*元外交官 原田武夫のコラムより                      2007 12/5

GE事件」について(2)



<ざわめき立つ大手メディアと政界激震の予兆>



11月28日、守屋武昌前防衛次官が東京地検特捜部によって逮捕された。これによって、日本の防衛政策を司る事務方のトップが、実は国際的な贈収賄疑獄の真っただ中にいたという驚くべき事件が、次なるフェーズに入ったわけである。

大手メディアたちはというと、連日連夜のように守屋容疑者、そして同時に逮捕されたその妻、さらには家族に至るまで、「タカリ」の実態を、これでもかというほど報じ続けている。お決まりのメディア・スクラムであるわけなのだが、その一方でさらにここに来て、この事件が次なるフェーズ(第3フェーズ)に入りつつあるとの情報が流布され、大手メディアたちが密かに色めき立っているとも聞く。―――ついに、強制捜査が政界に及ぶというのだ。

この「情報」の中心人物は、久間章生・元防衛庁長官である。疑惑が発覚して以来、まずは入院という政治家お決まりの「雲隠れ」を果たした同元長官であるが、現在は退院し、都内某所に潜伏しているのだという。「X-DAY」を控え、鬼の東京地検特捜部検事たちの形相を思っては、眠れない日々を過ごしていることだろう。

12月中旬には、守屋容疑者の公訴時効がまずやってくるというのが、物事をかけ足に進めさせている原動力だとも聞く。久間章生・元長官といえば、疑惑の巣窟と目されている防衛商社・山田洋行と密接な関係にあると言われてきた人物である。かつては同社の専務という要職にありながらも、守屋武昌容疑者とペアとなってきた宮崎元伸容疑者(日本ミライズ)とは一線を画してきたともいわれている。そのため、久間章生・元長官が逮捕ということになれば、喧嘩両成敗ではないが、防衛利権を欲しいままにしてきた両陣営を、検察当局という「超権力」が共に抑え込んだ形になるのだろう。ある意味、大変分かりやすい構図だ。

しかし、果たしてこれでストーリーは終わるのだろうか。いや、もっと言えば、「終わりにすべき」なのだろうか?

私は、外務省にキャリア職員として在職していた際、いわゆる「外務省不祥事」に遭遇した。その際、事態の収拾のため、省内に設置された特命チームの一員として、約2年間にわたり、一連の不祥事(いわゆる「鈴木宗男・佐藤優事件」を含む)の実態をつぶさに見てきた経験を持つ。

その中で得た教訓の一つが、「捜査当局は真実の追及ではなく、落とし所のある分かりやすいストーリーで得点を挙げることに躍起になっている」ということであった。 これを「国策捜査」などと分かりやすいキャッチフレーズで言い切るべきかどうかは別としても、捜査当局が歩留りのある捜査を心掛け、世論による後押しを常に気にしていることは事実だ。その意味で、「分かりやすい構図」へと落とし込もうとする彼らの意図は、いずれの大事件についてもうかがえるような気がしてならないのである。もちろん、今回の事件も例外ではない。

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*わかりやすいレポートです。 正樹

2007年11月13日

「サブプライム危機の再燃」

田中 宇



今年7-8月に発生した「サブプライム住宅ローン債券」をめぐるアメリカ発の国際金融危機は、その後、米金融当局による利下げや、金融市場への資金投入などによって、危機の拡大にある程度の歯止めがかけられた。だが、最近になって、再び危機が拡大する流れになっている。サブプライム債券をめぐる状況を悪化させているのは「格付け」である。

サブプライム債券(CDO、ABCP)は、無数の住宅ローン債権を一つに束ね、それをリスクの高さごとに輪切りにして、別々の債券として売っている。利回りが高い債券ほど、ローンを払えない人が増えた場合に被る損失が大きくなるように設定されている。全体としてサブプライム債券の種類は膨大なものになり、最初に金融機関から投資家に販売された後、転売(流通)されていかないものが多い。転売されないと、債券の市場価格が定まらない。毎日売買されている債券には、その日の時価がつくが、売買されない債券には時価がつかない。

債券に価格がつきにくくても、金融機関は節目ごとに資産の何らかの時価を算出し、自社の損益を計算せねばならない。サブプライム債券の多くは、時価はつかないものの、信用格付け機関による格付けの対象になっている。そこで各金融機関は、自社が持っているサブプライム債券について、格付けを係数として利用した計算式を作り、時価に代わる「推定価格」(理論値)を算出している。格付けが下がれば、債券価格も下がったとみなされる。

今夏の金融危機に際し、信用格付け機関は、サブプライム債券の中で明確に状況が変化したもの以外は、格付けの見直し(格下げ)を行わなかった。金融危機が短期間に終わるかもしれなかったからである。格付けが大して見直されなかったため、多くの金融機関の債券の推定価格も下がらなかった。

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(引用) ZAKZAK 産経新聞   2007/11/19

「シティ、日本が“国有化”!?アノ人が来日し根回しか」



米国の低所得者向け住宅融資(サブプライムローン)問題で大きな損失をこうむった米シティグループ。その先行きを不安視する市場関係者が増えており、「サブプライム問題は端的にいえば、シティの巨額損失をいかに穴埋めするかということに帰結する」(在米金融機関幹部)とまで言われている。金融界では今、日本の金融機関がシティの支援に乗り出すのではとの観測も出ている。

シティは2007年7~9月期決算で、サブプライム関連の損失が約65億ドル(約7500億円)発生。さらに11月には、最大110億ドル(約1兆2600億円)もの追加損失が発生する見通しであることを発表、損失は合わせて2兆円規模に達する見込みだ。

こうした状況を受けてシティの株価は急落し、10月初旬まで40ドル台後半で推移していたものが30ドル台半ば近辺まで下げている。

「シティの株価が低迷から抜け出すには時間がかかるだろう。というのも、シティのサブプライム関連の損失は現時点で2兆円規模と見込まれているが、米国の金融関係者の間には、

『実際はその5~10倍、10兆~20兆円はあるのではないか』

とみる向きもあるからだ。最終的な損失額はいくらなのか。そのあたりがクリアにならなければ、シティへの不安は払拭されないだろう」(在米金融機関幹部)

そんななかで浮上しているのが、日本の金融機関がシティへの資本支援などに乗り出すのではないかという観測である。

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*元外交官原田武夫氏のコラムより

200711/21


「最後に選ばれたのは、実は日本であった」という話


「日本終末論」を振りまく破壊ビジネスの立役者たち


最近、米国流の構造改革の継続を喧しく唱える「破壊ビジネス」の立役者たちが日本の大手メディアに復活してきている。正直、「もう、アンタはお呼びでない!」のであるが、あえてその主張をここで簡単にまとめてみると次のとおりとなる:


●日本は未だにデフレであり、経済成長率も低めにとどまったままである。そうした状況に陥った最大の要因は、「構造改革」がまともに継続されていないことにある。


●「構造改革」によって、とりわけ地方が取り残され、貧しくなった結果、格差社会が到来したとの批判がある。それは大きな誤りであり、地方のとりわけ農業にこそ、「構造改革=規制改革」を実施する必要がある。大規模農業を可能とする法制度の整備が必要だ。


●また、地方との格差を解消するカギとなるのが、地方分権。道州制の導入により、より効率的な地方自治を実現することが不可欠である。


はっきり言おう。もう、この手の「構造改革」論に国民は騙されない。2005年の秋に山場を迎えた「郵政民営化」の議論を経た今、こうしたもっともらしい「破壊ビジネス」論者の議論の裏側に、実際には米国のファンドや投資銀行といった「越境する投資主体」たちの利権が渦巻いていることはもはや明らかなのである。具体的にいえば以下のとおりであろう:

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先週の11月11日の日曜日、天皇皇后両陛下は滋賀県・大津市に行幸された。(この様子を小生はNHK総合テレビで見ていた。)琵琶湖で行われた「第27回全国豊かな海づくり大会」の式典にご臨席されるためである。



注目すべきは、天皇陛下はご挨拶の中で、自からが皇太子時代に米国から持ち帰った外来魚のブルーギルが琵琶湖の生態系を脅かしていることに触れ、「心を痛めています」と述べられた。「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」

そう語られた。このことの意味は大きい。

「何をそんな大袈裟な。自然科学者でもある天皇陛下が、その意味で純粋に心を痛められて発したにすぎないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、決してそうは思えない。

確かに、象徴天皇制の下、天皇陛下は一切の「政治的発言」を行う権能を持たない。天皇陛下のみならず、皇族が全体として憲法学上、いわゆる「人権」の範疇外(市民ではない)とされ、日本の政治プロセスから隔離されるべきものとされてきた。天皇陛下が行うことができる国事行為は制限列挙であり、例外を許さない。

しかし、だからといって皇族の方々の行為が、事実上の政治的インパクトを与えないというのはむしろ逆であろう。事実上のインパクトをあまねく日本社会全体に与えるからこそ、天皇陛下と皇族の方々による行為はまさに「伝家の宝刀」であり、容易に抜かれるべきものではないとも言えるのである。

憲法は「社会統合のためのプログラム」であると読むルドルフ・スメント流の解釈をとった時、その一翼を現実に担うのが君主制なのだ。そのことを無視して憲法論を語ることはできず、また日本国の象徴としての地位(日本国憲法第1条)はまさにこの統合機能が具現化したものとしてみなされるべきものなのである。

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