2月 272014

やはり、安倍氏は自分の信念である「戦後レジームからの脱却」に向けて暴走し始めたようである。安倍氏が押し込んだNHK会長、経営委員諸氏の発言を聞けば、戦前回帰への意志は、誰の目にも明らかであろう。

ところで、安倍氏を民主党の野田佳彦氏をくびにして新しい首相にしたのは、何回か、レポートでも分析したようにアメリカだが、流石に安倍晋三氏のアメリカの要求を巧みに利用した<戦前回帰路線>には、難色を示すようになっている。

アメリカがポーズだけで、難色を示しているかどうかは、これからTPP交渉にメドが付いた時点で、2007年のように辞職せざる得ない状況を米国が情報工作するかどうかにかかっている。もし、そんなようなことが起きなければ、逆に米国は、極東での有事を狙っている可能性もあるということになるから、さらに注意が必要だ。

そう言った意味で、ここ2~3ヶ月の情勢には特に注視が必要だと思われる。心配なのは、安倍氏が日中戦争を辞さない覚悟で中国に対していることである。本来は、日本の国民や経済のことを、頭を冷やして真剣に考えるべきなのだが、どうもそのことを安倍氏に言う人が回りにいないようである。それらのことを端的に示している文章があったので、紹介させていただく。以下。

*東洋経済オンラインより

http://toyokeizai.net/articles/-/27336

「起こるべくして起きた、靖国参拝という大事件」



~膨張する「嫌中国・韓国」感情の裏にあの男~


高橋 浩正 :ジャーナリスト



国のトップとして”有言実行”といったところか。



安倍晋三首相が与党内、さらに米国の反対を押し切り、首相在任中の靖国神社参拝を決行した。そして懸念されていた通り、中国、韓国は猛反発し、亀裂はいっそう広がった。もちろん、安倍首相としては織り込み済みだろう。

「対話のドアはつねにオープンだ」

安倍晋三首相は今まで、何度このフレーズを口にしてきただろうか。悪化の一途をたどる中国、韓国との関係について語るときは、必ずと言っていいほど飛び出してきた。まるで「日本は柔軟に対応するので、もっと歩み寄ってほしい」と言わんばかりだが、これが単なるポーズで、本人にそのつもりはまったくないというのが、永田町の定説だ。

つまり、日中、日韓関係が好転する気配など、どこにもないということだ。両国に縁のある日本企業は多いが、安倍首相のポーズに惑わされずに早く対策を練らないと、思わぬ憂き目に遭うかもしれない。



「余計なことをするな」



まだ表に出ていない、こんなエピソードがある。11月7日、韓国・ソウルで開かれた、日中韓の外務次官級協議。杉山晋輔外務審議官が、旧知の間柄である朴槿恵・韓国大統領の側近と会い、首脳会談の実施に向けて地ならしを試みた。ところが帰国後、安倍首相側近の政府高官に結果を説明すると「余計なことをするな」と怒鳴られたという。

確かに杉山氏は、事前に官邸サイドの指示を仰いでいなかった。スタンドプレーに走ったそしりは免れない。ただ、この一件で「中韓両国に対話の糸口すらつかませない」という安倍政権の隠された意図を感じ取った外務省は、事実上、さじを投げてしまったらしい。

さらに安倍首相の“暴走”は続く。ここにきて、中国に進出している日本企業の幹部に対し、首相周辺がハッキリと「撤収」を促し始めたのだ。今後、韓国は経済危機によって日本に頭を下げてくるかもしれないが、中国との冷戦状態は間違いなく長期化する――。そんな予測を披露しているという。つまり、日中関係を改善する意欲がないと、公言しているも同然なのだ。



もっとも、尖閣諸島の国有化と前後するように、反日感情の高まりに悩む日本企業が中国から脱出するケースは増えている。ヤマダ電機は南京と天津、三越伊勢丹は遼寧省の店舗を閉鎖。無印良品や紳士服の青山、ワコールは、中国における生産比率を下げた。ほかにも楽天などが、中国での事業縮小を決断している。もちろん労働コストの高騰、中国市場バブルに対するリスク回避、といった理由もあるが、ある会社の役員は「撤退の決定打になったのは現地の冷たい目」と明言する。



しかし、こうした“脱中国”は、大企業だからできることでもある。今や中国に進出している日本企業は3万社に上るが、うち3分の2程度は中小企業が占めているとされる。

「撤退しようとすれば、中国側から設備を含めた全資産を譲渡するよう求められるし、現地従業員に対する経済補償金、つまり割り増しされた退職金を支払う必要もあります。ただリストラの可能性が浮上しただけでも、経営陣が軟禁されてしまうケースは珍しくない。中小企業には、そんなリスクを乗り越えられるだけの体力も胆力もありません。日本では最近、そうした企業に向け、中国から離れるテクニックを指南するセミナーが盛況になっているほどです」(日本の総合商社幹部)。



侮れない、「野中・小沢」勢力の動き



尖閣諸島で繰り返される領海侵犯、防空識別圏の設定など、中国が打ち出す対日侵攻策はエスカレートするばかりだ。日本国内における嫌中国、嫌韓国感情は膨らむ一方で、週刊誌や夕刊タブロイド紙では、売り上げ部数を伸ばそうと、中韓たたきが過熱している。あるベテラン政治ジャーナリストには、「何でもいいから中韓を批判できるネタがほしい」「永田町の話題ではなく、少しでも中韓を絡めたコラムを書いてくれ」という無茶な注文がひっきりなしに届いているという。

安倍首相は、こうした世論を感じ取り、政権を安定させるために、わざと中国、韓国との関係改善を先延ばししているのではないか――。与野党問わず、そうとらえている国会議員は多い。さらに水面下では、中韓関係をエサにするかのように、激しい政治闘争が繰り広げられている。



「かつて『悪魔』と罵倒した政敵と、再び手を結ぶのか」



首相官邸スタッフはこう語り、自民党大物OBに気をもむ。意外かもしれないが、それは「脱原発」を訴え、国民の耳目を集める小泉純一郎元首相ではない。かつて「影の総理」と称されるほど絶大な権勢を振るった、野中広務元官房長官だ。官邸による警戒の強さは、小泉氏と同等か、それ以上に強いと言っても過言ではない。

「小沢一郎・生活の党代表のブレーンである平野貞夫元参院議員に、野中氏が接触している」

官邸サイドが初めて、小沢氏周辺からそんな情報を入手したのは9月中旬だったという。「やはり安倍内閣の外交が行き詰まった。これを火種にして、何とか安倍を引きずり下ろす手はないか」。漏れ伝わる会話からは、内閣を退陣に追い込む“共闘プラン”を探っていることがうかがえる。そのため、彼らの動向を注視せざるをえないようだ。



とはいえ、野中氏は引退から10年。政界への影響力はそうとう薄らいでいる。小沢氏も今や弱小政党のトップで、次期衆院選に出馬しない可能性がささやかれるほどだ。自民党閣僚経験者の言葉を借りるなら、2人とも「終わった政治家」である。一方、安倍内閣の支持率は、特定秘密保護法案の採決強行で大きく落ち込んだものの、アベノミクスへの期待や東京五輪の招致成功などによる“貯金”が大きく、いまだ堅調。弱小の「野中・小沢同盟」を気に留める必要など、まったくなさそうに見える。

ところが、そうタカをくくれない背景がある。野中氏のバックには、自民党内で冷や飯を食らっている、リベラル派議員が控えている。さらに、内閣改造や党役員交代が先送りされ、政権運営に対して党内が抱く不満の“ガス抜き”として使えるはずの人事も滞留している。



反・安倍勢力の足音



今や自民党は「安倍一強時代」と揶揄されるほど、一色に染まってしまった。麻生太郎副総理や石破茂自民党幹事長も、「出るクイは打たれる」より「長いモノには巻かれろ」とばかりに鳴りを潜めてはいるが、安倍首相の後継を狙う意欲を周辺ににじませている。そうすると、まるで向かうところ敵なしのように見える安倍首相だが、現体制が自民党内に抱える“不安要素”は驚くほど多いことがわかる。



野中氏と党内リベラル派に触発される形で、倒閣運動が首をもたげる可能性がくすぶる。そこに、いくら落ちぶれたといはいえ、百戦錬磨の小沢氏がかかわったら――。

こうした動きを気味悪がったためか、官邸は親中・親韓議員から“権益”を奪おうと躍起になっている。象徴的な例が、10月15日に衆院予算委員長のポストに“飛ばされた”と目される二階俊博衆院議員だ。

「あれだけスピーチの練習をしていくのであれば、中国や韓国に対してもスピーチを練習したらどうか。五輪招致のために努力した情熱の半分でもいいから、いろいろ努力すべきだ」

二階氏は9月11日、五輪に血道をあげる首相にこう注文をつけ、官邸サイドと鋭く対立した。これをきっかけに、二階氏の人事が敢行された、という観測が、自民党内で飛び交っている。



衆院予算委員長は「国会の司令塔」と評されるほど、国会運営のカギを握る重要な立場だ。しかし、二階氏が適任かどうかと問われれば、首をかしげてしまう。

自他ともに認める「建設族のドン」である二階氏は、総額200兆円もかけて国内のインフラを整備する「国土強靭化計画」の旗振り役である。公共事業の受注を狙って近づいてくる関係者は少なくないはずで、そこに莫大な利権が発生することも想像に難くない。



安倍官邸は、そんな二階氏を国土強靭化計画から遠いポジションに置いた。畑違いの役職に“封じ込めた”とみるのが自然だ。かつて、野中氏と小沢氏、二階氏は、今でこそ袂を分かったが、自民党と旧自由党による連立政権では中核にいた。そして何より、中国とパイプを持つという点も共通するのである。

実力者である二階氏の処遇に、親中派コネクションの決起を恐れる首相の姿がちらつく。そもそも、本気で中国や韓国と折衝したいなら、二階氏をパージする必要はないのだ。

世間に迎合するだけでなく、「わが世の春」を確固たるものにするために、中国、韓国との関係改善を放置しているとするなら――。隣国とのビジネスで苦心惨憺する日本企業にとって、これほど空しいことはない。

(終わり)



ところで、2014年2月20日付で、英フィナンシャル・タイムズ紙も興味深い記事を掲載している。安倍氏に現在の政策を提示したCSIS(戦略問国際題研究所)が実質、その論調をコントロールしていると言われる日本経済新聞がこのような記事を翻訳掲載したことにも注目すべきである。以下。

「安倍首相を望んだことを悔やむ米国政府」



安倍晋三首相が率いる日本と習近平国家主席が率いる中国との関係を評価するのは極めて簡単だ。どちらも相手をあまり好きではない。日中双方が、政策目標を推し進める道具としてナショナリズムを利用している。どちらも恐らく、相手側に押しがいのある「タフな男」がいることは都合がいいと考えている。

評価するのがそれほど簡単でないのが、日米関係の状態だ。本来であれば、日米関係は日中関係よりもはるかに容易に読み解けるはずだ。結局、日本は米国にとってアジアで最も重要な同盟国であり、第2次世界大戦の終結後、米軍の戦闘機と部隊を受け入れる「不沈空母」だったのだから。



緊張する日米関係



そして今、数十年間にわたり米国から促された末に、ようやく強固な防衛態勢を築き、平和主義の日本が長年大事にしてきた「ただ乗り」の国防政策を見直す意思を持った安倍氏という指導者がいる。

だが、長年求めてきたものを手に入れた今、米国政府はおじけづいている様子を見せている。

その兆しの1つは、安倍氏が昨年12月に靖国神社を参拝した後に米国政府が「失望」を表明したことだ。靖国神社は中国と韓国から、自責の念がない日本の軍国主義の象徴と見なされている。

以前は、米国政府は内々に靖国参拝への不満を述べたが、公然と日本を非難することはなかった。日本政府は今回、米国が日本語できつい響きのある失望と訳された「disappointed」という言葉を使ったことに驚かされた。

ほかにも緊張の兆候が見られた。米国の政治家は、安倍氏の歴史観に対する懸念を表明している。バージニア州の議会は、学校教科書に日本海を表記する際には韓国名の「東海」を併記するよう求める法案を可決した。米国政府は、安倍氏の指揮下で、やはり米国の重要な同盟国である韓国と日本の関係も悪化したことを懸念している。

日本の観点から見ると、論争になっている島嶼に対する日本の支配権に対し、中国政府が防空識別圏設定の発表で巧妙に対抗してきた時、米国政府は十分な力強さをもって日本を支持しなかった。米国政府は確かに中国の防空識別圏内に爆撃機「B52」を2機送り込んで不満を表したが、米国のジョー・バイデン副大統領は北京を訪問した時に、この問題をことさら取り上げなかった。



東京の多くの政府関係者は、米国政府は事実上、中国の一方的な動きを黙って受け入れたと考えている。また、彼らは常日頃、中国にどっぷり染まった人々を周囲に置く傾向のあるバラク・オバマ大統領の回りに「ジャパンハンド」がいないことも嘆いている。米国政府が日本を支持することは、もはや当てにできないという感覚が広まっていると語る日本政府関係者は1人ではない。

このような背景には、安倍氏にも当然分かる皮肉がある。1950年以降ずっと、米国政府は日本に対し、再軍備し、現在安倍首相が提唱しているような国防態勢を取ることを迫ってきた。ダグラス・マッカーサー元帥の命令で書かれた1947年の平和憲法のインクが乾くや否や、米国人は日本に「交戦権」を永遠に放棄させたことを悔やんだ。

米軍による占領終了の交渉を任じられたジョン・フォスター・ダレスは日本に対し、30万~35万人規模の軍隊を構築するよう迫った。中国は共産主義国家になり、米国は朝鮮半島で戦争を戦っていた。東アジアに無力化された「従属国家」を抱えることは、もはや米国に適さなくなっていたのだ。



何年もの間、日本はこうした圧力に抵抗してきた。日本政府は米国の核の傘を頼りにし、ビジネスを築く仕事に勤しんだ。日本の唯一の譲歩は、戦闘を禁じられた自衛隊を創設することだった。

あれから60年経った今、日本には、米国を言葉通りに受け止める指導者がいる。安倍氏には、日本の憲法解釈を見直し、場合によっては平和主義を謳った憲法第9条そのものを覆す個人的な信念と地政学的な口実がある。



中国を挑発しかねない日本のナショナリズムへの不安



しかし、その瞬間が訪れた今、一部の米国政府関係者は考え直している。ある元ホワイトハウス高官によれば、ジョン・ケリー国務長官は日本を「予測不能で危険」な国と見なしているという。

日本のナショナリズムが北京で対抗措置を引き起こすとの不安感もある。オーストラリアの学者で元国防省高官のヒュー・ホワイト氏は、これが意味することは明白だと言う。「米国としては、中国と対立する危険を冒すくらいなら日本の国益を犠牲にする」ということだ。

安倍氏が靖国神社を参拝した時、米国政府にメッセージを送る意図もあったのかもしれない。日本の右派の奇妙なところは、最も熱心な日米同盟支持者でありながら、同時に米国政府が敗戦国・日本に強いた戦後処理に憤慨していることだ。米国の望みに逆らって靖国を参拝することは、日本は常に米国政府の命令に従うわけではないという合図を送る1つの方法だ。



ワシントンで見られる安倍氏への嫌悪感は、決して普遍的ではない。



ある意味では、安倍氏はまさに米国という医師が命じた日本の首相そのものだ。同氏は日本経済を浮揚させる計画を持っている。沖縄の米海兵隊基地の問題を解決する望みが多少なりともある日本の指導者は、もう何年もいなかった。日本は長年、国防費に国内総生産(GDP)比1%の上限を自ら課してきたが、安倍氏は国防費を増額する意思がある。だが、これらの政策には代償が伴う。ワシントンの多くの人が不快に感じる修正主義的なナショナリズムである。



米国のジレンマと日本の悩み



「中国が成長するにつれ、日本が中国の力に不安を感じる理由がどんどん増え、日本を守る米国の意思への信頼がどんどん薄れていく」とホワイト氏は言う。

同氏いわく、米国は日本の中核利益を守ることをはっきり確約するか、さもなくば、日本が「1945年以降に放棄した戦略的な独立性」を取り戻すのを助けなければならない。このジレンマに相当する日本の悩みは、一層強く米国にしがみつくか、米国から離れるか、という問題だ。(終わり)



そして、もう一つ紹介するのは、技術経営コンサルタントの山本尚利氏の興味深い分析だ。以下。



「世界的に有名な「アンネの日記」が無残に引き裂かれる」

~極めて陰湿で不気味な事件のウラを読む~




1.図書館蔵書「アンネの日記」が片端から破られるという不気味な事件が勃発

マスコミ報道によれば、都内の公立図書館にて、「アンネの日記」が同時多発的に大量に破られる事件が発生、早速、米国のユダヤ系監視団体SWCからクレームがついています)。筆者はこのニュースに接して、なんとも言えない不快な気分にとらわれました。250冊以上の本が片端から破られるとは、単なるイタズラの域を超えています。明確な目的と意図をもった勢力による組織的犯行であることは間違いないでしょう。

この事件を知って、誰もが、何のために?と怪訝な思いにとらわれたでしょう。この事件をテレビは報じていますが、新聞はあまり扱っていないようです。

ところで、本ブログでは、安倍政権のナチス化を危惧して、その話題をすでに取り上げています。したがって、本ブログでは、上記の不気味な事件と安倍政権のナチス化は関係しているのではないかと疑っています。



2.アンネの日記を否定することはナチスを肯定することにつながる:これは世界の常識

上記事件の仕掛け人の狙いは、日本国民に対し、「アンネの日記」はアンチ・ナチスのプロパガンダのひとつだが、それを信じてはいけないと警告していると解釈できます。さらに言えば、この仕掛け人は、ナチスを擁護したい勢力とも解釈できます。

それでは、今の日本でナチスを擁護する勢力は誰でしょう。言うまでもありません、安倍総理や麻生副総理を含む安倍政権連中とその取り巻き連中(NHK会長やNHK経営委員を含む)でしょう。

したがって、素直に解釈すれば、上記事件の仕掛け人は、安倍政権を支持し、戦前の軍国日本を肯定したい連中(靖国信者含む)ということになります。

上記事件は、すでに世界に報道されていますし、アンチ・ユダヤに対する監視団体SWCからもネットで伝えられていますから、世界の人々は、日本人はナチスを肯定していると理解するはずです。

さて、日本国民からの支持率の高い(?)安倍政権の右傾化については、すでに世界のマスコミが批判的に伝えていますから、世界の人々は、安倍政権支持の右翼団体が上記事件を引き起こしたと考えてもおかしくありません。安倍政権の菅官房長官がいくら否定しても、安倍総理=極右とインプットされた世界世論はまったく信じないでしょう。

今後、海外旅行する日本人は世界の人々から偏見を持たれて、不快な思いをすることになります、海外旅行の際は、それを充分覚悟すべきです。



3.アンネの日記侮辱事件と安倍政権を手玉に取るネオコンの関係とは

さて、本ブログでは、ナチス化する安倍政権を背後から操っているのは米国戦争屋ジャパンハンドラーやネオコンとみています。

しかしながら、この見方に立つと以下のような疑問が生じてきます。すなわち、安倍政権を不利にすると思われる、上記、アンネの日記侮辱事件を米戦争屋、とりわけ、親イスラエル勢力の過激なネオコン(ユダヤ系のはず)がなぜ、容認したのでしょうか。

ところで、本ブログでは、親イスラエルの過激なネオコン(シオニストでもある)はナチスと本質的には同根とみています。彼らは第二次世界大戦時のユダヤ人迫害(ホロコースト)に関し、ナチス・ヒトラーにすべての罪をかぶせて、ナチスの犠牲になった多くのユダヤ人の恨みをナチス・ヒトラーに集中させているとみなしています。

本ブログの見方では、米戦争屋を含む世界的寡頭勢力のコアはユダヤ系の頭脳明晰で狡猾な権力者で占められているとみなしますが、逆に、イスラエル人を含む、世界中のすべてのユダヤ人が世界的寡頭勢力を構成しているわけではないと思います。つまり、ユダヤ系の1%が世界的寡頭勢力を構成し、残り99%のユダヤ系は寡頭勢力と関係ないわけです。そして、上記、ネオコンは1%の寡頭勢力に牛耳られていると思われます。

ナチス・ヒトラーは、上記1%寡頭勢力以外の残り99%の一般ユダヤ系の人々の憎しみの対象にされていると考えられます。したがって、アンネの日記は、そのためのプロパガンダのひとつとみなせます。言い換えれば、アンネの日記は、ネオコンによって利用されているということです。

そして、今回も、世界中で知らない人はいないほど有名なアンネの日記が、ネオコンによって対日プロパガンダに利用されているとみなせます。



4.アンネの日記侮辱事件は日本を孤立させ、窮地に陥れる対日攻略作戦の一環ではないか

今回の事件を世界世論は対日攻撃の絶好ネタとして利用するでしょう。そして、安倍政権に高支持率を与えている(?)(悪徳ペンタゴン・マスコミの世論調査を信用するという前提で)日本国民が世界の鼻つまみ者に仕立てられる可能性が出てきました。これは日本人を悪者化したい中韓の反日派にとって極めて好都合の状況でもあります。だからと言って、中韓の反日派は従軍慰安婦の銅像は建てても、中韓に無関係のアンネの日記を利用する発想は希薄でしょう。

さて、本ブログでは、米戦争屋ネオコンCIAは極東分断統治戦略を持っていると理解しています。この戦略を貫徹するには、日中間、日韓間にて常に対立を煽り続ける必要があります。そして、彼らネオコンCIAは半島系新興宗教団体などを利用して、日中、日韓の分断工作を続けてきました。

彼らの対日攻略工作の究極の狙い、それは、日本人を戦前同様に孤立化させ、軍備増強に走らせ、暴発させて、戦争に引き摺り込むことです。そうすれば、日本は米軍事企業から大量の兵器を購入して武装を強化します。さらに、彼らが安倍総理に急がせている集団自衛権行使容認によって、軍事訓練を受けた日本人(自衛隊を含む)を米戦争屋が世界規模で仕掛ける戦争に動員できるわけです。米戦争屋は米国人若者から、その正体を見破られて米国人若者を戦地に動員することが困難になっていることも、日本人若者が狙われる原因となっています、安倍政権支持のネトウヨは、それくらいのことにはソロソロ気付くべきです。

いすれにしても、われら国民は、彼らのワナに嵌らないよう、常に、彼らの対日工作に関心をもって警戒心を持ち続けるべきです、さもないと、日本の若者が米国の若者に代わって犬死させられます。(終わり)



どちらにしろ、これから、どういう動きが、表面化してくるかを、注意深く見守っていく時期を迎えている。

1月 082014

一昨年のあまりに不可思議な衆議院解散劇から「アベノミックス」という言葉が一人歩きをし、日本の株価を押し上げ、(日経平均を8,000円台から16,000台へ)為替は大幅に円安になった。(1ドル80円から105円台に)そして、その間にアミテージやジョセフ・ナイという人たちを中心とするジャパンハンドラーが提示する政策が、矢継ぎ早に日本国内で現実化されようとしている。彼らが日本政府に提示しているのは、集団安全保障(憲法改正を含む)、原発再稼働、TPP参加、機密保全法の制定等である。

たしかに昨年一年で、日本の様相は、がらりと変わったように見える。

それでは、2014年は、どういう年になるのだろうか。



おそらく、下記の五つの問いに理路整然と答えることのできる人は、2014年がどういう年になるか、よく見えている人ではないか。



(1)この一年、なぜ、日本の株価は上がり、為替は大幅に円安になったのか?



(2)世界の中央銀行(欧米、日本を中心とする)は、これほどまでの金融緩和を現在までなぜ、継続しているのか?



(3)グローバリズムの進展は、多国籍化した企業の納税を劇的に減少させた。その結果、先進国の政府は国債発行による膨大な財政赤字を抱えるようになっている。その動きを、フリードマンを代表する新自由主義者たちを使って1970年代以降、つくりだしたのが、国際金融資本のグローバルエリートである。彼らは、これからどのように帳尻を合わせるつもりなのか?



(4)昨年9月に、2020年のオリンピック開催地を放射線汚染が懸念される東京に国際金融資本のグローバルエリートは、敢えて決めたのはなぜなのか?



(5)そもそもBIS(国際決済銀行)を中核とする20世紀に構築されたグローバル金融の日本メンバーは誰なのか?





それでは、小生なりの現在の考えを書いていこう。



(1)一言で言えば、日銀が異次元金融緩和をやると宣言し、実際にそれを行ったからである。しかしながら、プラザ合意以降、このような大胆な金融緩和、為替介入を日本政府は、日本経済が、本当にそれが必要な時に行ってこなかったことも事実である。であるならば、現実には、宗主国である米国の許可があったと見るべきであろう。ということは、昨年末に衆議院が解散され、自民党が政権を取ることは既定路線であり一昨年末には決まっていたと考えてもよいのではないだろうか。だから、インサイダーであるジョージソロスは、円の為替相場で、1,000億円も儲けることができたのであろう。

そして、ソロスが大スポンサーのNPOプロジェクトシンジケートに安倍氏が総理になる前の11月に安全保障政策を発表しているのもわかりやすい構図である。ということは、今回の株価上昇は、外国人と日本政府による「官製バブル」だということになる。その証拠に、日本株を買っているのは、外国人と、日本の年金資金ぐらいで、日本の個人投資家は大幅に売り越している統計からもそれが推測できる。



(2)グローバリズムの進展は、法人税を劇的に安くした。その結果、国民国家を維持するために、国債発行に依存するしか、現在、歳入を確保する道がなくなってしまっている。たしかに民間金融機関が国債を消化できるうちは、よかったが、リーマンショック等の金融危機により、現在、中央銀行が国債を直受けするしか、方法がなくなりつつある。つまり、行政サービスを続けるためには、現在の政府は、通貨発行権の乱用をしているということだ。



(3)ということは、早晩、<なし崩し的デフォルト>を行うしか、方法がないことは、明らかである。今までは、その方法は、インフレと戦争であった。おそらく、現在、国際金融資本のエリートは、日本バブルを演出し、日本がどのような方策で膨大な財政赤字を処理するのか、観察、実験しようとしている。



(4)日本バブルで取りあえず、資金運用しようとしている彼らは、日本の金融の根幹である首都圏の不動産価格の下落要因である放射能汚染の問題を取りあえず封印する道を選択するしかなかった。そのためには、東京を選ぶしかなかったということであろう。ということは、今回の日本バブルの展開次第では、2020年の東京オリンピックは「幻のオリンピック」になる可能性もあるということを意味している。



(5)1930年BIS(国際決済銀行)が創設されたときの個人の最大の出資者は、昭和天皇だと言われている。であるならば、日本におけるグローバル金融の代表者は実は、天皇家だということになるはずだ。天皇家の財産については、憲法上の規定があり、国民=国家に属することになっているが、実際のところは、ブラックボックスになっていてほとんど資料を見ることができない。





以上が五つの問いに対する簡単な小生の答えである。





ところで、昨年の年初のレポートで分析したとおり(中央銀行である日銀が資産インフレにすると宣言したのだから、当たり前の話だが、)の株高、円安になったわけだが、昨年一年間の政治経済レポートで一番興味深かったのは、元外交官の原田武夫氏のものであった。では、その彼は、2014年について、どのように言っているのだろうか。

「綜合文化人の時代」がくると原田氏は指摘している。彼が「綜合文化人」と呼ぶ人たちが、今年は、本当に表舞台に出てくるのだろうか?注目すべきであろう。

*以下編集引用

パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言



2014年、「日本バブル」の中で”パックス・ジャポニカ”への道が始まる



2014年はバブルの年である。「世界的に株高となる」といったレヴェルの話ではない。最初は消極的な選択肢としてではあるものの、わが国だけが突出した株式・不動産バブルに恵まれることになり、やがて歴史的な資産バブルに突入していることを誰もが認めることになる。すなわち歴史的な現象としての「日本バブル」が本格的に始まるというわけなのである。



わが国の株価が早晩、平均株価ベースで20000円を目指す展開になるのは目に見えている。



このような「日本バブル」の始まりを支えているのはいわゆる「外国人」だ。一方、わが国の、とりわけ「個人」はどうなのかというと、昨年の東証大納会の段階(12月30日)であっても、依然として日本株を大量に売り続けていた。これら2つのことは今、わが国を巡って2つの重要な事実が浮上していることを如実に物語っている。

「外国人」たちが日本買いを猛烈に続けているということはイコール、「わが国に期待している」ということである。米欧を中心として、特に第二次産業革命以降、約150年近くにわたって続けられてきた金融資本主義の歩みは明らかに行き詰まっている。全く新しいゲームのルールへの転換が求められており、米欧はそこでもゲームの胴元になろうと必死だ。しかしそうした目論見は明らかにうまくいっていない。



米欧が創り上げてきた金融資本主義は、「気候が地球全体で暖かくなり、人類の免疫力が総じて向上し、”元気”になること」を前提としており、だからこそ「通貨を刷り増し、これを拡散させることでインフレへと誘導する」、さらには「それによってバブルが発生し、やがてバブルが崩壊したらば需給ギャップを埋めるためにどこかで戦争を引き起こし、軍需という需要を高めることでリセットする」ことを繰り返してきた。ところが自然科学者たちだけではなく、私たちが広く気付き始めているように、大前提である「気候」が明らかに狂い始めているのである。米欧のエリートたちはこのことを熟知しているだけに焦りに焦っているが、もはや、いかんとも、しがたいのが現状だ。



そのため、彼らは「全く新しいゲームのルールを示すのではないか」と徐々にわが国を注目し始めている。2020年に夏季オリンピックが東京で開催するよう決定したのは明らかにそのせいである。それ以外にも数多くの場面で「JAPAN」「ニッポン」が選ばれることが多いのは、行きづまりを見せた米欧の金融資本主義の次に出て来る「勝ち馬」に乗ろうという米欧のエリートたちの意向によるものなのである。決して私たち日本人の努力によるものではない。 ただし、いずれにせよわが国はそうしたわけで新しいゲームのルールを示すチャンスを、今後少なくとも2年余りは続くことになる「日本バブル」の間だけ得ることになる。つまりそれを通じて「パックス・ジャポニカ」=わが国が示すルールによって世界秩序が新たに整えられていくことを実現できるというわけなのだ。もっともエリート層を除けば米欧においては、実のところ未だに「日本蔑視」が渦巻いている。「平成バブル不況を20年も続けてきた国に何が出来るというのか」あるいは「日本は結局、米欧のゲームのルールになじめないはぐれ者」というわけだ。



「近代の超克」とは何だったのか? 1940年東京夏季オリンピックという幻影



かつてわが国がこうした自覚、すなわち「文明論的な自覚」をもって何をなすべきなのか、真剣に考えた時代があった。時は1940年代前半、いわゆる「近代の超克」という議論である。戦後になって竹内好がいわゆる京都学派を中心に行われたこうした取り組みを批判的に総括してしまったため、この議論は「太平洋戦争を正当化するために行われた当時の文化人たちによる時局迎合の議論」といった形で語られるか、あるいはそもそも意味のないものとして忘れ去られてしまっている。

しかし当時の議論を仔細に振り返れば分かるとおり、議論に参加する者たちのベースにあったのは、今と同じか、あるいはそれ以上に鮮明であった「米欧の文明がもはや限界に来ている」という認識であった。「共に文明の主であり、兄弟であったはずの米欧諸国が違いに総力戦で死闘を繰り広げる」という前代未聞の出来事が起きた第一次世界大戦。その後「西洋の没落」を著したオスヴァルト・シュペングラーに代表されるように、そのことは米欧のエリートたちにとって余りにも衝撃的な出来事なのであった。しかも第一次大戦後、結局は1920年代末から米欧は世界大恐慌の渦へと巻き込まれることになる。わが国もこれに当然巻き込まれるが、いくつかの幸運が不思議と重なり、1930年代は「相対的に」米欧よりも景気の良い自体が続いたのである。幻となった「1940年東京夏季オリンピック」が決定されたのも正にそうした流れを背景にしてのことであった。「今こそ、米欧はわが国がリードする形での世界秩序の再編を望んでいる」わが国の知識人たちがそう力み、論じたのが「近代の超克」だったというわけなのだ。



「シラける」国民と安倍晋三政権の目論見、そして「見えている挫折」



そして時代は下って今年=2014年。「わが国が米欧との比較で相対的に優位である」という状況が再び訪れている。夏季オリンピックの東京開催決定の例を引くまでもなく、明らかに「あの時」と「今」とは極めて似通っているのだが、一つだけ決定的に違うことがある。それは他でもない、私たち日本人自身の意識があまりにも打ちひしがれ、自信喪失に陥っているということである。もっと言えば、70年前にはすることの出来た「近代の超克」といった国際社会のグランド・デザインに関する議論を行おうという向きが日本社会のどこを見てもいないという、悲劇的な状況に陥っているのだ。

そうした時代情況を露骨に物語っているのが、日本株マーケットにおける「個人」が主体となった怒涛の「日本売り」という現実である。民主主義というシステムで他ならぬ「国民」によって選ばれたはずの安倍晋三総理大臣が「アベノミクスは2014年も買いだ」と叫ぶが、実は他ならぬその個人としての「国民」こそが、アベノミクスを売り崩すのに躍起になっているというわけなのだ。政府が日銀を押し切る形で「異次元緩和」を強行させ、円安とインフレを誘導し始めたのは良いが、肝心の「国民マインド」が全く冷え切ったままだというわけなのだ。

わが国の政・官・財界の要人たちはその様子を直接・間接的に見聞きする範囲において、こうした「国民マインド」は最終的に押し切れると考えている節がある。

「株価を公的・準公的ファンドによって押し上げれば、国民は結局のところ『バブルだ』と舞い上がり、有頂天になって言うことを聞くはず」というわけだ。10月以降の日本株マーケットを見ていると明らかにわが国の金融セクターの最大手たちはこうした暗黙の了解に基づき、一つ一つ地歩を固めてきていることが分かる。無論、その背景に安倍晋三政権とそれを支える財政金融当局の深謀遠慮があることは言うまでもない。



昨年末の12月26日午前に突然行われた「安倍晋三総理大臣による靖国神社参拝」もこうした認識をベースにしていたことが明らかだ。確かにこれによって同総理大臣のフェイスブックでは「いいね!」が一時的に殺到して押され、人心掌握という意味ではそれなりに効果があったことが明らかとなった。

しかし、このまま万事うまくいくと仮にわが国の政・官・財界の要人たちが考えているとするならば、全くもって誤りなのである。なぜか。その理由を挙げるならばこうなる:



●「2015年に公的債務の残高が対GDP比で270パーセントにも到達するため、極端なインフレ誘導によって事実上のデフォルト(国家債務不履行)処理をなし崩し的に行いたい」という戦略の一環で行われているのが、度重なる増税論議も含めたアベノミクスの実態だ。日本株・不動産の高騰に向けた誘導もその一つなのであるが、「平成バブル」の熱狂と「平成バブル不況」の深刻さを体験したばかりの「個人」としての国民は明らかに「何があっても動かない」という消極的だが、非常に強力な戦略を暗黙裡に取り続けている



●正に「笛吹けど踊らず」という状況の中、動かぬ「個人」としての国民を掌握しようと安倍晋三総理大臣がやおら動かし始めているのが愛国主義的な傾向だ。「異次元緩和」によって円安に持ち込まれ、自国通貨高へと誘導された我が国の近隣諸国の対日感情が悪化する中、「靖国参拝」を強行し、これら近隣諸国の側において火がつけられ始めている。安倍晋三政権はこれを今度は国内的に利用し、「わが国は狙われているのだ」と対外的な脅威への恐怖感を煽り、徐々に官民の軍事セクターにおけるフリー・ハンドを確保し始めている。こうした風潮に流されている向きはいるものの、第二次世界大戦の「敗戦」を経験した世代が未だ声を発していることもあり、「個人」としての国民が完全に迎合するには至っていない



●「個人」としての国民の側におけるこのような”シラけ”を下支えしているのが「グローバル化」と「インターネット化」、もっといえば「フラット化」である。国家の側が「増税する」と力んでも、我が国の富裕層がその気になれば様々な手段でグローバルにその富を移転することが可能だ。また、マスメディアを通じて大衆扇動をすれば事足りた時代は「小泉構造改革」で終わったのであって、インターネット化が進みしかもそれがソーシャル・メディアとスマートフォンによって「個人」にまで到達した現在、大衆扇動は不可能ではないがかなり手間暇のかかる仕事となっている。さらに事態を厄介にしているのは「グローバル化」「インターネット化」「フラット化」といった現象を推し進めているのは米欧なのであり、これをわが国の政府当局が押しとどめることは不可能だということだ。そのため、安倍晋三総理大臣が何をしようとも、それに対する「反作用」がネットの世界では同じか、あるいはそれ以上のレヴェルで瞬時に生じ、身動きが取れなくなってしまうというわけなのだ



本当に必要な「イノヴェーション」は誰がどのように起こすのか



本年、安倍晋三政権は文字どおりの力技で「日本バブル」を推し進めていくことになる。バブルが富裕層を中心に日本人の心を多少は溶かすことになるのは事実だ。だが、そのような小手先の手段で冷え切った国民マインドが完全に温まるのかというと、全くそうではない。むしろ「バブルの熱狂」は「バブル崩壊に対する恐怖」を呼び、ある意味、国民マインドは何があっても動かない”絶対零度”に向かって突き進んでいくことになるのだ。

一方、自らは150年余りにわたるインフレ誘導に対する反動で強烈なデフレ縮小化へと落ち込んでいくことになる米欧からわが国に対して注がれる視線はますます熱いものになっていく。袋小路に陥った米欧は明らかに、これまで「金融資本主義というルールの蚊帳の外にいたからこそ、別のルールを創り出し、あるいは知っているかもしれない日本」に期待をかけ始めるのである。ところが、対する安倍晋三政権率いる日本はというと変わらずにクールなのである。何のことはない、「おもてなし」「クール・ジャパン」と言ってみたところで、肝心の国内で国民マインドが現状に対して諦め、未来に対して期待が日に日に薄くなり、虚無主義(ニヒリズム)に陥っているのだから致し方ないのだ。そこに輪をかけるようにある種の人智を超えた天変地異(「南海トラフ大地震」「太陽嵐」など)が生じてしまったらば目も当てられない状況になる。



今、わが国が抱えている問題はその意味で、たった一つだけなのだ。それは20年もの間続いた「平成バブル不況」の中で冷え切り、完全に相互不信と未来への絶望へと陥った国民マインドを温め、「熱い国・ニッポン」を取り戻すことである。そしてそれを実現するためには、従来のシステムでは不可能であり、社会のありとあらゆる部分が分断され、蛸壺の中で息をひそめているような状況を払拭するような、大胆な試みとしての「イノヴェーション」が必要とされているのだ。―――それではこうした「イノヴェーション」は一体どのようにして、誰が推し進めるべきものなのであろうか。



今、日本に必要なのは「未来に向けて気づく力」である



いよいよ未曽有の資産バブル(「日本バブル」)の本格化させていくが、国民マインドが冷え切っているため、このままでは2年程度で失速してしまう危険性があることを指摘した。そして我が国の政治で最大の課題は個別のイシューを云々することではなく、他ならぬこの冷え切った国民マインドをどのように温めていくのかであると述べた。



わが国の国民マインドがなぜここまで冷え切っているのかといえば、過去20年余りも続いてきた「平成バブル不況」の中で「何をやっても意味がない」と悟ってしまったからである。1990年初頭に「平成バブル」が大蔵省(当時)の手によって急ブレーキをかけられてしまった直後は「それでもしばらくすれば株価は復活するだろう」という甘い見方が一般的であった。だが、1990年代半ばになるともはや事態はそれどころではないことが明らかになる。そしていよいよアジア通貨経済危機が1990年代後半に訪れ、「もはや何をしても報われない世の中がやってきた」と私たち日本人は各々の生活レヴェルで実感するに至ったのだ。

「何をしても報われない」以上、「未来に向けて壮大な夢を描き、突き抜けることを目指して行動すること」は最も愚かな行為ということになってくる。無論、それでも未来は必ずやって来るわけであり、そこで確実にブレイクするものを計画し、実行することが出来るのであれば話は全く別ではある。しかし私たち日本人はその様に「未来に向けて気づく力」を意識的に学ぶことがなく、また広く教育システムの中にそのための要素が盛り込まれていないため、未来といえばただひたすら不安を抱くだけになっている。そう、国民マインドが冷え切っていることの裏側には「未来に向けて気づく力」が養われてこなかったという我が国における現実が大きく横たわっているというわけなのだ。



「未来に向けて気づく力」を研ぎ澄ますには?



「来年もアベノミクスは買い」と言われても徹底して日本株を売り続けるわが国の「個人」の冷え切った国民マインドを溶かすため、やるべきことはただ一つである。それはそれ自体が一つのシステムであるこの「日本」という国において、国民全体が持っている「未来に向けて気づく力」を今一度向上させることである。「限定的合理性だから仕方がない」などとあきらめるのではなく、まずはこうした基本に立ち返って考えることが必要になってくるのである。



それでは「未来に向けて気づく力」を養い、研ぎ澄ますには一体どうすれば良いのだろうか。そのための段取りはこうなる:



●私たち人間は「過去」に生じたことしか知り得ない。しかし、重要なことはその「過去」であっても知らないことが山ほどあるということなのだ。過去に一体何が生じたのか、「過去」から「現在」に至る因果関係はどのようなものであったのか、それらの「真実」を知ることがまず大切である。そしてそれを通じて「ある外部環境が整う時、その結果としてこのような動きになる」という歴史法則や因果律が頭の中に刷り込まれてくるのである



●こうした下準備をすることによって初めて、私たちは目の前に出くわした「情報」「ヒト」「出来事」が持つ意味を悟ることが出来る。これらの出会いは余りにも偶然なわけであるが、私たちがそれらを目の前にした時、ある”意味”を悟るという観点からいうと必然である(シンクロニシティ)。そしてここで悟ることの出来る”意味”は常に「将来、こうなるのではないか」という「気付き」でもあるのだ。「気付き」の瞬間、私たちはある事態が生じる「未来」から「現在」に向けて因果関係を後ろ向きに振り返って(バックキャスティング)いる



●「気付き」を未来に向けて得た者はそれが好ましいことであるならばその実現に向けて、また忌むべきことであるならばそれを回避すべくリーダーシップを発揮しなければならない。もっとも「気付き」はそのままでは他人とシェアすることは出来ない。そのため、他人に理解してもらうべく論理的思考(ロジカル・シンキング)が不可欠になってくる。そしてそれを踏まえて目標を設定し、競争戦略を策定した上で自らも実行しつつ、他人を巻き込んでいくことがリーダーには求められていくのである。無論、自分と仲間たちがそのように進んでいった軌跡をも振り返り、正当に事後評価することも求められる。つまり「未来に向けた気付き」はリーダーシップに直結する



●こうしてリーダーシップが発揮された結果、生じるのが「革新(イノヴェーション)」なのである。イノヴェーションとは新しい現実であるが、天から降って来るものではない。あくまでも「未来に対する気付き」を得たリーダーが周囲を動かすことによって創り出す現実なのだ



大切なのは「本当の過去を学ぶこと」、そして「メディチ効果を巻き起こす場づくり」である



「未来に向けた気付き」を得ようと努力しないところにイノヴェーションは生じない。その典型が悲しいかな、わが国である。わが国が豊かさを享受しているベースを創り出しているモノづくり系企業が苦戦を重ねているのは、イノヴェーション無き製品を創り続け、安い労賃で猛烈にアタックしてくる新興国の製造業を相手に勝つ見込みの無いコモディティ化競争を続けているからだ。

いや、問題は何もわが国の製造業だけに限られた話ではない。政治も金融も、そして社会といった日本全体が全く同じトレンドに呑み込まれてしまっているのである。そのことはやれ「IT」だ、「スマホ」だと表面的な技術革新は語られているものの、わが国社会において生きている私たち日本人の生活が1990年代から根本において全くといって変わっていないことから明らかなのだ。ちなみに製造業に至っては、結果として「技術革新」などと言われてわが国で持てはやされていることは「計測と制御」、すなわち「既にある技術をいかに正確に測り、コントロールするか」という技術でしかないとまで言う専門家たちもいるくらいである。本当の意味でのブレイクスルーがそこで実現されているとはおよそ言えないのが現実なのだ。



それでは私たち日本人が失われた「未来に向けて気づく力」を取り戻すためには一体どうすれば良いのだろうか。早急に行うべきことは2つある:



●第一に「本当の過去」について徹底的に学ぶことである。そうはいっても何も「歴史教科書」の論争を行おうというのではない。大切なのは「1945815日」を境にわが国でこれまで起きてきたことについて正確に学ぶ必要があるのだ。1945年から1951年までの6年間にわたり、我が国は「GHQ」という名前の米軍によって占領され、統治された。この間にわが国社会のありとあらゆるシステムが改編され、現在に至っている。ところが大変奇妙なことに、私たち日本人は「一体どこが変えられ、現在に至っているのか」について学校で学ぶことが無いのである。それもそのはず、わが国のアカデミズムにおける「歴史学」はGHQによる”日本管理”の歴史を「歴史」とはあえてとらえないまま現在に至っているからだ。だが、1990年代に入り、事態は米国の側から大きく変化している。なぜならばメリーランド州にある米国国立公文書館に所蔵されていたGHQの大量の極秘文書がマイクロフィルムに撮影され、それらが、わが国の国立国会図書館に引き渡されているからだ。無論、知るべき過去は「このこと」だけではない。特に明治維新以前の東アジアにおける国際システムを、それを支える人脈ネットワーク、さらには明治維新後に移入された米欧流の金融資本主義のわが国における浸透過程について、一体何が起きてきたのかを学ぶ必要がある。なぜならば、わが国の「本当の立ち位置」を知り、そこに至るまでの因果関係を知らないままに「これから」について気づくことは到底、不可能だからである



●次に「気付き」は自らと異なるものに触れ合った時にだけ生じることを悟るべきである。「過去」をいくら学んだところで、部屋に閉じこもっていただけでは何も気づくことはない。無論、未来に向けた「意味」をもたらす書籍と図書館の中で出会ったり、あるいはインターネット上で「未来」を指し示してくれる人と出会うことはある。

しかし、最も効率が良いやり方は今も昔と変わらず生身の人と出会うことなのである。しかも自らとは全く違う立場にある人と出会い続けることによって私たち人間は絶えず刺激され、「意味」を悟り、「気付き」を得ることになる。破壊的イノヴェーション論で一躍有名となったクレイトン・クリステンセンも紹介しているとおり、スウェーデン生まれのフランス・ヨハンソンが提唱する「メディチ効果」、すなわち異なる人々が集い合うことによって新たな価値が大いに創造されていくような仕組みづくりがイノヴェーションには不可欠だ。しかしこうした仕組み・枠組みが我が国には存在しない。あるとしてもせいぜいのところ「自己啓発」や「婚活」のための散発的なサークルだけであり、本気でイノヴェーション(「革新」)を我が国社会で巻き起こそうというプラットフォームが存在しないのである



「わが国で何が本当の問題であるのかは分かった。そして何をしなければならないのかも分かった。しかし一体誰がそのためのイニシアティヴをとっていくべきなのか」―――次回はこの問題について答えを出していく。



イノヴェーションをもたらすのはもはや政府や公的機関ではない



歴史的な「日本バブル」がいよいよ本格化しつつも完全に冷え切ったままである国民マインドを再び温めるためには「未来に向けて気づく力」を私たち日本人が取り戻す必要があることを指摘した。そしてこれを実現するためには、様々に異質なものが出会い、互いに刺激することで新しい価値を生み出すという意味での「メディチ効果」を招く場所を新たに創り出していくことが必要であると説明した。「個人」は遅くとも今月半ばには大幅な日本株買いへとようやく転じ、「日本バブル」が文字どおり体感レヴェルで誰の目にも明らかになっていく。しかしその結果、あの「平成バブル」でおかした過ちを繰り返さないためにも、日本人は年頭にあたって今こそ立ち止まり、しっかりと考えていく必要があるのだ。



「これだけ高い税金を支払っているのだから、そうした”場”は政府や公的機関が創るべきなのではないか」

そんな声がここで聞こえてきそうだ。だが、残念ながら我が国の政府や公的機関に状況の変化に機敏に対応することは望めないのが現実だ。

なぜならば米欧が中心となり、これまで世界秩序として推し進められてきた「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」は、従来型の国民国家とそれの機関である政府・議会・官僚制と全くもって逆行する動きだからである。そしてこれらの動きが一歩前に進む度に「規制」という形で政府や公的機関は対応するのが関の山なのである。



特にわが国の場合、1970年代までの高度経済成長期において国外から輸出という形でもぎ取ってきた大量の富を蓄えており、これを再分配して食いつないできている。そして様々な理由をつけてはこれを再分配しているのがわが国政府の役割であり、その政府を選ぶのが国会(議会)の唯一と言っても良いほどの仕事になっているのだ。「再分配」とは「現在富を持っている者から合法的にこれを奪い去り、持たざる者にタダで与えること」を意味している。一連の増税論議が正にその典型なのであるが、現行の政治システムにおける国会議員たちは、そうした強権的な措置を正当化するための「単なる数合わせマシーン」と化してしまっている。そうした彼ら・彼女らにイノヴェーションのための真に創造的な”場”づくりを求めるのが土台無理な話なのである。



無意味化した「戦後知識人」と「マスコミ文化人」



そうである以上、やはり「メディチ効果」をもたらし、イノヴェーションをわが国社会において実現するための”場”を創るのは、民間セクターの仕事ということになってくる。それはより自由な立場から行われるべきであり、まずは意識が高く、使命感のある個人が手を挙げ、これにそれぞれのセクターをトップ・レヴェルにて率いながらも、その役割だけに飽き足りず、志を均しくする個人たちが糾合するという「運動体」であるべきなのだ。ところがこのように考えれば考えるほど、はたと悩んでしまわざるを得ないのである。なぜならば、このように最初に「言葉の狼煙(のろし)」を上げ、一つの運動体が出来上がるように仕向けるのが「言論人」であり「文化人」の役割なのであるが、現代のわが国にはこの役割を果たしている者が皆無だからである。



わが国の「言論人」「文化人」について第二次世界大戦後の流れをざっくりと書いてみるとこうなる:



●まず”敗戦”直後から「戦後知識人」なる一群が現れた。丸山眞男や南原繁、そして鶴見俊輔らがその典型だ。彼らの行ったことは、要するに「戦争を始めてしまってごめんなさい」と我が国を一億総懺悔へと導くことだった。そこに見られたのは戦前日本の全否定であり、新たに戦後秩序を創るべくGHQという名前で進駐してきた米国を絶えず意識した上での発言であった。時に「学生運動」や「ヴェトナム反戦運動」などが起きたが、これらは結局のところそうした「海の向こうから与えられた秩序」に対する適応過程の一部にすぎなかったのである。そしてそこに置いていわばカタリュザトア(脱硫装置)として働いていたのがこれら「戦後知識人」だったのである



●これに対して1980年代後半から突如として浮上し始めたのが「マスコミ文化人」たちである。田原総一朗や櫻井よしこ、宮崎哲弥、そして新しい例としては佐藤優や池上彰がその典型である。彼ら・彼女らには4つの共通の特徴が見られる。一つはこれら「マスコミ文化人」たちはその言論の内容というよりも、企業としてのマスメディアの圧倒的なマーケティング能力によっていずれも登場しているという点である(たとえば「テレビ」=田原総一朗・櫻井よしこ・池上彰、「出版」=佐藤優)。二番目としては、そのため一見したところ政府当局や米国に対して批判的なように見えなくもないが、その実、うまく立ち回っているということである(その意味で政府当局や米国といった「枠組みを与えてくれる存在」を前提とした議論しか彼ら・彼女らはしない)。もっといえば「定見」があるようでいて、実は無い。そして3つ目として「マスコミ文化人」たちはマスコミからその都度与えられる枠内であっても受け手の側に印象に残るよう、時に暴力的な言葉を平気で吐く、という点である。最後に4番目として、いずれも「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」という国際社会の現実とは実に縁遠い発言を繰り返しているという点も指摘しておかなければならない(「株価」の話など持ち出そうものならば、「そんな不潔な話をするな」とでも言わんばかりの反応を見せる。しかし我が国は資本主義国であることを忘れてはならない)。



わが国においてこれまで見られたこれら二つのタイプの言論人・文化人は、2014年を迎えた今、もはや存在意義を全く失ったというべきである。

いよいよ本格化する「日本バブル」の向こうに待っているのは単なる景気低迷ではなく、「デフォルト(国家債務不履行)処理を事実上行うことを通じ、日本という国家そのものが存亡の危機に立たされること」に他ならないからである。

つまり「戦後知識人」や「マスコミ文化人」たちが大前提としていた枠組みそのものが消えてなくなってしまう危険性があるということなのだ。その時、彼ら・彼女らは必死になって”論じる”のは間違いない。だが、その議論はどうにもこうにも納得がいかないものになるのだ。なぜならば事そこに及んだ時、私たち日本人が求めるのが「新しい枠組みの創造」であるのに対し、「戦後知識人」(の生き残り)や「マスコミ文化人」たちは相も変わらず「誰がこんな日本にしたのか?安倍晋三総理大臣か?財務省か?民主党か?あるいは米国か?」といった調子でこれまでと同じく「枠組みは誰かに創ってもらいながら、それを与えてくれた絶対的な存在に対して乱暴な言葉でたてつくふりをする」ことに終始するからである。



「デフォルト(国家債務不履行)処理を事実上行うこと」とは、要するに戦後日本がこれまで貯めこんで来た富がいよいよ胡散霧消させられてしまうことを意味する。

本来ならば「国民福祉税」という形で1990年代初頭に手を打ち始めていればよかったものの、正にこれをブロックしたのが当時のわが国のマスコミであり、「未来について気づく力」を失っていた私たち日本人はこれに拍手喝采したのである。そしてその前に「平成バブル」ですっかり使い込んだのも他ならぬ私たち日本人なのだ。そのツケは余りにも莫大なものであり、最初は「誰のせいだ」「彼のせいだ」と例によって「マスコミ文化人」たちが騒ぎ立てるに違いないが、やがてそのレヴェルで済む問題ではないことが誰の目にも明らかになるのだ。







新時代に求められる「綜合文化人」とは?



だが、日本語では実にうまく言ったものであり「災い転じて福と為す」と古から云う。早ければ2年後には事実上始められるはずのわが国における「デフォルト(国家債務不履行)処理」と同時に、私たち日本人が持っている長所を掻き出し、これを今後ますますデフレ縮小化に苦しみ始める国際社会に対して打ち出していくこと(=わが国固有のルールによる世界秩序の再編、「パックス・ジャポニカ」の実現)、それと同時に我が国社会に溜りに溜った澱を吐き出させることで、我が国の未来は明るく輝いたものになることが未だ可能なのである。



そしてこれを可能にするための”場”づくりを行うことこそ、2014年から生まれるべき言論人・文化人に求められる役割なのだ。こうして新たに生まれ出づる言論人・文化人に求められる能力・態度は次のとおりである:



●「イノヴェーション」「ゼロから創造」「そのための社会統合(インテグレーション)」を行うのが自らの役割であると最初から決意していること。誰かから与えられた枠組みを批判的に云々するのが役割ではなく、救国のための「新たな価値・枠組みの創造」が自らに課せられた使命であることを知っていること



●米欧が主導してきた秩序が行き着いた先である「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」のいずれについても、その構造的な問題点を熟知しているのみならず、「その次」に向けた具体的な提案力・構想力を持ち合わせていること。もはや「誰かのせいにする」という態度は許されないと腹をくくっていること。他人に責任をなすりつけるという意味での「他責」ではなく、あくまでも全てを最後に負うという「自責」へと常に立ち返るための修練を日々行っているという意味で「経営者」としての経験があることが望ましい



●問題意識と志を均しくし、同時にわが国に真の刷新をもたらす動きの最先端にあってこれをリードしている仲間たちを糾合し、もってイノヴェーションをもたらす「メディチ効果」を発揮するための”場”づくりを行うためのリーダーシップをとることが出来ること。そこでは各人が持ち寄る能力に対して「いいね!」と率直に語り、互いに高め合うのが基本となる。これは、マスコミの番組に”場”をもらってそこに相手を誘い込み、テレビ・カメラの前で完膚なきまであげつらうといった「マスコミ文化人」の行動パターンと真逆の行為である



●「事実上のデフォルト(国家債務不履行)処理」を行うまでに追い詰められた我が国に、再び富をもたらし、同時にそのことを通じて国際社会に対し、”インフレ拡大経済”という意味でのこれまでの金融資本主義の「次」となる範を示すため、わが国の持つ次の長所について深い造詣を持ち、専門家たちと議論することが可能であること:



―世界有数の技術力



―争いではなく、あくまでも「平和」を根本とする社会の在り方



―自然の破壊ではなく、それとの調和を基本とする文化(「●●道」と呼ばれるものの根幹にあるもの)

―「対称性」「造作」を前提とする米欧の芸術に対し、「非対称性」「自然(じねん)」を基本とする我が国の芸術



―これらを可能とする日本人に特有の右脳優位の脳システム(及びこれを持ち合わせない米欧に対して与える右脳優位の「人工知能」)



このような意味で、2014年を迎えたわが国がこれからに向けて必要としているのは、日本が持ち合わせている「長所」を綜合的に知っており、かつこれを高めることで未曽有の危機を乗り越えるための”場”づくりをすることの出来る文化人である。



こうした存在、そう、これまで戦後日本には存在してこなかった者たちのことを「綜合文化人」と呼ぶことをこの場で提唱したい。もはや再分配のためのマシーンと化した政府や公的機関、あるいは相も変わらずの不毛な批判ばかりを商業主義に則って吐きつつ、マスコミ上における自らの優越的な地位をあくまでも守ろうとする「マスコミ文化人」たちではない。こうした「綜合文化人」こそが、民間セクターの場にあってわが国全体でイノベーションをもたらし、ひいては人類社会の在り方に大きな変革をもたらす役割を担い始めるべきなのである。



まずは「フクイチ」から始まる



同じくわが国では古より「隗より始めよ」という。何事もまずは自分から始めよ、という意味である。「綜合文化人」への脱皮を宣言するにあたり、私自身、次の問いへの答えをまずは手始めに年初から示していくつもりである:



「『日本バブル』だといってもわが国に暗雲を垂れ込めさせ続けているのが福島第一原子力発電所から続く放射性物質の放出。その最大の難関であり、同時に従来の技術では解決不可能と考えられていた汚染水問題を、わが国で正に生まれ出する最新技術をもって処理するとどうなるのか」



「綜合文化人」としては地に足のついた答えを提示し、かつそれを現実にしていくための”場”づくりをしなければならない。2014年は激動の一年になりそうである。

(引用終わり)原田氏の全文は、こちら:http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140101-00031185/

特定秘密保全法の危険性を考える

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12月 112013

~特定秘密保全法は、米国の要請による軍事秘密の保全目的だったはずだが、官僚の思惑で公安警察復権を目指す危険なものになっていることにもっと注目すべきだろう!~



今回の特定秘密保護法案は、もともと米国からの要請で、米軍と共同歩調を取るために共有する軍事秘密を、一定期間クローズにしておくことが、主たる目的であった。(*もちろん、これだけでも対等の同盟関係ではない日米においては、米国を利する取り決めである。たとえば、米国に一方的な有利な日米の密約を永久に主権者である国民の目から隠すことが可能になる。)

ところが、安倍政権の人気が続いているのを見た内閣調査室の官僚を中心に、この法案の軍事秘密の中に、自分達にとって都合のいい目的を紛れ込ませて構わないではないかと言う思惑が生じたことでおそらく、今回の飛んでもない法案ができあがったと思われる。

今回の法案には、秘密の範囲をどこまでも拡張できる、政治家(立法府=国会)から一般国民までを捜査対象にできるような理解不能な、民主主義を否定するものがしっかりと盛り込まれている。その点にもっと、注意を払うべきであろう。

考えてみれば、内閣情報調査室は、東西冷戦の終結により、その存在は、希薄なものになっており、自身の存続の危機感さえ持っている。そこに降って湧いたのが、この“何でも屁理屈をつけて捜査可能にすることのできる秘密保護法である。

内閣情報調査室は東西冷戦時には、日本のCIA等とも言われていたこともあるぐらいの過大評価を受けていたが、昨年末からの日米同盟強化、日本版NSA、軍事秘密保全法、集団的自衛権行使というスケジュールが米国主導で進むなか、日本版CIAの存在が忘れられているのではないかという強引な論理を持ち出し、このような法案がつくらせたのだろう。

米国の要望でつくる法律にもかかわらず、ニューヨークタイムズが社説で批判するような事態を招いていることがそのことを端的に物語っている。

ご存じのように、内閣調査室のほとんどの人材が警察からの出向であり、警察庁、検察庁との繋がりは非常に強いものがある。今回の法案で権益を広く強く拡張できるのが、公安警察、公安検察である。

もちろん、この法律の成立と同時に、特定秘密保護法を盾に、公安警察による逮捕者が続出するわけではないが、彼らは、当然のことだが、官僚の常として、手に入れた権益の拡大を画策し、ことある毎に法案を改正し、その法案の持つ力を強化していくことになる流れになることは必定である。

極端な例を挙げれば、仮に戦争的状況を呈した時には、軍事機密保護法や治安維持法に匹敵する効力を持つ法律にするのが、真の目的になってしまう可能性も否定できない。

そして、この法案を読めば自ずと判ることだが、「その他」と云う文言が36箇所も挿入されている。「その他」とか「等々」「配慮」など、行政の解釈と裁量如何では、如何様にも利用できる文言を排除するのが、法案文の本来の姿である。それを「霞が関文学」という人たちは、文学そのものをバカにしているのだろう。



考えてみれば、「国会議員である自分たちの権能をこのように貶めている法律」を議員たちが、通すようなら、憲法に規定された国権の最高機関である国会や民主主義など、無用の長物ということになってしまう。選良たちは、胸に手をあてて考えてみるべきであろう。



それでは、日本弁護士連合会が、今回の法案の問題点を整理しているので、以下に紹介する。http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/secret/problem.html



<秘密保護法の問題点>

~秘密保護法は、具体的に何が問題なのでしょうか。~

<プライバシーの侵害>

秘密保護法には、「特定秘密」を取り扱う人のプライバシーを調査し、管理する「適性評価制度」というものが規定されています。

調査項目は、外国への渡航歴や、ローンなどの返済状況、精神疾患などでの通院歴…等々、多岐に渡ります。

秘密を取り扱う人というのは、国家公務員だけではありません。一部の地方公務員、政府と契約関係にある民間事業者、大学等で働く人も含まれます。

その上、本人の家族や同居人にも調査が及ぶこととなり、広い範囲の人の個人情報が収集・管理されることになります。

<「特定秘密」の範囲>

「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」に関する情報です。

これはとても範囲が広く、曖昧で、どんな情報でもどれかに該当してしまうおそれがあります。「特定秘密」を指定するのは、その情報を管理している行政機関ですから、何でも「特定秘密」になってしまうということは、決して大袈裟ではありません。行政機関が国民に知られたくない情報を「特定秘密」に指定して、国民の目から隠してしまえるということです。

例えば、国民の関心が高い、普天間基地に関する情報や、自衛隊の海外派遣などの軍事・防衛問題は、「防衛」に含まれます。また、今私たちが最も不安に思っている、原子力発電所の安全性や、放射線被ばくの実態・健康への影響などの情報は、「テロリズムの防止」に含まれてしまう可能性があります。これらが、行政機関の都合で「特定秘密」に指定され、主権者である私たち国民の目から隠されてしまうかもしれません。

その上、刑罰の適用範囲も曖昧で広範です。どのような行為について犯罪者として扱われ、処罰されるのか、全く分かりません。

<マスコミの取材・報道の自由への阻害>

「特定秘密」を漏えいする行為だけでなく、それを知ろうとする行為も、「特定秘密の取得行為」として、処罰の対象になります。

マスコミの記者、フリーライター及び研究者等の自由な取材を著しく阻害するおそれがあります。正当な内部告発も著しく萎縮させることになるでしょう。

<国会・国会議員との関係>

秘密保護法の中では、国会・国会議員への特定秘密の提供についても規定されています。

詳細はこちらをご覧ください。

特定秘密保護法案と国会・国会議員に関するQ&A(2013年10月9日)(PDFファイル;474KB) http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/activity/data/secret/qa_secret-MP.pdf



*<参考資料>元外務省国際情報局長 孫崎 亨氏 寄稿文(北国新聞)

10月21日、安倍首相は衆議院予算委員会で「秘密保護法はどうしても必要」と強調した。22日各紙は「安倍内閣は25日に同法案を閣議決定し、国会に提出する予定。今国会で成立する公算が大」と報じた。

急に秘密保護法が動き出した・何故なのだろう。

近年外交や防衛問題で、深刻な情報漏洩があっただろうか。ない。私は外務省時代国際情報局長の職にあったが、「日本は機密漏えいするから情報をあげられない」と言われたことはない。ではなぜか。

10月3日、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日し、岸田外務大臣と小野寺防衛大臣との間で日米安全保障協議委員会(通称「2プラス2」)が開催された。ここで、「より力強い同盟とより大きな責任の共有に向けて」と題する日米安全保障協議委員会

共同発表が行われた。ここで重要な決定がなされている。先ず、集団的自衛権に関し「集団的自衛権の行使に関する事項を含む自国の安全保障の法的基盤の再検討する」とし、日米両軍の「相互運用性を向上させる」と決めた。

そして秘密保護法についても決定した。外務省発表の日本語訳はわかりにくい。とりあえず私が訳すると、「(両国)閣僚は、情報の保護を確実なものにする目的で、日本側が法的枠組みを作るために真剣な努力をすることを歓迎する」となる。

日本は「法的枠組みを作る、秘密保護法を制定する」ことを外相、防衛相レベルで米国に約束している。安倍首相が「秘密保護法はどうしても必要」と言ったのは、日本自体から出る必要ではなくて、米国の要請である。

何故か。

それは集団的自衛権との関係である。集団的自衛権に関し、「法的基盤の再検討する」と決めた。日本は集団的自衛権によって、米軍の軍事戦略のために行動する。

そうすると、秘密保護法の是非を判断するには集団的自衛権の是非を検討する必要がある。今日の米国の戦略は「国際的安全保障環境を改善する」ために軍事力を使うことにある。

安倍首相が、「積極的平和主義」と言っているが、その意味する所は同じである軍事力を行使し平和をもたらすというものである。

ではこの戦略が成功したか。

イラク戦争でイラクに平和と安定をもたらしたか。

アフガニスタン戦争でアフガニスタンに平和と安定をもたらしたか。

リビアへの軍事介入で平和と安定をもたらしたか。

もたらしてはいない。

「国際的安全保障環境を改善する」という当初の目的は逆に対象国に不安と混乱をもたらしている。 集団的自衛権を認めた際には日本はイラク戦争のような事態に参画することが予想される。その時日本の安全は高まるのか。

イラク戦争時、戦争に参加したロンドンやパリはテロによる爆弾攻撃に晒された。我々は「東京などが爆弾攻撃されてもいい、それを織り込んでも集団的自衛権を進めるべきだ」と言う覚悟があるのか。



*終わりに地元の「東愛知新聞」が素晴らしい社説(平成25128日)を掲げているので、紹介させていただく。



「知る権利の旗は守る」



特定秘密保護法案が6日成立しました。いや、成立してしまいました。広範な国民の間にあふれかえった反対の声は無視されてしまったのです。「成立」の2文字を前に暗澹(あんたん)とします。とりあえず2つの理由からです。

第1は虚しさです。

数の力を頼む与党は反対の声を無視し、強権を振るいました。かつて野田佳彦前首相は、「原発反対、再稼働反対」の声を「大きな音」としか聞きませんでした。そして、今回、石破茂・自民党幹事長は「反対デモをテロ」と上から目線で非難し、平然と居直りました。

あらゆる法の制定以前に本来的に認められている基本権を踏みにじるような社会、日本になってしまうのでしょうか。

2つ目の暗澹は、理不尽な監視社会がやってくる予感からです。

どんな職業の人であれ、疑問を持てば調べ、人の意見を聞き、そして態度を表明し、行動するのはごく当たり前のことです。国民共有の情報を「知る権利」、そしてそれを「伝える権利」は大切な基本権です。それが民主社会を維持するのです。しかし、それが強権によって否定されるようになってしまいます。

「彼は何を調べているのか」と調査され、監視される恐れがあります。対象は国民の代表である国会議員にまで広げられます。「何を調べ、どんな発言をしたのか」と監視され、国政調査権も奪われてしまいます。

秘密情報に関わる人は適正評価が行われ、家庭状況や薬物の使用、飲酒癖まで調べられ、丸裸にされて、監視されるのです。人権は監視の前で消滅します。

元々、秘密保護法の制定は日米軍事情報の保護がきっかけでした。しかし、法の成立を機に官僚が自分たちの権益のために法を運用する可能性があります。

「秩序維持のため」と、環境保全や生態系保護でさえ秘密に「発展」することも否定できません。特定秘密の範囲が広く、指定は恣意的にできる法だからです。

ナチスはその純血主義によってユダヤ人から公民権を奪い、ドイツ人との結婚を禁じ、まず追放・移住を進めました。次いで強制収容に転じ、ついには虐殺のアウシュビッツにまで行き着いてしまいました。

秘密保護法は今後、そんな理不尽な道をたどる危険性があります。権利や自由が遠退き、暗い網が私たちをおおいます。鍛え続けるべき民主主義が遠景に退いていくようで暗澹とします。

数を頼んだ強行採決で政治への不信が広がる懸念の点でも、また暗澹とします。

しかし、「危険な法」の成立を前に暗澹としつつも、私たちは言論の自由を守るための「知る権利」「伝える権利」の旗を守り続けようと改めて決意しています。

*参考資料

「研究ノート、軍機保護法等の制定過程と問題点」という防衛省の研究レポートを読むと、軍事機密の法整備が常に<国際関係の緊張による戦争準備>と結びついてきたことが本当によくわかる。是非、読んでいただきたい。

http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j14-1_6.pdf

「小泉脱原発宣言」について興味深い指摘

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11月 192013

前回、小泉純一郎氏が脱原発を言い始めた背景を分析した。もう一度、振り返っていただきたい。

ところで以前、落合莞爾氏の「金融ワンワールド」という本を紹介したことがあった。彼が指摘しているのは、

「世界の経済は「金融ワンワールド=国際銀行家のネットワーク」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っている。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものである。」

ポイントは、明治維新以後、日本の皇室は、金融ワンワールドのメンバーとなっているということである。もちろん、現在の日本の円安、株高も彼らの意向である。

おそらく、現在、フクシマ原発の状況が相当厳しい状況にあり、原発をこのままにして置いた場合、「日本という金の卵」を失うリスクがあまりに大きいと言うことに、彼らの多くが、気が付き始めたということだろう。日本は世界最大の債権国であり、世界経済は、ジャパンマネーによるファイナンスによって、回っている。

このことを私たちは、ひとときも忘れてはならない。

郵政民営化や規制緩和をある意味、ジャパンハンドラーの意向を受けて竹中平蔵氏とともに、忠実に実行した小泉純一郎氏のような政治家が、大きなバックがないような危険な発言をすることは、有り得ないから、そのように考えるのが自然だと思われる。

ということは、これから、米国のジャパンハンドラー:ネオコン派:彼らも金融ワンワールドの傘下には入っているが、日本という国を巡る目先の利益では、対立が始まっていくということになる。そして、ご存じのように自民党という政党は、権力を維持するためだったら、社会党とも組むように、何でもやる政党である。

とにかく、これから、「原発マフィアのカネ=米国のジャパンハンドラー:ネオコン派」対「人気取り政治家=金融ワンワールドの意向」の仁義なき戦いが始まりそうである。

そう言った意味で、今回、原田武夫氏が、国際金融資本の関係者が秘かに日本を訪れていることから、小泉純一郎氏の脱原発の背景を分析していることは、大変興味深い。現実問題として考えれば、現在の日本には、「脱原発」しか、選択肢はないのだから。

一般に言われているように、日本という地震列島の上での、冷却装置が脆弱な軽水炉の原発の運転は、危険極まりないことは言うまでもない。米国が1979年のスリーマイル島の原発事故以来、原発を建設していないのは、原発の冷却装置の欠陥に気が付いたからなのである。そのための改良を積み重ね、取りあえず、動かせる原子炉だけ、だまし、だまし稼働させてきたのが米国の現実である。また、使い済み核燃料の処理も行き詰まっている。日本だけが研究している高速増殖炉も1兆円以上のお金を費やしながら、成功のメドさえ立っていない厳しい現実もある。冷めた目で見れば、原発ビジネスが統括原価方式という不可思議な電気料金システムによってあまりに、目先のお金が儲かる構造だったために、そこに関わったすべての人間の頭が「マネーという麻薬」によって、狂ってしまっただけのことなのである。麻薬中毒患者が、うわごとを言っているのが、日本の現状だと考えれば、一番、わかりやすい。


<*この図式の利権が「マネーという麻薬」である、そしてその金を負担したのが一般の電気利用者、国民である。>

もう一つ、原田氏は気になることを書いている。日本国債のデフォルトである。財務省の人間が、デフォルトに近い形で、実際には、政府の借金をチャラに近い状態に持っていきたい誘惑に駆られていることは、間違いない。このことについては、改めて分析させていただきたい。

はっきりしているのは、現実的に考えれば、日本においては「脱原発」しか、選択肢はなく、もはや問題は、それをどうやってやり遂げるのかという方法論だけということである。

(*東洋経済オンラインよりhttp://toyokeizai.net/articles/-/23109

「小泉脱原発宣言」と日本デフォルト


~謎の仏貴婦人が与えてくれた、重大なヒント~


元外交官 原田武夫

「いきなりフランスから連絡があったときには、まったく気づきませんでした。まさかあれほどのランクの人物が、たった独りでこんな山奥までやって来るなどと、まったく想像していませんでしたので」今年(2013年)秋、私はわが国の内外においてさまざまな場所に足を延ばしては、大勢の人たちと情報を交換してきた。その中で最も印象深かったことがひとつある。「合掌造り」で知られる白川郷の近くにある観光地・飛騨高山でのことだ。

飛騨高山で「社長」がもらった、謎のメール

このとき、私は彼の地で活躍するなじみの若き経済人と、老舗の料亭「精進料理 角正」で会食していた。この方は「飛騨高山から世界へ」を合言葉に、単なる町おこしを超えたグローバルビジネスをそこから構築すべく奮闘されている。その仲間の輪は着実に広がっており、このときも「男2人で食事するのも何ですから」と、彼の地で新しい観光ビジネスに取り組んでいる、ある会社の社長をご紹介くださった。

「その人物」はかつて、世界的な監査法人系コンサルティングファームの最前線で働いていた。だが、連日連夜にわたる激務の中、ふとそうした人生に疑問を抱き、自らの意思で退職。その後、世界一周の「放浪の旅」を経て、深い山間にあるこの飛騨高山に、たどり着いたのだという。

わが国では多くの観光地が、「利便性」の下に画一化されてきた。飛騨高山もその波に飲み込まれそうになってきたわけであるが、この方の発想は真逆である点に特徴がある。あえて使い勝手の悪い「古民家」を修復し、そこに都会からお客様をお迎えして、同時に昼間は地場の地形を最大限に利用したトレッキングやサイクリングなどのツアーを提供している。最初に話を聞いたときには「ビジネスとして成り立っているのか」と疑問に思ったが、実際に来て見ると千客万来。大勢の客人を迎え、てんてこ舞いの日々を送っている様子。

そんな中、いきなりフランスから1通のメールが飛び込んできたのだという。「ヒダ・タカヤマで一人旅をしたいのだが。アナタの会社で全部アレンジしてくれるか」。入力された情報を見ると、パリに住む初老の女性。「さしずめ日本かぶれのフランス人女性だろう」と軽く請け負ったのだという。

そして当日。1週間ほどの滞在であったが、最初にアレンジしておいた旅館で、女性からは大声でクレームがあったのだという。旅館の社長は「これくらい我慢できないのか……」と思いつつ、現場でグレードアップに応じると、途端に満面の笑み。その後は特段の問題もなく、女性は飛騨高山の街並みとその周辺にあるものをくまなく熱心に見て、富山へと抜けて行ったのだという。

数カ月後、同じ女性から突然連絡が

そして数カ月後――この女性からまたメールが突然あった。「アナタにお礼がしたいので、ぜひ一度、パリにある私の家にいらっしゃい」とメッセージには書かれていたのだという。

折しもこのとき、社長は別の用向きで欧州訪問をする予定であった。「まぁついでだからいいか」とこれまた軽く請け負い、指定されたパリの住所へと向かった。

ところが、である。指定された住所へと向かうと、それはパリの中でもセーヌ川を挟んでエッフェル塔が真正面に見える超高級アパルトマンの一室だったのだという。厳重なセキュリティを解いて部屋へと通してもらうと、巨大な部屋に明らかに高価そうな家具が並べられていた。

「いったい、どんな話が飛び出してくるのか」

ソファに座りながら緊張して待っていると、あのときとは打って変わって「貴婦人」の装いをした女性が出てきたのだという。「あのときはどうもありがとう。本当に楽しかったわ」と言い、これまたいかにも高級そうなピスタチオを出してくれた彼女とは、その後、小1時間ほど雑談をしただけであった。社長はますます「???」と首をひねってしまったというわけなのである。

帰国した社長は、フランスの事情に詳しい友人にこの不思議な体験を話し、「あれはいったい何だったのか」とメールで尋ねてみた。するとこの友人からはものすごい勢いで返事が返ってきたのだ。

「お前知らないで会ったのか? その女性は、フランス金融界屈指の銀行で頭取を務める人物の夫人だぞ」

これを聞いた社長が、腰を抜かすほど驚いたのは言うまでもない。だが、どうしても納得がいかなかったのが「なぜよりによって飛騨高山へ」ということだったのだという。この女性は確かにわが国へはやって来たが、ピン・ポイントで「飛騨高山」だけを見て帰ったのである。「なぜ、欧州財界の大物の夫人がお付きも連れずにこんな山奥に……」。社長の脳裏では謎が謎を呼ぶだけであった。

それから約半年。私と出会うまでに社長は実に大勢の「外国からの不思議な訪問客」を飛騨高山で迎えてきたのだという。たいていの場合、素性がまったくわからないものの、カネ払いのよい人物ばかりだ。同時に、決まって「何か」を飛騨高山で探している様子であった。

だが決してそれをアテンドする社長に語ることはなく、くまなく歩き回り、最後は得心しかたのように満足した様子で帰っていく――。「彼ら、いったい何しに来ているのでしょうか。どう思われますか、原田さん」。これが、社長があの夜の宴で発した疑問だった。

私は直感的にこう答えた。

「ひょっとして彼ら外国人の富裕層たちは、“東洋のスイス”を探しに来ているということはありませんか。社会的に見てランクの高い人物がわざわざやって来る以上、大切な資産管理と関連があるとみるのが適当だと思います」

私がこう答えたのには理由がある。飛騨高山は乗鞍岳を筆頭とした高い山々に囲まれており、アクセスが限られている。その一方で「スーパーカミオカンデ」で知られる旧神岡鉱山がすぐ傍らにある。そして南は名古屋から太平洋へ、北は富山から日本海、さらにはユーラシア大陸へと連なる道のりの真ん中にある。

実はこの状況は金融立国として知られる「スイス」と似通っている。欧州を東西南北に分けたとき、その真ん中に位置しているのがスイスだ。そして何よりも山がちであり、そこに財宝を隠すことのできる天然の要塞を見つけ、金庫を造ることはそう難しくはない場所、それがスイスなのである。

そうした私の直感的な分析を聞いた社長と宴のホストである経済人は、共に膝をたたいて口々にこう言った。

「なるほど、それで合点が行きました。続々と来る外国人たちは、話を聞くと、どうもその多くがユダヤ系であるようなのです。教えてくれはしませんが、何かの話を聞きつけてこの飛騨高山まで来ているとしか思えない。私たち日本人にはうかがい知れないストーリーです。そう考えてみると、“東洋のスイス”の候補地として、わざわざこの山奥まで来たとしても不思議ではありませんね」。

これを聞いて私は「そうであるならば、まずはパリの貴婦人にあらためて連絡をとり、『そういうことなのですか』と尋ねてみるのがいい。もし『そうだ』との答えを得たらば、彼らがつくる前に地場の方々が今はやりの『国家戦略特区』を利用して、金融特区をつくってしまえばいいのではないか」と答えた。何も、地の利の果実を、彼らにだけ取られる必要はまったくないのだ。飛騨高山はわが国であり、わが国を仕切るのは私たち日本人なのであるから。

「なるほど。では早速、動いてみることにしましょう」と、根っからの熱血である社長はそう答え、翌日から動き始めたという。

小泉元首相は、なぜ“左翼”の十八番に触れ出したのか

だが、世界史が動くのはたいていの場合、一般大衆からすれば「荒唐無稽な話」からだ。すなわち最初は誰も信じないが、あるときから「さざ波」は明らかに「波」へと発展しいく。そしてついには「津波」となって、社会全体、歴史そのものを変えてしまうのである。

今、わが国で最も「荒唐無稽な話」といえば、小泉純一郎元総理大臣の動きである。何を思ったのか「脱原発」を叫び始め、一部のマスメディアが面白がってこれに反応した。

だが「脱原発」といえば、これまで伝統的な“左翼”の十八番であったテーマである。それを在任中は「構造改革」を掲げ、わが国の社会と経済システムを斬りまくり、「結局、外資のために改革を唱えているのではないか」と、時には売国奴呼ばわりされた小泉純一郎元総理大臣が、突然、取り上げ始めたのである。当初は「錯乱か」と思っていた野党勢力も、その「本気度」を確認し始めることで、むしろ逆に糾合し始めた。そして遂には「われも、われも」とコイズミ詣でをし始めたというわけなのだ。

「マスメディアの操作が実に巧みな、小泉マジックのひとつ」

そう片づけてしまうのは簡単だ。レッテル貼りなら誰でもできる。だが私には決してそうは思えない。その理由は3つある。

第1に、「脱原発」そのものを叫んだところで、小泉純一郎元総理大臣の個人的な利得になるのかは甚だ疑問だということである。小泉純一郎元総理大臣の現在の肩書は、「国際公共政策センター顧問」だ。わが国を代表する企業のお歴々たちが幹部リストに居並ぶこのセンターは、日本経済が抱える目下の課題である「環境・エネルギー」「構造改革」「日本の震災復興」などを研究していることで知られている。そして日本経済が抱える問題といえば、何といっても「原発再稼働」そして「安価な電力供給への復帰」なのである。

「小泉脱原発宣言」と経産省の政策は、矛盾しない

その限りにおいて、「脱原発」と叫ぶこと自体は細かな点をいっさい捨象して考えるならば、明らかにこうした「親元の意向」に相反している。確かに小泉純一郎元総理大臣の地位にまでなれば、「何を言っても大丈夫」かもしれないが、それでも政界の一歩先は闇、なのである。表向きは「政界は引退した」となっているとはいえ、メディア受けする発言を調子よく発してよいというものではまったくないことは、かつて「劇場政治」で知られた小泉純一郎元総理大臣が、最もよく知っているはずなのである。

ちなみにこの関連で、今回の「小泉脱原発発言」が(特に米系の)石油利権の影響を受けてのものではないかと疑う向きがいる。だがこの点についてもそう考えるのには難がある。

なぜならば「親元」であるこのセンターの掲げる大きな目標のひとつが、「低炭素社会の実現」だからである。低炭素社会となれば「石油利権」は最も肩身が狭い。ところがそうしたセンターの意向に相矛盾する形で、真正面から低炭素化に反対するため小泉純一郎元総理大臣が吠え始めたと考えるのは、あまりにも単純すぎ、説得力に欠けるのだ。

第2に、今回の「小泉脱原発宣言」によって、安倍晋三政権は「迷惑千万」といったコメントを表向き繰り返している。しかしその実、経済産業省が主導する形で現在追求しているエネルギー政策の基本方針とこの「宣言」は、その延長線上で互いに重なり合うのである。

端的に言うと、この基本方針は次の3つの要素から成り立っている。

●短期的には「比較的稼働年数の短い、“若い”原子力発電所の再稼働」

中期的には「原発の廃炉技術を世界トップレヴェルにし、世界に輸出する」

長期的には「再生可能エネルギーのための蓄電池開発を加速させ、世界トップになる」

ここで大切なのは、「小泉脱原発宣言」が「脱」原発であって、「反」原発ではないという点である。つまり民主党政権のように「すべての原発を即時に止める」のではなく、徐々に脱して最後は止めようというのである。

そして脱原発となれば、無用の長物となる廃炉をどうするのかが、大きな課題となってくる。しかもわが国は世界で最も困難な被災状況にある福島第一原子力発電所を抱えているのだ。廃炉技術をその処理を通じて磨き抜き、今後、続々と世界中で廃炉になる原子力発電所にこれを供与すれば、わが国にとっては一大産業となる。

そのためには「廃炉にしたならば、また新しい原発を造る」のではなく、「脱原発」と宣言したほうが世界中で廃炉技術をマーケティングする大義名分が立ちやすいというわけなのである――つまり「小泉脱原発宣言」は、この点でも練りに練られたものというべきなのである。

さらに、第3に「脱原発」と言うことによって、多くの一般国民の心をわしづかみにすることができるということも忘れられない。むろん、一部の論者からは、「アベノミクスでようやく立ち直りかけた日本経済を、また倒す気なのか」と(私の目からすれば明らかに見当違いの)批判を受けているが、これは小泉純一郎元総理大臣にとっては織り込み済みであるはずなのだ。そしてこう切って返すに違いない。

「誰が『反原発』、すなわち即時原発停止と言ったか。私は『脱原発』と言っただけだ」

私が注目しているのは、支持率の低下に悩む野党勢力は言うまでもなく、どういうわけか総理大臣経験者たちがこうなる前も含め、直接・間接的に動き始めてきた点である。一見するとこうした動きは、偶然の一致のように見えなくもない。また、党利党略によるもののように感じられなくもない。

この国の「本当の権力の中心」が求めている

だが、ここで私は、2006年9月に第3次改造内閣まで続いた政権の座を、小泉純一郎総理大臣(当時)がいよいよ返上した直後に、霞が関・永田町を超える「わが国の本当の権力の中心」に連なる人的ネットワークから流れてきた、こんなメッセージを思い出さざるをえないのだ。

「どこからともなく、『そろそろよろしいのではないですか』と、風の声が聞こえてきた。それを察した小泉純一郎は直ちに意を決した」

“唐突さ”という意味では、今回もまったく同じなのである。そして何よりもほかの総理大臣経験者たちも、不思議に動き始めている点が奇妙でならない。あのときに吹いた風と同じ“風”に、彼ら全員のほおがなでられ、それに黙って従っているように思えてならないのだ。

「わが国の本当の権力の中心」が、なぜ“そのこと”を求めているのか――考えられる理由はただひとつ。未曾有の国難を控え、「挙国一致」を達成するためである。それではいったいなぜ今、未曾有の国難なのか。どんな耐えがたい事態が、わが国を待ち受けているというのか。

「脱原発」は、デフォルトのために選ばれたテーマ

先般、上梓した拙著最新刊『それでも「日本バブル」は終わらない』(徳間書店)で分析を示したとおり、ここで言う“未曾有の国難”とは「わが国のデフォルト(国家債務不履行)」という、多くの国民にとって想定すらできない事態しかありえないと私は考えている。そのとき、わが国の政治に必要なのは、タレント議員やら、数合わせのための議員たちではない。

「デフォルトにしなければならないこと」

いかなる困難があろうとも、このことについて、きっちりと私たち国民に対して説明し、決然と行動するプロの政治家集団こそ必要なのである。そのとき、破産処理を施されるわが国の国家財政の引当金として用いられるのは、何を隠そう私たち一般国民の「預金」なのだ。ことカネ勘定となると首を縦に振らないのが、私たちの性である。そのため、「デフォルトせねばならぬものはならぬ」を貫くためには、まずもって別の国民的な問題で圧倒的な支持を得ておくのが得策なのである。そのために選ばれたテーマ、それが「脱原発」だというわけなのだ。

つまり「脱原発」宣言とは、わが国がこれから迎える「デフォルト処理」に向けた挙国一致体制のための重要な一手なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。そしてこのレベルの高度に政治的な判断は、「わが国の本当の権力の中心」の気持ちを忖度した経験を持ち、かつそれに沿った形で行動する術を肌感覚で知っている、わが国総理経験者しかできないというわけなのである。

世界を取り仕切る者たちは、そうした流れを、かたずをのんで見守っているはずだ。なぜならば仮にこうした動きを見せるわが国が、万が一にもうまくブレークスルーした場合、国家財政の重圧に苦しみ、極度のデフレへの転落をおそれる各国が、われ先に「ジャパン・モデル」に押し寄せることは目に見えているからだ。そのことはわが国で用いられている通貨=日本円の極端な“買い”という形になって現れ、それによる「円高」が「ほかに投資先がない状況」でわが国における歴史的なバブルを持続的なものにしていく――。

仮にそうであるとき、世界中の富裕層がわが国内に「安全な資金の置き場所(safe haven)」を求めても、まったく不思議ではない。そしてそれは彼らの財産を安全に保管するべく、物理的に外界から遮蔽されている必要があるのと同時に、「海の向こう側」とも陸路・空路で単純な形でつながっている必要もあるのである。しかもできればそこに年中寄り集うセレブリティたちが保養できる場所であることが望ましい。そうしたある意味で相矛盾した立地条件をクリアする場所は、いったいどこにあるのか……。

「そういえば、飛騨には『農道離着陸場』として造られた飛騨エアパークがありますよ。あそこならばセスナでやって来ることも可能なはず」

“荒唐無稽さ”に“荒唐無稽さ”を上塗りしたうえでの夢想と、切り捨てることなかれ。真のリーダーたちは「誰も気づかないところ」からすべてを始め、やがて世界史を動かしていくのである。はたして「小泉脱原発宣言」と「飛騨の夢」がつながるのか否か。未知への扉がひとつまた、そこにある。(終わり)

9月 112013

あの小泉純一郎氏が、「脱原発」を明言し始めたようである。千両役者である小泉氏がシナリオ、脚本もなくそのような行動をとることは、有り得ないだろう。ということは、日本の脱原発が国際社会のなかで、可能になる、許される状況が出てきたということを意味する可能性もあるだろう。

<小泉純一郎氏>

(引用開始)

風知草:小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男

(毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊)



脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。



三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」



小泉が答えた。



「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」



「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」



3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。



呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。



その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。



原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。



原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。



帰国した小泉に感想を聞く機会があった。



−−どう見ました?



「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」



−−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。



「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」



「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」



「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」



「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」



もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)(毎週月曜日に掲載)

(引用終わり)



ところで以前、落合莞爾氏の「金融ワンワールド」という本を紹介したことがあった。彼が指摘しているのは、



「世界の経済は「金融ワンワールド=国際銀行家のネットワーク」が裏で糸を引いており、彼らが儲かるような仕組みが考えられて各国の経済を牛耳っている。その基本的な方法は、戦争の勝ち負けなど国家レベルの情報を操作して株価を底値まで落として買いまくり、その後に株価が上がるような情報を流して大儲けするというものである。」

ポイントは、明治維新以後、日本の皇室は、金融ワンワールドのメンバーとなっているということである。もちろん、現在の日本の円安、株高も彼らの意向である。



おそらく、現在、フクシマ原発の状況が相当厳しい状況にあり、原発をこのまま再稼働させた場合、「日本という金の卵」を失うリスクがあまりに大きいと言うことに、彼らの多くが、気が付き始めたのではないか日本は世界最大の債権国であり、世界経済は、ジャパンマネーによるファイナンスによって、回っている。

このことを私たちは、ひとときも忘れてはならない。



郵政民営化や規制緩和をある意味、ジャパンハンドラーの意向を受けて竹中平蔵氏とともに、忠実に実行した小泉純一郎氏のような政治家が、大きなバックがないような危険な発言をすることは、有り得ないから、そのように考えるのが自然だと思われる。



*参考:http://www.yamamotomasaki.com/archives/1256「金融ワンワールド」



ということは、これから、米国のジャパンハンドラー:ネオコン派:彼らも金融ワンワールドの傘下には入っているが、日本という国を巡る目先の利益では、対立が始まっていくということだろう。そして、ご存じのように自民党という政党は、権力を維持するためだったら、社会党とも組むような、何でもやる政党である。



とにかく、これから、「原発マフィアのカネ=米国のジャパンハンドラー:ネオコン派」対「人気取り政治家=金融ワンワールドの意向」の仁義なき戦いが始まりそうである。おそらく、司法・マスコミ・アングラ世界まで巻き込んで、一般の人々が想像もしていなかった事実が、次々と明るみに出てくること可能性もある。注意深く見守る必要がある。

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