*「さらば財務省」という本をご存じでしょうか? 副島隆彦氏がいい分析をしております。日本の政治の中枢がどのように米国にコントロールされているか、よくわかる内容になっております。米国の覇権が衰退し、すみやかに独立国になることを求められる時代が間近に迫っております。政治家、官僚のパラダイムシフトが必要だと思われます。                                   

「さらば財務省!」~官僚すべてを敵にした男の告白~

著者: 高橋洋一 発行年月日:2008/03/18

序章 安倍総理辞任の真相

第1章 財務省が隠した爆弾

第2章 秘密のアジト

第3章 郵政民営化の全内幕

第4章 小泉政権の舞台裏

第5章 埋蔵金の全貌

第6章 政治家 vs.官僚

第7章 消えた年金の真実

終章 改革をやめた日本はどうなる



この本のサブタイトルというか副題は、「官僚すべてを敵にした男の告白」となっています。オビには、「財務省が隠しているのは「埋蔵金」だけではない! サブプライム危機をしのぐ怪物「変動利付国債」とは何か?!」とあります。これは、出版社のセンスでつけた宣伝文句でしょうが、私はこの「変動利付国債」の部分は非常に重要だと思います。これについては後でお話しします。

さて、高橋洋一と言う人はどういう人なのか。講談社の本の奥付を観てみますと次のように書かれております。これをそのまま抜き書きしてみます。

「1955年、東京都に生まれる。東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。1980年大蔵省入省。理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長、内閣部参事官(経済財政諮問会議特命室)などを歴任したあと、2006年から内閣参事官。早稲田大学政経学部非常勤講師を兼務。2007年に財務省などが隠す国民の富「埋蔵金」を暴露し、一躍注目を浴びる。著書には、『財投改革の経済学』(東洋経済新報社)などがある」

ただ、文春新書の方では、この肩書きに「東洋大教授」と「金融庁顧問」が加わっています。

『さらば財務省!』の中で詳しく彼自身が正直に書いていますが、彼は、元総務大臣・参議院議員の竹中平蔵の下について、郵政民営化法を通す際の制度設計を担当した、実質的な頭脳の人間です。

また、小泉純一郎元首相にも大変期待されていた人物です。私は2年ぐらい前から高橋洋一の名前は、政治家たちが口にするので、聞いて知っていました。しかし、ここまで彼が戦略家であって、ポリシーメーカー(政策立案者)であるとは思いませんでした。この『さらば財務省!』は、大変勉強になりました。皆さんも読んでください。

私がこの本から学んだことは非常にたくさんあった。上で引用した経歴の通り、高橋洋一は私より二つ下で、1955年生まれです。現在、2008年で52歳か53歳です。そうするとほとんど同世代。さらに、私より二つ上です。そして今57歳なのが竹中平蔵です。この2人が、アメリカの深いところの指令を受けて日本国の金融制度の大改革を実行した人物であることがよくわかりました。彼自身はそう書いているわけではない。しかし、問わず語りにそう言っている。私はこの本を時系列に組み立て直して、しっかりと理解しました。それの大事なことを先に、トップヘビーで伝えなければいけません。

まず、高橋洋一は東大の物理学部数学科を卒業していて大変頭のいい人で、数学がものすごくよくできた男です。(注1)ですから、例えば「年金数理(ねんきんすうり)」という言葉を彼は使っています。そういう分野で役に立つ特別に実践的な数学を勉強した人であるらしい。ですから、東大時代から、保険とか金融の数学のことがものすごくよくできた人らしい。リスク計算という金融数学のウルトラプロフェッショナルなのでしょう。官僚あがりですからどうしても相手を下にみて話す傾向があって、それが嫌われる原因でもあったのでしょうが、とにかく優れていることだけは間違いありません。

(注1) 高橋は『さらば財務省』(38p以下)で次のように書いている。

一九八〇年、私は当時の大蔵省に入省した。大蔵官僚に憧れていたわけではない。いや、公務員にはなりたくなかったというほうが、当時の私の心境を素直に表しているように思う。大学は、東京大学理学部数学科に進んだ。数学はなぜか、少年の頃から得意だった。中学生のときに、大学レベルの数学が理解できた。高校に入ると、数学は半ば授業免除で、数学の先生からは、「高橋君はもう授業をうけなくていいよ」とまでいわれた。大学受験レベルの数学なら簡単に解けたので、入試の時も苦労はなかった。これは私だけではなく、数学科に籍をおいていたのはそんな人間ばかりだった。(『さらば財務省!』38p)

副島隆彦です。高橋洋一は、私の判断からいうと、この『さらば財務省!』を書く、そして出版した3月の時点で、日本の財務省(旧大蔵省)から決定的に追い出されたわけです。高橋は3度殺しても飽き足りないというほど、財務省の幹部たちから死ぬほど嫌われた人物です。どれぐらい彼が嫌われたかは、この『さらば財務省!』を読むと、嫌というほどよくわかります。

だから、私、副島隆彦は複雑な気持ちになってしまう。というのは、私、副島隆彦の最新理論は、「金融ユダヤ人も怖いけれども、官僚の薄汚さはもっとたちが悪い」というものだからです。

ただ、この本を読んでいくと、どうしても、竹中平蔵、小泉純一郎と組んで日本をアメリカの金融属国にするためのすべての戦略を実行に移した本当の現場責任者が高橋洋一である、という結論になってしまいます。

ですが、一方で、高橋洋一は、財務省のキャリアの官僚でありながら、ここまで財務官僚たちを敵に回し、死ぬほど恐れさせ、そして実際に財務省を内側からボロボロに突き崩した、これは紛れもなく大変すばらしいことである。だから、財務省というお城がほとんど炎上し、崩壊したに等しいことを高橋洋一は言いたかったらしい。

そしてその結果として、この3月31日で退職して、今、東洋大学の教授ということに4月からなりました。どれぐらい高橋がものすごいことをやったかを知って、私は啞然としています。

この本には真実がたくさん書いてある。危ない真実も書いてある。それを私は解読できた。でも、大きな結論からいうと、高橋は恐らく使い捨てにされたのです。

この本の中で高橋自身が、使い捨てにされた財務官僚たちとか、財務省の御用学者たちが使い捨てにされたと、そういう書き方をたくさんしています。

この本で読んでいてびっくりしたのは、まるで黒澤明監督の『椿三十郎』のような、裏切り合いのシーンが幾つか出てきます。

竹中平蔵が2001年4月に経済財政担当(本当は無任所の国務大臣)大臣に任命され、さらに金融担当大臣にも任命された。やがて、さらには郵政民営化担当大臣にも任命された。だから、2001年4月から、竹中がアメリカの日本金融占領計画の最高責任者として動いたわけです。そしてその3カ月後に、高橋はプリンストン大学から帰ってきます。3年いました。そしてすぐに竹中平蔵の下について、日本の金融属国化の戦略の図式を実行に移し出すわけです。

結論からいうと、財務省の官僚でありながら、東大法学部を出た文化系のエリート幹部たちを大きくだまくらかして内部に取り入って、「高橋君は偉い」「高橋君は財務省の中興の祖(ちゅうこうのそ)である」とまで褒(ほ)めたたえられた男なのである。中興の祖と言われたのは、1994年までに数年間で、ALMというリスク管理の手法を高橋が自力で完成したからです。これに財務省の銀行局長なり、財局長クラスが感動して、高橋のずば抜けた頭脳に財務省の存亡をかけたわけです。このALM(Asset Liability Management)というパッケージ化された金融管理理論(注2)によって、高橋は、財務省の中で特別な、超エリート扱いを受けているわけです。

(注2) 同じく、『さらば財務省!』にはALMのいきさつについてこのように書かれている。やや長いが高橋の切れ者ぶりを表している重要な部分なのでそのまま抜き書きしておく。

一九九七年一二月、ときの政権、橋本龍太郎内閣は行政改革の一環として、省庁再編にともに財政投融資(財投)改革を断行した。

財投はたとえていえば、巨大な国営銀行ともいえる仕組みだった。郵便貯金や年金積立金を大蔵省理財局が管理する資金運用部に全額預託させ、そこから政策金融機関や特殊法人などに資金として貸し出す。高度経済成長期には、社会資本の整備などに役立ったが、一九九〇年代に入り、特殊法人批判が高まるにつれ、特殊法人の財投による資金提供で無駄な事業が増え、天下りの温床をつくっていると非難が集中した。そこで、橋本内閣が行ったのが預託義務の廃止を盛り込んだ財投改革だった。

この財投改革の引き金を間接的に引くことになったのが私だった。大蔵省理財局は、郵貯や年金積立金を借りて、政策金融機関や特殊法人に貸すのだから、お金を借りて貸すという点では、民間金融機関と同じ業務をやっているということになる。お金を借りて貸すという業務は、必ずリスクを伴う。借入期間と貸出期間が異なるだけでも期金利リスクが発生する。

金利自由化以後はより金利リスクが膨らんだ。たとえば一年の期間でお金を調達して、二年で貸し出すとすれば、資金調達は二回ロールオーバー(引用者注:借り換えのこと)しないと合わない。ところが、一年後には貸付金利は一年前のままだが、借入金利は変わる。一年後の借入金利が高くなれば損益はマイナス、下がればプラスになる。金融機関はどこもこの金利リスクに悩み、一九九〇年代になるとリスク管理を強化した。

金融機関がリスク管理に躍起になった背景には、一九八〇年代後半、アメリカで起こった、S&L(貯蓄貸付組合)の倒産騒動がある。S&Lは、住宅用不動産の抵当貸し付けを手がけるアメリカの貯蓄金融機関。一九八〇年代の規制緩和により、不動産関連融資やジャンクボンド投資を積極的に展開したことが裏目に出て、多くのS&Lが経営危機に陥った。こうして一九八八年には、二二九社が倒産し、預金保険機関による支援合併や清算措置を受け入れた。

そこでリスク管理のソリューションとして開発されたのが、ALM(Asset Liability Manegement=資産・負債の総合管理)である。ALMは、資産と負債の変化に対して、金利リスクを考慮した資産運用の在り方を数理的に決定する方法で、金融自由化が本格化した一九九〇年代初めに、多くの金融機関で導入された。(中略)

ALM・財投債を持たずに金融業務を行うのは、今日から見ると、羅針盤なしで航海に出る無謀な行為に等しい。つまり、この時点でALMを導入していなかった大蔵省は、どんぶり勘定に近い状態で金融業務を行っていたことになる。

預託の期間は、お金を持ち込む担当省任せ。郵貯なら郵政省が勝手に決めて持ち込む。一方、特殊法人や政策金融機関への貸出期間(財投期間)も、向こうのいうがまま。リスクなどまったく考慮に入れられていないシステムで、四〇〇兆円と分母が大きいだけに少し金利が上昇しただけで、数兆円の穴があく。(以下略)

『さらば財務省!』(52-55p)

副島隆彦です。高橋によると、大蔵省と日銀との闘いが背景にあったそうで、財務省はリスク管理ができていないという攻撃が、日銀の側からかかっていた。簡単に言えば、財政投融資資金というのがあって、どうやらここは大枠で400兆円ぐらいある。その金の使い方はどんぶり勘定で、天下り先の財団法人や特殊法人を山ほどつくって、そこに郵貯・簡保で集めたお金を安い金利で貸し出して、それで道路公団や政府系金融機関――政策投資銀行や国際協力銀行(昔の輸銀と海外経済協力基金)ですが、これらの政府系の金融機関を筆頭にしてたくさんの特殊法人を持っていたわけです。

今も持っています。そこのところに、財投(財政投融資資金)から貸し付けるお金が250兆円もあって、それのリスク管理――金利リスクの管理がほとんどできていなかった。そこを日銀から、深尾光洋を理論家として、攻撃がかかってきそうであったと。それに対して細かい数字計算をして財務省側が立ち向かったときに、高橋洋一が抜てきされていたわけです。

彼は、この本の56ページで、理財局長の石坂匡身と次の理財局長の田波耕治(白川日銀総裁の前に、自民党が日銀総裁候補として提案した財務官僚)の話し合いで、「財投の金利リスクの解消はテクニカルなことが得意な高橋君にしかできないだろう」とのお墨付きをもらったとも書いている。

その後、勲章ものの高橋洋一は、資金企画室長として財投改革を担当した後で、今度はアメリカのプリンストン大学の金融政策研究所というところに送り込まれています。プリンストンというのは、ニューヨーク州のとなりのニュージャージー州にある大学で、この州は日本で言えば千葉県というところでしょう。

ここに、1998年7月から3年間は、送り込まれている。このとき高橋は42歳です。で、ここにアラン・ブラインダーという優秀な、かつてFRBの副議長をした――こいつは本物の学者と言われていますが、経済学者がいた。それから、一般向けのエコノミストであるポール・グルーマンがいて、それからラルス・スペンソンと、マイケル・ウッドフォードというのは私は知らないけれども、何とベンジャミン・バーナンキはいたわけです。彼はプリンストン大学の経済学部長をしていた。このバーナンキに高橋は3年間も直接習っているわけです。当時は、バーナンキではなくて、「ベルナンケ」と書かれていたらしい。確か、リチャード・ヴェルナーの本でも、バーナンキではなく、ベルナンケだったと思います。

そして、2001年7月に、3年間明けて帰ってきた後、竹中と一緒に郵政民営化を雪崩のごとく実行する人間として登場するわけです。バーナンキと親しく、あれこれ話し込んでいたらしい。そのときにバーナンキたちが、日銀がやっているマネタリーポリシーはプア(貧弱)であると言い、さらにはステューピッド(愚か)であると、ぼろくそに言っていたらしい。すなわち、日本の中央銀行が資金を供給しない、金利を低くしている、ゼロ金利政策を解除しようとする動きを示している。だから、アメリカのそうそうたる、まさしくデイビッド・ロックフェラー系の学者たちは、日銀をぶったたいていたわけです。日銀にとっては、資金が非常にジャブジャブにあるということはいけないのだ、これはインフレを招くからいけないというのが、日銀(三井・ロスチャイルド)の大きな信念であります。

私、副島隆彦は、日銀(三井・ロスチャイルド)の味方をずっと12年やってきた。私の立場は一貫している。だから、インフレ対策が一番大事で、国民の生活を守るのはインフレにならないようにすることだ。それは日銀法の2条にも書いてあることだと思います。ところが、日本の18年続いているデフレ経済(不況)を解消するには、インフレーション・ターゲティング理論で、無理やりインフレをつくり出すためにお金をたくさん、ジャブジャブに供給せよということと、金利を徹底的に、死ぬほど安くせよということをこのベンジャミン・バーナンキたちは日本に要求していた、というよりは強制していたわけです。だけど私は、彼らアメリカの経済学者の何が正しいのか、全くわからない。

おもしろいことに、この高橋の本だが71ページに、バーナンキ教授たちが日銀のことをぼろくそに言うので、最初は一生懸命、日銀擁護で反論していたと高橋は書いている。ところがそのうち「自分自身でもどう考えても、教授やみんなの言うことが正しいと感じ始めた」と書いてあるわけです。それで、日銀は間違っているという答えを私は否定できなかったのだと書いて、数カ月後には、バーナンキ教授の「「洋一、日本の金融政策をどう思うか」という質問に、私は“I agree with you.”と答えるようになっていた」と書いてある。つまりここで高橋への洗脳が行われて、3年かけて完成したわけです。ちょうどいいころだろうといって、高橋は日本に送り返されたわけです。

そして竹中と2人で郵政民営化に突撃していくわけで、これはまさしく、日露戦争のときの秋山真之が、アメリカとイギリスの軍隊から育てられて、旅順港の封鎖戦の様子をキューバの何とか港のスペイン艦隊の封鎖と同じように目撃させられて、同じことを実行させられた。日本海海戦もそうです。という感じと全く一緒であります。あるいは、 昭和4年(1929年)の金解禁を無理やりやらされた浜口雄幸と井上準之助日銀総裁、あの2人のぶるぶる震えながらやった金解禁断行というのと全く似ています。裏から恐ろしい教育と管理と指導がくっついていたわけです。属国日本論そのままのストーリーである。

これまでの流れの中で、皆さんも何となく分かったのではないかと思いますが、高橋洋一は、『さらば財務省!』で、さらさらと真実を非常に簡潔に書いている。この本にはあまりうそはない。私のこの本に対する書評としての結論であるが、私は高橋洋一という人をかわいそうな人だと思います。ここまできれいに利用されて、突撃隊の司令官を務めた。そして最終的には、東洋大学教授というところにしか行けなかった。そして、竹中平蔵についての記述が目を引きます。(注3)

(注3)『さらば財務省!』(43ページ以下)の中で、高橋洋一は竹中平蔵との出会いについて以下のように回想している。

今になって振り返ると、入省三年目に、私の運命を大きく変える出来事があった。竹中平蔵さんとの出会いである。竹中さんと私が知り合ったのは、今から二五年以上も前のことだった。一九八二年当時、私は二七歳の若手キャリア。大蔵省の財政金融研究所(現・財務総合政策研究所)に勤務していた。そこに私の上司として政府系金融機関・日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)から出向してきたのが竹中さんだった。竹中さんは私とは四つ違いの三一歳だった。中央省庁のキャリアは、民間人を見下す。民間からの出向者には一線を画してつき合い、「俺たちと知り合いになれてよかっただろう」という驕(おご)った態度を隠さない。(中略)

大蔵省の植民地とみられていた開銀出身で、しかも一橋大出身の竹中さんは、大蔵官僚たちから完全に格下扱いされていたみたいだ。財政金融研究所にいた四年間、竹中さんはフラストレーションが相当溜まっていたのではないだろうか。

大半のキャリアが竹中さんを軽んじるなかで、私だけは違っていた。私は入省したての若造で、出身も理系である。竹中さんへの蔑視(べっし)は微塵(みじん)もなく、すぐにうち解けた。竹中さんは歌うのも踊るのも好きだった。私も音楽が趣味で、たちまち意気投合した。仕事だけでなく、よく一緒に遊んだ。仕事が終わると、もうひとりのIMF(国際通貨基金)から出向していた外国人とトリオで六本木に繰り出し、ライブハウスで盛り上がるのが常だった。(中略)

当時、竹中さんから贈られた印象深い言葉がある。「英語と会計はよく勉強しておいた方がいいよ」今でも的確なアドバイスだったと思っている。

『さらば財務省!』(43-44p)

だから、結論でいえば、もし高橋がプリンストン大学にまた呼ばれて、向こうに教授で今年の4月から意気揚々とおさまっているとすれば、高橋の能力評価と業績評価があったということになる。ところが、アメリカ側は高橋洋一を使い捨てにしたわけである。高橋洋一は最後まで、この本の中で一貫して、「竹中さん」という言葉で竹中平蔵を褒めたたえている。小泉首相をも褒めたたえている。少しも疑っていない。 しかし高橋洋一は、自分が利用されて使い捨てにされたんだという自覚がまだない。これが私は高橋洋一の悲劇だと思います。しかし、ここまで深く日本の金融制度改革に絡まり、何百人もの財務省の大幹部たちを敵に回して憎しみを買った以上、彼の人生がただで済まないことは彼自身がよくわかっていることでしょう。

ただ、大きな意味で、財務官僚たちをたたきのめして、彼らの特権を奪い取るために死ぬほどに邁進した高橋洋一は偉いとも私は思います。ここでは、私、副島隆彦は、ニューヨークの金融財界やデビット・ロックフェラー(実質の世界皇帝)らが日本管理を上から行って日本をひどく追い詰めて、痛めつけたという、いつもの理論とは少し離れる。

大枠では私の書いていることが正しいと私は思っているのですが、高橋の証言は彼自身の立場を踏まえて読めば、ひじょうに奥が深い内容になっています。個別具体的に、ニューヨークの金融財界によって、バブル経済によって慢心しきって、日本の財務省や、郵政省はたたきつぶされて、落城させられていった。つまり、郵政民営化というのは、自分自身を虐めてきた財務省のエリート達に対して、高橋自身が打って出た、すさまじい集団焼き殺し攻撃だったわけです。この行動について、私は心から賛同します。まさしく江戸城返上のような感じで、高橋は日本の官僚たちの権限を奪い取り、剝奪していったのでしょう。

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