<地球温暖化問題は「新たなるステージ」に入っている>

(低炭素社会という言葉の出現)

2008年の元日、日本経済新聞は「低炭素社会への道 国益と地球益を満たす制度設計を」と題する洞爺湖サミットを意識した社説を掲げた。

この社説では、「京都議定書の・・・・意義は、温暖化ガスの排出抑制と経済成長が無理なく同調できる『低炭素社会』への道を切り開く起点となることである」と述べ、1995年に京都で開催された、気候変動枠組み条約第三回締約国会議(COP3)の意義をたたえ、日本が、排出権取引と省エネ投資の分野で世界をリードするべきと力説している。

わが国の「低炭素社会を推進する政府懇談会」(座長:奥田碩トヨタ名誉会長)のメンバーの一人である、末吉竹二郎(国連環境計画・金融イニシアチブ特別顧問)は、21世紀の世界は、炭素の排出割り当てを基準に、全ての経済・金融活動が決まっていく、「CO2本位制」(炭素本位制)を迎える可能性があると指摘している。

このように、私たちが生活していて、地球温暖化、気候変動、低炭素社会、エコという言葉を見聞きしない日はないといっていい。この「地球温暖化問題」を最初に世界に向けて大きく取り上げたのは、元米副大統領のアルバート・ゴアである。

ゴア元副大統領は、2004年に公開されたドキュメンタリー映画『不都合な真実』の中で、人類の経済活動によって排出された大量の二酸化炭素が、前世紀中から今世紀に掛けての急激な地球の平均気温の原因である、とグラフや映像を使って説明し、その功績によって、2007年秋にノーベル平和賞を受賞している。

ゴアと一緒に平和賞を受賞したのが、現在、インドのタタ・エネルギー研究所の所長をしている、ラジェンドラ・パチャウリ博士である。地球温暖化の原因が二酸化炭素の排出であるという研究結果は、パチャウリ博士が議長を務めるIPCC(国連・気候変動政府間パネル)という機関によって科学的に証明されたと言われている。



ところが、ゴアの映画の公開後の2007年3月に、イギリスのテレビ局・チャンネル4が、「地球温暖化問題の大いなるペテン」(The Great Global Warming Swindle)と題する75分のドキュメンタリー番組を放送した。

この番組は、ゴアの主張に真っ向から反対論を展開し、「地球温暖化の本当の原因は太陽の黒点数の変動によるものである」との仮説を発表した。また、IPCCの報告書についても、これが決して世界の科学者のコンセンサスではなく、報告書を作る途中の「ピア・レビュー」の段階で、異論を唱える学者の意見が排除されていたという証言を放映した。

この番組はゴアの言う「二酸化炭素原因説」はむしろ因果関係が逆で、気温が上昇することで大気中の二酸化炭素が上昇すると反論している。



実際、地球温暖化の原因は二酸化炭素なのか、太陽活動なのか。どうやら学者の間でも意見が割れているというのが現実である。ほんとうのところは、誰もわからないのである。

ただ、懐疑派の日本人研究者の赤祖父俊一も、北極圏で気温上昇や海氷の縮小が起きていることは認めており、どうやら限られた一部の地域で温暖化が進んでいるのは事実のようだ。また、自然変動によって、中世期には欧州は今よりも暑かったということも確認されている。

なお、『不都合な真実』については、イギリスの裁判所である高等法院が、この映画で主要な見せ場となった海面上昇についての事実を含めた、「9つの科学的な誤り」があるとする判決を彼がノーベル平和賞を受賞する直前の2007年10月に出している。判決によれば、「映画では、温暖化が原因で近い将来、海面が最大6メートル上昇する可能性があるとされたが、実際には「(科学的な常識では)数千年以上かかる」などの指摘を行っている。

そして、この映画を基本的に評価しつつも、この映画を教材として、学校で見せる場合などは教師に配慮が必要であるとも指摘している。



<温暖化をビジネスに!その本音が露呈する>



ところが、どういうことか、アル・ゴアがノーベル平和賞を受賞した直後から、マスメディアの地球温暖化問題についての論調が変わった。

メディアは、ゴアの映画で登場するような破局的な映像を流すのではなく、「どうやって地球温暖化に対処していくのか」といった点や、「経済界がどのように温暖化をビジネスチャンスとして生かすか」という趣旨の記事が次々に登場するようになった。

2008年の1月11日には、バグダッドで100年ぶりの降雪が確認される一方、翌月、サウジアラビアでも20年ぶりの積雪が記録されたと通信社は報じた。そのような中で、地球温暖化という現象についての懐疑論もメディアに登場するようになった。

さらに、今後10年間は温暖化は「小休止」すると予測した科学者たちのコンピューター・シミュレーションの結果が、科学雑誌『ネイチャー』に登場した。また、1975年の雑誌『ニューズウィーク』には、「これから地球寒冷化が起きる」という記事が出て話題になったことも蒸し返された。

日本でも、温暖化論を展開した根本順吉という学者が、以前には「地球寒冷化」を予測する書籍を発表していたことが指摘されている。

このようにして、アル・ゴアのノーベル平和賞受賞と温暖化ビジネスの展開が続く一方で、温暖化に対するヒステリーじみた危機感を煽る論調が落ち着いてきている。

ゴア自身も、地球温暖化の危機を警告する「宣教師」としてメディアに登場する一方で、ゴールドマン・サックス出身の銀行家たちと設立した、投資ファンド「ジェネレーション・インベスト・マネジメント」社の代表として、温暖化を乗り越える新エネルギーや低炭素ビジネスのプロモーターとしても活動を積極化させている。



しかし、それでは一体何が真実なのか。何が「適切な真実」で、何が「不都合な真実」なのか。アルバート・ゴアの著作やその人脈、エネルギー問題に関する書籍や新聞記事をチェックすれば、地球温暖化問題というのは、「高度に設計された政治的ゲームである」ということを認識することができる。

すなわち、地球温暖化問題というのは、「欧米の主権を他の文明圏に渡さないために欧米が考え出した戦略」である。この戦略が考え出されたのは、20世紀前半のイギリスである。

このイデオロギーのために尽力したのが、ゴアであり、ゴアと一緒に1992年の「地球サミット」を成功に導いた、国連環境計画事務局長のモーリス・ストロングという財界人である。

地球温暖化という現象がもし、事実だとしても、高等法院の判決が指摘しているように、そのプレゼンテーションにはかなり問題があり、誇張もあった。

しかし、視点を変えてみれば、温暖化問題を世界中の人々に強く意識させることが、アルバート・ゴアの目的だったことがわかる。だから、世界中の人が、ゴアの主張を最大公約数としては受け入れたので、その過激なプレゼンテーションが本当の予測だったのかどうかは、もはや「どうでもいいこと」になったのである。



それが善意から出たものか、それとも別の思惑があったものかはともかく、「温暖化」というキーワードを、人々が普段から意識するようにさせたかったのだ。人間を痩せさせようとして、「痩せないと成人病になる」と脅かすのとやり方は同じである。確かに痩せないと身体にガタが来やすくなるのは経験的事実かもしれないが、それがすぐに成人病にたどり着くかどうかはわからない。

さて、グローバル経済人たちが集まる、2007年と2008年のダヴォス会議(世界経済フォーラム)のメインテーマの一つが、「地球規模の協力関係」と「地球規模での気候変動問題」であった。検索エンジンのグーグルで「global warming」と検索すると、52,300,000 の結果が出てくる。新聞で「エコ特集」の活字を見ない日はない。

ゴアが目的としていた、パブリック・リレーションズ(PR)の目的は見事に達成されたと言ってよい。「温暖化の恐怖」が対策の必要性を急速に浸透させたのである。 これは一種の「プロパガンダ」でもある。



<文明史における炭素本位制のインパクト>



地球温暖化問題は、分析すると、一つには、「エネルギー問題」であり、もう一つには「金融問題」、そして、「環境問題」となる。環境問題であることは言うまでもないが、問題は、前の二つである。これについて考えてみよう。

温暖化問題が、「エネルギー問題」であるのは、石油を使った最たる製品である「ガソリン」が温暖化に反対する運動家の批判の対象となっている事実に象徴されている。「エコ・ビジネス」として、石油をできるだけ使わないエネルギーの開発が注目されていることにも注目すべきである。

また、この問題が「金融問題」であるというのは、二酸化炭素を代表とする「温暖化ガス」から派生した排出権(カーボン・クレジット)が、既に金融商品として欧米で取引されているという事実による。また、末吉竹二郎が指摘するように、炭素本位制という発想は、19世紀の「金本位制」に基づく発想である。末吉は、日本経済新聞に書いた論考で次のように述べている。



(引用開始)

かつては金本位制の下では金保有量が発行通貨高の大きさ、ひいては経済そのものの大きさを決めていた。これからは地球環境が許すだけのCO2排出量の枠が経済活動の大きさを決めてしまう。いわばCO2本位制の始まりである。厳しい枠のもと、どんないいビジネスチャンスがあっても、排出枠の余裕がなければ逃してしまい、枠さえあれば果敢に打って出られる。そんな時代になってしまうのだ。

「『CO2本位制』に備えよ」末吉竹二郎 「日本経済新聞」経済教室(2007年2月28日)

(引用終わり)



ここの論考の中で末吉は、さらに「ETSの下では、(排出権は)他のコモディディーと同じく、コストにもなり価格にもなるのである」としている。彼は、CO2本位制の下では、「炭素調整後GDP、CO2価格、CO2売買高、炭素収益率、炭素調整後利益、最高炭素管理責任者」という新概念が登場するとしている。

末吉は、「炭素本位制」が21世紀のスタンダードになると予測している。これを整理すると、19世紀の金本位制が崩壊した後、1971年からは石油の決済通貨となったドル、すなわちアメリカという覇権国の信用の上に築かれた「不換紙幣体制(フィアット・マネー)」による金融体制が続き、その後にやってくるのが、炭素の排出枠やそれを証明する証書によって経済規模を決める体制になるということになる。

言ってみれば、炭素本位制の出現は、20世紀という「石油とドルの時代」という秩序に取って代わる「新世界秩序」(ニュー・ワールド・オーダー)である。この体制はまだその姿を完全にはみせてはおらず、発展途上の段階にある。しかし、石油と結びついた「ドル覇権」が行き詰まりを見せつつある、イラク戦争後の世界という状況の中でその動きが今、出現してきたのである。これは文明史的にも大きなインパクトがある。



<炭素本位制の大きな問題>



ただし、この新秩序には問題も多い。例えば、金融面で懸念すべき重要な問題は、一度、排出権が取引可能な金融商品になってしまうと、他のコモディティー(石油、銅、金など)や通貨(ドル、ユーロ、円、元)と相互に金融市場の場で取引が可能になるということである。

この点に目を付けた金融関係者もある。例えば、ウォール街の投資銀行のリーマン・ブラザーズは、セオドア・ローズヴェルト4世(元大統領のひ孫)をリーダーに地球温暖化問題をビジネスチャンスと捉え始めた。

リーマンは、同時に2007年末には、世界的な監査法人のプライスウォーターハウスクーパーズ出身で、2005年には「欧州カーボン・ファンド」を作った、ローレント・セガレンLaurent Segalen を排出権担当に迎えた。この人物は、取材を受けた際に、「炭素担保証券(CCO、collaterarized carbon obligation)というものを買えば、買い手である投資家は、レヴァレッジを掛けた金融投機を行い、その売り手は、新しい投資資金を獲得することができる」と述べている。

このCCOという金融商品はデリヴァティブと呼ぶべきものである。アメリカの著名な投資家のウォーレン・バフェットが「金融大量破壊兵器」と批判したデリヴァティブである。

そして、炭素という負の資産から発生した排出権を担保にすることで新しい仕組み金融商品が生まれると、セガレンは語っているのである。

だが、問題は、2007年に破裂したサブプライム証券の一つである債務担保証券(CDO)の例が示しているとおり、デリヴァティブが、投機的な金融活動を助長し、実需の面とは無関係なバブル経済を演出するということである。商品先物の中に炭素先物という商品が出現する、と想像してみれば、この新しい排出権から生まれた金融商品が市場という巨大なカジノを攪乱する要因になる。

日経新聞(2008年1月21日付け)によると、欧州連合が運営する排出権取引市場は急速に拡大し、2007年には中心的な取引市場であるアムステルダムの欧州気候取引所の取引高は初めて10億ドルを突破したという。この排出権取引は、事業所ごとに排出枠上限を割り当てるキャップ・アンド・トレード方式を採用しており、 銀行の自己資本と同じように、健全な割合を下回った場合には、不足分を企業は取引所なり、相対取引で購入することを迫られる。これはいわば、現実の貨幣に換算できる価値として、炭素の排出権がクレジット化されることを意味している。

割り当てを決めるのは、国際的な枠組みに基づいた機関だから、その機関は事実上の炭素銀行となる。これが既存の各国や欧州の中央銀行(セントラル・バンク)組織とどのような関係を作るのかは分かっていないが、イギリスは既に各国政府から独立性の高い「炭素銀行」(カーボン・バンク)の設立という具体的なプランを打ち出して行動を開始している。(「日本経済新聞」2008年2月22日)



また、エネルギー面でいうと、石油の消費を押さえる炭素本位制は、アフリカ諸国など開発途上国の自立的な発展を抑制するという指摘がある。この指摘を行っているのが、環境団体である

「グリーン・ピース」の共同設立者のパトリック・ムーアである。中国などが盛んにアフリカに注目しているように、アフリカには世界全体の埋蔵量の9.5%の石油資源が眠っていると言われている。

例えば、温暖化対策の枠組みを作っている西側諸国は、一方で、途上国支援の名目で西側の技術をビジネスを世界銀行に設立する「環境基金」に集まる資金を通じて、CDM(クリーン開発メカニズム)といった仕組みを使って移転する。それにより、先進国の企業は「余剰排出権」というマネーを獲得し、別の場所の投資や環境技術の開発に役立てることができると言う仕組みである。

この仕組みは既に先進国の間で具体的な議論に入っていて、同じく「日経新聞」(同年3月28日付け)には、我が国が、米英が共同で世界銀行に設立する、温暖化対策国際基金に1000億円、総額で5000億円を出資すると伝えられている。

このシステムは、CDMの実行を補完すると見られていて、基金を通じて、クリーンな発電所や工場の建設を行い、途上国の発展を支援することになる。ちょうど旧ソ連地域の支援を支えた、欧州復興開発銀行のような役割を果たし、先進国企業が途上国の支援を通じて、新しいビジネスを共同で展開することになる。

なお、「資本主義の力によって、これまで無視されてきた貧しい国々の問題を解決する手助けをする」という、京都メカニズムの根底にある思想とほぼ同じ主張を、マイクロソフトの創業者のビル・ゲイツは、2008年のダヴォス会議で、「創造的資本主義」という形で展開している。(「ウォール・ストリート・ジャーナル」2008年1月24日記事、’Bill Gates Issues Call For Kinder Capitalism’)

ただ、この枠組みの「妙味」は、「途上国の生活は確かに向上するかも知れないが、先進国もこれとパラレルな形で発展する」という点にある。

先進国が善導する、世界経済の「均衡的発展」という思想である。要するに、うがった見方をすれば、「あくまで主導権は西側諸国にある」という秩序を作り上げる狙いが隠れているのである。



<文明史の視点>



『文明間の衝突』で有名になったアメリカの歴史家サミュエル・ハンチントン教授と並ぶ歴史家、キャロル・キグレー教授(ジョージタウン大学)は、西側文明の視点に立った歴史書を何冊か書いているが、そのうちの一冊である『悲劇と希望』で、キグレー教授は、こう書いている。

「西洋文明を構成する要素の中で、ゆっくりとしか世界に伝播しなかったか、それともまったく行き渡らなかったものは、西側のイデオロギーの基礎を形作っている相互に連関した一連の思想である。これらの中にはキリスト教や科学的世界観、人道主義、そして独自で固有の価値を持つ個人主義思想が含まれる。しかし、この一連の思想群の中からは、テクノロジーと密接な関係を持つ多くの物質文化が生まれてきた。これらの文化は、直ぐに他の文明圏に波及していった」(15ページ)



そして、例えば、「殺戮、自己保存、生産、移動・通信」の技術が周縁(peripheral)の非西洋文明圏に直ぐに伝播していったと指摘している。西洋文明の土台にある価値観は“輸出”できないが、技術と物質文化は容易に“移植”できる、とキグレー教授は指摘しているのである。 文明国(帝国)と周辺国(属国)の関係を彼は述べている。そして、それが西側文明の本質であると書いているのである。

ここでわざわざキグレーの著作から引用したのは、地球温暖化から生まれた「低炭素社会」という新秩序構想が、西洋文明の固有の思想であることを理解して欲しかったからである。

地球温暖化問題の解決法としての、クリーン開発メカニズムという途上国への技術支援モデルを眺めていくと、そこには「温暖化問題が、断じて地域問題であっては困るという強い意志」が存在する。

なぜならば、これは巨視的な文明論の問題でもあり、世界の主導権(イニシアチブ)を握るのが誰かという問題でもあるからだ。

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