7月 182017

本年5月、天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法が成立し、平成時代の終焉が近づいてきました。年表を見ていただければわかりますが、日本近代史においては年号が変わる節目に大きな事件、出来事が集中して起こっています。例えば、大正から昭和に元号が変わった昭和2年には金融恐慌が起き、同4年には「満州某重大事件」に関連し、田中義一内閣が総辞職しています。

また、昭和から平成に移行するときも平成22月に株価の暴落が始まり、日本の不動産価格総額が米国の不動産価格総額の4倍にまで膨らんだバブル経済が崩壊していきました。因みに消費税が導入されたのも平成元年です。そして今回もすでに2年前から東芝の不正会計(現在、上場廃止の瀬戸際)、タカタのエアバッグの大量リコール(本年6月には倒産)、旭化成の杭打ちデータ改ざん、台湾の鴻海精密工業によるシャープの買収、日本郵政の巨額損失等、大企業の経営を脅かす事件が次々と明らかになっています。また、政治の世界でも本年、森友、加計学園の問題が俄かにクローズアップされ、内閣支持率も急落、7月に行われた都議会議員選挙では自民党が歴史的な敗北を喫しています。

 ところで、21世紀になってから企業の事業部門分社化の流れが次のようなメリットを求めて行われるようになりました。その一つが分権化の推進で、事業部門が企業内部にある限り、その業績責任や業績評価は不十分なものにならざるを得ませんが、分社化されると独立した法人として決算が行われ、業績管理が徹底されます。次にコスト削減で、別会社となることで親会社と異なる人事・賃金体系を採用しやすくなり、人件費を削減することができます。さらに企業規模が小さくなることによって意思決定が迅速化し、経営が効率化される効果が期待できます。また、本業とは異なる新規事業を展開するときに、事業リスクが遮断できるという効果もあります。これらのメリットを追求するために企業の事業分社化の流れが近年、大きな潮流となってきましたが、現在は東芝の例が顕著ですが、経営危機に陥ったために大企業の事業部門が分割、解体されていくという段階に入り始めています。本社から儲かっている、社会に必要とされている事業部門から切り離されていくという不思議な現象が起きていることも見落としてはならない処です。考えてみれば、戦後の経済復興は「日本株式会社」と言われた官民一体の混合経済と冷戦体制のなかで大国アメリカの保護が得られるという基盤によって成立したものでした。冷戦が終了し、上記の基盤が崩壊するなかで日本の多くの企業が淘汰されていきました。そして平成時代は1989年に始まった日米構造協議に端を発する規制緩和の時代でした。そしてその平成時代(規制緩和、構造改革の時代)も終焉が近づいています。そのことを象徴する一つの事件が国家戦略特区に関する加計学園問題です。この問題の意味は、構造改革、規制緩和の裏に隠されてきた利権構造が表に出てきたことにあります。興味深いのは日本近代史を俯瞰すると、その時代の大企業の経営危機は世の中が変わっていく兆候であることが浮かび上がってくることです。何れにしても時代が変わる時、現在の常識は、いつの間にか古い常識になり、消え去っていく運命にあります。その意味で、120年の歴史を誇る19万人企業、東芝が原子力部門の重みに耐えかねて沈没しようとしていることほど、世の移り変わりを象徴していることはありません。

*東愛知新聞に投稿したものです。

7月 072017

アメリカのトランプ大統領は、特定の大手メディアのニュースをフェイクニュース(偽ニュース)だと断定し、ツイッターで直接、情報を発信し、3000万人以上のフォロワーを獲得しています。過激な独自情報を発信し続けるトランプ氏が世界の覇権国であるアメリカの大統領を務めていることは、前代未聞の出来事だと言えましょう。日本においても、官邸御用達記者と言われていたジャーナリストの「準強姦もみ消し疑惑」が週刊誌やテレビで報道され、「現在の政治主導は、本来あるべき公正な行政を歪めている」という異議申し立てをしたキャリア官僚に対しては、大手新聞が官邸の意向を忖度(そんたく)して<新宿・歌舞伎町の出会い系バーに通い>という異例の報道をしています。このように一昔前とは、メディアを取り巻く環境、その報道姿勢も大きく変わろうとしています。考えてみれば、インターネットが普及する前までは、全国紙は数千万人の読者を誇示していました。そして、私たちはその中から好きな論調の新聞を読んでいれば、自分の意見に近い言論を簡単に見出すことができました。インターネットによる情報のビッグバンと新聞情報の相対的劣化が状況を決定的に変え、私たちが共有する情報のプラットフォームが限りなく細分化され、今やなくなろうとしています。高度成長の一時代、すべての国民が同じような事実しか知らず、同じようなことに興味を持ち、同じような意見を口にしていました。「巨人・大鵬・卵焼き」という当時、流行した言葉がすべてを物語っています。紅白歌合戦という番組の視聴率が軽く80%を超えていたのもこの時代です。現在、NHKの朝ドラで「ひよっこ」が放送されていますが、そんな時代の雰囲気をよく伝えています。

そして21世紀に登場したウィキリークスというインターネットメディアがマスメディアの言論状況を決定的に変えてしまいました。次々と内部情報(イラク戦争の民間人殺傷動画公開事件、アメリカ外交公電ウィキリークス流出事件、CIAによるハッキング関係機密文書公開事件等)が暴露されることによって、国際情勢そのものが突き動かされていくことになります。その結果、私たちは米国有数の情報機関NSA「国家安全保障局」(National Security Agency)の活動の一端を知ることになりました。NSA本部だけで推定2万人が勤務、米国最高の数学者、語学者、電子技術者の集団で、半導体工場まで所有、海外に無人局も含め約3000の受信所を設け、総人員は約3万人、NSA傘下には陸、海、空軍、海兵隊、沿岸警備隊などの「保全」(実は傍受)部隊計約10万人がいるとされています。ところで、世界最大のマスコミ機関であるNHKでも職員は約1万人しかいません。上記のように権力、人員、お金をかけて圧倒的な情報を収集している機関からの内部情報が暴露される時代を迎えたわけです。そのために私たちは、自分が知っている情報の価値、知らない情報の価値を客観的に判断する能力が求められる難しい時代を生きることになりました。その意味では偽ニュースを偽物だと言っていても全く問題は解決しません。

<私たちはある種の情報の組織的な欠如や歪曲からも真実を推理することができる。嘘をついている人間についても「この人は嘘をつくことによって何を達成しようとしているのか」考えることができる>ということです。

これが情報リテラシーの一歩です。

*東愛知新聞に投稿したものです。

忖度(そんたく)の顛末

Opinion コメントは受け付けていません。
6月 162017

現在、「忖度(そんたく)」という言葉が猛威を振るっています。かつて評論家の山本七平氏が「「空気」の研究」という本を書きました。その本のなかで山本氏は、太平洋戦争末期、日本軍の参謀は制空権を奪われた沖縄に戦艦大和を出撃させるのは、あまりにも無謀な作戦だと理解していたにもかかわらず、陸軍の総攻撃に呼応するためには、簡単には引き下がれないという精神論に支配された会議の「空気」に圧倒され、非合理な命令を下してしまった等の興味深い事例を紹介しながら、時に合理的な判断を簡単に退けてしまう日本社会における「空気」の危険性を解き明かしました。現代でもKY:「空気が読めない」という言葉に象徴されるように日本社会においては「空気」の目に見えない不思議な力は存在しています。ところで、場の空気を「読む」行為に止まらず、「推し測る」行為である「忖度」の影響力は、空間を超えて、離れた集団や直接かかわりのない人物にも向けられます。その意味で「空気」より影響力が大きいと言えます。それでは、今回のような過剰な忖度が霞が関で生まれた原因は、どこにあるのでしょうか。

それは「政治主導」と言う言葉が、新自由主義改革を提唱している財界のシンクタンクである「新しい日本をつくる国民会議」が創り出した行財政改革の流れのなかで与野党の政治家の合言葉になることによって始まったものです。これが2001年の公務員制度改革大綱につながっていきます。そして、「縦割り行政の弊害を除去し、各省庁の主だった人事を政治(選挙で選ばれた政治家)がコントロールすべきだ」ということで、20145月に<静かな革命>とも言われた内閣人事局が新設されました。その結果、官邸が各省庁の審議官級以上の約600人の幹部人事を管理コントロールできるようになり、事務次官以下が事務方の人事、序列を決めることができなくなりました。そのために何をやってもそんなに給与が上がるわけではなく、人事異動だけが楽しみな国家官僚たちは、総理官邸通いを足しげく始めるようになったというわけです。そこから今回報道されているような過剰な忖度が生まれていきました。

 

ところで、日本国憲法第151項では、「公務員を選定し、罷免することは国民固有の権利である」とし、第2項では「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。戦前の憲法では、官吏は天皇に身分的に隷従し、天皇とその政府だけに奉仕する<一部の奉仕者>でした。また、戦後の公務員制度は、米国の<猟官主義>から、党派的立場によってではなく、公務の担い手としての客観的な能力や資格をそなえているかどうかを基準に公務員を任用する<成績主義>への転換を踏まえた米国の公務員制度にならってつくられたことも忘れてはなりません。その意味では内閣人事局による官僚人事のコントロールについては、米国の公務員制度が猟官制から成績主義に転換していった歴史にむしろ逆行する面があること、また現在、世界的にも新自由主義、新保守主義の思潮が時代の趨勢に合わなくなり、退潮状況にあることも併せて考える必要があります。そして、ここが重要な処ですが、現在の小選挙区比例代表制の下の選挙では、得票率が50%を超えないでも80%近い議席が獲得できることです。事実、2009年の選挙では民主党が47%の得票率で74%の議席を獲得し、2013年の選挙では自民党が43%の得票で79%の議席を獲得しています。この状況下での政治主導は公務員を一部の奉仕者にしてしまう危険性を抱えています。

何れにしろ、過剰な忖度を期待する官邸の空気が「黙して語らず」がルールであるはずの国家官僚から「現在の政治主導は、本来あるべき公正な行政を歪めている」という反論を引き出したことを、もっと政治家も国民も真摯に受け止める時を迎えています。

*東愛知新聞に投稿したものです。

伝統文化と観光立国のあり方

Opinion コメントは受け付けていません。
5月 102017

現在、後世に残すべき日本の伝統文化とそれに付随する人間文化が消滅の危機にあります。このままでは「国宝ですら、消滅の危機にある」と元ゴールドマンサックス金融調査室長で、日本の伝統文化財補修の老舗である小西美術工藝社社長でもあるデービッド・アトキンソン氏が日本文化を愛する外国人の立場から警鐘を鳴らしています。彼は自著「国宝消滅」(東洋経済新報社)という本のなかで<日本の文化と経済の危機>というフレームワークを使って冷徹なアナリストらしく、明解にこの構造を解き明かしています。考えてみれば、少し前までは、日本人は、朝食は味噌汁とご飯が基本でしたし、畳の部屋で布団を引いて睡眠をとっていました。現在は、朝食はパンで、ベッドで就寝する人が圧倒的に増えています。このように私たちの生活の中からも少しずつ、日本の生活文化が消えていこうとしています。デービッド・アトキンソン氏は、人口減少によってこれから経済成長が難しくなる日本で一番、伸び代のある分野は観光であり、これを産業化する必要があり、そのためには今までの最低限の保護だけを考えた文化財行政を大幅に見直す以外に日本の文化財を継承、保護していく道はないと分析しています。人口減少を外国人による観光=短期移民で乗り切れと提言しているわけです。実際、日本の国宝や重要文化建造物の修理・保存予算は約80億円しかなく、一方、英国では約500億円。その結果、英国では文化財を中心とした観光収入が28000億円もあり、そのうちの4割が外国人観光客によるものであるとも指摘しています。

ところで、日本政府は観光立国の実現に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、平成29年度からの新たな「観光立国推進基本計画」を本年3月に閣議決定しています。これは2011年から15年にかけて、日本を訪れた外国人(訪日外客)の数が年間33%も成長し、16年には2400万人を突破したことを受けて目標を大きく引き上げたものです。具体的には「インバウンド観光は、日本経済を成長させる強力な原動力になり得る、そこで年間の訪日外客を2015年の1,970万人から20年には4,000万人にまで倍増させ、訪日外客が日本国内で消費する額を35,000億円から8兆円に急増させる」という目標です。たしかに現在、訪日外客の数が急増しているため、観光産業の収益は拡大基調にありますが、その規模は2014年時点で国内総生産(GDP)全体のわずか0.5%にとどまり、旅行者に人気のアジアや欧米の国々と比較するとはるかに低いのが現実です。例えば、タイは10.4%、フランスは2.4%、米国は1.3%です。この基本計画のなかで注目すべき施策としては、「文化財を中核とした観光拠点の整備」、「古民家等の歴史的資源を活用した観光まちづくり」、「滞在型農山魚村の確立・形成」、「離島地域等における観光振興」が挙げられます。これらはこの地域でも活用できるものばかりです。また、タイのような観光大国では、医療ツーリズムの比率も年々大きなものになっています。

これから、地方には食、農、医療、祭り等の伝統文化、地域特性に根ざしたスポーツなどの地域資源等を利用した複合型の産業育成が求められてきます。この地域には、白山修験の聖たちが伝えたとされる奥三河の「花祭り」、豊橋市には安久美神戸神明社の祭礼、「鬼祭」があります。その意味で縄文時代から続く山と日本人のつながりを考える「全国鬼サミット」のようなものをこの地で開催するのも一考かもしれません。

外国人訪問者数

 

また、地方にはヘルスケア分野のエコシステム作り、食、農、観光、地域特性に根ざしたスポーツなどの地域資源等を利用した複合型の産業育成が求められてきます。医療ツーリズム、ホスピス活動等はこの地域でも数年前から関心が持たれてきました。その意味でドイツの統合型リゾート構想であるバーデン・バーデンを越えるものが東三河から生まれても不思議ではありません。

*東愛知新聞に投稿したものです。

健康寿命を考えるべき時代

Opinion コメントは受け付けていません。
5月 042017

人口の高齢化と減少に直面する日本は、諸外国に先駆けて歴史上、未曾有の状況に入ろうとしています。問題は認知症をはじめ、数々の慢性疾患を抱えて長生きしても健康でない人の数が増え続けていることにあります。少しでも健康でありたいという人々の願望が、健康食品・サプリメントの売り上げにも端的に表れています。年々増加するこれらの商品の売り上げは現在、約1兆5千億円に達し、将来的には3兆5千億円の市場規模になると予想されています。ところで、<健康上の問題で日常生活が制限されずに過ごせる期間である「健康寿命」が現在、大きな注目を集めていますが、現状はどうでしょうか。

10年前後もある日本国民の「不健康な期間」(=平均寿命-健康寿命)

データ出所:厚生労働省(2010年)

グラフを見ていただければ、一目瞭然ですが、日本人の人生最後の約十年は不健康=病気だということがすぐにわかります。考えるまでもなく、一年間に約1兆円ずつ増加している医療費の財源問題を解決するには、これから、どれだけ、健康の人を増やせるかにかかっていることは言うまでもありません。にもかかわらず、日本人の健康に対する意識は、まだまだ低いのが現実です。すでに世界保健機構(WHO)は、1998年に健康を「健康とは、身体的・精神的・霊的・社会的に完全な良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない」と明確に定義しています。ここで言う霊的な健康とは、人生の意味感、希望、充実感、安らぎなどがもたらしてくれる健康を、社会的な健康とは、家族、友人、配偶者、子供たち、あるいは職場や地域の様々な人々の絆が十全に機能していることがもたらしてくれる健康を意味しています。如何でしょうか。この定義に基づいて、あなたは自分自身を健康だと言い切ることができるでしょうか。ところで、お隣の浜松市が20大都市(19政令指定都市+東京都区部)のなかで健康寿命が一位だということで話題になったことがありましたが、それでも男性:72.98歳、女性:75.94歳に過ぎません。今、問われているのは罹病してからの治療やケアではなく、罹病しないための事前の予防や健康増進だということです。その意味で私たち一人一人の「ヘルスリテラシー」=健康増進、予防・保健・医療・福祉に関する知識、情報を理解、評価し、活用する力が試されています。もちろん、企

業おいてもできうる限り、健康な職場を目指すべきですし、地域コミュニティにおいては、住民の健康はその地域のかけがえのない資産だという発想が強く求められています。たとえば、栃木県の大田原市では、<1日に8000歩を歩くことによって1人当たり、年間4200円の医療費削減になる>という厚生労働省の試算に基づいて「めざせ300万歩」というウオーキング推進事業を健康政策課が2013年から手がけています。また、上田清司埼玉県知事は、日本の生産年齢人口を2074歳で考えれば、2040年前には日本が世界のトップになるという興味深い指摘をしています。そして、月から金曜日は65歳未満の方が、土、日曜日、休日は65歳以上の人が働くシステムを構築すべきだという大胆な提言をしています。

何れにしろ、将来のあるべき姿を発想の出発点として「今」を大胆に変えることが健康寿命を延ばすことについても求められています。

生産年齢人口の推移

1
© 2011 山本正樹 オフィシャルブログ Suffusion theme by Sayontan Sinha