m.yamamoto

「2011年 オキュパイドジャパン Occupied Japan」

1945年8月15日、日本という国が敗戦の屈辱を味わってから66年の歳月が経ち、二十一世紀もその十分の一時を刻んだ。にもかかわらず、3月11日の東日本大震災と福島原発の事故後の政府、マスコミの動きを眺めていると残念ながら、日本の戦後が永遠といまだに続いていることがよくわかる。

 

ところで、十年以上前にノリタケのMADE  IN  OCCUPIED  JAPAN というりっぱな洋皿を教養豊かな年配の知人から借用したことがある。戦後直後に製造されたとは思えないりっぱなものであった。ある日、その皿をずっと眺めていて私が思ったことは、結局、現在も日本は「オキュパイドジャパン」のまま全く変わりがないのではないかということだった。

 



 たしかに私たちは、サンフランシスコ講和条約が1951年(昭和26年)9月8日に調印され、1952年(昭和27年)4月28日に発効し、日本が再び独立国になったと社会科の教科書で教えられてきたし、そう信じてきた。

しかしながら、戦後60年以上を経て改めて冷静に考えてみると明らかに日本は独立国ではない。今までいろいろな方がその状況をそれぞれの言い方をしてきた。半独立国、属国、保護国、植民地等いろいろな言い方があるようだ。

そう言えば、子供の頃、歳の離れた父から訳もわからずに聞かされてきた言葉が思い出される。軍医だった父は戦争中、何年も南方の戦地で働いていた。

「情けない。日本は戦争に負けてアメリカの植民地になった!」と彼は何もわからない子供たちにそんなことを時々喋っていたものだ。

そして、今回の3月11日の大震災、原発事故で改めて私たちが認識できたことは、日本はこのような非常事態に対応できるちゃんとした独立国家、主権国家ではなかったということである。

あまりにも残念なことだが、日本には「国民を守るために正しい情報を提供し、国民とともに行動する政府というものがなかったのである。そして私たちは、政府やマスコミによってあまりに無知な状態に戦後半世紀にわたって隔離されてきたことがはっきりしてきた。

いわゆる「閉ざされた言語空間」にずっと閉じこめられてきたのである。

 

そう言えば、スキャンダルで失脚した防衛省の事務次官だった守屋武昌氏は「普天間交渉秘録」で次のように書いている。

「現在でも東京の港区、渋谷区、新宿区、西部地域の上空七千メートルまでは、米軍の上空になっている。朝鮮戦争の際ハワイ、グアムの米軍基地から最短距離で朝鮮半島に至る航空路がそこにあり、東京、神奈川、山梨、長野、そして新潟のそれぞれ一部は、現在でもコリドー(回廊)として米軍が使用しているからだ。西日本や北陸から羽田空港に向かう民間航空機が伊豆大島から高度を下げ、銚子から回り込むように羽田に着陸するのは、この空域を避けて飛ばなければならないからである。日本は占領期のままではないか。」



今回は、最近のレポートで断片的に指摘させていただいたことをまとめて解説させていただきたい。そしてそのことが、現在の日本の政治経済情況を物語ることにつながるはずである。

 

 レイムダックに陥っていた菅 直人総理を救ったのは、衆目の一致するところである。彼を救ったのは、皮肉にも日本を国難に陥れた東日本大震災だったことは間違いない。

そして、菅 直人総理は、原発事故対応、震災復興について、オプチュニストとしての素質を如何なく発揮し続けている。市民運動家として何の背景もなく総理まで登り詰めた男の真骨頂である。確かに彼には何の信念も政策もないが、戦後日本の永田町の権力構造が身に染みてわかっているのである。「与党内の基盤が弱くても、野党から嫌われても米国の言うことを120%聞き入れ、その後ろ盾を得たなら政権維持はできる!」そのように菅 直人氏は開き直っているのである。



*週刊ポスト2011年5月20日号より(引用) 

GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権」



  焼け野原からの戦後復興に大震災の復興計画を重ね合わせる菅直人・首相は、屈辱の歴史までも真似ようとするのか。GHQ(連合国軍総司令部)に主権を奪われ、自主憲法さえ作れなかったあの時代は、この国の在り方に大きな禍根を残している。だが、菅政権はこの震災対応の中、国の主権を米国に売り払うことで、自らの権力を守り切ろうとしている――。

この国の政府は震災発生以来、「第2の進駐」を受けている。首相官邸ではそれを如実に物語る光景が繰り広げられていた。

菅首相や枝野幸男・官房長官、各首相補佐官らの執務室が並ぶ官邸の4、5階は記者の立ち入りが禁止されているが、そこでは細野豪志・首相補佐官、福山哲郎・官房副長官らがある部屋に頻繁に出入りしていた。部屋の主は、米国政府から派遣された「アドバイザー」で、名前も身分も一切明らかにされていない。

官邸の事務方スタッフは、その素性と役割についてこう説明する。

「その人物は米原子力規制委員会(NRC)のスタッフとされ、官邸に専用の部屋が与えられ、細野補佐官とともに原発事故対応の日米連絡調整会議の立ち上げ作業にあたった。常駐していたのは原発対応のために横田基地で待機していた米海兵隊の特殊兵器対処部隊(CBIRF)が帰国した4月20日頃までだが、その後も官邸に顔を出している。福島第一原発の水素爆発を防ぐために実行された窒素封入や、格納容器の水棺作戦などは、そのアドバイザーとの協議を経て方針が決められた」

原発事故対策統合本部長を務める菅首相に代わって、“決裁権”を握っていたというのだ。

官邸へのアドバイザー派遣は、菅政権の原発事故発生直後にオバマ政権が強く要求したものだった。当初、菅首相や枝野長官は難色を示したが、ルース駐日大使は福島第一原発から80km圏内に居住する米国人に避難勧告を出し、横田基地から政府チャーター機で米国人を避難させるなどして、“受け入れなければ日本を見捨てる”と暗に圧力をかけた。菅首相は3月19日、ルース大使との会談で要求を呑んだとされる。

外国の政府関係者を官邸に入れてその指示を受けるなど、国家の主権を放棄したも同然であり、GHQ占領下と変わらない。

しかも、その人物は「ただの原子力の専門家」ではなかったと見られている。

米国は震災直後にNRCの専門家約30人を日本に派遣して政府と東電の対策統合本部に送り込み、大使館内にもタスクフォースを設置した。3月22日に発足した日米連絡調整会議(非公開)にはルース大使やNRCのヤツコ委員長といった大物が出席し、その下に「放射性物質遮蔽」「核燃料棒処理」「原発廃炉」「医療・生活支援」の4チームを編成して専門家が具体的な対応策を練っている。

「原発事故対応のスペシャリスト」だというなら、統合対策本部や連絡調整会議に参加する方が、情報収集という意味でも効率的な働きができるはずだ。にもかかわらず、その後1か月間も官邸に常駐する必要があったのは、原発対応以外の「特別の任務」を帯びていたからだろう。



米民主党のブレーンから興味深い証言を得た。

「ホワイトハウスが、菅政権に原発事故の対処策を講じる能力があるかどうかを疑っているのは間違いない。だが、すでに原発処理についてはいち早くフランスのサルコジ大統領が訪日したことで、同国の原子力企業アレバ社が請け負う方向で話が進んでいる。

むしろ米国が懸念しているのは、これから震災復興を手掛ける菅政権が危うい状態にあること。オバマ大統領は、普天間基地移設をはじめ、日米間の懸案を解決すると約束した菅政権が続くことを望んでいる。

そのため、ホワイトハウスでは国家安全保障会議などが中心になって、日米関係を悪化させることがないように指導するオペレーションを震災後から展開している。“特別な専門家”の派遣もそのひとつと考えていい」



菅政権は米国の指導の下、国会では震災復興より米国への“貢ぎ物”を優先させた。3月末に年間1880億円の在日米軍への思いやり予算を5年間にわたって負担する「在日米軍駐留経費負担特別協定」を国会承認し、428日には、日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行(JBIC)を独立させる法案を成立させた。

JBICは米軍のグアム移転費用を低利融資する窓口になっているが、法改正によってこれまでは途上国向けに限られていたインフラ輸出への融資を拡大し、先進国も対象にできることになった。

経産省幹部はこう指摘する。

「菅政権は米国への新幹線輸出を進めているが、JBIC独立により、その資金を日本が拠出できることになる。アメリカも満足だろう」

※週刊ポスト2011年5月20日号 (引用終)



ところで、日本銀行が「東日本大震災」後の3月14日から8営業日連続で総額102兆6千億円の資金を銀行や証券会社向けのいわゆるコール市場、短期金融市場に投入していたことにも注目すべきである。(3月24日の朝日新聞)。

日銀、8営業日連続の資金供給 短期金融市場に2兆円
http://www.asahi.com/business/update/0324/TKY201103240098.html
 日本銀行は24日午前9時半過ぎ、銀行や証券会社などが必要な資金をやりとりする短期金融市場に2兆円の資金を供給する公開市場操作(オペ)を実施した。28日に金融機関に貸し出す分。日銀による大量資金供給は東日本大震災後の14日から8営業日連続で、資金供給の総額は102兆6千億円になる。


日銀が震災直後から銀行に資金供給した102兆6千億円はどこ に消えたのか?

 日銀は102兆6千億円もの金をすでに金融機関に流していた。しかしながら、この資金が震災被災者の救援や被災地の復興に直接役立っているという話は一切聞こえてこない。ではこの資金はいったいどこに行ったのか?
 日銀が資金供給した金融機関は3大メガバンク(三菱UFJフィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループ) と2大証券会社(野村証券、大和証券)である。この資金の使い道は「大震災の救済復興」を担当する政府ではなく直接は関係しない3大メガバンクと2大証券が握っている。3大メガバンクと2大証券は融資の回収リスクがあったり、融資リターンが低い案件には決して融資も投資もしないから、102兆6千億の資金の大部分はいわゆる「円のキャリートレード」として国際金融資本(ゴールドマン・サックス、シティグループ、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ、JPモ ルガン)に低金利で貸し出されていたことになる。

米国ユダヤ系投資銀行=国際金融資本はこれらの資金を投機資金としてBrics各国へ投資し現地経済をバブル化させ、先進国の株、債券、国債へ投機して国家財政を破綻させ、原油、金、食料への買占めで価格暴騰を引き起こしている。
 3月11日にマグニチュード9の大地震に見舞われた日本の株価を630円も暴落させ円を76円代まで暴騰させたのは、人の不幸に乗じて金儲けをたくらむ強欲な米国国際金融資本の仕業であることは言うまでもない。
 経済ニュースで時々報道されるように、巨額の財政赤字と貿易赤字をハイパーインフレで一気に解消しようとする目論むオバマ政権とFRBは大量のドルを印刷して米国ユダヤ系投資銀行に流している。
 日本銀行は米国支配層の要請に応じて表向きは「大震災対応資金」と称して大量の円を印刷してゼロ金利で3大メガバンクと2大証券会社に流し、その大部分は米国に流れ莫大な投機資金となっている。このように震災後、日本銀行は、国内対応とは打って変わって迅速に米国のためには本当にいい仕事をしている
 不思議の国、日本である。

 どうも、日本人が意識していない日本人の独自性というものが、厳然と存在しているようだ。

そしてそのことが、日本という国、日本人の世界での生存を危ういものにしている可能性も否定できない。かつて、グレゴリー・クラーク氏が「ユニークな日本人」(講談社現代新書)という本で次のような論旨を展開したことがある。

 日本人のユニークさは、たんにヨーロッパ人と比してだけではなく、インド人や中国人と比しても際立っている。要するに日本人と非日本人という対比がいちばん適切なほどにユニークである。 

そのユニークさは、日本以外の社会には共通しているが日本にはないものによってしか説明できない。それは外国との戦争、すなわち外国からの征服である。
 明治維新までの日本には、幸せなことに異民族に侵略され、征服され、虐殺されるというような悲惨な歴史がほとんどなかった。日本人同士の紛争は多くあったが、その紛争でも一神教の欧米のように徹底した虐殺に至ることは、ほとんどなかった。しかし相手が異民族であれば、自民族こそが正義であり、優秀であり、あるいは神に支持されているなどを立証しなければならない。「普遍的な価値観」によって戦いを合理化しなければならない。
 他民族との戦争を通して、部族の神は、自民族だけではなく世界を支配する正義の神となる。武力による戦いとともに、正義の神相互の殺し合い、押し付け合いが行なわれる。社会は、異民族との戦争によってこそよりイデオロギー的になる。
 ところが日本は、異民族との激しい闘争をほとんど経験してこなかったために、西洋的な意味での神も、イデオロギーも全く必要としなかったのだ。イデオロギーなしに自然発生的な村とか共同体に安住することができた。だから日本の都市には西洋や中国、朝鮮のように城壁が築かれたことがない。闘争の歴史に明け暮れた西洋人は、当然のごとく一神教の宗教やイデオロギーのよう原理・原則の方が断然優れていると思っている。「イデオロギーを基盤にした社会こそが進んだ社会であり、そうしないと先進文化は創れない」と盲信している。

 ところが日本は強力な宗教やイデオロギーによる社会の再構築なしに、村落的な共同体から逸脱しないで、それをかなり洗練させる形で、大人しくしかも安定した、高度な産業社会を作り上げてしまった。ここに日本のユニークさの源泉があるというのだ。
 このような日本人の特質は、ヨーロッパだけではなくアジア大陸の国々、たとえは中国や韓国と比べても際立っているという。中国人や韓国人は、心理的には日本人より欧米人の方にはるかに近い。欧米風のユーモアをよく理解するし、何よりも非常に強く宗教やイデオロギーを求めている。中国人や韓国人は、思想の体系や原則を求めるが、日本人は求めない。
 西欧だけではなく、アジアのほかの国々とも区別される日本人のユニークさは、自然条件だけでは説明できるものではない。日本が稲作中心の文明であったことは重要だが、それが日本文化のユニークさを生んだ主因ではない。韓国も稲作中心だったが、クラーク氏がいう日本人のユニークさと共通のユニークさがあるわけではない。結局、彼は大陸の諸国に比べ、異民族との闘争が極端に少なかったという要因こそが、イデオロギーに拘泥しない(あまりに人のいい)と言われる日本人のユニークさ:独自性を作り上げているというのである。
 クラーク氏は、日本の社会の素晴らしさの一つとして平等主義を挙げている。日本人の態度のうえにもそれが見られ、その素晴らしさは世界一ではないかという。店に入っても、まちに行っても、どこに行っても階級的な差がまったく感じられないというのだ。イデオロギー社会では、こういう平等性が成り立たない。
 その理由を著者は明確にしているわけではないが、日本に、西欧に見られるような階級差が見られないのは、やはり異民族に征服された経験がないからだろう。その点は、同じ島国でありながらイギリスと好対照をなしている。イギリスの階級差は、明らかに征服民と被征服民の差を基盤としている。
 さて、以上のようにクラーク氏は、日本人のユニークさの要因を、異民族との闘争のなさだけに求めている。

 しかし、それも確かにひとつの大切な要因であるが、このひとつの理由だけで日本人のユニークさを論じるのはやはり無理がある。

私は、日本人のユニークさは狩猟・採集を基本とした「縄文文化」が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けていることが一番大きな要因だと考える。

それを哲学者・梅原 猛氏は「森の文化」だと言っている。日本人は、「ギルガメシュ神話」のように「森の神」を殺さなかったのだ。そして、ユーラシアの穀物・牧畜文化に対して、日本は穀物・魚貝型とで言うべき大陸とは全く違うユニークな文化を形成していったのである。
 世界でも稀な縄文時代という土器文化を異常に長く続けた歴史こそ、おそらく日本人のユニークさの源泉なのであろう。このような歴史を歩めた幸運が日本人の独自性を創り上げたと考えるべきだと思われる。

また、日本語を母国語とすることによる脳の使い方の違いも考えるべきであろう。角田忠信博士が書いた「日本人の脳」という本はそのことを解明した画期的な本であった。

東京医科歯科大学の教授であった角田博士によると、日本人と西洋人とでは、脳の使い方に違いがあるという。すなわち、日本人の場合は、虫やある種の楽器(篠 笛などの和楽器)などの非言語音は言語脳たる左半球で処理される。もしそれが事実とするならば、欧米人が虫や楽器の音を 単なる音として捕らえるのに対して、日本人はその一部を言葉的に捕らえる、つまり意味を感じていると考えることができる。この事は日本人の認識形態、文化に取って非常に重要だ。一般的に意味、つまり、言葉を発する主体は意識体として認識される。しかしながら、日本人にとって楽器などの奏でる非言語音がその一部とは言え、言語脳を刺激して語り掛けているならば、それが人間から発せられるものでない以上、別の意識体、つまり、霊魂、神々、魔物 などの霊的意識体として感じ取られる感受性の高さに結び付くのではないか。また、その事が日本人の精神の基層を為していると考えることもできるからだ。

このことから日本語を使う日本人の脳は本来的にアニミズム的であり、多神教的であると言えよう。そして、おそらくは日本特有の言霊の概念もこの様な認識の上に成り立つ。

ところで、角田氏に拠ると幼年期を欧米で過ごし、英語やフランス語などで育った日本人は欧米型の脳に成り、日本語で育った欧米人は日本型の脳に成る。つまり、幼年期に使う言葉によって、脳の機能が決定されることになる。母国語は、脳にとってパソコンのOS(オペレーションシステム)のようなものであるらしい。

もし、日本語がその様な脳を作り出す特性を持っているとしたら、どのような異文化が流入しても、日本の根底に在る文化、精神は変化しないのか。また、この様な日本語の特質は果たしていつ頃からできたのか。博士の研究に拠ると、この日本人特有と思われたパターンが他の民族からも見付かっている。いわゆる黄色人種の中には日本型の脳はなかった。日本人に最も近いとされる韓国人にしても欧米型であった。しかし、太平洋に点在する島々の住人、つまり、その現地語を話すミクロネシアなどの人々は日本型と判断された。ポリネシアの言語もその形態の近い事から同様の脳を作ると考えられる。

実を言えば、現在、縄文人の直系の子孫と思われるアイヌの人々は遺伝的にポリネシアンに近い事が分かっている。また、哲学者梅原 猛氏が言うようにアイヌ語は縄文の言語の形態を色濃く残していると考えられている。最近の研究ではミクロネシアン、ポリネシアン、縄文人、アイヌなどは氷河期以前のモンゴロイドと言う意味で旧モンゴロイドと名付けられ分類をされている。ミクロネシア系の言語が日本型脳を作るのなら、そして縄文語から発展した日本語が日本型の脳を作るのなら、アイヌ語も日本型の脳を作ると推測できる。つまり、旧モンゴロイド系の言語は本来的にアニミズム的な多神教的な脳を産み出すと考えられる。むろん、文明を持つ以前の人類は、アルタミラの洞窟壁画を見ればわかるように旧モンゴロイドに限らず、アニミズム的な世界観を抱いていた。もちろん、自然との対話から直感を得、自然との関わり方を学ぶ能力は旧モンゴロイドの専売特許ではなかったことは言うまでもない。しかしながら、人類の多くはその様な能力を伝える言語を失った?が為に、文明の進展と共にその様な能力を失っていった。使われぬ能力が退化をするのは自然の摂理だ。

しかしながら、我々日本人の言語はその様な能力を脳に与える潜在的力を秘めている。この能力は非常に貴重であり、文明の進んだ今日こそ、改めて見直されるべきであることは言うまでもない。

日本語はおそらく、縄文語が渡来人の言語を取り入れる事で進化をした言語である。そういった変化の中でも、縄文時代からの基本的な部分、つまり、日本型の脳を基礎付ける要素:母音中心の言語であることは変わらなかった。そのために我々日本人は、縄文の心性を無意識の内に持ち続けることになったと考えてもいいのではないか。

 ところで、現在の日本人がしっかり肝に銘じなければいけないことは、一部の欧米の超エリートたちには、普通の日本人が意識していないこの日本人の独自性というものがどうにも我慢ならないということである。彼らから見ると、「原始の尻尾」を引き摺っている野蛮人の日本人がハイテク技術の最先端を行っているのが許しがたいという処だろう。



 

  今回は、そのことを本当によく伝えているわが郷土が生んだ珍しい本を紹介したい。

それは、「自由民権 村松愛蔵とその予告」(柴田良保著)である。昭和55年に地元の東海日日新聞に連載されたものをまとめたほんとうに不思議な本である。

 田原出身の村松愛蔵という戦前、衆議院議員を何期か務めた自由民権の運動家でもあった政治家の評伝である。

 明治維新以降の近代史を知る上でいろいろなエピソードの(吉田が徳川家康所縁の地であったために豊橋に改名を命じられ、維新政府に冷遇されてきた等の)一つ一つが興味深いがやはり、一番は題名の一部にもなっている予告の部分であろう。



 この本の中で二回、ユダヤ人と思しき恐るべき学識の人間が登場し、日本という国と世界の仕組みについてそれぞれ講義をするのだが、驚くべきことは、明治30年に村松愛蔵氏がパリでロシア系ユダヤ人に聞かされた内容と昭和55年にこの本を書いた柴田良保氏が東京においてあるユダヤ人から受けた講義の内容が全く同じだったと言うことだろう。

明治30年に村松氏はこのように言われた。

 「世界の経済を動かしているもの、それはロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーのユダヤ財閥である。その背後にフリーメーソンがある。フリーメーソンはキリスト教国が異教徒に占領されることを許さない。」



「日本政府はキリスト教を弾圧している。よろしくない。なぜ、弾圧するのか。キリストは唯一の神である。天皇を唯一の神とする日本に、唯一の神であるキリストが入ることが許せないからだ。そしてやがて、日本は、キリスト教国と戦争する日がくる。その時は、キリスト教国が連合して日本を叩きのめすだろう。」



「いまの神道を国教とする天皇教国、日本はいつの日かキリスト教連合国と大戦争をやって敗北するだろう。」



そして、昭和55年、この評伝を書いた柴田良保氏の前に、またしてもユダヤ人が現れて同様の講義を彼に聞かせるのである。



「太平洋戦争は、キリスト教連合と天皇教大日本帝国との戦争であった。すなわち、宗教戦争であった。」



GHQ(連合国総司令部)の日本占領政策は、フリーメーソンの意図による「天皇制宗教」の打破撲滅であった。」



「日本人が自発的に日本人でなくなる道をとるなら、それは日本民族の集団自殺であるが、それでも良い。だが、もしも日本人がその歴史的民族的伝統を復活させるようなことが、あれば我々キリスト教、ユダヤ財閥、フリーメーソン連合はただちに日本を包囲して今度こそ、日本民族を一人残らず、皆殺しにする作戦を発動するであろう。」



とんでもない恐喝である。

しかしながら、フリーメーソン、ユダヤ財閥、キリスト教徒という言葉に惑わされないで考えると、これらの言葉の中には、欧米の超エリートが日本人に対して本質的に考えていることがはっきり表明されているのではないかと私には思われる。かつて山本七平氏は、「日本教徒」という本の中で、日本には、仏教徒、キリスト教徒、神道教徒というものは存在しない。日本教徒仏教派、キリスト派、神道派がいるだけだというようなことを書いていたが、全くその通りで、意識する、しないは別として、日本人は一万五千年前から、アニムズム的共生思想の中で生き続けてきたのである。

そして、どうも地球上の日本以外の地域ではそのような幸せな歴史を歩むことができなかったようなのである。そういった意味では、「文明の衝突」という本でサミュエル・ハンチントンが言うように「日本文明」は世界の中で孤立した文明なのであろう。というより本当の意味で地球オリジナルの文明として唯一残ったのが日本文明だと考えることができるかもしれない。

 であるならば、我々日本人が二十一世紀を生き抜いていくためには、今一度、日本人としてのアイデンティティの確立が求められているのではないだろうか。



*村松愛蔵は田原藩の家老の家に生まれ,藩校成章館や豊橋の穂積清軒(ほづみせいけん)主宰の洋学校好問社 で儒学(じゅがく)・英語などを学んだ。16歳で上京した後,東京外国語学校(現東京外国語大学)ロシア語学科に編入する。彼はそのころ盛んになりつつあった自由民権運動に関心をもち,田原に帰郷後,同士を集めて恒心社という政治結社をつくり, 国会開設の運動を盛り上げた。また,25歳の時に新聞に発表した「日本憲法草案」は,一院制の国会,国民の権利を無制約的に保障し,税額を問わず国税納付者・婦人戸主・満18歳以上の男子の選挙権を認めるなど,当時としては非常に斬新なものであった。しかし,長野県飯田の自由党員たちと挙兵暴動計画に加わり,事前に発覚したため処罰され,服役した(飯田事件)。
 その後,憲法発布の大赦により釈放された後は,大同団結運動,立憲自由党に加わった。そして,1898年(明治31)に衆議院議員に初当選後,1909年(明治42)に政界を去るまで,立憲政友会に所属して政界で活躍した。晩年は宗教人として生涯を終えた。

 

グレゴリー・クラーク(Gregory Clark, 1936年5月19日 – )

イギリス生まれ、オーストラリア育ち、日本在住の外交官・学者である。

現在、国際教養大学副学長。多摩大学名誉学長。日本人論の論客。専門は政治学。父親は産業分類で知られる著名な経済学者コーリン・クラーク。

<経歴>

1936年 イギリス・ケンブリッジ生まれ

1957年 オックスフォード大学卒業

1956年 オーストラリア外務省勤務(中国担当官、駐ソ大使館員)

1965年 対外投資研究のため来日

1976年 上智大学教授に就任

1995年 上智大学退職、多摩大学学長に就任

2000年 教育改革国民会議委員

2001年 多摩大学学長退任

2004年 国際教養大学副学長



梅原 猛(うめはら・たけし)

1925年、宮城県仙台生まれ。京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化センター所長などを歴任。『隠された十字架 法隆寺論』(毎日出版文化賞)、『水底の歌』(大佛次郎賞)など著書多数。近著に五木寛之氏との共著『仏の発見』(平凡社刊)など。

  

*参考資料 「日本人の脳」 角田忠信著より
 右脳と左脳、それぞれの機能の特徴(欧米人の脳モデル)。

【左脳】
【右脳】
言語脳、理性、デジタル的、ストレス脳。
イメージ脳、感性、アナログ的、リラックス脳。
顕在意識(意識)、理解・記憶を求める、段階的に少量ずつ受け入れる、低速で受け入れる、直列処理する、手動処理、意識処理。
潜在意識(無意識)、理解・記憶を求めない、一度に大量を受け入れる、高速で受け入れる、並列処理する、自動処理、無意識処理。
言語、観念構成、算術処理などに適し、分析的、抽象的、論理的。
音楽、図形感覚、絵画、幾何学処理などに適し、合成的、全体的、感覚的、直観的。
 もちろん、右脳と左脳はバラバラに働いているのではなく、普通は協働的に機能している。ただし、「言語」が発せられたとき、言語脳である左脳が優位となる。例えば、楽器の音色を聴いているとき、右脳が受容処理の主体となっているが、言葉が聞こえてくると、その音楽を含めて左脳で処理され始めるのである。しかしこれは多数派のWindowsのOSで働く脳の場合である。
 Mac-OSとでも言うべきOSで働く日本人の脳の場合は、最初から特殊である。洋楽器の音色こそ右脳受容であるが、三味線など邦楽器となれば初めから左脳で受容されるのである。前述したが、虫の音も左脳(欧米人は右脳)だし、言語は母音・子音とも左脳(欧米人は母音は右脳、子音は左脳)である。さらに、日本人は情動(感情、パトス)も左脳にその座がある。音関係について、まとめよう。

 
〈左脳で受容〉
〈右脳で受容〉
【日本人の脳】
言語(母音・子音)、情動的な人声(喜怒哀楽の声、ハミング)、虫や動物の鳴き声、波や雨音、邦楽器音
 洋楽器音、機械音
【欧米人の脳】
 言語(子音)
言語(母音)、情動的な人声(喜怒哀楽の声、ハミング)、虫や動物の鳴き声、波や雨音、邦楽器音、洋楽器音、機械音
 それぞれ〈右脳で受容〉の音だけが聞こえている間は右脳優位となるが、〈左脳で受容〉の音が聞こえ始めた途端、左脳優位となり、〈右脳で受容〉の音も左脳経由で処理される。

 西欧思想を学ぶ者にとって、ロゴス(論理)とパトス(情念)というのは基本タームであり、この二項対立が西欧思想を形作っていることは常識である。例えば、理性と感情、霊魂と肉体、精神と身体などというのは、このヴァリエーションである。ここからデカルト的にさらに引き延ばせば、思惟と延長、精神と物体、人工と自然、人間と世界などの二元対立項も引き出せる。

 欧米人のこの二元論思考には、実に生理学的根拠があったのだ。彼らのOSでは、

【左脳】
【右脳】
 ロゴス(言葉)
パトス(言葉ではないもの)、人間以外の自然、もの(物体、延長)
と脳は作動している。
 ところが、日本語OSに従う日本人の脳の場合はどうか。

【左脳】
【右脳】
こころあるもの(ロゴス、パトス、自然)
 こころがない、ただの「もの」(物体)

日本のエネルギー問題を考える上で大変興味深い指摘をしている増田悦佐氏の論文を知人が送ってくれたのでご紹介させていただく。

 

「史上最大の詐欺事件、『地球温暖化危機』説の化けの皮を剥ぐ」 

 
 
    
2011.06.10
だれがなぜ、こんな大がかりな詐欺を仕組んだのか 


カナダ人地球物理学者ノーム・カルマノビッチは、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)に群がる御用学者ではない。また、半分引退したような生活をしている彼は、この問題について少数派として声を上げたら科学者としてのキャリアにドロを塗られるなどということはちっとも恐れていない。彼は、まちがった「環境政策」のおかげで国際的な食糧危機が急拡大していることを深く憂慮している。そして、御用学者とちがって、京都議定書のインチキぶりもはっきり弾劾している。

人間が二酸化炭素の排出量を増やしすぎたことが地球温暖化の原因だと言い始めたのは、1988年にアメリカ航空宇宙局(NASA)に採用されたジェームズ・ハンセンという若手科学者だった。この熱心な気象モデル作成屋は、アメリカ議会で「もし今のまま近代産業がハイペースで石炭やガソリンを燃やしつづけたら、人類はこの地球を殺してしまうだろう」と証言した。
 カルマノビッチによれば、「これだけ大騒ぎをしている問題としては非常に奇妙なことだが、地球が温暖化しているという主張を支持する証拠としては、気象モデルたった一つしか使われたことがない」そうだ。しかも、そのモデルは簡単に言えば、「二酸化炭素の排出量増加と地球上の大気温の上昇には、強い相関性がある」というだけのものなのだ。
下に示すのが、そのたった一つのモデルだ。



出所:フリー百科事典『Wikipedia』、「温室効果」のエントリーから転載
 

 今の時代に経済学を研究しようとする学者の卵は、必ず数量モデルの作り方について訓練を受ける。そして、相関性を検証する回帰分析は、数ある数量モデルの中でもいちばんひんぱんに使われる。だが、このモデルを使う前に教えこまれるのは、「相関性の存在を証明できたとしても、それは因果関係を立証したことにはならないし、ましてやどちらが原因でどちらが結果かを決めることはできない」ということだ。
 そして、ジェームズ・ハンセンを始めとするIPCCを牛耳る自然科学者たちは、数量モデルの特徴や限界について、根が文科系の経済学者の卵たちよりずっとよく知っているはずだ。ところが、彼らが拠りどころとするたった一つの回帰分析モデルは、このできるはずのない「因果関係の存在」と、「二酸化炭素の排出のほうが原因で温暖化は結果だ」という結論をあたかも論証しているかのように悪用されているのだ。
 二酸化炭素が温暖化の原因とされる理論的根拠は「温室(ガス)効果」と呼ばれる現象だ。ふつうは、地球に入ってくるエネルギー量と地球から出ていくエネルギー量は均衡を保っていて、大気温も変動したりしない。だが、大気中に特定の気体(ガス)が増えると、熱を発散することを妨害することによって温室内の気温が高く保たれるように大気温を高止まりさせてしまう。
「こうしたやっかいな性質を持った気体による大気温上昇効果を調べると、水(水蒸気・雲)が90パーセント、二酸化炭素が数パーセントの影響をおよぼしている」というのが、気象学者たちの多数派見解だ。目一杯二酸化炭素の影響を重視する少数派の見解でも、水が66~85パーセント、二酸化炭素が9~26パーセントとなっている。

 当然、温室効果を真剣に憂慮するなら、二酸化炭素の発生より水の循環が大気温に及ぼす影響のほうを重視すべきだろう。ところが、「二酸化炭素=地球温暖化の元凶」説の支持者たちは、じつに奇妙な論理の歪曲でこの当然の結論を拒絶する。
「水が水蒸気というかたちで大気中に存在する期間は平均で10日間と短く、また人為的に水蒸気の発生量を増やしたり、減らしたりしても、自然に逆方向のメカニズムが働いて人為的な増減を打ち消してしまう。だから、水の循環は無視しても構わない。それに比べて、二酸化炭素はいったん発生すると5~200年も大気中にとどまると想定されるので、こっちが温暖化の元凶に違いない」という論理なのだ。

読者のみなさんは、この論理のどこにトリックが隠されているか、お分かりになっただろうか? まず、何が論争の焦点なのか、思い出していただきたい。仮に地球は本当に温暖化しているとして(それ自体、紛糾している論点なので、あとでくわしく検討する)、それはいったい人為的な要因によるのか、自然の循環の一局面にすぎないのか、というのが核心のはずだ。
 ところが、「人間が水蒸気の排出量を増やしても、自然に減少させるメカニズムがあるから問題とする必要はない。でも、一度二酸化炭素の排出量を増やすと長期間残留するからこっちが元凶に違いない」という論理は、自然の循環ではなく人為的に増減させたものが原因だと決めつけている。つまり、証明しなければならない「人為的原因説」を前提に使って、真犯人探しをしているのだ。

「10日間で消えてしまうものなら心配する必要はないが、消えてしまうまで5年から200年もかかるものなら大変だ」、というのは、あくまでも寿命がたかだか70~80年の人間の感覚だ。自然にとっては、フィードバックサイクルが10日だろうと、200年だろうとなんの違いもない。
「いや、そんな悠長なことを言っても、その200年のうちに地球が焦熱地獄になって人っ子ひとり住めなくなっていたら、どう責任を取るのか」と息巻く向きもいらっしゃるかもしれない。そういう方々は、地球温暖化危機を声高に叫びたてている連中がどの程度気温が上がると言い張っているのか、ご存じだろうか?

 おそろしく過激で、およそ実証データとは合致しないデタラメを言う連中でさえ、想定しているのはせいぜい1世紀で2二度の大気温上昇だ。ちょっと大げさという程度にとどまっている連中は、1世紀で1度上がると主張している。上にご紹介したグラフをご自分の眼で確かめていただきたいが、自然科学的に検証できるかぎりで順当な予測は1世紀に0.5~0.6度の上昇といったところだ。
1世紀に0.5~0.6度の気温上昇というのは、400~500年続けば人間も差を実感するだろうが、それも医療技術が急速に進んで突然人間の寿命がそこまで伸びたらという、ありえないような仮定の上での話だ。7、80年から、そうとうがんばっても100年くらいまでしか生きられない人間としては、生まれたときと死ぬときの大気温の差が実感できるのはよほど気候に鋭敏な感覚を持った人だけだろう。
 いったい、どこを押せばこの程度の変化で、「地球が滅亡する」とか、「人類が死に絶える」とかの極端に悲観的なシナリオを振りかざすことができるのか、本当に不思議だ。やっぱりこれは、太平無事な安全圏でぬくぬく暮らしている人間ほど怖い話を聞きたがるという、太古の昔からの人間の習性に迎合した「エンターテイメントとしての悲観論」なのかもしれない。
 地球の大気温は、ハンセンが予測したような急上昇を示さなかった。それどころか、世界中に5つしかない地球全体の気象に関するデータベースは、過去10年間に化石燃料を燃やして人類が発生させた二酸化炭素の量は記録的な上昇を示したにもかかわらず、地球上の大気温にはまったく上昇の兆候は見られなかったことを示している。


出所:ブログサイト『Climate Realistic Article』2009年5月20日のエントリーから転載


 いちばん直近の小氷河期が終わったのは、1830年代だった。それ以降、地球の大気温は100年間で約0.5度ずつ上昇している。もちろん、1830年代というのは、やっと石炭焚きの蒸気機関利用が本格化しはじめた時期で、人為的に排出される二酸化炭素の量は、1900年代以降のガソリンエンジン搭載の自動車が普及した時期よりはるかに少なかった。
 ようするに、100年で0.5度の温暖化は人間のすることとは無関係に進む温暖化・寒冷化をくり返すサイクル上の動きとして認知されているのだ。最近の温暖化論者たちが騒ぎ立てている100年間で0.6度の大気温上昇のうち、人為的な影響を原因とする分は最大でも0.1度分だけということになる。
 そして、実証データは、温暖化と寒冷化のサイクルが二酸化炭素の排出レベルとはまったく無関係に起きていたことを示している。具体的には、190042年までは二酸化炭素がたった14パーセントしか増えていないのに大気温は0.5度も上昇していた。その後、194275年の33年間では、二酸化炭素が通算で500パーセントも伸びたのに、大気温は0.2度下がっていたのだ。

 20世紀のうちで、地球温暖化危機論者が言うとおりに、二酸化炭素排出量が大幅に増えて、大気温も上がった時期は1975~98年の23年間だけだった。この期間には、二酸化炭素の排出量が激増を続ける一方、大気温は0.6度上がっていた。だが、20世紀全体の通算ではどうかというと100年ものときが経ったというのに、やっぱり大気温は0.5パーセントしか上昇していない。
それだけではない。続く1998~2009年の11年間で、地球上の大気温は1975年から1998年に達成した0.6度の上昇を全部吐き出してしまったのだ。具体的に言うと、1998年には1979~98年の平均値より0.8度高かった大気温が、2009年には平均値よりわずか0.2度高いだけになってしまった。この点も、上のグラフで確かめることができる。
あまりにも変化が激しいので、2002年以降を切り取ったグラフも掲載しておこう。



出所:同上
何がいちばん大きく変わっていたのかというと、それまで増加傾向を維持していた太陽の黒点活動が2000~02年をピークに激減に転じたということだろう。地球から観察できる黒点の数は、2000~02年には100から175にのぼっていたが、2009年末から2010年初めにはほぼゼロまで落ちこんでしまった。



出所:ブログサイト『Market Oracle』、2011年3月30日のエントリーから転載

 太陽の表面では、つねに水素をヘリウムに変換する爆発が起きている。そして、この爆発は磁気嵐をともなう。その磁気嵐のつむじに当たるのが太陽表面に出る黒点なのだ。つまり、地球上で観察できる黒点が多いということは、太陽表面での水素→ヘリウム変換が活発だし、黒点が少なければ不活発だということになる。当然のことながら、水素→ヘリウム変換が活発なら地球上に降り注ぐ放射熱の量も多いし、不活発なら少ないわけだ。
 最近になって、ようやくIPCC系の気象学者たちも、渋々ながら1998年に彼らが騒ぎ立てていた「人類滅亡の日」を呼び寄せるような大気温変化はまったく起きなかったことを認めはじめた。しかし、地球が温暖化から寒冷化に転じてからすでに9年も経つというのに、「人為的な地球温暖化」を唱える御用学者には科学者としての使命感も良心も、かけらさえ見受けられない。
カルマノビッチは、特定の気象学者グループが基本的な倫理を踏み外し、京都議定書を人類全体に対する犯罪に貶(おとし)めてしまったと糾弾している。その論文を読めば、この一見大げさな主張が実はしっかりした根拠のある議論だと納得できる。二酸化炭素排出量を増やさない自動車燃料という触れこみで大々的に推進されたバイオエタノールを抽出するために、世界中で膨大な量の穀物が食料から燃料へと転換されているからだ。
いったん牛の群れの大暴走のような事態が起きてしまうと、止める手立てはない。今や本来なら食料を収穫するための何百万エーカーもの農地が、世界の食料市場から取り下げられて、燃料市場に振り向けられてしまっているのだ。
 国連の「専門家」たちによると、きたるべき理想郷(ユートピア)では、バイオ燃料が既存燃料よりずっときれいで、動植物に優しい燃料になっているはずだということになる。深刻なのは、世界各国の政府がこの作り話を承認してしまったことだ。
 カルマノビッチの表現によれば、「これは科学的な分析の上での、ささいなまちがいではない。なぜなら、このインチキな国連京都議定書が命ずるとおりに、燃料用に850憶リットルのエタノールをつくるために、世界中で生産された穀物のうち6.5パーセントが食料供給から取り下げられてしまうからだ」ということになる。彼の衝撃的な結論を聞いてみよう。
「世界的な食糧供給から取り下げられたのは、主食になるような基本的な穀物ばかりだ。世界で66億人の人口のうち、裕福な連中にとっては〈穀物価格がだいぶ高くなったな〉程度のことですむだろう。だが、貧乏な人たちはこれで飢え死にすることだってある。だからこそ、京都議定書は、本当に人類に対する犯罪なのだ。そして、この犯罪の根拠となるエセ科学をでっち上げてきた連中も、この人類に対する犯罪の共犯者なのだ」
これはまた、アメリカ人の倫理を問いただす問題でもある。なぜなら、世界中でアメリカがいちばん大量に食料供給を減らして燃料用エタノールに変換するという愚行をくり広げているからだ。つまり、アメリカは人類に対する犯罪の主犯格なのだ。食料として消費すべき穀物からエタノールをつくっているうちのなんと39.7パーセントが、アメリカでのエタノール生産なのだ。
下の表で、最新の実績になる2010年の数値を見ると、世界中で生産された189億3400万ガロンのエタノール燃料のうち、アメリカの生産量は75憶1800万ガロンで、39.7パーセントのシェアとなっている。


出所:当サイトに2011年5月25日に掲載されたボブ・ホウイ「統制主義者の啓示が悪夢に変わるとき」エントリーから転載

 この問題で本当にやりきれない思いがするのは、「バイオエタノールは自動車を運転しながら二酸化炭素の排出量を減らすことで、地球環境の改善に貢献できる」というあまりにも虫のよすぎる話を欧米の富裕な連中が信じこむための免罪符として、まったくのムダなエネルギー浪費を正当化しているというところにある。
まず、バイオエタノールとして自動車燃料に使えるエネルギー量は、バイオエタノールをつくるために使った化石燃料のエネルギー量より確実に少なくなる。とうもろこしなどの穀物からバイオエタノールをつくる過程で必要なエネルギー量は、かろうじてバイオエタノールとして使えるエネルギー量より小さい。つまり、エネルギー収支はなんとか黒字という建前になっている。
だが、この計算には穀物を栽培して収穫するまでに必要なトラクターや、コンバインや、肥料・害虫駆除剤散布用の小型飛行機の燃料代は入っていない。これを入れれば、バイオエタノールとして使えるエネルギー量よりはるかに大量の化石燃料のエネルギー源を投入してバイオエタノールをつくるという愚行を演じていることは確実だ。
 さらに、ブラジルだけで生産されているバイオエタノール100パーセントでも、ガソリン100パーセントでも燃料に使える完全両用車をのぞけば、バイオエタノールをガソリンに混ぜられる比率は非常に低い。アメリカでは10パーセントまで、日本では3パーセントまでと法律で決められている。アメリカでさえ、「環境に貢献しているんだから、おおっぴらに乗り回していいんだ」と思って、それまでより1割長距離走行すれば、ガソリンの節約にさえならないのだ。
 しかも、とうもろこしのバイオエタノールへの変換には、世界中で実施されている再生可能エネルギーへの補助金中で最高額という、2009年時点で77億ドル(1ドル80円換算で6160億円)もの優遇措置が講じられている。バイオエタノールをガソリンと混合して自動車に使うと、ガソリンだけよりも費用がかかるにもかかわらず、税制上も優遇されているのだ。その結果、バイオエタノールは製油業界にとって大きな儲け口になっている。

2010年の実績見込みではアメリカで生産されたとうもろこしの41パーセントをバイオエタノールに変換したことになるが、これはじつに全世界のとうもろこし生産量の15パーセントに当たる。これだけ膨大な量のとうもろこしが、アメリカのカードライバーが「自動車を運転しながら環境保護にも貢献している」という自己満足ないし見栄のために、食料供給から取り下げられてしまったのだ。
 おまけに、このバカバカしいほど気前のいい補助金を出させた張本人、アル・ゴアは「自分が大統領になりたいという野心を満足させるために出した補助金だったが、結果的には大失敗だった」と、ほとぼりも冷めてから正直に認めている。キプロスの有力銀行の後援で、2010年11月にアテネで開催された「グリーンエネルギー・ビジネス会議」で講演したゴアは、以下のように述べている。

「私の見るところ、第一世代植物エタノールへの補助はまちがいだった。エネルギー変換効率は、ベストのコンディションのもとでも、非常に低かった」

「バイオ燃料需要が食物としての需要と競合することによって農作物価格が上昇したのは、掛け値なしの真実だ」

「こういうプログラムがいったん実施されてしまうと、何がなんでも存続させようとする業界団体のロビー活動を克服して廃止するのはとてもむずかしくなる」

「私がこの政策に賛成するというまちがいを犯した理由は、選挙区のテネシー州の農民たちの動向を特に注視していたことと、大統領選出馬を控えてアイオワ州の農民たちには特別な愛着を感じていたことだ」

最初の三つの引用については、「お前よく今ごろになって、こんなことをシレっと言ってのけるな。腹を切るとか、首をくくるとかして責任とれよ」とどやしつけたくなると言う以外にコメントの必要はないだろう。最後の引用だけ、ちょっと説明しておこう。

例年、民主党公認の大統領候補選出については、アイオワ州民主党幹部会の投票結果が大きな影響をおよぼす。しかも、アイオワ州は典型的な農業州だ。当然、農民票を取りやすい政策を打ち出した候補が有利になる。そこで、民主党公認の大統領候補になりたいという野心を抱く候補は、アイオワ州の民主党幹部会投票の直前に、なるべく農民に好意的な政策を打ち出す傾向がある。

つまり、アル・ゴアは大統領になるための票を買うという目的で、表向きは環境保護、じつは農民の歓心を買うためのとうもろこし価格支持政策を取ったというわけだ。そんなことは当人が告白しなくても、見る人が見ればかんたんに推理できる。だが、燃料需要を増やせば、食料需要と競合して価格を上げる、したがって最貧国で餓死者が何千人、何万人という規模で増えることまで分かった上でやったと堂々と言ってのける神経は大したものだ。

2000年のドットコム・バブル崩壊に際して、徹底的に潰すべきだったバブルを延命させるために、サブプライム・ローン証券化商品という劇薬をばら撒いておいて、「あのときはそれが正しいと思っていたが、結果としてまちがいだった」と言って平然としているアラン・グリーンスパンといい勝負の鉄面皮だ。

ヨーロッパ各国は、いろいろ文句は付けるが、実態としては完全にアメリカのエピゴーネン(ものまね屋)に成り果てている。まるで立派なことでもしているように、「EUの再生可能エネルギー政策が計画する量のエタノール燃料を生産するための増産努力は、2011年が正念場だ」と呼号している。この1年間で、ヨーロッパ諸国だけで五四億リットルのエタノールを生産する計画だが、これは2010年比15パーセント増なのだ。



出所:同所から転載

 世界再生可能燃料連盟は、国際的にバイオ燃料の普及促進政策を推進しているため、現在44ヵ国のバイオ燃料生産の65パーセントに関与している。この大メシ食らいの事業分野に成長の可能性があると考えているのだろうが、その思惑どおりにバイオ燃料生産が急成長を続けたとしたら、その分だけ、世界中で餓死者が増えることになるだろう。しかも、この政策を推進した張本人が認めているように、エネルギー効率はすさまじく悪いのだ。
 アメリカ国民は、この「グリーン・エネルギーが地球を救う」というキャンペーンが骨折り損のくたびれ儲けに終わるという冷酷な現実にぶち当たりつつある。政府が風力発電や太陽光発電への補助金を大盤振る舞いするようになってから、通常の火力発電所建設計画は大幅に減速している。そのため電力代はうなぎ登りに上がっているが、消費者にとってはピーク時の電力供給能力はちっとも増えていない。

アメリカが直面する倫理的問いかけは、次のとおりだ。

もしアメリカ政府が本当に国民の利益を守ろうとするなら、エネルギー関連でもっとも良い投資は、天然ガスと石炭の液化プラントを建設することではないのか? もしこれが実現すれば、自動車用燃料は石油への全面依存から解放されるので、ガソリン価格もガロン当たり2ドル50セント以下に下げられる。そうすれば、オバマ大統領は、ガソリン代を上げ、世界中で飢餓をふやす効果しかないバイオ燃料に補助金を出すこともやめられる。
連邦政府は、そしてアメリカ国民は、この問いかけに誠意をもって答えられるのだろうか?
読者の中には、それでも釈然としないとおっしゃる方がいるだろう。「どうしてもそこまで悪意のこもった欺瞞行為が公然と行われたとは思えない」というのは無理もない。これが詐欺事件だと納得できない人が多い理由は、大きく言って次の二つだろう。



一つは、「IPCCのような大きな自然科学者の団体が、学者の良心に反するような運動の旗を振りつづけていられるはずがない。必ず内部告発が起きるだろう」というものだ。

二つ目は、「これが詐欺だとしたら、いったい誰がそうとう豊富な資金を提供して二酸化炭素元凶説を広めて、その投資額に見合うような儲けを得ているのか」という点だろう。どちらもとてもまっとうな反応だと思う。
内部、外部双方から告発は起きている。いちばんいい例が、2009年秋の「クライメートゲート事件」だろう。IPCCの長期気象データが改ざんされていたという事件で、『地球温暖化スキャンダル』(2010年、日本評論社)という本も出ている。かんたんに言えば、IPCCに属する科学者たちが、「中世ヒプシサーマル期(日本語では温暖期とか最適期と訳されることが多い)」と呼ばれる時期が存在していたことを気象データから抹消してしまったという事件だ。



まず、下のグラフをご覧いただきたい。IPCCの息のかかっていない独立系の自然科学者団体が掲載した、過去1000年間のヨーロッパの大気温変化を示したものだ。



出所:当サイトに2009年9月17日に掲載されたボブ・ホウイ「深刻な大底に突き進む太陽活動極小期」エントリーから転載

そして、IPCC自体も全面的に「地球温暖化=二酸化炭素元凶」説に加担する直前までは、ほとんど同一の気温変化があったことを認めていたのだ。下のグラフがその証拠だ。


出所:同所から転載

 ところが、「地球温暖化の原因は、人間が化石燃料を燃やすことで排出している二酸化炭素だ」という「理論」を強引に認めさせようとしたIPCCは、西暦1200年前後の大気温は現代と同じか、現代より高いくらいだったという証拠を、データ操作で消してしまった。それが、クライメートゲート事件で一躍脚光を浴びた「マイケル・マンのホッケー・スティック図」と呼ばれるグラフだ。


出所:同所から転載

 もし、IPCCに自分の学者生命がかかっているというようなメンバーが多かったとすれば、大変な騒動になっていたはずだし、IPCCの権威も地に墜ちていたはずだ。だが、かんたんに言えば、「ああいかにもありそうなことだ」で片付いてしまった。
 結局、自然科学者も人の子だ。大きな組織になるとメンバーのほとんどは、事なかれ主義、さわらぬ神に祟りなし、長いものには巻かれろというごくふつうの人間的な弱みの持ち主になってしまうのだ。だから、強靭な意志の力と潤沢な資金力を持ったリーダーたちは、強引に自分たちの考えを押し付ける運営ができている。
 医者や学校教師や福祉関連事業の職員の大部分が聖職者意識を持っていないのと同様、自然科学者の大部分も聖人君子ではないということだ。あんまり幻想を持たないほうがいい。また、聖職者意識にこり固まった自然科学者ばかりという世界も、とんでもない目標に向かって猪突猛進しそうでこわいものがある。

 二つ目の疑問はちょっと手ごわい。いったいだれが、この詐欺でうまい汁を吸っているのだろうか。二酸化炭素排出権取引市場は、まだ発足して間もないというのに、庶民感覚で言えば膨大な金額のカネが動く世界に育っている。だが、大きな自然科学者の団体を引き回すのに必要な資金が出せるほどの規模ではない。
原子力利権はどうか。排出権市場ほど小さくはないが、やはり無理だろう。
 まず、ウラン鉱山運営企業の大部分は世界的な資源市場の規模から言えば、中小企業クラスが多いうえに、大手石油会社などの子会社だというケースが多い。親会社に逆らって火力発電を原子力発電に転換させようというキャンペーンを張るのはむすかしい。
それに、原子力の平和利用全体が非常に防衛的な宣伝・啓蒙活動に多額のカネを使わざるを得ない境遇にある。現に福島第一原発の事故で、ドイツ政府は原発全廃の方向に踏み切った。もし、「二酸化炭素=温暖化の元凶」説の黒幕に原子力利権があったなどということがバレたら、世界的に原子力産業の存続が危ないというほどの危機に見舞われるだろう。
 口コミで「二酸化炭素排出は放射能汚染よりこわい」というデマを広める連中にこっそりカネを出す程度のことはするかもしれない。だが、証拠の残る可能性がある大々的なキャンペーンに資金を出すのは、リスクが大きすぎてできないだろう。



「先進国が新興国・後進国にエネルギー節約を押し付けるための陰謀だ」という説にいたっては、噴飯ものだ。たとえアメリカが京都議定書を批准していたとしても、「今までさんざんエネルギーを浪費していい思いをしてきたくせに、今さら何をヌカすか。」でおしまいだろう。ましてや、先進諸国で最大のエネルギー浪費国家、アメリカが参加していない国際協定でこれらの国々を縛ろうなどとは、おへそが茶を湧かすくらいチャンチャラおかしい話だ。

 現に、中国は「二酸化炭素元凶」論ではとくに悪役視されている石炭の消費量を、1990年代から現在までで約3倍増している。




出所:ブログサイト『Gregor.us』、2010年1月6日のエントリーから転載
インドも中国ほど大激増ではないが、石炭消費量を急拡大している。インドの伸び方がややおとなしいのは、決して意欲や努力が足りないからではなく、そもそも中国のように物資やエネルギーを浪費する産業ばかり育てていないというだけのことだろう。




出所:同所から転載


 もし二酸化炭素元凶説が先進国による後発諸国のエネルギー消費抑制のための陰謀だったとしたら、もろ逆効果だったわけだ。そして、石炭の煤塵除去や脱硫化に真剣に取り組んでいる先進諸国、とくに日本の積滞使用量を抑制しながら、公害対策がはるかにルーズな中国やインドに使い放題で石炭を使わせる結果になるというのは最悪の事態だ。しかし、そんなことを読めないバカが先進国首脳陣にたったひとりでも混じっているとは思えない。(もちろん、日本政府の首脳をのぞく。)

 この詐欺事件の黒幕がなかなか見えてこないのは、世間には企業経営についてまったく実態とかけ離れた先入観があるからだ。世間では、「企業は自社の製商品を少しでも多く造りたい、売りたいという本能のようなものにつき動かされている」と思いこんでいる。

だから、二酸化炭素元凶説最大の受益者が、石油利権・天然ガス利権を持つ産油国、産ガス国、石油・ガス供給業者であるにもかかわらず、この連中がそんな自国資源・自社製品を貶めるような議論を積極的にあおるはずがないと決めつけているのだ。



「企業には増産・増収本能がある」という説のまちがいから、ときほぐしていこう。企業が持ち合わせている本能は、利潤最大化。これだけだ。同額の利益を確保できるなら、生産量、販売量は少なければ少ないほどいい。それが企業行動の基本だ。
 ときとして、企業が増産本能を持っているように見えることもある。どの企業も自社シェアが市場規模の数百分の一とか数千分の一という、いわゆる「完全競争」状態の市場に参加している企業は、自社が増産しても市場全体の需給への影響は無視できるほど小さいから、必死に増産努力をする。だが、それは増産しても価格は変わらないので、増産した分だけ利益も増加すると思っているからこその行動だ。
自社シェアが市場規模の何割かを占めるというような寡占企業になると、増産すれば価格を引き下げることによって利益率を低下させてしまう。むしろ、減産すれば利益率が上がるので、減産のほうが望ましいと思っている。そうできないのは、そんなことをすれば競合各社に自社のシェアを取られてしまうからだ。

 だから、寡占化した業界では、有力企業同士が共謀してなんとか業界全体で減産・価格上昇を実現しようと画策する。そして、1930年代のGMのように事実上の独占状態を達成した企業は、大不況の中で平然と自社の操業率を七割も削減して大量の労働者を路頭に迷わせながら、自社の利益は確保するという血も涙もない所業におよぶ。
これが企業の本質なのだ。ついでに言えば、希少な天然資源の埋蔵量シェアが大きな国々も、寡占企業と全く同じような行動を取る。だから、自社が属している業界、自国が潤沢に持っている資源について減産・価格支持を堂々とやらせてくれるような「理論」は、だれがどこでどんな理由で提唱しようと大歓迎なのだ。
たしかに「貴重なものだから、大事に節約すべきだ」というのと、「害があるから使うべきではない」というのでは、表面的にはほとんど180度の大転換に見える。しかし、冷静に考えてみると、どちらも生産規模の縮小と価格の上昇を容認どころか奨励しているという点では、まったく同じ機能を果たしているのだ。
 それに、1980年代末から90年代初めごろには、大手石油各社は「資源枯渇」論では生産縮小も価格上昇もままならないという教訓を苦い経験を通じて学んでいた。というのも、エネルギー資源枯渇論は、何度も何度も危機を叫びたてながら一向に危機がやってこないという典型的なオオカミ少年として悪名高くなってしまっていたからだ。たとえば、資源エネルギー庁編『エネルギー 2004』には、化石エネルギーの可採年数について、以下のような表が掲載されていた。


出所:大澤正治『エネルギー社会経済論の視点――問い直すエネルギーの価値』、(2005年、エネルギーフォーラム)、35ページから転載
ところが、70年以上も前の統計資料には、はるかにきびしい可採年数の予測が掲載されていた。


出所:『石油/天然ガス レビュー』2003年11月号所収の田中紀夫「エネルギー文明史――その1」から転載


 これだけ派手なオオカミ少年ぶりを70年以上にわたって発揮していれば、信憑性が低くなるのは当たり前だ。それに、「貴重なものは節約しよう」という議論より「害があるから使うな」という議論のほうが一層望ましいとさえ言える。買うたびに罪悪感を覚えるけど、それでも買わずにはいられないという商品を売るのは、企業にとっていちばんおいしいポジションだからだ。そして、大手石油会社はなんの実例もないのに、思考実験だけでこの大転換が石油産業にとって有益かつ無害だという結論に跳びついたわけではない。石油産業全体で二酸化炭素悪玉論に肩入れするようになるについては、確実に参考にしたはずの前例がある。

 タバコの有害表示が義務付けられたのは、1966年のアメリカが最初だろう。その後、世界各国に有害表示義務付けが広まり、今ではまったく有害表示の付いていないタバコを売っている国を探すのがむずかしいほど普及している。その結果、タバコ産業は滅亡したか? そこまで望むのは無理としても、収益が悪化したか? 全然そんなことはない。
 全世界での販売量は多少減少したかもしれない。葉タバコの生産量が1991年の766万トンから、2002年の635万トンまで下がっているので、ほぼ確実に減少しているのだろう。だが、タバコ製造各社の利益率は、まちがいなく上昇しているはずだ。
 ちなみに、フォーチューン500の常連の中に、アルトリア・グループという会社がある。1995年には売上高10位で利益総額5位、2000年には売上高も利益総額も9位、2005年には売上高は17位まで落ちたが利益総額は9位、2010年には売上高が61位まで急落したが、それでも利益総額は15位と、売上高が不安定な割に利益額ではいつも好位置につけている。ご想像のとおり、フィリップ・モーリスなどの有名ブランドを糾合したアメリカ最大のたばこ会社だ。
 フォーチューン500データからこのアルトリア・グループの売上高利益率を計算すると、以下のとおりの推移だった。1995年には8.8%、2000年には12.4%、2005年には14.6%、2010年にはなんと25.7%まで上がっている。
 あまりにも利益率が上がっているので、特別利益が出ているのかもしれないと思って、2008年、2009年の実績もチェックしてみた。2008年度も2010年度と同じ25.7%、2009年度にいたっては30.9%まで上がっていた。だから、これは特別利益で膨らませた利益率ではない。平常年における実力の利益率なのだ。買うことに罪悪感を持ちながら買っている消費者は、そうとうな暴利をむさぼられても、唯々諾々とついていくものらしい。
「健康に害があるから吸ってはいけない」とか「吸わないほうがいい」とかの議論は、タバコ税の増税には天下無敵の援軍だ。そして、増税のたびに便乗値上げをしても、ほとんど不満は表面化しない。喫煙者は肩身の狭い思いをしながら、黙々と煙を吹いて重税と高価格を負担しつづけている。
 世界中どこでも、各国の厚生労働省に当たるタバコ産業監督官庁・税務当局とタバコ産業各社は、表面的には規制と被規制の敵対関係にあるはずだ。だが、実態としては、彼らはどこでも仲睦まじい共生関係にある。さらに、マスコミには「高価格で将来のニコチン中毒患者を減らすのはいいことだ」というようなアホなことを言う連中もしゃしゃり出てくる。

 そして、二酸化炭素悪玉論が蔓延してからのアメリカ国民が、まさにこの「罪悪感はあるけど、生きていくためにはガソリンを買い続けなければならない」というかわいそうな立場に置かれているのだ。いや、アメリカだけではない。今は、ヨーロッパ各国でも、ロンドンやパリのような巨大都市の都心部以外ではクルマなしの日常生活は不可能に近い。
 日本では、東京・大阪の二大都市圏に住んでいれば徒歩、電車、自転車で行けないところはほとんど皆無だ。だから、ガソリンなど一滴も買わなくても、何ひとつ日常生活での不便はない。
「ガソリン代が上がるのは、地球の汚染を防ぐためにはいいことだ」というようなことをうそぶく環境保護運動の活動家は、たいては上流か中産階級の上のほうの家庭で育った連中だ。この連中に蔑(さげす)まれ、自分でも罪悪感を抱きながら、それでも高いガソリンを買いつづけなければ生活できない欧米の一般大衆の痛みは、残念ながら環境保護運動をやっているお坊ちゃん、お嬢ちゃんたちにも、クルマなしでもまったく支障なく生きていける日本の大都市圏居住者にも分からないのだ。

 石油業界が、二酸化炭素悪玉説を大歓迎した理由はほかにもある。それは、石油業界につきまとう増産=価格暴落体質だ。石油というのは大変やっかいな商品で、埋蔵量の大きな油田を掘り当てたりすると、追加的なコストはほとんどゼロでいくらでも増産できることが多い。原油が自力でどんどん噴出してくる油井などの場合には、むしろ減産をすることに非常に大きなコストがかかる。
だから、石油産業は近代的な産業として確立された直後から寡占化が進んでいた業界にしては珍しいほど、新たに発見された巨大油田からの供給量急増で価格が暴落したという事例の多い業界だった。ようやく第二次オイルショックをめぐる混乱も収まった1988年に刊行された瀬木耿太郎著『石油を支配する者』には、こう書いてある。

原油価格は誰かが管理していないと暴落するという性質をもっている。
――瀬木『石油を支配する者』(1988年、岩波新書)、182ページ
だからこそ、石油産業の歴史は有力企業、有力資源国による生産・価格両面にわたるカルテルの歴史だった。
 1949年には当時セブン・シスターズと呼ばれていた国際石油大手7社で全世界の原油埋蔵量の65パーセント、原油生産量の55%を支配していた。独立系石油会社の多かったアメリカと完全国営だったソ連をのぞくと、世界市場支配率は埋蔵量の82パーセント、生産量の88パーセントという圧倒的なシェアに達していた。しかも、世界最大の産油地域、中東では埋蔵量も生産量も事実上100パーセント独占していた。

 OPEC諸国による突然の値上げ通告直前の1973年にいたっても、セブン・シスターズの支配率は埋蔵量で自由世界の64パーセント、生産で同61パーセントだった。だが、OPECの台頭によって石油元売り各社の支配力は落ちた。1985年にはシェブロンによるガルフの吸収合併で6社に減って「シックス」・シスターズとなったオイルメジャーの支配率は、埋蔵量で自由世界のたった4パーセント、生産量でも20パーセントまで落ちていた。
 変わって石油産業の主導的なカルテルの地位についたOPECは、1986年には埋蔵量の68パーセント、生産量の41パーセントを支配していた。だが、現在は埋蔵量ではなんとか約75パーセント台まで上げているが、生産量では30パーセント前後だろう。

出所:若林宏明『安価な石油に依存する文明の終焉――蘇る文明と社会』(2007年、流通経済大学出版会)、77ページから転載

 過去の可採年数データでも分かるとおり、埋蔵量ベースでのシェアというのは、あとからあとから新しい地域での埋蔵量が発見されるのであまり当てにならない。実際にどの程度生産量シェアを抑えているかが重要なのだ。
 つまり、本来生産量をしぼって価格を維持するカルテルなしではやっていけない業界なのに、そのカルテルの柱になるべき団体がどちらも弱体で頼りにならない。この先どうやって儲けを確保すればいいのか……と思案投げ首だったところに登場した救いの神が、二酸化炭素悪玉論だったわけだ。
 この神様、まことに霊験あらたかだった。アメリカのガロン当たりガソリン価格を、2010年ベースの実質価格で追ってみよう。



出所:ブログサイト『Carpe Diem』、2011年1月7日のエントリーから転載
 
 狂乱の1920年代と言われたインフレ期の初めごろに、3ドル50セントを超えたことがあった。そして、大不況の1930年代は意外にもカルテルによる減産がやりやすかったので、ずっと3ドル台を維持していた。そのあとは、1970年ごろの2ドル割れまでズルズル下げたが、第二次オイルショック直後の1980年に一挙に暴騰して3ドル30セントの第二次大戦後最高値を記録した。しかし、OPECの価格支配力が衰えるにしたがってまたしても延々と下げつづけ、1996~98年には1ドル30セント前後まで下がっていた。
 ちょうどそのころから、地球温暖化の元凶は二酸化炭素だという説が強力にプロモートされ始めた。いや、資金はもっと前から潤沢には行っていたのだろうが、そのころからさまざまな環境保護団体の中でも、二酸化炭素悪玉説グループの羽振りのよさが目立ち始めた。大手石油会社の資金力、マスメディア動員力が関与しているのはまちがいない。

 そして、ガソリン価格は急騰し、ついに2010年末から2011年初夏にかけて前人未到の4ドル台をつけてしまった。6月8日現在の最新情報では、全国平均でレギュラーがガロン当たり4ドル13セント、プレミアムになると4ドル55セントもする。セブン・シスターズやOPECの黄金時代より高いガソリン価格を達成したのだ。もちろん、M&Aの連続で大手の企業数は減った。だが、生き残っているメジャーは、大増益で我が世の春を謳歌している。
 第二次オイルショックに直撃されて惨憺たる状態だったはずの1980年のアメリカ石油産業は、売上・利益とも大盛況だった。フォーチューン500ベースで言うと、売上10傑中じつに6社が石油会社、利益総額でも1位、4位、5位、6位、7位、9位、11位、12位を石油会社が占めていた。1985年になるとやや陰りが見えるが、それでも売上20傑中11社が石油会社、利益総額では2位、7位、8位、9位、10位、19位を占めていた。なお、利益総額8位のシェルと10位のBPアメリカはアメリカ法人だけの収益なので、世界的な利益総額ではずっと上位に入っていたはずだ。

 そして、ガソリン価格が底値圏に向かって下げつづけていた1995年には、売上20傑中4社のみ、利益総額では2位、8位、20位の3社とぐっと淋しくなる。2000年には、ガソリン価格はやや回復に転じていたが、売上20傑で3位、利益総額で4位だったエクソンモービル1社を残して、その他の石油会社はすべて売り上げも利益総額も21位以下となってしまった。ただ、このころにはもう石油各社は次の一手を打っていたようで、地球温暖化=二酸化炭素元凶説を唱える団体のカネ回りはかなり良くなっていた。

 そして、翌2006年に自著『不都合な真実』の出版を控えて地球環境の守護神ヅラをしてアル・ゴアが全米キャンペーンで飛び回っていた2005年には、石油会社の収益もほぼ完全回復を遂げる。売上20傑では2位、6位、7位、利益総額では1位、5位、13位を占めていた。
 直近の2010年では、売上20傑中に2位、3位、5位、16位の4社が入り、利益総額では1位、5位、10位を占めていた。そして、利益総額上位5社はエクソンモービルの406億ドル、GMの387億ドル、スプリント・ネクステルの296億ドル、GEの222億ドル、シェブロンの187億ドルとなっていたのだが、このうち2位のGMと3位のスプリント・ネクステルの利益には前年度の破たん処理や巨額損失から生じた莫大な特別利益が入っている。

 つまり、実力のランキングでは、1位エクソンモービル、2位GE、3位シェブロンと1位と3位を石油大手が占めていたのだ。しかも、首位エクソンの利益総額は実力2位GEの2倍近い金額だ。すべてが二酸化炭素悪玉説だけのおかげとは言わないが、地球温暖化論争の盛り上がりは決して石油会社にとって不利ではなかったことだけは、どなたにも納得していただけるだろう。

二酸化炭素悪玉説の黒幕が産油国・産ガス国・大手石油会社連合だということが分かると、いろいろ今まで腑に落ちなかった謎が解けてくる。

 たとえば、なぜ石炭だけを狙い撃ちで最悪のエネルギー資源と言いつづけるのかといったことだ。下の表で分かるように、石油・天然ガスと石炭では、同じ熱量を出すときに排出する二酸化炭素の量は、約4割石炭のほうが多い程度だ。逆に言えば、同じ熱量を出すときに石油が排出する二酸化炭素は、天然ガスより35パーセントも多い。


出所:若林宏明『安価な石油に依存する文明の終焉――蘇る文明と社会』(2007年、流通経済大学出版会)、41ページから転載

 決して石油や天然ガスは二酸化炭素を出さないが、石炭は出すというような極端な話ではない。だが、二酸化炭素悪玉論者は石油・天然ガスは一まとめにしておいて、この二つと石炭のあいだには天と地ほども大きな差があるような言い方をする。

「石油や天然ガスはなるべく使わないほうがいいけど、どうしてもやむをえない場合には使ってもいい。しかし、石炭は論外だ。あれだけは金輪際使ってはいけない」という感じなのだ。まるで、石炭には石油や天然ガスには入っていない毒でも混入されているかのような騒ぎをしている。

 石油と天然ガスはだいたい埋蔵量の多い地域も重複しているし、同系統の資本が支配している。だが、石炭は石油が天下を取る前にエネルギー産業の王者だった資源で、埋蔵量の多い地域も違うし、資本も石油・天然ガスとは別系統だ。そして、石油の推定埋蔵量は、だいたいにおいてあと30~40年分、天然ガスがあと40~70年分とされているのに対して、石炭の推定埋蔵量はあと170~300年分と圧倒的に長持ちする想定になっている。

 せっかく石油や天然ガスの生産量を圧縮しても、需要が石炭に流れてしまったら元も子もない。だから、二酸化炭素悪玉論者は「石油や天然ガスを使うのは仕方がないが、石炭だけはダメだ」と強調するのだ。
そして、なぜ二酸化炭素悪玉論者は数ある再生可能エネルギーによる発電法の中でも、太陽光と風力というとびきり効率が低くてコストの高い方法ばかり誉めちぎるのかも、分かってくる。真剣な競争相手には育つはずのない技術なら、研究開発の助成金も普及のための補助金も安心して出せるからだ。 

*今回は本の紹介です。

「原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~有馬哲夫著

 

 2011年3月11日の東日本大震災において起きた福島原発事故が、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」だとされた現在、戦争に負けた国:日本に、戦争に勝った国:アメリカからどのような経緯で、原発が提供されたかを改めて確認するには、大変勉強になる本である。



 しかし、私には、そういった面より、日本のような戦争に負けた国で、政治的野心・経済的野心を持った人間が、その実現に向けて邁進するためには、戦争に勝った国:米国の後ろ盾を得ることが極めて有効だという多くの事例の一つだと思われた。

 ご存知のように読売新聞の正力松太郎氏は、戦前は警察官僚で、A級戦犯にもなった男だが、大変嗅覚の鋭い男だった。日本の戦後復興は、正力のような目先のきく人間たちの米国との表も裏もある取引で成り立っていたのである。

 戦争に負けた国が、戦争に勝った国を利用しながら、彼らの意図を尊重しつつ、取引をしていくことは、現実世界では当り前のことだろう。しかし、この本を読んでも、戦後史を書いた類似書を読んでもそうなのだが、戦後の混乱期に敵国であった米国を利用して、のし上がっていこうとする逞しさ、情熱は、どの本からもひしひしと伝わってくるのだが、もう一つ大きな日本という国のこと、国際社会を考えた大きな戦略というものを考えていた形跡をほとんど見ることができないのもまた、一つの事実である。

 まさに、正力松太郎氏の場合もそのケースで、彼は原子力エネルギーに対して深い考えがあって原子力導入に動いているわけではない。彼の政治的、経済的野望のために原子力を道具として利用しているだけなのだ。米国は、日本人の反米感情を押さえるために読売新聞、正力氏を利用し、一方、正力氏は総理大臣になりたいという政治的野心、読売・日本テレビを東アジア全体にネットワークを持つ一大メディア王国にしたいという経済的野心のために米国CIAを利用する。

 

本当に不思議なことだが、あまり深くも何も考えずに原子炉を54基も作ってしまったのが、日本という国なのだ。おそらく、そのことによって2006年に東芝がウエスティングハウスを買収するまでに日本の原子力産業は育ち、その技術力は世界一と言われるまでになったのである。

 しかし、本当に大きな戦略があってここまで原発を増やしてきたわけではない。何となく地震列島の上にこれだけの原発を作ってしまったのだ。

仮に核保有国になるためだけだったら、ここまで原子炉を増やす必要はない。おそらく政治家、官僚、電力会社の利権構造を旅客機の自動操縦装置のように回し続けた結果、これだけの原発ができてしまったのである。

その結果、日本は軍事的に最も低コストで破滅させることのできる国土を持つことになってしまった。

 確かに日本を本当の独立国にするためには、核保有するべきだというのも一つの考えである。

そうであったとしてもこんなに原発を日本国内につくる必要は、全くない。外国からの攻撃のことを考えたら、地下に数か所、原発を持てばいい程度のことである。

 考えてみれば、戦争に負けた日本は、戦後米国にうまく擦り寄った先達によって見事に復興を果たした。一般の日本人も冷戦構造の中でその成功の配当に与かることができたわけだ。それが1950年代から1980年代にかけての時代であった。そして日本のエスタブリシュメントたちが、自分たちの利益のために米国に協力し、一般の日本人に本当のことを言わないで誤魔化しても、大して問題でなかったのもこの時代の特徴だろう。

しかしながら、冷戦終了後は全く事情が変わってしまった。アメリカが日本に対する態度を変えたからである。そして、このように考えていくとおかしなことに気が付く。

 団塊の世代以上の人たちがエスタブリシュメントとともにある意味、幸福な時代を生きた「つけ」を米国は、日本の若い世代から奪っていくことになるからだ。

 これは原子力発電所の核燃料の最終処分について誰も責任を持とうとしないのと同じだ。

彼らは無意識に未来の人たち(子供や孫たち)がすべて何とかしてくれると勝手に思い込んで「つけ」を回しているだけだ。

 以前、野口悠紀夫氏をはじめ、いろいろな有識者が指摘していたように、戦後の日本の指導者に国家100年の計などいう大きな国家戦力など何もなかった。日本の戦後復興戦略は、満州国を建国した革新官僚が戦前作った日本株式会社と言われる国家管理型の資本主義システムをそのまま持ち帰ったものであった。

 そして、戦後は昭和天皇が人間宣言をし、A級戦犯が現職復帰するなどして、すべての戦争責任はいつの間にか曖昧になり、日本社会から中心というものが抜き取られ、失われていった(いや中心が真空になったというべきか)時代でもあった。

 今日の東日本大震災においても、政治家、官僚、経済界が三者三様、お互いに責任の擦り付け合いをしている姿が、我々の目の前で展開されているが、明らかに日本社会が中心を失い、無責任体制になっていることをこのことは物語っている。

 それを今、日本社会で補っているのが現場の技術者、職人さんたちの献身的な努力である。

だが、いくら技術者が優秀でも、それを包含する大きな戦略がなかったら、国民の利益、国益を守り、維持していくことはできないのである。

そしてこのことを国民一人一人が認識することが、3・11以後の日本社会で求められていることなのである。そうすることによって、今回の大きなピンチは、日本がちゃんとした戦略を持った自立した国になる大きなチャンスに変わっていく。

その意味で今まで目を伏せてきた日本の現代史を本当に理解することが求められる時代に入ったのである。

そう言った意味でも、是非、読んでいただきたい一冊である。

原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~より引用

プロローグ 連鎖反応

 一九五四年一月二一日のことだ。アメリカ東部コネティカット州のグロートンで一隻の船の進水式が行われていた。船の名前はノーチラス号。海軍関係者の間ではSSN571と呼ばれた。完成の後、アメリカが誇る世界初の原子力潜水艦になった。

 その建造にあたったのは、ジェネラル・ダイナミックス社。以前はエレクトリック・ボートという社名で、潜水艦を主に作っていたが、この頃にはジェット戦闘機や大陸間弾道ミサイルや原子炉まで開発・製造する軍事産業に成長しつつあった。

 政府や軍の要人を含む二万もの人々が見守るなか、ジェネラル・ダイナミックス社のジョン・ジェイ・ホプキンス社長は誇らしげにこのような式辞を述べた。「このノーチラス号はジェネラル・ダイナミックス社のものでも、ウェスティングハウス社のものでも原子力委員会のものでも、合衆国海軍のものでもありません。合衆国市民であるノーチラス号はあなたたちのものです。この船はあなたたちの船なのです」

 引き続き関係者がそれぞれ挨拶し、ドワイト・アイゼンハワー大統領夫人メイミーがシャンペンのビンを割ると、船は勢いよくテムズ川(イギリスのものとは別の、グロートンにある川)へと滑り出ていった。この模様はアメリカの三大放送網(NBC、CBS、ABC)に加え、ラジオ自由ヨーロッパ、ヴォイス・オヴ・アメリカ(VOA)などのプロパガンダ放送、『タイム』、『ライフ』、『ニューズウィーク』を始めとするニュース雑誌、三五紙を超える新聞や業界紙によって伝えられた。

 今日の目から見ると、これが連鎖の始まりだった。日本への原子力導入はこの連鎖のなかで芽生え、方向づけられていったのだ。

 このニュースの一ヶ月ほど後、原子力の負の面を示す決定的な事件が起こった。三月一日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行なったところ、近くでマグロ漁をしていた第五福竜丸の乗組員がこの実験の死の灰を被ってしまった。第五福竜丸事件である。これによって広島・長崎への原爆投下で世界最初の被爆国になった日本は、水爆でも最初の被曝国になってしまった。

 やがて日本全国に原水爆反対平和運動が巻き起こり、原水爆禁止の署名をした人々の数は三〇〇〇万人を超えた。これは日本の戦後で最大の反米運動に発展し、駐日アメリカ大使館、極東軍司令部(CINCFE)、合衆国情報局(USIA)、CIAを震撼させた。

 これら四者は、なんとかこの反米運動を沈静化させようと必死になった。彼らは終戦後、日本のマスコミをコントロールし対日外交に有利な状況を作り出すための「心理戦」を担当していた当事者だったからだ。

 反米世論の高まりも深刻な問題だが、実はそれだけではなかった。この頃国防総省は日本への核配備を急いでいた。ソ連と中国を核で威嚇し、これ以上共産主義勢力が東アジアで拡大するのを阻止するためだ。

 そのために彼らが熱い視線を向けたのが讀賣新聞と日本テレビ放送網という巨大複合メディアのトップである正力松太郎だった。

 ノーチラス号の進水から始まった連鎖は、第五福竜丸事件を経て、日本への原子力導入、ディズニーの科学映画『わが友原子力(原題Our Friend the Atom)』の放映、そして東京ディズニーランド建設へと続いていく。その連鎖の一方の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。

 筆者はこの数年、アメリカ国立第二公文書館などでCIA文書を中心とする多くの公文書を読み解いてきた。なかでも「正力松太郎ファイル」と題されたCIA文書には従来の説を覆す多くの衝撃的事実が記されていた。

 本書では、このような機密文書を含む公文書で知りえた事実を中心に据えつつ、日本の原子力発電導入にまつわる連鎖をできる限り詳細にたどってみたい。それによって、戦後史の知られざる一面を新たに照らし出したい。」(引用終)

本書の構成は

第1章「なぜ正力が原子力だったのか」

第2章「政治カードとしての原子力」

第3章「正力とCIAの同床異夢」

第4章「博覧会で世論を変えよ」

第5章「動力炉で総理の椅子を引き寄せろ」

第6章「ついに対決した正力とCIA」

第7章「政界の孤児、テレビに帰る」

総理になるための原発……。引用。

正力は、初めは原子力なるものをよく理解できなかったために乗り気ではなかったが、総理大臣への野望がいやが上にも燃え上がり、大きな政治課題が必要となるにつれて、原子力の持つ重要性に目覚め始めた。やがて、政治キャリアも資金源も持たない意気だけは軒昂な老人に政治的求心力をもたらすのはこれしかなかった。

 当時の時代状況のなかでは、正力にとっての原子力発電は戦前の新聞に似ていた。つまり、それを手に入れれば、てっとりばやく財界と政界に影響力を持つことができる。いや、直接政治資金と派閥が手に入るという点で、新聞以上の切り札だった。

湯川も利用……。引用。

「この連載の前に讀売新聞は一九五○年に湯川秀樹のノーベル賞物理学賞受賞を記念して「湯川奨学基金」を創設していた。実は、湯川のこのノーベル賞受賞をアメリカが対日心理戦に利用していたことが、国務省文書から判明している。アメリカ情報機関は、湯川がノーベル賞を受賞できたのはアメリカが応援したからだということを、日本のメディアに書き立てさせたのだ。日本人が親米感情を抱くように仕向けたこの心理戦には当然、讀売新聞も動員されていた。」

吉田茂は造船疑獄……。引用。

「正力が原子力平和利用推進派の期待を集めていくこの過程は、吉田が没落していく過程と裏表になっていた。吉田政権は一九五四年一月に明らかになった造船疑獄で深手を負い、四月に法務大臣の犬養健(たける」が指揮権を発動してうやむやにしたことから迷走を始め、吉田が逃げるように九月に外遊に出かけて以後断末魔の様相を呈するようになり、一二月七日にはついに崩壊に至った。」

読売新聞を使ってキャンペーン……。引用。

「渾沌とした政治的情勢のなかで、正力が自分の手中にあるカードが政治的にも大きな利用価値をもっていることに気付くのにそれほど時間はかからなかった。

 このカードを使えば、選挙で当選する確率を高くできる。電力業界からだけでなく広く経済界から政治資金と支援が集められるからだ。さらに、讀売新聞と日本テレビで原子力平和利用推進キャンペーンを行ったうえで、「原子力による産業革命」を公約にして選挙戦を戦うという戦術もとれる。」

アメリカの小型・正力松太郎、ウォルト・ディズニー……。引用。

「一九五九年六月一四人、ディズニーランドの「未来の国」で八隻の原潜の処女航海の祝賀が行われた。ニュー・アトラクション「潜水艦の旅」のオープニング・セレモニーだ。このアトラクションは二五○万ドルをかけて建造され、セレモニーの八日前の六月六日に完成していた。

 ウォルト・ディズニーは満面に笑みを浮べてこう述べた。

「わが社の原子力潜水艦をご紹介申し上げます。この艦隊は現在世界最大の規模を誇っております」」

ともかく、これから真剣に考えなければならない日本の原子力政策の原点を知ることができる貴重な本である。

 

   戦後日本は、米国の指導の下に、ゼロから出発して原発大国となった。

 そして、米国から提供を受けた技術に莫大な研究開発予算を投入して独自技術の開発に努めてきた。原発機材の輸入のためには関税を免除。さらには、必要な予算は電気料金に上乗せして多くの国民が、気がつかないうちに徴収してきた。もちろん、漁業権者や地元住民との調整のために政府が前面に出て交渉にあたった。また、原発反対デモがあると機動隊まで投入して抑え込んできた歴史もある。しかも、多くの事故情報はもちろん、重要な情報は、半世紀以上に亘り、隠ぺいされてきた。「企業秘密」を盾に電源ごとの詳細なコスト情報は公開されず、都合の良い「仮定計算」で原発が一番安いと言う宣伝活動を国民に対して行ってきた。

 そして現在、今回の事故の後始末を政府丸抱え、莫大な国民負担を前提としたスキームで行おうとしている。

 考えてみれば、国策として「原発推進」することが『国家の意思』だった。しかし、このことは、有馬哲夫氏の「原発・正力・CIA」~機密文書で読む昭和裏面史~という本を読めばわかるが、本当に原発のことを深く考えた国策ではなかったことも注目すべきであろう。

また、国が積極的に進めた原発に比較すれば、再生可能エネルギーは明らかに差別されてきた。やはり、これには核保有国になりたいという思いが底流にあると考えるべきであろう。

だからこそ、電力会社の不当に高い送電料金や事実上事業を制約する接続約款、環境問題、地元対策などでも政府は後押しをする意思を全く持ってこなかったのだろう。そして、必要以上に再生可能エネルギーの弱点が政府・電力会社によって強調されてきたのである。

 仮に、原発並みの意気込みで国家を挙げて再生可能エネルギーの推進をしてきたなら、夢物語と言われるグリーンエネルギー革命が日本で現実化していたかもしれない。

 100%安全だと言っていた原発で事故が起きた以上、すべての情報の公開が求められるのである。当たり前のことだが、正しい判断をするためには、正確な情報がなければ不可能だ。安全に関する情報だけではない。東電のみならず、全電力会社の経営情報をこれから全面公開すべきだろう。政府が持っているエネルギーに関するあらゆる情報も公開する必要があることは言うまでもない。

 考えてみれば、電力会社は全く競争をしない不思議な民間会社である。ある意味、国民を人質に取ったビジネスとも言えよう。たとえば、東電一社で年1,000億円以上使うという広告費一つを取っても全く競争のない電力会社に本当にそんな巨額の広告費が必要か疑問だ。全面的なコスト情報の公開で電力料金の大幅引き下げにつながる可能性すらあるのではないか。

 絶対安全だと言ってこれだけの事故を起こした以上、本当の情報を国民に政府・電力会社は公開する義務があるはずだ。 

そして、当たり前のことだが、国民生活の安全・安心を第一に考えるのが政府の責務である思い出してもらいたい。 田中良紹氏が大変いい指摘をしている。以下。

                                                                    ( 53日に発表されたデータ)

 

*田中良紹の国会探検より  「うそつき」 

 大震災以来の政治に感じるどうしようもない「違和感」の原因を考え続けてきた。

 退陣の危機に追い込まれていたため震災を政権延命の手段と考えてしまうパフォーマンス政治。手柄を独り占めしたいのか「お友達」だけを集め、全政治勢力を結集しようとしなかった身内政治。パニックを恐れて情報を隠してしまう隠蔽政治。責任の所在が曖昧なままの無責任政治。「違和感」の原因は様々だが、終始付きまとうのは「国民は嘘をつかされ続けてきたのではないか」という疑念である。 

 例の海水注入問題では、当初東京電力が廃炉になる事を恐れて海水注入を躊躇したのに対し、菅総理の指示で海水注入は行なわれたと言われた。「国民の敵」東京電力と「国民の味方」菅総理という構図である。ところがその後、東京電力の海水注入を菅総理が55分間中断させたという話が出てきた。「国民の敵」が入れ替わった訳だ。

 すると今度は「敵役」として原子力安全委員長が登場した。東京電力の海水注入が開始された後で、菅総理が海水注入による「再臨界」の危険性を斑目原子力安全委員長に問いただしたところ「危険性がある」と答えたため中断したとされた。これに斑目氏が噛み付いた。「そんな事を言うはずがない」と言うのである。結局、菅総理に「可能性はゼロではない」と答えたという事になった。

 その時点で菅総理は「そもそも東京電力が海水注入を開始していた事実を知らなかった」と国会で答弁した。知らなかったのだから中断させるはずがないと言うのである。これを聞いて私の頭は混乱し始めた。海水注入を知らない総理がどうして原子力安全委員長に海水注入の危険性を問う必要があるのか。

 それに「海水注入を渋る東京電力VS海水注入を指示した総理」という構図はどうなるのか。理解不能な話になった。理解不能な話を理解するには誰かが「嘘」をついていると考えるしかない。最も疑わしいのは「海水注入を知らなかった」と言い切った菅総理である。

 菅総理が東京電力の海水注入を知らなかったなら原子力安全委員長とのやり取りも、当初言われた構図も信憑性が薄くなる。自分のパフォーマンスのために東京電力に「敵役」を押し付け、その代わり東京電力を潰さない、政府が賠償の面倒を見ると裏約束をしたのではないかと思えてくる。

 いよいよ菅総理の「嘘」が追及される話になると思っていたら事態は思わぬ方向に展開した。東京電力が「海水注入の中断はなかった」と発表したのである。現地責任者の吉田昌郎所長が独断で注水を継続したという話になった。これで一件落着の雰囲気である。しかし何事も疑ってみる私の第一印象は「うまく逃げたな」である。

 この話が裏を取る事の出来ない話になったからである。前にも書いたが福島原子力発電所の現場は今や日本の国民生活と日本経済の存亡をかけた戦場である。その指揮官の判断で結果的に国民生活が守られる方向になったとなれば誰も糾弾できない。しかも裏を取ることも出来ない。この話も本当かどうか分からないが事態を収束させる効果はある。そこに彼らは逃げ込んだ。しかしこれで「知らなかった」と言った疑惑は消えるのか。

放射性物質の拡散予測SPEEDI(スピーディ)を巡る菅政権の無責任ぶりをフジテレビが放送していた。SPEEDIは気象条件などから放射性物質の広がりを、コンピューターを使って予測するシステムで、原発事故が起きた場合、そのデータは文部科学省、経済産業省原子力保安院、原子力安全委員会、関係都道府県などに提供される。 

 ところがその内容が国民には公表されていなかったという事で、番組は関係先を取材し、どこも自分の所管ではないとたらい回しにされる模様を放送していた。そしてスタジオの識者が「どうなっているのだ」と怒って見せるのだが、役所の担当者に怒ってみても仕方がない。

 番組の中で細野豪志総理補佐官が語っていたように菅政権は「パニックを恐れて公表を控えた」のである。細野氏はその事を反省していたが、公表しなかったために被爆をしなくても良い人が被爆をした。これはその責任を誰が取るのかという問題である。ところが番組はそういう方向にならない。「日本の組織は滅茶苦茶だ」と責任の所在を広げてあいまいにし、「あいつもこいつも悪い」と鬱憤晴らしをして終るのである。

 そして問題なのはこの番組で枝野官房長官がSPEEDIのデータを「報告を受けていない」と発言した部分である。番組はそこを問題にすべきであった。この発言が本当ならば霞が関を掌握しなければならない立場の官房長官は失格と言わざるを得ない。そんな政権に政治を任せておけないと言う話になる。

 しかし原子力災害が起きている時に放射能データを官邸に報告しない役人などいるはずがない。つまり枝野官房長官も嘘をついている可能性が高いのである。むしろ細野氏が言ったように菅政権はパニックを恐れて情報を隠蔽した。それで周辺住民の被害は拡大した。その責任を追及されると困るので「情報を共有出来なかった」と嘘をついて組織上の問題にすりかえているのである。

番組はまさにそのように視聴者を誘導した。かくして国民は「日本は駄目な国ねえ」などと言って終る。おめでたい限りである。菅政権が国民のパニックを恐れて情報を公表しなかったとすれば、自らの危機管理能力に自信がなかったか、或いは国民を愚かだと思っていたかのどちらかである。

 しかし国民がどんなに愚かでも嘘はつき通せるものではない。それに仮に「海水注入を知らなかった」、「SPEEDIの報告を受けていなかった」のが真実ならば、それはそれで政権担当能力はゼロ。とても国難の時に政権を任せるわけにはいかないと言わざるを得ないのである。

<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>

1945年宮城県仙台市生まれ。
1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。

<参考資料>

(東京新聞の特報面『ニュースの追跡』で、3月12日に菅首相が福島原発の視察する時に、SPEEDIの予測図を官邸に取り寄せていたことが書かれている。)

ふざけるな!菅首相 自分だけSPEEDI利用(日刊ゲンダイ2011/5/19)
  原発視察前に

福島第1原発でメトルダウンや水素爆発が起きた3月11日から16日までの間、国民に隠し続けられた「SPEEDI」情報の予測図が一度だけ首相官邸に届けられていたことが分かった。きょう(19日)東京新聞で報じている。
配信時間は12日午前1時12分。菅直人首相はこの日の朝に原発を視察している。周辺住民が放射能を浴び続けている中、菅首相が自分の身の安全を守ろうとしたのではという疑惑も浮かんでいる。問題の予測図の目的は1号機で原子炉格納容器の内部圧力を下げるベントを

3月12日午前3時半から開始した場合の影響確認だという。放射性物質が原発から海側に飛んでいることが分かっていた。
首相は視察のためSPEEDIを利用し、放射性物質が海側に飛ぶことを確認したうえで原発に行ったようだ。

(東京新聞5・19より)

首相視察前 一度だけ官邸に
 SPEEDIの予測図

 



東京電力福島第一原発でメルトダウンや水素爆発が次々と起きた三月十一日から十六日までの間、国民に隠し続けた国の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の予測図が一度だけ首相官邸に届けられた。配信時間は十二日午前一時十二分。菅直人首相は同日朝、原発を視察している。周辺住民が放射能を浴び続ける中、首相は自分の身を守るために重要情報を利用したのではないか―。
そんな疑問も浮かんでくる。(佐藤圭)
 問題の予測図は、外部被ばくによる放射線量や甲状腺に放射性ヨウ素が取り込まれて被ばくする線量の積算値など三種類。目的は1号機で、原子炉格納容器の内部圧力を下げるベント(排気)を三月十二日午前三時半から懐紙した場合の影響確認だった。原子炉の生データが得られなかったため、一定量の放射性物質の放出を仮定して試算した。これらによると、放射性物質は、原発から海側に飛んでいる。
 当時の政府内の動きはどうだったか。海江田万里経済産業相は十二日午前一時半、1号機のベントを急ぐよう東電に指示した。首相は同日午前七時十一分、陸上自衛隊のヘリで原発に到着。ベントが実施されたのは、首相が原発を離れた後だった。政府関係者らの話では、首相が現地で東電にベントを促したことになっているが、野党は、首相の視察がベントを遅らせた可能性に言及している。
   放射性物質の流れ確認か

 予測図を官邸に届けたのは経済産業省原子力安全・保安院。官邸にはSPEEDIの専用端末が設置されていない。保安院が自らの端末からプリントアウトした予測図を官邸にファックス送信した。保安院は、政府の原子力災害対策本部の事務局として官邸に報告した格好となっている。
 保安院は十一日から十六日昼ごろまでの間、文部科学省の委託でSPEEDIを運営する原子力安全技術センター(東京)から計四十二回、予測図の配信を受けている。保安院の前川之則原子力防災課長は、官邸に一度だけ報告した経緯について「官邸の状況は分からないが、情報提供は一度だけだった」と説明。官邸にSPEEDI端末がないことには「SPEEDIの情報は、専門家が使うものだ。情報を集約する役目の官邸に置く必要はない。無用の長物になる」と主張する。

 「住民の避難には活用しなかったのに」

 政府は、SPEEDI情報を「社会に混乱を招く」との理由で原則非公開にしてきたが、四月十九日付「こちら特報部」は「官邸が公表を止めた」と指摘。結局、政府は今月二日、「公表が遅れたことを心よりおわびする」(細野豪志首相補佐官)と陳謝した上で、順次公開を始めている。
 衆院科学技術特別委員長の川内博史衆院議員(民主)は「首相は、放射性物質が海側に飛ぶことを確認してから原発に行ったことになる。自分の視察のためにはSPEEDIを使ったのに、住民の避難には全く活用しなかった。首相は自分のことしか考えていない」と批判する。(引用終)

<SPEEDIとは>

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI:スピーディ※)は、原子力発電所などから大量の放射性物質が放出されたり、そのおそれがあるという緊急事態に、周辺環境における放射性物質の大気中濃度および被ばく線量など環境への影響を、放出源情報、気象条件および地形データを基に迅速に予測するシステム。

 このSPEEDIは、関係府省と関係道府県、オフサイトセンターおよび日本気象協会とが、原子力安全技術センターに設置された中央情報処理計算機を中心にネットワークで結ばれていて、関係道府県からの気象観測点データとモニタリングポストからの放射線データ、および日本気象協会からのGPVデータ、アメダスデータを常時収集し、緊急時に備えている。

 万一、原子力発電所などで事故が発生した場合、収集したデータおよび通報された放出源情報を基に、風速場、放射性物質の大気中濃度および被ばく線量などの予測計算を行う。

これらの結果は、ネットワークを介して文部科学省、経済産業省、原子力安全委員会、関係道府県およびオフサイトセンターに迅速に提供され、防災対策を講じるための重要な情報として活用される。

※SPEEDI:System for Prediction of Environmental Emergency Dose Informationの頭文字。

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