m.yamamoto

今回はレポートでは、ありません。過激な言葉の使い方を嫌悪する方もいるかもしれませんが、日本民族を愛する作家の思いが伝わってきます。日本という国も、住んでいる私たち日本人も知らないうちに大変な状況に現在、置かれております。

昨年亡くなった作家の日本人への遺言のような魂の叫びです。

                                    

(*林 秀彦「日本人はこうして奴隷になった」より)

<林 秀彦(はやし ひでひこ)プロフィール>

(1934年9月26日 – 2010年11月19日生まれ)日本の脚本家、作家

1934年、東京府に生まれる。学習院高等科を卒業後ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。 

3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。1988年から2005年までオーストラリアに移住、帰国後は大分県九重町に暮らしていた]。また、祖母にドラマ「おはなはん」のモデルとなった「林はな」がいる。

2010年11月19日、肺炎の為に福岡県久留米市の病院にて死去

 

「人間としての日本人を探そう」

 

人間としての日本人を探そう。

私たち日本人は、自分たちを人間として意識したことがない。

その意味で実に珍種の民族だ。

人間であることを考えずに今までやってこられた。

そんな人間種は、私たち民族だけだった。

しかし、限界に達している。

もはやそれだけではやっていけない。

なぜなら、地球上のすべての人間が、

絶滅の危機に瀕しているのだから。

今まで人間だと思っていた人間も、

人間でなくなってしまいつつある。

なぜなら~~

人間とは何か?

人間とは~~

より人間らしくなる人間のことだから。

人間とは何か?

進歩の現在進行形こそ人間である。

より高度な人間性を求める過程こそ人間だ。

何が、どう、高度なのだ?

無論そこに物質的レベルを加えてもいい。

人間とは贅沢で、安逸を求める動物なのだから。

民度、という言葉の中に、経済要素を加えるのもいい。

昨日まで大八車を引いた人間が、

今日ベンツのトラックを運転するのも人間だ。

しかし、それだけではない。

無論それだけではない。

そんなことは誰だってわかってる。

じゃ、それ以上の高い要素とは何か?

論理だ、倫理だ、見識だ、

愛する能力だ、哀れみのこころだ、

寛容であり、自己犠牲の精神であり、勇気だ。

神と野獣のジレンマの克服だ。

つまり哲学だ。

知への限りない愛と追求だ。

本当は誰にもできることだ。

本当は誰にもわかることだ。

すべては明々白々なのだ。

ただ考えればいいのだ。ほんのちょっとだけ。

俺たちは人間なんだろうか~って。

君は知ろうとしないだけなのだ。

君は考えていないだけなのだ。

君は今まで一度として、

自分が人間なんだろうか、と

考えたことがない。

少しでも時間をかけ、考えれば、

たいていの人なら、日本人なら、わかることだ。

映画や小説を愛し、

美空ひばりとフランク・シナトラを愛し、

最低三年外国で暮らし、

異国人、異民族をも愛せれば、

誰にもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

少なくとも二カ国語の外国語を習得し、

剣道とトランペットを習得し、

古事記と聖書を熟読し、

世界史と日本史に精通し、

プラトンと三浦梅園を読み、

司馬遼太郎とジェフリー・ディーヴァーを読み、

モツアルトと高橋竹山に聞き惚れ、

落語とゴスペルを愛し、

ゴッホと大観を愛し、

シャーロック・ホームズと銭形平次のファンになり、

将棋とチェスに通じ、ポーカーと麻雀に強く、

苔寺に散策し、ベルサイユに遊べば、

誰にもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

至極簡単なことだ。

誰でも知っていることだ、

人類が滅びつつあるとき、

われわれしか人類を救う民族がいないことを。

それなのに~、

真っ先に滅亡するのが、

日本民族であることを~~。

ただ君が考えていないだけなのだ。

そう、本当は誰にもわかることだ。

考えさえすれば~~。

誰も相対性原理の話などしているわけではない。

至極当たり前の日常の話だ。

どこにでも正確なデーターが転がっていることだ。

日本の教育と世界の教育を比較してみればいい。

日本の政治家と世界の政治家を比較してみればいい。

日本の外務省と世界の外務省を比較してみればいい。

ブッシュを観察し、プーチンを観察し、

アラブの民に思いを馳せ、ユダヤの民に思いを馳せ、

七秒間に一人の割で餓死している世界の子供たちと、

登校拒否してゲームに現を抜かす子供たちを比較し、

明治の教育勅語を精読し、

アメリカの独立宣言を読み、

フランス革命史を読み、

朝日新聞の記事とフランクフルト・アルゲマイネの記事を比較し、

外食をやめ、我が子と一時間の会話をし、

朝は味噌汁を飲み、ローソンを無視し、

蕪村の死を読み、イヴ・モンタンのシャンソンを歌い、

痩せることを恐れず、太ることを恐れず、

同胞のしまりのないアホ面を観察すればすむことだ。

人間としての日本人を探そう。

なぜ隣国にごめんなさいを言い続けるのか、

なぜ日本の財産が失われていくのか、

なぜ日本の全株式の半分以上をガイジンがもっているのか、

なぜ醜いオバンがルィ・ヴィトンを持つのか、

なぜスポーツ選手や将棋指しまでが髪を染めるのか、

なぜ子どもたちが日本の童謡を歌わなくなったのか、

なぜ「なぜ」という新鮮な驚きをなくしてしまったのか、

その解答と対策は誰にでもわかることだ。

直感力を働かせ、人間を心から愛し、

すこしでも時間をかけて考えれば、

誰にでもわかることだ。

人類が滅びつつあるとき、

日本民族がいかにすばらしかったか、

われわれしか人類を救えなかったのだという慚愧の思いが、

誰にでもわかることだ。

しかし、わかっただけでは仕方がない。

キミはどんな行動をとればいいのか。

人間としての日本人を探そう。

神棚を祭り、祝祭日には日の丸を掲げ、

緑なす黒髪を取り戻し、

等身大の自分を見つめ、

拝金主義の我利我利亡者を軽蔑し、

日教組を撲滅し、一生が勉強であることを知り、

謙虚に自然を見つめ、直感力を養い、

自己顕示を卑しみ、老人をいたわり、先輩を立て、

親に感謝し、先祖を尊び、

美しく正しい日本語を取り戻し、世界に目を向け、

付和雷同を避け、己自身の見識を獲得し、

9.11のアメリカ政府の発表はすべて嘘だと知れば、

誰にでもわかることなのだ。

人間としての日本人を探そう。

もっとも危険なこと、もっとも忌むべきことを教えよう。

それはあらゆる種類のステレオタイプ思考だ。

情報の鵜呑み~、

鵜呑みこそ断じてしてはならないことだ。

たとえば、アメリカ人はこうだ、中国人はこうだ、と、

同じ人間を特定の枠に入れてはならない。

人間の違いは知性の高さと低さ、

それしかないことを肝に銘じよう。

国籍ではない、肌の色の違いではない、

脳味噌の中と、心の中だ。

人間を信じる以外に人間の道はない。

当たり前の話だ。

人間の味方は人間しかない。

人間を助けるのは人間しかない。

人間は人間がいてはじめて人間になる。

問題は人間でない人間が増えている。

戦争をする人間だ。

アメリカは今一分間に百万ドル、一億円の軍事費を使っている。

もう一度言おう。

一分ごとに一億円が軍事費で消える。

そのため、アメリカの教育関連予算は

連邦予算の八パーセントに過ぎない。

これは人間のすることではない。

しかし、だからといってアメリカ人全体が

人間でなくなっているわけではない。

ハリウッドはユダヤ・イルミナティの巣窟だ。

だからといって、

ジャージ・クルーニーが人間でないわけではない。

今とっさに頭に浮かぶだけでも、

次の映画を制作したアメリカ人や、

あるいはそれに協力したニグロイド、モゴロイド、コーカサイドはみな人間だ。

アタランダムに~、

「クラッシュ」「ナイロビの蜂」「ワーグ・ザ・ドッグ」「グッドナイト&グッドラック」

「ネットワーク」「JFK」「アミスタッド」「911ボーイングを捜せ」

「ダーウィンの悪夢」「ザ・コーポレーション」

どうせ日本民族などどこの馬の骨ともわからぬ民族で、失って惜しいものなどない~

のだと言う人がいる。

美しい日本語が失われたなどと言うのもチャンチャラおかしい言い草で、そもそも

たいした言語体系を持っていたわけでもないと言う人もいる。

それなりの学者がいっているのだ。

そうであったらどれほどいいことだろう。

このまま行けば、あと百年から二百年の間に、日本は中国の属国になるに違いない。

また、そうなるべきだとも思う。

どうせ世界は壊滅するし、その直前の数世紀は、コーカソイドとモゴロイドが天下分け目の戦いを起こすことは間違いない。この一切合財を失い、性根の腐りきった大和民族が、そんな時代に自主独立を果たせるわけがない。地政学的に言っても、歴史的に言っても、我々は東洋の一国、中国文明圏の一翼だった。

白人の奴隷となり、これ以上の恥辱を味わうよりも同じ黄色人種の驥尾に付し、ハエとなって百里の道でも進んだほうがましである。

私は異国で実験してみたが、白人と交わるよりも、中国人と(そのほとんどは華僑であったにせよ)交わるほうが、気分がいいし、意志の疎通もはかれ、且つスムーズである。

たぶん、トクヴィルの世界制覇の予言は、ロシアがその一翼であることは正しくとも、もうひとつの国がアメリカという点だけは間違っていたと思われる。すでにかの国には往年の力はない。崩壊は時間の問題だ。後に残るのはロシアと中国になるのはあまりに明白だ。

もっと厳密に言えば、スラブを含むロシア・コーカソイドのユダヤ勢力と、華僑を中心とした中国文明との戦いで、人類最後の決着がつくに違いない。

それ以外のどんな可能性があるというのだ?

絶対にない。そのとき、政治的イデオロギーは何の意味も持たないはずだ。

結局は人種の決着になる。アフリカを中心としたネグロイドがその間に一枚噛むとは、

残念ながら考えられない。彼らはあまりに出遅れた。

だが、いずれにせよ勝利は一瞬のものに終わるだろう。

その後に、たとえエイリアンの時代が訪れようと、それはまともに論じる人類の歴史とはならない。

歴史はすでにそのように動いている。

見ることのできる人間だけが見ている。

そこでわれわれにたった一つの選択肢が残されている。

戦うか、戦わずにこの必然の運命を受け入れるか。

私は戦うことを皆さんに勧める。

蟷螂の斧であろうとも、わたしたちの子孫は戦い、

破れ、そしてひれ伏そう。

まだ、時間はある。この残り少ない時間を使って、

どうしてもこれだけは残しておきたいものを探し出そう。

日本の、日本人の。

これだけは死守すべきものとは一体何と何なのか、考えてみよう。

当然それは¥ではない。

今回は、はじめに結論を箇条書きで、書かせていただきます。日本人が頭にいれておくべきことの続きです。 

  



(日本は海洋大国) 

1.現在、日本のマスコミを騒がしているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)は、マスコミ等で宣伝されているような開国政策ではなく、全く逆の現代の集団鎖国政策、米国によるブロック経済、囲い込み政策であり、自由貿易に逆行する政策である。 

 

2.世界最大の債権国である日本の「円」は隠れ基軸通貨である。 

 

(3)現在、米ドルは、三年前のレポートでも指摘したように一ドル=50円に向かっている。

 

(4)際限なくドルを発行している米国は、石油決済通貨であるドルの過剰流動性を原油価格の上昇で少しでも補うことで、基軸通貨ドルの延命を図ろうとしている。

   したがって今後も石油価格は上昇する。

 (5)リビアのガダフィー失脚は、ユーロ・ドル防衛のために欧米のエリートが仕掛けたものである。



(6)チュニジアから始まった「ジャスミン革命」等の民主化運動は、中東情勢を不安定にするためのものである。狙いは、石油利権の確保、石油価格の上昇、その先にあるのは、欧米が金融危機を脱するための戦争経済(WAR ECONOMMY)である。

 

(7)日本は米国の「自冶領」であると欧米のエリートの一部、特に米国のエリートは心の底で考えている。

  (サンフランシスコ講話条約は「日本の自冶」を欧米のエリートが承認した条約に過ぎない?)



 (8)現在、福島県民を中心とする日本人は、低放射線の人体に対する影響調査のモルモットにされている?

 

<解  説>

 1.TPPなどで関税を撤廃すれば参加国内の貿易は促進されるが、他地域との貿易で関税を引き上げなくても相対的に障壁を高める結果となり、逆に保護貿易を招く可能性も高い。

1929年の世界大恐慌後も、特定地域間で経済圏を形成し、その中で貿易を拡大して景気回復を図るブロック経済の動きがみられた。当時の経済協定は宗主国と植民地及び周辺国との間で締結された。代表的な例が当時覇権国のイギリスを中心に1932年に成立したオタワ協定である。これは英連邦国間で特恵関税制度を導入し、連邦外の国との貿易には高関税を課すもので、スターリング・ブロックと呼ばれる閉鎖的な経済圏が形成された。これによりイギリスの対英連邦国の貿易比率は拡大した。

米国も関税を大幅に引き上げるスムート・ホーリー法や中南米諸国との経済協定を締結した。一方で植民地の少なかった日本やドイツは、経済圏の拡大を目指して満州や中欧への進出を強め、第二次大戦につながっていった。



TPP参加国?

 *世界最大の債権国である日本にはアメリカだけでなく、中国からのアプローチも当然ある 

(以下引用)

「アジア共同体や海洋協力を 日中友好委で唐氏が提唱

2011.10.23 18:17 産経新聞

  日中両国の有識者でつくる「新日中友好21世紀委員会」の第3回会合の開幕式が23日、北京の釣魚台迎賓館であった。中国側座長の唐家●(=王へんに旋)元国務委員は基調講演で、東アジア共同体の構築を視野に、自由貿易協定(FTA)の推進や海洋上協力体制の創設を提唱した。 唐氏は「アジアの大国として協調と協力を深め、多くの利益の接点を探さなければいけない」と日中がアジア一体化に努力すべきだと強調。日中韓FTAや東アジア貿易圏の創設などを提案した。 また、唐氏は沖縄県・尖閣諸島や東シナ海ガス田の問題などを念頭に、海上危機管理メカニズムの必要性を強調、西太平洋における海洋環境調査やシーレーン(海上交通路)の安全確保も日中合同で実施するように求めた。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/111023/chn11102318180003-n1.htm

(引用終わり)

下記にあるように米国のエリート自身がアメリカにすでにリーダーシップがないことを認めている。であるならば、日本は純粋に経済的損得だけを考えてこの問題を考えるべきである。

(以下引用)

金融危機が出現させたGゼロの世界

――主導国なき世界経済は相互依存からゼロサムへ

A G-Zero World

――The New Economic Club Will Produce Conflict, Not Cooperation

イアン・ブレマー  ユーラシア・グループ会長 

ノリエル・ルービニ ニューヨーク大学教授 

 フォーリン・アフェアーズ リポート 20113月号

 市場経済、自由貿易、資本の移動に適した安全な環境を作りだすことを覇権国が担ってきた時代はすでに終わっている。アメリカの国際的影響力が低下し、先進国と途上国、さらにはアメリカとヨーロッパ間の政策をめぐる対立によって、世界が国際的リーダーシップを必要としているまさにそのときに、リーダーシップの空白が生じている。われわれは、Gゼロの時代に足を踏み入れている。金融危機をきっかけに、さまざまな国際問題が噴出し、経済不安が高まっているにもかかわらず、いかなる国や国家ブロックも、問題解決に向けた国際的アプローチを主導する影響力をもはや失ってしまっている。各国の政策担当者は自国の経済成長と国内雇用の創出を最優先にし、グローバル経済の活性化は、遠く離れた二番目のアジェンダに据えられているにすぎない。軍事領域だけでなく、いまや経済もゼロサムの時代へ突入している。

(引用終わり)

 経済的な利害だけを考えれば、TPPは日本には何のメリットもないものである。

ただ、世界最大の債権国である日本を参加させなければ米国の戦略にとって何の意味もないことだけは確かである。つまり、TPPは「米国の年次改革要望書」の仕上げである。

 

  <09年におけるTPP関連諸国のGDP(単位:十億ドル)>                出典:IMF

上記のグラフを見れば、一目瞭然、TPPとは、日米の問題なのである。

参考http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w&feature=player_detailpage

 2.GDPが世界3位となっても日本は世界で最大の債権国である。GDPは中国に抜かれたとしても、純貯蓄の規模という意味では、日本が今なお、世界最大の国である。

減価していくドルから逃げ出した世界の資金が円に注ぎ込まれ、ドル安の影響が円に集中することになる。円高が進むということは、それだけ円の存在感が為替市場において大きいことを意味している。日本が世界で最大の債権大国であり、危機が起きるたびに円がその逃避先になる。これは、実質的に、円はすでに基軸通貨的な性格を帯び始めていると考えるべきであろう。もっとも日本が軍事力も核も持たない国が覇権を握れるわけではないので、正統な基軸通貨には現状ではなり得ない。当然、日本も基軸通貨になりたいなどと宣言すらしていない。また、基軸通貨国としての責任や権限を世界から認められたわけではない。だが、実態的に世界のマネーが日本に流れ込んできているという厳然足る事実は、円が実質的に基軸通貨的な役割を持ち始めたと言って過言ではない。

世界のマネーが円を実質基軸通貨と考え出したのは、「円キャリー・トレード」と、リーマンショックである。

リーマンーショックは、アメリカおよびヨーロッパの金融の中枢を破壊した。日本はバブル崩壊の後遺症もあり、バブル的な米国不動産価格の上昇に乗らなかった。不動産価格の持続的上昇を前提として、さまざまな金融商品が登場した。サブプライムローンがその典型だった。サブプライムローンやサブプライムローンとプライムローンを組み合わせたCDOやCBSなど、日本の銀行や証券会社は、ほとんど扱わなかった。そのおかげで、日本の証券金融業界はリーマンショックの影響は他のG7各国の中では最も軽微であった。日本のバブル崩壊後90年代終わりからリーマンーショックに至る約10年、日本はゼロ金利、更には量的緩和という政策を米国の圧力もあって取り続けた。

世界一の債権国でゼロ金利では、いくら国内でカネを回しても収益が上がらない。

そこで、ジャパンーマネーが世界にあふれ出ていったのである。

直接海外に工場を作るなどの直接投資も行われたが、その大半が円キャリー・トレードという形で海外に流れ出ていった。

円キャリー取引は1996年頃から活発化した。遅々として進まない不良債権問題などで、円が、長期的に低金利が続く予想と米国が1995年4月に為替政策をドル高政策へと転換したこと、そして通貨当局の為替介入姿勢からドル安・円高阻止への決定的な動きから、魅力的な取引となった。

円キャリー取引は低金利の円を調達して、運用して儲けることができる、株の信用取引みたいなものである。資金の多くは高い金利の債券等で運用し、その差益を儲けることができる。いわば、世界中の投資家が円を「ドラえもんのポケット」として利用したのである。

主に巨額の資金を個人や法人の投資家から集め、為替や株式、債券など国際金融市場で投機的な売買を行うヘッジファンドが活発に円キャリー取引を行なっていると見られている。円キャリー取引が多くなれば、円売り・ドル買いが進むため為替相場は円安・ドル高の傾向となり、円キャリーは世界中を低金利化させていった。

日本から溢れ出ていったマネーは、アメリカでもヨーロッパでも、あるいは新興諸国でも、潤沢な投資が行われ経済が活性化したのだが、不動産に過剰な投資資金が投下され、リーマンーショックに至る金融バブルを生みだしたのである。

金利が低い状態の中で、それでもカネを回すことで稼がなくてはいけない立場の投資銀行やファンドマネージャーたちが、ハイリスクーハイリターン商品に投資せざるをえない構造となってしまったのである。リーマンーショックは日本が作り出したと言っても決して過言ではない。そして「円」は今や隠れ基軸通貨となってしまった。

しかしながら、本当の基軸通貨となると責任と負担が発生する。いわゆる「流動性ジレンマ」である。これは1960年代初頭にベルギーのケインジアン経済学者ロバート・トリフィンが発見した矛盾である。流動性ジレンマを端的に言えば、これは要するに流動性と希少性の綱引き問題である。流動性があるということは、すなわち量が十分に確保されているということだ。希少性があるというのは、要するに質がきちんと担保されていることを意味している。この両者を両立させることは難しい。だが、それを常に要求されるのが基軸通貨だ。基軸通貨というのは、決済通貨や外貨準備、そして投資される通貨なのであるから、流動性が確保される量を発行すべきなのである。しかしながら、カミッペラにすぎない紙幣、最近では電子的にしか存在しないが、過剰に流通させると価値が薄れて基軸通貨としての機能を果たせなくなってしまうのである。

流動性が十分であると同時に、希少性を損なわない通貨発行量のレベルをどう見出すか。この至難な問いかけに常に正解を提供できなければいけない。それができないようであれば、基軸通貨国たり得ないのである。

もちろん、日本がドルから基軸通貨の地位を勝ち取ったわけではなく、ユーロも人民元も基軸通貨となり得る状況ではない。ユーロについては、ギリシャ問題で噴出した構造的矛盾により、将来的に空中分解する可能性がある通貨であるから、基軸通貨としてはもとより、決済通貨としても突出して大きな役割を担うことになるとは考え難い。人民元は国際的責任を負うことを回避し続け、未だに不当な自国通貨安政策を改めようとはしない。そんな通貨が基軸通貨になりえないことは自明の理である。

実質的基軸通貨的存在感を持つに至っている円も実際には「円の国際化」が全く進んでいない。ドル安を容認し、輸出を倍増させようと考えている米国にはすでに基軸通貨国の資格がないことは言うまでもない。

(5)*ダイヤモンドオンラインより引用

革命後の国民は本当に幸福になれるのか?リビアの富を奪うために欧米諸国が仕掛けたカダフィ打倒

笹川平和財団アドバイザー・佐々木良昭

 

今年の2月に始まり半年にも及ぶ内戦の結果、リビアのカダフィ体制はほぼ崩壊したかに見える。世界のマスコミはこの勇気あるリビア国民の革命蜂起と成果を称賛する一方で、かつてアメリカのレーガン大統領が彼に浴びせかけた『狂犬』以上の罵倒をカダフィ大佐に浴びせかけ、独裁者、血ぬられた男、国民の大虐殺に踏み切った男と評した。

 実際にカダフィ体制下のリビアが西側諸国や革命派が主張するように、非民主的で非自由社会で非統一の国家だったか否かは、もう少し時間が経過しなければ分からない。革命派はこれらの諸問題の解決を標榜するが、実はリビアの将来には幾つもの難問と不安が待ち受けているのだ。

 石油輸出の停滞とインフラの復旧遅れが3年は続く

まず、リビア人に限らず利己主義的な感覚が強いアラブ人に共通する最重要課題は個人所得だが、リビアのこれまでのGDPは一人当たり14000ドルであった。リビア国民の個人的な経済状態が今までよりも良くなるか否かが、最も重要な社会安定の要素なのだが、悪くなると予測する方が正しいのではないか。

  その理由は当分の間(一部の専門家の予測では3年以上)、リビアの石油輸出が革命以前のレベルに戻れないからだ。95%以上の外貨収入を石油輸出に依存しているリビアにとっては、この石油輸出が遅滞することは、大きな痛手となる。

 そして今回の内戦で破壊された、インフラの再構築に膨大な費用が必要になろう。そのことが国民の生活に与える影響は、小さくあるまい。

 今回のリビア革命を、最初の段階から支援してきたイギリスとフランス、そしてアメリカは、当然のこととして新生リビア政府に対し対価を求めよう。もちろん、最初の段階ではこれらの国々はリビアに対し経済支援をするのであろうが、結果的には、これらの国々によって膨大なリビアの富が持ち去られるということを忘れてはならない。

そもそもイギリスとフランスがリビアに乗り込んで行ったのは、自国経済が破たん寸前だったからではないのか。リビアの富と石油を支配することによって自国の経済を復興させようとしたのであろう。

  こうなると新生リビア政府は、カダフィ大佐が大金を投入して築き上げたインフラの多くを、修復できないままで放置せざるを得なくなる。

 その中で一番問題になるのは、カダフィ大佐が造り上げたGMR(人間が作った偉大な川)だ。GMRとはリビア南部の地下水を汲み上げ、地中海沿岸地域に運び、農業用そして飲料として使うというものだ。このGMRの補修・手入れができなくなれば、人口が集中しているトリポリ市やベンガジ市は、一気に水が無い死の世界に変貌する危険性がある。

解決されていないイスラム宗派間の対立

リビアの今後で不安なのは、今回の革命で主導権を握ったメンバーの中には外国逃亡組が多数いるということだ。彼らはよく言えば穏健なイスラム教徒、きつい言い方をすれば欧米かぶれの世俗派である。

 リビアには元々サヌーシー派(サヌーシー教団とも呼ばれていた)という、イスラム原理主義の宗派の人たちが少なくなく、特に東部地域ではそうだ。それに加えエジプトと隣接していることもあり、ムスリム同胞団のメンバーも多いのだ。

 そうなると近い将来、欧米帰りの世俗派とイスラム原理主義者が衝突する場面が想定される。リビアの国内の対立衝突因子は部族間に限ったことばかりではないのだ。

 もちろん、そもそも今回の革命が始まった原因は、部族間に所得格差が生じたことによる、とされてきていた。それならば当然のことながら、今後新政府が結成されていく段階では部族間の富の配分バランスをどう調整するか、という大きな問題が解決されなければならない。

革命の火を放ったのはだれか

今回のリビアの革命で、忘れてはならない疑問点がある。今後の不安材料に繋がっていくのだが、そもそも誰が最初に今回の革命の火を放ったのかということだ。

 単純に言えば、リビアの民主化を求めた国民、ということになろうが、そんな単純なものではない。実は反体制の動きが起こった当初の段階で、パキスタンの情報部が、イギリス、フランス、アメリカが軍事顧問をベンガジに送り込んだ、という情報を伝えていた。

 カダフィ大佐に嫌われ、チャドに長い間派兵されていたハリーファ・ヘフタル大佐がチャドから他のアフリカの国に移動した後、彼と彼の部隊をアメリカが受け入れ20年もの間バージニアに匿っていた。そのハリーファ・ヘフタル大佐も内戦勃発と同時期にリビアのベンガジ市に戻っている。しかし不思議なことに彼の名は、いまだ全くリビアから聞こえてきていない。

 イギリス、フランスは反政府派が軍事行動を起こし始めると、彼らの軍事行動への具体的な支援を始め、飛行禁止区域の設定に加え、空爆、武器の供与が行われた。それにアメリカが後発で加わる。アメリカは無人機を多数送り込み、空爆を実行した。もちろん偵察衛星や偵察機で集めたカダフィ大佐側の軍の動きも逐一、反体制側に送られていたものと思われる。

 そして最終的には、カダフィ大佐側が追い込まれ、彼の住居とされていたバーブ・アジージーヤも反政府側によって落とされた。

 これで一件落着と言いたいところだが、そうは行かない。カダフィ大佐側が拠点を移して反攻に出る可能性が否定できない。彼にはいまだに、多数の武器と莫大な資金がある。

 だからと言ってカダフィ大佐にもこの革命の流れを変えることはできなかったはずだ。それは時代の変化ということに加え、リビアで起こっている革命戦争に欧米が全面的に介入しているからだ。ここまできて反政府側がカダフィ大佐側によって敗北させられたのでは、欧米の面子が丸つぶれになるばかりではなく、戦争に費やした費用が回収できなくなるからだ。欧米はなんとしても、カダフィ体制を打倒しリビアの富とエネルギー資源を、手中に収めようと考えている。

こうした欧米側の考えを裏付けているのが反体制側の要人たちの発言だ。現在反体制側の代表者となっている、ムスタファ・アブドッジャリール氏は「リビアに居住していたユダヤ人に帰ってきて欲しい」と呼びかけ、彼らがリビアの政治活動に参加することを期待している。彼以外にも、王制時代の閣僚の子息である、アハマド・シェイバーニ氏は「イスラエルとの協力関係が重要だ」と語っている。彼に言わせれば、イスラエルの持つ国際的な影響力を通じて、新生リビアが国際的認知を受けていく必要があるからだというのだ。

 何のことは無い、イギリスやフランスに加え、最初の段階からイスラエルやユダヤ人がリビアの革命に深く関係していた、ということではないのか。つまり、今回のリビアの革命騒ぎは、欧米諸国やイスラエルなどが、こぞってリビアの富を奪うために仕掛けたものだったということであろう。

 そのことをカダフィ大佐ははじめから分かっていたのであろう。だからこそ欧米に支援される革命派に対し、徹底抗戦を叫び続けたのだと思われる。結果的に彼は妥協するタイミングを失い、敗北していくことになった。この結果、リビアは欧米の新しい形の植民地支配下に置かれることになった。

(*苫米地英人著『脳と心の洗い方』より抜粋)

(7)サンフランシスコ講和条約の原文を見ると・・・

そこで実際にSan Francisco Peace Treatyの英文原文を読んでみますと、条約が効力を発する翌年四月二八日をもって終戦を宣言する第一条(a)に続く、独立を認めたとする第一上(b)の文面は、”The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over Japan and territorial waters”となっています。これは、日本語訳では「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全なる主権を承認する」と訳されています。

訳文は確かに、「日本国」の独立を認めた文言にも読めます。ところが、原文は、Japanese peopleと小文字でpeopleと言っているのであり、これは「日本人」、「もしくは日本の人たち」と訳すべきでしょう。「日本国民」と訳すのは誤訳です。

勿論、sovereigntyはフランス語語源で、ヨーロッパの伝統的な文脈では近代国家相互の対外主権と領土内の統治権の両方を表す言葉ですから、「主権」という訳語は誤訳ではないですが、統治権は人々にあるのであって、軍部や国家機関ではないという近代民主主義の理念を”full sovereignty of the Japanese people”と表現しているのであり、「領域の統治権は日本の人民にあると認識する」という統治権を表す文言には読めますが、日本という国の独立を認める意味での「対外主権」を表している文言と読むには無理があります。事実、同条約第二条以降は、対外主権の定義である、国としての最高独立性を強く制限しているのであり「対外主権」を表す言葉とするならばfullという言葉と本質的に矛盾しています。

また、sovereigntyという言葉は、合衆国である米国では、もともと各州に独立的自治権を認めている用語として使われている用語であり、当時の米国の政治環境並びにアメリカ史の連想から言えば、当時のアメリカ英語を現在の日本語のセンスで翻訳すれば「自治」という程度の用語でしょう。

ですから、「連合国は日本の人民による日本とその領海の充分なる自治を認める」程度が本来の翻訳でしょう。また、サンフランシスコ講和条約の日本語訳では、その後もJapanという言葉は全て、「日本国」と訳していますが、原文では、一度も、国としてのJapanを示唆する用法はありません。単に、TaiwanとかRyukyu Islandsといったterritoryを表す中立的な用語として、Japanという文言が使われているにすぎません。

サンフランシスコ講和条約には、Japanというterritoryには、Koreaは入らない等々、延々と、Japanという地域がどこからどこまでかということが書かれているのであり、条約全体の文脈からも、Japanは「日本」というサンフランシスコ講和条約で定義される領域を示す単語として使われており、国を表す言葉と読むのは、麗しすぎる誤訳です。条約のJapanは「日本国」ではなく「日本」と訳すべきところを、日本語訳のほうで、「日本国」という独立国が認められたかのような訳し方を意図的にしているだけです。

少なくとも、主権国家の定義である「国内統治権」と、「対外主権」の二つのうち、半分の統治権しか認められていないことは間違いないでしょう。

(8)日本人が、自分たちがモルモットとして人体実験されているというのに気がついたのは、広島・長崎に投下された二つの原子爆弾だった。人類史上初めて使われた大量破壊兵器であり、その威力があまりにも強力でそれ以降は一度も実際の戦争では使われていない。

投下した米国としては、その影響がどのようなものかを調査するのは当然のことだろう。米国は、2発の原子爆弾をヒロシマ・ナガサキに投下して、そのあとに多くの医師を派遣して原爆の影響を調査させたが、そのときに入ってきたのは医者だけではなかったことはよく知られている。軍事専門家は当然として、政治学者も心理学者も人類学者も哲学者も環境学者も物理学者も、ありとあらゆる専門家が両地域に派遣されて膨大なデータがアメリカに蓄積されていった。それが、先般のレポートで説明した試算被爆基準値T65Dをつくる元になったのである。

そして、今回の福島原発事故である。人口の多い地域である日本で起きた今回の事故はチェルノブイリを超える可能性のある核災害・放射能汚染の現場になった。

地震によって原子力発電所が破壊され、水素爆発(あるいは核爆発)を引き起こして4機の原発が次々と壊滅的な損傷をしていき、いまだに放射性物質を大気に飛び散らせている。これによって海洋と大地は汚染されて、しかも原発から250キロの地点にある首都圏にまで被害が及んでいる。

本来ならばすぐにでも避難しなければならなかった福島県の人たちを避難させずに、「放射線研究」をしている山下俊一氏を「放射線アドバイザー」に任命させて、今後の経過を見ようとしているかのようでである。

100ミリシーベルトまでは問題ない」、「笑っていれば放射能は逃げていく」と言って福島の人たちを「研究」しようとする山下俊一氏の姿勢は、まさに実験室でモルモット実験をしている科学者の態度である。

実際、この人は、この8月、ドイツのシュピーゲル誌のインタビューに答えて被験者は200万人の福島県民全員と答え、科学界に記録を打ち立てる大規模な研究なると正直に答えている。



 

 

 ごく当たり前の客観的な報道が日本では存在しないので、我々は本当のことを忙しい日々の中で把握できなくなっている。東日本大震災の海外からの支援についても同様である。以下の海外からの東日本大震災への支援状況を眺めていただきたい。

 *東日本大震災海外からの支援状況(http://wikiwiki.jp/h4j/#m48f54f7)より引用

•米国(軍人約8,000+救助隊144+専門家2+8=8,154名、救助犬12頭、義援金49億円以上、物資150トン)

•韓国(救助隊5+消防隊員102=107名、救助犬2頭、義援金約69,000万円、  ホウ酸52トン、その他援助物資)

•台湾(救助隊63名、義援金約28千万円+104億円、支援物資500トン以上)

•中国(救助隊15名、義援金7,200万円、ガソリン等燃料2万トン、36千万円相当の援助物資)

•インド(救援隊46名、毛布25,000枚、飲料水13,000本)

•パキスタン・イスラム共和国(食料等支援物資約23トン)

•タイ(義援金1,350万円、毛布1,000枚+20,000枚、タイ米15,000トンを含む援助物資)

•スリランカ(義援金8,200万円)

•マレーシア

•フィリピン(カップ麺など支援物資)

•ネパール(毛布5,000枚)

•オーストラリア(救助隊および専門家75名、救助犬2頭)

•ニュージーランド(救助隊7名+45名=52名)

•シンガポール(救助隊5名、救助犬5頭、毛布食料など支援物資)

•インドネシア(義援金約1億6千万円、救助隊15名)

•東ティモール(義援金約4千万円)

•サモア(義援金約820万円)

•トンガ王国(義援金約900万円)

•アフガニスタン(義援金約2.000万円)

•ウズベキスタン共和国(毛布、テントなど支援物資)

•キルギス共和国(飲料水2.5トン)

•モンゴル(援助隊12名、義援金約8,200万円、毛布等の援助物資)

•ブータン(義援金約8,200万円)

•カンボジア(義援金約1,000万円)

•ラオス(義援金約1,500万円)

•ベトナム(義援金約1,600万円)

•イラン・イスラム共和国(缶詰食料18トン)

•トルコ(救助隊32名以上)

ロシア(救助隊50+25+80=156名、毛布17,200枚他援助物資、天然ガス供給増)

•ウクライナ(毛布約2,000枚)

ドイツ(救助隊41名以上、救助犬3頭)

•スイス(救助隊27名、救助犬9頭)

フランス(救助隊100名以上、食料等支援物資150トン、その他原子力関連機材)

英国(救助隊および医療支援チーム計63名、救助犬2頭)

•クロアチア(義援金約5,600万円)

•ポーランド

•スロベニア(義援金1,730万円)

•エストニア共和国(義援金2,300万円)

•ラトビア共和国(義援金1,630万円)

•アイルランド(義援金約1億1,500万円)

•オランダ(義援金1億1,500万円)

•スロバキア(義援金1,150万円)

•カナダ(毛布約25,000枚)

•メキシコ(救助隊12名、救助犬6頭)

•ブラジル(義援金約4,200万円)

•ベネズエラ(毛布、飲料水、食料等の支援物資)

•南アフリカ共和国(救助隊49名、救助犬4頭)

•ガボン(義援金約8,200万円)

•タンザニア連合共和国(義援金約140万円)

•ボツワナ共和国(義援金約1,200万円)

•ナミビア共和国(義援金約8,200万円)

•スーダン(義援金約820万円)

•朝鮮民主主義人民共和国(義援金約810万円)

EU(義援金約12億円、毛布25,000枚など寝具70トン)

•国連(専門家5名)

•国際原子力機関(IAEA)(専門家4名)(引用終わり)

また、下記に書いてあるようにトモダチ作戦というものも非常に高いものだったようである。

(引用始め)

 米国軍から2万人の“トモダチ”が駆けつけた「トモダチ作戦」は日本のメディアでは大絶賛された。だが、そもそも8000万ドル(約67億円)が計上された「トモダチ作戦」は、もちろん無償の友情ではない。2011年度末の331日には民主、自民などの賛成多数で「思いやり予算の特別協定」が可決された。有効期限は従来の3年から5年に延長され、今後5年間、日本は米軍に現行水準(約 1880億円)を支払い続けることを決めた。

もともと、「思いやり予算の延長は民主党内に反対意見が多く、与党も外務省も年度内通過を諦めていた。ところが、米軍の支援がトモダチ作戦でムードが変わったために、今なら可決できると 踏み切った。」

米軍にしてみれば、海老で鯛を釣ったようなもの。「友情の請求書」こそ、現在の日米関係を象徴している。(週刊ポスト2011年4月29日号より)

 また、日本銀行が「東日本大震災」後の3月14日から8営業日連続で総額102兆6千億円の資金を銀行や証券会社向けのいわゆるコール市場、短期金融市場に投入している。(3月24日の朝日新聞より)。

 「日銀、8営業日連続の資金供給 短期金融市場に2兆円」
http://www.asahi.com/business/update/0324/TKY201103240098.html
 日本銀行は24日午前9時半過ぎ、銀行や証券会社などが必要な資金をやりとりする短期金融市場に2兆円の資金を供給する公開市場操作(オペ)を実施した。28日に金融機関に貸し出す分。日銀による大量資金供給は東日本大震災後の14日から8営業日連続で、資金供給の総額は102兆6千億円になる。(引用終わり) 

*それでは、日銀が震災直後から銀行に資金供給した102兆6千億円はどこ に消えたのか?

 日銀は102兆6千億円もの金をすでに金融機関に流していた。しかしながら、この資金が震災被災者の救援や被災地の復興に直接役立っているという話は一切聞こえてこない。ではこの資金はいったいどこに行ったのか?
 

日銀が資金供給した金融機関は3大メガバンク(三菱UFJフィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループ) と2大証券会社(野村証券、大和証券)である。この資金の使い道は「大震災の救済復興」を担当する政府ではなく直接は関係しない3大メガバンクと2大証券が握っている。

3大メガバンクと2大証券は融資の回収リスクがあったり、融資リターンが低い案件には決して融資も投資もしないから、102兆6千億の資金の大部分はいわゆる「円のキャリートレード」として国際金融資本(ゴールドマン・サックス、シティグループ、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ、JPモ ルガン)に低金利で貸し出されていたことになる。

米国ユダヤ系投資銀行=国際金融資本はこれらの資金を投機資金としてBrics各国へ投資し現地経済をバブル化させ、先進国の株、債券、国債へ投機して国家財政を破綻させ、原油、金、食料への買占めで価格暴騰を引き起こしている。
 3月11日にマグニチュード9.0の大地震に見舞われた日本の株価を630円も暴落させ円を76円代まで暴騰させたのは、人の不幸に乗じて金儲けをたくらむ強欲な米国国際金融資本の仕業であることは言うまでもない。
 経済ニュースで時々報道されるように、巨額の財政赤字と貿易赤字をハイパーインフレで一気に解消しようとする目論むオバマ政権とFRBは大量のドルを印刷して米国ユダヤ系投資銀行に流している。
 日本銀行は米国支配層の要請に応じて表向きは「大震災対応資金」と称して大量の円を印刷してゼロ金利で3大メガバンクと2大証券会社に流し、その大部分は米国に流れ莫大な投機資金となっている。 

 

さらに今秋日本政府は、米国債を中心にした外国債購入のために外国為替特別会計を積み上げている。円高回避という名目で米国債や欧州債を買い支えるためである。

(以下ニュース引用))

外国為替資金特別会計の借入限度枠を165兆円に引き上げ 

安住淳財務相が30日午前の閣議後会見を開き、財務省は外国為替市場での介入資金の原資となる外国為替資金特別会計の借入限度枠を現行の150兆円から15兆引き上げ 

 165兆円とし、今年度第3次補正予算に盛り込むとすることを明らかにした。 

 為替市場のモニタリング強化策として主要金融機関に求めていた為替ポジションの報告も今年12月末まで延長する。明らかにした。 

 為替介入の資金確保のために発行している政府短期証券の発行残高は現在約119兆円となっている。 

 今回の引き上げで過去最大規模の46兆円の発行余力を確保することになる。 

 同省は昨年9月2兆円規模の円売り・ドル買い介入、実施を受けて今年度予算で借入限度枠を5兆円引き上げた。

 また、今年3月(6925億円)、8月(4兆5129億円)の為替介入で残高が増加していた。

ウォン安回避で支援拡大 日韓首脳会談で合意

(産経MSNニュース2011.10.20 01:13より)





共同記者会見を終え握手する野田首相(左)と韓国の李明博大統領=19日午前、ソウルの青瓦台(共同)

【ソウル=阿比留瑠比】韓国訪問中の野田佳彦首相は19日、ソウルの青瓦台(大統領府)で、韓国の李明博大統領と会談した。両首脳は欧州金融不安を受けたウォン安回避に向け、韓国への資金支援枠を現行の130億ドル(約9900億円)から700億ドル(約5兆3600億円)に拡大することで合意した。平成16年から中断している経済連携協定(EPA)交渉の早期再開に向けて実務者レベルでの協議を加速化させることで一致した。

両首脳の会談は、9月の米ニューヨークでの国連総会以来2回目。両首脳は、元慰安婦や竹島の問題は触れず、未来志向の日韓関係を築いていくことで一致。「日韓新時代共同研究プロジェクト」第2期を始めることも合意した。(引用終わり)

 ソウルで李明博大統領と会談した野田総理は、韓国がウォン安を乗り切るために通貨融通枠を5倍にすると約束した。もともと韓国は政府自ら通貨介入でウォン安を作りだし、国際競争力を高めて利益を上げ続けてきた。しかし、今回のユーロ金融危機で投資資金が一気に引き揚げられてしまい、ウォン安が止められなくなった。自業自得である。反日姿勢を崩さず、困ったときだけ援助を求めてくる韓国政府に対しては、きちっとした対応が絶対必要である。日本とは領土問題もあったのではないか。

先日、中国が大量にドル売りを実行した事が明らかになっているが、当然、中国がドル売りをすれば、韓国もドル売りをしなくてはならない。それを売らないで済む様に日本に700億ドルものお金を米国が出させたのだろう。

ところで、TPPに参加しないと日本は韓国に負けるなどという人たちがいまだに日本のテレビ番組に登場するが、どういうつもりなのだろう。頭の中を覗いてみたいものだ。まず、TPPに参加すると、韓国と自由競争する国:日本が5兆円以上お金をその国に援助している異常さを指摘すべきではないかと思うのだが、

  ここで、上記に示した援助額をもう一度、見ていただきたい。米国の援助額は、「トモダチ作戦」をあわせても110億円ちょっとしかない。その見返りとして、米国が日本から引き出した金額は、間接的、直接的なものを含めて110兆円を超えている。実に一万倍である。一説によるとこの日本から引き出したお金でこの夏のドル危機を乗り切ったとも言われているが、今回引き上げられた米国債上限額引き上げ分と110兆円がほぼ同じ金額なのも意味深である。

  韓国の震災援助額は約7億円である。韓国は今回の日韓首脳会談で米国並みの約7500倍のお金を日本から引き出したことになる。

 上記の海外からの支援状況で注目すべきは、台湾である。あの小さな国の援助額が約107億円である。日本の大手マスコミはこのことをほとんど報道しないが、この国は何の見返りも求めずこれだけの援助を日本にしてくれたのである。

日本にとって本当の友達は誰か、一目瞭然であろう。

 

311 午後8時、李登輝元総統より日本語のメッセージ

「日本観測史上最大の「東北・太平洋沖地震」の発生をテレビで知りました。津波で押し流された家や車、そして、火災、家に戻れない方々。亡くなった方もおられます。負傷者もおられます。

次々報道される災害状況を見て1999921日、台湾で起きた大地震を思い出すと同時に、現在の日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じております。

人間には力の及ばない大自然の猛威を前に、畏敬の念は抱いても、決して「運命だ!」と諦めないでください!元気を出してください!自信と勇気を奮い起こしてください!

今は、一刻も早く地震の余波が収まることと復旧を、遠い台湾の空の下でお祈りしております。」

  李登輝氏

福島原発事故から半年以上が経過した。



    振り返ってみれば、この事故が起こるまでは、電力会社からもマスコミからも、日本の技術は優秀だから原子力発電所は絶対に安全だというメッセージしか、私のような一般人には伝わらないようにされてきたような気がする。それはもちろん、「原子力村」とも言われる利益共同体の大きな意志、意図が働いてそうなったのだろう。

  私自身もエネルギー技術関連の知人がいて今までにいろいろなことを教えてくれたにもかかわらず、たとえば、「現在の原子炉の耐用年数は20年位しかない。」「日本の原子炉の設計の大半はGEで、本当に大切な技術は日本に公開されていない、つまり、ブラックボックスになっているので、大きな事故があったら、日本だけでは対応できないだろう。」

「人間がつくったもので、壊れないものがあるはずないだろう。」

とにかく、いろいろなことを言われたが、原発について真剣に考えることもなく日々を過ごしてきたというのが本当のところだ。

そう言えば、小学生の頃、東海村の原子力のPRフイルムを見せられた記憶がある。人類の輝かしい未来を切り開く新エネルギー:原子力の研究が私たちの日本でも行われているという原子力という技術によるバラ色の未来を宣伝するものだった。私の記憶に今でも生々しいのは、放射線を照射して突然変異の研究をしているというものだった。

  しかしながら、311以後、多くの方が、気がつき始めているが、現在の原子力技術は我々にバラ色の未来を約束するものではどうもなさそうだ。

また、今回の事故に対する政府、東電、マスコミの対応は、あまりにも不誠実であった。

 子供のことを心配するお母さん方や、わたしのような素人が原子力や放射線の本を読まなければならない時代を誰が想像しただろうか。 



今回は、この半年間読んだ本から気になったものをお忙しい方のために少しご紹介したい。



   まずは、「原爆ぶらぶら病」のことを教えてくれた「内部被曝の脅威」という本から紹介させていただく。福島県産の食品を積極的に食して被災者を支援していた芥川賞作家の柳 美里女史がぶらぶら病の症状を発症しているかもしれないというニュースから読んでいただきたい。 

 

芥川賞作家・柳美里さんに「原爆ぶらぶら病」の声も 

ライブドアニュース2011年09月09日12時00分

 

 芥川賞作家・柳美里さんがこのところ自身のツイッター上で体調の異変を訴えているが、福島県産の食べ物などを摂っていたことから、インターネット上では一部に食べ物が原因ではないかとの声も上がっている。 

 柳さんは「ふしぎだよね。福島に取材に行ったり、福島産の食べものを美味しいと言ったりすると、フォロワーが減る」と過去にツイートしており、「わたしは、食べますよ」と反論している。 

ただ自身の子供については、東日本産の疑いのある食材や水などは食べさせていないという。 

 体中に激痛が走るそうで、その原因を「たぶん同居男性の三叉神経痛が染ったんだと思う。拷問のような頭痛と吐き気。顔も痛い。目が押し出されそう」などと書いている。 

 こうした一連のツイートは7月下旬から始まって、現在も続いており、これらを見た一部ユーザーからは「原爆ぶらぶら病」ではないかという指摘もある。 

 ぶらぶら病とは、一度何らかの病気になると、人並みに働くことさえ困難となり、また重病化してしまうとされている。

それでは、本の一部を紹介させていただく。以下、引用抜粋。



「内部被爆の脅威」肥田舜太郎/鎌仲ひとみ著 

(ちくま新書 2005年6月10日発行)

 

被ばく者はアメリカのモルモット

 *48Pから

一九四九年、広島の比治山にアメリカのABCC(Atomic Bomb Casually Commission),

原爆傷害調査委員会)が開所した。被ばく者を集めて被ばくの診察、検査を行い、治療は一切行わず、死亡者は全身を解剖して全ての臓器をアメリカへ送って、放射線障害研究の資料とした。はじめは藁をつめた遺体が遺族に渡されたが、最後のころは親指だけになったと、労務者が憤慨して語っていた。

 敗戦直後に広島に入って調査、研究を行った京大医学部の「原爆傷害に関する報告第一~第四」は人体の脳と背中の燐が放射化し、骨髄の造血機能を傷害して、一定の潜伏期を経た後、死亡させるメカニズムを指摘したが、研究記録はすべて占領米軍に提供させられ、以後、日本の学会の調査、研究は禁止され、或いは制約を受けて、臨床の現場の医師には原爆放射線の傷害に関する情報は全く届かなかった。

 「ぶらぶら病」

*51pから

「ぶらぶら病」寝込むほどではないが、具合が悪い状態が続く病気。

 55pから~

二〇〇五年の今年、生き残っている約二十七万の披ばく者の多くは二つ、三つの病気を待ちながら、様々な不安や悩みを抱えて生き続けている。

 彼らの多くは披ばくの前は病気を知らず、健康優良児として表彰までされたのが、披ばく後はからだがすっかり変わり、病気がちで思うように働けず、少し働くとからだがだるくて根気が続かずに仕事を休みがちになった。医師に相談していろいろ検査を受けても、どこも異常がないと診断され、当時、よく使われたぶらぶら病の状態が続き、仲間や家族からは怠け者というレッテルを貼られたつらい記憶を持つものが少なくない。事実、「からだがこんなになったのは原爆のせい」とひそかに思いながら披ばくの事実を隠し続け、誰からも理解されずに社会の底辺で不本意な人生を歩いた被ばく者を私は何人も診ている。

 110pから~

『広島・長崎の原爆被害とその後遺―――国運事務総長への報告』

2-2 被害の医学的実態

(2)後障害

(g)原爆ぶらぶら病(当時はまだ症候群とは呼んでいなかった)

 原爆症の後障害のうちで、とくに重要と思われるものに「原爆ぶらぶら病」がある。被爆後三十年をこえた今日まで、長期にわたって被爆者を苦しめてきた「原爆ぶらぶら病」の実態は、次のようなものである。

 1被爆前は全く健康で病気ひとつしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな病   気が重なり、今でもいくつかの内臓系慢性疾患を合併した状態で、わずかなストレスによっても症状の増悪を現わす人びとがある(中・高年齢層に多い)。〔中略〕

 2簡単な一般検診では異常が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れやすい」「身体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人なみに働けないためにまともな職業につけず、家事も十分にやってゆけない人びとがある(若年者・中年者 が多い)。

3平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。

 4病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。

 以上に示すように「原爆ぶらぶら病」はその本態が明らかでなく、「被爆者の訴える自覚症状」は、がん固で、ルーチンの検査で異常を発見できないばあいが多い。〔後略〕

 性的不全

 同書51pから~

彼女の相談したかったことというのは、夫婦生活のことで、ある時期から夫の要求に100パーセント応えきれなくなった自分の体調の不甲斐なさの原因を調べて、それまでのように円満に夫婦生活を送れる「女」に変えるにはどうしたらよいかを相談したかったというのである。

 ・・・略・・・

 ある時から夫の気持ちの高ぶりに応えて自分も燃え、頂上へあと一息というときに急に気持ちが萎えて、下半身から力が抜けてしまうのだという。熱くなっている背中にいきなり水をかけられたよう、と書いている。

 実は、彼女は原爆後、半年ぐらい経った頃から、時々、急にからだがだるくなり、手足の力が弱くなって立っているのが辛く、どうしても座らなくてはいられなくなることがあった。半日ぐらいでよくなることもあるし、何日聞か続くこともあった。医師に話したこともあったが、気のせいだと取り上げてもらえなかった。

 ペトカウの実験

 同書90Pから~

    放射線の人体に対する影響の医学的な解明を阻んでいた壁の一つは、放射線に対する細胞膜の強大な障壁だった。アブラム・ペトカワは1972年、マニトバにあるカナダ原子力委員会のホワイトシェル研究所で全くの偶然からノーベル賞に匹敵する次のような大発見をした。

即ち、「 液体の中に置かれた細胞は、高線量放射線による頻回の反復放射よりも、低線量放射線を長時間、放射することによって容易に細胞膜を破壊することができる。」

ことを実験で確かめたのである。

ペトカワは牛の脳から抽出したリン脂質で作った細胞膜モデルに放射線を照射して、

どのくらいの線量で幕を破壊できるかの実験をしていた。エックス線の大装置から15.6シーベルト/分の放射線(許容量は一ミリシーベルト/年)を58時間、全量35シーベルトを照射してようやく細胞膜を破壊することができた。

ところが実験を繰り返すうち、誤って試験材料を少量の放射性ナトリウム22が混じった水の中に落としてしまった。リン脂質の膜は0.00001シーベルト/分の放射線を受け、全量0・007シーベルトを12分間被曝して破壊されてしまった。

彼は何度も同じ実験を繰り返しその都度、同じ結果を得た。

そして、放射時間を長く延ばせば延ばすほど、細胞膜破壊に必用な放射線が少なくて済むことを確かめた。

こうして、「 長時間、低線量放射線を放射する方が、高線量放射線を瞬間放射するよりたやすく細胞膜を破壊する 」ことが、確かな根拠を持って証明されたのである。

これが、今までの考え方を180度転換させた「 ペトカワ効果 」と呼ばれる学説である。

(引用おわり)

 興味深い事実が書かれていることに吃驚された方もいるのではないか。

この本のなかで、米国のピッツバーグ大学医学部教授だったスターダラス氏の「死にすぎた赤ん坊~低レベル放射線の恐怖~(Low Level radiation)(時事通信社)に対する言及がある。

 当時、ABCC(原爆傷害調査委員会)が広島、長崎の胎児・乳幼児には先天性奇形などの異常がなかったとした発表は誤りだったと指摘し、理由はABCCが死の灰の影響を全く考慮せず、当然影響のあった住民を比較の対象に選んだことにあると断定している。

 米国は意図的に原爆の被害を最小に見積もりたかったのである。 

   そしてこの調査研究がその後の、ICRP (International Commission on Radiological Protection国際放射線防護委員会)による安全基準に大きく影響を与えていくことになるのである。そう言った意味で大変重要な意味を持つ米国による行為であった。

 そしてこのことは、内橋克人氏の「日本の原発、どこで間違えたのか」(朝日新聞出版)第三章 人工放射能の恐怖「放射線はスロー・デスを招く」に詳細に述べられている。

(以下、引用)

  バベルの塔を築くT65D

   一九六八年、アメリカの「オークリッジ国立研究所」が、ある推計に基づく「暫定値」を発表した。それまで諸説激しく分かれるところとなっていた広島・長崎両原爆投下時の、「放射線量」について、こういうふうに推定されるという暫定的な計算値であった。

彼らが根拠としたのは、ネバダ核実験はじめ過去に行われた核実験の際の測定値である。

オークリッジ国立研究所の推計委によってまとめられた、この「広島・長崎両原爆投下時における放射線量」の暫定値は「T65D」と呼ばれた。

もともと広島・長崎両原爆については、投下時の放射線量がいまもって定かではなく、推定値によるほかない。(中略)

実は、オークリッジ国立研究所がまとめたその暫定値、肝心の「計算根拠」がいっさい示されていなかったのである。

 原爆中性子の分布を示すデータがすべて「軍事機密」の厚い壁の中に塗り込められたままになっていたからだ。

 根拠が示されぬまま、T65Dのひとり歩きが始まり、それはやがてICRPなどの絶大な権威の後ろ盾を得て、世界に大手を振って通用していった。(引用おわり)



   お気づきになったと思うが、今、子供たちを放射線から守ろうと大きな声を上げている武田邦彦教授の根拠は、(もしかしたら、随分甘いかもしれない)ICRPの基準値なのである。

 それでも彼は日本のテレビで極端なこと言うドンキホーテのように扱われている。

それでは、子供のことを心配するお母様方を中心に多いときには30万件以上のアクセスがあるというブログで武田教授がどんなことを書いているか見てみよう。

まず、用語解説 *T65Dとは

“Tentative 65 Dose”の略で、1965年に作られた暫定値、という意味。世界中の全ての原発が、まさにこの『仮定』のうえに建設され運転している。ICRP勧告も、このT65Dという『仮定』の上に成り立っている。

アメリカのオークリッジ国立研究所が1966年に「広島・長崎原爆投下時における放射線量」の「推定値」を発表した。これがT65Dと呼ばれており、ネバダでの核実験はじめ過去の核実験をもとにした推定値である。

広島・長崎の原爆投下による放射線量はいまだもって定かではなく、推定でもってしか測ることができない。そこで推定値となるT65Dと、原爆被災者の白血病やガンの発病率をつきあわせることによって、人間はどれくらいの放射線を浴びるとどうなるかという基礎データをまとめた。

現在よく知られている、○○シーベルト以上は全員死亡とか、△△シーベルトではリンパ球が減少、といった説もオークリッジ研究所の発表した基礎データがもとになっている。ICRP勧告も同様に、この基礎データがもとになっている。

 (以下引用)武田邦彦教授のブログより

 最近の情勢から(1)

(平成23年10月7日)

 福島原発事故から半年。多くのことが「手遅れ」になりましたが、それでも今日もまた最善を尽くして行かなければなりません。いつの世もそうですが、本質的ではないことに話が及ぶこともあり、それが解決を遅らせるのも人間社会ですから仕方が無いことです。でも間違った情報に惑わされることなく、子供を守っていきたいと思います。メールなどで寄せられていることを書きました。

 1) 全国への放射線への拡散(九州はどうか?)

   外部被曝と土埃を心配しなければならないのは、福島、茨城、栃木、埼玉、東京、千葉の北部、山形の福島側、宮城の南部と北部、ホットスポット(早川先生データ)です。(本当は一関などもそうなのですが、一関の放射線量が高いと書くと、一関や岩手の方から抗議が来ます。放射線量が高いのだから事実をそのまま見ないと子供たちを被曝させることになるのですが、農家の方の力が強く、汚染された農作物をどうしても出荷したいようで、こまったものです。)

  食材は、静岡以北の太平洋側(北海道、青森、岩手、宮城、福島、千葉、神奈川、静岡)は、魚はもっとも注意を要します。中部圏から関西、四国、九州、沖縄、日本海側、北海道日本海側、オホーツク側の魚、貝、海草は大丈夫です。北海道は海流の関係で太平洋側の魚が50ベクレルぐらいになりまして、残念ですが、しばらく控えた方がよいでしょう。

野菜などは外部線量が問題の地域(最初に書いた地域)のものはできるだけ避けるようにしてください。新米も同じですが、もう少し様子を見ることと、玄米および玄米の製品はより注意が必要です(玄米の方が、圧倒的にセシウムが多くなる。米は怪しかったらよく水でとぐ。野菜も怪しかったら煮て煮汁を捨てることで5分の1になる。)

牛乳などの乳製品は注意しなければならず、同じ物を続けて食べないことや量を減らすことが大切です。外国製品などで補ってください。卵は上記地域の物以外は大丈夫です。水耕栽培のキノコ、もやしもOK。

マスクは放射性物質がかなりコンクリートや土にへばりつくようになってきたので、飛散量は減っています.その代わり除染が難しくなっています。雨は心配ありませんが、雨の日に外出した場合は、靴は外で拭いた方が良いでしょう。

やや落ち着いて来ましたから、身の回りを見て3月に汚染されたと思われる家具、絨毯、その他の洗浄などを計画すると良いと思います。

 2) 子供の体に放射性物質

 子供の甲状腺の検査結果がでましたが、医学的に異常かどうかはこれからの様子を見ることになります。しかし、今頃になって民間が子供の診察をするようでは話にならず、継続的に福島の子供たちの健康診断を重ねて貰いたいものです。

また、子供の尿などからセシウムがでる例が増えてきました。これは汚染された地域、もしくは食材などからどうしても入ってきます。汚染のレベルが問題ですが、尿中に1キロ1ベクレルを超えるようなら少し気をつけてください。今、尿中に出る濃度との関係を検討しています。ボディーカウンターより尿中のセシウムを測定した方が被曝の状態はわかりやすいと思いますが、それでもヨウ素はすでに半減期をかなり大きく過ぎているのであまり正確にはわかりませんので、できる限り注意することが大切です。

体内にセシウムが取り込まれると、そのまま排泄されるものと体内の筋肉などに残る物があります。体内のものを計算するのが「内部被曝計算」で、摂取してから50年間の被曝量を計算するのですが、原発事故がなく一回限りの場合と、今回のように毎日のように被曝する場合とでは計算はかなり違います。ネットを見ていると一回限りの被曝計算をして「たいしたことはない」と言っている人もいるので注意を要します。

また50年間といっても最初の3ヶ月がほとんどですから、それも間違わないでください。

体内の被曝もセシウムの場合、あまり特定の箇所に蓄積することもないので、被曝計算で大丈夫です。その点では、1キロ20ベクレル以下の食材(このブログでの注意は20ベクレルぐらいを念頭に置いています。外部被曝、呼吸なども加味しています。)が相変わらず子供を守るポイントでしょう。

(少し長くなって、時間が無くなってきたので、とりあえず、これでアップし、また書きます)

 広域の汚染について・・・引っ越し?除染??

(平成23年10月9日) 

 群馬大学の早川教授のマップのあと、2ヶ月ほど遅れて文科省から広域の土壌汚染についての調査結果が発表されました。まずは、それを見て、「逃げなければいけないところ」、「東電が直ちに除染しなければならないところ」をハッキリさせたいと思います。



 

この地図で「青、緑、赤系統」の色のついたところ、つまり茶色系の色のついたところはおよそ「1平方メートルあたり4万ベクレル」が観測されています。放射性ヨウ素が合った時代のデータも示して欲しいが、今の政府では期待できませんから、せめてセシウムのデータで考えてみたいと思います。

 1) 最初に流れた伊達市、福島市、二本松市、郡山市、日光市、沼田市、東京の奥多摩までの流れ、

2) 二回目のいわき市、水戸市、土浦市、松戸市、葛飾区までの流れ、

3) 地図にはありませんが、岩手県南部への流れ(最近、岩手県の危険性を指摘すると、あまりにもしつこく文句を言われるので、岩手県の危険性については暫く、記述を止めます)、の3つがあります。繰り返していますが、原発の事故による汚染は原発からの距離より死の灰がどこに流れたかで決定されます。風と気流や雨で地表に落ちたところをそのまま描いているのがこの地図です。

  新聞にはこの測定値と日本の法律との関係はなにも説明されていませんでしたが、日本は法治国家ですから、法律ではどうなっているのか、まず見てみましょう。法律で決められた数値は福島原発が起こる前に日本の放射線防護の専門家が頭を絞って「被曝から国民を守る」ことを考えての基準です。

「電離放射線障害防止規則」(他の法律も日本の法律であるかぎり、相互に矛盾はありませんので、法律論争ではなく「健康」を問題にするときにはどの法律を使ってもほぼ同じです)を参考にします。この法律(規則)を使うのは、法律にしては見やすいのと、2011年1月に改訂され、もっとも新しい考えが入っているからです。

 

                                                                                                                         



 第28条には放射性物質を扱う人が間違って普通の場所を放射性物質で汚した場合、「標識をたて」、「速やかに除染すること」を求めていて、その値は別表第三に示した値の10分の1であることを明確に示しています。

  別表第三には次のようにアルファ線を出すものと、アルファ線を出さないものに分かれていて、セシウムはアルファ線を出さないので、1平方センチメートルあたり40ベクレルですから、この10分の1の4ベクレル。従って1平方メートルあたり4万ベクレルが「基準値」になります。東電は、土壌の表面が1平方メートルあたり4万ベクレル以上になる地域は、1)土壌飛散防止剤を散布し、2)すぐ標識をたてて、3)除染しなければなりません。















 

 

 地図で言うと茶色以外のところはすべて東電がすぐ社員を派遣して除染するところです。まず、私たちはこのことをハッキリ認識しないと先に進めませんし、新聞やテレビがなぜこれを言わなかったのかについても十分に考えてみる必要があります。マスコミがいかに東電に甘いかがよくわかります。

 (なお、面倒な法律論争や重箱の隅をつつくような議論ではなく、愛情をもってそこに住む人の健康だけに関心がある議論をしてください。)

 つまり、地図の青、黄緑、橙などの色の地域は「3月11日以前なら住むことができない場所」であることが判ります。一刻も早く移住か除染が必要ですし、そこの物品や人は自由な移動ができません。(引用終わり)



ICRPのもしかしたら甘いかもしれない基準を元にして武田教授はこのように指摘しているのである。

如何に本当のことが報道されていないかを我々は今一度、認識すべきであろう。



  もう一冊紹介させていただく。「原発事故はなぜくりかえすのか」高木仁三郎著(岩波新書)である。松岡正剛氏の書評を以下、編集して紹介させていただく。(以下引用)

本書には、原発事故はなくならないということが「原子力文化というものなんてありえない」という視点から、繰り返し説かれている。

「原子力は文明であるかもしれないが、とうてい文化にはなりえない」というのが高木仁三郎の確信なのである。

 たしかに原子力技術にもとづいた原子力文明はありうるだろう。また、原子力発電がすでにそうなっているのだけれど、利潤を追求する原子力産業もありうるし、医療や宇宙開発に応用することも可能であろう。けれども生活の安心や安全を満喫する原子力文化がどこかにあるとは思えない。このことを高木氏は原子力技術の研究開発にかかわった現場で実感したようである。

 高木仁三郎が日本原子力事業という会社に入ったのは、東大理学部化学科卒業直後の1961年である。1955年に原子力基本法ができて、その翌年から日本の原子力研究が少しずつ本格化すると、三井(東芝)・三菱・日立・富士・住友などによる原子力産業グループが形成されるのだが、高木が入ったのはその三井系の会社だった。

 そこは東芝や石川島播磨や三井東圧から派遣された人材によって構成されていたらしく、高木は核化学研究室に配属になった。核化学はもともと彼の専門で、ウェット・ケミストリーとして放射性物質を水溶液状態で扱う研究開発に携わった。むろん心高鳴る職場であったはずなのだが(当時、原子力産業は学生に非常に人気が高く、工学部のエリートのほとんどが憧れていた)、しかし実情は、原子力委員会が組み上げた「日本の国産炉」をどうするかという計画の前で、①まず研究所をつくる、②そこに実験原子炉をつくる、③それに関連した仕事をみんなでやるというようなことしか、決まっていなかった。

 はっきり言って「無思想」だったのである。

1999年9月30日の東海村JCOでおきた臨界事故は、病身の高木仁三郎氏を激怒させ、悲しみの深淵に突き落としたようである。核燃料加工のプロセスで本来の手順を逸脱してウラン235の高濃度溶液が一つの容器に集中し、そのため核分裂反応が持続したまま中性子がこの世に放出された事故だった。

 80日後、現場作業員の大内久氏が放射線急性障害で死亡し、ついで二人目の篠原理人氏が大量被爆で死亡した。日本の原子力開発がもたらした初めての死亡事故である。これで日本人は三度、青い光の告発を受けることになってしまった。

 青い光というのは、原子炉で核分裂反応の高いエネルギーをもった粒子が水の中を通過するときに発する特殊な光のことである。核爆発や核分裂の現象に特有の光で、科学用語では「チェレンコフの光」という。日本人はこの青い光を、第1には1945年8月6日に広島で、第2には8月9日の長崎で、そしてそれから54年たった東海村で見ることになった。そのほか1954年3月1日に、ビキニ環礁で被爆して死亡した第五福竜丸の久保山愛吉氏も、チェレンコフの光から派生した光を見たかもしれない。

 JCO臨界事故は、濃縮ウラン溶液を手作業でバケツ7杯も運んだせいだと言われているが、そのようなことをさせた原子力関係者の意識が大問題になった。



 原発事故については、高木氏は基本的には二つに大別できると言っていた。Aは暴走事故型で、核分裂反応の制御に失敗する事故である。Bは冷却に失敗して炉心が溶けるという事故、すなわちメルトダウンにいたる事故である。しかし当時から、これらの複合型の事故もおこりうる、その危険性のほうがかえって高いとも警告し、その複合性を技術はカバーしきれないのではないかと見ていた。

 たとえば暴走には、エネルギー出力の反応度の事故と原子炉の事故があり、後者の場合は燃料棒が壊れるだけでなく、それによって熱くなった燃料と蒸気が接触すると蒸気爆発になることも、その途中で水が分解して水素になり、それが水素爆発になることもあり、一方、冷却材が破損あるいは喪失した場合は、メルトダウンがおこって炉心が溶けるだけでなく、そのまま原子炉の底を貫通して放射能が外部に漏れたり、それが他のエネルギーに転換して蒸気爆発や水素爆発を併発させることがありうるとも予告していたのである。

 高木氏は原発事故のほとんどすべてを予見していたわけである。

そもそも高木氏は「プルトニウム社会」というものを問題にしてきたのだった。

  一言でいえば、プルトニウムは原爆開発のために人工的につくられた元素である。核分裂性と毒性がやたらに高い物質で、核兵器の大半に使われる。たった1グラムでも人の命を脅かす。そのプルトニウムは、なぜ原発と関係があるのか。

 もともと原子炉による原子力発電にはウラン235とウラン238が使われてきた。この数字は原子核をつくる粒子、すなわち陽子+中性子の数をいう。ウラン235に中性子が衝突すると原子核が分裂して熱を出す。ウラン238に中性子が衝突しても核分裂はあまりおこらず、そのかわりに中性子を吸収してごく短時間でプルトニウム239に変化することが多い。そのプルトニウムに中性子が衝突すると原子核が分裂して熱を出す。これらの熱を利用して蒸気をつくり、タービンを回すのが原子力発電の基本原理になっている。

 この原理で発電するとき、地中から採掘される天然ウランには「核分裂するウラン235」がわずか0・7パーセントしか含有していない。たいへんな希少価値になる。一方、「核分裂しないウラン238」を使えばプルトニウムに変えられるから、かなりの有効活用ができる。

 これらのことから、原子力発電をするとプルトニウムが抽出できて、それを再処理できるということになってきた。100万キロワット級の軽水炉を1年間フルに動かせば、約250キログラムのプルトニウムが生成できる。ただしこれは、日本の全人口を何度かにわたってガンで致死できる量である。プルトニウムが1キロほどあれば一個の原爆が作れるし、日本中の43基の原発が稼働すれば、毎日原爆2~3個が作れるという計算になる。

 アメリカは原発王国ではあるが、核兵器用のプルトニウムをしこたま保有しているものの、民間原発からはプルトニウムを取り出していない。ドイツと日本がプルトニウム再処理をして核燃料サイクルを確立しようとしてきた。いまやドイツはこれをやめようとしているが、日本はまだそこまで踏み切っていない。なぜなら核燃料サイクルがあれば、燃料の有効利用ができて、ウランに依存するよりずっと効率的になるからである。

 こうして日本はプルトニウムをふやすしくみに開発費をかけることにした。それが高速増殖炉の開発で、「もんじゅ」に結実した?のである。



 高速増殖炉は中心部にプルトニウムを20パーセント前後に濃縮したMOX燃料(ウラン・プルトラウム混合酸化物燃料)を入れておいて、その周囲にウラン238を配置して、高温度の金属ナトリウムをドロドロの液体にして使う。

 中心部のプルトニウムが核分裂しながら、その熱をナトリウムに伝えて発電エネルギーとしていくと、核から飛び出した高速の中性子がナトリウムの中を走るので、これを首尾よくウラン238に保革させようというしくみなのである。これでウランがプルトニウム239に変化していく。

 その結果、消費されたプルトニウムより、新しく生まれたプルトニウムの量が多ければ、資源が増していくということになる。発電ができて資源も増加するから、一石二鳥なのである。

  しかし、1995年に「もんじゅ」はナトリウム火災をおこして、停止した。核燃料再処理サイクルは止まったままである。

 高木氏は、このようなプルトニウムを活用しようとする社会そのものが病んでいるのではないかと告発しつづけたのだった。(引用終わり)



 現在、日本が目指した核燃料リサイクルもすでに失敗したと言ってもよい状態である。六ヶ所村もすでにいっぱいで、もうすでに使い済み核燃料を日本では処理する場所がなくなりつつある。だから、原子炉のすぐそばに多くの使い済み核燃料をプールしておくような危険なことをしているのである。

  ところで、5月には、静岡茶からセシウムが検出された。また最近、静岡県伊豆の干し椎茸からも基準値を大幅に上回るセシウムが検出されたようである。

政府が浜岡原発の停止を要請したのは、米国の意向が働いていたという説がある。大前研一氏も、浜岡原発を止めろと米国政府の圧力があって、それを無批判に受け入れた結果だと述べている。

米国が浜岡原発を懸念するのは、横須賀基地が放射能で汚染される事態を想定しているからだ。その場合、単に停止させても無意味なことぐらい米軍も承知しているはずである。米国の要請は別の理由からなされたと言われている。311の大地震で浜岡原発が壊れ、放射能が漏れ出していたためだというものだ。

浜岡の事故が事実なら、米国の要請は当然のことである。

もし放射能漏れを起こしていたのなら、名古屋方面にも流れていったはずだが、静岡のお茶に比較的高い濃度の放射性物質が検出されたのは、このためかも知れない。

放射線は目に見えないので、政府も電力会社もマスコミも本当のことを言わなくてもすぐにはわからない、そのために随分おかしなことがまかり通っているようだ。

 そのことを心して自己防衛する時代に入ったようである。



*わかりやすい図表を載せておきます。

野田政権が発足し、増税路線が規定のことのようにマスコミでも語られている。 

それでは、本当の処はどうなっているのか、考えてみよう。

現在、日本という国は、311以後、多くの日本人が、気がついたように本当に不思議な国として世界に存在している。そう言えば、昔、ボール・ボネという自称フランス人が日本の不思議をエッセイにして週刊ダイヤモンドに連載していた。

現在の南方熊楠のような松岡正剛氏が言うように明治維新後、ある意味無理矢理造った「キリスト教国家に対抗するための国家神道の日本」もかなり彼が言う「日本という方法」からは、乖離してしまっているが、1945年以降、米国占領後の日本というのは、本当に背骨のない、捉えようがない不思議な国家になってしまっている。

その中で、戦後教育を受けて活躍する日本のエリートたちは、ノブレス・オブリージュ( noblesse oblige)とは全く懸け離れた行動原理で動いている。

どうも彼らは、自分のことと、省益を拡大することしか考えていないようなのである。

 

現在、「日本は財政危機である。」「日本の国債はバブルであり、いずれ暴落する。」「東日本大震災の復興は、まず財源確保のための増税が必要だ。」いろいろなことが、エリート財務官僚の意図的な誘導によってマスコミで報道されている。表舞台に立たされている政治家の裏で、私たちには顔の見えないエリート財務官僚の本音はどこにあるのか。

(1)日本国債の格付けが米国のムーディーズやS&Pが日本人から見ると本当に随分な格付けの引き下げを恣意的に行なっている。日本のマスコミでも大前研一氏のような有名評論家が、日本国債の暴落に言及し、日本人の危機感を煽っている。他にも同様のことを、言っている有名評論家は多数いる。

それでは、日本のエリート財務官僚はどのように考えているのか。

答えは、財務省のホームページにある。

(以下財務省のホームページより引用)

<外国格付け会社宛意見書要旨>

1.貴社による日本国債の格付けについては、当方としては日本経済の強固なファンダメンタルズを考えると既に低過ぎ、更なる格下げは根拠を欠くと考えている。貴社の格付け判定は、従来より、定性的な説明が大宗である一方、客観的な基   準を欠き、これは、格付けの信頼性にも関わる大きな問題と考えている。

  従って、以下の諸点に関し、貴社の考え方を具体的・定量的に明らかにされたい。

  

 (1)日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。

 

 (2)格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべきである。

   例えば、以下の要素をどのように評価しているのか。

   ・マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国

   ・その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている

   ・日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高

 

 (3) 各国間の格付けの整合性に疑問。次のような例はどのように説明されるのか。

   ・一人当たりのGDPが日本の1/3でかつ大きな経常赤字国でも、日本より格付けが高い国がある。

   ・1976年のポンド危機とIMF借入れの僅か2年後(1978年)に発行された英国の外債や双子の赤字の持続性が疑問視された1980年代半ばの米国債はAAA格を維持した。

   ・日本国債がシングルAに格下げされれば、日本より経済のファンダメンタルズではるかに格差のある新興市場国と同格付けとなる。

 

2.以上の疑問の提示は、日本政府が改革について真剣ではないということでは全くない。政府は実際、財政構造改革をはじめとする各般の構造改革を真摯に遂行している。同時に、格付けについて、市場はより客観性・透明性の高い方法論や基準を必 要としている。

<ムーディーズ宛返信大要>

1.貴社の説明は依然定性的であり、デフォルト・リスクや国際比較についての具体的・定量的説明が不十分。格付けがデフォルト・リスクを差別化して分類している以上、単に、一国の経済・財政状況や政策の方向性の記述ではなく、格付けの差の客観的理由を説明すべき。説明の欠如は、ソブリン債の短い歴史や統計的正当性の不足ともあいまって、ソブリン債の格付けの信頼性自体への疑問を増大させよう。貴社のソブリン債のデフォルト・リスクの計測に際しては、財政指標以外の経済のファンダメンタルズ等の要素はどの程度考慮されているのか。

2.貴社は日本国債のデフォルト・リスクとして、「将来の政府は国債に対する利子課税や資本課徴金、または債務リスケジュール(返済繰り延べ)を行う可能性がある」と説明している。しかし、このような想定は、日本のマクロバランスや国債の保有状況等を考慮に入れた場合非現実的であり、タイムスパンを明記しつつ、具体的にどのような事態が生じうるのか敷衍が必要。

  

 次のような要素は貴社の分析でどう考慮されているのか。

 (1)日本国債は現在95%が国内でかつ低金利で消化されている。また、2001年は、一般政府部門の赤字32兆円に対し、民間の貯蓄超過は42兆円である。更に、経常収支の黒字はしばらく継続し、資本逃避のリスクも小さい。従って、資金フロー上の制約はない。 

 (2)近年自国通貨建て国債がデフォルトした新興市場国とは異なり、日本は変動相場制の下で、強固な対外バランスもあって国内金融政策の自由度ははるかに大きい。更に、ハイパー・インフレの懸念はゼロに等しい。

 (3)貴社が示唆する債券保有者への負担の強制は、居住者が国債の95%を保有していることを考えれば、自国民への実質的課税に他ならない。通常の財政健全化策を疑問視する一方、金融市場を大混乱に陥れるような手段が採られると想定するのは非現実的。

 3.国債は最終的には将来の税収で償還されるので、各国経済のファンダメンタルズの評価は極めて重要。各国のデフォルト・リスクの相対比較でこの点がどのように考慮されているかについて、貴社の説明はなお不十分。

  

 (1)貴社の「定量的比較」はほとんど財政赤字の大きさに関連したものばかりである。貴社は、マクロバランス、強固な対外ポジション等は考慮しているとしながら、それぞれの要素がどのように、どの程度考慮されているかは引き続き不明確。

 (2)マクロバランスとの関係で、財政の持続可能性がどのように比較されているかも不明確。例えば、貴社は「日本の大きな国内貯蓄は実質金利を通じて間接的に考慮されている」としている。ならば、日本では十分な民間貯蓄が財政赤字を補って余りある結果、日本の実質金利は相対的に低いということになる。すなわち、貴社の見方によっても、日本の財政赤字は十分にファイナンスできている。

 (3)貴社は、「政府の規模が大きいほどより容易に債務を負担できる」としているが、財政の持続可能性は、経済の潜在力や将来の担税力を考慮し、動学的な分析が必要。貴社の見解は、大きな政府がしばしば民間部門の発展を阻害するといった、財政と実体経済の連関を無視した非現実的なもの。

 (4)貴社は、「対外部門は政府の外貨建て債の格付けとより関連している」としている。 ならば、日本の経常黒字、対外純資産、外貨準備は何れも世界最大であり、外貨建て債格付けはAAAでなければならない。結局は政府の支払能力が問われているのであるから、対外部門の強さは経済のファンダメンタルズの重要な要因として、自国通貨建て債にも反映されるべきである。

 (5)他国の格付けとの整合性の説明も、当方が質した全ての例を財政赤字の相対的な大きさのみで正当化しようとしているために説得的でない。例えば、ポンド危機後の英国や80年代の「双子の赤字」に悩んだ米国の対外不均衡をどのように評価していたのか。また、貴社は日本の改革の必要性をしばしば指摘しているが、70年代の英国の改革をどう評価していたのか。ちなみに、貴社が英国の外債をAAAとした78年当時は、英国では30年近くにわたる経済の低迷が続いていた。その一方、サッチャー氏が首相となったのは79年であり、改革が軌道に乗ったのは80年代に入ってからである。この間の貴社の格付け基準は一貫していないように思われる。

(以上 引用終わり)

  読んでいただければ、わかるように、財務官僚は、日本の財政など全く心配していない。そしてまた、「債券保有者への負担の強制は、居住者が国債の95%を保有していることを考えれば、自国民への実質的課税に他ならない。」と正直に書いている。多くの人が、マスコミや有名評論家に見事に騙されているが、税金も国内で消化する国債発行も本質的には同じものなのである。

問題は、デフレかインフレかなのである。

デフレ状況においては、日本のような国では、国債を発行して需要不足を国が、補うしかない。その意味で、デフレ状況にある日本で、東日本大震災の復興財源を税収で賄う発想は、愚の骨頂である。もちろん、日本の財務官僚はそんなことは、百も承知だろう。マスコミと政治家を自分たちの利権を増殖させるために巧みに利用しているだけのことである。そのことを的確に指摘している論説があったので紹介する。

(以下 引用)

「国の不幸を長期化させる霞ヶ関株式会社の「ビジネス・モデル」」

山崎 元

山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]

58年北海道生まれ。81年東京大学経済学部卒。三菱商事、野村投信、住友信託銀行、メリルリンチ証券、山一證券、UFJ総研など12社を経て、現在、楽天証券経済研究所客員研究員、マイベンチマーク代表取締役。

芝居の脚本は官僚が書いている

 

野田新内閣に対する「どじょう内閣」という言葉にもそろそろ飽きてきた。もともと、どじょう鍋は、久しぶりに思い出すと食べてみたくなるが、何日も続けて食べたいと思うような食べ物ではない。

特に、官僚作文のつなぎ合わせのような新首相の所信表明演説原稿(「日本経済新聞」なら13日の夕刊に全文が載っている)を読み返すと、結局、この内閣は、官僚が脚本を書く田舎芝居の新しい演目に過ぎないことが分かって、早くも「もういい」という気分に傾く。前とその前の演目(内閣)では、演者達のわがままで「政治主導」というアドリブ重視を試したものの、役者の力量が追いつかず芝居にすらならなかった。今回の内閣は、教訓を踏まえて、ひときわ脚本家(官僚)に従順のようだ。

いずれにせよ、現政権、前政権、前々政権、あるいはその前の自民党政権も含めて、政治は主体的に機能していない。政権毎のパフォーマンスに差はあるかも知れないが、集団としての官僚(以下、慣例に従って官僚を「霞ヶ関」と総称する)が日本の社会と経済を動かしていると考えるべきだろう。

申し訳ないが、首相をはじめとして、今の内閣や党役員の面々に、官僚から見て「この人は出来る(=能力がある)かも知れない」、「この人にはかなわない」と思わせるに足るような能力や凄みを感じさせる人物は殆どいない。国会答弁でも、国際会議でも、閣僚のお世話をする官僚は、大学時代の家庭教師のアルバイトを思い出すような心境だろうと拝察する。これは、政治家に能力や凄みではなく、親近感程度のものを期待して、政治家(ひいては国のリーダー)を育成することに不熱心だった国民の気分がもたらした帰結だ。多くの政治家が「好感度」くらいしか磨いてこなかったわけだから、官僚に対する睨みもきかないし、選挙でも、テレビ芸人上がりの候補に負けたりする。

「霞ヶ関」には国民の不幸が好都合なのか?

 

野田新首相に指摘されるまでもなく、現在の日本に課題は多い。経済に近いものを幾つか挙げると、先ず(1)東日本大震災からの復興に向けた動きが遅い、(2)長年続くデフレからの脱却が出来ない、(3)円高で多くの産業・企業が苦しみ雇用にも悪影響が出ている、(4)社会保障、特に年金の改革が予定通り進んでいない、(5)日本の財政問題に関する議論が混乱している、といった諸問題がある。

これらに加えて、外部環境の問題として、欧州と米国の状況が、共に怪しいを通り越して「まずい」に変わりつつある(資産価格下落と未処理の「含み損」があるのだから、日本の経験からして「まだまだ終わらない」のが当然だ)。

さて、日本にとっての諸々の課題を眺めてみて、一つの仮説に思い至った。それは、「霞ヶ関」は、震災や円高、あるいはデフレのような困難をむしろ歓迎しているのではないか、もう一歩進めて考えると、長引く困難を利用することが彼らの「ビジネス・モデル」として定着しつつあるのではないかということだ。

推測(仮説)をそのまま事実であるかのように書くのでは、たちの悪い陰謀論と同類なので、以下、筆者が事実だと思っていることと、仮説がなるべくはっきり区別できるように気をつけて書くことにする。

 

たとえば、震災復興

 

先ず、東日本大震災からも復興を考えよう。本格的な復興に対応する第三次補正予算がこれから審議されるという復興作業のペースは「非常に遅い」。これは事実だと思う。

では、「霞ヶ関」にとって復興は早い方がいいのか、遅い方がいいのか。もちろん、個々の官僚が自分の利害のために意図的に復興を遅らせているとは思いたくないが、復興に関わる細目はある程度時間を掛けて決まる方が「霞ヶ関」がこれに深く、有効に関与して「利権化」することが容易である。

ここでは、現役官僚の権限が強まることと、これを背景にして将来の天下りの機会が拡大することを、霞ヶ関の「利権」と考え、利権を拡大することが彼らの利害に叶う「ビジネス」なのだと考えてみることにする。

本当は、時間的に早くて且つ即効性があり、個々の地域、ひいては個人のニーズに対応しやすいのは、被災者に主として現金を配布することだ。被災者は緊急に個々のケースで必要な目的にお金を使えばいい。被災地から他の地域に移りたい人もいるだろうし、地元に残りたい人もいるだろう。地域や個人に選択を与えつつ、両方に対応できる支援は現金支給だ。

しかし、現金の交付、特に複雑な手続きや審査が伴わない単純な見舞金支給は、官僚(この場合、「霞ヶ関」と自治体両方だが)の「利権」につながらない。現金配布は、子ども手当が「霞ヶ関」に憎まれたのと同様、利権にならないばかりか、他の利権に活用すべき予算を圧迫する。

従って、「霞ヶ関」としては、菅前首相をたきつけて(或いは、有効な手立てを教えずに)、具体策がまとまりそうにないメンバーで東日本大震災復興構想会議のような会議を作って時間を稼いだのではなかろうか(こちらは、私の仮説だ)。

また、「霞ヶ関」としては、震災からの復興は増税のための仕掛けを仕組みたい重要なイベントだった。このためにも、直ぐに国債で資金調達できてしまう即効性のある復興作業ではなく、「財源」の議論と並行して、復興のあり方がぐずぐず論じられる展開が好都合だった。

上記は、仮説にしても、あまりにも悪意が籠もった仮説であり、現実離れしているだろうか。

「円高」利用は完成されたモデル

 

では、「円高」はどうか。実は、筆者が、今回の仮説を思いついたきっかけは、民主党代表選の少し前に「円高対策」として打ち出された、外為特会の外貨を使い海外投資を支援する数兆円規模の基金の構想のニュースを見たことだった。

この記事を見て、筆者は、既に外貨になっている資産を海外投融資に回すことがどうして円高対策なのかはじめはピンと来なかったが、民間も合わせて資金を出すのでドル需給的に、ドル買いの呼び水くらいになるかも知れないということが何とか分かった。

しかし、これは税金(政府資産)を使った一種の空洞化支援ではないのかという疑問が新たに生まれたことに加えて、今度こそピン!と来たのは、「ああ、これは『霞ヶ関』の利権拡大の手段なのだな」ということだった。

どういうことか。先ず、この図々しくも円高対策を名乗る資金を扱う組織だが、新しく基金を作るならポストが増えるし、JBIC(国際協力銀行)がまとめて扱うとしても、JBICの案件と、従って権限を大幅に拡大し、これは、財務省の国際派人脈にとっては、豊かな利権の源になる。

報道されているように、資源確保や海外のM&Aに使うお金を、好条件で融資ないし出資して貰えるなら(注;市場で得られる好条件でないと案件が増えないから、案件の存在は何らかのメリットの提供を証明することになる)、企業にとっては大きなメリットがある、大変嬉しい話だ。対象企業は、財務省OBが「行ってもいい」と思えるような世間体のいい大企業が中心だろう。しかも、融資や出資は条件審査が複雑だから裁量の余地がたっぷりある。

円高という「苦難」に対して、海外投資を支援する基金のような仕掛けを「対策」を名目に導入し、「霞ヶ関」側では「利権」を拡大・確保する。これは、「ビジネス・モデル」として既にパターン化されているものの、典型的な応用例なのではないか。

野田首相の演説原稿では、「円高阻止にあらゆる手段」とはいうものの、具体的に金融緩和の方法が述べられているわけではなく、具体的に書かれているは、「立地補助金を拡充」、「円高メリットを利用して、日本企業による海外企業の買収や資源権益の獲得を支援」といった企業のメリットと役人の利権に直結する「生臭い」話だけだ。

民主党代表戦時も含めて、野田氏が述べる円高対策とは、「円高そのものを反転」させる徹底した金融緩和のような原因に働きかけるものではなく、先に挙げたような対策や中小企業の資金繰り支援のような、「円高になった後に、これを我慢するため」の対症療法ばかりだ。

「霞ヶ関」は円高を困ったことだとは思っていないのだろう。政策批判を多少受けたり、市場介入のための根回しに汗をかいたり、介入自体が十分効かなくて恥をかいたりしても、それらは所詮「お仕事」の一コマに過ぎないし、円高の困難が続く方が上記のように「利権」を拡大できるのだから、むしろ彼らの利害の上では円高歓迎ではないのか。

付け加えると、円高になっても公務員の雇用は安泰だし、彼らの報酬は硬直的なので、実質所得が増す。

上記の「財務省の利権拡大」のストーリーは、もちろん筆者の仮説であり、当事者から話を聞いたわけではないが、こうした「利害」が存在していることは注意に値すると思う。

増税は「霞ヶ関株式会社」の増資だ

デフレでも、公務員の雇用と実質給与は安泰だし、デフレは、不況の原因となって、「霞ヶ関」による各種の「対策」の必要性を継続的に生む。

もちろん、「霞ヶ関」のビジネス・モデルにとっては、予算の規模及びその維持が決定的に重要であり、「増税」は一般企業における「増資」のような余裕を霞ヶ関株式会社にもたらす。

「利権」が有効であるためには、(出来れば現在の現役が天下りするもっと先までの)継続性がなければいけない。増税を早く確保して、将来必要になる財政支出の削減をより小さく済ませることが、すべからく「長期」が大切な霞ヶ関の住人達の重大な関心事であることは当然だ。早期の増資は、将来のリストラの苦悩を和らげる。

また、「霞ヶ関」のビジネスは、大根役者(政治家)達に脚本を書き渡して国会で法案を通し、予算に盛り込むことでこれを実行する形を取るので、基本的には、一年をサイクルとして進行する。しかも、長期的に利権に関わることが将来も期待されるからこそ、天下りに需要が発生する。

「ドッグイヤー」などという言葉さえある、せわしい民間のビジネスとは全く異なるスロー・テンポで物事が進むので、円高も、デフレも、そして利害の上では震災復興さえも、ある程度定着してゆっくり進むことが「霞ヶ関」には好都合なのだ。

政治や経済への関心がある方の殆どが、「日本では、何に対する対応も信じられないくらい遅い!」と腹を立てたり、絶望したりされているのではないかと拝察するが、支配的集団である「霞ヶ関」のビジネス・テンポが影響しているので、やむを得ない側面がある。

ここでは詳しく触れないが、利益集団であり実質的なビジネス体である「霞ヶ関」には特定個人の支配者なり黒幕なりがいる訳ではなさそうだ。人事制度的に彼らのメンバーが固定的である(実質的に40年以上の長きにわたって、お互いの面倒を見合う、固定メンバーの利益集団でこれだけ大規模なものは他にない)ことから、競争力・影響力を持ち、且つ長年にわたって形成・純化された、幾つかの自生的な行動ルールが、おそらく「官僚支配」といわれるものの正体だろう(想像するに、回遊魚の群れやオキアミなどの群れの振る舞いを規定するルールに近い少数の行動原理なのだろう)。

従って、「個々の官僚」は、自分が自分のために利権確保に動いていると思っていないだろうし、国の困難に対しては、それぞれなりに国民のための努力をしているという自己認識を持っているのだろうと筆者は推測している。

ポイントは、個々の官僚の意図や倫理観の問題ではなく、官僚集団の利益に着目した時に、国民が直面する不幸をむしろ歓迎する「利害」が存在することだ。この利害は、国民の不幸の解消に「霞ヶ関」(本石町辺りの金融子会社も含む)が不熱心であることの原因になりかねないし、下手をすれば国民の不幸の積極的な長期化につながりかねない。この構造は変えた方がいい。

以上、筆者の仮説に過ぎない推測を述べてみた。

もちろん、仮説だから間違っているかも知れないし、むしろ、この仮説が間違いである方が嬉しいくらいのものだ。

仮に、官僚による裁量の余地が少ない現金による再分配がスピード感を伴って広く行われたり、デフレと円高をもたらしている金融政策と財政政策のミックス(筆者は、現在のデフレに関して、日銀だけではなく、財政政策にも問題があると考えている)が有効なデフレ対策に向かって直ちに修正されたりするような「嬉しい反証」があれば、今回の仮説は、喜んで撤回する。

それまでは、折に触れて、この仮説を思い出しながら、脚本家(官僚)達の利害を推測しつつ、(主に政治家が演じる)田舎芝居を見物することにする。

(引用 終わり)

 

 ところで、日本が1980年代以降、米国に経済戦争を仕掛けられないで、普通の経済運営をしていたなら、どのぐらい経済成長できたのだろうか。考えてみよう。

まず、注目すべき点は、この20年間、日本を除く先進国は年平均4%程度の名目成長をしてきたことである。その間、日本の名目成長率はほぼゼロ。日本も一定程度の実質成長を達成していたにも関わらず、デフレ経済を放置することによって見事にこれを相殺してきたのである。

           <名目GDP成長の国際比較>

 

日本のGDP1000兆円

IMFの統計によると、1990年の日本のGDPは439兆円。そして2010年のGDPは475兆円程度。仮に、他の先進国と同様に1990年から20年間年率4%の名目成長をしていたと仮定すると

439兆×1.04^20 = 439兆 × 2.19 = 961兆円

現在の日本のGDPは約1000兆円となる。もしも現在の名目GDPが1000兆円もあれば、800兆円といわれる債務問題はGDP比80%となって大した問題ではなかったことが一目瞭然。しかし、デフレにより名目成長を行わなかったツケはこんなものではない。債務問題については「国民一人当たり800万円の借金」などといって大騒ぎをしているが、デフレにより日本は、桁違いの損失を生んでいるのだ。それは、この20年間に生み出されるはずだった付加価値を見事に失ったことにある。

 

「失われた3200兆円?」

この20年間で生み出されるはずだった付加価値の合計額は等比数列の和(等比級数)として簡単に求めることができる。以下の公式に当てはめれば良い。

Sn = a(1-r^n)/(1-r)
ここで 初項 a = 439兆円 公比(成長率) r = 1.04 項数(期間) n = 20年
をあてはめると
      S20 = 439兆×(1-1.04^20)/(1-1.04)=13,060兆円

これにたいし、実際に生み出された付加価値額(名目GDP)の合計は9,858兆円だった(1990年から2009年までの名目GDPの単純な和)。つまり、年率4%の名目成長をしていた場合と、デフレにより名目成長を打ち消してきた現実の日本を比べると
13060兆 - 9858兆 = 3202兆円 の付加価値が実現されなかったということになる。
日本人口は約1億2700万人なので、これを国民一人当たりに直すと

3202兆円 / 1億2700万人 = 2521万円
 

なんと、国民一人当たり約2500万円も喪失した計算だ。4人家族なら1億円を稼ぎ損ねたのだ。



デフレによる損失 一人当たり2500万円

当たり前のことだが、国全体がデフレ不況から脱却するために有効な政策を発動できるのは政府・財務省(財政政策)と日銀(金融政策)のみである。個別企業や個人の合理的な努力は全体としては無力。にもかかわらず、日本はこの20年間、財政支出の拡大が必要な時には「財政再建」を目指して増税・歳出削減を行い、また、ようやくインフレ率がマイナスからプラスへ転じようとすると金融引き締めを行いデフレに引き戻すという、信じられないような財政政策と金融政策を故意に?繰り返してきたのである。

 

その結果が「失われた20年」であり「失われた3200兆円」なのである。そして、その「失われた3200兆円」の内実が、企業業績の悪化、企業の倒産、失業率の上昇、賃金水準の低下、正社員から非正規社員への置き換え、大卒就職率の低下、自殺者数の増加なのである。こうした問題は他の国なみの普通の経済成長さえしていれば起きなかったことばかりである。おそらく、これは、日米エリートによる構造改革というものを日本国民に押しつけるためのショックドクトリンなのだろう。(このような厳しい環境下で鍛えられ、生き残った企業は、非常に強い体質となる。大小問わず、日本の企業にはユニークな技術を持つところも多い。おそらく、それらを金融力によって乗っ取ろうという外資の戦略だったのだろう。)
 

拡大再生産を前提とする資本主義社会にもかかわらず、日本では「もう経済成長はいらない、もしくはできない。」とする不可思議な言説が流行し、または「最近の若者は努力が足りない」と若年層の失業問題を個人個人のミクロの問題へと還元する思考能力を喪失させられた状態になっている。

そして、何にも知らない国民は得るべき3200兆円が政府・財務省・日銀(そして何も言わない経済学者)、米国に奪われたことさえ思いつかないように洗脳されているのである。まさに「日本の悲劇」である。

もちろん、日本のエリート財務官僚はすべてこのことを承知である。優秀な自分たちさえ、良ければそれでいいと考えているのかもしれない。米国が持ち込んだプラグマティズムの教育は、我々のエリートから、どうやら「公の概念」を奪い去ってしまったようである。

 

<*ショックドクトリンとは>

1973年のピノチェト将軍によるチリのクーデター、天安門事件、ソ連崩壊、米国同時多発テロ事件、イラク戦争、アジアの津波被害、ハリケーン・カトリーナ。暴力的な衝撃で世の中を変えたこれらの事件に、従来にない視点から過去35年の歴史を語りなおすのが、カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの話題の新著The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism(『ショック・ドクトリン:惨事活用型資本主義の勃興』)。

ケインズ主義に反対して徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べた。

この主張をクラインは「ショックドクトリン」と呼び、現代の最も危険な思想とみなしている。近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちだが、実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきたのだ、とクラインは主張する。

投資家の利益を代弁するシカゴ大学経済学部は、「大きな政府」や「福祉国家」をさかんに攻撃し、国家の役割は警察と契約強制以外はすべて民営化し、市場の決定に委ねよ主張してきた。でもそのような政策は有権者の大多数から拒絶され、アメリカ国内で推進することはできなかった。民主主義の下では実現できない大胆な自由市場改革を断行したのが、ピノチェト独裁下のチリ。無実の一般市民の処刑や拷問を行ったことは悪名高いが、それと同時にシカゴ学派による経済改革が推進されたのは、クラインによれば偶然ではない。これがショック・ドクトリンの、最初の応用例だった。

ショックの効用を研究したもう一つの機関は、カナダのマッギル大学。同大学の精神医学科はCIAの資金で拷問手法としてマインドコントロールや洗脳の実験を行っていた。囚人に幻覚剤を投与し、近く刺激を奪って長期の孤立状態に置くことにより、精神を幼児まで退行させ、人の言いなりにさせる手法は、現在グアンタナモやアブグレイブで使われている拷問マニュアルに酷似している。

戦後イラクで連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は意図的に無政府状態と恐怖の蔓延を助長する一方で、急激な民営化を進めたが、これを個人に対するショック療法のパラレルとしての国民レベルのショック療法とみることもできる。

人類最古の文明におけるゼロからの再出発、既存体制の完全な抹消という発想には、個人の精神を幼児に戻して言いなりにさせるCIAの拷問手法が重なる。

これはさらに、ハリケーン被害においても踏襲され、長年の放置により劣化したインフラが必然的に災害を招くと、それを口実に、まるごと民間に売り飛ばせという主張に拍車がかかった。

クラインを驚かせたのは、このようなことを公然と認める経済学者たちの発言が、たくさんの文献に残されていたこと。自由市場経済を提唱する高名な経済学者たちが、急進的な市場経済改革を実現させるには、大災害が不可欠であると書いている。

民主主義と資本主義が矛盾することなく、手を携えて進んでいくというのは、現代社会における最大の神話だが、それを唱導してきたまさにその当人達が、それは嘘だと告白している。

1
© 2011 山本正樹 オフィシャルブログ Suffusion theme by Sayontan Sinha