*元外交官 天木直人氏のプログより

「政局評論はこれで打ち止めにして欲しい(その1)」 2007 9/14



「政界は一寸先は闇だ」とはよく言ったものである。あっという間に政局が福田暫定内閣の方向に走り出した。これで決まりだろう。福田内閣がしばらく続き、いずれ解散・総選挙となって小沢民主党との最後の決戦を戦う事になる。その後にあらたな日本の政治が動き出すという事だ。

はやくその時が来なくてはいけない。どのような選択になろうと、日本は新しい政治指導力の下に一刻もはやく立て直されなければならないのだ。テロ特措法問題、経済格差問題、年金・福祉問題、政治とカネの問題など、当面の諸問題について、政治家は政局にうつつを抜かす事無く、国民に早く答えを提示すべきだ。国民もくだらない政局に目を奪われることなく、どちらが政権をとってもいいから、早く答えをだせと政治家に迫るべきだ。その時に始めて国民も政治家も、日本の抱えている問題の困難さに気づくだろう。日本は崩壊寸前なのだ。

メディアは政局の話ばかりにうつつを抜かしている時ではない。そんなに政局の話が面白いのなら、私が政治評論家となって解説して見せよう。どの政治評論より本質を突いた評論を書く。それ以上の論評はもう要らない。そう思って書く。少し長くなるが我慢して読んでもらいたい。引用は自由だが著作権は私にある。私が今の政局を語るのはこれが最後だ。そう思って読んでもらいたい。



1. 安倍(すべて敬称は略す)は政治家さえも辞めると言うべきだった



安倍についての論評はもういいだろう。十分だ。

「戦後レジーム」を唱えて急速に日本を右傾化させようとした安倍は、護憲派からは叩かれっぱなしだった。しかし私は安倍にはそれほどの反発を覚えなかったし、心配もしていなかった。いずれ行き詰ると思っていたからだ。彼にはその実力はないと思っていたからだ。

私の批判の対象はあくまでも小泉だ。ここまで日本を米国に売り渡した小泉の大罪にくらべれば、安倍のそれは可愛いものだ。安倍は改憲や集団的自衛権容認という原則論を、出来もしないのに公言し、玉砕した。これでしばらくは改憲も集団的自衛権も凍結される。護憲論者たちもしばらくは護憲を叫ぶ必要はない。来るべき本格的政治の季節に備え体制立て直しに専念すべき時だ。

小泉は、安倍と違って理念や原則を一切語らず、目に見えない形で日本経済を米国に売り渡し、 憲法9条下の平和日本を米国の戦争加担者にした。悪質きわまりない仕業だ。その点安倍は単純だった。自業自得とはいえ、追い詰められて辞任した。同情すら覚える。

しかし辞任の記者会見を聞いてその同情心も吹っ飛んだ。ここまで情けない政治家であったとは呆れるばかりだ。安倍はあの時自分に正直であるべきであった。申し訳ない、何もかも投げ捨てて辞めたい、首相の座にしがみつきたかったけれどそれも限界だ、かくなる上は政治家も辞める、自分にその資格はない、そう言って国民の前に頭を下げれば、少なくとも一抹の潔さはあった。

それを、この期に及んでも訳のわからない言い訳に終始した。麻生、与謝野に騙されたなどと言ってはならない事を口走った。挙句の果てに仮病まがいで朝青龍状態になってしまった。気の毒ではあるが、もう政治にはもどれない。もどらないほうが良い。政治生命は終っても、生きているだけでありがたいと思ったほうがいい。政治だけがすべてではない、そう思ってこれからの人生を頑張ってもらいたい。



2. 自民党は終りかけていた。福田でギリギリ踏みとどまった。



後述するように福田自民党になって事情は少し不透明になってきたが、もし福田暫定内閣が実現せずに、このまま安倍の後継者争いで自民党がモタモタしていたら、そしてその挙句、麻生とか額賀らが総裁になっていたら、自民党は完全に終っていただろう。

参院選挙の結果で示された国民の自民党離れは、その後の数々のスキャンダルによってますます加速されていた。その駄目押しが今回の安倍の辞任だ。政権政党の総裁が代表質問の直前に責務を放棄したわけだから、自民党は政権政党としての役割を放棄した事と同じである。解散・総選挙を待つまでもなく自民党の下野ということだ。 民主党は不戦勝なのである。民主党の松原あたりが「今すぐ政権を民主党に渡してもいいぐらいだ」と息巻いていたが、今回ばかりは私は松原に賛成する。その通りなのである。

しかし規則によってそうは行かない。政権交代はやはり衆院選挙の結果によって行われる。自民党は、もはやどう転んでも勝てそうもない事を自覚し、小沢民主党に勝てる最善の党首を一日も早く選んで挙党体制で臨むべきである。それはそうだろう。どうせ野党になるのに、いまさら総裁を争っている意味はない。

ところが自民党にその動きがまったく見られなかった。それどころか派閥争いで後継者を選ぶ動きを見せ、議員の中には時間をかけて予備選までやって盛り上げようなどという呑気な事を口にする者もいた。これを見たとき、私は自民党は完全に終っていると思った。そこに急転直下福田でまとまった。さすがはしぶとい自民党だ。首の皮一枚でつながったと言う事だ。



3. 小泉自民党と小沢民主党の対決が見たかった



福田暫定内閣は、今の自民党にとっては、勝ち目のない小沢民主党と対決する現実的なベストの選択である。それでも自民党は勝てる保証はない。しかし福田暫定内閣の下で穏やかな保守政策を重ね、解散・総選挙の時期をできるだけ延ばす事に成功すれば、勝負は面白くなってくる。

私は、この前のブログで、「自民党は小泉を担ぎ出して、今すぐ総選挙に打って出るべきだ」と書いた。勿論これは非現実的なシナリオである。それを承知の上で私は、もしそうなれば面白い事になると思って書いた。なぜならば劇場政治に堕した今の政治においては、政権を手中にしかかっている小沢民主党に待ったをかけられるのは小泉しかいないからである。

私は政権交代論者であるから自民党が生き残る事には反対である。しかもあの憎き小泉が再登場して自民党が復活する事は悪夢である。小沢さんには、個人的よしみはなにもないが、一度は政権をとらせたいという心情はある。だから、小泉が出てくる事を期待している訳では決してない。

小泉再登場は有り得ないという前提で、そういうシナリオを半ば冗談で論ずるのである。そして、もしも万二に一つの可能性で小泉が再登場して、「俺と小沢のどちらを選ぶ!」と国民に迫れば、その時は、小沢は勝てなかったという意味で、自民党はそうすべきであった。しかしそうはしなかった。それほど小泉は自民党から敬遠されていたということだ。

少し頭のいい国民は、小泉改革の弊害が安倍批判につながった事を知っている。だから、彼らは「国民はもう小泉には騙されない」という。それを知っている政治評論家も小泉再登場はないという。それはその通りだ。

しかし今でも多くの国民は政策について関心はない。無知である。小泉改革の意味も知らずに小泉を支持した国民は多かった。彼らは今でも小泉支持だ。だから小泉が再登場すればどの自民党候補者よりも小泉は支持を集める。そしてそれは小沢の支持を上回る可能性が高かったのだ。小沢民主党にとってはそれは最悪のシナリオだ。

しかし、小泉再登場は完全になくなった。もともと可能性はなかったが、ゼロではなかった。だからこそ再登板の噂が絶えなかった。

それが完全になくなったのは福田が出たからだ。というよりも、ここは微妙なところであるが、福田は小泉が出て来ない事を知って出馬を固めたのだ。そして福田がやる気を見せた時点で小泉は絶対に出ないと公言した。かくて小泉再登場のシナリオは完全になくなった。つまり阿吽の呼吸で「福田の出馬」と「小泉再登場なし」が同時決着したのだ。小泉と福田は元は同じ福田派であるが体質は正反対だ。自民党は小泉を否定して小沢と対決する事を決めたのだ。

もともと小泉に再登板する気などない。自らの対米従属政策が完了し、そのほころびが出始める事を知っていた小泉は、絶妙のタイミングで辞める事ができたとほくそえんでいたに違いない。エルビスプレスリーを真似たパフォーマンスなどは、そのような小泉がある種の躁状態にあったということを示している。あとは野となれ山となれの心境だったのだ。

そのようにしてうまく任期を満了した小泉が、そして政治的理想も政策能力もない小泉が、行き詰った今の日本を立て直すためにみずから泥をかぶって再登場するという事はありえない。ありうるとすれば唯一つ、自民党の反小泉の重鎮が、揃って小泉に頭を下げて、「自民党を救うのは貴方しかいない」、と言って頼み込む時である。 つまり自尊心をみたす形で登場する場を皆が作ってくれた上での名誉ある再登場をする、という場合のみである。もちろん、その場合でも登場しなかったかもしれないが、ありうるとすればその時だけだということである。そして自民党はそうしなかった。負けてもいいから小泉だけは勘弁だということだ。

次の選挙で落選間違いない小泉チルドレンたちが、一年生議員と言う立場も忘れてなりふりかまわずいくら頼み込んでも、小泉は間違っても動く事はなかった。それでも小泉チルドレンが大騒ぎをしたのは、彼らには自分の生き残りしかなかったからであり、メディアが彼らをフローしたのは格好のテレビネタであったからだ。所詮はそれだけのものであった。杉村とか歌を歌って当選した川条何がしとか、市長あがりの中川などが大声で叫んでいるのを見て私は吐き気を催した。政治家を直ちにやめろと怒鳴りたかった。まあ、それもあとわずかであるが。



4. 小泉の政治生命も終った



話はそれるが、小泉の事についてもう少し書いてみる。小泉チルドレンや政治評論家の中には、小泉の再登場は将来の政界大編成の時だという者がいる。小泉はその時まで自分を温存しているのだという。しかしこれもピント外れだ。

小泉再登場をめぐる今度の騒動ではっきりしたことは、繰り返して言うが、小泉チルドレンと称するろくでもない議員のほかには、小泉はもはや自民党のまともな議員からは相手にされていなかったということだ。小泉は、5年半もの長きにわたって政権を保持した事と引き換えに、その強引で異常な政治手法のゆえに自民党議員の広く、深い恨みをかった。恨みとまではいかなくても、間違いなく愛想をつかされたのだ。

そうであるとすれば、今後の自民党に小泉の居場所はどこにもない。せいぜいポン友の森とか中川秀直あたりと酒を飲んで猥談するくらいだ。そういえば国会で森と無駄話をして民主党の法案に間違って賛成したりしていた。

小泉はかつて親父が引退した65歳になったら政治家を辞めるとうそぶいた。65歳を過ぎてもまだ議員にとどまっているのは、次男に地盤を譲るタイミングがまだ整っていないということだろう。それが整った時点で辞める。その程度の事しか彼の頭にはないのだ。後はテレビなどに出てハマコーみたいになればいい。使い道はいくらでもある。安倍と一緒に政治から引退すべきだ。

自民党に居場所がないと言う意味では小泉が新党をつくるという憶測は一理ある。しかし少し考えるとそれが如何に非現実的かがわかる。

福田と小沢が争うと言う事は、保守を維持しつつも、弱者に目を向け、対米自立外交を少しでも取り戻すという政策を、国民の前で競い合いということである。それは間違っても、小泉流新自由主義に戻ることではなく、また他方において一気に米国との軍事同盟を廃棄して自主平和外交に走るという左翼政権が生まれることではない。所詮は保守勢力の競いである。

そうであるならば、政界再編といっても保守と護憲の対決という再編ではない。保守勢力間の再編の場合は、対米従属、新自由主義の小泉・竹中路線の回帰か、日米同盟を維持しつつ社会民主的要素を取り入れて軌道修正するかの再編である。そしていまや国民の大半は後者を選びつつある。人気があるといっても、これからの小泉に対米従属、新自由主義を引き下げて国民の大半の支持を得る魅力はない。小泉の周りに集まろうとしている政治家に政権を取れる器量のあるブレーンはいない。米国ももはや小泉を必要としていない。日本占領が完成した時点で用済みなのだ。政権がとれそうもない政界再編に小泉が興味を示すはずはない。

かくしてこれからの政局は小沢民主党と福田自民党の最後の戦いとなる。そして小沢にとっては、小泉自民党と言う非現実的ではあるがそれが実現したら最悪だというシナリオではなく、福田自民党という少しばかり手ごわい現実的なシナリオと戦うこととなる。

そして小泉、安倍タカ派ラインと戦う為に民主党内の左派と組んだ小沢戦略が、福田の登場という逆バネによって、その戦略が重くのしかかってくるのである。小沢の最後の正念場が近づきつつあるのだ。この続きは、福田と小沢の対決に絞って書く。そして日本の政治の将来は、政界大編成かそれとも緩やかな保守の大連立かについて書く(以下続く)。



政局論争はこれで打ち止めにして欲しい」(その2)



1. 福田の強みと弱み



政治に疎い国民は、なぜこれほど急速に自民党が福田擁立に傾いたか、いぶかしく思う向きがあるかもしれない。たしかに福田は地味だ。それにこの期に及んでも「貧乏くじかもしれない」などと斜に構えている。この皮肉っぽいところが福田の欠点だ。世論向きではない。小泉人気が健在の劇場政治であれば、明らかに出番はない。

しかしすでに述べたように、今の日本は劇場政治では乗り切れないほど問題が山積している。劇場政治にだまされる政治意識の低い国民は常に存在するが、大方の国民は、米国に言われるままの対米従属では日本はコケにされるだけだと気づき始めた。小泉型政治はもう駄目だ、と心ある国民は思い始めた。それに加えて、腐っても鯛ではないが、腐ってもやはり自民党だという国民は多い。かつて大鵬、巨人、目玉焼き、という事が言われたことがあったが、日本人の体制順応の気質は急にはかわらない。変われない。

そしてなんと言ってもあの安倍の後だ。若くてイデオロギーに走った安倍の後は福田の手堅さが目立つ。自民党が結束して政権を死守しようとすれば福田しかなかったということだ。そして結束する自民党はやはり手ごわい。福田は小泉と違って人の意見を聞く。官僚にも受けはいい。受けを狙った派手なパフォーマンスを好まない。これらが今は福田の最大の強みとなったのだ。

私が注目したのは、あの福田が、今回ばかりはその気になったことだ。そしてその理由として、「平時だったらこんな事にはならなかったが、今は非常事態だ。危機を救わなければならない」と心中を述べた事だ。これは本音だろう。この発言は迫力がある。安部の言葉とは違う。小泉の言葉とも違う。

何故額賀は降りたのに麻生は勝てない総裁選にたつのか。それは出来レースであるからだ。総裁選を行わないと談合だという批判を招く。形式的に総裁選は必要なのだ。額賀と違って麻生は安倍の後任者として本命視されていた男だ。今となっては瘠せ馬の先走りとなったが、降りるわけにはいかない。しかし小泉と違って福田は話し合いを重んじる男だ。組閣では借りを返すだろう。損はない。

野党は一斉に古い自民党に戻ったと批判するだろう。しかし福田暫定内閣はそうではない、緊急避難だ、自民党存亡の時に挙党体制で臨むのだ、といい続けていれば良い。そしてそれはその通りなのだ。福田自民党は小沢民主党と自民党の生き残りをかけて勝負してくる緊急自民党なのだ。

小泉によってボロボロにされた自民党を土俵際で引きとどめるには結果的に福田は適役なのかもしれない。ひょっとすると自民党再生の救世主となるかもしれない。



2. 小沢民主党は衆議院選挙で勝てるか



そうは言っても今の政治状況は民主党に有利である事に変わりはない。早い時期に解散・総選挙に追い込む事が出来れば政権交代は夢ではない。だからこそ自民党は解散を引き伸ばし、社会民主主義的な政策を取り入れて着実に手堅い政策を推し進め、世論の支持をとり戻そうとするだろう。

小沢民主党と福田自民党のせめぎあいは、まず解散の時期についてどちらが主導権を握るかにかかっている。

小沢民主党は年金問題と政治とカネに集中すべきだ。国民の怒りの炎を絶やすことなく、自民党永久政権の弊害こそ諸悪の根源である、一度は本格的な政権交代を実現しなくては日本は変われない、と攻め立てるしかない。

福田自民党は、暮らしと生活の問題に軸足を移し、社会民主的な政策を取り入れる振りをするだろう。改革という言葉を使い続け、つまり改革路線は変わらないと言いながら、決して新自由主義を唱える事はないだろう。「改革は止めない」という言葉を使い続けて、その実、小泉政策を否定するのだ。国民は改革の意味はわかっていない。改革と言い続けていれば安心するのだ。その程度の意識なのだ。間違っても増税などと言ってはいけない。景気抑制策をとってはいけない。

小沢民主党との戦いはテロ特措法延長に絞って攻撃することだ。安倍の政治生命を奪った因縁のテロ特措法延長問題だ。弔い合戦のつもりで勝負するべきだ。

テロ特措法に関する世論などあてにならないものだ。14日の毎日新聞の世論調査では補給活動賛成が49%、反対が42%と既に逆転している。この世論を見て民主党がうろたえているらしい。その通りなのだ。何が何でも反対だと言い続けるならば、やがて民主党は反対政党だということになって、国民にそっぽを向かれる事になる。

それに福田自民党は、延長できなくても、安倍のように職を賭けるなどと大見得を切る必要はない。悲壮な気持ちになる必要はない。最善を尽くしたがそれでも民主党が反対した、日本国民の賛成にも関わらず民主党が反対した、と淡々と言えばいいのだ。まさに福田に打ってつけの役回りだ。そしてそれはその通りなのだ。福田の責任でも自民党の責任でもない。米国が福田を公約違反などと言うはずもない。親米の福田自民党が総選挙で政権を失うような事があれば、米国にとっても困るのだ。

今回の件で米国は明らかに小沢民主党に警戒感を持った。小沢民主党が政権を取るぐらいなら福田自民党のほうがいい、安倍では頼りなかったが福田自民党は大切にしなくてはならない、補給活動の停止は残念だが、日米軍事同盟を堅持し、米軍再編に協力してくれればそれでよい、政権交代が生きないように総選挙では福田自民党を応援しよう、もし米国がこのように考えるようになると、その時点で福田自民党の勝ちだ。福田は今からシーファーと協議しそのシナリオを作るべきだ。米国と手を組むのだ。



3. 小沢一郎のアキレス腱



小沢自民党の誤りは、テロ特措法延長問題を政局の中心に据えたことだ。本人はその気でなかったかもしれないが、日米関係は日本の政治の最大の争点であることを軽視しすぎた。年金や政治とカネの問題は、一時的に国民の怒りを招くものであっても、国の基本に関わる政治的争点ではない。やはり日米安保体制の是非こそ最大の選択なのだ。

小沢のもう一つの大きな誤りは、この一大政治争点を、党内の右派を説得することなく、旧社会党の連中と組んだ事だ。輿石を代表代行に重用し、テロ特措法担当の陰の外相に鉢呂を起用したのには驚いた。いずれも組合あがりの旧社会党員だ。しかも原則を曲げて安保体制を容認し、自民党と組んで社会党を潰し、その後は生き残りの為に連合と一緒に民主党に走った連中である。小沢は政策論でなく政局に重点を置いた。とてもまともに日本の安全保障政策について自民党と論戦する気構えがあるとは思えない。それは必ず大きな負担となって政権奪取の前に立ちはだかるに違いない。

14日の日経新聞によれば民主党の前原副代表は、13日の朝日ニューススター番組収録で、「党内でもテロとの戦いに日本も加わる事が必要だという人間が相当いる。私がわかる範囲でも40-50人規模はいる」と述べたらしい。さらにまた、「小沢代表の考え方に関してはまだ党内でつめ切れていない。反対の理由が情報公開の不足なのか、憲法論議なのか、国連決議に解釈なのか、議論していかなければならない」とも述べたという。これは驚くべき発言だ。民主党内で基本論議のないまま、「反対」だけを固執していると暴露したのだ。これでは米国も怒る。自民党も怒る。国民も怒る。政治生命をかけた安倍は生真面目すぎたということだ。馬鹿を見たということだ。

福田自民党はこの点を徹底的に衝くべきだ。展開次第ではこの問題で民主党は崩壊するかもしれない。結果的に、安倍は、自らの政治生命と引き換えに小沢民主党と差し違えする事になるかもしれないのだ。恥じをさらしたが自民党を救ったという事になるかもしれない。

あの唐突の辞任が、ありえなかった福田の登場を実現し、そしてその福田がテロ特措法延長問題で反転攻勢する。下野必至の自民党を首の皮一枚で救うことになる、それはそれで戦後政治史の一大ドラマである。



4. 保守大連合連立か護憲勢力の蘇生か



さて福田自民党と小沢民主党の勝負はどうなるのだろう。これからの日本の政治はどうなるのだろうか。それは勿論解散・総選挙の時期とその結果次第である。勝ったほうが暫くの間政権を維持する事になる。負けたほうは分裂する。そして程度の差はあれ、なんらかの政界再編が起きる。そこから先は予言の世界だ。政局評論の域を超える。だから私の評論はここで終わりにする。



(私のコメント)

間違いなく、次の衆議院選挙は半年以内に行われるだろう。しかし、今後、6年間何回、衆議院を解散しようが、政党再編が起きない限り、政権運営が安定することはない。また、来年以降、中国バブルがはじけて世界経済の大動乱が起きれば、日本の政治が今より混乱するのは必至。 たしかに、天木氏が指摘するように福田氏の登場で、次回の総選挙ですっきりした政界再編が起きる可能性が小さくなるのかもしれない。

それにしても日本のこれからが心配になるのは政界の人材不足である。北朝鮮の金正日も呆れるほどの二世天国、二世議員ばかりである。これでは民主主義国家とは名ばかりではないか。

安倍晋三総裁の問題も、この観点に立ってみると、純粋培養された政界モヤシが世論や現実の風に晒されてひとたまりもなく潰れた現象と言えるだろう。 安倍先生だけではない、他の「ぼっちゃん」政治家にも安倍晋三的、ぼんぼん的なものが蔓延している。ボクちゃんに共通するのは、国家ごっこ、改革ごっこが大好きという点、そして、竹中平蔵のようなアメリカの手先のような学者に直ぐだまされる程度の思考能力しか持っていないと言う点である。

もっともこうした傾向は、政界ばかりではない。中小企業の2世、3世経営者など(いわゆる青年会議所の連中)も、実力や胆力も伴っていないにも関わらず親の世代とは違ったことをしなければならないという強迫観念に取り憑かれているために、新規事業ごっこやらITごっこを始めて、本業を傾かせてしまうケースがいくらでもあるようだ。そうした経営の幼児化を防ぐために、公開企業、成熟した大企業の多くにおいては、子弟の入社を禁止、もしくは制限規定を設けているのがほとんどである。それによって経営が世襲化したり、人材登用の固定化を防ぐというのが常識になっている。つまり、日本の政治システムとはいまだ中小企業;家内企業の域を出ていないということであり、それが最大の問題なのである。

むろん世襲議員だから全て駄目などとは言えない。要は、地盤、看板、カバンに守られ、政権交代も無い、ビニールハウス栽培のような日本の政治土壌の中からは、今後も水っぽいトマトのような、政治家しか生まれてこない点にある。

安倍普三先生とは、見た目はよいけれど、栄養価に低い水っぽいハウストマトのようなものだったと認識することから始める必要がある。ビニールハウスをぶち壊すことが、先決である。第一歩は現在の小選挙区制度を壊すことである

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