2011年 2月11日
                                     
                     「地方から日本の政治の閉塞状況を打ち破る時代が来た!」

 2009年のある意味、歴史的「政権交代」によって民主党政権が誕生したが、ダッチロールを繰り返す民主党の政権運営によって、多くの国民は、深い失望感に包まれている。また、野党になった自民党も党再生の道筋を示せず、国民の期待を裏切っている残念な状況である。
 そんななか、注目すべきトリプル選挙が、この2月に愛知県で繰り拡げられた。
結果は、既存政党の惨敗であり、地域政党の大勝利であった。
 おそらく、これから、しばらく、地域政党ブームが続くのであろう。この動きが、単なる一過性のブームとして中央の政界再編等に巻き込まれる形で終わるのか、本当の意味で草の根の地域政党のネットワークとしてこれから、本当に日本の政治を変えていくのか、注目すべきであろう。
 既存政党が機能不全に陥っている現在、日本の政治の閉塞状況を打開するめにも、真に地方の時代を切り拓くためにも実りのある運動に育てていく気持ちが大切だと思われる。
 しかしながら、地域政党では、現在の制度では、国を動かすことは、できない。国会議員を出していくためには、先ずは5名以上の現職国会議員を集めて政党要件を満たすことが必須条件であると言っても過言ではない。しかし現在の地域政党には、まだ自力で国会議員を出す力がない。また挑戦しようにも地方では自民党や民主党などの既成政党の力が強く、まだ、簡単には動ける状況ではない。さらに新党大地の如く、ブロック政党も考えられるが、衆議院選挙のブロック比例区などで戦うにも政党要件が無いため、ブロック定員数の2割以上の候補者を立てなければならない。

  大きく地域政党をネットワーク化し、まとめ上げることのできる有意な人材が出てくるかどうかが、今後の大きなポイントだろう。

 *東愛知新聞(2月7日版)より
                    愛知県知事選に大村氏、圧勝で初当選


 任期満了に伴う県知事選が6日投開票され、減税日本推薦で無所属の前衆院議員・大村秀章氏(50)が初当選を果たした。圧勝だった。大村氏は、任期途中で名古屋市長を辞任して同市長選に再選出馬した河村たかし氏とタッグを組んで選挙戦に挑み、大票田・名古屋での河村人気に支えられて4人の対立候補を圧倒した。大村氏は「中京都」の創設や河村氏とともに減税を訴えて、戦いを終始リード。有利な選挙を展開した。終盤には、自民党県連推薦の元内閣府参事官補佐・重徳和彦(40)、また民主党など与党が推薦した元総務省官房審議官・御園慎一郎(57)両氏の追撃を受けたが、政権与党への逆風や自民勢力の分裂などに助けられ、勝利を手にした。投票率は52.52%だった。
(本多亮)


 現職の神田真秋知事が4選出馬を辞退したことから、今回の知事選には大村、重徳、御園の3氏とみんなの党の医師・薬師寺道代(46)、共産党推薦の医師・土井敏彦(64)の新人5人が出馬した。
 名古屋市長選と同市議会の解散の是非を問う住民投票との「トリプル投票」で行われることが最大の特長となった知事選だった。
 大村氏は河村氏との「ムラ・ムラ連合」を、また御園氏は衆院議員を辞任して同市長選に出馬した石田芳弘氏、さらに土井氏は元参院議員の八田ひろ子氏とそれぞれタッグを組んで、市長選と住民投票との「トリプル投票選」に臨んだ。
 大村氏は、減税や議員報酬半減を訴える名古屋市長選の河村氏と二人三脚で街頭演説や自転車での街宣活動を展開。河村人気に支えられて名古屋での支持をまとめると同時に地元の西三河地域の支持も固めて圧勝した。
 重徳、御園の両氏は陣営の分裂・股裂きに苦しんだ。
 重徳氏は自民党県連の推薦を得たものの、大村氏が元々は自民党代議士で県連会長を務めた経緯もあり、自民勢力の股裂き状態の中で戦いに挑むことを余儀なくされた。自民党所属の国会議員らが重徳氏ではなく大村氏支援に愛知入りする場面も多く見られた。
 御園氏は民主の支援を受けたものの、名古屋市長選の河村氏が元々は民主出身だったことから民主支持層の分裂にあえいだ。選挙中、岡田克也・民主党幹事長や片山善博・総務相、蓮舫・行政刷新相らの閣僚の支援を得たものの、連合愛知の足並みもそろわず敗退した。
 薬師寺氏は昨年夏の参院選に続いてみんなの党の公認候補として出馬したが、昨夏に見られた同党の勢いはなかった。
 土井氏は無党派層への支持の広がりがなかった。
 知事選 最終得票数
 大村 秀章 無・新   1,502,571
 重徳 和彦 無・新     546,610
 御園慎一郎 無・新    487,896
 薬師寺道代 みんな・新  324,222
 土井 敏彦 無・新     141,320
          有効投票数   3,002,619  
                                                               (引用終わり)

日下公人氏と共著を出版している三橋貴明氏の論説です。
既存のマスコミ報道が混乱するなか、非常にわかりやすい指摘です。前回のレポートでも 指摘したようにTPPは、米国の経済戦略の一つと考えるべきでしょう
                                                                                               2011年2月
                                         TPPと「平成の開国」

 菅直人首相は、1月24日の施政方針演説において、TPPを「平成の開国」と位置づけ、国会での議論を呼びかけた。
 『2010年1月24日 毎日新聞「菅首相:施政方針演説 税・TPP協議呼びかけ「責任、与野党負う」--通常国会開会」
 第177通常国会が24日召集された。会期は6月22日までの150日間。菅直人首相は24日午後、衆参両院本会議で施政方針演説を行い、消費税を含む税と社会保障の一体改革について「一政治家、一政党の代表として与野党で協議することを提案する」と宣言。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)についても国会での議論を呼びかける。演説の最後でも「国民は、先送りせず、結論を出すことを求めている。今度こそ、熟議の国会に」と訴え、「ねじれ国会」を武器に対決姿勢を強める野党に責任の共有を求める。
 首相は昨年6月の就任後、国会での所信表明演説は2回行っているが、年初の施政方針演説は初めて。演説では国づくりの三つの理念として、「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「不条理をただす政治」を掲げる。(中略)
 平成の開国では、貿易・投資の自由化を経済成長につなげることをうたい、米豪などがアジア太平洋地域の貿易自由化の枠組みづくりを目指すTPPに関し「今年6月をめどに、交渉参加について結論を出す」と参加に前向きな姿勢を示す。』
 今ひとつ菅首相の真意が分からないのだが、江戸時代の鎖国に終止符を打った「開国」、すなわち「日米和親条約」や「日米修好通商条約」などを各国と締結したのは、明治政府ではなく江戸幕府である。しかも、本格的な「日本の開国」を決定付けた日米修好通商条約は、治外法権や完全自主権の放棄など、日本にとって著しく不利な内容を含む「不平等条約」であった。
 治外法権とは、たとえ国内であっても、自国の権利が外国人に対して完全には及ばないという、外国から見た「特権」である。すなわち、日本国内であっても、日本の司法の手を外国人に及ぼすことができない状況なのだ。より分かりやすく書くと、外国人が日本国内で罪を犯しても、日本の法律では裁けないのである。
 そういえば、2010年9月7日に発生した「尖閣諸島中国漁船衝突事件」は、「日本国内で中国人が犯した犯罪を、日本の法律で裁けない」という結末を迎えた。全く笑い事ではないが、あれこそがまさに「治外法権」である。
 さらに、関税自主権の放棄とは、国内産業の保護を目的として、輸入製品に対して税金を「課せなくなる」という話である。すなわち、例えば日本の農業の生産性が相対的に低いからといって、農産物に高関税を課すことは許されない。外国産の製品やサービスについて、自国の都合で関税を設定することができなくなるわけだ。
何ということだろう。
 尖閣問題の顛末(中国人の治外法権)といい、TPPといい、菅直人政権の進める「平成の開国」とやらは、まさしく江戸幕府が締結した諸外国との不平等条約そのものだ。冗談でも何でもなく、「平成の開国(治外法権や関税自主権の放棄)」なのである。
 江戸幕府から政権を奪取した明治政府にとっては、不平等条約の撤廃こそが国家的な目標であり続けた。明治日本は日清戦争、日露戦争と、数多の戦争を経て、ようやく不平等条約の撤廃を実現したわけだ。
 ところが、民主党あるいは菅政権は、「自主的に」中国人への治外法権を認め、「環太平洋諸国」を相手に、関税自主権の放棄を促進している。皮肉でも何でもなく、現在の菅直人政権の政策は、まさしく「平成の開国」である。すなわち、外国人が治外法権を獲得し、日本が関税の自主権を失う日米修好通商条約の再現だ。

 そもそも、日本がTPPを批准することによるメリットとは、一体何なのだろうか。

「平成の開国」や「TPPに加盟しなければ日本は完全に世界の孤児になる!」といった、フレーズやイメージはどうでもいい。「経済的なメリット」を数値データに基づき、検討する必要があると思うわけだ。
 TPP諸国のGDPを比較すると、アメリカと日本の二カ国で九割を超える。すなわち、TPPなどとは言っても、日米両国にとっては、「互いの国」以外に、まともに相手にできる市場は存在しないのである。
 アメリカが日本に「何を売りたいか?」については次回に回すとして、まずは「日本がアメリカに売れるもの」について考えてみよう。はっきり言って、TPPにより関税が撤廃され、アメリカ市場における日本企業の売上が増える製品とは、耐久消費財しかない。具体的に書くと、自動車と家電である。
 アメリカ市場、特に個人消費の市場は、名目値で10兆ドル近い。文句なしで、世界最大の「需要頭目」である。何しろ、日本の全GDPの二倍である。
 この世界最大の市場において、日系企業が自動車や家電を販売を拡大したい。現在、アメリカは工業製品への関税を維持している(ちなみに、日本の工業製品に対する関税はほぼゼロ)。関税率を下げてもらうか、あるいは撤廃してもらえれば、日本からアメリカへの耐久消費財の輸出が増える。だからこそのTPPだ。
 上記の理屈は、「印象論」ではあるものの、非常に分かりやすい。とはいえ、この種のイメージに基づく論調は、多くのケースで的外れか、あるいは悪質な「情報操作」である可能性が高い。上記のような解説をしたいのであれば、本来は全てを「数値データ」に基づき語らなければならないのだ。なぜならば、経済とは「イメージ」や「フレーズ」ではないためだ。経済とは、数字である。
そもそも、現在の日本の家電メーカーや自動車メーカーが、アメリカ市場で苦戦しているのは、ウォン安で勢いに乗る韓国企業の攻勢を受けているためだ。
 08年の危機において、韓国のウォンは「暴落」に至り、ほとんど通貨危機直前の状態に至った。ところが、韓国にとっては大変幸運なことに、08年2月に大統領に就任した李明博氏は、元大企業の経営者ということもあり、まさに「これしかない」という対策を立て続けに打ってきた。
 李政権は、まずは近隣の三大国(日本、アメリカ、中国)と通貨スワップを結び、通貨危機に対するセーフティネットを構築した。さらに、ウォン安で競争力が高まった韓国大手輸出企業への支援(法人税引き下げなど)を拡大し、輸出依存で韓国経済の立ち直りを図ったのである。

 07年には1円=7.5ウォンだった円ウォン為替レートが、08年の危機以降、一気に高騰した(=韓国ウォンが暴落した)。2010年中盤以降は、1円=13ウォン台で高止まりしてしまっている。すなわち、ウォンの価値は07年と比較し、対円で二分の一に近い水準にまで落ち込んでしまったのである。
 対米輸出で考えれば、韓国製品は日本製品と比べ、半額セールを常時行っているようなものだ。韓国企業のアメリカ市場における競争力が、一気に高まって当たり前である。
 為替レートの問題である以上、TPPでアメリカの工業製品に対する関税が撤廃されたとして、果たして日本企業がどれほど対韓国企業で競争力を高められるか、疑問視せざるを得ない。なぜならば、アメリカの家電製品に対する関税率は5%、自動車(トラック除く)は2.5%に過ぎないのだ。TPPにより、数パーセント程度の関税がなくなったところで、そんなものは更なる円高(もしくはウォン安)で相殺されてしまう。
 また、そもそも日本の自動車メーカーがアメリカ市場で販売する製品は、すでに現地生産の割合の方が高い。すなわち、日本からアメリカに輸出しているのではなく、アメリカ国内の工場で生産しているわけである。すでに日系自動車メーカーのアメリカにおける現地生産の割合は六割を超え、ホンダに至っては八割を上回っている。
 現在、確かにアメリカ市場で韓国の現代自動車に勢いがある。だが、日系自動車メーカーは、今のところ互角以上の戦いを演じている。無論、日系メーカーの現地生産が拡大し、為替レートの影響を受けにくくなっているためだ。
 逆に、アメリカにおける現地生産が、自動車ほど進んでいない日系家電メーカーの方は、まさしく「惨憺たる状況」に陥ってしまった。ウォン安で競争力を高めた韓国家電メーカー(サムスン電子、LG電子)に対し、ほとんど太刀打ちできない事態に至っているのだ
 とはいえ、ここで落ち着いて考えてみて欲しいのは、「マクロ的な日本の耐久消費財の輸出」についてである。トヨタやソニー、パナソニックなどがアメリカ市場で苦戦しているのは分かるが、そもそも日本の耐久消費財(自動車や家電など)の輸出は、我が国の国家経済に対してどの程度の割合を占めているのだろうか。



 乗用車の輸出がGDPに占める割合は、1.23%。家電は0.036%に過ぎない。無論、金額ベースで見ると、乗用車が623億ドル、家電が18億ドルと、相当にでかい。とはいえ、GDPの2パーセントに満たない乗用車や家電の輸出をサポートするために、日本の「国の形」や「社会のあり方」を変えかねないTPPを批准しても構わないのか、という話である。(TPPがなぜ日本の「国の形」や「社会のあり方」を変えるかについては、次週に解説する)
 断っておくが、別に筆者は自動車メーカーや家電メーカの苦境を放っておいても構わない、などと主張する気は全くない。だが、そもそも日本の製造業がアメリカ市場ばかりを見ているのは、国内がデフレで市場規模の拡大が見込めないためなのだ。
 また、現在の日本は「デフレかつ円高」なのではない。「デフレゆえに、円高」なのだ。すなわち、名目金利が低くとも、デフレで実質金利が高まり(※実質金利=名目金利-期待インフレ率。デフレとは期待インフレ率がマイナスの状態)、日本円が相対的に買われやすい状況になっているためなのだ。
 そうである以上、日本政府が「財政出動(及び減税)と金融緩和のパッケージ」という真っ当なデフレ対策を実施することで、現在の自動車メーカーや家電メーカーの苦境を救うことができる。デフレ対策として日本が量的緩和を拡大すれば、円の価値は相対的に落ちていく。かつ、デフレを脱却すると実質金利が低下し、円高圧力が緩和される。加えて、デフレ脱却で国内市場が拡大を始めれば、日本のメーカーもアメリカ市場ばかりを意識する必要はなくなる。
 

 そもそも、TPPとは「貿易の自由化」を目的としている。自由貿易とはインフレ時には全体的な生産高(=消費量)を増やし、参加者が得をする政策だ。だが、デフレ期に自由貿易を推進すると、「物価を安くする」ことでデフレを悪化させてしまう。
 すなわち、TPPとはインフレ対策なのだ。
 言うまでもなく、現在の日本に求められる政策は、「平成の開国」とやらではなくデフレ対策なのだ。日本がデフレを脱却することは、耐久消費財のメーカーの苦境を救うという点でも大いに意味がある。
 それにも関わらず、民主党政権はTPPという「インフレ対策」を推進している。しかも、TPPを批准した場合、アメリカから「とんでもない連中」が大挙して日本に押し寄せてくる可能性が、極めて濃厚なのだ。
1月29日、世界経済フォーラム年次総会(通称ダボス会議)。菅直人首相の演説により、日本のTPP交渉参加に関する結論を6月までに出すことが、事実上「国際公約化」されてしまった。

『首相「TPP交渉参加可否、6月に結論」 ダボスで表明
 菅直人首相は29日昼(日本時間同日夜)、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で「開国と絆」をテーマに講演し、環太平洋経済連携協定(TPP)について「今年6月をめどに交渉参加に関する結論を出す」と、国際公約として表明した。
 首相は明治維新、第2次世界大戦後の復興に続く「第3の開国」を自らの目標に掲げ、「自由貿易は世界と繁栄を共有する最良の手段」と経済連携の推進を訴えた。TPPに加え、欧州連合(EU)とのEPA(経済連携協定)も「今年こそはぜひ交渉を立ち上げたい」と呼びかけた。(後略)』
 先週も書いたように、実際に開国したのは明治政府ではなく、江戸幕府である。
しかも、開国の象徴たる「日米修好通商条約」は、「治外法権」「関税自主権の放棄」など、日本にとっての不利な条項を含む不平等条約だったわけだ。
 TPPが、「2015年までに農産物、工業製品、サービス等、全ての商品について例外なしに関税その他の貿易障壁を撤廃する」ものである以上、ある意味で菅直人首相の「平成の開国」は正しいフレーズである。すなわち、日本は日米修好通商条約を締結した江戸幕府同様に、TPP加盟国に対して「関税自主権」を放棄するということだ。
 後述するが、上記の「農産物、工業製品、サービス等、全ての商品」の中には、日本国民が「思いも寄らなかった商品」が含まれている。問題なのは、日本国民へのマスコミの報道姿勢もあるが、それ以上に、所信表明演説で「平成の開国」をぶち上げ、ダボス会議で「国際公約化」までしておきながら、菅直人首相自身がTPPの中身について、よく理解していないという点である。
 1月28日の通常国会の場において、「みんなの党」川田龍平議員が「TPPに参加すると医療分野における市場開放や自由競争を迫られる」という懸念に関する質問をした。それに対し、菅首相は「アジア太平洋地域が自由な貿易圏に発展していくことが重要だ」と、観念論でしか回答することができなかったのだ。

 そもそも、現在、検討が進められているTPPは、決して「アジア太平洋地域」などではない。日本とアメリカだ。何しろ、この両国だけで、TPP参加国(参加予定国)の全GDPの91%を占めるのである。
 要するに、今回のTPPは「包括的かつ100%自由化をゴールとし、かつ期限も確定した日米FTA」というわけである。というわけで、日米両国の関税率の状況を見てみよう。

    日本の平均関税は唯一の例外(農産品)を除き、軒並みアメリカよりも低い。すなわち、現時点で日本はアメリカよりも「開国」をしているという状況なのである。
 さらに、問題の農産品にしても、生産額ベースの自給率で70%(09年。以下同)、カロリーベース自給率で40%である。カロリーベース自給率は、日本でしか使用されない「独自指標」であり、指標としての問題も多すぎる。本稿では「グローバル・スタンダード」の生産額ベース自給率で話を進めることにするが、アメリカの同指標の数値は124%である。アメリカは生産額ベースで、自国の需要を上回る農産品を生産しているということになる。
 また、重量ベースで見た日本の主要穀物自給率は58%、穀物自給率に至っては、わずかに26%だ。すなわち、日本は重量ベースで穀物の七割以上を「輸入」に頼っているわけだ。この状況で「日本の農業市場は閉ざされている」などと言い張る人は、よほど数字に弱い人か、何も考えていない人だろう。日本の農業市場は、むしろ充分以上に「開国」されている。


 米国の輸出倍増計画

 もっとも、オバマ政権下で「輸出倍増計画」を推進するアメリカにとっては、日本が開国していようがしていまいが、どうでもいい話だろう。ただ淡々と、アメリカは日本の農産物市場に「更なる開放」を求めるだけである。
 アメリカにとっては、日本の食糧自給率や構造問題など、それこそ知ったことではない。単に、「我が国の農産物を買うために、さらに市場を開け」これで終わりである。
ここで考えたいのは、なぜアメリカが「農産物を大々的に輸出が可能なのか」についてである。無論、食料自給率が120%を超え、国内の需要を満たして余りある農産物を生産しているためである。現時点において、アメリカが「輸出倍増計画」の一環として、日本への農産物輸出を拡大したいのは間違いない。
 しかし、果たして永遠にそうだろうか。例えば、アメリカが将来において天災に見舞われ、食糧生産が激減し、自国の需要を満たせなくなっても、なお、日本への輸出を優先してくれるのだろうか。無論、そんな御伽噺的な話は有り得ない。この世界に、自国の需要を満たせないにも関わらず、農産物を輸出に回すような国はない(毛沢東時代の中国など、特殊な例を除く)。
 現在の日米欧などの先進諸国は、農産物に高い関税をかけ、「自由貿易」を事実上、拒否している。農産物の交易が国民の生命に関わる以上、当たり前の話である。すなわち、発展した資本主義国であろうとも、国民の生命は「自由貿易に優先する」と判断しているわけだ。
 すなわち、農産物への関税撤廃とは「国民の生命」に関わる問題なのである。それにも関わらず、菅内閣は「平成の開国」などと、イメージやフレーズ優先で事を進めようとしている。拙速であるとしか、言いようがない。
 

 日本における、昨年秋の突発的な「TPP問題」の発生は、完全にアメリカの戦略に基づいている。

 アメリカはQE2(量的緩和第二弾)を実施し、同時に減税延長などで懸命に自国経済のデフレ化を食い止めているが、それでも失業率は9.4%である。1930年代の大恐慌のトラウマから、アメリカは雇用環境の悪化に極めて敏感だ。オバマ大統領としては、失業率改善のために、やれることは全てやっておきたいわけである。
 当然ながら、アメリカは日本の農産物市場をターゲットの「一つ」にしているだろう。とはいえ、真実、アメリカが日本に売り込みたいものは、農産物ではない。「サービス」である。
 サービスと書くと、漠然とし過ぎているように思える。しかし、アメリカのこれまでのWTOに関する姿勢を見ると、TPPにおいて「完全自由化」が目指される「サービス」が何を意味しているかが、かなり明瞭につかめてくる。
 すなわち、金融・投資、法律、医療、そして政府調達である(政府調達はサービスに限らないが)。現在、ブルネイやニュージーランドなどが締結済みのTPPの構成を読むと、きちんと「サービス貿易」及び「政府調達」という項目が入っている。サービスの輸出入や政府の調達も、TPPにおける「完全自由化」の対象なのである。
  サービス貿易の自由化とは、具体的には以下を意味している。
◆加盟国の提供するサービスについて「内国民待遇」や「最恵国待遇」とする
 ※内国民待遇:自国民と同様の権利を、相手国の国民及び企業に対し保障すること
 ※最恵国待遇:第三国に対する優遇処置と同様の扱いを、現在及び将来において約束すること
◆以下の行為の禁止
 ・サービス提供者の制限
 ・サービス取引総額あるいは資産制限
 ・サービス事業の総数あるいは総産出量の制限
 ・サービスセクターに雇用あるいは関係する自然人の総数の制限
 ・サービスを提供する法人あるいはジョイントベンチャーの形態の制限
 すなわちTPPに加盟することで、アメリカの法律家、医療関係者、金融関係者に、日本人と同様の権利を保障し、かつ一切の規制を掛けることができなくなってしまうわけだ。筆者は本連載において、アメリカの医療サービスを容赦なく批判してきた。まさに「あの」アメリカの医療サービスが、日本に「一切の制限なし」で流入してくる可能性があるわけである。心底からゾッとする。
 無論、現在は様々な非関税障壁により、アメリカの法律、金融、医療などのサービス産業は、日本で大々的に事業を営むことはできない。しかし、TPPに加盟した瞬間から、アメリカが日本に対し、各種の規制の撤廃を要求してくることは間違いない(すでに始まっているようである)。
アメリカに工業品の関税を撤廃してもらい、日本の家電や自動車産業が数パーセントのアドバンテージを得た結果、上記の「アメリカのサービス」や農産物が、日本市場に怒涛のように襲い掛かってくることになる。しかも、前回も解説した通り、アメリカの関税撤廃で日本の耐久消費財のメーカーが多少息をついたところで、5%円高になれば、全ては消し飛んでしまう。
 

 何しろ、現在のアメリカは量的緩和を拡大している最中なのだ。日本のデフレが継続している限り、実質金利が高い円は買われ続け、為替レートは円高ドル安に動かざるを得ないだろう。
 TPP批准後に数パーセント円高になると、日本の工業製品が獲得したアドバンテージは消滅し、「ドル安」を利用した農産物が日本市場に雪崩れ込んでくることになるわけだ。加えて、上記のアメリカの「問題があるサービス」が日本市場に流入し、我が国は「国の形」を変えられてしまうかもしれないのである。
 かつて、家電王国だったアメリカは、法律家たちがPL法などを活用し、メーカーへの訴訟合戦を繰り広げた。結果、嫌気が差した企業は家電事業から撤退し、現在のアメリカには、まともな家電メーカーが残っていない。アメリカの家電産業を潰した法律家たちを、日本は「GDPの1.5%に過ぎない耐久消費財の輸出産業」のために受け入れなければならないのだろうか。
 あるいは、リーマンショックを引き起こした、アメリカの投資銀行などの金融サービスである。現在の日本の家庭の現預金は800兆円を超え、この額は世界最大だ(アメリカの家計の現預金総額よりも大きい)。現預金とは、すなわち「きちんと運用されていないマネー」と、アメリカの金融サービスは見なすだろう(大きなお世話だが)。TPPにより、アメリカの金融サービスが大挙して日本に上陸し、日本の家計の巨額現預金を運用し、莫大な手数料(及びボーナス)を稼ぐことを目論むわけだ。彼ら、アメリカの金融サービスは、日本の「安全資産」を、海外のハイリスク・ハイリターンな投資商品に誘導する可能性が極めて高い。無論、ここで言う「ハイリスク」を引き受けるのは、アメリカの金融サービスではなく、日本の家計である。
 また、TPPを批准すると、政府調達も「自由化」されてしまう。すなわち、TPP批准国の企業に対し、内国民待遇をする必要に迫られるのだ。日本の公共投資が資金力に富む海外事業者に受注され、国内のインフラ供給力が削られていく可能性を否定できない。
 

 筆者は「金融緩和及び公共投資などの財政出動、減税などをパッケージとして実施し、デフレを脱却する」という解決策を頻繁に提案している。しかし、公共事業を海外事業者に受注されてしまうと、「海外からの輸入」ということになってしまい、GDPへの波及効果が激減する。
 さらに、防衛産業など「特殊な政府調達」についても、アメリカの事業者を日本企業同様に扱わなければならなくなる。何しろ、アメリカの防衛産業は、日本と比べ物にならないほどに競争力がある(世界を相手に商売しているわけだから、当然だ)。自衛隊がアメリカの軍需品ばかりを使用するようになり、日本の防衛産業が衰退していったとして、本当にそれで我が国の安全保障は維持されるのだろうか。
 などなど。民主党政権は「平成の開国」などとスローガンしか叫ばず、農業を悪者にして、強引にTPPを推進しようとしている。しかし、TPPは「開国」という言葉がもたらすイメージとは裏腹に、日本の国益を害する可能性が高いのだ。
 また、そもそもTPPは農業の問題などではない。日本の「国の形」をどうするか、という問題なのである。この視点からTPPについて語るマスコミが、果たして一社でもあるだろうか。
 

最後に付け加えておこう。
 TPPで自由化される「サービス」の中には、当然ながら「報道サービス」も含まれている。アメリカの極端にブランド力が高いメディアが、日本で宅配事業を始めたら、果たして日本の新聞社は太刀打ちできるのだろうか。
 あるいは、資金力が大きいアメリカのメディアが、TPPを錦の御旗として、日本のテレビ局を買収しようとするかも知れない。
 それでも、日本の新聞やテレビは、現在同様に横一線になってTPPに全面的に賛同することができるのだろうか。筆者は注目している。

  「2011年を考える」
                                                               

 おそらく、昨年、秋の尖閣諸島問題に象徴されるように、2000年以降、急速に中国が経済力(もっとも中国がこのように大きな経済成長をすることを可能にしたのは、米国の「日本封じ込め」戦略にある)をつけてきたことによって、米国と中国の国際政治における覇権を巡る綱引きがより大きなものになり、日本をはじめとした周辺国が翻弄される時代が暫く続くと思われる。もっとも、仕掛けるのは米国であり、中国がそれに過剰反応するということなのだが、
 このことを副島隆彦氏は「中国バブル経済はアメリカに勝つ」(ビジネス社)という本で解説している。最も小生は、副島氏が指摘するように、中国がアメリカに変わって世界の覇権国になるとは思わない。今までのレポートでも申し上げたように世界は、多極化するのである。
 
 ところで、中国は1842年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国の独立に至る107年間、半植民地状態と国内の分裂を経験し、さらに49年から71年の国連復帰までは、「米国による封じ込め政策」を経験し、またソビエトの社会主義圏からもスターリン批判等によって排除され、孤立させられていた。おそらく、このような苦難の歴史の経験から、中国はとても強いトラウマをもっていると想像できる。
 こうしたトラウマが背景となり、現在の中国は被害妄想的とも言えるほど防衛的な意識が強く、それが外交政策にも強く反映していくと見るべきであろう。
 その意味では、中国には、日本の一部のタカ派評論家が言うような米国からの覇権の奪取を目的とするような拡張的な意図はないと見るべきであるし、自国の国力を中国のエリートは、我々が思う以上に客観的に把握していると考えてよいのではないかと思われる。
 中国外務省の実質的なトップであるダイ・ビングオ国務委員は「国益3原則」を発表している。それらは、(1)共産党政権の維持、(2)中国の統一性の維持、(3)経済的権益の確保の3つである。この3原則の範囲外の問題に関しては柔軟に対応するが、3原則が適応される領域では一切の妥協はせず、武力の使用も辞さないとしている。
 黄海や東シナ海、そして南沙諸島や東沙諸島などは3原則の適用範囲とし、妥協はしないとしている。
 そのために、中国は、このような原則を背景にして軍事力の増強と近代化を急ピッチで進めている。(もっとも中国の軍事費の増加要因に関しては、(1)の共産政権の維持のためのコストという側面も忘れてはならない。いわゆる7億人以上いると言われる農民の暴動を押さえていくためには過度に陸軍兵力の増強を図らなければならない宿命にある。)ロシアから購入した空母、「バリャーク」を乗員訓練用空母として導入したほか、米軍の空母機動部隊を撃退する性能をもつ最新鋭巡航ミサイル、そして第5世代のステルス戦闘機など多数の最新鋭兵器の導入を進めつつある。
 中国が「国益三原則」を強く押し出すとき、やはり黄海や南シナ海、さらに南沙諸島や東沙諸島で緊張が高まることになるはずだ。


2011年は米国と中国によって世界が大きく変化する

 2011年は、米国と中国によって世界が大きく変化する年になりそうである。その中で、中国と米国の覇権を巡る駆け引きが世界を動かしていく大きな要因になることは、間違いない。被害妄想的な気質の強い中国は、「国益三原則」を強硬に適用し、中国が自らのサバイバル圏として定めた地域でさまざまな矛盾・事件を引き起こして行くことになる。もちろん、そう言った方向に中国を誘導していくのが、米国の戦略である。
 そう言った意味で、注意すべきは、中国以上に危険な方向に舵を取っていく可能性のある米国である。
 ご存じのように、米国の覇権は、1980年代半ば以降、凋落傾向にあり、覇権が中国などの新興諸国にいずれ移行するはずだと言われて、すでに久しい時間が経過している。ともあれ、世界が米国の一極覇権構造から、多極化に向かっていることは、間違いないところである。
 ところで、現在の米国は、バブル経済の救済策として実施した量的金融緩和も手伝って、ドルの価値は下落し、そのためドル建て資産の信用失墜から米国債の下落に歯止めがかからず、FRBが米国債の大量購入を行ってなんとか予算のやり繰りをつけているような状態に陥っている。ここは一つ、冷静に日本という国がなければ、米国は、すでに予算を組めない状況であることを、もう少し、多くの日本人が認識すべきだと思われる。すべては、そのための米国の対日政策なのである。当然、少しでも見識がある人なら、このような状態であるアメリカの覇権がこれからも長く続くはずはないと考えるのではないか。
 現実にドル離れは急速に進んでおり、ロシアは中国向けのエネルギー供給で、ドルではなく決済通貨として元やルーブルを使用することにした。また中国は、マレーシアなど二国間で相互に国債を交換し、それをもとに自国の通貨を使って決済するシステムを拡大しようとしている。このような状況から、おそらく、基軸通貨としてドルが放棄されるのは時間の問題であり、それととももに米国の覇権も失われていくことになるはずだ。本年前半には、1ドル=70円台時代に入るのではないか。それに伴い金の価格が上がるのであろう。(もっとも米国は、一度、金価格の急落を仕掛けてくるだろうが、)
 
 ところで、国際政治における覇権とは何を意味しているのか?

 覇権とは、国際政治において頻繁に使われる言葉である。しかし、覇権とは、そもそも何を意味しているのだろうか?
 まず覇権とは何を意味しているのかはっきりしておきたい。
簡単にいうと覇権とは、利益誘導や軍事的な脅しなどを通して、他の国々の同意を取り付けたり、隷属を強いるなどして、自国の望む国際秩序を実現する力のことを指す。したがって、米国の覇権という場合、アメリカが自ら望み、自国の国益を実現できる秩序を世界各地に構築できる能力をアメリカが保持していることを指している。
 そうであるなら、米国の覇権の源泉は、どこにあるのだろうか。
アメリカの覇権は、今までは以下の四つの強力なパワーの源泉によって支えられていたと考えられよう。

(1)経済的な力
 巨大な国内市場を世界に開放し、ドルを唯一の決済通貨として世界経済の秩序を編 成し、これを調整する経済的な力。アメリカに従わない国を世界経済から排除する ことができた。(第二次世界大戦の勝利によってこの事が可能になった。)
(2)民主主義の象徴としての力
 長い間、アメリカは「民主主義」の象徴であった。自らの外交政策を民主主義の価 値によって制御し、フェアな外交を行うという象徴的な信頼感を作ることに成功し た。この信頼感=プロパガンダで多くの国々を納得させることができた。
(3)世界最大の軍事力
 アメリカの軍事力は、中国とロシアを含めた主要先進国すべてを合わせた規模より も大きい。唯一、世界的な展開力を持つ軍事力を保有する。従わない国を軍事的に 脅し、アメリカの国益を受け入れるように強制することができた。
(4)情報力
   インターネットや軍事衛星等を使った情報収集力、及びそれらを活用できる世界 一の諜報機関を持っている。

 これまで米国は、この四つの力で他の国々を圧倒し、世界のさまざまな地域をコントロール下に置いた。そうすることで、アメリカの国益に合致した世界秩序を実現することができたのである。
 そして、これら四つの中でも突出していたのは、やはり(1)の世界経済を編成する力である。その意味ではアメリカは、世界経済を編成する資本の力として覇権を維持していたといってもよい。これこそアメリカの覇権の特徴であった。
 しかし、これらの力は長く持続することはできなかった。次第に綻び、失われる方向に向かった。まず(1)だが、特にリーマンショック以降、バーチャルな金融テクノロジーで膨張させていたアメリカの個人消費は大きく落ち込み、世界最大の市場としての位置を次第に失いつつある。このため、かつてのようにドル建ての投資がアメリカに還流しにくくなり、その結果、ドルは大幅に下落するようになった。それとともに米国債も下落し、ドルの信用が不安定になったため、ドル離れが急速に進行しつつあるのが現状だ。
 この結果、アメリカは世界経済を編成する力を失いつつある。その意味で、(1)の力の源泉は急速に失われつつある。もちろん、現在でもドルは基軸通貨であるものの、将来的には中国やEU、そしてロシアやインドを含んだ多極型の決済通貨システムに移行しつつあるのが現状である。
 さらに(2)も、1990年代には民主主義の象徴としてのイメージはかろうじて維持していたが、2003年のイラク侵略以降、それも完全に地に落ちてしまった。いまでは国内の共和党右派や超保守派のティーパーティー運動などの人々だけが熱狂的に信じる幻想程度のものでしかなくなった。イラク侵略以後、アメリカの民主主義の熱狂とは、結局、アメリカのナショナリズム(国粋主義)を合理化する口実に過ぎなかったことが露呈した。アメリカの民主主義は国際社会に対して、説得性を失いつつある。
 
 ではこれで米国の覇権は、終焉するのであろうか?

 確かに、経済的な力も民主主義の象徴的な力もアメリカは急速に失いつつある。だが、だからといって、これがそのまますぐにアメリカの覇権の喪失に直結するかといえばかならずしもそのようには言えない。
 米国にはまだ、世界最大の軍事力が残っている。これによる圧力と脅しによって、自らの国益に合致した国際秩序を無理に維持することはまだ、十分可能である。
 しかし現在のアメリカには、それだけの規模の軍事力を維持するだけの経済力はもはやないのではないかとの指摘も確かにある。
 だが逆に、強大な軍事力を行使して世界各地の緊張を煽り、そうすることで同盟国の結束を図りながら、米国の軍事力を同盟国に維持させるという方法は十分に可能である。事実、日本が毎年支払っている米軍基地の維持費、「思いやり予算」などはその典型である。

覇権の喪失に抵抗し、変質する米国

 ジャパンハンドラーズのリーダーであるジョセフ・ナイの論文にもあるように、現在のアメリカは自身の覇権を放棄する意志はない。そしてもし、米国が覇権を維持する方法がその極端に突出した軍事力しかなくなっているとすれば、今後アメリカは、覇権の維持で軍事力への依存を深め、軍事力を全面に押し出して来る可能性が高いと考えるべきであろう。
 米国は、あらゆる手段を使って、世界各地でその諜報能力を使って緊張を煽りながら、多極化の方向を無理矢理押し止どめ、覇権を維持する方向へと向かうと見ることも十分に可能である。

 その意味では、現在の中国の強硬な態度は逆に米国にそのチャンスを与えているとも言えよう。
 一方中国は、今年も「国益三原則」を南沙諸島や東沙諸島、また黄海や東シナ海に適用し、かなり強硬な態度に出て来る可能性が大きいと思われる。1月13日から中米首脳会談で、ある程度の妥協が成立したが、基本的に中国は強硬な態度を保持する可能性が高いと見た方がよい。
 しかし、中国の強硬な態度が高める地域の緊張は、軍事力しか頼る手段がなくなった米国にとって、緊張を利用して同盟国の結束を固め、覇権を維持する絶好の機会を与えることに繋がる。
 昨年の9月、米国によって演出された尖閣諸島騒ぎで見せた中国の強硬な態度は、中国ーアセアン自由貿易協定で中国と蜜月ムードにあった東南アジア諸国の態度を一変させ、アメリカへと結集させた。(現在、騒がれているTPPもその流れである。)今年もこれと同じことをアメリカは行うと見ることができる。本年も、アメリカの方から世界各地で緊張を高め、覇権の維持を積極的に図っていくのではないか。今回の北朝鮮のヨンピョントウ攻撃はこうした実例であろう。
 このような過程を経てアメリカは、これまでのどちらかというと経済的なパワーから、軍事的なパワーへと急速に変質することによって覇権国を維持しようとする戦略に打って出てくる可能性が高い。
 このことは、軍事的な対立の局面が今年は非常に多くなる可能性があるということを意味している。もちろん、そのことは石油価格、金価格等に大きな影響を与えることは、言うまでもないだろう。

 米国のこのような動きのなかで、現在、衆目の一致するところであるが、「政権交代」した日本の政治は、菅直人総理のうつろな目に象徴されるように完全に機能不全に陥っている。
以前のレポートでも指摘したように、冷戦構造の世界にあっては、全く好都合であった戦後作られた「日本というシステム」が、機能しなくなっている。米国のエリートと戦後既得権を得た日本のエリート(政治、官僚、経済界、マスコミ)の利益のために現在、国益(一般国民の利益)が失われているのである。今から振り返ると国際社会における冷戦構造は、彼らの私的利益と国益が一致した幸福な時代であったと言えるのかもしれない。その成功体験があまりに鮮烈なので、いまだに民主党、自民党の国会議員の多くが、冷戦時代の日本に戻ることができるというアナクロニズムに陥っている。このことが、現在の日本の政治を閉塞状況に押しやっていると考えてもいいのかもしれない。
 このような政治の閉塞状況のなか、愛知県での河村たかし名古屋市長、前衆議院議員大村秀章氏の県知事、市長選のダブル選挙の「地域政党」的な動きが今、東京をはじめ、全国から注目されている。今後の動きによっては、日本の政治の閉塞状況を打ち破る本物の動きの切っ掛けになるかもしれない。
 当事者である河村たかし氏が「VOICE1月号(2011)」に論文を載せているので、分析してみよう。(以下引用)

          『「減税に抗する「職業議員」との激闘記」
                                                                       河村たかし(名古屋市長)


まず、わが身を削れ

 平成22年12月8日、私が提出した、市民税10%減税を恒久化する条例案と、市議会議員報酬を1,630万円から800万円に半減する条例案が、名古屋市議会によって否決された。とりわけ市民税10%減税は、私が市長に立候補したときに名古屋市民の皆さんに訴えた「一丁目一番地」の政策。それが否定されてしまったのである。
 10%の市民税減税は、平成22年度から恒久減税として実施したかったが、市議会が同年3月に条例を「平成22年度に限って実施」と修正してしまっていた。今回それを覆すどころか、そもそも否決されてしまった。平成23年度に減税を継続させることが、これで不可能になった。
 なぜ、こんなことになったのか。そしてなぜ、私はこの点にこだわって戦いを続けているのか。いま、あらためて考えを述べたいと思う。
 まず、減税についてである。なぜ減税をせねばならないのか。そう問われたとき、私は「民間の企業は、どこも厳しい価格競争のなかで、知恵と汗を振り絞ってコストダウンを実現しているのに、行政だけ税金を取れるのをいいことに、のうのうとしていることが許されるのですか」と答えることにしている。私も30年余り、厳しい価格競争のなかで家業である古紙業の商売をやってきたが、その間、「財源がありませんので、値引きできません」などといったことはない。当たり前だ。そんなことをいったら、取引先にも相手にされなくなり、たちまち会社は潰れてしまう。
 行政も、まずは減税を行なうことによって、わが身を削り、行財政改革を実現していくべきなのだ。いま、民主党が国政に「事業仕分け」を導入しているが、そもそも、どこの企業がそんな手法を導入しているだろうか。商売は、そのように甘いものではない。商売上の値引きは、いってみれば毎日減税をしているようなものである。収入が減るとなれば、四の五のいわずにそれに対応せねばならなくなるのだ。
 さらにいえば、行政の無駄遣いがどこにあるか、いちばん知っているのは、担当部局の部局長であって、第三者の仕分け人ではありえない。就任当初、市役所のある職員と懇談していたら、「市長が本当に減税をやり、しかもその分を市民に返すというので、それならひと肌脱ごうと思った。減税がなかったらできなかったですよ」と話してくれた。人件費にしても、外郭団体の無駄遣いにしても、これまでなら、「まあ、ええわ」で済ませてきたものを見直してくれたというのである。実際に、平成22年度の市民税減税によって161億円の収入減となったのだが、市の職員たちは行財政改革によって185億円の財源を生み出したのである。
 しかも、それはよりよい公共サービス実施との合わせ技であった。名古屋市は、500円の「ワンコインがん検診」や、市交通局の「学生定期券」(自宅から学校の最短経路に限らず、アルバイトや習い事等の経路など、自由な区間で学生定期券を買える制度)、水道料金の最大1割値下げなどの行政サービス拡充を、減税と両立させてきた。行政も、民間の商売と同じように、税金を減らしつつ、よりよい公共サービスを提供することが重要なのだ。
 このようなことをいうと、名古屋市が平成20年以降、市債の起債を増やしたことをとらえて、「借金を増やして減税の成果を語るとは何事だ」と批判する人が出てくる。待ってほしい。現在、地方財政法で、地方自治体が市民税減税を行なう場合、国が設定している標準税率(6%)に満たない場合には総務大臣の許可が必要だと決められている。借金に頼って減税をすることを防ぐためだが、名古屋市は「減税による減収額を上回る行財政改革の取り組みを予定しており、世代間の負担公平に一定の配慮がなされている」と認められて、起債しているのだ。
 それに、名古屋市の市債残高は、平成20年から平成22年までで3.16%増加しているが、政令指定都市合計(平成19年度以降になった団体を除く)では、同期間に市債残高は3.2%増加している。つまり、名古屋市だけでなく政令指定都市全体も増加しているのだ。これは当たり前の話で、これだけ経済が厳しいのだから、民間経済を活性化させるためにも、市債を増やしてでも事業をしていかねばならないのである。
そもそも、不景気になって民間の投資マインドが冷え込んでしまうと、「貯蓄過剰」の状況が生まれてしまう。たとえば、最近の全国銀行の預貸率は73%ほどだという。預貸率とは、集めた預金などに対する、貸出し金額の割合のことだから、簡単にいえば、100万円の預金を集めたのに、73万円しか民間に貸し出せなかった、ということである。残りの27万円は貸し先がないという状況なのだ。
 このような場合には政府が、そのお金を借りて有効に使うようにしなければ、お金の行き先がなくなって金詰まりの状況になってしまう。
 これが、いま国債の発行が増えている状況の裏側である。つまり国債発行のかたちで、民間で行き先がなくなっているお金を使わなければ、経済はますます冷え込んでしまうのだ。それも考えずに、ただただ「日本は財政危機」と危機を煽りつづけるのは大きな間違いなのである。
 ギリシャの破綻を例として財政危機を強調する議論もあるが、それも間違いだ。ギリシャは国債を発行して「公務員天国をつくった」から潰れたのであって、「国債を発行したから潰れた」のではない。さらによくいわれるように、ギリシャは国債を外国に買ってもらっていたのに対し、日本は国内の貯蓄過剰分で賄っているのだから、その性質もまったく異なる。
 日本の官僚が、「いま日本には約900兆円の借金がある。この状況の改善が急務で、増税こそが正義だ」と国民を洗脳しているが、そんなことは嘘八百だ。
 経済回復させるためには、まず「減税」を実現させて、行財政のムダを省くとともに、民間の手元に残るお金を増やして経済を活性化させる。そして民間の貯蓄過剰分を国や自治体の債券で吸収し、有効に使う(公務員天国をつくるのではなく、経済活性化のために使う)ことによって、活発なお金の流れを取り戻すことが肝要なのである。


議員が「悪い王様」に!

 名古屋市は、率先して「減税」に取り組もうとしたのに、なぜ市議会が反対したのか。ここに、いまの日本の政治の大きな問題点がある。議員が「職業化」して税金議員になってしまっていることが、大変な弊害をもたらしているのである。
 議員たちが「減税」に反対するのは、自分たちの既得権と真っ正面からぶつかるからである。まず、減税をすると、議員たちが使い途を決められる金額が減ってしまう。これは議員たちからすれば自分たちの権力の源泉の一部を手放さなければならないことになる。さらに、自分たちの報酬が減ることにもつながる。市の職員たちが身を削って行財政改革を進めているのに、議員だけが高額の報酬を貰いつづけるわけにはいかなくなるからだ。
 議員の既得権固守を象徴する、もう一つの出来事が、名古屋で進めようとしている「地域委員会」への抵抗である。
 これは名古屋市内の小学校の学区単位で、ボランティアの地域委員を住民の投票で選出し、彼らに地域の課題とその解決策を検討してもらい、実際にその取り組みに対して予算付けをしていくものである。「住民が協力して、自らの手で自分たちの町をよりよくしていく」ことで、地域コミュニティの活性化を図ろうというプランだ。すでに平成22年にモデル事業を行ない、「歴史的建造物を活かしたまちづくり」「健康パトロール」「安心安全なまちづくり」など、創意工夫あふれる取り組みがなされるようになった。
 だが、市議会はこの事業を拡大させる予算案にも反対をした。議員たちからすれば、これまでは地域で選ばれるのは自分たちだけだったのに、そこに地域委員が現われた。考えようによっては、地域委員は、いつ自分の対抗馬になるかもわからない。家業を守るために、地域の民主主義の芽をつぶそうとするのである。
 歴史的にみれば議会制の始まりは、かつて国王が勝手な税金を掛けてくるのに市民たちが対抗したことにあったはずだ。だが、日本では議員が職業になり、家業化することで、より税金を安くするにはどうするかを考えるのではなく、どうすれば自らの報酬と地位を守れるかということばかりに頭を働かせるようになってしまった。議員自体が、「悪い王様」と変わらぬ立場になってしまったのである。
 私が議員報酬の半減を訴えたのは、このような問題意識があったからだ。議員はパブリックサーバント(公僕)であり、市民の給与と同じ水準でやるべきではないか、と考えたのである。
 まずは「隗より始めよ」で、市長の給与を年額2,700万円から800万円に減らし、さらに4年ごとに4,220万円もらえる退職金を廃止した。そのうえで、議員の報酬も800万円にしようとしたのだが、それが猛烈な抵抗に遭うことになった。
 日本は議員の数が多すぎるうえに、報酬が高すぎる。名古屋市は人口約226万人で議員定数75人、報酬年額(制度値)は約1,630万円。だが、シカゴは人口約283万人で、議員定数は50人、報酬年額は約910万円。ロンドンは人口約756万人で議員定数は25人、報酬年額は約690万円である。バンクーバーは、議員の給与を市内の平均所得に合わせているという。
 このようなデータを示しても、「議員は選挙にお金がかかる。事務所にも経費がかかる」などという人がいる。しかし、そのようなものは本来、寄付金で賄うべきものではないか。
 また、議員の報酬を減らすと庶民が議員になりづらくなる、などという議論もあるが、それも大きな間違いだ。海外のボランティア議員は、ボランティアだからこそ多選せずに早く辞め、そのぶん次々に庶民が議員になっていく。しかし日本では、議員が家業化しているので高齢になるまで選挙に出馬しつづけ、やがて世襲して議席を占拠しつづける。政治に参加できる人が結果的に限られてしまうのだ。
 現実問題として、現在、お金も何もなくて選挙に勝つケースが、どれほどあるだろうか。新鮮感があるためか、ただ若いというだけで議員に当選する最近の風潮もあるが、それはそれで問題だろう。社会経験が未熟なのに正しい政治ができるのか、疑問な点も多々あるからだ。
 いずれにせよ、「権力とは税金を取ること」であり、いまや職業議員たちがその急先鋒になっていることが、今回、私が提出した条例案の否決で明らかになったことは間違いない。


燃え上がった市民の怒り

 自らの掲げる「一丁目一番地」の政策が否定されたとき、政治家はどうすべきか。私は、そこで市民に対して市議会の解散請求(リコール)を呼びかけ、市民もそれに応えてくれた。この私の行動に対して「市長も、市議会議員も、それぞれ市民に選ばれた代表であり、市長がその議会の声を聞かないのは、二元代表制の原則を踏みにじる、独裁的横暴だ」などという声が挙がる。だが、私はその意見は間違っていると思う。
 私は、年収800万円とはいえ、市民の血税をいただいている。しかも、市長に当選するうえでの最大の公約が「減税」であった。それを否決されて、「議会の意向なので、どうしようもないんです」といって済む問題だろうか。しかも市議会は、私の政策を実行すれば既得権を侵される立場にある「当事者」だ。その議会に否決されて、諦めろというのか。
 総理大臣ならば、衆議院を解散して民意を問うことができる。ならば、市長が信念を貫き、市議会リコールの旗を振って、何の悪いことがあるだろうか。しかも、それは民意に問うことなのだから、けっして「暴君」などといわれるいわれはない。
 まことにありがたいことに、5万人弱にも及ぶ方々が署名を集める受任者として必死に走り回ってくださり、リコールの署名は、約466,000人分集まった。だが、思わぬ抵抗に遭うことになった。市選挙管理委員会が、署名の審査を厳正に行なうとして、審査期間を1カ月延長したうえに、結果的に11万人分以上を無効としたのである。このため、一時は、住民投票成立に必要な365,795人に届かない、ということになった。
 むろん私とて、その審査が適正なものならば異論はない。だが、その審査はあまりにも「度を越した」ものであった。これまでの審査では、市民の直接請求権を尊重する意味で、比較的緩い基準が取られていた。今回の署名活動も、それに準じて行なわれていた。だが、署名の提出が終わった9月30日に開かれた市選挙管理委員会の議事録に、「今回の署名の目的は市議会の解散であり、署名の審査はより厳格にしていく必要がある」とあるように、基準が厳しくされたのである。
 そして、とてつもないことが行なわれた。11月29日付の『中日新聞』によれば、住所の地番「20-3」が「20・3」にみえるという理由で無効にされたり、受任者の住所欄に書き損じて2平方ミリメートル程度の点が残ってしまっていたものを、請求代表者の「訂正印なし」という理由で無効とするなど、やりたい放題だったというのだ。高齢のため字を上手に書けず、それを無効だといわれて「わしも長く生きすぎた」と肩を落とした方がおられるという話も聞いた。「電話帳を写した可能性がある」などと、ひどいことをいう人がいたが、生年月日を書かなければいけないのだから、そんなことができるわけがない。
 なぜ約11万人分の署名は、無効にされたのか。市選挙管理委員四名のうち、3名が市議会OBだといえば、疑念を抱く人もいるかもしれない。審査基準も、前出の『中日新聞』が報じるところによれば、選挙管理委員会事務局長が「事務局としては、これまでの実例・判例からそこまで明確にしてよいものか疑問は残ります」といったのに、委員がそれを遮って厳格化させたという。
 議員の立場を守るために、そこまでして、市民の権利を踏みにじる「署名の虐殺」が行なわれたのだ。民主主義の仮面を被った独裁政治のような恐ろしさを肌身に感じた思いがした。
 当然、このような審査に、市民の怒りは燃え上がった。署名を無効にされたことへの異議申し立ては3万件を超えたのである。かくて2010年12月15日に、リコールを問う住民投票のため必要な署名数が確定したのであった。
この場合でも、即解散になるわけではなく、議会解散の是非を問う住民投票を経て、解散となる。民意を問う場が署名審査の次の段階に控えていることを考えれば、「署名虐殺」に走った今回の名古屋市選挙管理委員会の対応は、どう考えても異常であった。署名の審査に際して選挙管理委員が優先すべきは、「市民の政治活動の自由を守ること」であるはずだ。
 私は市長就任以来、「民主主義発祥の地ナゴヤ」という言葉を掲げてきた。だが、まさにいま「民主主義の真価」が問われているのである。


首長経験者の力をもっと国政に

 いま「中京都構想」を掲げ、来る愛知県知事選に立候補予定の大村秀章氏や、同じく「大阪都構想」を掲げている橋下徹大阪府知事と連携することを考えている。これは、愛知県と名古屋市を一体化し、現在、県と政令指定都市とで重複している行政を効率化することによって、減税を全県規模に拡大していこう、という考えである。
 ここで気を付けねばならぬことは、この構想の主たる目的は「県と政令指定都市の一体化」という間仕切りの話ではなく、あくまでその結果実現される「減税」にある、ということである。
 市民からすれば、間仕切りの話だけでは、何の意味もない。「減税」こそ、本稿でみてきたように大きな抵抗に直面する可能性が大きいが、市民の幸せに直結するものであり、全力で取り組むべき課題なのだ。
 私は衆議院議員を経験したのちに市長を務めたわけだが、国のためにお役に立とうと思ったら、「地域を経営する」という地方自治体の首長の経験はきわめて有意義なものだと実感している。首長経験者の力をもっと国政に反映させることができれば、日本の政治も、いまのように改革にも取り組めず、大事なことを何も決められない状況から脱することができるのではないか。橋下徹氏ら改革派首長や日本創新党などの首長経験者と連携し、声を挙げていきたいと考えている。
 いちばんの近道は、首長や地方議員と国会議員の兼職を認めるようにすることだ。すでにフランスなどでは行なわれており、十分に実現可能である。いま家業を継ぐ「職業政治家」ばかりになり、政界へのリクルート力が大幅に低下してしまった。それを打開するためにも、有効な一手だ。
 二番目は首長グループをつくっていくことであろうが、やはり旗印は「減税」であるべきであろう。世界の政治をみても、たとえば「アメリカの共和党が減税で民主党が増税」というように、ここが最大の対立軸になっている。私も日本の民主党を「減税民主党」にすべく努力してきたのだが、いまや国会は右も左も、みな「増税勢力」になってしまった。これではいけない。
 実際に改革に取り組んできた首長は、「納税者のみなさん、ありがとう」という実感を強くもっている。この得難い実感を結集し、増税勢力と対抗できれば、日本の国は見違えるような元気な国になるはずだ。ぜひ、それをめざしたい。 』(引用終わり)


 どのように考えられるだろうか?

 間違いがあるので、最初に指摘させていただきたい。米国の地方議会において、特に市議会においてボランティア議員が多いのは、米国においては、州政府がほとんどの行政の仕事をこなしているので、市役所の仕事が日本に比べると極端に少ないということに理由がある。アメリカにおいても国会議員には、世襲が多いことは、大統領選挙を見ていれば一目同然であろう。つまり、職業議員が多いということである。
 
 新自由主義を主張したマネタリストの経済学が破綻した今、生き残っている経済学は、ケインズだけである。その意味で、この論文で、河村氏が主張している減税して、民間に金を回して、需要不足は、公が起債して財政支出すると言う政策は、その意味で理に叶っている。もちろん、減税分を行政改革で浮かせるということが絶対条件ではあるが。また、河村氏のソブリンリスクに対する考えも大旨正しい。もっと言うならば、マスコミは、指摘しないが、日本国債の問題より、一番の問題は、米軍に防衛してもらっているという不可思議な占領状態のなかで米国の連邦政府や州政府の財政赤字を日本がファイナンスし過ぎていることである。現在の米国の経済状況では、おそらく、返ってくる当てのない米国債や、カルフォニアのような財政破綻している州債を大量に買わされていることの方がよほど大問題であろう。
 また、多くの改革首長に地方議会がこのような批判にさらされているのは、残念なことだが、現状の選挙制度で当選してくる議員の資質の低さにも原因がある。ろくな政治・経済の知識もなく、議員になった場合、二元代表とは言え、チェック機能が働かないのは、当然であろう。しかし、そうは言ってもそう言った議員を当選させたのは、一般有権者である。卵が先か、鶏が先かの議論である。
 考えるに、議員の定数が多すぎるのである。悪貨は良貨を駆逐するのである。そのために地域代表的な選挙が展開され、議員の資質が二の次のなるのではないか。
その意味では、地方自治法に規定された二元代表制をしっかり機能させたいのであれば、定数を絞って専門性をを高めることが必要不可欠になってくる。
 また、すべての議員がボランティアになってしまえば、首長の独断専行をチェックすることは、事実上、全く不可能になるのでは、ないかとも考えられる。
 氏の指摘を待つまでもなく、ヨーロッパのように地方議員や首長と国会議員の兼業を認めることは、政治の効率を高めることに繋がる。これから大いに検討すべきであろう。
 

 ところで、大村氏や河村氏がタッグを組んで「大名古屋=中京都」を作り、中京圏の経済効率を高めることは、大いに結構なことだが、わが東三河は、周辺地域に埋没する危険性もこの政策は秘めている。この地域のためには今一度、リーダーシップを執る首長がいない現在、東三河全体の政令指定都市化を、広域連携を真剣に考える地域政党的な動きが、急務になる展開が待っているのではないかと考えられる。心ある方にこのことを真剣に考えてもらいたい。

                          *今回は本の紹介です。
                                                               
 ところで、日本の政治経済の大きな動きを間違いなく読み取る一つの法則・秘訣が存在することをご存じだろうか。
 戦後の政治経済の動きは、善悪を超えて、この視点で眺めることによってすべてのマクロの政治・経済の動きが整合性をもって読むことができるのである。
 今までのレポートでも時々紹介してきたが、その秘訣は、すべての幻想、思い込みを捨てて、日本が戦争に負けた国であり、現在も米国の実質上、植民地(属国)であると冷徹に眺めることである。おそらく、今までは、この視点を貫徹することによって、日本の政治経済の大きな動きは間違いなく読み取ることができたのである。
 
  今回、紹介する本、植草一秀著「日本の独立」(飛鳥新社)は、そのことを逆証明するような本である。植草氏と言えば、「シャルウイ・ダンス」の周防正行監督が「それでもボクはやっていない」という映画に取り上げた痴漢冤罪事件で有名になってしまったエコノミストである。
 彼は、米国の後ろ盾を得て日本の権力の頂点にいた小泉・竹中氏の経済政策を強烈に批判していたので、当然のように不可思議な事件に巻き込まれて一時、完全に表舞台から追放された人間である。 そのために彼は、米(アメリカ)、官(官僚組織)、業(財界)政(議員を中心にした政界)、電(マスメディア)に対して「悪徳ペンタゴン」という過激な言葉を使うので、もしかするとアレルギーを起こす方がいるかもしれない。
 しかし、このことを大阪大学の教授松田 武氏はもっと上品に、学術的に「『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー――半永久的依存の起源』(岩波書店, 2008年)で解説しているので、松田教授の本を読めば、植草氏の言っていることが大旨理解できるはずである。
 
 一言で言ってしまえば、日本という国では、米国の都合と日本のエリートと言われる人々のある意味、私的利益のために、「戦後」がかくも長く続いているのである。  経営コンサルタントの船井幸雄氏がこの本を紹介しているのでご紹介する。以下。

 『この本『日本の独立』の内容は、まったくよく分ります。特に小泉・竹中両氏の権力者としてやったことについて彼なりに詳しく解明しています。
 私は同書により、「そごう」が最終的につぶされた理由を知りました。
 私にとりましては、世界一の百貨店を目ざして驀進していた「そごう」が2000年7月に突然、西武百貨店に合併され、その後、実体としては世間から消えてしまい、水島廣雄さんが晩節を汚さねばならなかった本当の理由がなかなか分らなかったのです。
 もっとも深く力を入れて付きあってきた百貨店ですし、水島さんには長年いろんな意味でお世話になりました。
 残念で仕方のないことだったのですが、この本を読んで理由がはっきりしてきました。
 経営者にとっては、政治家と銀行家は、どんなに親しくとも信用してはいけないようです。が、政治とか金融とかの世界の実態とは、そんなものなのでしょう。
 本書のサブタイトルは“主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘”となっています。
 とりあえず目次を紹介します。
まえがき

I 六・二クーデターの真実
第1章 信なくば立たず
第2章 対米隷属派による政権乗っ取り
第3章 日本の支配者は誰か
第4章 小泉竹中政治への回帰

II 小泉竹中政治の大罪
第5章 日本経済の破壊
第6章 官僚利権の温存
第7章 政治権力と大資本の癒着
第8章 対米隷属政治
第9章 権力の濫用と官邸独裁
第10章 平成の黒い霧(1)新生銀行上場認可
第11章 平成の黒い霧(2)りそな銀行の乗っ取り
第12章 平成の黒い霧(3)郵政米営化・郵政私物化
第13章 平成の黒い霧(4)「かんぽの宿」不正払い下げ未遂事件
第14章 平成の黒い霧(5)日本新興銀行設立の闇

III この国のかたち
第15章 大久保利通と官僚主権構造
第16章 米国による日本支配構造の系譜
第17章 対米隷属の父・吉田茂
第18章 CIAの対日工作
第19章 カネによる政治の支配

IV 菅直人政権の「逆コース」
第20章 政権交代に託された5つの課題
第21章 財政再建原理主義・市場原理主義の毒
第22章 「最小不幸社会」政策下の不幸放置
第23章 「抑止力」という名のプロパガンダ
第24章 官僚意識を変革する秘策

V 主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘
第25章 小沢一郎氏の『政治とカネ』問題研究
第26章 前近代の警察・検察・裁判所制度
第27章 菅直人と小沢一郎の全面戦争
第28章 政界再編と日本のルネサンス
あとがき

 この本は、本体1714円ですが、ふつうの人なら2-3時間で一読できます。
 日本人なら、絶対に読んでおいた方がよい本だと思います。政治家や官僚というのは、どんな人たちなのか、米国とはどんな国なのか、日本に対しての彼らの考え方は?
 その米国の代理人のような日本の政治家や官僚の思考と行動は……などが、植草流の見方ですが、本書でだれにもはっきり分ると思います。
 しかも彼の見方は、ほとんど正しいようだ……と私は思うのです。
 充分に調べていますし、論理に矛盾がありません。
 はっきり言いまして最近読んだ本の中で、本書くらいアタマをすっきり整理してくれたのは他にありませんでした。
 私は、いまの資本主義や、利権がらみの政治や行政には、そんなに興味を持っていません。エゴまみれ、お金まみれの人非人たちのキツネとタヌキの化かしあいのような世界のようで、こんな世界がそんなに永続しないのは、まちがいないでしょうし、時流が、そのように動いていると思うからです。
 それでも、植草さんが、この本で書いていることぐらいは知っておいた方が絶対によいと思います。
 できることなら、日本国民としてとりあえず本書の内容を、信じる信じないは別にして知っておいてほしいと思い、きょうここに、紹介することにしたのです。
 できれば1800円を投じて、本書をぜひ御一読ください。』

 以前、「壊れ始めた日本」というレポートに書いた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」が日本国の中にしっかり存在し、日本人の国益を一般人にはわからぬように奪い取っていくシステムが戦後の1945年から1970年の間にほぼ完成しているのである。
 
そのシステムを植草氏は「悪徳ペンタゴン」と言い、松田教授は、「戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー」と言っているのである。
 米国がその覇権を維持するために、軍事力、政治力によって自国経済の空洞化を埋めようと悪戦苦闘している現在、、善悪を超えてその実態を知っておくことは、これからの日本社会を考える人には、必要不可欠だと思われる。是非、一読を勧めたい。

                                                    「壊れ始めた日本」(1)
                                                               
 
 数々の外交の失態、警視庁の国際テロ捜査資料の流失、海上保安庁の中国漁船衝突ビデオ流失事件、もしかすると、現在、「戦後作られた日本という国のシステム」が壊れ始めているのかもしれない。
 
 間違いなく言えることが一つあるような気がする。第二次世界大戦に負けて米国主導で作られた日本の戦後のシステムは、冷戦という枠組みがあってこそ、有効に機能したのであって、その前提が崩れてしまった以上、冷戦構造の上に成立していた日本の行政、政治、経済の仕組みが、ある意味うまくいかないのは、当然のことだと我々は、考えるべき時期を迎えたのではないかと言うことだ。
 事実、米国は、冷戦終了間際から、「ジャパンアズナンバーワン」と言われる程の経済大国になった日本を「プラザ合意」、その前後には、中国の元の大幅切り下げを認め、「ジャパンパッシング」と称する日本経済封じ込め戦略を着々と実行し、結果、現在の中国経済の成長を演出することとなった。目先の利くユニクロの経営者のような人々はおそらく、米国のその戦略を事前に知っていたのであろう。
 兎も角、現在、機能しなくなった日本の戦後システムすべてを見直す時代に入ったことは、間違いあるまい。以前にも書いたが、米国に呪縛された「永久占領」状態を脱しない限り、本当の意味で日本の未来を切り拓くことは、できないことをある程度の人々が共通の認識として持てるようにすべきではないかと思われる。
 戦後、半世紀以上にわたって、米国の実質上、占領下にある日本では、あらゆる処に米国のソフトパワーの網の目が張り巡らされている。もう、そろそろ心ある日本人は、「帝国以後」の時代(米国の覇権が終焉を向かえようとしている時代)を目前に控えた今、戦後、語られなかった本当の事を多くの人々に知らしめる義務があるのではないか。知識人と言われる方々に期待したいところである。

 十年以上前の話だが、人生の大先輩に「日本永久占領」片岡鉄哉著(講談社α文庫)を読んでいただき、感想を聞かせていただいたことがある。
 そして、その人生の大先輩は、こう言われた。「確かにこの本に書いてあることは、真実だと思う。しかし、戦後の貧しさを考えれば、現在の日本は本当に豊かになった。米国との関係で、世界一の債権大国の豊かさを日本人一人一人が享受しているわけではないが、仕方がない。」と。
 
 果たしてそうだろうか。

「日本永久占領」という本のテーマは、日本を狂わせたのは、戦後、米国から押しつけられた「日本国憲法」であり、ゆえに、憲法が作られた過程、そして、日米関係において、本来、進むべき道が、吉田茂とマッカーサーによって、著しく歪められたという事実の論証にある。現在の沖縄の基地問題しかり、自衛隊の問題もしかり、日本政府の国際政治の対応もしかり。全ての問題の根源は、この本で書かれている歴史を知らない限り、何も解決はしないと言っても過言ではないかもしれない。
おそらく、このままの状態を放置すれば、日本は米国による永久占領状態に止まることになるのだろうが、米国にその状態を維持するだけの覇権力が残っていないとしたら、我々はどうすべきなのか、真剣に考えなければならないだろう。

 ところで、日本の戦後を形作ったのは、象徴天皇制と平和憲法と日米安保条約の三点セットである。そして、昭和天皇自身が日本の戦後体制の形成に大きく関与していたというのが、日本人が聞きたくない、語りたくない歴史の真実なのである。さすがに、片岡氏は、吉田茂の政治行動に関与した昭和天皇の戦後直後の二重外交には、全く触れていない。小生は、この事実を、最近、数冊の本によって確認したために、日本人として大変深い悲しみを胸に抱えることになってしまった。
 昭和天皇自身は、自身が導いた属国日本が、冷戦終了後、米国に巧みに経済的に収奪され、漂流する日本国となった姿を見ることなく、崩御されたのは、まことに幸運なことでは、あった。
 
 ここで、今から約60年前である1949(昭和24)年に、米国が日本で一体何をしたのかということについて振り返ってみよう。
 1949(昭和24)年、日本は「主権国家」ではなかった。なぜなら、第二次世界大戦における敗戦により、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による支配を受けることになったからである。そして、そのGHQを事実上仕切っていたのが、かつての敵国である米国であった。不平等条約(吉田 茂はこの事を熟知していた)である「日米同盟」が連呼される今となってはもはや信じがたいことであるが、この時、米国は日本をどうすることもできた全能の勝者であり、日本はなすがままに任せるしかない悲しき敗者なのであった。
 GHQは日本を占領統治するにあたり、「民主化」と「非軍事化」を掲げ、一斉に日本で構造破壊を始めた。しかし、爆撃機B29による連日の空襲で焼け野原となり、工場が崩壊する中、消費財の生産など一切ままならなかったのが、当時の日本の状況である。しかも、戦地からは続々と人々が引き上げてきて、「需要」は急上昇した。 その結果、「モノ不足」とそれに伴う「価格の急騰(=ハイパーインフレーション)」が日に日に深刻となり、日本政府の失策も重なって、もはや経済崩壊の危機にまで陥った。
 ところが、GHQは米国本国から「日本の経済復興」を当初、宿題として課されてはいなかったため、インフレを抑えるどころか、逆にそれを加速させるかのように「構造破壊(たとえば財閥解体)」を熱心に進めていったのである。
 しかし、1947(昭和22)年ごろになって状況は一変。それまでも不審な動きを見せていたソ連が北ペルシアでの撤退期限を守らなかったことから、一気に東西冷戦が始まったからである。あわてた米国は世界戦略を練り直すはめとなった。その中で、日本を一体どうすべきかということが議題に取り上げられたのである。
 そして、そこで行われた集中的な日本戦略見直しの結果、一人の銀行家が日本に「救世主」として派遣されることとなった。デトロイト銀行の頭取として腕をならしていたジョセフ・M・ドッジである。日本史を学んだことのある方であれば、「ドッジ・ライン」と聞けばピンとくるはずだ。彼が超緊縮型の予算案を日本政府に提示したとき、日本側はこれを「ドッジ・ライン」と呼んだのである。「放漫な財政支出を日本政府がやめることが、極度に進んだインフレを収束させるのにはもっとも有効だ」と考えたドッジによる強硬策であったと、一般の教科書には書いてある。
 そして、このように「苦い良薬」を煎じてくれたからこそ、日本はその後、奇跡と言われる経済復興を遂げたのであって、まさにドッジは戦後日本経済にとっての恩人だとも言われる所以だろう。
 しかし、ここに決定的な「落とし穴」がある。なぜなら、米国人から見たとき、とりわけ現代を生きる米国人のエリートたちの目から見ると、ドッジの功績はもっと別のところにある。それは何か。
 その頃、米国国内では議会を中心として、多額の対日復興援助が「本当に米国のためになっているのか」という批判が高まっていた。したがって、GHQとしてはこうした批判に応えるべく、何らかの仕掛けをしなければならない立場に置かれていたのである。そこでドッジが考えついたのが、「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組みをつくること」なのであった。
 ドッジはまず、米国が日本にあたる援助(小麦など食糧支援が主)を日本政府にマーケットで売りさばかせ、それと同額のカネを日本銀行に開設された口座に積ませた。そして、そこに貯まっていく資金を、今度はGHQ、すなわち米国の指示に基づいてだけ日本政府が使うことを許したのである。いわゆる「見返資金」である。
 それでは米国はこの資金を一体何に使わせたのかというと、意外にも「日本人に米国の良さを宣伝する」といったプロパガンダ目的ではほとんど使われていない(総額の2%前後)。それに代わって、もっとも使われたのが、かつて軍国主義の屋台骨として戦争協力をしたために解体されるはずであった「特殊銀行」(当時の日本興業銀行など)を経由する形での、ありとあらゆる日本の企業が復興するための資金提供であった。そして、ドッジによる熱心な指導により、銀行セクターをはじめとする日本経済全体がそれまでの「復興インフレ」による壊滅的な打撃から立ち直ることに成功したのである。
 その後、1952(昭和27)年にGHQは日本から最終的に「撤退」し、日本は、名目上の「再独立」を達成する。例の「見返資金」はどうなったのかといえば、米国に返金されることはなく、そのまま名称を変えて日本の経済発展のために用いられ続けた。そして、やがて日本は高度経済成長を迎えることになる。
 おそらく、小泉政権で、米国の手先として「構造改革」を推し進め、米国のために尽力した竹中平蔵氏が特殊銀行の日本開発銀行出身者なのも偶然ではないと考えるべきであろう。
 竹中氏の改革政策というものは、現実には、ほとんど米国の金融資本のためのものだったことは、現在では、かなりの方が理解されてきたところだと思われる。
結果として下記の様な政策効果がもたらされた。
 
小泉・竹中改革は新たな税金略奪者を日本政府に招き入れた

・骨太の改革は税金の収奪者を国内の利権団体から欧米の強大資本に移転させる結  果になる
・国内の利権団体も欧米の強大資本も日本人の税金を私物化しようとしている点にお いてまったく同じだ
・90年代の米国式改革が短期的ではあるが、成功した国は米国だけであり、他の国 々には混乱だけが残された。米国においても想定元本5京円というとんでもないデ リバティブ金融商品の借金だけが残され、現在、米国はデフォルトするか、戦争を するしかない 状況にまで追い込まれている
・民間企業の最大の利益は民間人同士のフェアなビジネスにではなく、上手に税金を 引っぱり出すことで得られる これは世界における大財閥の形成の過程を勉強すれ ば、明らかである
・日本の政治家や官僚は、米国政府+欧米の強大資本がどうやって日本で金儲けをし ようとしているか、金儲けの絵図面が理解できていないか、もしくは自分たちさえ よければいいと考えている
 ・だから絶好の格好のカモとして狙われているのではないか
 意図するとせざるとにかかわりなく、こういう改革を売国奴的改革というしかないのではないか 
                   それでは、米国政府から日本銀行・日本政府への要求とは何だったのか。
一言で言えば、「ここまで育ててやったのだから、金=富をよこせ」ということだったのである。そのための方法が下記のようなものであった。
・量的金融緩和:豊富な円資金を米国に還流させろ
・金融システム安定化(不良債権処理を加速化させ、整理統合)させ、金融機関を米 国資本に差し出せ
・内需を支えるために失業対策などを行え
・米国にとって都合のよいルールに変えろ
・成長のための日米経済パートナーシップ(商法改正等)
・規制改革(金融改革、司法改革、医療改革、通信改革、etc)
・市場重視
・米国の民間人を公的・民間部門のリストラに活用しろ
 
 一言でまとめてしまえば、1985年(昭和60年)のプラザ合意以降の日本の経済史の裏面史は、米国による日本の富の収奪の歴史なのである。一例を上げるなら、1980年代に「セイホ」と名を轟かせ、米国経済を米国債購入によって支え続けた日本の生命保険会社が、莫大な為替差損を被り、外資に乗っ取られていったことは、まだ、記憶に新しいのではないだろうか。

 それでは、1955年の保守合同以降、半世紀以上にわたって日本の政治を担ってきた自民党の戦後政治とは、どのようなものだったのだろうか。
 一言で表現すれば、「自民党政治の終わり」という本で、野中尚人氏が主張しているように
「自民党システムは一種のインサイダー政治であったが、その網の目が自民党だけでなく野党のネットワークをも通じて、社会の隅々まで広がっていたのである。「一億総中流」とは、まさにその結果であった。自民党はもちろん、それと協働した行政官僚制が大きな役割を担い、国対政治を通じて野党も暗黙の参加者であった」
 
 江戸時代から行政官僚制が先行して確立していた日本においては、権能が憲法によって保障された国会が、民主主義が確立された戦後から巧みに行政に融合していったのである。もちろん、戦後、GHQが軍隊以外の官僚機構をそのまま温存して占領政策を推し進めたことが、このことを決定的にしたことは言うまでもない。そして、大きな政策決定は政府が行うが、日々の細かい政府の仕事は、行政官僚が担う役割分担が確立されたのである。このような官僚が政府と一体となったボトムアップとコンセンサス重視式の政治運営は、冷戦という限られた経済圏の中で、経済成長を追求するには、まことに効率的に機能したのである。
 そして、このシステムは、戦後の冷戦期における経済成長と世界秩序の安定を前提にある意味、議員の後援会活動等を通じて「草の根民主政治」を具現してきたが、その限界、問題点としては、
①利害による民意吸収の裏腹として利権による腐敗を生じやすく、公共財や政治理念 から遠くなりがちであること、
②世界秩序の変動や低成長経済や社会の高齢化による分配の困難化といった大きな環 境変動に対処するには、自民党システムにおけるリーダーシップの欠如が致命的で あることが挙げられる。

 この戦後の冷戦構造の下で、自民党政治が創りあげてきたのが、日本型の安定した資本主義システムであった。その特色は、
   (1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム
  (2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係(間接 金融システム)
   (3)ケインズ的経済政策を主体とした政府主導の旺盛な公共投資による有効需要の創出
   (4)地域と政治家のインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した所得の再分配システム
 
 このようなシステムは、日本企業の安定成長をもたらし、所得の再分配を保障し、安定した社会をつくりあげるのに極めて有効に機能した。しかし、政治家や官僚のインフォーマルな関係を通して所得の再分配が決定されたため、投資に関与する人間が利益を掠め取るという腐敗した関係の温床にもなるという欠陥も併せ持っていた。
  しかしながら、このシステムが、会社村、専業主婦の共同体、学校の共同体というような戦後日本社会の安定した生活環境をもたらしたことは疑いのないところだろう。
  先程から何回も指摘しているが、このような環境に日本が置かれたのは、冷戦という国際社会の構造があったからに他ならない。冷戦が終了したときに、「この冷戦の勝者は日本だ」と米国に言われたことを思い出していただきたい。
 レポートで何回も指摘したように冷戦の勝者である日本から国富を奪うための米国の戦略が、「ワシントンコンセンサス」であり、「グローバリズム」であり、それを進めるための「構造改革」であった。身も蓋もない言い方をしてしまえば、日本で言われていた「構造改革」とは、1980年代半ばに考え出された米国の対日経済戦略そのものだったのだと言っても過言ではないのである。いろいろ他のまともな改革も一緒にして、その本質が見えないように「構造改革」と言われたので、多くの国民が勘違いをしてしまったのである。
 その真意は、上記に述べた「将来、日本経済が豊かになった暁には、米国が正々堂々とその果実を刈り取っていける仕組み」それが、あれほど党内、国内に反対の多かった竹中氏が主導した構造改革を推し進めることを可能にしたのである。もちろん、米国の政策に対して意識的に、無意識に協力するような仕掛けが戦後、日本社会のあらゆる処にに仕掛けられていたことは言うまでもない。
 その結果、現在、日本の公共圏は、大変な劣化をし、「格差社会」と言われるようになってしまったのである。現在、安定した社会が失われつつある不安を、いろいろな思惑がある勢力が扇動しようとしているのが、日本の状況であろう。
 
 このように「戦後つくられた日本というシステム」が壊れていこうとしていると同時に米国による第二次世界大戦後につくられた世界秩序(パックスアメリカーナ)も砂上の楼閣のように、消え去ろうとしている。

 ところで、小生が異国人であったなら、世界一の債権大国、つまり、世界一の金持ち国、そして潜在的資源大国の国をどのような状況においておきたいだろうか。
 その国の国民を覚醒させないで、自分の言うとおりに動く状態にずっと置いておきたいと考えるだろう。おわかりだろう。すべての国は、日本に対してそう考えているのである。

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