*どうも、この国の政府は、国民の方を向いていないようである。

 1月17日付けで中國新聞は、こう報じている。(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201201170089.html)

   福島事故の拡散予測、国内公表前に米軍伝達 文科省

 

 東京電力福島第1原発事故で発生3日後の昨年3月14日、放射性物質の拡散状況を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供していたことが16日、分かった。

 SPEEDIを運用する原子力安全委員会が拡散の試算結果を公表したのは3月23日。公表の遅れによって住民避難に生かせず、無用な被ばくを招いたと批判されているが、事故後の早い段階で米軍や米政府には試算内容が伝わっていた。

 国会が設置した事故調査委員会(委員長・黒川清くろかわ・きよし元日本学術会議会長)の第2回委員会で、文科省の渡辺格わたなべ・いたる科学技術・学術政策局次長が明らかにした。

 渡辺氏は「(事故対応を)米軍に支援してもらうためだった。(国内での公表は)原子力災害対策本部で検討していたので遅くなった」と釈明した。

 SPEEDIは放射性物質の放出量や気象データから拡散状況を予測するが、今回は放出量が把握できず、本来の使い方ができなかった。だが文科省や原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院は、放出量を仮定するなどしてそれぞれ試算。原発の北西方向に放射線量が高い地域が広がるなど、実際と同様の傾向が出ていた。

 昨年末に公表された政府の事故調査・検証委員会の中間報告によると、3月12日に保安院は「信頼性が低い」と記載した上で試算結果を官邸に送ったが、官邸職員は参考情報にすぎないと考え、当時の菅直人首相に伝えず、避難に役立てられなかった。中間報告は「放出量を仮定した計算結果が提供されていれば、より適切な避難経路を選ぶことができた」と指摘した。

 渡辺科学技術・学術政策局次長の釈明は、言い訳にもなっていない。米軍の支援よりも住民の避難を優先しなければならないことは、当たり前だ。官庁にとって、日本国民より米軍の方が大事なのか。

 そして、米国政府は在留している自国民に対し、速やかに80キロ圏外に避難するよう勧告したが、その際、安全と考えられる方向を示したと思われる。

これに対して、我国政府は、事故後2週間近く経ってやっとSPEEDI情報を公表した。こうして最も激しく放射性物質が降り注いでいた時期、住民は被曝するに任せられるままになった。せっかく官邸に届けられたSPEEDI情報を握り潰した職員は、日本国民のことをどのように考えているのだろうか。

 事故直後の原子力安全・保安院の対応は既に批判されているが、「信頼性が低い」などと余計な記述をしたことが、SPEEDIが生かされなかった一因になったと思われる。

「信頼性は低いかも知れないが、緊急時だから最悪の事態を想定して対処すべき」と書くべきだ。役人根性が最悪の事態を招いたと言えよう。

 この国の政府は明治以来、どういうわけか、国民の生命を軽んじる傾向があるが、その傾向は年を経るごとに酷くなっているようだ。現政権には、国益を考えている姿勢が全く見られない。一刻も早い体制改革が必要だ。

 今回は、「エコノミスト、浜 矩子氏」が絶妙な比喩を使っているのでそれを借用して世界・日本の政治経済を分析してみたい。それでは、彼女が「世界昆虫戦争、アリとキリギリスの戦い」としてどのように世界経済を語っているかをまず、目を通していただきたい。

*参考資料

『恐慌ドラマの行き先は? 今、恐れるべきことは何か』 

        ~エコノミスト・浜矩子講演より引用~  (2010年9月11日)

 「私が挙げました、今恐れるべきことのその2は、昆虫大戦争でございます。

これも財政恐慌と無縁では、ございませんで、どういうことかと申し上げますと、今我々はグローバルジャングルという場所において生息をしているわけでございますが、グローバルジャングルの住人たちは、次第々々に2種類の昆虫に、それこそ、仕分けされ分類されてしまって来ています。 

グローバルジャングルは2種類の虫さんたちが巾を利かせている感じが致します。

そのグローバルジャングルを席巻しております2種類の昆虫たちのそれぞれの名前は、アリとキリギリスでございます。

アリとキリギリスに、グローバルジャングルは2分されつつある訳でございます。

そして面白いことに、アリ対キリギリスの対立の構図は、色々なレベルで目撃・観察することができます。 

一番はっきり最近において出ておりましたのが、ギリシア(ギリシャ)問題を噴出させたEU、ヨーロッパにおいてギリシアが財政完璧大赤字になってしまって、国として倒産するかも知れない。

この倒産寸前国家、倒産寸前の仲間をEUのその他の国々が、果たして支えるのか、支えないのかで大もめに揉めつつ今日に至っております。

ギリシアと同様の問題を抱えている国々もありなんと言うところでございますが、差し詰め、ギリシアがキリギリスその一、という格好で出現して来たと思いますし、EUという枠組みの中でそのキリギリスをどうやって支えていくのか、支えていかなければならないのか、という事で思い悩んでいるアリさんがいる。

「我々はひたすら財政節度を守り、企業は生産性を上げ、労働者は一生懸命働いて、アリさんの見本をやっている、この我々が、ふしだらなキリギリスをどうして支えなければならないのか?」とドイツは思っていて、それに対してキリギリス国家群側からは、「アメリカたちが、アリさんたちに余りにもけちけちし、いじめ過ぎるからこういうことになる。少しはキリギリス的我々を見倣え!そのほうが人生楽だよ!」とか言ってワイワイなっている。

ということで、EUにおいてアリとキリギリスの攻防の対立の構図がはっきりと見えておりますが、決してEU固有の問題ではございません。

実を言えば、我らが日本国の国内においてもアリとキリギリスの対峙の構図がはっきりしているのです。

日本は今や、巨大な一匹のキリギリスとその他大勢のアリさんたちに二極分化しているのでございます。 

その一匹のキリギリスさんの名前は、日本国政府ということになるわけでございます。 

 巨大な赤字垂れ流し状態である巨大キリギリスを支えるために、民間の我々はみんなアリさんになって、「安いものしか買わない」、ということで「安いものしか作らない」というので、デフレの淵に我々、どんどんどんどん落っこちてゆく、民間は超アリ化する一方で、公的部門(キリギリス)はなかなかそこに歯止めを掛ける目処が立たず、そのためには「アリさんからもっともっと税金を取らなければならない」というように、日本国内にもそういう形でアリとキリギリスの対峙の構図がはっきりとしてきている。 

ヨーロッパそして日本と来たわけですが、もとより、地球経済全体としてみれば、そこに非常に本質的に大きな、アリとキリギリスの構図があるわけでございまして、地球経済はまさに著しく巨大メタボ化したキリギリス、その名はアメリカ合衆国となるわけでございますが、これが一方に存在し、そのキリギリスを支える、養ってあげるアリ集団のかつての筆頭が日本でありましたが、最近は筆頭が中国になってきていて、日本はアリさんリーグで抜かれたしまった感じあります。

日本、中国そしてEUの中ではドイツが、アリさん三大国家としてメタボキリギリスを支えるという状況でございます。 

これはどっちも「どっちがケチだ」、と争っているわけでございまして、夫々は夫々なりに、アリはアリのまま、キリギリスはキリギリスのまま来るべき財政恐慌の衝撃を何とか切り抜けていこうと振舞っているうちに通貨大波乱の淵にみんなで陥ってしまっているわけでございます。

ここで私がつくづく思いますのは、昆虫大戦争的な状況の怖いところは、ずうっと引いてですね、外から、カメラをぐっと引いて外から見ると昆虫大戦争は見えないことにあります。

例えば、27カ国で形成しているEUというものを、EUという纏まりとして外から見れば、そこで昆虫大戦争が起こっていることはわかりません。全体としてひっくくって見てしまえば、アリとキリギリスの丁度バランスが取れているので勘定が合っている。

「良いバランスですね。問題ないですね」というような健康診断的な、外から観察すればそんな感じに見えてきてしまわけです。

日本国もそうでして、外から見ますと世界最大の債権国でございます。経済の規模こそ中国に当然のことながら当たり前なことながら、あれだけ大きな国ですから抜かれてしまっていますが、貯蓄規模、純貯蓄の規模から見れば日本はまだまだ世界で一番の規模、平たく言えば世界で一番リッチな国であるといえるわけでございます。 

外から眺めるとこうなる訳でございますが、一度中に足を踏み込んで行けば、ひたすらアリさんになることを強いられて、デフレと戦う民間部門と大赤字のキリギリス国家(政府=官僚)という構図が見えてくるわけであります。

しかし、外から見れば、単にそれはどんぶり勘定の中に消えているように見えてくる訳でございます。

同じことは地球経済についても言えます。

地球を火星から見てみますと、非常に美しい青い星であって、バランスの取れたように見える訳ですが、一歩中に足を踏み入れてみますと、万年大赤字の国があって、それを嫌だなと思いながら金を貸してやって、貸した金で自分(貸した国)が作ったものを買ってくれているから、まあいいか、というような嘆かわしい支え合いの構図、人質とテロリストのような関係がアリとキリギリスの間にはある訳でございますが、危ういバランスを取り合っている、しかし、その危うさは、外から見る限りは見えません。

この問題が、このまま行ってしまえば拙いことになると思っております。

「そういう事を言うあんた(浜矩子)はグローバル時代と言うものをわかっていない!」と言われるケースがございます。

「どんぶり勘定で、全体としてバランスが取れている、そこにグローバル時代の醍醐味があるのであって、何も皆アリさんにならなくたっていいのだ。キリギリスはキリギリスで居てもらって良いじゃないか。アリとキリギリスでバランスが取れていて、いつも差し引きチャラ、そして中ではダイナミックな経済の営みが行なわれている、これが、グローバル時代なのだ」という言い方をする論者達も決して少なくございません。

例えば日頃から、私にとって心良からず思っている人、今は民主党の代表選を、高見の見物をしながら、大学の先生のフリをしながら、政界へのカムバックを虎視眈々と狙っている、あの人(竹中平蔵氏)などはですね、「そういうのがグローバル経済の注文である。キリギリス結構じゃないの」というように言っているのでありますが、今の世の中の動きを見ていると、それがはっきりと間違いだという思いを強くしておりまして、そもそもアリとキリギリスに分かれてしまっていて、そういうところに金融世界のグローバル化、まさに瞬時にしてカネがたくさんある所から最もない所に一気に動かすことができてしまう。

そしてその金融の動きに対して、非常に複雑なかたちで何ぼでも博打ができてしまうという金融のグローバル化という状況と、アリとキリギリスへの大きな別れ方、赤字部門と黒字部門がより大きく分かれて、しかもその間を実に巨大な規模で実に速くカネが流れる、こういう構図の中でリーマンショックのようなものも起こってきたわけであります。

ここまでカネの速い流れを必然化するような構図がなければ、リーマンショックのようなことも起こらなかった。

 ですから、全体でどんぶり勘定で収支が合っていることだけではダメなのであって、個別の目で見てもそれなりに収支が合っているということでないと、グローバルジャングルの健全な発展というのはないのではないかと、私は最近つくづく感じております。

これは、一つの企業あるいは組織として考えても同じことでありまして、いくら全体として括ってみればそれなりに収支とんとんであったとしても、中に踏み込んで見ると、万年超赤字部門と万年黒字部門とに分かれているような企業・組織は決して健全な経営状態にあるとは決して言えません。

そのままで行けばどこかで黒字部門の息切れがありますでしょうし、赤字部門はどんどんやる気がなくなる一方、黒字のほうは「あいつ等の為に我々は働いておるのか」と言い出す者もいて、組織内部の活力・求心力が低下して行くということがマイナスなのでやっぱり、どんぶり勘定で○○(ケツ?じゃないと思うが?)さえ合えば良いということには限界がある。

アリとキリギリス夫々が自分のやり方を変えようとすることなくアリはアリで、キリギリスはキリギリスでそのことを変えることなくグローバルジャングルの危機を乗り越えて行こうとしている限り、互いに互いを傷つけ合うばかりでまともな解答は出てこないと思うのです。 

理想的には、キリギリスはキリギリスでちょっとずつ行いを改めて、アリはアリで少しはあんまりけちけちしないという形で、次第に両者が歩み寄り、結果として皆がアリギリスになる、と言うのが最高の解答ではないかと思えるのでございます。

アリとキリギリスのハイブリッド、落としが、私のですね、落しがアリギリスというものがグローバルジャングルを支配するようになると物事は上手くいくのではないかと、そうではない状態で激突ばかりしていると非常に厳しい状態になって行く。

実はですね、冒頭でもお話しました円高ではなくてドル安、これ(リーマンショックのようなもの)は実は、アメリカという名の巨大キリギリスを次第しだいにアリギリスの方向に引っ張って来ようとしている天の神の鉄槌なのかも知れない、そうなんだという風に思います。

これ以上メタボキリギリス化すると「お前のおかげで、おまえ自身もさりながら地球経済全体も死に至った。メタボ状態をなんとかしなさい」という事でドル安がアメリカを襲っているというのが今の構図なのだと思います。

なかなかバランスの良いアリギリスにはなれないかも知れませんが、バランスが良くなって行くところまでドル安は続くものと私は感じております。

そういう流れなのであって、これは日本にとって、円高という名の危機だと思い込んで、ドル安の流れを押し戻そうと、時間とカネを費やすのは実は徒労だ、と私は思います。むしろ、アメリカがアリギリス化して行く、それを必然化するような為替関係に日本も上手に乗って、その中で生きながらえて行くことを考えるべきだと思います。

ドル安を押し戻すのでなくて、その流れの中で如何に力強く生きてゆくか、そのための知恵を働かせるときが今であって、そういう風に思いまして、

こういうお話をしておりますと、それではキリギリスがまともなアリギリス的になるような状態の連続為替レートのレベルはどの辺りか?」というお話にどうしてもなってまいりますが、これを言うと私は袋叩きになるのでございますが、私が申し上げるのは1ドル50円というところ、随分続いてまいりました1ドル100円前後の半値までドルの価値が下がる。それに伴ってメタボキリギリスもボディサイズがハーフサイズになる、そういうようなところまで行くと全体はそれなりにまともな所にランディングして行けるのではないかと思います。 

ハーフサイズというのは、笑い話ですがアメリカもリーマンショック以降状況が厳しいので、『かつては非常に流行っていた高級レストランが倒産寸前になってなりふり構わずハーフプライスステーキを売り出した、従来の半値、これが凄く流行ってですね、九死に一生を得た』と言うことですが、半値のステーキ、値段を半値にしたというのはふんふんと思うのですが、ステーキのサイズもハーフサイズにした、それではハーフサイズのステーキが何グラムかと言えば250グラム、フルサイズは500グラム。

500グラムを毎日食べていればそれはもうメタボキリギリスになるのは当たり前で、ハーフサイズ化というのはアメリカ人にとっても、アメリカ経済にとっても管理上宜しいのではないか?と考えるところでございます。

非常に大きなバランス、キリギリスのアリ化、そういう新たな均衡を目指す一環としてドル安が続いているのだとすれば、この大きな流れに日本単独で逆らうことは馬鹿らしいことであって、1ドル50円になるということは厳しいことですが、日本円の購買力は一気に2倍になるということでありますから、それをどう工夫して使っていくか、後ほどディスカッションの中でもご一緒に考えてみたいと思います。」(引用終わり)

如何だろうか。まず、世界のアリさん国家とキリギリス国家の現状を下記のグラフで確認していただきたい。

現在、この世界で進行中のイソップ物語では、キリギリスの親分米国が軍事力という暴力装置を有効に使っているために童話のようにキリギリスは、死ぬこともなくぬくぬくと冬を越している。アリさんたちが一生懸命貯めた餌:国富を何らかの形で奪い取っているからである。残念ながら、それも臨界点に近づきつつあるのが現在である。これ以上奪えばアリさんたちが死んでしまうのである。

 おもしろいことにアメリカに戦争で負けた日本国内においても、米国の言いなりのキリギリス:日本政府(官僚)がいてその他大勢のアリさんたち(国民)から税金を少しでも多く毟り取ろうと画策している。

「大阪維新の会」のブレインである堺屋太一氏が「財務省は赤字を減らそうと思っているとしたら、大間違いです。本当は、彼らは財政赤字を増やして増税をして日本経済への影響力を強めようとしているのです。」と述べているが全くその通りである。 

わが日本の官僚は、米国が日本に対してやっていることと同じことを、権力を使って同胞たちにやっているのである。

官僚の凄い所は、本当の情報を探し、知り学ぶ国民が僅かである事を知っていて、7~8割に達する物事を深く考えない一般の人たちが納得してしまう仕掛けを念入りに準備することである。それに、権力に弱いマスメディアと云う提灯持ちが加勢し、プロパガンダ情報を報じる。もちろん、財政赤字キャンペーン=増税キャンペーンもその一つだ。これで、みんなコロリと簡単に騙されてしまう。

と言うことは、現在のどじょう総理、野田佳彦氏の言っている“国益”とは何処まで行っても国民不在の国家(=官僚)利益と云う事だろう。福島県、及び周辺県の国民の健康生命よりも、明治以来の官僚国家存続の合理性がプライオリティを持っていることは、嘘で塗り固められた“原発事故収束宣言”を見れば一目瞭然である。また、TPPや米ドルに対する為替介入等の政策行動を見ても国益(国民全体の利益)よりも米国の思惑を優先していることは明らかであろう。

ここで、もう一つ、わかりやすい地図を見ていただきたい。IMFのデーターをもとに1980年から2008年までの世界各国における累積貿易収支を図にしたものである。緑の濃いところがアリさん国家でチョコレート色の濃いのがキリギリス国家である。要するにこの30年間、日本、中国、ロシア、サウジアラビア、ドイツ、スイス、北欧の国々がその他の国々を今まで支えてきたのである。

ところで、昨年、2011年は、大きな事件、出来事が目白押しに起きた。

(1)東日本大震災・フクシマ原発事故

(2)地域政党の動き「大阪維新の会」橋本 徹、堺屋太一コンビによる体制改革

  「日本一愛知の会」大村・川村コンビによる中京都構想

(3)ユーロ危機

(4)ドル危機(米国債デフォルト騒ぎ)

(5)中国不動産バブルの崩壊

(6)アラブの春、カダフィ殺害、ムバラク政権崩壊、ビンラディン死亡報道

(7)ウォール街を占拠

(8)金正日死亡

(9)世界人口70億人突破

(10)1ドル=75円台の戦後史上最高の円高

ざっと、選んだだけでも大事件ばかりである。しかしながら、日本人にとって一番の事件は、東日本大震災とフクシマ原発事故であろう。311は、日本のあまりに長かった戦後を終わらせる事になる事件であったことが、後日はっきりするのではないだろうか。

 なぜなら、311は、米国と官僚によって作られた日本の戦後システムが金属疲労して全く機能しないことをはっきりと国民に見せつけたからである。 

我々は日本のマスコミ、官僚、東電を初めとする経営者、それを取り巻く学者が全く信用できないことを知ってしまった。何となく信用していた、鵜呑みにしていたことが「全く嘘であった」ことに気がついてしまったのである。

これからは、アリさん一人一人が幸せになれる、時代にあった新しいシステムが必要である。

そのシステムをつくるためには、体制改革をするためには、少しでも多くの人が本当のことを知る必要がある。会社を経営されている方、子供たちを教育されている方には右も左も関係なく、一人でも多くの方々に本当のことを知っていただく必要がある。

今までレポートでは、マスコミで報道されない本当のこととして下記のようなことを指摘してきた。

○現在、福島県民を中心とする日本人は、低放射線の人体に対する影響調査のモルモットにされている。

(*セシウム降下と4号機(武田邦彦教授のブログより)

「12月29日、30日と高かった福島市のセシウム降下量は、いったん12月31日、1月1日と下がったものの、1月2日には「4月なみ(4月は福島からのデータはないので、茨城県北部のデータを参照した)」セシウムが降っている。

この量が続けば3月、4月と同じだから一時避難しなければならない。ただ、今の段階で間違ってはいけないことがある。それは「原因を追及するのではなく、本当に3月4月なみのセシウムが降っているのか、なぜそれを政府が警告し、マスコミが報道しないのか?である。データは文科省の正式データ(報告は福島県らしい)であり、値は1日で252メガベクレル(1平方キロメートルあたり)だから、十分に警告を出して良いレベルだ。「2,3日、様子を見る」ということかも知れないが、危険な兆候は知らせてくれないと困る。 

被曝は足し算だから、直ちに逃げなくても良いが、マスク、外出抑制はまずして、学校の開校は時期をずらした方が良いだろう。また、本当ならまもなく水道も汚れてくるはずであるし、半月後には葉物野菜が汚染されるだろう。

  第二に重要なのは原因の追及より、セシウム降下の事実を調べることだ。たとえば、このように考えたら良い。火事が起きて家族のいる居間に火が移ろうとしている。その時に逃げる準備や火がどこまで迫っているかは大切だが、火元が台所か風呂場かは当面はあまり深く追究しても意味が無い。だいたいの方向が判れば良い。

実は、私も「4号機が危ない」という情報があったので、それを調べていたら、どうも「セシウムが降ったのは4号機ではないか」と類推し、4号機の問題にすり替わったらしい。4号機かどうかなどは2,3日後でも間に合う。

  セシウムが降っているなら、それだけに注目し、逃げる準備が先である。4号機でも1号機でも、福島周辺からの2次汚染でも、同じことが起こる。でも、原因追及より、事実確認をすることが第二だ。もちろん、事実確認をしている内に被曝してはいけないから、ともかく危険なデータがでたら、即、準備をするべきだ。(平成24年1月6日 午後6時)

○現在の日本には本当の意味で「報道の自由」はないし、「ジャーナリズム精神」というものも幻想になりつつある。もっとも資本主義社会におけるマスコミの限界は世界共通である。

○現在、日本のマスコミを騒がしているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定TransPacific Strategic Economic Partnership Agreement)は、マスコミ等で宣伝されているような開国政策ではなく、全く逆の現代の集団鎖国政策、米国によるブロック経済、囲い込み政策であり、自由貿易に逆行する政策である。

○世界最大の債権国である日本の「円」は隠れ基軸通貨である。

○現在、米ドルは、三年前のレポートでも指摘したように一ドル=50円に向かっている。

○際限なくドルを発行している米国は、石油決済通貨であるドルの過剰流動性を原油価格の上昇で少しでも補うことで、基軸通貨ドルの延命を図ろうとしている。したがって今後も石油価格は上昇する。

○リビアのガダフィー失脚は、ユーロ・ドル防衛のために欧米のエリートが仕掛けたものである。

○チュニジアから始まった「ジャスミン革命」等の民主化運動は、中東情勢を不安定にするためのものである。狙いは、石油利権の確保、石油価格の上昇、その先にあるのは、欧米が金融危機を脱するための戦争経済(WAR ECONOMMY)である。

○日本は米国の「自冶領」であると欧米のエリートの一部、特に米国のエリートは考えている。

 (*敗戦後、日本に対して米国は、つぎの三つの政策を押しつけてきている。

①日本から永遠に自主防衛能力と独立外交能力を剥奪しておくための憲法九条。

②戦前の日本は「邪悪な帝国主義国家」であり、その日本を懲らしめたアメリカは「国際正義を実現した道徳的に立派な民主主義国」であるというプロパガンダ:東京裁判史観。

③日本を属国としてアメリカの世界支配システムに組み入れ、米占領軍が日本列島に設置した軍事基地を半永久的に使用するための仕組み、すなわち日米安保条約。

  これら三つの政策が、敗戦国日本を半永久的に支配しておくために米政府が考えついた「対日支配政策・三点セット」である。)

(*ド・ゴール大統領は、「自国の運命を自分で決めようとせず『友好国』の政策判断に任せてしまう国は、自国の国防政策に対して興味を失ってしまう。自国の防衛を他国任せにするような国は、独立国としての存在理由をすでに失っている」と指摘している。)

○本当のことを言えば、日本は資源大国である。領海内の資源開発に専心すれば、長期的に考えれば、鎖国しても生きていくことのできる国である。

もっとも日本がそのような行動をとったら、ジャパンマネーで回っている「国際社会」と称するものは機能不全に陥るだろう。

「日本は、潜在的資源大国である。」このことは世界のエリートたちの常識である。

○二酸化炭素による地球温暖化は嘘である。現在の欧米のエリートは「地球寒冷化」を心配している。

 今まで、上記のようなことを指摘させていただいた。

ともかく、2012年はユーロ危機、ドル危機といった金融危機が、キリギリス国家を戦争経済へと舵を切りたい抗しがたい誘惑に晒すことは間違いない。また、それぞれの国の中でもアリさんとキリギリスの攻防戦が繰り広げられることになる。 

わかりやすく言えば、日本国内における公務員改革とは、特権階級である役人:キリギリスをアリギリスにする改革である。大阪都構想も日本国内におけるキリギリス改革を中央からでは、とてもできないので地方から始めるということである。

 

これからの大混乱時代を乗り切るキーワードは、「地域」(ローカル)である。その意味で、地域主権、地域政党、地域メディア、地域通貨、etcが、これからの時代を切り拓いていく、生き延びていくツールである。

 

 「地域に足を付けた本当の情報を共有するネットワークづくりをすることを一人一人が求められている」そのことによって生き残りをはかる時代に入ったとも言えよう。

これからは有意な人がより大きなネットワークを創り上げて地域社会からその輪を水平に拡げていく必要がある。

本当の情報を共有するネットワークが地域社会に根ざせば、グローバリズムの嵐を乗り越え、共生社会を守っていくことができるはずである。

「医者まかせ」にならないために知るべき身体の基本が書かれています。根強い人気があった本が文庫化されましたので、紹介します。



『免疫革命』の著者、安保徹氏は新潟大学医学部の教授である。

彼はこの本を書いた動機を、こんなふうに述べている。

「現代医療が病を治すどころかむしろ重くして」いる一方、「民間療法的な免疫療法、代替医療には科学的・理論的裏づけがない」。そこで「病気の根本的な謎を解き」、「免疫力がなぜ病気を癒すのか、その全体像を」明らかにする、と。いわば『がん患者学』が問いかけている問題に、学問的な裏づけを与えようというわけだ。といっても、研究書ではないから患者に語りかけるような口調で書かれている。

 著者がここで取りあげているのは、ガン、アトピー性皮膚炎、膠原病。いずれも現代の難病といわれる病気である。これらの病気に対する現代医学の療法はすべて対症療法であり、体が持っている免疫力を徹底的に抑えこむもので、病気を根本的に治すという目的には本来そぐわないのだと彼は、言う。

 たとえば抗ガン剤はガン細胞の細胞分裂を抑えこむけれど、リンパ球などほかの細胞の新陳代謝も抑えこんでしまうので、ガンは小さくなっても体力がおとろえ、体全体の治癒力がなくなってしまう。アトピー性皮膚炎に使われるステロイドは皮膚に沈着し、新しい皮膚炎や炎症を起こす。そこでさらに強いステロイドを使うという悪循環におちいって、自然治癒のチャンスを奪ってしまう。

 興味深いのは、痛みや熱や発疹というものは、体が自分を治そうとしている治癒反応なのだという指摘である。だから熱や痛みや炎症を通過しなければ、病気になった人間の体は元に戻らない。耐えられない症状に短期間、効き目の強い薬を使うのはいいけれど、長期に使えば逆に薬が新たな病気を生みだし、本当の治癒には行きつかない。

 免疫というのは、体のなかに入ってくる異物を消化したり吐きだしたりする仕組みで、白血球がこの働きを担当している。その白血球は自律神経によってコントロールされている。自律神経には交感神経と副交感神経があり、交感神経は体の興奮をつかさどり、副交感神経が働くと体をリラックスさせる。

 白血球には大きくわけて顆粒球、リンパ球、マクロファージという3種類がある。顆粒球は交感神経に支配され、リンパ球は副交感神経に支配されている。

 顆粒球は体内に入ってくる細菌を処理するが、強いストレスを受けたりして交感神経が過剰に反応すると、異常のない組織まで破壊してしまうことがある。ガン細胞はそのようにして生まれる。だからガン患者のほとんどは、働きすぎや心の悩みといったストレスを抱え、交感神経が過剰に働いて顆粒球が増え、逆にリンパ球が減って免疫が低下している状態にある。

 リンパ球はウイルスなどの抗原と戦うが、リラックスしすぎて(具体的には運動不足や食べすぎ、肥満で)副交感神経が過剰に働くとリンパ球が増え、アレルギー性の病気を引きおこす。アトピーがこれに当たる。少子化による過保護、食事の内容が良くなったこと、外で思いきり遊ばせない、炭酸ガス(飲料)の取りすぎなんかが、副交感神経を過剰に働かせる原因となる。

 要するに、人間の体は交感神経と副交感神経のバランスの上に成りたっているので、そのバランスが崩れることが病気の原因になる。交感神経が働きすぎて顆粒球が増えるとガンなど組織を破壊する病気になるし、副交感神経が働きすぎてリンパ球が増えるとアレルギー系の病気になる。 

 白血球の平均的なバランスは、顆粒球60:リンパ球35:マクロファージ5だという。

「つまるところ、病気になるかならないかというのは、私たちの生き方にかかっています」と著者は言う。「心の持ち方が体調をつくる」「意識と無意識をつなぐ呼吸が重要」「体を冷やしてはいけない」と、著者の言うことは医者というよりは民間医学の格言に似てくる。でも、免疫という学問の領域を一回りした後にそう言われると説得力を持ってくる。

 もうひとつ、著者の言葉で深く納得がいったのは、病状や検査結果を考えるとき、「数字ではなく自覚症状が大切」ということだった。数字ではなく、食事がおいしくなっている、体の冷えがなくなっている、顔色が良くなっている、疲れやすさがなくなったなど自覚症状が改善されていれば、数字が変わらなくとも、いずれ良い結果が出るものだという。

 そういう姿勢は、著者のこんな言葉に象徴されているだろう。「私たちが生きものとして本来もっている危機意識、野生動物の勘みたいなものを、もう一度呼びさますことが必要です」。

 民間医療や東洋医学ならともかく、国立大学で西洋医学を教える現役の医師・研究者の著書としては、ずいぶん思いきったことを言っている。

安保 徹氏プロフィール 

・新潟大学院歯学部総合研究所教授(国際感染医学・免疫学・医動物  学分野)。研究の傍ら、「健康と免疫」、「病気と生き方の見直し」等のテーマで全国各地を講演中。

・著書には「免疫革命」「未来免疫学」「体温免疫学」「こうすれば病気は治るー心とからだの免疫学」「絵でわかる免疫」など多数。
1947年  青森県生まれ。
1972年  東北大学医学部卒業。
1980年  アメリカ・アラバマ大学留学中、
    「ヒトNK細胞抗原CD57に関するモノクローナル抗体」を作成。
1989年  胸腺外分化T細胞を発見。
1996年  白血球の自律神経支配のメカニズムを解明。
2000年  胃潰瘍の原因が胃酸であるとの定説を覆して注目される。
 
 

<安保徹教授との一問一答> 

   ~免疫の仕組み~

問1:まず、安保教授と免疫研究についての出会いを教えていただけますか?

 

安保:わたしは大学を卒業して研修医になった頃、たまたまガンとリウマチの患者さんを中心に診療する部門に入りました。この医療現場に約2年いましたが、次第にわたしは臨床と言うものに限界を感じ「何か新しいものが見えてくるかもしれない」と思って免疫学の研究に入ることにしました。
そこで、環境の変化が交感神経の働きに影響を与え、それに伴って白血球の中の顆粒球とリンパ球のバランスが変動することを発見し「多くの病は顆粒球とリンパ球のバランスが崩れる自律神経系の破綻が原因」と結論づけました。疲れやストレスを抱えると、顆粒球を支配する交感神経が活発になり、増えすぎた顆粒球が粘膜を破壊して胃潰瘍やガンの発症原因になります。
しかし休養などで免疫力を高めるとリンパ球が再び増え、バランスが回復し、病気を治癒できるわけです。

問2:素朴な疑問なのですが、免疫はどうやってできるのですか?

 

安保:まず突然体に何かの異物が侵入すると、その異物に対して免疫が出来、免疫が一度出来てしまえば、その異物が原因となる病気にはずっとかからなくなる、という現象はご存知だと思います。
私たちの身体はいろいろな細胞から出来ていますが、ほとんどの細胞は本来持っている多様な能力の一部しか使っていません。
例えば、腸の細胞は吸収する能力、神経細胞はネットワークを作って知覚を伝達する能力、また生殖細胞だったら卵子や精子を作る能力、というようにそれぞれの細胞が使っている能力は非常に偏っています。ところが、私たちの身体の中には単細胞生物時代だった頃の細胞と同じように多面的な仕事をこなす細胞が残っています。それが免疫に関わる細胞です。
単細胞と言えば、いちばんにアメーバがイメージされると思います。アメーバは生態が行うありとあらゆる活動をたった一つの細胞ですべて行っています。そういう細胞は私たちの身体の中に今も残っています。それが白血球です。

安保:白血球は普段は身体の血液の中をくまなく循環しています。その白血球は異物が入った時にその場にちゃんとたどりつけるように、いつも体中を巡回しながら監視体制をしている細胞です。
わたしたちの身体をウィルスや細菌の侵入から守る免疫システムの要になっているのは白血球です。白血球にはいろいろな仲間がおり、それぞれが得意分野を持って免疫システムのために働いています。その仲間はリンパ球や顆粒球、マクロファージに大きく分けられます。さらにリンパ球はT細胞やB細胞、NK細胞など個性的な働きをするメンバーに分類されます。

問3:ではわたしたちが免疫力のアップを目指すために、普段からどんなことを心がければよいでしょう?

 

安保:わたしたちの心と身体は非常に密接につながっています。例えば、ひどく心配なことがあれば、食欲は落ちるし元気もなくなり、朝起きるのもいやになります。悪い精神状態では身体の動きを止めてしまうことになるでしょう。
心と身体の二つをつなげているのは自律神経です。自律神経はありとあらゆる細胞を支配し、白血球も支配しています。免疫アップを目指すなら、「ムリ」をせず「ラク」をしないことです。強いストレスを出来るだけなくし、メリハリのある心のあり方や生き方がバランスの良い状況を生みます。また食などの生活改善と呼吸も大切です。

安保:また健康を維持するためには、自分の性格や傾向を見極めて、極端な状態になってしまわないように心がけることです。もちろん人生には時折不可避的な苦しい状態も訪れます。確かにそれがストレスになることがあり、強い感情の働きは、身体に必ず影響を与えます。ちょっとしたことでくよくよ悩んだり、ねたみやひがみの気持ちを持ち続けたりすると、限度を超えたときに破綻をきたすことでしょう。またよこしまな心を持ったり、他人の足を引っ張ろうとすると、心の持ち方がゆがんで、体調もゆがんできます。心の持ち方は病気を防ぐ上でとても大切なことだと思います。体調のよしあしは自分自身にある、わたしはそう考えています。

問4:安保教授は普段の生活で、健康にどんなことを心がけていますか?
安保:わたしは以前ささいなことでしょっちゅう怒っていました。しかしある時期から怒ると言うことは身体によくないと悟り、マイペース型になりました。今はバランスよい食事をし、適度な刺激の中で楽しく生活することに徹しています。また早寝早起きを心がけています。これが今のわたしの健康法です。



成人式を迎えた若人に是非、読んでもらいたい本である。

今回は、如何に現代人が「グローバリズム、新自由主義の思想」に毒されているかを、また、日本では、公共を考える政治、国益(国民全体の利益)を守る政治が機能しなくなりつつあるかを理解できる逆説的な名著として、京都大学の人気講師の話題の本を紹介させていただく。 

 それでは、本の内容を要約して紹介する。

「僕は君たちに武器を配りたい」瀧本哲史著(講談社) 

 

<第1章 勉強できてもコモディテイ(使い捨て商品)> 

医師、弁護士、公認会計士といったような高学歴の・高スキルの人材が、世界中の先進国でニートやワーキングプアになってしまう潮流が押し寄せている。これまで、大学が伝統的に提供してきた、「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」というストーリーが世界規模で急激に崩れ去ろうとしている。 

しかし、最近の日本では「勉強して努力すれば必ず幸せになれる」という考え方がメディア等で盛んに宣伝されている。自己啓発書が相次いで出版され、朝活などというものが盛んに開かれている。そうした努力神話を信じて、英語やITや会計を勉強した人のうち、実際に年収が増えた人はほとんどいない。

これは、学歴信仰が壊れ、経済のグローバル化が急ピッチで進み、日本人同士のみならず外国人との間でも職の奪い合い始まっている今日の日本が、明治維新以来の不安定な時代となっていることを意味している。

そういう時代だからこそ、ますます安定した道を求める真理も昂じて、「資格を取れば安心できる」とか勉強しなくてはならないといったストーリーに乗ることを欲したのだろう。それに乗じた形で勉強ブームといえる現象を起こし、金儲けをしている目先の利く人たちがいる。

いまの世の中、つまり高度に発達した資本主義(米国主導のグローバリズム)の下では、必死に勉強して「高度なスキル」を身につけてもワーキングプアになってしまう。それは、かつて高収入を得られた付加価値の高い職業が、もはや付加価値のない職業へと変わりつつあることに起因している。弁護士にしても、英会話が堪能にしても、MBA取得でも、需要と供給のバランスが崩れ、スキルや資格を持った者が余っている状態になってしまっている。

こうした急激な社会変化が、あらゆるところで起こっているのが現代の社会である。今まで、うまくいっていたやり方が通用しなくなり、これまでと同じ方向性で頑張っても、豊かな生活を営むのは難しくなってしまった。物心両面ともに幸福で充実した人生を過ごすには、これまでとはまったく違う要素が必要なのではないか。そのことにみな気づき始めているのだが、かといってどうすればいいのか分らない。それが今の時代を覆っている閉塞感の大きな一因だ。(本当は根本的な哲学、歴史観に基づくパラダイムシフトが必要なのだ)

留めることができない変化は、一部の例外を除いて、どんどん賃金の最低金額が下がっていく、ということだ。(日本政府と日本銀行が現在の政策を変更しない限りにおいて)

ここで瀧本先生は「コモディテイ」という概念を持ち出してくる。市場に回っている商品が、個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態。それを「コモディテイ化」と呼ぶ。経済学の定義によれば、コモディテイとはスペックが明確に定義できるもののことを指す。材質、重さ、大きさ、数量など、数値や言葉ではっきりと定義できるものは、すべてコモディテイだ。つまり、個性のないものはすべてコモディテイなのである。

一定のレベルを満たしていれば、製品の品質は関係ない。例えば、日本の自動車部品メーカーが作る製品の質は、非常に高いレベルにある。しかし、グローバル化して少しでも安い部品を調達したい自動車会社から見れば一定のスペックを満たしていれば、それらの部品はすべて同じだと判断される。だとすれば、少しでも価格の安い方から買いたい。だから、今の自動車業界、とくに部品を供給するビジネスは、どれほど品質が高くても買い叩かれる構造となっている。コモディテイ化した市場で商売をすることの最大の弊害は徹底的に買い叩かれることにある。

さて、ここで彼は主張する。コモディテイ化するのは商品だけでなく、労働市場における人材の評価においても、同じことが起きている。これまでの人材マーケットでは、資格とかTOEICの点数といった、客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。だが、そうした数値は、極端に言えば工業製品のスペックと何ら変わりがない。同じ数値であれば、企業側は安く使える方を採用するにきまっている。TOEIC900点以上ならだれでも同じということになっている。だから、コモディテイ化した人材市場でも、応募者の間で、どれだけ安い給料で働けるかという給料の値下げ競争が始まる。

こうしたコモディテイ化の潮流が、世界中のあらゆる産業で同時に進行している。その流れから逃れることは、グローバリズムに浸食される現代社会に生きる限り、誰にもできない。

これからの時代、すべての企業、個人にとって重要なのは、非常に難しいがコモディテイにならないようにすることなのだ。

労働者の給料がどんどん安くなってきているもう一つの大きな理由は、最低賃金の募集でも喜んで働く人がどんどん増えているということだ。このように、これからの日本では、単なる労働力として働く限り、コモディテイ化することは避けられない。

それでは、どうすればコモディテイ化の潮流から、逃れることができるのだろうか。人より勉強するとか、スキルや資格を身につけると言った努力だけでは意味をなさない。

答えは、スペシャリティになることだ。スベャリティとは、要するに「他の人には代えられない唯一の人物(とその仕事)オンリーワンになること」である。あらゆる業界、あらゆる商品、あらゆる働き方においてスペシャリティは存在する。

しかし、その地位は決して永続的なものではない。ある時期にスペシャリティであったとしても、時間の経過に伴い必ずその価値は減じていき、コモディテイへと転落していく。スペシャリティになるために必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、まず、最初に現在の超エリートが創ろうとしている資本主義の仕組みをよく理解して、どんな要素がコモディティとスペシャリティを分けるのか、それを熟知することだ。(*もちろん、一番効率的な方法は、超エリートのインサイダーになることである)

<第2章 「本物の資本主義?」が日本にやってきた>

戦後の日本は奇跡の復興とも呼ばれた経済成長を遂げた。そのころの日本企業を支えてきたのは、いわゆる「護送船団方式」と言われる政府の手厚い保護政策であった。事業の許認可や輸入品に対する厳しい規制を設けることで新規参入を妨げ、競争はあってもそれに敗れた大手企業からできるだけ落伍者を出さないよう、あらゆる分野で政府がコントロールしていた。

しかし、1985年のプラザ合意、そえから数年間の欧米資本によってつくらされたバブル崩壊と時を同じくして終焉する。為替操作による作られた円高と自国通貨建てで対外投資をすることを許されない状況下での経済グローバル化によって日本の国内産業は、生産拠点を海外に移すことを余儀なくされた。その結果、中国や台湾、シンガポールなどをはじめとした新興国の産業化が次々に進み、安い労働力で日本の産業から仕事を奪っていくように仕向けられた。世界中の人々と市場で競争を迫られる著者の言う「本物の資本主義」の社会へと否応なく足を踏み出さねばならなくなったのが現在の日本である。日本のような実際には主権のない国の企業はきわめて主権のある国と比較して不利な競争を強いられることになる。

国内需要の低迷で何とかしなければならなくなったとき、全社一丸となって踏ん張ればまた上向くということは、もはや絶対に期待できない。(*それができるのは、国だけである。しかし、マネーの帝国循環をさせるために、日本のその機能は米国によって封印されている。)部品メーカーも販売店もしのぎを削って、より効率を高めた企業がそうでない企業を呑み込んでいく、あるいは日本から海外への進出に対応できた事業者だけが生き残っていく、そういう時代なのだ。資本主義を支える根本的な原理が「より良いものが、より多く欲しい」「同じものなら、安いものの方がいい」という、人間の普遍的な欲望に基づいているからである。(*しかし、なぜその製品が安くなったのか、考えてみよう。政治力による為替操作によるかもしれないではないか。)

現代の日本の産業界で労働者の賃金が下がってきているのは、産業界が派遣という働き方を導入したのも原因の一つだが、本来は超過利潤を生む技術革新が国際政治における日本政府の力のなさをカバーするために賃金を下げる方向のみに使われたことにある。 その結果、自車産業に代表される工場のラインが最新鋭にオートメーション化され、コモディテイ化した労働者がそこに入っても、高品質の製品が作れるようになった。シュンペターの理論によれば、会社に超過利潤をもたらす技術革新が円高をカバーするために使われ、労働者の賃金を下げることによって生き延びる方法を企業にとらせたのである。たしかに産業の成熟化が進み、熟練労働者が必要なくなれば、労働者は必然的に買い叩かれる存在となっていくのであるが、国際政治というパワーポリティックスの中で半分しか主権のない国、日本はいつも不利な条件を受け入れさせられるのだ。白色人種でない敗戦国の特色だとも言えよう。

日本経済が疲弊化していった理由はほかにもある。国レベルで見ても、日本のビジネスモデルというのは、すでに陳腐化している。かつて日本が強かったのは「摺り合わせ製造業」という分野だった。しかし、時代が変わり、すさまじい工作機械(日本製であることは言うまでもない!)の進歩により、中国では人海戦術で多品種の製品を作るようになり、差をつけることが難しくなってしまったのである。現在でも日本の企業の作る品質は高い。しかし、中国の企業の製品の品質との差は微妙で、ユーザーにとっては殆ど関係がない。ユーザーにとっては「分らない差異は、差異ではない」のである。それより、色やデザイン、価格といったはっきり自分でわかる差異の方が大事なのである。

(*瀧本先生は中国を初めアジア諸国が日本の工作機械がなければ、生産できないことにはわざと触れていない。)

<第3章 学校では教えてくれない資本主義(グローバリズム)の現在>

起業については、卒業したての学生が起業するときに、一番よくある失敗は、コモディテイ会社を作ってしまうことだ。学生ベンチャーが業界に新規参入し、たまたまある時期成功したとしても、それは学生の労働力が社会人に比べれば圧倒的に安く済み、またヒマであるがゆえに仕事が速いと言った理由で、一時的に競争力があったに過ぎない。だからこそ学生は、卒業後すぐな起業するのではなく、一度就職して、社会の仕組みを理解した上で、コモディテイ化から抜け出すための出口を考えながら仕事をしなければならない。そうして出口を考えながら好機を待っていた人が、30前後で満を持して起業し、成功するパターンがベンチャーには多く見られる。

(専業主婦とは、夫に自分の人生のすべてをかけるということである。死ぬまで健康な男はいない。絶対に潰れない会社も存在しない。他人に自分の人生のリスクを100%委ねることほど、危険なことはない)

就職活動を控えた学生に、混乱をもたらしている原因のひとつとして、企業側が学生に求める資質の変化も挙げられるだろう。ほんの少し前までは、企業側は学生に対して即戦力であることを求めておらず、むしろ「真っ白な状態で入社したものを、一から鍛えたい」と考える企業が多かった。しかし現在では、どこの企業も入社後すぐに戦力として使える人材を求めている。1990年代までの日本は、高い最終学歴を獲得すれば、良い就職先に入ることができ、その後の人生における収入と社会的地位を確固とすることができた。学歴主義には弊害もあったが、少なくとも努力をして学校で成績を上げることが、社会的地位の向上につながるという、分りやすい価値観を社会と個人にもたらした。そのため、「良い暮らしができないのは個人の努力が足りないからだ」と、社会的にも見なされ、「なぜ私は不遇なのか→それは努力が足りなかった」という具合に、不公平感を抑えることができていた。その後、90年代後半、目に見える「テストの結果」や「学歴」に加え、「意欲」や「コミュニケイション力」などの定義があいまいで、個人の人格にまで関わるような能力が、評価の対象になり始めた。その結果、評価される側が、「何をどう努力していいか分らない」と混乱する結果を招いている。このような客観的に数値化できない、性格的特性を重視する傾向が広まることで、若者の無気力や諦め、社会へ出ることへの不安を助長してしまう可能性がある。

現在の日本で、安定した職場というはない。例えば1971年の就職人気企業を見ていると、潰れた会社、今青色吐息の会社が半数以上を占める。この40年間で日本を覆った規制緩和とグローバリゼーションの波に耐えられなかった会社は軒並み倒産するか、ビジネスそのものがコモディテイ化して苦境にあえいでいる。1971年の人気企業で現在生き残っているのは、グローバルブランド化した企業だ。

「世の中でこれが流行っているから」と現時点で話題になっている業界の会社に就職するのも、危険な選択と言える。更に言えば、現在絶好調な会社に就職することは、言葉を変えると、数年後にはほぼ間違いなく輝きを失っている会社に就職することとほとんど同義と言える。どんな素晴らしい企業も、未来永劫その価値を維持し続けることはできない。現代において、働く個人が常に経済的、社会的に高いポジションを維持するためには、次のどのビジネスモデルが成功するか潮流を見極めながら、転職を繰り返すことが必然の行動であることが分かる。投資の世界では「高すぎる株は買ってはいけない」というのが常識である。会社選びも同じだ。就職・転職希望者には、自分が就職を検討している会社が「高すぎる状態」になっていないか、よく考えてみるべきだ。

就職希望者に「これから伸びる産業はどこか」という質問を受けるが、すでに多くの人に注目されてしまっている分野には行かない方がいい、ということだ。就職先を考える上でのポイントは、「業界全体で何万人の雇用が生み出されるか」という大きな視点で考えるのではなくて、「今はニッチな市場だが、現時点では自分が飛び込めば、数年後に10倍か20倍の規模になっているかもしれない」というミクロな視点で考えることだ。  まだ世間の人が気づいていない市場にいち早く気付くことなのだ。

<第4章 日本人で生き残る4つのタイプと、生き残れない2つのタイプ>

資本主義社会の中で安い値段でこき使われず(コモディテイにならず)に、主体的に稼ぐ人間になるためには、次の6つのタイプのいずれかの人種になるのがもっとも近道となる。

1.商品を遠くに運んで売ることができる人(トレーダー)

2.自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人(エキスパート)

3.商品に付加価値を付けて、市場に合わせて売ることができる人(マーケター)

4.まったく新しい仕組みをイノベーションできる人(イノベーター)

5.自分が起業家となり、みんなをマネージ(管理)してリーダーとして行動する人(リーダー)

6.投資家として市場に参加している人(インベスター)

だが、この6タイプの中でも、今後生き残っていくのが難しくなるタイプがいる。それは、最初のトレーダーとエキスパートだ。コモディテイ化が進む現在の社会では、これまでならば、様々な職場で求められ活躍できたタイプの人種が、どんどん必要とされなくなっていく。

トレーダーとは、単にモノを右から左に移動させることで利益を得てきた人のことを指す。会社から与えられた商品を、額に汗かいて販売している多くの営業マンがここに分類される。これまで個々の営業マン人間的能力と労力で培われてきた購買行動が、ネットにより瞬時に検索により、すべてのメーカーの同一ジャンルの製品が一覧で、スペックから価格まで比較検討できるようになった。消費者はその中から最も安いものを選んで買えばいい。企業においてもトレーダー的な業種、商社をはじめ広告代理店や旅行代理店のような商品を右から左に流すことで稼いでいた企業は経営が苦しくなってきている。

生き残りが難しくなってきているもう一つのタイプは、エキスパートだ。エキスパートとは専門家のことを指す。一つのジャンルに特化して、専門知識を積み重ねてきた人は、これまであらゆるジャンルで尊敬の対象だった。しかし、ここ10年間の産業のスピードの変化がこれまでと比較にならないほど早まってきて、産業構造の変化があまりに激しいために、せっかく積み重ねてきたスキルや知識自体が、あっという間に過去のものとなり、必要性がなくなってしまうのである。ある時期に特定の専門知識を身につけても、その先にあるニーズが社会変化に伴い消えると、知識の必要性が一気に消滅してしまうのである。

トレーダーとエキスパート、これまでのビジネスにおいて重要とされてきた「営業力」と「専門性」、その2つが実は風前の灯となっている。何かの分野でエキスパートであることや、モノを動かしてサヤを抜くという仕事は、かつての生産性革命の時代や、国家間での貿易で儲けていた時代にはヒーローでいられた。しかし、今現在の「付加価値を生む差異があっという間に差異でなくなり、コモディテイ化した人材の値段がどんどん安くなっている時代」には、時代遅れの人々にならざるを得ないのである。

<第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方>

これかに生き残るビジネスパーソンのタイプは、マーケター、イノベーター、リーダー、投資家の4種類だ。ただし、便宜上4つのタイプに分類しているが、ここでは一つのタイプを突き詰めるのではなくて、望ましいのは、人釣りのビジネスパーソンが状況に応じて、この4つの顔を使い分け、仕事に応じて、時にはマーケターとして振る舞い、ある機会には投資家として活動していく。そのような働き方が、これからのビジネスパーソンに求められる。

まず、マーケターとは端的、顧客の需要を満たすことができる人のことだ。大切なのは、顧客自体を再定義するということである。つまり、人々の新しいライフスタイルや、新たに生まれてきた文化的な潮流を見つけられる人のことを指す。自分自身で何か画期的なアイディアを持っている必要はない。重要なのは、世の中で新たに始まりつつある、微かな動きを感じ取る感度のよさと、何故そういう動きが生じてきたのかを正確に推理できる、分析力である。さらに売るものは同じでも、「ストーリー」や「ブランド」といった一見捉えどころのない、ふわふわした付加価値や違いを作れることだ。

そもそも資本主義社会では、仕組みとしてあらゆる商品がコモディテイ化していくことが宿命づけられている。ある企業が何か革新的な商品を開発しても、すぐに別の会社がより安いコストで同じような商品を開発しても、すぐ別の会社がより安いコストで同じような商品を作り出し、市場に投入して来る。資本主義社会の中では、常に市場の中で競争が行われ続け、コモディテイ化した商品はどんどん価格が下がっていき、やがて市場から淘汰されていく。陳腐化した商品しか作れない会社もまた勢いが衰え、市場からの退場を余儀なくされる。その繰り返しで、戦後の日本も発展してきたのである。ということは、企業が衰退を避けるには、イノベーションを繰り返して、商品の差異を作り続けなければいけない、ということだ。あらゆる業種、業態の企業が、その前向きな努力をすることで、全体としての社会が進歩していくのが、資本主義社会の基本的なメカニズムなのである。

しかし、インターネットが登場してきた以降の現代では、情報の流通コストがほぼゼロとなった。そのため「差異」は生まれた瞬間から、世界中に拡散し、模倣され、同質化していくこととなった。この十数年、企業の栄枯盛衰のサイクルが、かつてないほど速まっているのは、それが大きな利用である。この流れに巻き込まれているのは、大企業と言えども、例外ではない。企業のコモディテイ化が進む中で、唯一富を生み出す時代のキーワードは、「差異」である。「差異」とは、デザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言い換えてもいい。

わずかな「差異」がとてつもない違いを生む時代となったのだ。マーケターとは、「差異」=「ストーリー」を生み出し、あるいは発見して、もっとも適切な市場を選んで商品を売る戦略を考えられる人間だと言える。

<第6章 イノベーター=起業家をめざせ>

日本はこれまで人口は増える一方で、経済自体の規模が膨張していく時代が長く続いていた。成長のベクトルは常に上を向いており、あらゆる業種、業界に目指すべき成功のゴールが存在していた。がむしゃらに、愚直に、ひとつのことだけをやっていれば、幸せになれる時代があった。松下幸之助の言葉にあるような「成功するまで続ければ誰でも成功することができる」ということが現実にあった。しかし、現代では新興国をはじめとして世界中のあらゆるところでものづくりが行われており、高コストの日本の企業が愚直に生産を続ければ、それは「死への行進」に他ならない。

もし、日々行っている業務が「死の行進」だと感じたならば、とりあえず死の行進を続ける振りをして、自社の弱点を冷静に分析することをすすめる。自分が働いている業界について、どんな構造でビジネスが働いており、カネとモノの流れがどうなっていて、キーパーソンが誰で、何が効率化を妨げているのか、徹底的に研究するのである。そうして自分が働く業界について表も裏も知り尽くすことが、自分の唯一性を高め、スペシャリティへの道を開いていく。そして常日頃から意識して、業界のあらゆる動向に気を配ることで、「イノベーション」を生み出すきっかけと出会うことができる。

イノベーター的な観点からすれば、「落ち込んでいる業界にこそ、イノベーションのチャンスが眠っている」と考えていい。また、起業家が新しいビジネスを見つける時の視点として、「しょぼい競合がいるマーケットを狙え」という鉄則がある。今現在、凋落しつつある大手企業の周辺には、たくさんのビジネスチャンスが眠っている。イノベーター的な視点から学生に就職先をアドバイスするならば、「今落ち込んでいる業界の周辺企業で、将来的にナンバーワンのポジションを取れそうな会社を狙え」ということになるだろう。そのようにイノベーター的な考え方をすると、潰れそうな会社に入ることにも大きな意味がある。例えば、今はなんとか持っていても、将来の先行きはないだろうと思われる会社に入り、その会社を徹底的に研究する。そして、その会社が潰れる前に退職し、その会社を叩き潰す会社を作るのである。

イノベーションを生み出す発想力、特殊な才能の持ち主のみが持っている限られたものではない。イノベーションは、日本では技術革新と訳されるが、実は新結合という言葉が一番この言葉の本質を捉えた訳語だと考えている。既存のものを、今までとは違う組み合わせ方で提示すること。それがイノベーションの本質だ。社会にインパクトを与える商品やサービスを生み出したい、と考えたとしてもまったく新しい製品を作る必要はない。今既にあるものの組み合わせを変える、見方を変えることによってイノベーションを起こすことができる。

だからイノベーター型の起業家を目指すのであれば、特定分野の専門家になるよりも、色々な専門技術を知ってその組み合わせを考えられる人間になることの方が大切なのである。他の業界、他の国、他の時代に行われていることで、「これはよい」というアイディアは徹底的にパクれば、よいのである。イノベーションをある業界で起こすための発想術は、実はそれほど難しいことではない。その業界で「常識」とされてきたことを書き出し、悉くその反対のことを検討してみればよい。

<第7章 実はクレイジーなリーダーたち>

人間をマネジメントするスキルに必要なこととして、世の中に傑出した人物などほとんどいない。世のほとんどの人は凡人なのだから、その凡人をうまく使うスキルを学ぶことが大切なのである。リーダーには優秀だが我が儘な人をマネージするスキルも大切だが、優秀ではない人をマネージする人をマネージするスキルの方が重要なのである。ダメなところが多々ある人材に、あまり高い給料を払わずとも、モチベーション高く仕事をしてもらうように持っていくのが本当のマネジメント力なのだ。

<第8章 投資家として生きる本当の意味>

資本主義社会では、究極的には全ての人間は、投資家になるか、投資家に雇われるか、どちらかの道を選ばざるを得ないからだ。株を自ら所有するしないにかかわらず、私たちの社会は株主(資本家)なしには存続できない。我々が普段食べる食事も、移動するために乗る自動車も、毎日を過ごす家も、そのほとんどが民間企業、つまり株式会社が提供している。また自分が勤める職場も株式会社であるならば、その時点で自分という労働力を株主に提供することで、その見返りに報酬を得ているということになる。資本主義の国で生きる以上、株主(投資家)に意思のもとに生きざるを得ない、ということなのだ。それならば、自分自身が投資家として積極的にこの資本主義に参加したほうがいい。投資家に振り回されるのではなく、投資家たちの考えを読み、自らが投資家として振る舞うのである。そうすると、この世界が違って見える。

投資家として生きる上で必要なのが、「リスク」と「リターン」をきちんと把握することである。成功している投資家でも、すべての投資が成功しているわけではない。しかし、失敗が少ないのも、投資家のリスクの採り方としては、好ましくない。例えば、シリコンバレーの投資家たちはリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。それはなぜか、投資という行為には、何よりも「分母」が大切だからだ。一つの案件にだけ投資するのは、カジノのルーレットで1か所だけにチップを置くようなもので、重要なのは、できるだけたくさん張ることなのだ。トータルで成績をあげたいと思えば、リスクを恐れずに積極的に投資機会を持たねばならない。失敗を怖がって、確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかもしれない利益を遺失することにつながるのである。つまり、投資家として生きるならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。

そのような投資家的な生き方をするうえでは、投資の機会はできる限り増やすのが望ましい。ただし注意すべき点がある。それは「自分で管理できる範囲でリスクを取れ」ということだ。投資家がリスクを取るときは、必ず計算管理可能なリスクの範囲内で投資を行う。その観点からは、就職して一生サラリーマンの道を選ぶというのはハイリスクな選択である。サラリーマンは、他人にリスクを預けて管理されている存在なのだ。 つまり、自分でリスクを管理できない状態にある。大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年では会社の寿命はどんどん短くなってきている。だからこそ、一つの会社に自分人生の全てを委託するのは非常に高リスクなのである。(紹介終わり)

<解 説>

如何だろうか。こんなにハードルの高い社会で普通の人が幸せに暮らせるのだろうか。

利益社会の極限化は何れ、共同体社会を破壊し、人間の社会生活そのものを成り立たなくさせてしまうだろう。この本の著者はそのことに気がついていない脳天気な人だ。

また、全く触れていないが日本では政治というものが全く機能しない(国家主権がない)ことが彼には当然の前提となっている。

それでは、誰がこんな社会を目指しているのか。世界の資本を独占するエリートたちが、自分たちの利益独占のためにそう言った社会を作ろうとしているのである。

一部の人たちは、この理念を「ニューワールドオーダー:新世界秩序」と呼んでいる。



 

グローバリズムの本国、米国では国際金融資本が経営する「多国籍企業」が犇めいている。

これらがすべてNFTC:全国貿易協議会という組織に集結して、ロビー活動を通して米国政権に圧力をかけ、現在だったら、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)という形で日本経済から富を収奪しようと目論んでいる。現在の米国は生き残るために日本という金の卵を産む鳥を貪り食おうとする位、分別をなくしている状態である。

 確かに、ひとつひとつの企業を見ると、そのことを理解することは難しい。

TPPは日本社会を破壊する!」と言う日本人も、マクドナルドでハンバーガーを食べ、コカコーラやペプシを飲み、家に帰ってマイクロソフトのOSの入ったインテル製PCを使って(自己情報の流失に対して)無防備にインターネットを楽しんでいる。

 しかし、「マクドナルド、コカコーラ、ペプシ、インテル、マイクロソフト」は、すべてNFTC(全国貿易協議会)を通して、TPPを日本に押し付けてようとしている企業群であることに注目すべきであろう。

もうこれらの企業は十分日本に浸透しているのだから、これ以上何を望んでいるのかというと、まだ日本に入りきれていない仲間の多国籍企業を侵出させるためだ。

TPPというと真っ先に問題になるのが「農業」だが、NFTC(全国貿易協議会)のメンバーである世界最大の穀物商社「カーギル」や遺伝子組換えの「モンサント」「ダウ・ケミカル」はまだ入り込めていない。なぜなら、日本が関税を敷いて自国農業を守っているからだ。NFTC(全国貿易協議会)はそれが邪魔だと考えている。そして、その関税を「完全撤廃」させるのがTPPの目的である。

当然そうなれば、日本の農業は壊滅状態になる可能性もあるし、それを防御しようとすれば訴えられてISD条項の元に「損害を弁済させられる」羽目になるのがTPPだ。

ご存じのように経団連の米倉氏(住友化学)はTPP推進に邁進している。

彼の真意はどこにあるのか。

住友化学は、遺伝子組み換え農産物で知られる米国モンサント社と昨年10月に遺伝子組み換え農産物の種子と、強力な除草剤に関する契約を結んでいる。彼がTPPを推進するのは自社の利益追求のためである。ところで、モンサント社はベトナム戦争での枯葉剤を製造した会社である。枯葉剤を散布されたベトナムの地は長い間不毛の大地となり、定住の農民に塗炭の苦しみを味わさせたことを思い出す必要があるかもしれない。

NFTC(全国貿易協議会)のメンバーの中には「アボット・ラボラトリー」「イーライ・リリー」「ファイザー」「メルク」等の巨大製薬会社も混じっている。彼らは特許を盾にしてジェネリック薬を許可しないので、ジェネリック薬を推進している厚生労働省が懸念する医療費の高騰が起こる可能性もある。

もちろん、これも抵抗すればISD条項の元に「損害を弁済させられる」だろう。

訴訟はアメリカの弁護士が行うが、NFTC(全国貿易協議会)には「U.S. Chamber of Commerce(米国商工会議所)」という何の変哲もない名前のロビー団体が含まれている。

知る人ぞ知る米国でも最大のロビー団体のひとつである。

ここに多くの弁護団体が加盟しており、アメリカ式の訴訟を日本で行い、日本人から少しでも多くの金を毟り取りたいと考えているのである。訴訟大国を担う弁護団が入ってくるのであれば、今まで何でも「穏便」に済ませていた日本という国がなくなり、ブレンジスキーが言う見事な「アメリッポン」の完成になることだろう。

つまり、日本に入り込みたいが入れないアメリカの多国籍企業が山ほどあり、そのために、邪魔な日本政府(霞ヶ関))と関税を無力化させるために、NFTC(全国貿易協議会)はアメリカ政府を動かしてTPPという罠を仕掛けてきたのである。 

もっともその先には、日本の公的文書を英語に、公用語を英語にする遠大な計画さえあるのかもしれない。欧米の超エリートは、前から指摘させていただいているように腹の底では「日本人が自発的に日本人でなくなる道をとるなら、それは日本民族の集団自殺であるが、それでも良い。だが、もしも日本人がその歴史的民族的伝統を復活させるようなことが、あれば我々キリスト教、ユダヤ財閥、フリーメーソン連合はただちに日本を包囲して今度こそ、日本民族を一人残らず、皆殺しにする作戦を発動するであろう。」と今でも腹の底で考えているからである。

もちろん、言語や文化が統一すれば、多国籍企業には非常に有利になる。それによって「情報のアクセスが増える」「乗っ取りがしやすくなる」「コストが削減できる」「文化を画一化できる」等の大きなメリットを作り出すことができるからだ。

「コスト削減」については、説明書や製品を現地語にローカライズさせる手間が省けることを考えてもよく分かる。また、NFTC(全国貿易協議会)には「米国出版社協会」やマグロウヒルが含まれているが、これはアメリカのほぼすべての出版物を扱う協会だ。

日本の文化を破壊させて日本語を諦めさせ、日本人全員を英語で読み書きするようにすれば、1億人のマーケットを新たに生み出すことさえ可能である。

  

世界の超エリートはワン・ワールドによる利益を追求しようとしている!

言語が画一化されれば英語のメディアがそのまま世界中に売れる。味覚が画一化されれば、マクドナルドもコカコーラもペプシも世界中に売れる。美的感覚が画一化されればGAPもリーバイスも世界中に売れる。グローバル化とは人間をレンガのように画一化し、アトム化する仕組みだ。

たとえば、マクドナルドは世界中の誰も知らない者はいない企業だ。そして、時価総額8兆円の超巨大多国籍企業でもある。

 現在、世界各国の政府が弱体化(政治が機能不全になるように仕向ける)していく流れが世界のエリートによって意図的に作り出されている。そして、ユーロや、FTAや、TPPや、NAFTA(北米自由貿易協定)のように、第二次世界大戦前のごときブロック経済が再び作られようとしている。彼らは着々と戦争経済への布石も打っているのである。

 

彼らは最終的には、自分たちの利益のために

・世界を画一化し、ワン・ワールドにしたい。

・各国の通貨を消滅させ、世界通貨を一つにしたい。

・言語を統一化することによって支配を単純にしたい。

・文化を画一化し、価値観を一つにしたい。と考えている。

 

人間の本性に逆らうこの動きがいつまで続くかわからないが、現在、実際に多くの国の政治に一番大きな影響力をウラで行使しているのは、実は政治家でも官僚でも何でもない、多国籍企業を所有している国際金融資本家である。

 もし、このような動きが完全に成功し、「アメリッポン」が完成したときには、そこに住む日本人は、この本に書いてあるように行動する他、生きる道はなくなる。

このまま外国資本に実質支配されている既存のマスコミ報道に日本の多くの方が誘導され続ければ、騙され続ければ、ごく一部の人以外、幸せに暮らせない「日本人が日本人であることを失った未来」が待っているのではないか。

確かにこの本に書いてある一つ一つのエピソードは興味深い。ただ、日本最高学府である京都大学のこの先生の日本人としての志の低さに呆れてしまう他ない。日本社会全体、世界全体をよくする思いなど彼にはこれっぽっちもないのである。

考えてみれば、米国のエリートによる日本人への洗脳はここまで及んでいることを心ある人は知るべきであろう。

<参考資料>

ユニクロの「英語公用語化」は第一歩に過ぎぬと大前研一氏

2010.10.03

  今、日本で最もアグレッシブな経営を展開する企業の筆頭は、「ユニクロ」ブランドを擁するファーストリテイリングだろう。グローバル化を目指し、「英語の社内公用語化」でも注目を集めているが、それにはどんな意味があるのか、大前研一氏が分析する。

 会社をグローバル化するにあたってのユニクロの課題は「人材」だ。この点では、同業のスペインのZARA、スウェーデンのH&M、アメリカのGAPが有利である。彼らはみんな、国籍や人種によらないシステムを持っている。

それに対してユニクロは、外国人の採用を2010年度は全世界で300人、2011年度は同700人、2012年度は同1200人と徐々に増やしていく予定だという。店長以上の役職にある社員は今後、国籍に関係なく世界中の店舗に赴任することになり、そのために2012年3月から社内会議や文書で使う言葉を英語に統一する「英語の社内公用語化」の方針を打ち出している。

しかし、外国人の採用を増やしたり、店長経験者を海外に派遣したり、英語を社内公用語化したりするだけでは、まだグローバル企業とは呼べない。会社の組織を日本の本社を頂点としたピラミッド・ストラクチャーではなく、フラット化しなければならないのだ。

逆に言えば、グローバル企業において一番いけないのは「マウント・オリンポス・メンタリティ」である。つまり、オリンポス山の神殿(本社)から神様が下々にお告げを出すというやり方だと、世界中の様々な国籍の人々が混ざっている組織は、絶対にうまく動かないのだ。優秀な人は、オリンポス山の神殿にひれ伏さないからである。それぞれの店舗がすべて世界の中心であり、お客様こそが神様です、という「始めに現場ありき」のメンタリティが必要なのだ。

そしてそのためには、組織構造を完全にフラットなネットワーク型にするとともに、人の採用・評価・報奨・昇進システムを国籍や人種によらないフェアなものにしなければならないのである。これは「言うは易く、行なうは難し」だ。

ユニリーバやネスレなどグローバル企業の歩みを見ると、多国籍化が完成するまでには最低でも20年かかっている。そういう意味では、ユニクロはまだ、グローバル化に向けて第一歩を踏み出したに過ぎないのである。

 (SAPIO2010年10月13・20日号)

 

今秋の豊橋市長選については、地方から政治の閉塞状況を変えるだけのインパクトのある政策を候補者となる人たちが打ち出すことを期待したい!

  

現在、自治体格差が拡がり、地方自治体まで、勝ち組、負け組に色分けされる格差時代を迎え、東三河のリーダー市としての豊橋市の政策ビジョンを、市長を目指す者は掲げる義務があるはずだ。

 具体的な総合的なビジョン(マニフェスト)を提示し、東三河、豊橋の未来図をはっきり有権者に示すべきである。

 「新しいまちづくりビジョン」を実行した場合の港湾、道路等のインフラ整備、国土法の線引き、企業誘致の可能性、広域医療を視野に入れた市民病院のあり方、固定費の削減、企業誘致,etc等による財政力アップそれにともなう財政力指数の予想できる変化を10年のスパーンで、導き出して示す位の思いっきりが必要ではないか。もちろん、大胆な機構改革を行い、行政改革;公務員改革を推進することも時代の要請だ。

 よくシュミレーションされた政策提言なら、東三河をリードしていく豊橋市の福祉、医療、教育サービスの最大限の可能性も見えてくる。

 候補者が、そのようなビジョンづくりをすれば、国政に地方自治体として、どのような要望をしていくかも、また、国の地方行政に対する問題点もはっきり、豊橋市民の目にはっきり見えるものにすることができるはずである。

その前に現職である佐原光一市長のマニフェストをしっかり検証するのも我々市民の義務である。

それでは、佐原市長のマニフェストをもう、一度読んでみよう。

3つのCが豊橋を変える!(理念)

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閉塞感の真っ只中にある豊橋の社会、経済を活性化させるため、Cで始まる3つのキーワードを合言葉に、豊橋市政の改革に取り組みます。

1.Change

豊橋市政全般に漂う「守り」の前例踏襲主義を排し、企画力、創造力を高め、市民と共に新しい豊橋像を創り上げていくアグレッシブな「攻め」の市政にChange。これまでの市役所をぶっ潰す覚悟で取り組みます。

2.Challenge

豊橋を広く覆う閉塞感をなくし、21世紀の急激な社会や経済の変化に適切に対応するため、減点主義の「事なかれ行政」から「Challenge行政」に大きく舵を切る必要があります。社会のパラダイムが大きく変わろうとする今こそ、Challenge精神が重要です。チャレンジングな取り組みを積極的に進めてまいります。

3.Clean

政策決定の過程では、徹底的に現場を知り、徹底的な議論を行い、施策に求められるミッション(任務、使命)に対する最適な解を求める努力を尽くす必要があります。また、徹底した情報公開を行い、行政のClean化に全力を挙げて取り組みます。

そして自分が変わる

Change、Challenge、Cleanの3つのCの取り組みを続け、最終的には豊橋市そのものが変わること、これが究極の目標であると考えます。
具体的な政策提案


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Ⅰ.豊橋の産業の顔(ほの国ブランド)を作り育てる

顔の見えない企業に成長はありません、同様のことが都市にも言えると思います。顔のない都市に未来はないと言えます。

企業が企業間競争の中で切磋琢磨し、企業としての顔=ブランドを育てることが何にもまして重要であるように、厳しい都市間競争の中に生きる都市にも顔=ブランドが必要です。豊橋、そして東三河の顔=ブランドを生み出し、育て上げることが求められています。

ほの国とは:大化以前『穂の国』と呼ばれた地域がありました。愛知県の東部、西は宮路山、北は一宮町宝川、東は豊川の中下流域あたりに広がる国で、豊かな実りのある地域でした。歴史の流れの中で『穂の国』の名は「愛知県東三河圏」として受け継がれています。

1.積極的な投資で経済を活性化

政 策

・ 産業用地のストックを確保し、流通、製造等の産業を誘致

・  港湾周辺および23号線沿線に用地を整備

・  東三河内外の企業進出を積極的に誘致

・ 港湾、道路の整備を積極的に推進し、産業活動を支援

・  23号線バイパスの早期全通を実現(豊橋バイパス「潮見坂~小坂井間」の開通と立体交差化を早期実現)

・  浜松三ケ日豊橋道路の早期着工を目指す(早期に調査路線から整備路線に)

・  豊橋市に東名高速道路のインターチェンジを開設(豊橋本線料金所(チェックバリア)跡を活用)

・  東三河環状道路の整備を促進

・  右折渋滞箇所に右折レーン設置を促進

・  23号線バイパスへのアクセス道路整備を推進

・ 港湾利用者の利便性を高め、利用を促進

・  後背地の産業を支えるコンテナ航路を拡充(トヨタ、スズキ等の部品等の輸送に焦点を絞ったポートセールス)

2.産学官の協働により豊橋独自の産業を創出

・ IT農業、省エネ農業技術の開発

・  農業地域のIT環境を整備

・  地元大学、サイエンスコアとの研究連携を推進

・  資源化センター廃熱利用による省エネ農業の拡大(廃熱輸送システムの実用化試験の実施)

・ 後継者を育てる儲かる農業を推進

・  農業、食品産業のブランド構築のためのマーケティングを強化

・  農家の収益力を強化する販売ルートの開拓

・  東京事務所をアンテナショップとして活用

・ 起業への積極的な支援

・  若い起業家に対し資金だけでなく、経営を総合的にサポート(若手による若手のための企業支援マイクロ・ファイナンスを創設)

・  起業のためのチャレンジオフィスを創設

・ 東三河の地域特性を活かした産業活動を強化

・  大学発の開発技術の商業化支援を強化

・  東三河中山間地の資源を活かした産業を支援

・  環境、福祉などの未来課題対応型の産業育成を支援

・  豊橋技術科学大学卒業生が豊橋により多く残ってもらえる環境を整備

・ 外国人パワーを活用した新たな豊橋ブランドを創生

・  豊橋発のブラジル語放送、出版を支援(ブラジル語のニュース番組作成や公的文書サポート事業)

・  ブラジル語バイリンガル授業サポーター養成コースの事業化

・ 遊休農地を活用した起業を支援

・  他業種の農業進出支援

・  ブラジル人の農業支援

・ 情報拠点としての豊橋市東京事務所を平成21年度に復活

・  東京宿舎を東京事務所に変換

・  情報収集と情報発信

・  アンテナショップを開業

Ⅱ.豊橋のまち・市民の顔を作る

豊橋のまちの元気さの象徴は駅前にあると思います。かつて、「まちに行く」ということは駅前を中心とする中心市街地に遊びに、楽しみに出かけることを意味しました。駅前はそのまちの顔です。そんなまちの元気な顔を取り返さなければなりません。

また、市民の笑顔もまちを代表する顔です。市民が豊橋というまちでの生活をエンジョイし、もっと住みたいまちだと顔が語ってくれる。そんな街づくりを目指したいと思います。

1.街中に賑やかさを呼び戻す

・ 豊橋駅南地区再開発(総合文化学習センター)を見直す

・ 賑わいの空間である駅南には「ほの国市(いち)(穂の国特産品市場)・ほの国座(創作演劇、寄席など)」を整備

・  舞台芸術の殿堂「芸術文化ホール」・音楽の殿堂「音楽ホール」は別途適地を選定

・ 豊橋駅前中心市街地モール化作戦を展開

・  広小路通りのショーウィンドウ化を推進

・  広小路通り、魚町通りなどにコインパーキングを設置

・  ときわ通りのハード・ソフトを子供向けにし「ココニコどおり」に

・  緑の駅前大通りの復活(まず市電敷きの緑化を実施)

・  駅前、「ココニコ」、広小路、花園などに街中コミュータ(ベロタクシー、ウィングレット等)を導入

・  「物産展」、「100円市」等のデパートやモールの営業手法の導入

・ 豊橋市民文化会館の建替え

・  芸術文化ホールの代替建設適地として検討

・  APITA・向山フォレスタと一体化した向山活性化

・ 母子保健センター跡の活用(5年目以降)

・  子供に本物を聞かせ・見せる、親子を対象とした音楽ホールを建設

・ 夜も安心して楽しめるまちなか作り

・  終電、終バスの延長と深夜バスの運転

2.公共交通体系の抜本的な見直し

・ 市電の利用促進と延伸

・  赤岩口電停と運動公園前電停周辺を再整備し、パークアンドライドを促進

・  市電の「ココニコ」延伸と医療センター延伸についての可能性検討調査を実施

・ 市内の鉄道とバス路線網の見直し

・  鉄道拠点駅を活かした鉄道とバスの連携を推進(二川駅、大清水駅を拠点としたバス路線網)

・  公共施設へのバスアクセスの充実(ライフポート、体育館へのアクセスバスの拡充)

・  川北(豊川以北)地区の交通アクセスの改善

・  飯田線船町駅、下地駅への停車電車の拡充

・ バス料金の値下げと新体系のバス事業の始動

・  市内バス料金体系の値下げと簡素化

・  団地内でのデマンドバス方式による運行を試行

・  特区制度を申請し、自動車学校、企業の通勤バス等を活用することにより、バス路線の無い交通過疎地の路線を復活

・  交通過疎地における乗り合いタクシー等の活用

3.環境・福祉・教育都市「豊橋」宣言

3-1.環境日本一を目指す:環境都市「豊橋」宣言

・ 公共施設の環境対策を強力に推進

・  公共施設への太陽光発電の導入

・  公共施設への緑のカーテン、緑の屋根の推進(グリーンカーテン、グリーンルーフ運動)

・  公共施設にESCO事業(省エネルギー支援事業)を導入

・ 脱炭素社会を推進し、CO2排出量の20%削減を目指す

・  三河港に海上風力発電施設を建設

・  公用車への電気自動車導入と(電動)自転車利用の推進

・  住宅、事業所への自然エネルギー、新型エネルギー導入を積極支援

・ 先駆的な環境対策事業の先導的導入を支援

・  市役所内環境税の導入による省エネ対策の推進

・  産廃処理施設に対する取り組みを充実・強化(公設民営化の検討)

・  電気自動車のまち「豊橋」を目指し、電気自動車実用化環境を整備(市内に電源プラグを展開等)

・  HV・電機自動車時代に備えた自動車整備体制作り

・  IT・エコ農業の産学連携による事業化を支援

3-2.イキイキ暮らせるまちづくり

・日本一の市民病院「豊橋市民病院」を充実させ、日本一安心・安全な医療の町を作る

・  東三河広域医療連合の確立とその中核機関である豊橋市民病院の充実、センター化

・  市民病院、国立医療センターへのアクセスバスの無料化

・  市内の病診連携を支援し充実させる

・  医師、看護師の就労環境を改善(若手医師の研究・発表機会の充実、コンビニ受診の適正化)

・  新型インフルエンザに備えた市民病院病床の整備

・  旧国立病院跡地に建設される三師会会館と連携し、大規模災害時などの救急指令センター機能の整備

・ 総合的な医療環境の改善

・  看護師、准看護師の養成支援を充実

・  高齢者医療・介護体制の充実(在宅医療の支援)

・  直す医療から罹らない医療へ、予防医療の充実

・  救急医療体制の充実整備(ドクターヘリの導入)

・  障害者、高齢者の災害時の避難場所を整備

・ 暮らしやすい住環境作り

・  新規市営住宅の100%バリアフリー化と既存住宅の改良を推進

・  公共交通機関のユニバーサルデザイン化を推進

・  障害者支援事業を充実強化(ワンストップ相談窓口の設置、ファミリーサポートの充実)

・  子供から大人まで体を動かすスポーツ環境作り

・  不足気味の体育施設の整備(体育館、グランド、コートの整備)

・  親子で使える体育施設づくり(体育館、コートの見学スペースの整備)

3-3.スクスク育つまちづくり

・ 子供の教育環境を充実

・  小学校校舎の木質化を推進(新築校舎を原則木造化)

・  通学路の危険箇所の改良を推進

・  二川駅周辺(のんほいパーク、地下資源博物館)を教育の拠点化

・ 子供の遊び環境を充実

・  校区に一つは子供が安心して遊べる公園を整備

・ 乳児から児童まで、子育てを支援する保育・医療環境を充実

・  児童保育の支援の拡充(施設、運営の公、民分担のあり方)

・  乳幼児を対象とした保育園と幼稚園の充実

・  第三子以降の子育てを積極的に支援

・  妊婦の定期健診や乳幼児への予防接種に対する支援を拡充

・ 多文化共生を推進

・  外国語、日本語の補習活動の支援を充実・強化

・  市役所および関係機関への日系外国人の採用を推進(学校のバイリンガルアシスタントを正規職員化)

・ 本物の芸術、技術、科学を実体験する教育

・  演劇、音楽鑑賞の学生向け特別料金の創設

・  美術学生の美術館での模写機会の創設

・  技科大と協働で小中学生を対象としたスーパーサイエンス講座を開設

・  豊橋の歴史、文化、人物等の発掘、評価活動を推進(豊橋なんでも探偵団?)

3-4.安全・安心に暮らせるまち

・ 災害に強い安全・安心なまちづくり

・  伊勢湾台風50周年を契機とする河川と堤防の安全点検を実施

・  内水洪水を防ぐため、排水機場のポンプ能力を増強

・  幹線道路沿いのコンビニ、GSなどの事業者と災害等相互情報提供契約を結び、情報ネットを構築

・ 交通事故の少ない安全・安心なまちづくり

・  車道、歩道と分離された自転車道を積極的に整備推進

・  幹線道路の整備を進め、住宅地等への抜け道通行を減らす

・  事業者(コンビニ、GS等)や市民の救命講習を推進し、救命救急への市民協働体制を確立(「市民救命の駅」を設置)

・ 治安の良い安全・安心なまちづくり

・  分かりにくい駅前交番を移転(ペデストリアンデッキに詰め所を設置)

・  住宅地の街路灯・保安灯の増設(保安等設置支援の充実)

・  消防、防災関係者のDNA登録を実施

Ⅲ.豊橋が東三河の顔になる

豊橋は、東三河の人口のおよそ2分の1を有し、地理的にも経済的にもその中核を担う宿命にある町です。また、東三河は、「豊川」という命の川で結ばれた地域であり、そこに暮らす人々は、共に助け合い、励ましあいながら発展をしていく運命にあります。

平成の大合併を契機に、川や道で結ばれた多くの地域が一つのまちになり、地域の連帯を深めると同時に、行政の効率化を強烈に推進してきました。豊橋は、遅れてやってきたランナーですが、「豊川」で結ばれた東三河の顔として、リーダーとして、この地域に根を下ろし、歩んでいくことが必要です。

1.命の川「豊川」で繋がる東三河の持続的な発展を目指した連携

・ 政令都市を目指し、広域合併に向けた具体的な取り組みを開始

・  東三河広域医療ネットワークを確立

・  防災の東三河地域連携をさらに推進

・  広域救急医療の実現のため、ドクターヘリを導入

・ 山から海まで、東三河全域を見通した自然環境保護政策を推進

・  中山間地の農業、林業を支援(棚田サポーター制度、間伐材を活用した特産品)

・  豊川流域の清流保護活動を積極的に支援

2. 行財政改革

・ 市長任期の3期12年を条例化(多選禁止条例の策定)

・ 市長退職金の見直し

・  特別職の退職金を一般職と同様のルールに改正

・ 行政手続の透明化(明確なルール作り)と情報公開

・  徹底的な議論(徹論)による意思決定ルール

・  直営実施と外部委託について業務ごとに再評価を実施

・ 業務の無駄を省き、行政サービスの質的向上を図る

・  市民協働の推進と推進体制の見直し

・  東京事務所を平成21年度に復活

・  国、県、企業等との積極的な人事交流を行い職員のスキルアップ

・  市役所受付穣を廃止しフロア・アテンド方式に改善

如何であろうか。

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