしまう。ところがネット上の形勢は逆である。例えばヤフー!の「みんなの政治」の投票では、菅氏29%に対して小沢氏が58%(7日現在)。4日に出演したニコニコ動画の投票では、21.5%対78.5%で小沢支持だった。ライブドアのBLOGOSのようなサイトでも、「想像を超えて雄弁だった小沢一郎の街頭演説」とか「小沢一郎さんの選挙の巧さ。」といった記事が上位に並び、ほぼ小沢支持一色になっている。あまりに都合が悪くて消された読売オンラインの民主代表選の世論調査の数字は、小沢76%、菅直24%であった。あまりに不自然である。意図的なものが隠されている判断するのが、自然であろう。

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*たまには小生の市議会の活動の一端をお送りします。本日、本会議で、一般質問した内容です。

現在、全国の自治体病院の70%は、10年後、今の形態では存続できないと言われています。しかし、市長をはじめ、市役所職員にはその危機感はないようです。

2010年 9月 一般質問 (山本正樹)

<豊橋市民病院について>(序文)

現在、1961年(昭和36年)よりスタートした世界に誇るべき国民皆保険制度による日本の医療提供制度が危機に瀕しています。そしてこのことは、妊婦の病院たらい回し、受け入れ拒否、コンビニ受診、一部地域での医療崩壊等を数年前から、マスコミが報道するようになって、多くの人が知ることとなりました。

ところで、日本は世界一の長寿国にもかかわらず、医療費水準は、OECD国(ヨーロッパ諸国を中心に日・米を含め30ヶ国の先進国が加盟する国際機関)の(GDP比)比較でも低い方に分類されます。そして、WHO(世界保健機構)が発表する健康達成度の総合評価でも日本は世界一位です。ちなみに、アメリカは、健康達成度の総合評価15位、ドイツは14位です。このことは、日本人が、世界的に見て、極めて少ない費用で、レベルの高い医療を、国民皆保険制度によって、誰でも公平に、どの医療機関でも受けている現実を反映しています。

ここに保険会社AIUが調査した盲腸で手術入院した場合の、都市別治療費用というデータがあります。それによりますと、ニューヨーク243.9万円、ロサンゼルス193.9万円、香港152.6万円、ロンドン114.2万円、台北64.2万円、日本36万円であります。もちろん、この数字は保険適用前の数字ですが、日本の医療費が、世界的にいかに低く抑えられているかが、よくわかるデータであります。

また、一頃、「医師の偏在」という言葉でかたづけられた日本の医師不足は、OECDのヘルスデータを見ても明らかです。人口千人当たりの医師数は、日本2.0人、ドイツ3.4人、フランス3.4人、アメリカ2.3人です。また、病床100床当たりの医師数は、日本13.7人、ドイツ37.6人、フランス42.5人、アメリカ66.8人となっています。また、これも興味深いデータ(OECDのヘルスデータ)ですが、国民一人当たりの一年間の医療機関の受診回数は、14.1回で日本が世界一位、イギリスは5.2回と日本の三分の一となっています。医師の数が、少なくて受診数が多いのですから、診察時間が短くなるのは、当たり前と言うことにもなりますし、昨今、言われている医師の過重労働問題も容易に推測できるデータでもあります。

私の友人の心臓外科医も、同僚の伊藤議員も真っ青になるぐらいのグルメにもかかわらず、現在、千葉県の病院の勤務医をしておりますが、病院では、夜勤の時も含めて、病院の食事はほとんど、おにぎりだと言っておりました。それほど、忙しいということだと思われます。

以前、米国の医療保険改革に情熱を燃やしていたヒラリー・クリントンによって組織された米国の日本視察団が「日本の医療は、医療従事者の聖職者さながらの自己犠牲によって成り立っている」と報告したとの話を裏付けるデータでもあります。

ところで、アメリカでは、健康保険の未加入者が4,600万人もいます。また、健康保険に加入していても大きな病気にかかると保険が適用されない厳しい現実があるために、「百貨店の女性店員が脳腫瘍と誤診され、34万ドルの手術費が払えないで傷心の旅」に出るというような悲喜劇(ラスト・ホリディ)がハリウッド映画に時々描かれ、その実態を知ることができます。現実にアメリカでは、医療費を捻出するための借金が自己破産の最大の原因になっていることもこれからの日本の医療を考える上で、注視すべきところです。

また、イギリスにおいては、サッチャー保守政権による医療費抑制政策が招いた、一般医療の場合は、半数は2日以上待機、専門医療の場合は、腫瘍のエコー検査を半年も待つような状況になった医療崩壊の経験から、医療の「評価と説明責任の時代」:第三次医療革命の時代に入ったとも言われ、現在、医療費拡大政策に転じています。今後、どのような成果が上がるか注目されるところであります。

一方、「政権交代」があったとは言え、現在、日本の医療制度は、後期高齢者医療制度、一つをとっても混乱の中にあります。9月6日の日本経済新聞の朝刊にも掲載されておりましたが、前鳥取県知事、片山善博慶応大学教授は、「公務員は、国保に入れ」という大胆な提言をしています。

このような国の医療制度が先行き不透明な状況の中でも、豊橋市民病院は、東三河の基幹病院(最終病院)として地域の安全・安心のために医療を確保し続けるという責務があります。そのような観点から以下、7点お伺いします。

(1)医療には、患者への医療サービス提供の側面である医療提供制度と、それを支えるお金の側面である医療保険制度との2つがある、両方が揃って初めて医療    制度は機能する。しかしながら、日本の医療制度改革と言えば、医療提供制度    より、医療保険制度の改革という名の変革ばかりが、話題になってきた。そして、医療保険制度の改革と言えば、患者の自己負担費用の引き上げや診療報酬    の切り下げ(本年度は若干引き上げられたが)など公的医療費抑制のための改革を意味していた。このような現状を本市はどのように考えているのか。

(2)県の「公立病院等地域医療連携のための有識者会議」「地域医療連携ワーキング」等で、再編、ネットワーク化についていろいろ検討されていることは、承知しているが、広域連携のなかで本来は、もっと具体的、効率的な役割分担をそれぞれの自治体の病院間ですべき時期に来ていると考えるが、その点をどのように考え、東三河のリーダー市としてどのように行動していくつもりなのか。

(3)東三河の基幹病院(最終病院)としての位置付けを現在、本市はどのように考えているのか

(4)現在、総務省は、地方公営企業法の改正に伴い、「減資」制度の導入について検討している。利益剰余金の処分や減資が自治体の判断で自由にできるようになれば、累積欠損金の額も大きく変わってくる。その点について本市は、どのような認識を持っているのか。

(5)全国で自治体病院の70%が赤字である。経営改革プランの中にも、「地方公営企業法の全部適用、地方独立行政法人、指定管理者制度」との経営形態が示されていたが、このほかには、社会医療法人による経営等も考えられないこともないが、今後、病院の自主的な経営判断の尊重や責任の明確化のために経営形態、そのものを検討していくつもりは、あるのか。

(6)経営改革プラン、「効率的・効果的な病院経営の推進」のなかで、老朽化した医師公舎など、一部未利用資産について売却も視野に入れるなど有効活用を検討するとある。具体的な動きはあるのか。

(7)市長マニフェストにあった市民病院の交通アクセスについて現在、どのような改善策を考えているのか。

<参考資料>日本経済新聞 9月6日 朝刊

~インタビュー領空侵犯~

公務員は国保に入れ 保険財政、一気に改善

慶応大学教授 片山善博

~公務員専用の医療制度を廃止すべきだとのお考えのようですね。~

「そもそも公務員が自分達だけの特別の仕組みを持っている事がおかしい。公務員は国民の生活を安定させるために、奉仕する立場のはず、それなのに一般の国民と同じ制度に入ってないのでは十分な保証が受けられない、いい生活ができないといわんばかりである」

「日本の公的医療保険は、大企業の従業員などが入る健康保険組合、中小企業従業員の協会けんぽ(全国健康保険協会)、公務員の共済組合などに分かれている。このどれにもはいらない自営業者らが、市町村が運営する国民健康保険(国保)に入ります。ただし、医師や弁護士などには自前の国保組合という制度があります。

要するに国保には零細自営業者や退職した高齢者、無職の人達が多く加入し、働いて保険料を納める人が少ないという構造的問題がある、公務員はこの国保に加入するようにすべきです。」

~公務員だけがなぜという不満も出そうです。~

「保険制度の原点に戻るべきです。保険は老いも若きも富める人も貧しい人も1つの制度にはいってこそ安定します。職業に関係なく地域単位ですべての人が加入する制度を作るべきなのです。その理念に向かってできることから始めるべきです。その第1ステップが公務員の国保加入なのです。」

「公務員は自分や家族にもかかわるので、問題だらけの国保をよくしようと真剣になるでしょう。安定した収入がある全国300万人を超える公務員が国保に入れば、国保の財政状況の改善に大きな力となります。国保を助けるために、国保から75歳以上の高齢者を切り離して後期高齢者医療制度という評判の悪い仕組みをつくったわけですが、こんな対策も不要になるでしょう。そのうち市町村国保は他の制度加入者がうらやむほどの安定した制度になり、会社員も国保に移ってきて、最終的には、すべての人が同じ制度に加入する一元化が完成するのです。」

~実際には障壁がたくさんありそうです。~

「この改革は一石二鳥どころか、三鳥の改革なのです。一つは国保の問題の解決。もう一つは公務員が国民と同じ立場になるという公務員制度改革の実現。そして共済組合という組織を大幅に縮小させる行政改革の実現です。」 

「日本が置かれた難局を乗り切るためには、まずは自らの身を切る。政府・民主党は内輪の争いをしている場合ではなく、それぐらいの覚悟を示してもらいたいものです。それでこそ、国民も政治が変わったと思うでしょう。」

(聞き手から)

政府の公的医療保険制度に関する説明資料では、共済組合についての記述が少ないことが珍しくない。これ一つとっても「優遇制度を隠しているのでは」との疑念を招く。片山氏の提案を実現するには課題が多いが、国民と同じ立場で国民のために働くという公務員のあり方が今こそ求められているのは、確かだろう。

(編集委員 山口 聡)

片山 善博(かたやま よしひろ、昭和26年(1951年)7月29日 – )

日本の自治官僚、政治家。慶應義塾大学大学院教授、鳥取大学客員教授。行政刷新会議議員。鳥取県知事(1999年-2007年、2期)。

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