1月 312013

*報道されない安倍総理の「セキュリティダイアモンド構想」について

 

プラハに本拠を置く国際NPO団体「プロジェクトシンジケート」のウェブサイトに、12月27日付けで安倍晋三首相の英語論文が掲載された。しかし国内メディアは、産経新聞が少し取り上げただけで、沈黙を守っている。

 そもそも安倍総理が英語で論文を発表していたということ自体、知らない人が多いのではないか。

 安倍首相が論文を発表したのはプラハに本拠を置く国際NPO団体「プロジェクトシンジケート」のウェブサイトである。プロジェクトシンジケートは世界各国の新聞社・通信社と提携しており、各国要人のインタビュー記事を配信するなど実績あるNPO。

 その重要性は。安倍総理以外の寄稿者の顔ぶれを見ても一目瞭然だろう。ジョージ・ソロス、ジョセフ・スティグリッツ、ビル・ゲイツ、マイケル・サンデル、クリスティーヌ・ラガルド、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

 2月に出版されるプロジェクトシンジケート叢書では、安倍総理の論文がこれら寄稿者のトップページを飾ることになるようだが、日本マスコミの沈黙はf不可思議としか言いようがない。自国の総理が英文で世界に訴えた?メッセージを、当の日本国民が知らない状態を放置するようでは、世界に対してあまりに恥ずかしいというものである。

朝日・読売・日経といった国内大手新聞はプロジェクトシンジケートと提携しているにもかかわらず何を考えているのだろうか。取り上げたくない理由でも、どこかにあるのか。

そう言った意味でも是非、読んでいただきたい論文である。

興味深いのは、前回のレポートで指摘したヘリテージ財団のシナリオ=アメリカネオコン派の戦略に沿って外交政策を進めると安倍氏が宣言している内容だが、すでに11月の時点でこの論文が発表されていることである。



Asia’s Democratic Security Diamond

 

TOKYO – In the summer of 2007, addressing the Central Hall of the Indian Parliament as Japan’s prime minister, I spoke of the “Confluence of the Two Seas” – a phrase that I drew from the title of a book written by the Mughal prince Dara Shikoh in 1655 – to the applause and stomping approval of the assembled lawmakers. In the five years since then, I have become even more strongly convinced that what I said was correct.

Peace, stability, and freedom of navigation in the Pacific Ocean are inseparable from peace, stability, and freedom of navigation in the Indian Ocean. Developments affecting each are more closely connected than ever. Japan, as one of the oldest sea-faring democracies in Asia, should play a greater role in preserving the common good in both regions.

Yet, increasingly, the South China Sea seems set to become a “Lake Beijing,” which analysts say will be to China what the Sea of Okhotsk was to Soviet Russia: a sea deep enough for the People’s Liberation Army’s navy to base their nuclear-powered attack submarines, capable of launching missiles with nuclear warheads. Soon, the PLA Navy’s newly built aircraft carrier will be a common sight – more than sufficient to scare China’s neighbors.

That is why Japan must not yield to the Chinese government’s daily exercises in coercion around the Senkaku Islands in the East China Sea. True, only Chinese law-enforcement vessels with light weaponry, not PLA Navy ships, have entered Japan’s contiguous and territorial waters. But this “gentler” touch should fool no one. By making these boats’ presence appear ordinary, China seeks to establish its jurisdiction in the waters surrounding the islands as a fait accompli.

If Japan were to yield, the South China Sea would become even more fortified. Freedom of navigation, vital for trading countries such as Japan and South Korea, would be seriously hindered. The naval assets of the United States, in addition to those of Japan, would find it difficult to enter the entire area, though the majority of the two China seas is international water.

Anxious that such a development could arise, I spoke in India of the need for the Indian and Japanese governments to join together to shoulder more responsibility as guardians of navigational freedom across the Pacific and Indian oceans. I must confess that I failed to anticipate that China’s naval and territorial expansion would advance at the pace that it has since 2007.

The ongoing disputes in the East China Sea and the South China Sea mean that Japan’s top foreign-policy priority must be to expand the country’s strategic horizons. Japan is a mature maritime democracy, and its choice of close partners should reflect that fact. I envisage a strategy whereby Australia, India, Japan, and the US state of Hawaii form a diamond to safeguard the maritime commons stretching from the Indian Ocean region to the western Pacific. I am prepared to invest, to the greatest possible extent, Japan’s capabilities in this security diamond.

My opponents in the Democratic Party of Japan deserve credit for continuing along the path that I laid out in 2007; that is to say, they have sought to strengthen ties with Australia and India.

Of the two countries, India – a resident power in East Asia, with the Andaman and Nicobar Islands sitting at the western end of the Strait of Malacca (through which some 40% of world trade passes) – deserves greater emphasis. Japan is now engaged in regular bilateral service-to-service military dialogues with India, and has embarked on official trilateral talks that include the US. And India’s government has shown its political savvy by forging an agreement to provide Japan with rare earth minerals – a vital component in many manufacturing processes – after China chose to use its supplies of rare earths as a diplomatic stick.

I would also invite Britain and France to stage a comeback in terms of participating in strengthening Asia’s security. The sea-faring democracies in Japan’s part of the world would be much better off with their renewed presence. The United Kingdom still finds value in the Five Power Defense Arrangements with Malaysia, Singapore, Australia, and New Zealand. I want Japan to join this group, gather annually for talks with its members, and participate with them in small-sized military drills. Meanwhile, France’s Pacific Fleet in Tahiti operates on a minimal budget but could well punch above its weight.

That said, nothing is more important for Japan than to reinvest in its alliance with the US. In a period of American strategic rebalancing toward the Asia-Pacific region, the US needs Japan as much as Japan needs the US. Immediately after Japan’s earthquake, tsunami, and nuclear disaster in 2011, the US military provided for Japan the largest peacetime humanitarian relief operation ever mounted – powerful evidence that the 60-year bond that the treaty allies have nurtured is real. Deprived of its time-honored ties with America, Japan could play only a reduced regional and global role.

I, for one, admit that Japan’s relationship with its biggest neighbor, China, is vital to the well-being of many Japanese. Yet, to improve Sino-Japanese relations, Japan must first anchor its ties on the other side of the Pacific; for, at the end of the day, Japan’s diplomacy must always be rooted in democracy, the rule of law, and respect for human rights. These universal values have guided Japan’s postwar development. I firmly believe that, in 2013 and beyond, the Asia-Pacific region’s future prosperity should rest on them as well.

Shinzo Abe is Prime Minister of Japan and President of the Liberal Democratic Party. He wrote this article in mid November, before Japan’s elections.

<日本語>

「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」

 

  2007年の夏、日本の首相としてインド国会のセントラルホールで演説した際、私は「二つの海の交わり」 ─1655年にムガル帝国の皇子ダーラー・シコーが著わした本の題名から引用したフレーズ─ について話し、居並ぶ議員の賛同と拍手喝采を得た。あれから5年を経て、私は自分の発言が正しかったことをますます強く確信するようになった。

 太平洋における平和、安定、航海の自由は、インド洋における平和、安定、航海の自由と切り離すことは出来ない。発展の影響は両者をかつてなく結びつけた。アジアにおける最も古い海洋民主国家たる日本は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきである。

 にもかかわらず、ますます、南シナ海は「北京の湖」となっていくかのように見える。アナリストたちが、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言うように。南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、間もなく中国海軍の新型空母がよく見かけられるようになるだろう。中国の隣国を恐れさせるに十分である。

 

 これこそ中国政府が東シナ海の尖閣諸島周辺で毎日繰り返す演習に、日本が屈してはならない理由である。軽武装の法執行艦ばかりか、中国海軍の艦艇も日本の領海および接続水域に進入してきた。だが、このような“穏やかな”接触に騙されるものはいない。これらの船のプレゼンスを日常的に示すことで、中国は尖閣周辺の海に対する領有権を既成事実化しようとしているのだ。

 もし日本が屈すれば、南シナ海はさらに要塞化されるであろう。日本や韓国のような貿易国家にとって必要不可欠な航行の自由は深刻な妨害を受けるであろう。両シナ海は国際海域であるにもかかわらず日米両国の海軍力がこの地域に入ることは難しくなる。

 このような事態が生じることを懸念し、太平洋とインド洋をまたぐ航行の自由の守護者として、日印両政府が共により大きな責任を負う必要を、私はインドで述べたのであった。私は中国の海軍力と領域拡大が2007年と同様のペースで進むであろうと予測したが、それは間違いであったことも告白しなければならない。

 東シナ海および南シナ海で継続中の紛争は、国家の戦略的地平を拡大することを以て日本外交の戦略的優先課題としなければならないことを意味する。日本は成熟した海洋民主国家であり、その親密なパートナーもこの事実を反映すべきである。私が描く戦略は、オーストラリア、インド、日本、米国ハワイによって、インド洋地域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダイアモンドを形成することにある。

 対抗勢力の民主党は、私が2007年に敷いた方針を継続した点で評価に値する。つまり、彼らはオーストラリアやインドとの絆を強化する種を蒔いたのであった。

 (世界貿易量の40%が通過する)マラッカ海峡の西端にアンダマン・ニコバル諸島を擁し、東アジアでも多くの人口を抱えるインドはより重点を置くに値する。日本はインドとの定期的な二国間軍事対話に従事しており、アメリカを含めた公式な三者協議にも着手した。製造業に必要不可欠なレアアースの供給を中国が外交的な武器として使うことを選んで以後、インド政府は日本との間にレアアース供給の合意を結ぶ上で精通した手腕を示した。

 私はアジアのセキュリティを強化するため、イギリスやフランスにもまた舞台にカムバックするよう招待したい。海洋民主国家たる日本の世界における役割は、英仏の新たなプレゼンスとともにあることが賢明である。英国は今でもマレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドとの五カ国防衛取極めに価値を見いだしている。私は日本をこのグループに参加させ、毎年そのメンバーと会談し、小規模な軍事演習にも加わらせたい。タヒチのフランス太平洋海軍は極めて少ない予算で動いているが、いずれ重要性を大いに増してくるであろう。

 とはいえ、日本にとって米国との同盟再構築以上に重要なことはない。米国のアジア太平洋地域における戦略的再編期にあっても、日本が米国を必要とするのと同じぐらいに、米国もまた日本を必要としているのである。2011年に発生した日本の地震、津波、原子力災害後、ただちに行なわれた米軍の類例を見ないほど巨大な平時の人道支援作戦は、60年かけて成長した日米同盟が本物であることの力強い証拠である。

 私は、個人的には、日本と最大の隣国たる中国の関係が多くの日本国民の幸福にとって必要不可欠だと認めている。しかし、日中関係を向上させるなら、日本はまず太平洋の反対側に停泊しなければならない。というのは、要するに、日本外交は民主主義、法の支配、人権尊重に根ざしていなければならないからである。これらの普遍的な価値は戦後の日本外交を導いてきた。2013年も、その後も、アジア太平洋地域における将来の繁栄もまた、それらの価値の上にあるべきだと私は確信している。 

百害あって一利なしの人間ドック?!

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1月 302013

大変、興味深い記事を見つけたので、ご紹介します。

JB PRESS  2013119日号より

「百害あって一利なしの人間ドック」

~健診はおやめなさい 医学界の“異端児”が警告する日本の問題点~

川嶋 諭

<川嶋 諭プロフィール>

早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立

いまから15年以上も前になるだろうか。作家の五木寛之さんにインタビューした際、「自分の体は他人に頼らず自分自身でメインテナンスするものだ」と言われたことが1つのきっかけとなって、定期健診というものを受けなくなった。会社に何度催促されても無視を決め込んだ。

がんだと診断されても安易に切るな!

 

ただ、前の会社で編集長になったとき、できる秘書がついたためにスケジュールをことごとく管理され、東京都内で最も人気の人間ドックに予約を入れられて、仕方なく健診に行かざるを得なくなったことがあった。

 すでに50代の半ばにして、バリウムというものを飲んだのはこのときの1回だけである。

 神様の思し召しか、しばらくしてこの美人秘書が結婚。彼女の夫のニューヨーク転勤で会社を辞めてしまったので、人間ドックや定期健診から再び逃れることができるようになった。

 恐らく生まれながらに天邪鬼の性を両親から授かったのだろう。これが常識だと言われると間髪を入れずに反発したくなる。村社会の日本でははぐれ者だという認識は強い。

 でも、そんなはぐれ者にも温かい日本は何て素晴らしいのだろうともこの歳になってつくづく思う。いまの日本には問題が山積みだけれども、決して悪いことばかりではない。

 必ず解決策を提示してくれる人が現れる。明治維新も恐らく、清河八郎という人物がいなければ起こらなかったかもしれないではないか。

 さて、いまの日本の医学界で、清河八郎とは言わないが、孤軍奮闘、日本の未来のために戦っているお医者さんがいる。慶應義塾大学の近藤誠さんである。

 近藤誠さん、明治維新で言えば、新撰組の近藤勇を思い出す。名前は勇ではないが、新撰組の旗印は「誠」だった。何か運命的なものも感じるお名前である。

 近藤先生は日本のがん治療は根本的に間違っていると言う。まず、先進国では日本にしかない定期健診。こんなものは必要悪だときっぱり。健診技術の進歩でがんかもしれない部位を発見する能力は格段に上がった。

 でも、その大半は「がんもどき」であって正真正銘のがんではないという。でも、「がん」と認定できれば、医師は抗がん剤治療をはじめ様々な“お金になる治療”が施せる。その結果、日本では必要もない外科手術や抗がん剤治療が跋扈しているというのだ。

 この問題は恐らく、日本の原発村にも通じるところがある。メディアもそうだ。1000万部とか800万部などという新聞は日本以外に存在しない。とにかく、日本人は権威に弱い。

 詳しくは次のインタビュー記事をお読みいただきたいが、私たちの住む日本という国を本当に良くしたければ「お上」に頼ろうとする気持ちを私たち自身がリセットする必要がある。

川嶋 近藤先生は、お父さんと2代続いてのお医者さんだそうですね。最初は、お父さんと同じように、いわゆる“普通に”診療されていたのに、何がきっかけで、がんは切らない方針に転換されたのでしょうか。

近藤誠・慶應義塾大学医学部放射線科講師。1948年生まれ。乳房温存療法のパイオニアとして、抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、がん治療における先駆的な意見を発表し、啓蒙してきた第一人者。2012年、それらの活動により第60回の「菊池寛賞」を受賞

 

落語家の立川談志を襲った悲劇

 

近藤 1つは診療体験、もう1つは勉強の成果です。医学生の時は患者に接しないし責任を持たないから、講義や教科書の知識をそのまま信じるわけです。

 医者になっても最初はがん治療をやるつもりは全くなかった。そもそも目的意識がなかったのに成績が良かったから慶応義塾大学の中で医学部に入って、勉強とスポーツと茶道に夢中になったという経緯があるんです。

 スポーツは体育会に属する医学部のボート部で、やるとなったら徹底的にやり切る方なので、成績も良かった。医学生としても、当時は医学が好きというより勉強が好きだったんだと思います。とにかく勉強はしました。

 ところが、臨床実習が始まるとあまり面白くなくなってしまった。次第にさぼりがちになり成績が落ちてしまった。専攻として放射線科を選ぶときも、外科系に行って夜も眠れないほど忙しいのは困ると考えたからでした。

 すでに学生結婚していて子供もいたし、忙しすぎるのは嫌だった。比較的体が楽な内科系でしかも夜はしっかり休めるところというのが選択基準だったんです。それに当時は放射線診断が伸びてきていたので、その診断学を身につけてから内科に行くかなぁという感じで選びました。

 ただ研修医のときは、診断学と放射線治療(がん治療)とを半年交代で学ぶことになっていたので、がん患者を診察し始めたんです。すると、いろいろ医療の矛盾が見えてきた。

 亡くなる直前まで抗がん剤治療をしているけれども、これって実は治療によってかえって命を縮めたんじゃないかとか。また、治療法が日本と欧米でまるっきり違っていることが分かったり・・・。日本の治療はこのままでいいのかと疑問が芽生えた。

 例えば、落語家の立川談志さんが罹った喉頭がんがあるでしょう。欧米では放射線治療で切らないのが主流になっていたけど、日本では1期から4期まである1期の早期がんでも切ってしまう。

 また食道がんも欧米では放射線治療が当たり前なのに、そういうのを日本ではみんな切っちゃうわけね。

川嶋 その結果、患者の声が出なくなるとか、食べられなくなるとかは二の次なんですか。

近藤 そう。喉に穴をあけて、声が出なくてかわいそうな生活を患者に強いるわけです。しかも日本の中でも1期でも全部が手術かというとそうじゃなくて、ある患者にはやり、ある患者にはやらないとか、病院によって施術が違ったりしていた。

 どうしてこんなことが起きているのか疑問だった。でも、若い頃だったので勉強に精一杯で問題意識を深めるまではいかなかった。そのうち、6年ぐらい経ってからは診断業務から離れて放射線治療を専門にすることにしたんです。

 そして、1979年に米国へ留学した

いまになって日本でもけっこう流行っている粒子線治療を勉強しました。1人で留学に行ったもんだからけっこう時間があるし、それまでの治療関係の論文を手当たり次第に読み込みました。

 そのうちに放射線治療というのはこんなもんなんだという全体像が見えてきた。そこから日本の治療方法を見返すと、これは遅れていると。これは変えなきゃいけないと思い始めたんです。

 臓器を残して治療ができるのだから、患者のことを考えたらそちらを選ぶべきではないかと。この前亡くなった中村勘三郎さんの食道がんにしても、子宮頚がんとか舌がんとか膀胱がんとかみんな臓器を残して治療ができる。それなのに、日本では全摘されちゃって後遺症で苦しんで、生活の質が悪くなる。

信用を得るために論文執筆に全身全霊

近藤誠先生の最新著書『医者に殺されないための47の心得』(アスコム、税抜き1100円)

 

日本のがん治療を変えなければいけないと思って日本に帰国したんですね。帰国してからはさらに一段深く勉強するようになって、1年360日病院に出てきて朝から晩まで論文を読んで、過去のデータを調べたり論文を書いたりしていました。

 そのときは、患者に向けての発信じゃなく、医者向けに発信しようと思っていたからです。医者が変わってくれれば、それが一番の早道でしょう。彼らは臓器を残しても治療できるということを知らないのかと思ったし。

 

川嶋 新しい治療法を知らないお医者さんを啓蒙しようとされたわけですね。でも、力のあるお医者さんであればあるほど自分の方法にこだわりがありませんか。

 

近藤 そうね。だから、私自身の発言を信用してもらわないといけない。そのためにまずは論文をいっぱい書いて、信用力をつけて、働きかけをしようと一生懸命やった。その頃はまだ珍しかった英文の論文もどんどん出しました。

 一方で、いろいろ新しいこともやり始めました。

 例えば悪性リンパ腫では、本来は内科が抗がん剤治療をするはずなんだけれど、これがあまりきちんとした抗がん剤治療をやっていない。一緒にやりませんかと持ちかけても怖がってやらないんですよ。

 それなら自分でやろうと、海外のやり方を取り入れて抗がん剤治療を始めました。

 当時は「放射線治療をしてください」と言って、悪性リンパ腫の初期の患者さんが来るんだけれど、3割ぐらいしか治らず、あとは放射線をかけたところ以外に再発する。がん細胞が全身に散らばっているのだから、最初から抗がん剤治療をやらなければいけないんです。

 ところが、内科でやっているのは欧米よりも質量ともに劣った方法のままなんです。日本の悪性リンパ腫がなかなか治らない原因はここにある。そこで、内科医に抗がん剤治療をやりませんかと言っても何だか尻込みしてやらない。

 で、自分でやっちゃえと。しかも患者は私がいる放射線科に来るからわけですから。数年経って成績をまとめたら、3割の治癒率が8割になっていて、それを内科系の学会で発表したら、放射線科医にやられたとか言われてね。ちょっと鼻が高くなった(笑)。

 乳がんもそうで、乳房温存療法が欧米では始まっていて標準治療になる勢いだったから、日本でもこれはできると思った。

 ただ、欧米でやってるからと言うだけでは迫力がないので、自分で経験を積まなきゃいけないと思ってやり始めたわけです。

 最初のきっかけは、1983年に私の姉が乳がんになったことでした。姉から相談があったからおっぱいは残せるよって言って温存療法を勧めた。もう術後30年経ったけれど、転移がなく元気にしていますよ。

 正確に言うと、おっぱいへの再発はあったんです。でもそれはもう1回手術して、それでいまは元気にしてる。これはほかの臓器への転移がないから「がんもどき」なんだ。がんもどきは局所再発しやすいという典型例みたいなものだった。

がん患者をどうしても増やしたい日本

川嶋 がんもどきというのは、顕微鏡検査では悪性のがん細胞と同じように見えるけれども、ほかの臓器へは転移しにくい。これに対して正真正銘のがん細胞は体のあちこちにすぐ転移してしまうわけですね。

近藤 本物のがんか、がんもどき、かは転移の有無で区別できる。本当のがん細胞だったら、それが発見されたときにはすでに全身に転移してしまっている。これはあとで詳しく言うけれども、日本でがんと診断されているのは、実は大半ががんもどきなんですよ。

 よくがんを切って治ったというのは、がんもどきを切って治った治ったと言っているんです。もし正真正銘の悪性のがんだったら、切ったらむしろ転移を促進させてしまう。

 話を戻しましょう。

 その頃、放射線科に来る乳がんの患者さんは全員、すでに外科で乳房を全摘されていて後の祭り。なかなか、最初に私のところに来てくれない。それで、知り合いの新聞記者に伝えて、読売・朝日新聞に載せてもらった。

 そうしたら、少しずつ来てくれる患者さんが増えてきた。だけど一方で、外科に一緒に温存療法やりませんかと持ちかけても「フンっ」てな感じで、全くやる気がないんですよ。こっちに信用があるも何も関係ない。取りつく島がないという感じでした。

 当時の日本では、がんは根こそぎ切り取るのが当たり前という雰囲気でした。面白い話があるんですよ。1980年代、乳がん研究会という組織がありました。今の乳がん学会ですね。そこで縮小手術というテーマでシンポジウムを催したんです。

 それまで日本の標準治療は乳房だけではなく、その裏の筋肉まで取るハルステッド手術でした。筋肉まで取ってしまうと術後は後遺症が大変なんです。そこで、筋肉だけは取らずに残そうというのが縮小手術です。ハルステッド手術より患者に優しい縮小手術を普及させようというのがシンポジウム主催者の狙いでした。

そのとき米国において日本人の外科医で成功してる人、そして乳がん治療を中心にやっている人を講演者として呼んで話してもらったのです。

 そしたら、その人が話し始めたのが乳房温存療法だった。日本よりも一段階先に行っていて、ハルステッド手術をしている日本の外科医だけでなくシンポジウムで縮小手術を普及させようという主催者の両方が目を丸くしてしまった。

 他方、米国から来た外科医は、「え! 日本の縮小手術って全摘なの?」と、こちらもびっくりしていた・・・。

固定観念の強すぎる大学病院

 

川嶋 日本の後進性を思い知らされたわけですね。そのあとは米国に倣えという動きが活発になったのですか。

近藤 それが全然だめなんですよ。私も慶應病院で乳がん外科の責任者に温存療法をやりませんかと言ったら、フンってそっぽ向かれちゃったからね。

 やらないって言うなら、それはそれでかまわないんだけれど、実はとんでもないことが起きたんですよ。1987年のことだった。夜、帰ろうとしたときに放射線科の奥に灯りがついていたから何かと思って行ったら、看護学生がアルバイトで働いているじゃないですか。

 私の顔と名前を知っていて、外科に入院している誰誰さんって知ってますかと聞く。その患者さんは温存療法を希望していて、「近藤先生に会わせてください」と言っているけれど知ってますかと。

 朝日新聞で紹介されたのを見て、慶應病院に行けば私に会えると思って来て、受付で乳がんなので近藤先生にと言ったけれど、外科に案内されて入院することになったらしいんだ。

 入院してからも温存だ、近藤だ、とナースや医者に言っているのに、私には全然連絡がなくて。そのままレールに乗せて全摘手術の日も決まってという状況だったんですよ。

川嶋 患者の要望は聞く気が全くないのですね。それは外科がそれまで自分たちが積み上げてきたことを崩されては困るということですかね。患者の側からするとひどいですよ。

近藤 ひどいよなぁ。受付は素人に近いから仕方ないかもしれないが、外科はナースも医者も私が温存療法をやっているのを百も承知なわけだからね。

 そういう事情が分かっていたので、私に教えてくれた看護学生に患者と連絡を取ってもらい、その患者さんに会うことができた。そして、私が温存手術を頼んでいる別の病院に紹介したんだ。それで一件落着したんだけどね。

川嶋 慶應病院の外科の先生は、温存療法は絶対してくれないんですね。意地になっているんでしょうか。

近藤 うん。それに仮にやらせたって、温存と言っても切る量がいろいろあるから。半分おっぱい取っちゃって、それで温存だとか言う医者もいるし。そんなところには任せられないでしょう。私が頼んでいたのは大学時代の同級生で、米国で外科免許を取って日本に戻って別の病院にいた。私は、外科手術はできないから彼に頼んだ。もっとも、のちに彼を詐欺罪で訴えることになるんだけど・・・。

 結果は、温存療法が大成功して話題を呼び、日本の乳がん患者の実に1%が私のところへやって来るようになっちゃった。

 それで彼がいた個人病院、一応総合病院なんだけど、そこでは実は彼は病院内開業医で定額給料じゃなく出来高払いという契約だった。かなり珍しいケースだけれど。そうすると、できるだけ患者からお金を取るという方法を取る。

それは倫理的にどうかと思ってはいたんだけれど、ほかに手術をしてくれる医者がいないから離れられなかった。何年か我慢して付き合っていた。

 ところが、2002年になって問題が顕在化してしまった。ある患者さんが手術を受けた病院でもらった請求書はおかしいと言い出した。そこには手術費用のほかに検査費用まで入っているじゃないですか。

 検査費用はすでに健康保険で賄われているはず。それなのに何万円か分の検査費用が保険外で請求されている。これは二重取りの詐欺に当たる。犯罪でしょう。

 それで早速患者さんたちに声をかけて領収書を集めてみたんだ。すると、ずっと前から二重取りしてることが判明した。これにはさすがに堪忍袋の緒が切れてしまった。

小さな悪事が乳房の温存療法の大敵に

 

そして、患者さんたちにいままで詐欺をされていたというのを教える文書を作って渡したら、それが報道されてものすごく大きく扱われて、ちょっとした社会問題になったんです。患者の中で何人か正義感のある人が告訴すると言い出した。

 彼らが医療問題に取り組んでいる人たちと連携してその外科医を警察に告訴・告発したんです。警察は半年ぐらい一生懸命調べ、私も段ボール箱で何十箱分のカルテや請求書を病院でコピーして検察に送った。警察は詐欺罪で立件できると思ったから。

 けれども結局、検察の判断は不起訴になった。その理由は、手術した外科医をかばう患者がいるんですよね。「この先生は私の命を助けてくれた」と。また、「いま先生がいなくなったら経過を誰が診てくれるんだ」と。

 そういう患者の取り調べ調書が出てくると、「私は二重取りだと分かっていたけれど払ってました」となっちゃうんだ。二重取りされた方がそれを分かっていた場合には詐欺罪は成立しない。そうなると公判を維持できないから、検察官は起訴を見送ってしまった。警察は怒っていたけれど・・・。

川嶋 命に関わる医療現場の難しい問題ですね。命に引き換えたら数万円なんかたいした問題ではなくなる。むしろ手術をしてくれる医師がいなくなることの方が問題という気持ちもよく分かります。でも、二重取りしていた医師には、何と言うかがっかりさせられますね。せっかく良い仕事をしているのに。

近藤 それはそれはとても複雑な・・・。彼がいなければ温存療法はできなかった。だけど、かなり早い段階から向こうの意図は「これは金になるな」だったからね。でも代わりがいなかった。一種の必然なんだろうな。

 ロード・オブ・ザ・リングのゴラムだったか、悪のかたまりみたいな存在でも役に立つことがあるという話が出てくるけれど。それと似ているかもしれない。

川嶋 企業経営の世界でも必要悪はあると思います。でもなぁ。目の前の小さな利益に目がくらんで大きな利益を逃がしてしまっているわけだし、日本の医療改革のためにもマイナスになってしまうわけでしょう。小さいなぁ。

米国帰りの医者に欠如していたモラル

近藤 彼は米国でチーフレジデントという名誉あるポストを得ています。これはすごいことで、専門家になって自信満々で日本に帰ってきた。だけどきちんとしたポストでは処遇してくれないし米国ほどお金ももらえない。

 彼はできるだけ歩合の良いところを求めて病院を2度かわってるんです。こっちはお金のことには全然関心ないし、執筆活動で患者にできるだけ温存療法を広げようということに夢中になっていたので、彼のそういうところは後で知ったのだけれど・・・。

 また、もし彼の意図を分かっていたとしても、彼を外すのは難しい面もあったんです。実は患者さんが増えて手に負えなくなってきたので、ほかの外科医を患者さんたちに紹介したことがあったんです。

 ところが、患者さんたちはみんな帰ってきちゃうんですね。ほかの外科医と話をしたけれど、私の同級生の医者の方がいいらしくて。

川嶋 外科医としての腕も超一流となると、そうなんでしょうね。

近藤 悩ましいよなぁ。彼も彼なんだけど、さっきの話に戻ると、患者を慶應の病棟から逃がして手術をしてもらったでしょう。患者さんやこっちとしては、知らんぷりを決め込んでいた慶應外科の医者たちも許せないよな。

 患者を騙してお金を取ったら犯罪だけれども、必要もないのに女性の大切なおっぱいを取っちゃっても犯罪にはならないからね。

 でも、それを慶應病院内でとやかく言っても絶対勝ち目はない。外科は花形で内部では力があるし。放射線科は再発転移で送られてきたのを治療しているだけで影響力はほとんどなくて、外科とか婦人科とかそういう手術する科の下女下僕みたいな扱いだよ(笑)

 

そうじゃいけないと思ってやってきたんだけれど、今日に至るまで放射線医にはそんな性が染みついていると言うか・・・。結局ね、放射線科には心優しい人が入ってくるんだよ。私も心優しいんだけど(笑)

心優しくて協調性が高いだけだと、患者が送られてくれば放射線治療するけれど、人のテリトリーに乗り込んでいって手を突っ込むようなことをしない人たちがほとんどなんだ。全員じゃないけれど・・・。

 私の仲間と思っていたのはさっき話した米国帰りの外科医ぐらい。結局は彼にも裏切られてしまったけれど。

 そんなことがあって、私もあるときから医者に対する啓蒙活動をやめてしまった。論文も自分が教授になるために書いていたわけではなくて、自分に信用力をつけて外科医たちを説得しようと思っていたわけだから、もう論文書くのはやーめたと。

連載が始まって・・・

 

その後は、医者相手ではなくて、マスコミを通して患者や一般人を相手に啓蒙活動に専念することにしたんです。

 本について言えば、まず1987年に廣済堂から『がん最前線に異状あり』という本を出しました。これは私が企画したのではなくて全くの偶然だった。

 実は私ははがん告知にも取り組んでいたんです。1980年代の初めまではがん告知は100%タブーでしたが、悪性リンパ腫で抗がん剤をきっちり使わなきゃいけないという思いがあったんで、やはり本当のことを患者に伝えようと思っていた。

 米国から帰ったあと1980年代の初めからがん告知を積極的にやって、85年以前には末期がんも含めて100%の患者に告知するようになっていた。そういう取り組みがマスコミに知れて、週刊朝日とかに報道されて、廣済堂の方から出してくれということになった。

 乳がんのときは週刊や月刊の女性誌に手紙出して、こういうケースや治療法があると送って載せてもらって患者を増やす努力を始めたんだけど、あまり来ないんだ。見出しが「おっぱいを残す奇跡の治療法」みたいな怪しげなものだったから(笑)。それじゃ患者は来ないよな。

 それで、1987年に、たまたま医事新報という開業医なんかが読む雑誌を厚生省の記者クラブで読んだと言ってTBSが取材に来て、番組を作って放映してくれた。それで患者が増えたんだけど、番組を見逃したという患者がどこだどこだと探し回ったそうですよ。

 

川嶋 メディアで有名になっているのに同業者のお医者さんから無視された形になっていたということですね。

近藤 実は医者だけではないんだ。当時、乳がん患者会で一番有名だった「あけぼの会」っていうのがあって、全摘を受けている、多分ハルステッドで筋肉まで取られた人が会長だった。

 ある患者さんがそのあけぼの会に、どこで温存療法をやっているのかを聞いたそうです。そしたら、「そんなことは自分で調べなさい」と、温存療法と聞くなりガチャンと電話を切られてしまったとか。明らかに悪意がある。温存療法を認めたくないと。カリスマ的な会長だったんだけれど。

川嶋 患者を守るはずの患者会までが。人間というものの醜さ満載ですね。

近藤 結局、私のところを知っている別の患者さんに教わったそうですけどね・・・。

慶應の実名を出したことで大問題に

 

そして翌1988年、『がん最前線に異状あり』の本を読んだ文藝春秋の編集者が4月に電話してきて会って、これは3本ぐらい書けそうだから手始めに乳がんでどうかと言ってきた。

 そのとき考えたのは、前から文藝春秋には書きたかったんだけど、いざ向こうから頼まれてみると、いま書くべきなのかと悩んだ。

 やっぱり私も自分の身が可愛いからね。だって影響力の大きな雑誌に書きたいことを書いたら、自分が孤立するのは目に見えている。必ず村八分になるよね。下手をすると慶應病院をやめなければならないかもしれないし、確実に貧乏になる。

 で、悩みに悩んだ。自分の身は可愛いけれど、10年後に書いてもあまり意味はない。そのとき書かせてくれるか分からないし、その間におっぱいを失ってしまう人がいっぱい出てくる。できるならいま書きたい。

 でも書くと、そのときには私のところに来ていた外来患者は、病院内のいろいろな診療科から放射線をやってくださいといって送り込まれていて、教授の外来より多かったんです。それがゼロになるかもしれない。

 近藤のところになんかやるか、と阻止されて。患者が来ないとさすがに外来を続けられないし、患者がいない医者が病院にいても意味ないからと肩をたたかれても居座りにくいし、アルバイトに行っている病院も辞めさせられるとか。どう考えても貧しくなりそうだ。

 出世はもちろんのこと、医者としての未来をすべて失うかもしれない。その頃までは、臨床で講師になったのは一番早かったし、論文もいっぱい書いていたし将来は真っ先に教授になるだろうと言われていて、色気も少しあったんだよね。

 そうやっていろいろ考えたんだけれど、やっぱりここで書かなければいけないと決心した。前の年に経験した、温存療法を望んでいた患者が外科で手術されそうになった一件とか、そういうエモーショナルな部分も大きく影響していたね。

 コノヤローっていう気持ちがないと書けないんだよ。あなたも物書きだから分かるよね。それで決心して娘2人を呼んで、当時は下が中学生(上は高校生)だったかな、お父さんはこれから外科と一戦交えて、どうみても豊かにはなれない、貧乏になるかもしれないから覚悟しとけと。

 それで書いたものが5月に出たんです。タイトルは編集長がつけたのだけれど、「がんは切らずに治る」ってね。そしたら案の定、外科が怒り狂った。

 おまけに、慶應の名前をはっきり出して書いたからね。名前を伏せるのは簡単だけど、私のところに来た患者を外科が勝手に手術しようとした一件があったあとでしょう。慶應に来たらダメなんだよと書かなきゃいけない。

 それで、「日本どこでもおっぱい切られちゃうんですよ、東大病院だろうと慶應病院だろうと」と書いた。恐らく、そこに一番反応したんじゃないかな、外科の人たちは。それがなければ慶應病院の外科に患者が増えて、ありがとうってことになるわけだから(笑)

記事が出たあとは、患者さんが殺到して大変でした。治療を受けた人たちが新たな市民団体も立ち上げました。患者さんが動くとすごいんですね。それがまた新聞に載って、患者さんが増えるという状態でした。

 一方、あけぼの会も神奈川支部の幹部が何人か私のところにやって来て、温存療法の講演会をやってくれということになった。「あなたたちもうおっぱいを切っちゃってるじゃないですか」と言ったら、「いやもう1つあります」と言うんだよ(笑)

 そして数カ月後に会場にいったら、あけぼの会の神奈川支部だったはずなのにソレイユって名前になってる。どうしたのかと思ったら、近藤の講演会があると聞いた会長が神奈川支部の一人ひとりに「神奈川支部は解散されました」という手紙を送りつけていたんです。

あのあけぼの会にもドラスチックな変化

 

もともと運営方針を巡って何かあったらしいんだけど、あけぼの会でも支部はついに温存療法に動き始めたわけですね。

川嶋 慶應病院の方はどうなったんですか。

近藤 私の外来の患者紹介は記事が出たその週からすべてストップしました。その代わり乳がん患者がいっぱい来るようになった。文藝春秋の影響は大きいとは思っていたけど、想像以上でした。

 新患が週に1人でも2人でも私のところに来れば、患者がいるんだから私を辞めさせることはないだろうと思っていたんだけれど、実際そういうことになったようです。

 その後、逸見政孝さんががんで亡くなったことをきっかけに文藝春秋で連載をするようになって、本物のがんとがんもどきの違いについて分析をし始めました。さらにがんの手術、放射線治療、抗がん剤、がん検診などについて深く分析しました。

 その1つの集大成が『患者よ、がんと闘うな』という本になったんです。1996年に出版されました。

 その中で本物のがんと「がんもどき」の区別をしたことから、がん論争が起きたんです。私のがんもどき説が、すんなり認められようなことがあると、日本のがん治療はほぼ崩壊するでしょう。そこに気づいた専門家たちから強く攻撃を受けることになった。もっとも、反論のおかげで、世間で広く話題になったことはプラスでしたが・・・。

 この本を読んで、今度は乳がん患者だけではなく、がん全般に切らずに放置しておきたいという患者さんたちが僕のところに数多く集まってきた。

 150人以上、本当に困った症状が出てくるまで、がんを放っておくという人たちが集まってきて、その後の経過をまとめて『がん放置療法のすすめ 患者150人の証言』という本にした。

川嶋 先生は抗がん剤は血液のがんなど必要な場合もあるけれども、日本人に多い胃がんや肝臓がん、肺がんなどには効くどころか猛毒であると言っていますよね。日本のお医者さんは抗がん剤を投与したがるとよく聞きますが本当なんでしょうか。

 

近藤 抗がん剤は、悪性リンパ腫とか急性白血病という血液がんとか、効果のあるがんもあるんだけど、それは全体の約1割程度です。胃がん、肺がん、乳がんとか、いわゆる固形がん、固まりを作るがんにはほとんど効かない。

 それなのに投与している。患者に毒を飲ませているようなものだよ。かえって患者の体を悪くしてしまう。

 でも、抗がん剤の投与をやめると、それに関わっている人たちの生活が崩壊するよね。だからできないんだ。本当はいま患者に投与されている抗がん剤の約9割は使うべきではないんだ。

 また、私の言うとおりにすると、外科手術だって8割ぐらいなくなる。そうなると外科医や手術に携わっている人たちの生活も崩壊する。「がんは放置しておけ」というのは、日本の医療システムを脅かす。だから強い反発があるんですよ。

 

川嶋 先生は人間ドックなど定期検診も受けるべきではない。とりわけ、検診車でレントゲン撮影を受けると、X線による被曝でかえってがんになる危険性が高まると指摘されています。

 

近藤 一般的な健康診断(健診)については、この本(『医者に殺されない47の心得』)の中で1つだけ例を載せたけど、そもそも全部がムダなんだよね。

 実は定期健診については、それを受けている人と受けないでいる人の病気になる確率を調べた調査があるんですよ。

 それによると、定期健診をまめに受けている人の寿命は全く延びていないどころか短くなっている。そのうえ、定期健診で定期的に被曝してしまっている。英国の調査によると、日本は世界の主要国15カ国の中で最もCT検診回数が多い国だそうですよ。

 そして、その調査ではさらに、日本人のがんが原因で死亡した人の3.2%は医療被曝が原因とされているんだ。定期的にお金をかけて健診を受けて殺されてしまうのは、何と日本人はお人よしなんだろうね。

 日本は健康診断とか人間ドックとか、職場検診を強制しているけど、これはひどいよな。基本的人権の侵害、憲法違反だよ。この国に生まれた不幸だな。

川嶋 がん以外の病気についてどうですか。定期健診の効果はあるのでしょうか。

近藤 これも不要・有害。定期健診でいろいろ余計なことが見つかってしまう。例えば高血圧だとかね。それで本来は必要もない高血圧の薬を飲まされて、実は寿命を縮めている。

 高血圧については、国の基準値があるでしょう。1998年に当時の厚生省が出していた基準は「上が160mmHg、下が95mmHg以上」でした。それがどういうわけか2000年に改定されて「上が140で下が90」に引き下げられたんだ。

1998年の基準だったら、いまの日本人は1600万人が高血圧という認定になるけれど、新基準では3700万人が高血圧ということになった。実に2倍以上に膨れ上がった。基準の操作で病人を作り出し、医療を受けさせようというわけだ。

 そもそも年齢を重ねると血管が硬化して体の隅々まで血液を送れなくなるから血圧は高くなって当たり前。それを無理やり下げたら、体にいろいろ問題が生じてしまう。

 それなのに日本人をみんなメタボにしてうまい汁を吸おうという輩がこの国にははびこっているんだな。筆頭は医療機関だけど、厚生官僚もグルだよね。天下り先づくりにご熱心だからね。

 

川嶋 先生は孤軍奮闘、既得権益に挑戦されていますが、仲間づくりのようなことはされないのですか。日本の医療を本格的に変えようという志のある先生たちを集めるとか。

 

近藤 少なくとも抗がん剤治療をしている人たちは改革したくないよね。仕事がなくなっちゃうから。がん治療ワールドの外にいる人たちは分かっていて、自分の患者には抗がん剤はやめなさいと言っているけど、そういう人たちでも表に出てきてマスコミに「抗がん剤は要りません」なんて積極的に発言する人はほとんどいない。

 それに、言ったところで「専門家じゃないくせに何を言うか」ということになる。メディアにも取り上げてもらえない。

 

川嶋 それは日本に突きつけられた現実としては厳しいですね。既得権益の強固さは原発村以上のものがありますね。何と言うか、これは私たち日本人の中にある根っこの問題のような気がします。

 これまでお医者さんは神様だから全部任せてたという。お医者さんもそうですが、「お上」という考え方ですね。自分自身で考えて自主的に行動することに慣れていないというか、自主的に行動しないようにされてきてしまった。

 

近藤 まぁそうだな。だからその材料となる医学的な事実というのは私がこれからも発信していくんだけど、治療を受けている人たちの意識が変わらないとだめだね。

 先日、中村勘三郎さんが亡くなったでしょう。初期がんだというのに発見から4カ月で。こういうときにメディアが何を書くかというのも大きな問題だよね。勘三郎さんも人間ドックなんか行かなければ、まだ生きていたことは確実です。

川嶋 最後にお聞きしたいのですが、がんの予防方法は何かありますか。

近藤 タバコを吸っている人はやめること。あとはバランスいい食事。健診は症状が出てきてからやればいい。そこの段階で治るものは治るし。治る治らないは決まってるから。

 積極的な予防法はないね。ストレスは心理的なものだから、心理状態が変わって遺伝子が変化するかというと、それは多分否定的だと思う。

 精神的な影響で何らかの物質が変化して、それが遺伝子に働きかけないと。神経がいくら働いても、遺伝子を傷つけるかは疑問です。

川嶋 どうもありがとうございました。

 まるで、米国の要望する政策を実現するために行われたような昨年末の総選挙の結果を考えると2013年の動きをある程度予想することができるのではないか。

すなわち、残念ながら日本は、しばらく覇権国である米国の思惑通り、動かされるということである。まず、そのような考えで以下の文章を読んでいただきたい。また、あの石原慎太郎氏も昨年、この財団によって「尖閣騒ぎ」を起こしたことも合わせて思い出していただきたい。

(引用始め)

*古村 治彦氏のブログより

ヘリテージ財団(Heritage Foundation)ウェブサイトより 

2012年11月14日

「ヘリテージ財団の日本政治論:シナリオはできていた?  

http://www.heritage.org/research/reports/2012/11/us-should-use-japanese-political-change-to-advance-the-alliance

アメリカは日本の政治の変化を利用して同盟を深化?させるべきだ(U.S. Should Use Japanese Political Change to Advance the Alliance)

ブルース・クリングナー(Bruce Klingner)

 

<要約>:2012年12月16日、日本国民は、日本の政治状況を再び変えるための機会を持つ。多くの有権者にとってこのような変革は3年前にも見たものである。この時は、民主党が選挙に大勝し、政権を獲得した。選挙公約を実現できず、改革を現実のものとすることができなかった。その結果、日本国民の政治の変革を求める熱望は満足させられないままの状態にある。世論調査の結果を見てみると、保守の自民党が再び衆議院で過半数を占め、安倍晋三元首相が次の日本の首相になると予想される。安倍氏の保守的な外交政策に対する考えと日本国民の間で中国に対する懸念が増大していることは、アメリカ政府にとって素晴らしい機会を提供することになる。アメリカ政府は、この機会を利用して、日米同盟の健全性にとって重要な政策目的を達成することができる。 



重要なポイント(Key Points

1.2009年の総選挙は、日本政治におけるリーダーシップの在り方を変えてきた。しかし、民主党は選挙公約を実行できず、改革を現実のものとすることができなかった。その結果、日本の一般国民の政治を変革したいという熱意は存在しているものの、どの政党にも信頼を置いていない。



2.日本の次のリーダーたちは、いくつかの厳しい挑戦に直面することになる。それらは、停滞する経済、増大していく公債、高齢化していく人口、中国と北朝鮮からの安全保障上の脅威、国際社会における影響力の低下である。



3.中国は日本に地政学上の攻勢をかけている。この結果、日本全土でナショナリズムが高揚している。そして、日本の政治状況と来たる選挙の結果を変えることになる。



4.各種世論調査の結果から、次の総選挙では、保守の自民党が衆議院で再び過半数を占め、安倍晋三元首相が日本の次期総理になることが予想される。



5.安倍氏の保守的な外交政策に対する考えと日本国民の間で中国に対する懸念が増大していることは、アメリカ政府にとって素晴らしい機会を提供することになる。アメリカ政府は、この機会を利用して、日米同盟の健全性にとって重要な政策目的を達成することができる。



 3年前、民主党は総選挙に大勝し、政権を獲得した。民主党の大勝は、自由民主党による半世紀に及ぶ支配によって作り出された政治の停滞に対して人々の怒りがうねりになったことによるものだった。しかし、高揚感はすぐに消え去った。財政の現実?に直面し、民主党は、非現実的な経済に関する公約を破棄することになった。そして、中国と北朝鮮からの脅威に対応することで、民主党は現実離れした外交政策を転換せざるを得なくなった。アマチュアリズムが蔓延し、多くのスキャンダルに見舞われ、民主党は政治的に自民党同様、機能不全に陥り、短期間で首相を次々と変えるようになってしまった。民主党政権初の首相、鳩山由紀夫は1年も持たずに辞任し、二人目の菅直人もわずか15か月、首相の地位に留まっただけだった。有権者たちは民主党支持から態度を変え、参議院では、それ以前の選挙では信頼しなかった自民党が参議院をコントロールできるだけの議席を与えた。



 公約を実現できなかった結果、民主党は次の選挙で衆議院の過半数を失い、政権を手放すことになるのはほぼ確実だ。

  各種世論調査の結果によると、次期総選挙では、保守の自民党が過半数を獲得し、自民党総裁で元首相の安倍晋三が日本の次の首相に選ばれる可能性が高い。安倍氏は、外交政策について保守的な考えを持っている。そして、日本国民は中国への懸念を早大させている。こうしたことは、アメリカにとって絶好の機会となる。アメリカは、こうした状況を利用して、日米同盟の健全性にとって重要な政策目標を達成することができる。

  アメリカ政府は、これまで長い間、日本に対して、自国の防衛でより大きな役割を果たすこと、そして防衛力と経済力に見合った海外での安全保障の責任を引き受けるように強く求めてきた。日本が防衛予算を増大させ、集団的自衛権を行使し、海外での非岩維持活動における武器使用についての厳格なルールを緩め、沖縄の普天間基地移設問題で辺野古に代替施設を建設することは、アメリカにとって利益となる。

<日本の有権者は今でもリーダーシップを切望している>(Japanese Electorate Still Longing for Leadership)

 2009年の総選挙は日本の政治状況を変化させたが、民主党は公約を実行して、改革を実現することができなかった。その結果、日本国民の政治の転換に対する熱望は残ったままになり、政党に対する不信感が残った。世論調査などを行っても、「支持政党なし」「支持する候補者なし」という答えが多くなっている。このような政治不信は、日本政治に空白を生み出し、そこに大阪市長の橋下徹が登場し、日本維新の会(Japan Restoration Party、JRP)を結成した。



 2010年に尖閣諸島を巡り中国と対峙して、民主党は選挙期間中に訴えていた、外交政策、安全保障政策に関する公約を放棄した。例えば、民主党は、日米同盟を批判しなくなった。また中国との関係を深め、アメリカ抜きの東アジア共同体を構築するという主張も放棄した。また現在、普天間にあるアメリカ海兵隊の航空基地を沖縄県外に移設するということも言わなくなった。民主党は事実上、ライバルである自民党の外交政策を踏襲したことになる。



 民主党の経済政策についての公約もまた同じような運命をたどった。例えば、2009年の選挙戦で、民主党は高齢者に対して年金と医療費の増額を約束した。そして、2009年から4年間はいかなる増税も行わないと主張した。しかし、選挙に大勝した後、民主党は公約を放棄した。2011年、野田首相は、消費税を現行の5%から10%に倍増させるということを提案した。野田首相はまた、税収の増加分は全てトラブルが頻発している社会保障システムの安定のために使い、政府の規模を大きくしないということも約束した。

  しかし、人々の人気が低い消費税増税を強行したことで、野田首相は、政治的に見て、民主党の墓堀人になったと言える。民主党所属の川内博史代議士は次のように語っている。「自民党政権下での年金と健康保険に対する一般国民の不信と、私たちが国民とした約束によって、私たちは政権を取ることができました。しかし、現在の民主党は昔の自民党と同じになっているのです」

 

 <政治的な津波は大阪から?・・・それとも北京から?>(A Political Tsunami from Osaka…or Beijing?)



 日本維新の会が次の衆議院議員選挙に大きな衝撃を与えることになるのは間違いない。しかし、それよりももっと大きな要素は、中国の積極的な姿勢ということになるだろう。特に、日中間の緊張関係の高まりは、自民党を利することになるだろう。それは、有権者は、自民党と安倍総裁が中国に立ち向かってくれると考えるからだ。

 尖閣諸島をめぐる争いは橋下市長にも悪い影響を与えている。メディアは、橋下市長の選挙運動を取り上げなくなったし、彼の外交政策の分野における経験のなさを報道するようになった。日本ではナショナリズムが高揚しているが、橋下氏が「安倍氏を追い越す」ことができない以上、ナショナリズムの高揚は橋下氏にとって不利に働く。また、橋下氏は、ベテランの政治家たちを迎え入れて、より細かい外交政策を策定するためのアドバイザーにする気はないように見える。



 盛り上がるナショナリズムについて。中国が地政学的に積極な行動を取り続けている。これに対して、日本全体でナショナリズムが盛り上がっている。そして、ナショナリズムの盛り上がりは、日本の政治状況を変えている。これは次の総選挙の結果も左右するだろう。

 結果、日本政府は中国の拡大主義に対抗し、軍事力の増強をしようとしている。2010年、尖閣諸島を巡り、中国は積極的な行動を取り、日本の人々は、中国は傲慢な態度を取っていると認識した。これらの結果、日本は新しい防衛戦略を採用した。世論調査の結果によると、70から80%の日本国民が中国に対して否定的な見方をしている。政権の座に就いて以降、民主党は、より保守的な外交、安全保障政策を採用するようになった。そして、全ての主要な政党は、アメリカとの同盟関係を強化することを支持している。



 これらの変化によって、日本は同盟国が攻撃された際に、一緒に防衛することができるようになる。

 更に言えば、安倍氏のこれまでの政治活動歴と日本のナショナリズムに関する議論は切り離して考えることが重要だ。日本の戦時中の行動に関して、安倍氏は修正主義的な歴史観を持ち、それに基づいた発言をしている。もし安倍氏が首相になっても、このような行動をするならば、トラブルを招き、アジア諸国との間でいらぬ緊張を引き起こすことになる。日本がアジア・太平洋地域における、有能なリーダーになるためには、いくつかの政治的な足かせを取り除く必要がる。その時、安倍氏はただ闇雲に自分の思うとおりに行動することは控えねばならない。

 安倍氏が最初に首相を務めた時期、安倍氏は挑発的な行動を控えた。そして、アメリカは、安倍氏に対して個人的に、歴史を書き変えるなどという必要のないことに政治的な資源を投入するべきではないと助言し、それはうまくいった。



 安倍氏が首相になっても、日本の政策の方向性は変更されないであろう。それは、民主党が既に自分たちの元々の計画を変更し、自民党の政策を採用したからだ。新しい政権は、現在の政策の変更というよりも、深化と実行を行うだろう。政策の変更と実行との間には大きな違いがある。



<アメリカ政府は何をすべきか>(What Washington Should Do)



 アメリカは以下の方法で、日本の国家安全保障の新しいプログラムを補強すべきだ。その方法とは以下の通りだ。

・日本はこれ以上、他国に依存するだけで海外での国益を守り続けることはできないということをはっきりさせる。日本政府は、大国としての地位に見合った国際社会における安全保障上の役割を受け入れるべきだ。例えば、日本はシーレーンの防衛のための努力を強化すべきだ。



・日本政府に対して、自国の防衛と同盟国アメリカの安全保障に必要なだけ防衛支出を増大させるよう求める。(太字が極めて重要)



・日本政府に対して、集団的自衛権の理論をあまり厳格に解釈しないように求める。それによって、危機的状況になった時、日本は同盟国を守るために行動することができるようになる。日本はより現実的な交戦規定を採用すべきだ。そうすることで、日本が海外での安全保障に関する活動を行う際に、同盟諸国に迷惑をかけることなく、より効果的な貢献を行うことができるようになる。



・日本政府に対して、沖縄の普天間基地の代替施設の建設について、具体的に進めるように圧力をかけるべきだ。次の首相は、単なる言葉の上での支援ではなく、日米両政府のかわした約束を実行するようにすべきだ。



・日韓の軍事的、外交的協力関係を進化させるように促す。二国間の軍事情報に関する包括的保全協定(GSOMIA)、情報共有協定は、同盟関係を進化させ、日韓共通の脅威に対応する能力を強化する。



・米韓日3か国の軍事協力を深化させる。3か国は、共同しての平和維持活動、対テロ活動、対核拡散活動、対麻薬活動、対潜水艦作戦、地雷除去活動、サイバー上の防衛、人道支援・災害救援活動を行う可能性を追求すべきである。



西太平洋地域に展開しているアメリカ軍をそのまま維持する。西太平洋地域に展開するアメリカ軍は韓国軍、日本の自衛隊と密接に統合され、運用されるべきだ。このような統合によって、同盟国同士が防衛し合うことが可能になる。それだけでなく、日本の軍国主義の復活に対する韓国側の恐怖感を和らげることができる。



・アメリカは、太平洋地域にある同盟諸国に対し、明確に支持、支援を行うことを示す。アメリカは、二国間の安全保障条約の不可侵性を確認するだけでなく、中国を安心させるべきではない。アメリカは中国に対して、アジア諸国が中国から威嚇されているとして支援を求められたら、その要請に応えることを明確に示すべきだ。



・安倍晋三には私的に、彼の修正主義的な歴史観を打ち出さないように言うべきだ。安倍氏は、日本政府が日本の戦時中の行動についての声明を撤回することを求めている。しかし、これはアジア地域に根深く残り続けている日本への敵意の火に、必要もないのに油を注ぐ結果になる。日本は償いと謝罪の声明を見直し、韓国の傷つきやすい感情を満足させるべきだ。また、そうすることで、中国がアジア地域に残る日本に対する怒りの感情を利用して、地政学的に利益を得ることを止めさせるべきだ。



結論(Conclusion

 中国と北朝鮮は自分たちで意図せず、アジア地域の地政学的な状況を自分たちに不利なものに変えている。中国は「平和的台頭」という仮面を外し、北朝鮮は、オバマ大統領の対話の申し入れを拒絶した。日本国民は、中朝両国のこうした態度を見て、民主党のナイーブな外交政策ではいけないと考えるようになった。その結果、日本政府と日本国民は、地域に存在する脅威に対して、日本は脆弱であると考えるようになった。

 日本の持つ脆弱性に向き合う第一歩は、日米同盟の刷新を行うことで既に踏み出しているように思われる。次のステップは、日本が自国の防衛により大きな責任を負う決意をし、国際的な安全保障上の脅威に向き合うことだ。アメリカは、このような新しい流れを大きくするように促進すべきだ。それは、こうした新しい流れは、アメリカの国家安全保障上の目的に合うものだからだ。



 次の首相が、日本が直面している様々な嵐をうまく切り抜けられるかどうかは、アジア・太平洋地域におけるアメリカ国益にとって大変重要である。ここ最近の日本は、弱い政治指導者たちが続いたために弱体化してきている。日本の次の首相は(アメリカのために)大胆な改革を実行し、日登る国が日没する国にならないようにしなければならない。(終わり)

要するに当分の間、日本はすべて米国の言う通りに国際政治の舞台で動かされるということである。そして、一番重要なことはアメリカの思惑通り動かされることによって、日本は、インフレ、バブル経済にいつのまにか誘導され、あっと言う間に谷底に落とされるシナリオが、石原慎太郎氏の尖閣騒ぎからスタートとしているということを冷徹に読み取ることだろう。



ところで、私のような単純な頭の人間にはどうしても理解できないことがある。

現在、米国は潜在的破綻国家で、地方政府と中央政府の財政赤字の累計が実際には約1京3千兆円あると言われている。そして私たち日本国の財政赤字が地方と国を合わせて約1千兆円である。不思議なことに、ほとんどの日本の有識者は、覇権国である米国の天文学的な財政赤字を問題にすることはない。それとは全く逆に、日本の財政赤字の1千兆円を声高に問題視し、こんな巨額な借金を返せるわけない。したがって、中期、長期的にはドル高、円安、日本国債の暴落の可能性まで言及している。ところで、アメリカのGNPは、日本の約2倍、財政赤字は13倍である。しかも、米国は世界最大の債務国である。一方、日本は最大の債権国である。私には現在、米国という国は、軍事力と政治力でどれだけ、覇権の寿命を延ばせるかという実験段階に入っているとしか思えないのだが、そして、その寿命を延長させる最大の駒にされそうなのが、わが日本である。



安倍氏が政権復帰する前から表明していたように、彼が国債と円の増刷を過激にやらされる、やる理由は、リーマンショック以後、米国で米国債とドルの過剰発行(QE3)が行われ、米国債とドルが崩壊しそうなので、それを防ぐため日本の国債と円を過剰発行させ、資金がドルから円に流れるのをできるだけ防ぎ、米国を助けるためであることは言うまでもない。

その結果は、日本の国債と通貨を米国並みに弱くしていくことにつながるが、1996年以降おそらく米国の日本経済封じ込め政策によって名目経済成長が全くできなかったデフレ経済から劇的に脱却することになるだろう。

 その意味するところは、日本経済の一時的復活を許さざる得ないほど米国経済は崖淵に立たされているということである。そして、世界の先進国の中で一番実際には経済のファンドメンタルがいい(リーマンショック以後の金融メトルダウンに一番遠い国)、日本がアベミックスのような政策をとれば、1987年のバブル経済の再現をもたらすことになる。

ごく一部の評論家が言い始めている「資本主義最後のバブル」が日本にくるのである。もちろん、このバブルも、覇権国であるアメリカが、何らかの方法で基軸通貨特権を維持しようという大きな戦略の一貫であることは、言うまでもない。

この大きな見取り図をおそらく、一番わかりやすく提示しているのが下記に紹介する元外交官原田武夫氏の「ジャパンシフト」という本である。

彼の想定するシナリオは、以下のものである。



 

(1)これから現在のシリア、イランの紛争が中東大戦争に発展し、オイルマネーの裏付けを失うユーロの崩壊が現実のものとなる。その結果、世界の金融マーケットは一時的に総崩れとなる。



(2)しかしその後日本のマーケットだけが上がる。強烈な円高圧力に対抗するだけの金融緩和政策をすることによって空前の「日本バブル」となる。この機会に政府は保有資産の大量売却を実行し、累積した財政赤字の圧縮を目論む。

よって日本政府もこのバブルを助長する政策をとることになるはずだ。おそらく、この状況は2014年半ばまでは続く。



(3)その後、欧米の投資家達によって、やはり日本の国家財政が危ないというキャンペーンが始まり、大量の日本国債売りが仕掛けられる。時を同じくして中国や韓国でも政治・経済の両面で動揺が走り、現在布石を打っている極東有事が米国によって仕掛けられることになる。

 

*上記のような動きが進むなかで、太陽活動の変化による(以前からレポートで度々指摘している)「地球寒冷化」が誰の目にも明らかなものとなる。

液化化石燃料の純輸出国になるべくシエールガスや石油開発を二酸化炭素による地球温暖化騒ぎのウラで着実に進めていた米国の戦略がこの時点で大きな意味を持ってくる。その意味で、これから始まる可能性の高い中東での戦争は、中東のオイル供給能力をそぐ面でも米国に大きな利益をもたらすものである。 

つまり、国際金融資本を中心とする欧米のエリートは日本をバブルに追い込むことを狙っているのである。が、本当の勝負は、その後であり、もうすでにそのための戦略もすでに米国はスタートさせていると考えるべきであろう。

原田氏このことを次のように語っている。



「今、起きていること、それは形を変えた戦争なのである。コンピューターという機械が無尽蔵に創りだし、インターネット空間へとばら撒かれているバーチャルマネーの「米ドル」。これに対して生身の人間が汗水垂らして創り出した付加価値を体現したリアルマネーの「日本円」、米ドルは日本人がもはや価値を創れず、日本円を刷れなくなるまで刷り続けられ、日本円と交換されるのだ。アメリカは1971年に金とドルの関係を断ち切った時からこの瞬間を狙っていたのだ。リアルマネーを生み出すことができるという意味で黄金の国ジパングとの最終対決を。」



「今、起きていることは金融メトルダウンが、実のところリアルマネーを創り出す能力を持つ日本を米欧が徹底的に潰すための戦いであることを説明した。」



 それでは、われわれ日本人はどうしたらいいのか。



原田氏は、欧米に仕掛けられる日本バブルを逆手にとって、日本国内である意味完結した、「マネーの循環」、「知恵と技術の循環」、「人脈の循環」を創り上げ、21世紀型の新しい日本システム(内需型循環システム)をつくるしかないと提案している。

「世界中からマネーがわが国に流れ込むこの瞬間に、それが日本の中だけでぐるぐる廻り、富が富をつくる循環システムを創ってしまわなければならないのだ。」

そして、

「「バブルの崩壊の帳尻を人と人が殺し合う戦争によって合わせる」このやり方によって保たれてきた平和、それがパックスアメリカーナ(アメリカの平和)なのである。私たちは今こそ、このやり方そのものの妥当性を問わなければならないのである。」とまで彼は言い切っている



 そのための「ジャパンシフト」が本当は世界で求められているものだと、彼はこの本の中で主張している。



大きな見取図を描くことにかけてバツグンの才能を持つ元外交官原田武夫氏の「ジャパンシフト~仕掛けられたバブルが日本を襲う~」(徳間書店)(幸いなことにこの本はあまり売れていないようだ!)は大変興味深い内容なので、是非読んでいただきたい。

ところで、以下のエピソードも大変おもしろのではないか。



(引用始め)

「この人物(仮にR氏としておこう)は現在もなお金融マーケットに携わられる一方で、フィランソロフィー(社会奉仕活動)にも力を入れられている。決して目立つことはされない人物であるが、その世界では知らぬ者はいない人物である。人づてに知り合ったこのR氏は、聞くところによるとロスチャイルド系金融機関の中でもとりわけ重要な機関の幹部であったのだという。前章(第2章)で書いた世にいう「グローバル人財」としては大先輩というわけだが、世間でよく言われているような自己主張の激しい「グローバル人財」では決してない。紳士然とした白髪で常に笑顔を絶やさず、むしろ相手の話をきっちりと聞く姿勢を崩さない人物だ。

 R氏が言う。

 「私がね、原田さん、ロスチャイルド系の門をくぐったのはまったくの偶然なのですよ。しかも入る時にはテストがあった」

 国際金融資本の根幹に入るにはテストがある。根拠なき感情的な「陰謀論」ばかりが横行している我が国では普通にはまったく聞くことのできない話だ。思わず私は「えっ! テストがあるのですか」と大声を出してしまった。

 「テストといっても1問だけなのです。日本でいちばん裕福な人物の資産表を持ってこいというのですよ。色々と工夫して入手し、これを英訳して持っていきました」

 宿題の回答を持っていった先はスイスの古城であったのだという。大きな城の中は薄暗く、たくさんの扉があった。これらをいくつも開けた先には大きな机があり、1人の老人が椅子にかけて座っていた。

 それが……ロスチャイルド家の当主であった。あの国際金融資本の雄の頂点に立つ人物である。

 「彼はどんな表情をしていたと思いますか。大金持ちだからさぞ愉快な顔をしていたのではないかと思うでしょう? それがまったく違うのですよ。むしろ逆で、言ってみればこの世の苦しみのすべてを引き受けたかのような苦渋の表情をしていました。びっくりしました」

 R氏がややひるんだのを見ながら、当主は手を伸ばし、持ってきた宿題の回答を受け取った。1つ1つ、丹念にその上の数字を見ていく当主。ところが問題はそこから先だった。

 「もっとびっくりしたことがありました。折角、日本で入手して英訳までしたその一覧表の上に、赤鉛筆でサッ、サッと横線を引き始めているのですよ。しかも数字の上から。これは一体何だろうか、何事だろうかと心底驚きました」

 驚く日本人バンカーにようやく気付いた当主の翁は、ゆっくりと顔を上げ、こう言ったのだという。

 「ここに書いてあるのは、資産(asset)じゃない」

 R氏にとっては青天の霹靂であった。いや、そんなことはない。あれだけ一生懸命探した資料なのであるから。嘘が書いてあるはずもないし、数字に間違いもないはずだ。

 「いや、それは……」

 そう言いかけたR氏にかぶせるように当主はこう言った。

 「君、不動産は資産じゃないのだよ。なぜならば持って逃げることができないじゃないか」

 後から周囲に聞くとこういうことであったらしい。欧州の国際金融資本の中でもユダヤ系のロスチャイルド家にとって、持って逃げることができないものは資産ではない。なぜならばユダヤ人の歴史は「逃亡に次ぐ逃亡の歴史」だったからだ。

 したがって欧州系国際金融資本、特にロスチャイルド家にとって資産とは「貴金属・鉱物資源」と「通貨」だけなのだという。これに対して持って逃げることのできないものの典型である不動産は「資産」には入らないということになる。

 「欧州の国際金融資本、特にロスチャイルド家から見ると、今の金融メルトダウンは本来、金融資産ではない不動産を、証券化を通じて金融マーケットに無理やりつなげてしまったアメリカ人の大失敗ということなのですよ。欧州における伝統的な金融マーケットでは決してこんなことにはならなかった」

 R氏は笑いながらそう私に教えてくれた。確かに今の金融メルトダウンは、サブプライム証券というかなり無理やりな金融商品をアメリカ人たちが考えついたからこそ始まったのだ。

 「なるほど!」と私が膝を叩いていると、R氏はこうも教えてくれた。

 「ところで原田さん、ユーロって何でユーロと言うのか知っていますか?」

 面と向かってそう尋ねられて、正直やや戸惑った。ユーロはEURO、ヨーロッパだからユーロなのだろうといったくらいにしか考えていなかった私は素直に降参した。プロには素直に尋ねるに限る。

 「あれはですね、石油ショックの時に産油国が稼いだ大量のマネーを欧州に預けた。これをユーロ・ダラーと言っていたわけですが、これを担保にして発行された通貨だからユーロって言うのですよ」

 前節で述べたビッタリッヒ元ドイツ首相補佐官の話もそうであったが、「本物たち」の発想はやはり違うのである。そしてその奇抜な発想によって本当の歴史は織り成され、その上で普通に広められるストーリーが創られる。この手の話を当事者であった人物から聞く度にワクワクする。

 「実はこの点がこれからの世界を考えるにあたってとても大切な意味合いを持っているのです。なぜならば中東の産油国がそのあり余るマネーを一体どこに預けたのか。それがこれから世界で起きることの本当の焦点なのですから」

 本当のバンカーはこういうものなのかとつくづく思った。無論、細かなカネの計算もできるのだろうが、どこかしらその考え方には奥深い歴史観がある。聞いている方は知的好奇心からぐいぐいその話に引っ張られていく。

 いつしか私の脳も地球儀の上を歩き始めていた。」

(引用終わり)

もう一冊は、内閣参与に抜擢された浜田宏一氏の「アメリカは日本経済の復活を知っていた」(講談社)(不思議なことに2013年1月8日発行の本が、もう書店の店頭には全く並んでいない!)である。

ここに書かれていることは、以前のレポートでも紹介した日銀の金融政策に関する批判である。以前のレポートでも解説させていただいた「なぜ、日本銀行は金融政策によって日本経済が、デフレ経済から脱することができるのに放置しているのか」というまっとうな指摘である。米国在住のエール大学名誉教授の本が、昨年末に出版されたことの意味を考えてみるのもおもしろいかもしれない。(私には米国エリートによるシナリオの一部披露に思えるのだが、なぜなら、ここに書かれていることは、小生のレポートでもとっくに指摘していることである。やはり、この時期がポイントなのであろう。)

いづれにしても、一人でも多くの日本人が、自分の頭で考えることを取り戻し、本当の事を知れば、新しい21世紀社会の扉を開くことができる可能性は、まだ、残っている。



*参考:http://www.yamamotomasaki.com/archives/997

               http://www.yamamotomasaki.com/archives/1004

<浜田 宏一氏プロフィール>

浜田 宏一(はまだ こういち )1936年、東京都に生まれる。イェール大学名誉教授。経済学博士。国際金融論、ゲーム理論の分野で世界的な業績をあげる。日本のバブル崩壊後の経済停滞については金融政策の失策がその大きな要因と主張、日本銀行の金融政策を批判する。1954年、東京大学法学部に入学し、1957年、司法試験第二次試験合格。1958年、東京大学経済学部に入学。1965年、経済学博士取得 (イェール大学)。1969年、東京大学経済学部助教授。1981年、東京大学経済学部教授。1986年、イェール大学経済学部教授。2001年からは、内閣府経済社会総合研究所長を務める。法と経済学会の初代会長。著書には、『経済成長と国際資本移動――資本自由化の経済学』(東洋経済新報社)、『モダン・エコノミックス(15)国際金融』(岩波書店)、『エール大学の書斎から―経済学者の日米体験比較 』(NTT出版)などがある。また共著には、『金融政策と銀行行動』(東洋経済新報社)、『マクロ経済学と日本経済』(日本評論社)、『伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本』(東洋経済新報社)などがある。

<参考資料> *現代ビジネスより

20121129

「浜田宏一(イェール大学教授)×安倍晋三(自民党総裁)「官邸で感じた日銀、財務省への疑問。経済成長なしに財政再建などありえない」

 

小泉政権時代に福井日銀総裁に直談判した

浜田: このたびは、元総理大臣である安倍晋三先生にお話を伺えるのは大変光栄です。自民党総裁という実力者の方が、デフレの問題点をちゃんと理解してくださり、日銀法改正の可能性まで政策の骨子としてあげていただけるのは、われわれを力づけてくれます。 しかも、そのことがウォールストリートジャーナルを通じて世界に報道されるのは画期的なことです。金融に関して今のようなお考えをもたれるようになったのは、何時からのことですか?

 

安倍: もともとは社会保障を専門にしており、正直申し上げて金融については特別詳しくはなかったのです。しかし(小泉政権で)官房長官に就任するといろんな政策について説明を受ける立場になり、いろいろ教えていただく機会は多くなり、その中で勉強させていただきました。

 ちょうどその直前、森喜朗首相、宮沢喜一財務大臣の時代に、日本銀行の速水優総裁が、政府側からしばらくゼロ金利体制を続けてほしいという要請があったにもかかわらず、それを止めてしまったということがありました。

 

浜田: ああ、そうでした。

 

安倍: その1年後、結局、景気は厳しくなりました。最近、当時の議事録が新聞記事にもなっていますから、読むと面白いですね。そこで彼らは当座預金にお金を積むという量的緩和をしたのです。 しかしその後、小泉政権になり、日銀総裁も速水さんから福井俊彦さんに代わったのですが、そこで量的緩和を止めてしまいました。

 

浜田: はい。



安倍: その時、小泉総理と私と日銀の福井総裁、武藤敏郎副総裁さんの4人で昼食をともにする機会がありました。そこで福井総裁に内閣側からお願いしようとしたのです。小泉総理から直接ではなくて、私が言ったほうがいいだろうということで、「もうしばらく量的緩和を続けてもらえないだろうか」という話を私がしたのです。

 ただ、当時は私も、「そうはいっても、この人たちはみんな金融の専門家だから、日銀の言うことが正しいのかもしれない」ということが頭にありました。しかし、その後、自分が総理になり辞めてしばらく経って、これまでのファクトの積み重ねをふりかえって見ると、必ずしも彼らが正しくなかったということが分かってきました。

浜田: そう正直に言っていただき、とてもうれしく思います。



財務省は政策を誤っているのではないか

安倍: それから、財務省の財政規律に重点を置き過ぎた、あの姿勢も、やはりちょっと違っているのではないかと気がついたのです。彼らの姿勢というのは、政治家に対し、もっと責任感を持てというか、そういう気持ちに訴えるところがあるんですよ。使命感を呼び起こす的なところがある。それで、やはり財政規律はちゃんとやらなければいけないということに傾いていくことになるのです。

世の中には、政治家は選挙が怖いからバラマキに陥りがちで、財政の引き締めなどできないというイメージがあります。それに対し、「自分は違う」ことを証明したいという気持ちが政治家には生まれてくる。その気持ちと相まって、専門家集団を集めている財務省の裏付けがあることが、政治家を後押しするのです。

しかし旧大蔵省、財務省というと専門家集団で政策にくわしいという固定観念があるんですが、事実をずっと見てくると、むしろ肝心なところで政策を誤っているんではないかという疑念が芽生えてきます。

安倍政権のとき、平成19年の予算編成では54兆円くらい税収があったんです。これは成長の成果です。もしあの段階でデフレから脱却していれば、これは一気にプライマリーバランスの黒字が出るまでいったんではないかと思うわけです。



浜田: そうですね。少なくともこんなに大努力をして、デフレ脱却を阻止なければならない事態に追い込まれる必要はなかったと思います(笑)。

 失礼ですけれども、安倍先生にお会いしたのは、たぶん私が内閣府の・・・。

 

安倍: 諮問会議のメンバー、というかオブザーバーでしたね。

 

浜田: 諮問会議にメンバーではなく、オブザーバーとして補佐していました。会議に出させていただき、速水総裁にも意見を述べさせていただいたこともあります。そのときに安倍先生をはじめ、いろんな方に会議でお会いすることができて、しかも議論にも一部分参加させていただけたというのは、大変貴重な記憶となっております。

 福井さんが日銀総裁になったとき、消費者物価がゼロよりもすこし上がっただけで、デフレは回復したという、引き締め基調に転じました。その結果、財政黒字がどこかに飛んでしまった。その時期のことに関しては、中川秀直先生に先日、インタービューをしてお聞きしました。

 

安倍: そうですか。

 

「デフレにも『いいデフレ』がある」と言い切った日銀総裁

浜田: 実は、私がエール大学に帰米するとき、小泉首相が送別会を開いてくれました。そこで小泉首相に「デフレを撲滅する人を日銀総裁にしてください」と、個人的にお願いしたことがあります。なぜ、福井総裁があれだけ長くデフレ政策をとられたのかというのが当時はさっぱり分かりませんでした。

 財政規律というのは、たとえば地震のような災害があったとき、政府がそれに対処するためには財力がないと困るので、必要だとは思うんです。けれども、現在のような金融引き締めのままで、ただ税率だけを引き上げるという形では、財政再建は達成できないことは明らかです。

 

安倍: 福井総裁と議論をしたときに、それは官邸の昼食会という形だったのですが、メンバーとしては総裁、副総裁と、総理と、官房長官である私と、あと丹後(泰健首相秘書官、後に財務次官)さんが入っていました。その時の印象で言えば、現状をどう認識しているか、日銀と政府とで擦り合わせができていないと感じました。

 そのとき聞いたら、福井さんはいまのデフレ状況はある程度やむをえないという考え方なんです。日銀がいろんな様々な政策を打ったところで、そう簡単に変えることはできないというのです。彼は「いいデフレ」と「悪いデフレ」があるという言い方をしていました。

 

浜田: そうですか。



安倍: 「いまはいいデフレに近い」という話をされたわけです。そのとき素人の私として素朴に思ったのは、ではそれをコントロールできないというのなら、日銀の存在とは何なんだということですね。

 

浜田: そういうことにもなりますね。

 

目的の独立性まで日銀に与えてしまった

安倍: ですから、問題点としては、政府が、経済の現状を認識して目標を立てて、あとの手段を日銀が選ぶという仕組みには、そもそも最初からなっていないということです。

 

浜田: そうですね。

 

安倍: 政府と日銀で、認識と目標が共有されていない。

 

浜田: それが日銀法の問題点だと思うのです。日銀法ができたのは、大蔵省不祥事とかいろんな政治的きっかけがある。中央銀行の独立性がある国のほうが上手くマクロ政策をやっていたような例もありました。

 独立性自体はいいんでしょうが、困ったことに、日銀法では手段の独立性だけではなくて、目的の独立性まで日本銀行に与えてしまった。ですから、国民に対して政治責任を負っている政府が考えるべき、国民生活の雇用とか国民所得などに対して、どの辺まで政策が努力したらいいのかを日本銀行が決めるかのようになってしまったのです。

 確かに細かい手段について、日本銀行の人が一番統計や実務を知っていて、経験も豊かなことは事実かもしれません。しかし非常に緊縮的な失業が多いような状態を日銀が目標とするようになってしまったのは、明らかにおかしい。日本銀行が手段だけでなく、目標まで自分で決めているというところが現行法の問題だと思います。



安倍: 今度、山本幸三氏が、この震災復興に対する予算を増税で賄うのは間違いではないか、と私のところに説明にきました。現下の最大の問題はデフレであり、このデフレから脱却するべきだという。

 私は最初に申し上げたように、この問題をずっと専門家としてやってきたわけではないので、会長をやるというつもりはなかったんです。しかし、民主党政権がデフレ容認、金融政策軽視の傾向が強いので、それだったら私もいっちょうやってやろうかということになったのです。

 

デフレ下の増税は間違っている

浜田: 僕は世界に通ずる普通の、標準的な経済学を信じています。そこでは貨幣も重要だし、モノ(実体)も重要だし、その両方を含んだ体系が必要です。しかし、不況や株価下落の原因は実体が悪いからだと、一方しか見ない人たちが多い。

 最近は少し孤軍でもなくなりましたが、どちらかと言えば、少数派で、貨幣面も重要だと頑張ってきました。今回、先生のように経験も、それから将来の日本全体を担うのを国民から託されている方に共感していただくと、非常に心強く思います。

 

安倍:景気はまだまだ厳しいでしょう。これから財政出動しますが、デフレ下で増税をするので、景気を冷やしていく危険性もある。よりデフレが進んでいく危険性もあるでしょう。これは明らかに間違っています。

 世論調査で5割が増税を支持するというのはね、不思議なことですよ。これではもう、この機会は絶対に逃したくないと財務省は思ってしまう。

 

浜田: 財務省の人には悪いけれども、地震があったからみんな支持してくれると、天災を増税の口実にしているかたちです。

 

安倍: これを機に財務省は増税を進めようとする。しかも日経新聞や、かなりの経済学者もそれを支持している。われわれは相当頑張らないと飲み込まれてしまって、結局財政赤字はさらに悪化していく危険性すらある。税収はそんなに伸びないどころか、ダウンするかもしれません。

 

浜田: そうですね。橋本龍太郎先生が総理だった時もまったく同じです。

 

安倍: あのときも増税で、景気が底割れしました。

浜田: 結局、景気が悪くなり、税収も減収した。法人税、個人所得税まで減収していくという状態でした。それにしても政治家のがみなさんが、先生のように理解してくだされば日本もずいぶん良くなるんですが。

 

成長なしに財政再建などはありえない

安倍: 財政規律ばかりが強調されているんですが、これはわれわれにも責任があります。

 消費税を橋本政権下で上げたときに、財政危機を非常に強く国民に訴えたわけです。このままでは大変なことになりますよという、不安を喚起した。ある意味、これが効き過ぎてしまった。最近はギリシャ危機があったので、ギリシャと日本を同一視する人がいる。でもそれは間違った考え方です。

 

浜田: そうですね。

 

安倍: かなりの人がそれを平気で言うようになってしまった。財務省も違いを分かっていながら、間違いを指摘しない。たとえば与謝野馨さんはよく「成長ですべては解決しない」という言い方をするんですが、すべてを解決するなんては誰も言っていない。ただ成長せずに財政再建できるかというとそれは無理です。

 

浜田: とんでもない話ですよ。

 

安倍: 絶対に有り得ない。

 

浜田: 経済学者も悪いのです。ギリシャは国も民もみんな借金しているわけですが、日本の場合は、国のほうは富んでいます。世界で見ても、中国には負けるかもしれませんが、日本は今のところ世界の最大債権国です。だから円が下がらないで上がってしまうわけです。

 安倍先生には、私から経済メカニズムについて補足なり、申し上げることはほとんどありません。みんなが今日の話を理解してくれれば、日本は変わります。 

覇権国家アメリカの惨状

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10月 142012

 友人が増田悦佐氏の素晴らしい分析レポートを送ってくれたので、紹介します。

現在、中東情勢が緊迫させている、そして、極東で、 中国、日本、韓国、台湾の領土問題の背後で暗躍しているしている覇権国家アメリカの惨状を見事に分析しているレポートです。レポートを読んでいただければ、よくわかりますが、アメリカという国が覇権国として生き延びていく手段は、もはや戦争経済、WAR ECONOMY しかなくなりつつあるのが現実でしょう。

もっともおそらく、それも根本策ではなく、おそらく延命でしかありません。

 そのように分析していくと、今回の領土問題を煽っている日本の識者は、すべて米国の手が回っていると考えてもおそらく間違いとは言えないでしょう。
かつてウルトラナショナリストと米国に呼ばれた石原慎太郎氏のような人まで、息子かわいさで米国にすり寄ってご機嫌をとるために今回の騒ぎのきっかけをつくるまでに、ある意味成り下がった国が日本だということかもしれません。
以前のレポートでも指摘させていただいたように、本当の戦後史を知ってその総決算する必要があることは言うまでもありませんが、私たちが対峙しているアメリカという国の実態を私たちはもっと知る必要があります。
 米国の不利になることは報道しないという日本のマスコミの不文律を知って賢く立ち回る時代を迎えています。
*以下、増田氏のレポートです。

 

「軍事超大国アメリカは、貧富の格差拡大で自滅する」

 

 世界は今、1942年にカトリック2王家によるスペイン再征服(イスラム勢力の追い落し)が完了し、コロンブスがインドへの西回り航路発見のために船出して以来の激動期を迎えている。15世紀末の激動は、それまでユーラシア大陸の西端の狭い地域内で血みどろの殺し合いをくり返し、それでなくとも貧しい風土をさらに殺伐とさせていた西ヨーロッパが、世界中の富を略奪して超富裕地域に変身するという逆転劇だった。

今回の激動は、いったいどんな変化を世界各国にもたらすのだろうか。

西ヨーロッパと北米の数ヵ国が世界中の富の大半を巻き上げる構造が、ついに終わろうとしている。そして、世界中の非白人諸民族を奴隷として生き延びるか、絶滅されるかの瀬戸際に追いこんでおきながら、口先では自由とか、平等とか、平和とか、民主主義とかのきれいごとを並べ立ててきた西ヨーロッパ諸国が、見るかげもなく衰亡していくことはまちがいない。だが、それだけだろうか。

 一見したところ、ヨーロッパの衰退でますます地球上唯一の超大国としての地位が安泰になりそうなアメリカに、死角はないのか。アメリカ文明は、ヨーロッパ文明ほど派手ではないが、深くひそかに根本から腐りはじめている。経済覇権国にのし上がっていく過程では、軽軍備・常備軍不信を軍事・外交方針の柱として急成長していったアメリカが、いまや地上最大・最強の軍事大国に成り下がっている。
アメリカの軍事超大国化が深刻な問題なのは、底の浅い「経済合理主義」が貫徹している社会風土だからだ。つまり「いつもニコニコ現金払い」の拝金主義、表面的な功利主義のはびこっているアメリカでは、軍事大国化は即軍事利権の肥大化につながり、軍事利権の肥大化は即国民大衆の窮乏化につながるという、あまりにも分かりやすい図式が絵に描いたように実現してしまう。 

 今回の大激動で没落する可能性が高いさまざまな国民経済について、なぜ、そしてどのような経路を通って没落していくのかを解明していきたい。手始めはもちろん、アメリカである。

少なくとも第一次世界大戦終結までのアメリカが、いかに軍事小国だったかを、主として文章でお伝えしておいた。「常備軍の規模は、なるべく小さいほうがいい。平時の軍備は国境警備隊程度で十分。もしどうしても参戦しなければならない戦争が勃発したとしても、当面の敵国を打ち破るのにぎりぎり必要な兵員と軍備を、そのときになってから動員すればいい」という思想だった。昨今のアメリカの保守主義者たちが金科玉条としている「抑止力」概念とはほぼ正反対の発想だ。

あのときは、数量データ抜きでご説明した、アメリカの「事後対処、間に合わせ」の軍事戦略がいかに忠実に実行されていたかを、今回は数量データを使って実証してみよう。
第一次世界大戦が勃発した1914年時点で、世界の主要国の陸・海軍兵員数は、以下のとおりだった。ロシアが135万人、フランスが91万人、ドイツが89万人、イギリス53万人、オーストリア=ハンガリー帝国が44万人、イタリアが345000人、日本306000人だったのに対して、アメリカはたったの164000人だった。(以上、数値はポール・ケネディ『大国の興亡』上巻、307ページの表より)そして、アメリカの軽軍備主義は、軍事予算に関するかぎり第二次世界大戦直前まで維持されていた。1937年時点での世界主要国の国防支出の対国民所得比率は、以下のとおりだった。日本が28.2%、ソ連が26.4%、ドイツが23.5%、イタリアが14.5%、フランスが9.1%、イギリスが5.7%だったのに対して、アメリカは国民所得のわずか1.5%しか軍備に使ってかった。(以上、数値はポール・ケネディ『大国の興亡』下巻、95ページの表より)

そのアメリカの軍事予算が、今はどこまで変わり果てているのだろうか。まず、1988~2011年のアメリカの軍事費支出を実額で見てみよう。



出所:ウェブサイト『The Burning Platform』、2012年8月24日のエントリーより転載

 この図の概要は、たった二つの要因でほぼ完全に把握することができる。崩壊直前まで世界最大の軍事費支出額を「誇って」いたソビエト連邦があっけなく雲散霧消してしまってからの約10年間は、アメリカの軍事利権屋にとって万年ジリ貧のとんでもない世の中だった。彼らの救世主となったのは、オサマ・ビン=ラディン率いるアル・カーイダによる大型旅客機乗っ取り自爆攻撃、世に言う911事件だった。この事件直後の反イスラム原理主義のマス・ヒステリアが平時にはとうてい許容されるはずがないほどの軍事支出肥大化を招いたのだ。

このあまりにもタイミングのよい事件については、勃発直後からさまざまな陰謀説が取りざたされていた。だが、ここではそのへんには深入りせずに、ある客観的事実の意味を指摘するにとどめておこう。

オサマ・ビン=ラディンは、サウジアラビアのサウド王家とも深いつながりがあり、アメリカ政財界要路の人びととも交流のあった名家のお坊ちゃんだった。こういう人物のところに、プロの中でも腕っこきの破壊工作員をイスラム原理主義に心髄したふりをさせて(ほんとうに心髄してしまった工作員ならもっといいが)送りこんで、たくみに911事件のような破壊活動へと誘導するのは、それほどむずかしいことではないのではないだろうか。もちろん、この破壊工作があれほど赫々たる戦果を挙げたのは、誘導した側にとっても予想外だったろうが。
そして、上に見た実額を、世界中の軍事費支出額に対するシェアの推移で見ると、こうなる。



ソ連が健在だったころはせいぜい36%どまりだったアメリカ軍事費の対世界総額比率は、ソ連の軍事予算からロシア共和国の軍事予算への縮小期に、一過性で40%台で突出する。だが、世界中で軍事紛争が局地化、小型化し、ソ連と張り合わなければならないという口実も消滅した中で、1990年代末から2000年には定位置だった35~36%まで下がっていた。それが9・11以後の2003~04年には40%台が定位置というところまで肥大化していく。大恐慌直前の1928年から直近までのアメリカの軍事費支出額の対GDPシェアで見ると、下のグラフのとおりだ。



アメリカの第二次世界大戦参戦までは一貫してGDPの1~2%だった軍事費支出額が、最近では別に大きな戦争があるわけでもないのに、慢性的に5%前後で高止まりしている。

この金額をその他の軍事大国との比較で見ると、いかに異常に突出しているかがよく分かる。



 このグラフは、軍事費支出額が大きい順に世界の軍事大国6ヵ国を選び、その6ヵ国の中で、兵員数と軍事費支出額のシェアを比べたものになっている。兵員で比べると、中国が6ヵ国全体の31~32%、インドが同じく27~28%に対して、アメリカも16~17%と「大健闘」している。中国・インドは10億人を超える人口の中での兵員数が6ヵ国合計の30%前後なのに対して、アメリカは3億人の人口の中から中国の半分を上回る兵員数を確保しているのだ。

軍事費支出額となるともう、アメリカの突出ぶりは論理的に説明可能な領域をはるかに超えている。世界全体の軍事費支出額の40%超というのは、軍事大国6ヵ国でのシェアに直すと、じつに3分の2をたった1国で使っているということなのだ。ソ連健在なりし時代には、「アメリカの軍事費支出額は世界の35~36%だが、ソ連は36~37%を使っている。このままでは、ソ連との全面戦争にまけてしまう」という危機感のあおり立てにも、一応理屈がついていた。だが、今では中国・インド・ロシアはともかく、イギリスとかフランスのように、戦争に訴えてでも決着をつけなければならないという状況が起きるはずがない国まで含めて2位から6位までの5ヵ国の軍事費支出額の2倍を、アメリカ1国で使っているのだ。これが浪費でなかったら、世界中に浪費という概念が成立するカネの使い道はなくなるだろう。

 ここでもう一度、注意しておきたいことがある。それは、ソ連が崩壊して以来、約10年にわたってアメリカの軍事費支出額は減少しつづけていたという事実だ。この事実は、ソ連という最大・最強の仮想敵国亡きあと、繰り上げ当選した中国の軍備がいかに弱小かということを示している。兵員数で見れば、一応、いや堂々たる軍事大国だが、装備を見ればお粗末きわまる老朽兵器に延々とむだガネを使いつづけている、まさに張り子の虎だ。

 アメリカが中国という仮想敵国を論拠に軍事力肥大化に逆転するためには、反イスラム原理主義マス・ヒステリアからの照り返しを必要とした。つまり、「もしイスラム原理主義でさえ、世界平和に対する深刻な脅威であるとすれば、中国の軍備はイスラム原理主義者たちが動員できる軍備に比べて、はるかにでかいよね」というわけだ。


いったいなぜ、アメリカはここまでひねこびた屁理屈を使ってでも、軍事力の肥大化に突っ走るのだろうか。軍備というのは、軍事利権屋にとって高い利益率を延々と稼ぎつづけることのできる、おいしすぎるほどおいしい事業分野だからだ。次のグラフがそのへんの事情を暴露している。



アメリカ海軍の主要装備の価格が、20世紀後半の50年間にどの程度の年間伸び率で上がっていたかを図示したものだ。いちばんインフレ率の高い上陸用舟艇では、年間約10.5%だ。毎年10%の値上がりが50年間続くと、価格が何倍になるか想像してみていただきたい。なんと117倍になるのだ。

意外にも、ここに紹介された4品目の中では核搭載空母が、いちばんインフレ率が低く、約7%となっている。だが、年率7%の値上がりでも、50年間続けば価格は29倍になる。企業から軍隊への兵器の納入には、ほとんど競争原理が働かない。一応、開発段階では数社に競争させるが、これもじつは出来レースで初めから発注先企業は決まっている場合も多い。そして、いったん軍に正規採用される兵器のスペックが決まったら、次のスペックに変更されるまでは、採用されたスペックでの試作品をつくった企業に発注が集中しつづける。同じ機能を持ったジェネリック兵器が市場に登場して、そのほうが安いから需要がどっとそっちに流れるというようなことはあり得ない。

軍事機密の国防上の重要性とか、いろいろ理屈はつく。だが、結局のところ、軍需産業の有力企業と、国防総省と、陸海空軍プラス海兵隊の上級将官たちががっちりとした利権共同体をつくっていて、新参者の割りこみを許さない市場構造になっているから、兵器価格は上がる一方なのだ。だからこそ、アメリカ海軍の主要装備は軒並み年率7%超の大インフレが延々50年にわたって続くことになるのだ。

もちろん、重軍備論者たちは、ここまでおいしい軍事利権の存在を隠ぺいするために、なんとか弁解しようとする。その典型が、下のグラフだ。



これは「最近では技術進歩がどんどん加速して、最新兵器を導入してもあっという間に陳腐化してしまう。当然、次の新しいスペックの装備に切り替えなくてはならない。だから、毎年の軍事費支出額は莫大な金額だが、アメリカの国防資本ストックはほとんど横ばいで、あまり伸びていない」といった議論をサポートするグラフだ。

この理屈、中国の政府や中国共産党の要人がべら棒な資源浪費を正当化するための「中国は急速に成長している。だから、設備装置も建物もひんぱんにスクラップ・アンド・ビルドをくり返さなくてはならない。そのための工業原材料輸入額突出は、決して避けるべきことではなく、健全な経済成長が続いている証拠だ」という言い訳とそっくりだとお感じにならないだろうか。

中国経済がいずれはすさまじい資源浪費で息の根を止められるように、アメリカも度はずれた軍事大国化で自滅していくだろう。そして、その自滅過程は、アメリカ国民のあいだの貧富の格差が、どうにもならないほど拡大するというかたちでやってくるはずだ。下のグラフをご覧いただきたい。



Pew Research Center、『The Lost Decade of the Middle Class』、2012年8月22日刊より転載

 ご覧のとおり、「黄金の60年代」が過ぎ去った直後のアメリカの70年代では、真夏から厳冬へと表現してもおかしくないほど所得伸び率が急落した。ただ、救いは所得階層の上から下まで、ほぼ万遍なく所得伸び率が低下したことだった。1980年代以後のアメリカは、まったく違う国になっていた。金持ちほど所得伸び率が高く、貧乏人ほど所得伸び率が低い経済に変わってしまったのだ。つまり、時間が経てば経つほど貧富の格差が拡大する社会だ。

そして、上のグラフでは、2000~10年の10年間で見ると、上から下まで全所得階層で所得が低下したことになっている。所得水準で上から5%に属する人たちも、下から20%ほど大幅ではないが、所得は低下していた。

 ところが最上位の定義をもっと絞りこんで、所得水準で上位1%の所得推移をみると、どうやらこの層は2000~10年でさえ、所得を伸ばしていたようなのだ。所得上位5%と違って、上位1%の所得統計はまだ公開されていないようで、上のグラフと正確に対応した所得上位1%の所得動向を示したグラフは、まだ入手できていない。だが、2000~07年で見ると、明らかにこのグループの所得はそうとう増えている



ウェブサイト『My Budget 360』、2012年8月14日のエントリーより

 所得上位1%の平均所得は2000年に120万ドル前後だったものが、2007年には190万ドルあたりまで上がっていた。その後、2008年には一過性の大激減になったかもしれないが、金融市場も復調した2009~10年には下げの大半を取りもどしていただろう。つまり、所得上位5%だと所得が減少していた2000~10年の10年間でさえ、所得上位1%となると所得上昇を維持していた可能性が非常に高いのだ。

 所得上位5%と同じく1%の差がどこにあったのかを考えてみると、5%はふつうの大金持ち、1%は金融業や石油業や軍需産業といった万年高収益産業にコネのある大金持ちということが推測できる。そこで、上のほうで見たアメリカの軍事費支出の対GDPシェア推移のグラフを、もっと短い期間に限定したものを見ていただこう。



ウェブサイト『The Burning Platform』、2012年8月24日のエントリーより

 期間が短くなったので、ソ連崩壊がアメリカの軍需産業にとっていかに深刻な打撃をあたえたのかが、よく分かるグラフになっている。GDPに対するシェアで見れば、朝鮮戦争時の異常値、約15%から1980年前後の6%まで下がりつづけていたものが、1980年代末には8%前後まで回復していた。だが、ソ連崩壊後の軍事予算縮小で、2001~02年の大底では4%ギリギリくらいに落ちこんでしまったからだ。

 アメリカの所得分布を見ると、過去40年間ほぼ一貫して、じわじわ増えつづける高所得層と低所得層に挟撃されて、中所得層に属する成人人口が大幅に減少していることに気づく。




Pew Research Center、『The Lost Decade of the Middle Class』、2012年8月22日刊より

 1971年には成人人口の61%が中所得層に属していたのに、2011年には51%まで下がっている。この間に上層は14%から20%へ、そして下層は25%から29%へと成人人口が拡大している。ちなみに、この上、中、下層への分類は自己申告ではなく、前の年の世帯所得を家族数が一定という仮定のもとに調整した所得額で一定の基準のもとに振り分けた客観的な分類である。

 大きな問題が2つ、浮かび上がってくる。1つ目は、この客観的な所得基準で下層に属する成人人口が40年間で4分の1から3割目前まで上がっていることだ。もう1つは、上層は14%から20%へと増えているが、その上層のあいだでも、上から5%と残る15%ではかなり所得水準が違うし、さらに最上位1%とその他4%のあいだの格差も拡大しているということだ。

上、中、下層を分ける客観的な所得水準が下のグラフに明示されている。いずれも、生の世帯所得ではなく、家族数が3人という仮定のもとに調整済みの所得水準になっている。



上層の世帯所得中央値は過去40年間で43%伸び、2010年現在では16万1252ドルとなっている。1ドル80円換算で1290万円となる。中層の世帯所得中央値は同じ40年間で34%伸び、2010年現在で6万9487ドルだった。これも日本円にすると、556万円となる。下層の世帯所得中央値は、この両者に比べて格段に低い。過去40年間の伸びも29%にとどまり、2010年現在で2万3063ドルに過ぎなかった。日本円にすれば、わずか185万円だ。

 最近、アメリカの社会派のブログ論壇で騒然たる話題を巻き起こしているのが、ついに福祉に頼るアメリカ国民の総数が1億人を突破したというニュースだ。一例を挙げれば、『アメリカン・ドリームの終焉(End of the American Dream)』と銘打ったブログの8月8日のエントリーが、そのものずばり「福祉に頼るアメリカ国民の総数がついに1億人を突破(More Than 100 Million Americans Are on Welfare)」となっていた。

だが、アメリカの総人口の3割は、ほぼ1億人に当たる。その3割のアメリカ人世帯の所得中央値がたった185万円なら、福祉に頼らざるを得ないのは当然ではないかという気がする。 

下に引用するグラフは、上、中、下層それぞれに属する世帯所得の合計額が、アメリカの世帯総所得の何%に当たっていたかを示したものだ。


 このグラフと前篇最後に紹介したグラフを見比べていただくと、「アメリカは昔から貧富の格差の大きな社会で、それが活気ある経済活動を支えていた」などという言説が、いかにとんでもないウソっぱちかがよく分かる。1971年と2011年では上、中、下層それぞれの平均所得が総世帯平均所得に対する比率が様変わりとなっているのだ。

1971年の時点では、下層世帯は人口シェアが25%で所得シェアが10%なので、平均所得より60%低い所得しか稼げていなかった。中層は人口シェアが61%で所得シェアが62%なので、平均所得の1.6%増しを稼いでいた。上層は人口シェアが14%で所得シェアが29%なので、平均所得の107%増しの稼ぎがあった。上層は下層の5.18倍の平均所得があったわけだ。(人口と世帯数は違うという反論が出るかもしれないが、このデータでは世帯はすべて家族数3人として調整してあるので、世帯で出したシェアと人口で出したシェアは一致する。)

2011年に眼を転じよう。下層世帯は人口シェアが29%で所得シェアが9%になったので、全世帯の平均所得より69%も低くなっている。中層は人口シェアが51%で所得シェアが45%になったので、平均所得より12%低い所得しか稼げなくなってしまった。上層は人口シェアが20%で所得シェアが46%なので、平均所得より130%も高い所得を稼げるようになった。上層の平均所得の下層の平均所得に対する比率は7.42倍に拡大している。

 これだけの所得格差があって、しかも下層は貯蓄するどころか、福祉に頼らなければやっていけない世帯が激増しているとすれば、資産格差は所得格差よりはるかに大きくなっているということは、だれでも想像がつく。だが、下のグラフで上、中、下層別の純資産保有額推移を見ると、ここまでひどくなっているとはと嘆息せざるを得ない状態だ。



ご注意いただきたいのは、このグラフで観察対象としている期間は、これまでの40年間より短く1983~2010年の27年間だということだ。だが、その間にどれだけ貧富の格差が広がったかは、一目瞭然だろう

下層世帯の純資産中央値は、1983年の1万963ドルから2010年の1万151ドル(約81万2000円)へと7.4%減少している。中層は9万1056ドルから9万3150ドル(約745万円)へとたった2.3%の微増だ。27年間もかけて2.3%増では、ほぼ横ばいと言っていいだろう。一方、上層は30万7134ドルから57万4788ドル(約4600万円)へと87%も増加している。これなら、年率でも2.2%増と、ちゃんと意味のある増加率になっている。

 この間に、上層と下層のあいだでの純資産中央値倍率は、28.0倍から56.6倍に変わった。倍率自体が倍増しているわけだ。上層と中層の純資産中央値倍率のほうは、3.37倍から6.17倍へと拡大している。こちらはさすがに倍率が倍増することはなかったが、倍率が83%も拡大していたのだ。



 上層の資産構成は、ポートフォリオによるリスク分散のお手本になっている。住宅、株・債券、事業持ち分、その他資産にほぼ4等分し、残金は5~7%程度にとどめて銀行預金で持つというかたちだ。しかし、中層の資産構成はまったく違う。つねに全体の半分近くを住宅として持っているために、その他のさまざまな金融資産は、ほんとうにリスク分散になっているのか、かなり疑わしい。そもそも純資産総額が700~800万円程度では、ごちゃごちゃいろんなものを詰めこんでみても気休め程度にしかならないだろう。

結局のところ、中層の純資産保有は金額が下層より大きいだけで、構成は下層とまったく同一と言っていいのだ。そして、この資産構成だと、住宅市場が長期にわたって低迷したりすると、目も当てられない悲惨な運用実績になってしまう。このへんは、1980年代末から90年代初めにかけての日本の不動産バブル崩壊に立ち会った方なら、先刻ご承知のことだろう。

そして、アメリカの住宅市場は、急落のあとの急回復ではなく、急落のあとのジリ安基調持続の様相を呈している。



 まず、新築住宅全体の販売戸数だが、大天井となった2005年の年間140万戸という供給が、従来の安定レンジだった40~80万戸に比べてあまりにも大きすぎた。だから、2010年にはおそらく第二次大戦後初めての30万戸ギリギリというところまで落ちこんでも、まったくアク抜け感がない。1990年代までの安定供給時代の支持線だった40万戸レベルが、今や抵抗線となってしまった印象がある。

さらに、この悲惨な住宅市場一般の中でも、とくに被害が大きくなりそうなのが、中層世帯が景気のいいときにちょっと無理をして買ってしまった可能性の高い価格帯の住宅なのだ。下のグラフをご覧いただきたい。



12万5000ドル(約1000万円)未満の低価格帯住宅は、2002年の年間4万8000戸からなだらかに減りつづけて、現状で年間8000戸前後の供給となっている。市場が6分の1になってしまったのだから大変なのは事実だが、しかし従来もう少し上の価格帯を狙っていた需要が少しずつ降りてくることを考えると、とんでもない過剰在庫が発生するとか、極端に値下がりするとかの危険は限定されているだろう。

 問題は、75万ドル(約6000万円)以上という高額住宅の供給実績だ。2002~03年には年間で2700戸くらいしか販売されていなかったものが、サブプライムローン・バブルまっただ中の2006~07年には年間1万2000戸超の大量供給となり、今また年間2000戸前後まで収縮している。

 こちらは、どんなに住宅不況が続いても、上から降りてくる需要を見こめない価格帯だ。また、2004~08年のあいだに高値つかみをしてしまった物件を、ローン返済に困ってかなり大きなキャピタルロス(資産評価の目減り)を実現してでも売ろうとする動きも、これから本格化するだろう。純資産の約半分をこういう物件のかたちで持っている中層の世帯は、売却して実現損を出そうと出すまいと、かなり深刻な評価損に苦しむのはまちがいない。
にもかかわらず、アメリカの中層世帯の経済的安定度に関する自己評価は、かなり甘い。



 ご覧のとおり、中層世帯では10年前に比べて経済的安定度が高くなったと考える世帯が44%、低くなったと考える世帯が42%と、わずかながらも現状肯定派が優勢になっている。だが、アメリカの現状を見ると、金持ちはさらに豊かに、そして貧乏人はさらに貧しくなっていくだけではなく、中層は上層に追いつくよりは下層に吸収されてしまいそうな形勢になってきた。それなのに、この回答はちょっと心もとない。
ただ、アメリカの世帯も自分の世帯の現状というところから離れて、もう少し一般的な状況に関する質問には、もっと緊張感のある回答を出している。





「たいていの人は一生懸命働けば成功できるか」という質問への「はい」という回答は、1998年の74%をピークに、前回調査では58%に下がっていた。最新の調査では63%まで挽回しているが、やはりピークに比べて自助努力への信頼感が10ポイント以上下がっているのは、けっこう重みのある変化だろう。

アメリカの中層世帯の今後を考える場合に、「これだけは絶対持続不可能だ」と断言できることがある。それは大学教育、もう少し正確に言えば大学卒業資格を取るまで学費を負担しつづける能力の崩壊現象だ。



 

 アメリカは大学卒業資格への投資のリターンが非常に高い国で、大卒以上の学歴を持つ人の生涯所得は、高卒以下の学歴しか持たない人の1.7倍に達している。だからこそ、自分の受けた教育に関する満足度では、大卒以上の学歴を持つ人は85%という高い回答を出している。なんらかの大学教育は受けたが卒業できなかった人たちの54%、高卒以下の人たちの48%と比べて格段に高い。

だが、残念なことに現在の中層世帯の子女で、大学卒業資格を取れるのは、返済不要の奨学金がもらえるほどの秀才(あるいはスポーツなどで抜群の才能を示した連中)だけだろう。ふつうの能力では、アメリカの中層家庭に生まれて大学卒業にこぎつけることはできない。 

下に紹介するグラフがその理由を示している。




 大学授業料は、過去25年間で5倍以上になっている。一流私立大学の1年間の授業料プラス生活費は、ベンツの新車1台分(約450500万円)だ。ベンツの新車を4台乗り潰す覚悟で子どもを一流私立大学にやれる親は、中層世帯の中にはほとんどいないだろう。 

 そこまでぜいたくを言わなくても、私立大学の授業料は軒並み年間200~300万円、州立大学でも人気大学は似たような価格帯だ。日本で言えば駅弁大学的な州立大学でも、授業料が年間100万円以下で収まる大学はほとんどない。
 一方で、アメリカの中層世帯の所得中央値は500~600万円程度しかないのだ。年間100万円の負担でもかなり重い。200万円以上となると、学費ローンのご厄介になり、「大学は出たけれど……」ローン返済負担がきつすぎて、ふつうの給与所得ではやっていけないという新米社会人が大量供給されることになる。

 結局のところ、軍需産業とか石油産業のような利権集団がのさばっている社会では、一握りの高収益産業はわが世の花を謳歌する。おっと、最近では金融業界も大手と中小のあいだにあまりにも大きな情報格差がつき、狭いサークルの中でしか得られない情報を有効に使う企業が利権産業化しているのも、忘れてはいけない。

 こういう産業がなぜ万年高収益でやっていけるかと言えば、本来その他大勢の人びとのところに入っていくべき収益まで吸い上げているからだ。アメリカは、企業利益率は史上最高水準を維持しながら、今は国民の3割、やがて半数が福祉に依存しなければ食っていけないというすさまじい分裂を表面化させることによって、空中分解するだろう。

 

孫崎 亨氏の講演会を聞いて思うこと

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9月 282012

~本当の事を知って問題を直視しなければならない時代を迎えている~

孫崎 亨氏

 元外務省の国際情報局長であった孫崎 亨氏が生き生き、楽しそうに戦後史の真実を講演会で語る姿を見ていて最近、ある講演会でテレビにもよく出演する大手新聞社の論説委員T氏が日本の政治の現状を「日本の国民が馬鹿だから、日本の政治はこんなに悪くなった。」と不愉快そうに語っていた姿が脳裏に浮かんできた。

 彼はジャーナリズムの役割・責任などには一切言及せず、物事を判断する能力のない国民が悪い、原発再稼働に反対する現在の官邸デモは日本社会における大変危険な兆候:ポピュリズムだとさらに深刻な顔で語るのだった。そしてほとんど、まともな説明もなしに原発の再稼働は当然であるとし、それに反対する大衆は世の中の現実がわかっていないとボソボソと話すのであった。国際政治の舞台裏を見てきた元外交官孫崎氏が多くの日本人にそれが不愉快な現実であろうと真実を伝えようとしているのに対し、この有名な論説委員T氏の態度は、ポジショントークをしなければならない立場かもしれないが、その違いがあまりにも際立っていた。



 そう言えば、日本国を愛する知人の経営者がこの論説委員が所属する新聞の購読を最近取りやめたという。その理由は、米国のタカ派のシンクタンクに新聞社の論説が乗っ取られたような状況で日本人として読むに耐えないということだった。

この好対照のお二方の姿こそ、現在の日本社会を二極分化する言論状況を如実に物語っていると言えないだろうか。



 たしかに311以降、政府、大手マスコミ、官僚が行なっているのは、情報隠蔽と情報操作と情報誘導と歪曲・矮小だったのではないかと多くの人が、疑い始めるように、なってきている。そう言った大手マスコミが作り出している「情報操作された言語空間」を打ち破ろうとしている伝道師の一人が元外交官孫崎 亨氏である。



 今回の講演は「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」と2005年2月23日の衆議院予算委員会公聴会で石橋神戸大教授が原発震災を強く警告した話から始まった。フクシマ原発事故のような原発震災は、6年も前に国会で警告されていたのである。マスコミでこのことが大きく取り上げられていた記憶がないが、如何だろうか。

 

そして、話は東京都知事石原慎太郎氏が火を付けた領土問題に。



ところで、下記の質問に対してどのようにお答えになるだろうか。



<北方領土問題> 

•日本はポツダム宣言を基礎に置くべきか。

<答え:置くべきである。>

•ポツダム宣言では領土はどう書いているか。

<答え:「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ。>

•米国はソ連の参戦を呼びかけたか、反対か。

<答え:呼びかけた。>

•トルーマンは千島占領を認めたか否か。

<答え:認めた。>

•サンフランシスコ講和条約で千島に触れているか。

<答え:触れている、千島の放棄を認めた。>

•吉田首相は国後・択捉を放棄の千島でないと言っているか、演説で南千島と言っ

ているか。

<答え:南千島と言っている。>

・重光外相が国後択捉をソ連にと言った時ダレスは任すといったか、脅したか。

 <答え:脅した。>

・米国は領土問題を残すのに利益を感じたか。

<答え:分断統治のために利益を感じた。>

<竹島>

•米国連邦機関に世界の地名、所属に責任を持つ米国地名委員会がある。現在竹島は日本領になっているか、韓国領か、中立か。

<答え:2008年に韓国領になっている。>

<尖閣諸島>

•中国は尖閣諸島を自国領とする根拠として何を言っているか。

<答え:中国、明・清時代、1556年、明は胡宗憲を倭寇討伐総督に任命、『籌海図編』に尖閣を海防区域にしている。1895年併合は日清戦争の結果、中国は日清戦争を侵略戦争と位置付けているため、返還義務があると考えている。1992年中国が「中華人民共和国領海および隣接区法」で尖閣を中国領と明文化した。

•「領土問題の棚上げ」が日本に有利なことがあるか。

<答え:1972年の日中国交回復以来、日中両国政府は両者の言い分が食い違う尖閣諸島の領有権問題は『棚上げ』にすることを申し合わせてきた。これは尖閣を実効支配する日本にとって、支配が継続することを意味する有利な取り決めであり、事実上、中国が日本の実効支配を認める取り決めだった。その『棚上げ』合意に基づき、日本は尖閣を自国の領土と主張しつつも、周辺海域で国内法を適用することはしなかったし、同じく中国側も表向きは領有権を主張しつつも、政府として目立った行動は取ってこなかった。そのような微妙なバランスの上に実質的には日本が実効支配したまま、両国ともにこれを大きな外交問題としない範囲で慎重に扱ってきたのが、これまでの尖閣問題だった。>



<尖閣諸島と米国>

•領有権について米国は尖閣を日本領、中国領、中立のいずれにしているか。

 <答え:米国は、領有権問題については日中のどちら側にもついていない。>

•尖閣が安保条約の対象であることと、米軍が尖閣の紛争に出るは同じか。

 <答え:違う。考えられるシナリオ:第一、中国攻撃、自衛隊守る。米国出て来ない。第二、守りきれなかったら、中国の管轄地、米国は出る必要なくなる。

アーミテージ「日本が自ら守らなければ(日本の施政下でなくなり)我々も尖閣を守ることは出来なくなる。」どっちみち出ない可能性大。>



一つ一つ、興味深い事実を聴衆に質問しながら孫崎氏は積み上げていく。不愉快な現実かもしれないが私たち日本人は、そろそろ冷戦時代の夢から醒めて本当の事を知って問題を直視しなければならない時代を迎えているのではないだろうか。

 

ところで、同じく元外交官の原田武夫氏が著書で

「日本のメディアは米国によって徹底して監視されているのである。かつて、作家・江藤淳は第2次世界大戦における敗戦後、占領統治を行ったGHQの下で、約8000人近くもの英語の話せる日本人が雇用され、彼らを使った日本のメディアに対する徹底した「検閲」が行われていた歴史的事実を検証した。しかし、その成果を示した著作「閉ざされた言語空間」(文春文庫)においては、この8000人近くの行方はもはや知れないという形で閉じられている。あたかも、米国による日本メディアに対する監視とコントロールが1952(昭和27)年のGHQによる占領統治の「終焉」とともに終わったかのような印象すら受ける。

 しかし、現実は全く違う。「彼ら」は引き続き、日本メディアを監視し続けているのである。しかも、その主たる部隊の一つは神奈川県・座間市にあり、そこで現実に77名もの「日本人」が米国のインテリジェンス・コミュニティーのために働き続けているのである。そして驚くべきことに、彼らの給料を「在日米軍に対する思いやり予算」という形で支払っているのは、私たち日本人なのだ。

「監視」しているということは、同時にインテリジェンス・サイクルの出口、すなわち「非公然活動」も展開されていることを意味する。」



「このことは事実か。」と元外務省の国際情報局長に懇談会の時に確認させていただいた処、「全くその通りだ。」との返事をいただいた。そして大阪大学の松田 武教授が書いた「戦後日本のおけるアメリカのソフトパワー~半永久的依存の起源~」(岩波書店)という本の名前を上げられ、アメリカが手塩にかけて育てた日本のエリートの中には、アメリカの覇権に対して異議申し立てをすることは許されない空気があり、現在までそれが続いていることを指摘されたのであった。



 ある意味、米国の情報戦略によってつくられた「史実に基づいたフィクション」が、今まで私たちが知っていた「戦後史」だったと考えるべき時代を迎えたのかもしれない。

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