戦前の論理、戦後の論理

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5月 112012

 現在、日本が戦争に負けてから70年近い歳月が経過している。

そして、時の経過と共にほとんどの日本人は、米国という戦争に勝った国がつくった「戦後の論理」しか知らなくなってしまった。そして、それすら、風化し始めている様相を示している昨今である。



 たとえば、日本国憲法第九条を守る、平和憲法を守るという善意の人々が半世紀にわたって熱心に、ここ日本で活動を続けている。彼らは戦後、米国がつくった論理によって誘導され、動かされてきたことさえ、おそらく、一度も意識したことさえない人々が現在では、ほとんどではないだろうか。

「どうして、独立国、日本にいまだにこれだけの米軍基地があるのか。特に沖縄に米軍基地が集中しているのか。」平和憲法を守る人々は、都合良くそのことを忘れて自身の理想主義に酔っているように見えないでもない。もっと意地の悪い見方をするなら、愛すべき、人の良い日本人らしい特性を備える彼らは、戦後、米国が作り出した言語空間の中ですっかり洗脳されてしまったある意味、犠牲者と言う見方さえできるかもしれない。



 そうは言っても冷戦が終了し、米国が日本に押しつけた「戦後の論理」の幻想が、米国の国力の低下と共に、いたるところで綻び始めている。そんな時代だからこそ、我々は「戦前の論理:先の大戦に敗北した日本の論理」をもう一度、振り返って冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。

日本には「喧嘩両成敗」という言葉がある。戦争に負けた国にも言い分、大義は当然ある、それがなければ、目的のない戦争を日本は遂行したことになってしまう。戦後、私たちは、注意深く意図的にそれらから遠ざけられ、考えないで済むようにされてきたし、自分たちもそのことになるべく触れないように努めてきた。

「戦前の日本の論理(きちんとそれが構築されていたかは別にして)」、「米国が日本に押しつけた戦後の論理」、この二つを、もう一度、客観的に見直し、考え直すことによってしか、二十一世紀の新しい時代の日本をつくっていくことはできないのではないか。

戦争に負けて残された人々もその中でどんなに苦しくても同じように生き続けていかなければならなかったこともたしかである。当然、いろいろな妥協、自己保身も歴史の現実のなかにはあるだろう。

しかしながらやはり、勝者が東京裁判のような勝者の論理で無理矢理、歴史の連続性を日本人の意識から奪ってしまった事実を、我々日本人は、「二十世紀の欧米人」は少々傲慢過ぎたと考えるべき時期を迎えているのではないのか。

 

 今回は、そういったことを考えるための本を紹介したい。

「日米開戦の真実 大川周明著 米英東亜侵略史を読み解く」(佐藤優・著・小学館・2006年)と参考資料としての「日本の失敗~「第二の開国」と「大東亜戦争」~」松本健一著である。



 まず、一冊目の目次と一部要約から読んでいただきたい。

<目 次>

第1部米国東亜侵略史(大川周明)

第2部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)

第3部英国東亜侵略史(大川周明)

第4部 21世紀日本への遺産(佐藤優)

第二部「国民は騙されていた」という虚構について 

 

 日本国民は何について誰に騙されていたというのであろうか。「客観的に見れば国力の違いからアメリカと戦っても日本は絶対に勝つはずがないのに、アジア支配という誇大妄想を抱いた政府、軍部に国民は騙されて戦争に突入した」という見方が現在では、ほぼ常識になっているが、これは戦後作られた物語であると佐藤氏はこの本で述べている。

さて、第二部ではまず、第一章 大川周明が東京裁判をどのように見ており、占領軍がいかに大川を危険視していたか、第二章 アメリカによる日本人洗脳工作がどのように進められたか、第三章 アメリカの対日戦略を分析するに大川周明の「米英東亜侵略史」を見直す必要があるとなっている。



 東京裁判について 

 佐藤氏はまず大川周明が戦争突入時の首相であった東条英機らと「平和に対する罪」ということでA級戦犯として日本占領軍から起訴された法廷での奇異な行動について解説している。それによると、たしかに大川について本当に精神錯乱状態に陥ったのか、それともそれを装ったのかいろいろと議論の余地はあるが、極東軍事裁判で起訴され、収監された人たちの証言から佐藤氏は、大川は一時的にも精神や体に変調をきたしたのではないかと結論づけている 大川は裁判の対象からはずされ、病院を転々として治療を受けた。物事の善悪が判断できる状態になれば公判にもどすのが通例であるが、半年にわたる精神鑑定の結果、大川の精神状態は正常ということになったが、軍事法廷は大川周明を裁判から除外した、そして彼は松沢病院から1948末に自宅に戻った。大川が法廷で裁かれなかった理由として次のように解説している。

 大川は腹の底から法廷をバカにしており、戦勝国の裁判官による「公平な裁判」などというのは作り話で、暴力を背景にした軍事裁判を批判するためには、法廷を悲喜劇の劇場にする方が、効果があると考えていたのが大川だった。だから彼を、裁判からを除外した方が東京裁判の権威が保てると占領軍が考えたというものだ。

 論理の言葉でアメリカ、イギリス、ソ連などの嘘が崩されることを占領軍が恐れたのかもしれない。

 

アメリカによる日本人洗脳工作について 

 日本国民が開戦当時の政府・軍閥に騙されて勝つ見込みのない戦争に追いやられたというのは戦後のアメリカによる洗脳工作によって、戦後になってから、作られた神話であるという。そしてこの神話が作られる過程で、中国を含むアジア諸国を欧米の植民地支配から開放するという日本人がもっていた大義は、日本の支配欲を隠す嘘だという“物語”が押しつけられ、その呪縛から未だに私たちは逃れられずにいる。

また、日本は当時抑圧されていたアジア諸民族の解放、そしてアジアを植民地にしなくては生きていけないという道徳的に悲惨な状況に置かれた欧米人を解放することを考えていたのであると佐藤氏はいう。さらにアジア、ヨーロッパがそれぞれの文化を基礎に、かなりの程度完結した世界を作り、棲み分けていこうというのが大東亜共栄圏の基本的な考え方だったと大川の多元主義の立場を説明している。

戦後アメリカが対日占領政策で巧みに取り入れたのがイギリスの手法である。イギリスは占領地域を徹底的に打ちのめすことをせずに、余力と名誉を保持し、イギリスの世界支配システムに組み込んだという手法である。アメリカが効果を挙げたのは、GHQの指導で行われた「真相箱」という工作である。「真相箱」では、悪いのは軍閥、その中でも陸軍、その親玉が東条英機首相という構成になっており、東条が日本国民を騙した大悪党であると断罪すると連合国側が主張する。

 

大川のアメリカ対日戦略分析について 

 戦後アメリカによって「教育」された内容を棚にあげて、「米英東亜侵略史」をテキストとして大川が主張する日米開戦の論理を明らかにしている。

彼は日米戦争開戦の16年前に出版した著作『亜細亜・欧羅巴・日本』の中で戦争の不可避性を述べている。世界には複数の世界がお互いに切磋琢磨するのが世界史であり、具体的には東洋という世界と西洋という世界が競争し、その過程で戦争は不可欠であるとの認識を示している。



それではアメリカの対日戦略はどうだったのか。アメリカが提唱した中国の門戸開放とは、植民地の分配に自国を参加させよということである。仮に中国が列強によって分割されることになれば、アメリカの取り分が少なくなるから、領土保全の方が都合のよい利権構造を維持できるという計算からの意思表示に過ぎない。日本はアメリカのこの意図に永い間気づかなかったという。

アメリカの満鉄買収政策はきわめて大規模な計画の一部であったという。その計画とは、満鉄を手に入れ、ロシアの疲弊に乗じて東支鉄道を買収し、こうしてシベリア鉄道を経てヨーロッパに至る交通路を支配し、鉄道の終点大連、浦塩から太平洋を汽船でアメリカの西海岸と結び、大陸横断鉄道で東海岸に至り、東海岸から船で大西洋をヨーロッパと結ぶ交通系統、すなわち世界一周船・車連絡路をアメリカの手に握る第一歩として満鉄を日本から買収しようと計画したと大川は『米英東亜侵略史』で述べている。

当然、アメリカの満鉄買収計画を粉砕した日本に対し、日本がアメリカの太平洋制覇と中国進出を妨げる主な障害と考えるようになってくる。この後アメリカで反日感情が高まり、日系人のカリフォルニア州内の土地所有禁止、移民法の改正と発展する。

 一方、アメリカの国益のためには海軍力の増強が必要で、フィリッピンやガム島に海軍基地を建設し、欧米列強と軍事的に対峙する力のあるアジア唯一の国、日本と軋轢をもたらすことは必然的だったと大川は考えていた。しかし、欧米列強の植民地にならなかった日本は、中国を含むアジアの諸民族を植民地支配のくびきから解放しようと真剣に考えて行動したが、後発帝国主義国である日本は基礎体力をつけるため、期間を限定して、アジア諸国を日本の植民地にすることはやむを得ないと考えた。ここに大川の限界が見られ、日本人の民族的自己欺瞞が忍び込む隙ができてしまったと佐藤氏はいう。



 ところで、大川周明氏といえば、東京裁判のA級戦犯の一人であり、法廷で東条英機の禿頭を後ろからパシッと叩いたことで有名である。ドキュメンタリー番組で見た人も大勢おられるのではないか。結局、彼は精神病扱いされ、法廷を離れて入院。その後コーランを全巻和訳するなどの仕事をした。この本の副題に『大川周明著米英東亜侵略史を読み解く』にあるように、太平洋戦争開戦直後、大川周明氏はNHKラジオで、連続講演を行った。米英となぜ開戦にいたったかを冷静に分析して、国民に納得させるためのものである。それが本としてまとめられたのが、「米英東亜侵略史」である。佐藤優氏は、これをアメリカ編、イギリス編と分けて全文を紹介し、本書で解説している。

 よく歴史や政治を解析するためには、現代日本では死語になっている「地政学」をよく理解しないといけないということが言われる。

 現在に通じるアメリカの本質について、大川周明は「アメリカの二重外交:ダブルスタンダード」と鋭く見抜いていた。

 米国の変質がはっきりと表に見えたのは第1次世界大戦であった。「戦争はアメリカの自尊心が許さない」と孤立主義を対外的には標榜していたが、連合国側の勝利が確定するや、「自らの利権拡大」のために大きく国家方針を変えていった。「自由」「独立」を標榜するアメリカが、帝国主義国家の顔を剥きだしにしてきたのである。



 一方日本においても、明治維新時以降、1920年代の普通選挙制度、腐敗政党と、財閥の利権の拡大と政治経済の腐敗も目に付き始めた。大川周明は、そんな日本国の「国家改造」を企てた男でもあった。(「猶存社」の三尊と呼ばれた北 一輝、満川亀太郎は大川と違い日米非戦論であったことも興味深い。彼らには大川にはない政治的戦略思考能力があった。その意味で大川周明は政治的人間ではない。)



*猶存社(ゆうぞんしゃ)

 老壮会の急進的右派思想家の満川亀太郎を中心に、191981日に結成された国家主義運動の結社。社名は『唐詩選』の巻頭にある魏徴の詩「述懐」にある「縦横計不就 慷慨志猶存」にちなむ。

19207月には、機関誌『雄叫び』を発行。皇太子裕仁親王の渡欧阻止や宮中某重大事件で活動し、安田善次郎・原敬らの暗殺事件にも思想的な影響を与えたといわれている。中心スローガンは「日本帝国の改造」と「アジア民族の解放」であった。

また同人による学生運動の指導により、日の会(東京帝国大学)・猶興学会(京都帝国大学)・東光会(第五高等学校)・光の会(慶應義塾大学)・烽の会(札幌農学校)・潮の会(早稲田大学)・魂の会(拓殖大学)などの団体が生まれた。

天皇観の相違やヨッフェ来日問題をめぐって、北と大川・満川との対立が激しくなり、19233月に猶存社自体は解散・分裂した。

その後、1925年に大川は、満川、安岡正篤らと行地社を結成した。一方、北の影響を受けた清水行之助は大行社、岩田富美夫は大化会を結成している。



 もともと、米国には、国内発展を優先させる有名な「モンロー主義」があり、自国の裏庭である南北アメリカ大陸諸国への干渉や働きかけを排除するかわりに、他国のことにも不干渉を原則としていた。

ところが、国内利益を確立した第1次大戦が終結した時期から、覇者の英国に成り代わろうという戦略行動を露骨にとってきた。

「アメリカは本音(帝国主義)と建前(道義)を使い分ける二重構造(ダブルスタンダード)は、道義国家である日本には受け入れられないと大川は考えた。」P135)

 民族自決を標榜したウィルソン大統領の提唱で国際連盟は発足したが、当のアメリカ自身は加盟しなかった。

 国際連盟は、日本が提唱したアジアやアフリカでの人種差別の禁止要項はにべなく拒絶したことも日本人は忘れてはならない。

結局、アメリカは国際連盟には加盟せず、しかし、その権能は利用し、満州国の調査を行い、日本による満州国独立を国際連盟には承認させなかった。日本はその結果を不服として1933年に国際連盟を脱退することになる。

 大川周明は「アメリカという病理現象を治癒することが日本の使命である」とまで言明している。



 佐藤優氏はこう解説している。

「筆者は見るところ、大川周明は軍事行動で日本がアメリカやイギリスに勝利することは不可能と考えていた。

 むしろ戦争を契機に日本国家、日本人が復古的改革の精神で団結し。アジアの同胞から信頼され、新たな世界をつくる世界システムを作る端緒を掴めば、そのときに軍事力以外の力でアメリカ、イギリスとの折り合いをつつけることができる可能性があるという認識をもっていたのではないかと思われる。」(P139)

 「国際問題を論ずる識者は、理念先行の非現実的平和主義者と、国家の軍事力や経済力だけに目を奪われ、道義性を冷笑する力の論理の信仰者の陣営に分かれがちであるが、大川はそのどちらにも属さない。 道義性とリアリズムを大川なりの方法で統合しようとしているのである。」(P140)

 

「大川の限界は米英東亜侵略史の後半部分で明らかになる。近代化において欧米列強の植民地にならなかった日本は、中国を含むアジアの諸民族国を植民地のくびから解放しようと真摯に考え、行動した。

 しかし、後発帝国主義国である日本は基礎体力をつけなくてはいけない。そのために、期間を限定して、アジア諸国を日本の植民地にすることは止むを得ないと考えた。

ここに日本人の民族的自己欺瞞は忍び込む隙ができてしまった。

 あなたを痛みから解放するために、あなたに一時的に痛みを加えますというのは外科手術が前提としている論理であるが、これを国際政治に適用した場合、痛みを追加的に加えられた民族にその理由は理解されないのである。」



「イギリスのような老獪な帝国主義国は、植民地住民の人権などははじめから考えておらず、また植民地は帝国を維持するために不可欠と考えていた。

 そのために植民地住民に対する圧迫をほどほどにしていた。相手にどの程度の痛みがあれば、どの程度の反発があるかということを冷徹に計算していたのである。

 植民地支配の打破を真剣に考えていたからこそ、日本はアジア諸国に痛みを与えていることに気がつかなかった。ここに大川のみならず。高山岩男や田邉元といった京都学派の優れた思想家が落ちていった罠があったのだ。」(P141)

 また歴史において「もっとも競争に強い国は自由貿易を相手国に強要する」「19世紀のイギリスが提唱した自由主義。21世紀のアメリカが提唱している新自由主義(小さな政府)なども同じ考え方であろう。

 

大川周明は多元主義者

「社会主義革命はヨーロッパの精神的伝統から生まれた改革であるため、精神的伝統を異にする日本を含むアジアでは改革は自国の伝統を回復し、自国の善によって、自国の悪を克服することによってのみ可能だという信念をもつ大川は、社会主義をアジアの適用することに関しては批判的なのである。」(P237)

 また佐藤優氏は、左翼イデオロギー(大ブント構想など)哲学者の広松渉氏の主張にも注目している。

「東亜共栄圏の思想は、かつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調され、今では歴史の舞台が大きく回転している。

 日中を軸とした東亜の新秩序を!それを前提とした世界の新秩序を!これが今では日本資本主義そのものの抜本的統御が必要である。が、しかし官僚主義的な圧制と腐敗をと硬直化を防げねばならない。

 だがポスト資本主義の21世紀の世界は、国民主権のもとに、この呪縛の輪から脱出しなければならない。」(P250)

 

「EUは中世から培われたユダヤ・キリスト教の一神教。ギリシャ古典哲学。ローマ法の三原理が一体となった「コルプス・クリスチアヌム」(キリスト教世界)という共通の土台があってはじめて出来たものだ。

 ローマ法を欠くロシアはEUの共通意識をもてないのである。

「コルプス・クリスチアヌム」に争闘する共通意識は東アジアには見当たらない。しいて言えば、新旧漢字文化圏というのであろうが、それは中華帝国に日本が吸収されることを意味するので、日本の国益に合致しないと考える。

 かつて日本は、大東亜共栄圏という形で人為的に、共通意識の理念型を東アジアで構築することを試みたが、失敗した。この教訓からも学ばなくてはならない。

 佐藤氏の理解では、地域共同体には「共通意識の理念型」の要因と。「力の均衡の論理」の双方の要因が内在しているが、「共同意識の理念型」に軸足を置かない共同体構想は不安定だ。」(P256)



 大川周明は「大和心によって、支那精神とインド精神を統合したのが東洋魂である」と言ってはいるが・・・・。

  佐藤優氏は、現在の日本もおかれている厳しい現実を国民各位が凝視することから始まらないといけないとも述べている。

「太平洋を挟んでアメリカという帝国を隣国にしてしまった運命を日本人は受け入れなければならない。その現実、あるいは制約の中で外交を展開することが日本の国益に適う」と佐藤氏は考える。

「対中牽制を睨んで日本の外交戦略を「力の均衡の論理」に基づいて組み立てなおすことが急務だ。

 具体的には、日米同盟の基礎の上で日本がインド、ロシア、モンゴル、台湾、ASEANと提携し、中国を国際社会の「ゲームのルール」に従わせ、日本の国益の増進を図るための連立方程式を組むことだ。

 そこで切磋琢磨しているうちに、自ずから、共通認識の理念型が生成してくるかもしれない。しかし、それにはまだまだ時間がかかる。われわれには必要なのは、アメリカという超巨大大帝国と中国という急速に国力を強化しつつある国家の間にある地政学的運命を冷静に受け止め、日本国家と日本人が生き残っていく方策を真剣に模索することだ。」(P258)



大川周明はユニークな思想家

「大川の人間観が性善説、性悪説のいずれにも立脚せずに、無記の立場から突き放して人間を観察していることに基づく。」

「大川は、民主主義であれ、共産主義であれ、思想の背景にはそれを生み出した伝統と文化があるので、それを無視して日本や中国に輸入することは不可能と考えていた。

  北一輝を含む多くの日本の国家主義者が孫文の国民革命に感情を揺さぶられたのに対し、大川周明は距離を置いた姿勢を示す。大川は孫文の三民主義の基礎となる民主主義(デモクラッシー)自体が欧米的原理であって、アジア解放の手段にならないと考えていた。

 ちなみに共産主義も大川にとってはロシア的原理なので共産主義がアジアを解放することはできないと考えている。」(P274)



本書における佐藤優氏の「大川周明」を参考書とした結論は

現在、流行の新自由主義やグローバリゼーションには歩止まりがある。

どうやって日本の国家体制を強化するかがわれわれに残された現実的シナリオだ。

 国家体制の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自国の善をもって自国の悪を討つこと」によって可能になる。そして自信をもって自国の国益を毅然と主張できる国に今なることだ。

 自らの主張に自信を持っている国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になれる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。 

佐藤氏の解説にはいろいろご意見があるだろうが、大川周明氏を東条英樹の禿頭を東京裁判で殴った男という記憶で終わらせるのはあまりにも歴史について不遜であろう。

大川 周明(おおかわ しゅうめい、1886年12月6日 – 1957年12月24日)

日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。晩年、コーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる

*参考資料として 「日本の失敗~「第二の開国」と「大東亜戦争」~」松本健一著の松岡正剛氏の解説以下。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1092.html

放射能ハンター

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5月 082012

 以前のレポートでしっかり勉強もしないで、いわゆる日本社会の「空気」を鵜呑みにしていた自分を反省して下記のような文章を書いたことがある。 以下。

「振り返ってみれば、この事故が起こるまでは、電力会社からもマスコミからも、日本の技術は優秀だから原子力発電所は絶対に安全だというメッセージしか、私のような一般人には伝わらないようにされてきたような気がする。それはもちろん、「原子力村」とも言われる利益共同体の大きな意志、意図が働いてそうなったのだろう。

 私自身もエネルギー技術関連の知人がいて今までにいろいろなことを教えてくれたにもかかわらず、たとえば、「現在の原子炉の耐用年数は20年位しかない。」「日本の原子炉の設計の大半はGEで、本当に大切な技術は日本に公開されていない、つまり、ブラックボックスになっているので、大きな事故があったら、日本だけでは対応できないだろう。」

「人間がつくったもので、壊れないものがあるはずないだろう。」

とにかく、いろいろなことを言われたが、原発について真剣に考えることもなく日々を過ごしてきたというのが本当のところだ。

 

そう言えば、小学生の頃、東海村の原子力のPRフイルムを見せられた記憶がある。人類の輝かしい未来を切り開く新エネルギー:原子力の研究が私たちの日本でも行われているという原子力という技術によるバラ色の未来を宣伝するものだった。私の記憶に今でも生々しいのは、放射線を照射して突然変異の研究をしているというものだった。

 しかしながら、311以後、多くの方が、気がつき始めているが、現在の原子力技術は我々にバラ色の未来を約束するものではどうもなさそうだ。

また、今回の事故に対する政府、東電、マスコミの対応は、あまりにも不誠実であった。

 子供のことを心配するお母さん方や、わたしのような素人が原子力や放射線の本を読まなければならない時代を誰が想像しただろうか。」 (引用終わり)

*今回は大変興味深いドイツの番組を見つけたのでご紹介させていただく。 是非、ご覧いただいてご自分の頭で考えていただきたい。

ドイツ ZDF 「放射能ハンター」

文部科学省 放射線等に関する副読本の問題点

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5月 052012

本当に参考になる副読本があったので、ご紹介する。以下。

https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/FGF/FukushimaUniv_RadiationText_PDF.pdf

(*福島大学 放射線副読本研究会  放射線と被ばくの問題を考えるための副読本~“減思力げんしりょく”を防ぎ,判断力・批判力を育はぐくむために)



文部科学省の副読本に対する問題点を指摘する良い文章があったので、紹介させていただく。

副読本は小学生用の「放射線について考えてみよう」をはじめ、中学生用と高校生用の三種類。それぞれA4判十八~二十二ページで、教員向けの「解説編」もある。放射線の専門家や現職教員らでつくる「作成委員会」が七月から五回にわたる会議でまとめた。

 十月十四日から文部科学省がホームページで公開しており、十一月上旬に全国の学校に一部ずつ約八万部を配布。

 副読本をめぐっては昨年二月、文科省と経済産業省が原子力に関する小中学生向けの冊子を発行したものの、福島原発事故が発生。「原発は放射性物質がもれないようしっかり守られている」などの不適切な記述に批判が集まっていた。今回はその“改訂版”だ。

 まず、三種類のどれにも原発事故はおろか原発自体の写真が一枚も掲載されていないのだ。 福島原発事故についての記述は、小学生用で「放射線を出すものが発電所の外に出てしまいました」、中高校生用で「放射性物質(ヨウ素、セシウムなど)が大気中や海中に放出されました」と「はじめに」のページに記載されているだけである。

 代わりに自然界の放射線や、医療、学術研究分野などでの放射線の活用事例が紙幅を割いて丁寧に説明されている。

 「私たちは今も昔も放射線がある中で暮らしています」(小学生用)

 「イランのラムサールやインドのケララ、チェンナイ(旧マドラス)といった地域では、世界平均の倍以上の放射線が大地から出ています」(中学生用)

 産業界での活用例とあわせ、放射線が身近な存在であることを強調している。一方で原爆や原発事故の影響を過小評価しているのも特徴だ。

 

小学生用の「放射線を受けると、どうなるの?」の項目には「たくさんの放射線を受けてやけどを負うなどの事故が起きています」「広島と長崎に原爆が落とされ、多くの方々が放射線の影響を受けています」とある。原爆はもとより一九九九年の東海村JCO臨界事故でも被ばくによる死者が出たにもかかわらず、そうした紹介はない。

 放射性物質の半減期についても、図付きの例は「一カ月後に放射性物質の個数が半分になる例」。除染の焦点となっている半減期が半永久的に長い核種には触れない。

 「事故が起こったときの心構え」のページにはこんな文章もある。

 「時間がたてば放射性物質は地面に落ちるなどして、空気中に含まれる量が少なくなっていき、(中略)マスクをしなくてもよくなります」

 さらに、放射線による健康被害を過小評価する意図がちらつく。

 例えば、小学生用では「一度に一〇〇ミリシーベルト以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はない」と記述。「がんなどはいろいろな原因が重なって起こることもあるため、放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切」と付記するにとどめている。

 外部被ばくの放射線量の数値も自然放射線に限定。核分裂反応による人工放射線の恐ろしさは一向に伝わってこない。

 違和感を強く覚えるのは中学、高校生用に載っている以下の説明だ。

 「一〇〇ミリシーベルトを千人が受けたとすると、五人ががんで亡くなる」という国際放射線防護委員会(ICRP)の試算を基に「がんで亡くなる日本人は千人のうち三百人なので、一〇〇ミリシーベルトを受けると、がんで亡くなる人は三百五人になる」。

 九州大の長山淳哉准教授(環境分子疫学)は「三百人はさまざまな要因でがんを発症する『避けられない死者』。後段の五人はもともと死ななくてもよい人たち。一緒には論じられない。『五人はがん死することを受容せよ』と言っているようなもの」と批判する。

 「そもそもICRPの試算自体が甘いという学説もあり、両論併記の姿勢が必要ではないか」

 とどめは高校用最終ページにあるコラムだ。

 「人がベネフィット(便益)を得るために何かを利用しようとする限り、いくらかのリスク(危険)は避けられない」 具体的には触れられていないが、明らかに原発事故を示唆している。

 ちなみに、この副読本の「作成委員会」はどんな顔ぶれなのか。

 

作成委員は全部で十三人。監修として、独立行政法人・放射線医学総合研究所、社団法人日本医学放射線学会、日本放射線安全管理学会、日本放射線影響学会が並ぶ。

 委員長を務める大学の名誉教授は文科省が設置した「放射線量等分布マップの作成等に係る検討会」のメンバー。今年二月まで、国の放射線審議会会長を務めていた。

 同審議会からはほかに委員が二人、基本部会の専門委員が二人。同審議会には過去、福島第一原発の副所長もメンバーに名を連ねていた。

 委員には事故後、「多大な人員と費用をかけて(一般人の被ばく線量を)年一ミリシーベルト以下にすることは無駄な努力」と述べたり、新聞の取材に「年間一〇〇ミリシーベルトを超えない量では健康被害はまずないといってよい」と発言してきた人物もいる。

 文科省の担当者は「事故の事実関係がまだ整理し切れていないので、まずは放射線について学んでもらえれば、と。必要があれば、改訂することもある」と説明する。

 今回の副読本について、京都大原子炉実験所の小出裕章助教は「事故の被害が広がっている今だからこそ、どんな危険性があるのかをきっちり教えるべきだ」と語る。

 「それでもほおかむりしているのは、原発を再稼働させたいがためだ。この副読本は、放射線の影響を小さく見せる目くらましにすぎない」

<副読本全体としての問題点>

①:今、なぜ放射線についての知識がこどもたちに必要なのか、という問題意識が希薄、というより、ほとんど欠落している。

この副読本では、放射線の効用やメリットについては非常に細かいことまで書いてあるのに、放射線の危険性や悪影響についてはほとんど書いていない。例えば、電離作用の説明には工業での利用が書いてあっても、DNAを傷つけることが書いてない。ほとんどの高校生は理科で分子の結合についてや、遺伝について学習するにもかかわらず、これでは放射線が生物に影響する基本を理解することができない。まるで、本当のことを教えることを避けているかのようである。

 今、福島原発事故によってまき散らされた膨大な放射性物質にさらされて生活しているこどもたちに必要なのは、放射線のメリットに関する知識ではないはずだ。

 今何故この時期に放射線に関わる教育が必要なのかという、具体的な問題意識と現実の状況を明確に教材の内容に反映するべきである。従来の原子力開発推進のための教材と何ら変わるところのない内容に多くのページが割かれているということは、文部科学省として、従来の原子力政策・教育に対する反省が十分になされていないことの証だ。

②:日常的な原子力施設周辺の放射線モニタリングのことを今知ってみても、ほとんど役にはたたない。(p.17)これも、単に安心安全を宣伝するためなのだろうが、この内容は3.11.の事故以前に、原子力推進のために文科省が制作した副教材とまったく変わっていない。

 問題は、そうしたモニタリングやシミュレーションのデータが、福島原発事故時に避難すべき住民たちに知らされなかったということである。この問題の反省について一言も言及がない。この反省なしには、どのようなシステムがつくられていても無意味だ。

③:今回の福島原発事故に際して、どれくらいの放射性物質がまき散らされ、どんなところが濃度が高いのか、それによって環境や生き物・人間たちにどんな影響があるのか、どの様に行動すればよいのか、いちばん知りたい具体的なことが書かれていない。

高校生用であるならば、少なくともヨウ素・セシウム・ストロンチウムなど、大量に飛散した放射性物質について、きちんとした説明があるべきだ。

④:放射線に対してこどもたちのほうが影響を受けやすいこともきちんと書かれていない。大人もこどもも同じように、一般的なガンにかかる確率的なことのみ書かれている。こどもたちが放射線を出来るだけ避けて暮らしていくにはどうしたらよいか、こどもたちの目線に立って必要なことが書かれていない。現在の非常事態の緊急性が全く感じられない。

⑤:放射線被ばくの先例としては、チェルノブイリ原子力発電所事故が筆頭にあげられるはずだが、その事故への言及は一言もない。

 ベラルーシやウクライナの現状について、汚染の状況、食品の被ばくのこと、被ばくを避けるための現地の人々の工夫・自治体の取り組み・NPOの活躍など、有用な情報は豊富にある。現在の福島の被災地にとっても、また、放射線と向き合って今後数十年と暮らさねばならない東日本の人々にとって、そうした情報こそが必要な情報になるはずだ。

⑥:被曝の影響については、国際放射線防護委員会ICRPの判断だけが正しいように取り扱われているが、ICRPはいくつかある提言機関の一つに過ぎない。ICRPへの批判も存在するし、ICRPの勧告より厳しい基準を勧告している団体も存在する。

 また、放射線の影響は発ガンだけではない。ガン以外の病気について、いろいろな調査結果が公表されている。ICRPの判断だけを取り上げ、放射線の影響は発ガンだけのように取り扱うことには問題がある。

 ちなみに、Wikipedia のICRPに関する記述には、次のような部分があります。

・・・・(ICRPが1950年に)再構築された際に、放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に原子力関係の専門家も委員に加わるようになり、ある限度の放射線被曝を正当化しようとする勢力の介入によって委員会の性格は変質していったとの指摘がある[※]。

ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュバイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという。

注※市川定夫氏(「環境学」:遺伝子破壊から地球規模の環境破壊までー第2版 藤原書店、1994)によると、ICRPに組織変換してから原子力関係の専門家が委員に加わるようになり、性格が大きく変わり、原子力産業が成り立つ範囲に線量限度を据え置き、基準運用の原則を後退させ、規制の低減が見送られるようになったという。 

⑦:これまで文部科学省が制作してきた副教材などには、国策として推進されてきた原子力開発に対し、ほとんど根拠を示すことなく安心安全をこどもたちに教え込む(刷り込む)ような内容が扱われていた。文部科学省にあっては、まず、そうした従来の方針に関して、どのような問題点があったのか、きちんと検証し、改めるべき点を明確に打ち出してから、副読本などの制作に当たるべきだ。

5月 032012

<読売海外版>

573 deaths ‘related to nuclear crisis

The Yomiuri Shimbun

A total of 573 deaths have been certified as “disaster-related” by 13 municipalities affected by the crisis at the crippled Fukushima No. 1 nuclear power plant, according to a Yomiuri Shimbun survey.

This number could rise because certification for 29 people remains pending while further checks are conducted.

The 13 municipalities are three cities–Minami-Soma, Tamura and Iwaki–eight towns and villages in Futaba County–Namie, Futaba, Okuma, Tomioka, Naraha, Hirono, Katsurao and Kawauchi–and Kawamata and Iitate, all in Fukushima Prefecture.

These municipalities are in the no-entry, emergency evacuation preparation or expanded evacuation zones around the nuclear plant, which suffered meltdowns soon after the March 11 disaster.

A disaster-related death certificate is issued when a death is not directly caused by a tragedy, but by fatigue or the aggravation of a chronic disease due to the disaster. If a municipality certifies the cause of death is directly associated to a disaster, a condolence grant is paid to the victim’s family. If the person was a breadwinner, 5 million yen is paid.

Applications for certification have been filed for 748 people, and 634 of them have been cleared to undergo screening.

Of the 634, 573 deaths were certified as disaster-related, 28 applications were rejected, four cases had to reapply because of flawed paperwork, and 29 remain pending.

In Minami-Soma, a screening panel of doctors, lawyers and other experts examined 251 applications and approved 234 of them. The panel judged two deaths were not eligible for certification and 15 were put on hold.

“During our examination of the applications, we gave emphasis to the conditions at evacuation sites and how they spent their days before they died,” a city government official said. “However, the screening process was difficult in cases when people had stayed in evacuation facilities for an extended time and when there was little evidence of where they had been taking shelter.”

(Feb. 5, 2012)

http://www.yomiuri.co.jp/dy/national/T120204003191.htm

<翻訳>

「核危機に関連し 573人が死亡」

(読売新聞)

573人死亡の合計は、読売新聞の調査によると、不自由福島第1原子力発電所危機の影響を受け13市町村による “災害関連”として認定されている。

さらにチェックが行われている間に29人の認定が保留のままであるため、この数は上昇する可能性がある。

南相馬、田村、いわき – - 双葉郡の8つの町や村 – 浪江、双葉、大熊、富岡、広野、楢葉、葛尾と川内 – と川俣と飯舘、すべての13市町村の3つの都市である。

これらの自治体は3月11日災害後すぐにメルトダウンを受けた原子力発電所、緊急避難の準備または拡張避難ゾーンにある。

死が直接悲劇によってではなく、疲労や災害に起因する慢性疾患の悪化によって引き起こされていないとき災害に関連した死亡証明書が発行される。自治体は、死の原因が直接原子力発電所災害に関連付けられていると証明した場合、弔慰助成金は被害者の家族に支払われる。死亡者が稼ぎ手であった場合、5百万円が支払われる。

認定の申請は、748人に提出されている、それらのうち634人は、審査を受けるように分類されている。

 634人の、573人が死亡、28症例が不認定にされた、災害関連として認定され、4例は、理由不備のある書類の再審査しなければならなかった、と29件は保留のままになっている。

南相馬では、医者、弁護士その他の専門家の審査会は、251件のアプリケーションを調べ、それらの234件を承認した。2つの死が認定の対象ではなかったと判断し、15件が保留にされた。

申請者の我々の調査の間に、我々は避難所での条件に重点を与え、彼らが死ぬ前にどのように日々を過ごした方法については、市政府の役人は”人々が長時間避難施設に滞在していた、彼らは避難していた場所の​​少し証拠があったとき、ただし、審査プロセスは、実際には非常に困難であった。”と言明している。 (*英文で読んでいただいた方が正確です。)

<読売日本坂>

災害関連死、573人認定…福島の13市町村

 東京電力福島第一原発事故で、政府から避難などを指示された福島県の13市町村で昨年、計573人の災害関連死が認定されたことが、各自治体への取材でわかった。

 避難が複数箇所に及んだり、長期化したりした結果、審査が難航するケースも目立つという。審査入りした634人のうち、29人は再調査が必要として認定が保留されている。

 13市町村は、警戒区域や緊急時避難準備区域(昨年9月末に解除)、計画的避難区域に指定されるなどした南相馬、田村、いわきの3市と、双葉郡8町村(浪江、双葉、大熊、富岡、楢葉、広野町、葛尾、川内村)、川俣町、飯舘村。計748人の認定申請があり、634人が審査を受けた。このうち573人が認定された。不認定は28人。4人は書類不備で再申請を求められ、29人は保留とされた。

(2012年2月4日03時00分  読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120203-OYT1T01229.htm

海外版でははっきりと「nuclear crisis’(核災害)」と書き、日本版では「災害」のみ、「核」を消し「震災災害」のように読者をミスリードしている

住民の核被爆死亡者573人!これはあくまで、認定された最低の数であると推測できる?

自滅するアメリカ帝国

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4月 292012

*今回は本の紹介です。 「自滅するアメリカ帝国~日本よ、独立せよ~」

伊藤 貫(いとう かん、1953年(昭和28年) 

日本の評論家、国際政治・米国金融アナリスト。東京都出身。東京大学経済学部卒業。コーネル大学で米国政治史・国際関係論を学んだ。その後、ワシントンD.C.のビジネス・コンサルティング会社で国際政治・米国金融アナリストとして勤務。アメリカワシントンD.C.在住。





<目  次> 

まえがき 日本よ、目覚めよ

第1章 自国は神話化、敵国は悪魔化

第2章 驕れる一極覇権戦略

第3章 米国の「新外交理論」を論破する

第4章 非正規的戦争に直面する帝国

第5章 アメリカ人の“ミリテク・フェチ”現象

第6章 世界は多極化する—中・印・露の台頭

第7章 パックス・アメリカーナは終わった

終章 依存主義から脱却せよ



以前、アメリカ帝国の時代が終わることを予見したフランスの碩学、エマニュエル・トッド氏の「帝国以後」という本を紹介させていただいたことがある。以下。



「NHK衛星放送で再放送された「未来への提言」で取り上げられていた2002年9月に出版されたエマニュエル・トッドの「帝国以後」

 1976年にその著書「最後の転落」で乳児死亡率の上昇を根拠にソビエト連邦の崩壊を独特の視点で見事に予言したトッドは、この著書のなかで、幾分、遠慮がちにアメリカ帝国の崩壊は2050年までに起こると予想している。

 おそらく、我々は、この控えめな言葉とは、裏腹にアメリカ帝国の崩壊を10年以内に、早ければ数年以内に目の当たりにすることになるのではないかと思われる。

 戦後、あまりにも長く米国の巧みなプロパガンダによって、ある意味洗脳されてしまっている日本人には理解しにくいことであろうが、

 その意味でもエマニュエル・トッドの「帝国以後」は21世紀の日本の未来に心を痛めている人々の必読の書と言えるかもしれない。

 さすが、トッドはヨーロッパ、フランスの知識人である。冷徹にアメリカに対して何の思い入れもなく、その覇権構造を分析している。また、我々が住む日本という国がどのようにその覇権を支えさせられているかを冷ややかに観察している。

  トッドは、単純な経済力や軍事力の分析、宗教やイデオロギーの対立のみに分析の軸足を置いていない。もちろん世界を評価するとき、それらの変数は分析にとって欠かせないものに違いない。従来の伝統的な方法に加えて、人類学者トッドの視野は「識字率」と「出産率」、すなわち教育と人口動態を、そのうえ過去から民族が受け継いできた「家族制度」と「婚姻形態」を、差異ある歴史の理解に不可欠な独立変数として認識する。このことによって、民主主義と自由主義の発展、およびその逆転としての文化的階層分化による民主主義の衰退=寡頭政治の台頭という現代世界の主要な潮流を明らかにし、人々を途方に暮れさせる世界の暴力的な混沌と行く末に迫っている。



『()世界中での成長率の低下や、貧しい国でも豊かな国でも不平等が強まっていることが把握できる。これは経済と金融のグローバリゼーションに結びついた現象で、論理的かつ単純に自由貿易から派生するものである。()しかし左のであれ右のであれ、マルクス主義のであれ新自由主義のであれ、単純すぎる経済主義に身を委ねることを拒むなら、厖大な統計資料のお陰で、現在の世界におけるすばらしい文化的前進がどれほどのものなのかを把握することができる。それは二つの基本的パラメーター、すなわち大衆識字化の全般化と、受胎調節の普及を通して表現される。(p50)

  実例とその展開はいくらでも示すことができるだろう。ここで重要なのは、近代化過程が始まる以前の空間と農民習慣の中に組み込まれていた当初の人類学的様態を知覚することである。さまざまの家族的価値を担う地域と民族が、その時期その速度もさまざまに、次から次へと同じ伝統離脱の動きの中に引きずり込まれていった。農民世界の元々の家族的多様性は人類学的変数であり、識字化過程の普遍性は歴史的変数ということになるが、この両者を同時に把握するなら、われわれは歴史の意味=方向と多様性という分岐現象とを同時に考えることができるのである。(p82)  』



 ソ連邦崩壊後のロシアと東ヨーロッパの旧人民共和国、フランスとドイツを中心とするEU諸国、日本、中国、中南米、アフリカ、さらにイスラム圏を含めて、地域的に差異のある民主主義と自由主義の発展をトッドは確信するのだが、現在のアメリカ帝国に対する評価は、極めて厳しく、帝国が崩壊過程に入っていると断言している。

 

『 1950年から1990年までの世界の非共産化部分に対するアメリカの覇権は、ほとんど帝国の名に値するものであった。(

共産主義の崩壊は、依存の過程を劇的に加速化することとなった。1990年から2000年の間に、アメリカの貿易赤字は、1000億ドルから4500億ドルに増加した。その対外勘定の均衡をとるために、アメリカはそれと同額の外国資本の流入を必要とする。この第三千年紀開幕にあたって、アメリカ合衆国は自分の生産だけでは生きて行けなくなっていたのである。教育的・人口学的・民主主義的安定化の進行によって、世界がアメリカなしで生きられることを発見しつつあるその時に、アメリカは世界なしでは生きられないことに気づきつつある。(p37-38)

  どのようにして、どの程度の早さで、ヨーロッパ、日本、その他の投資家たちが身ぐるみ剥がされるかは、まだ、わからないが、早晩身ぐるみ剥がされることは間違いない。最も考えられるのは、前代未聞の規模の証券パニックに続いてドル崩壊が起こるという連鎖反応で、その結果は、アメリカ合衆国の「帝国」としての経済的地位に終止符を打つことになろう。P143

 アングロ・サクソンの世界への関わり方は、不安定で流動的である。彼らの頭の中には、普遍主義的民族にはない人類学的境界線が存在する。その点で彼らは差異主義的諸民族に近いのだが、ただしその境界線は移動することがある。(

アメリカ合衆国の歴史も、この境界線の変動という主題をめぐる試みとして読むことができる。それによって中心集団は、独立から1965年までは連続して拡大し続けたが、1965年から今日に至るまで、縮小の傾向にある。(

ロシアは、おそらくフランス革命以来最も普遍主義的なイデオロギーに違いない共産主義を作り出し、世界に押し付けようとした。(

冷戦の間、アメリカはこの恐ろしい潜在力に立ち向かわなければならなかった。外に対しても内においても、である。(

共産主義というライバルの崩壊に対応する最近の数年間は、アメリカの普遍主義の後退が見られる。(p152-155)



 アメリカ流の一方的な行動様式と呼ばれるものは、()その基本的帰結は、アメリカ合衆国が帝国というものに不可欠のイデオロギー手段を失ったということである。人類と諸国民についての同質的把握を失ったアメリカは、あまりにも広大で多様な世界に君臨することはできない。(p170-171)



 ロシアの崩壊の結果、アメリカ合衆国は唯一の軍事大国となった。それと平行して金融のグローバリゼーションが加速する。1990年から1997年までの間にアメリカと世界全体の間の資本移動の差額の黒字は600億ドルから2710億ドルに増大した。これによってアメリカは生産によって補填されない追加消費に身を任せることができたのである。(p179-180)

 アメリカ外交の酔っ払いの千鳥足のような行動振りには、一つの論理が隠されている。すなわち現実のアメリカは軍事的小国以外のものと対決するには弱すぎる、ということである。すべての二流の役者たちを挑発すれば、アメリカは少なくとも世界の檜舞台での役割を主張することができる。経済的に世界に依存しているという事態は、実際、何らかの全世界的なプレゼンスを必要とせざるを得ない。(p185-186)  』



 トッドは、冷静な目で経済的に、軍事的に、自由と民主主義などイデオロギー的に、文化的に、アメリカは帝国としての役割を終えつつあることを見通している。

『今日地球上にのしかかる全世界的均衡を乱す脅威は唯一つ、保護者から略奪者へ変質したアメリカそのものなのである。己の政治的・軍事的有用性が誰の目にも明らかであることをやめたまさにその時に、アメリカは全世界が生産する財なしにはやって行けなくなっていることに気がつくのである。P265

 二十世紀にはいかなる国も、戦争によって、もしくは軍事力の増強のみによって、国力を増大させることに成功していない。フランス、ドイツ、日本、ロシアは、このような企みで甚大な損失を蒙った。アメリカ合衆国は、極めて長い期間にわたって、旧世界の軍事的紛争に巻き込まれることを巧妙に拒んで来たために、二十世紀の勝利者となったのである。この第一のアメリカ、つまり巧みに振舞ったアメリカという模範に従おうではないか。軍国主義を拒み、自国社会内の経済的・社会的諸問題に専念することを受け入れることによって、強くなろうではないか。現在のアメリカが「テロリズムとの闘い」の中で残り少ないエネルギーを使い果たしたいと言うなら、勝手にそうさせておこう。(p279)  』

 戦後、半世紀以上にわたって続いたアメリカに対する幻想を捨てるためにも是非、読んでいただきたい本である。2002年の段階で今日のアメリカの状況を予見していたことは特筆に値するだろう。」(引用終わり)



今回は独特のキャラクターでアメリカの要人の懐に入り込み、彼らが日本という国をどう考えているかを聞き出した人の本を紹介させていただく。やはり、彼もアメリカ帝国の終焉を言っている。

 著者の伊藤氏は「リアリスト外交」、バランスオブ・パワー(勢力均衡外交)」の視点から、

(1)アメリカの一極覇権外交が失敗してきたこと。

(2)冷戦後の国際構造の多極化が必然的であること。

(3)米経済力の相対的衰退は、マクロ経済学からみて当然であること。

(4)二十一世紀になっても日本の自主防衛政策を阻止しようとする米政府の対日政策は不正で愚かな同盟政策であること。

以上の視点から「日本の独立」の必要性を説いている。自主防衛するのに一番コストパフォーマンスの良いのが自前で核兵器を持つことだとも著者は指摘している。この点についてはいろいろご意見があるだろうが、不思議な言語空間にいる私たち日本人の目を覚ます本であることは間違いない。心に残る一節。

「一九五〇年代中頃、鳩山一郎政権の重光葵外相が、「日本は自主防衛するから、米軍は六年後に日本から撤退して欲しい」とダレスに述べたところ、ダレスは憮然として「お前たち日本人に、そんなことはさせない!」と一蹴したという。日本がまだ非常に貧しかった時、「自主防衛するから、米軍は出ていってほしい」と要求した重光の知性と度胸は、立派なものである。過去半世紀間の日本の政界と官界には、重光のような人物はいなくなった。」(本書57ページ)



評論家の日下公人氏が良い紹介文を書いているので引用させていただく。

 

固定観念を打破する貴重なアメリカ論

日下 公人

 

著者の伊藤貫氏は無限大の突進力に加えて情愛の心をもった希有の人である。そういう人には眼前の大事が小事に見える。早く言えば大局観で、それがある人はある人同士の交際をつくることができるが。

 長くアメリカに住んだ伊藤貫氏の日米論やアメリカ論にはそれを感ずる。余人の及ばぬ国際関係論が本書にはつぎつぎと開陳されて、本書は日本人の固定観念を打破する貴重な一書になっている。

その骨子はアメリカの一極支配論は間違いで、アメリカはそれを実現できない。したがって世界は多極化し、各国のバランス・オブ・パワー・ポリシー(勢力均衡政策)が交錯する時代になると言うもので、それ自体はごく常識的なものである。



江戸時代の日本人は“強きを挫き、弱きを助ける”のが男のすることで、それがみんなのためになる生き方だと考え、上は徳川幕府から下は町人の一人ひとりまでがそれを実行したが、なぜか戦後の日本外交はちがった。

 アメリカは強いと考えて盲従したが、そのおろかさが今年は内外ともにハッキリすると思う。

アメリカは日本を従属させるためには“国際社会から孤立する”との圧力をかければ何でもできると考えたが、今はアメリカの方が孤立しかけていて、時代は刻々と変っている。

 それが見える日本人と見えない日本人がいるが、どちらもこの本を読むと良いと思う。ワシントンで活躍する政治家・学者・外交評論家のナマの声がきける。ワシントンにはたくさんの日本人がいるが、外交官でも新聞記者でも学者でも先方とここまでの意見交換をしている人はいない。

 無限大への突進力がないサラリーマンばかりだからである。

  但し、同じ日本人でもビジネスマンはちがう。商売には双方ともが利益になる解決が必らずあるから、本来、衝突は存在しない。必要なのは無限大への突進力とアイデアで、それは不思議なことだが情愛の念から生まれる。



 アメリカには3つの顔があって、第1は、ワシントンのアメリカで、第2は、ニューヨークのアメリカである。どちらも無限大の突進力を自慢にしているので、日本人からみると周囲への情愛と自制心がない。唯我独尊になって、世界に嫌われる。第3は、田舎のアメリカで田舎には自制心と情愛がある。

 ところで日本は、ワシントンのアメリカについては多少知っているが、ニューヨークと田舎については、ほとんど知らない。わずかに金融と貿易の人が部分的な体験をもっているだけで、田舎については、現地の工場建設や資源開発で苦労した人が知っているだけである。そういう日本人が書いた日本語のアメリカ論は、不思議なことにアメリカの書店には各種あるが、日本にはない。

また、日本にはアメリカの狡猾さや弱肉強食の略奪主義を指摘する本がない。日本にあるのはアメリカ賛美の本ばかりだから、そういう本を読んで予備知識としている日本のエリートは最初から位負けである。真実に迫る議論をしないから、先方は日本人に会うのは時間の無駄だと思っている。

 日本の方も、先方への批判ととられかねない質問はさし控えるのが礼儀だと思っているが、アメリカでは質問できないのは愚鈍か、または相手への愛情不足で距離を置いているからだと解釈される。

 その点、ビジネスマンは、商取引実現のためとあらば、何をきいてもいいし、先方も答えてくれる。だから国際交流は、ビジネスマンにさせるのが良いと、かねて思っているが、伊藤貫氏も、なかなかに突っこみ、アメリカは、それに対してまた会おうと答えている。

 この本で、読者は伊藤貫氏の人柄とアメリカ人の気質を学なばねばならない。

 アメリカが20年前「ユニラテラリズム」を唱えたとき、それは無理だと考えて私は『名誉ある孤立の研究』(PHP研究所刊、1993年)を書いたが、いよいよそうなってきた。

 また、10年前にアメリカの略奪主義はいずれ国内の共食いになると書いたが、貧富の差の拡大で中流階級が絶滅危惧種になってきた。

 中流がいないアメリカは世界の信用を失っていずれ一極支配はもちろん、勢力均衡戦略もできなくなるだろう。

  著者はこの展望をもとに「日本よ、自立せよ」と説いている。(引用終わり)



<参考資料> 少々、古いが、田中 宇氏が世界の多極化について良い解説しているので紹介させていただく。

「資本の論理と帝国の論理」

2008年2月28日  田中 宇

 

 私が自分なりに国際政治を何年か分析してきて思うことは「近代の国際政治の根幹にあるものは、資本の論理と、帝国の論理(もしくは国家の理論)との対立・矛盾・暗闘ではないか」ということだ。キャピタリズムとナショナリズムの相克といってもよい。

 帝国・国家の論理、ナショナリズムの側では、最重要のことは、自分の国が発展することである。他の国々との関係は自国を発展させるために利用・搾取するものであり、自国に脅威となる他国は何とかして潰そうする。(国家の中には大国に搾取される一方の小国も多い。「国家の論理」より「帝国の論理」と呼ぶ方がふさわしい)

 半面、資本の論理、キャピタリズムの側では、最重要のことは儲け・利潤の最大化である。国内の投資先より外国の投資先の方が儲かるなら、資本を外国に移転して儲けようとする。帝国の論理に基づくなら、脅威として潰すべき他国でも、資本の論理に基づくと、自国より利回り(成長率)が高い好ましい外国投資先だという、論理の対峙・相克が往々にして起きる。

 帝国の論理に基づき国家を政治的に動かす支配層と、資本の論理に基づき経済的に動かす大資本家とは、往々にして重なりあう勢力である。帝国と資本の対立というより、支配層内の内部葛藤というべきかもしれない。ただ欧米の場合、大資本家にはユダヤ人が多く、彼らは超国家的なネットワークで動いている。その意味では資本と帝国の相克は、ユダヤとナショナリズムとの相克と見ることもできる。

 しかしその一方で、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀のイギリスと、世界規模の帝国を築いた国々の中枢では、いつもユダヤ人が国際ネットワークの技能を提供しており、それが諸帝国の成功の秘訣の一つだった。欧州のロスチャイルド(ユダヤ)と、アメリカのロックフェラー(非ユダヤ)の対立として描く人もいるが、ロックフェラーは古くから親中国・親ロシアで、多極主義を好む資本家という点でロスチャイルドと同じ側に立っており、両者は根本的な対立をしていない。



産業革命を世界に広げた資本家

 資本の論理が大々的に登場したのは、18世紀末にイギリスで始まった産業革命以降である。イギリスでは、産業革命で儲けた人々が産業資本家として台頭したが、しばらくすると彼らは、産業革命が一段落して経済成長が鈍化し始めたイギリスより、まだ産業革命が始まっていないドイツなど外国に投資した方が、儲けが大きいことに気づいた。

 投資の利回りが良いのは、産業革命(工業化)が軌道に乗ってから20年間ぐらいで、イギリスでは1780-1800年だった。その後イギリスの成長が鈍化し、資本家が海外へと新規投資先を開拓していった結果、1850-1870年にはドイツで、1880-1900年には日本で、それぞれ産業革命が展開した。

 イギリスの資本家が他の国々の産業革命に投資した時、出したものはお金だけではない。イギリスの製造業の技術や、企業経営の技能に加え、封建体制を脱して工業生産に適した社会に転換する過程としての近代化を始めたばかりの日本やドイツなど政府に対し、法律や軍事など近代的国家運営のノウハウまで移植したはずである。その方が新興国家は安定し、資本家の儲けが大きくなる。

 ロスチャイルドのような大手の資本家は、イギリスの国家運営に関与し、自分たちの番頭を首相や政治家、高級官僚として送り込んでいたから、イギリスの国家運営の技能を入手するのは簡単だった。ロスチャイルドのようなユダヤ人資本家は、イギリスだけでなくドイツやフランスにも古くからの拠点を持っていた(そもそもロスチャイルドは産業革命前にドイツからイギリスへと拡大した)。だから、資本や産業技術は簡単にイギリスから独仏などに広がり、資本家の儲けを拡大した。

 産業革命の進展の結果、1830-70年代に鉄道網が世界中に広がり、同時期に外洋船舶や自動車など交通技術が全般的に大進歩して、世界は1870年代以降「第一次グローバリゼーション」の状況になった。人類史上初めて、世界が単一の市場になる傾向が急速に強まり、資本は成長率の高い地域を求めて投資先を探し、工場は労賃の安い地域を求めて移転し、商品は中産階級が勃興する新興国でよく売れるようになった。資本家は世界的に金儲けでき、資本の論理からすると好ましい展開だった。

 

資本と帝国の矛盾の末に起きた第一次大戦

 しかしそもそも、当時は大英帝国の政治覇権が世界を安定させていたパックス・ブリタニカの時代だった。イギリスが帝国の論理に基づいて世界を安定的に支配していたからこそ、資本家は世界的に儲けられた。

 世界には、工業技術の修得がうまい人々と、そうでもない人々がいる。日本やドイツなどの人々は、イギリス人よりも安く優れた工業製品を作れるようになった。欧州各国から移民を集めて作られたアメリカも、イギリスより良い工業製品を作り出した。イギリスは、最初に産業革命を起こし、パックス・ブリタニカで世界を安定させている功労者であるにもかかわらず、産業的には独米日などより劣る、儲からない国になる傾向がしだいに顕著になった。19世紀末には、資本の論理と帝国の論理の間の矛盾・対立が拡大した。

 矛盾が拡大した果てに起きたのが、1914年からの第一次世界大戦だった。前回の記事にも書いたように、イギリスは外交・諜報能力が非常に進んでいたが、軍事製造力でドイツに抜かれるのは時間の問題だった。イギリスは、ドイツが東欧・バルカン半島からトルコ・中東方面に覇権を拡大するのを阻止する目的もあり、フランスやロシアを誘ってドイツとの戦争を起こした。

 ドイツにも投資していたイギリスの国際資本家の中には、イギリスが戦争でドイツを潰そうとしていることに、ひそかに反発した人々もいたふしがある。彼らは、英政府に軍事費を無駄遣いさせたり、欧州のユダヤ系革命勢力がロシアに行くよう誘導して革命を起こし、イギリスと組んでドイツと敵対していたロシアが革命で戦線離脱するよう仕向けたりして、第一次大戦でイギリスが消耗し、帝国として機能できない状態に陥れようとした。こうした暗闘の結果、第一次大戦は長引き、イギリスは最終的に勝ったものの、国力を大幅に落とした。

 第一次大戦でイギリスが勝てたのは、アメリカを参戦させることに成功したからである。当時すでにニューヨークには資本家が数多くおり、第一次大戦でイギリスではなくドイツを支援する勢力も多かったが、イギリスの強い勧誘活動の結果、アメリカはイギリス側に立って参戦した。その見返りとして米政府は、戦後の世界体制を多極的なものにするための主導権を得た。



アメリカを乗っ取ったイギリス

 アメリカが主導して構築した第一次大戦後の世界体制が、国際連盟であり、ベルサイユ体制だった。これは、大国どうしで話し合って世界の安定を維持する戦争防止の国際機構になるはずのもので、イギリスがドイツを潰すような戦争の再発を防ぐ資本の論理と、アメリカは南北米州のことだけに責任を持ち欧州の紛争に巻き込まれないという不干渉主義の両方が満たされるはずだった。しかし、アメリカ自身が議会の反対で参加せず、機構は不完全なものに終わった。

 その後、イギリスは20年かけてアメリカの連邦政府を覇権的な機関に作り替え、アメリカが地方分権の不干渉主義から連邦政府独裁の覇権国へと転換するよう誘導した。その上で第二次大戦を起こして米英が勝ち、第一次大戦で終わっていたイギリス覇権を、アメリカ覇権(パックス・アメリカナ)として再生した。

 アメリカの連邦政府は権限が拡大し、戦争をしやすい機関に作り替えられ、アメリカが「戦争中毒」になる素地が作られたが、その裏にはアメリカを作り替えて世界支配をやらせようとしたイギリスがいた。最初の戦略はイギリスが立案したが、その後はアメリカにCFR(外交問題評議会)などイギリスからコピーされた研究機関が作られ、英諜報機関のMI6が米に移植されてCIAとなり、アメリカ自身がイギリス好みの世界戦略を考案するようになって、イギリスがアメリカに乗り移る過程が完了した。

 私はこれまで「アメリカはイギリスから覇権を移譲された」と書いてきたが、よく考えると「イギリスは自国の衰退を補うため、アメリカを取り込んで米英同盟が覇権を握る体制にした」と言った方が良い。

 アメリカは第二次大戦でも世界の多極的体制を希求し、国際連盟に替えて国際連合を作ったが、新体制はイギリスの冷戦の策略を受け、1950年の朝鮮戦争までに無力化された。おそらくイギリスは、第二次大戦中から、戦争中は日独を潰すためにソ連を味方につけるが、その後はソ連を敵にして米英が中ソと対立する体制を作るつもりだったのだろう。

 アメリカの覇権のもとで世界が安定したら、再び資本家はグローバリゼーションを起こし、儲けるために中ソに投資して成長させ、不干渉主義のアメリカはそれを容認し、イギリスの覇権は10年で崩れただろう。戦後すぐに冷戦構造を作って世界を分断し、先進国をすべて英米覇権下に置いたことで、イギリス黒幕の米英同盟による覇権は長期化し、現在まで続いている。

(実際、1990年代に冷戦が終わった直後から第2次グローバリゼーションが始まり、それから10数年後の今、中国は経済大国として台頭し、ロシアも資源大国になり、世界は多極化している)



ニクソン以後に暗闘再燃  

 イギリスが、アメリカを引っ張り込み、日独を潰して傘下に入れ、中ソを永久の敵にして、米英同盟が世界を支配する体制を1950年に完成させた時点で、1910年代からの資本と帝国の暗闘・葛藤は、いったんは帝国の勝利で確定した。

 イギリスが召集してアメリカで開いた1944年のブレトンウッズ会議で、ドルは基軸通貨となり、アメリカは造幣輪転機を回すだけで富を生み出せるようになった(建前は金本位制だったが、米政府はかまわずドルを増発した)。西欧や日本に対する戦後復興投資も米企業の儲けとなり、資本家は1960年代までの20年間は、儲かるので米英中心の世界体制に文句を言わなかった。

 ところが60年代に米経済の成長や欧日の復興が一段落した後、資本家は再び満足しなくなり、70年代にかけて政府にドルを全力で増発させ、71年に金ドル交換停止を引き起こし、ブレトンウッズ体制を潰すという覇権の自滅をやり出した。同時期にニクソン訪中があり、その後は米ソ雪解け、レーガンによる冷戦終結まで、アメリカは20年かけて断続的に冷戦体制を壊していった。

 多極主義に基づいてアメリカの自滅を画策したニクソンは1974年のウォーターゲート事件で辞めさせられた。この事件の騒動からは、アメリカのマスコミを操っているのはイギリスの側であり、資本家の側ではないことが感じられる。ニクソンを辞任に追い込んだ米マスコミは「悪を退治した正義の味方」として描かれ、その後、世界中の多くの若者が英雄談にひかれ、ジャーナリスト志望になった(かつての私自身も)。だが、これは実はイギリス系の謀略であり、ヒットラーや東条やサダムフセインを極悪に描いたのと同じ、イギリスお得意のマスコミを使った善悪操作の戦略だった。

 ニクソン以後、アメリカ側が冷戦終結に向けて動いたのに対抗し、イギリスは、イスラエルをけしかけて米政界に食い込ませた。イスラエルはもともと、イギリスの中東支配の道具として、アラブにかみついて分断・従属させる番犬(羊の群に対するシェパード犬)として建国を容認された国だった。だが、イギリスが国力低下の末に1967年、中東(スエズ以東)からの撤退を決めたため、梯子を外されてイスラエルは危機に陥った。(選民思想のユダヤ人は、羊の群れを飼い主の代わりに一定方向に進ませる牧羊犬シェパードのように、遅れた他の民族を誘導する、神様のためのシェパードを自称している。だが現実のイスラエルは、神様ではなくイギリスの番犬だった)

 危機を乗り越えるため、イスラエルはまず67年に第3次中東戦争を起こしてパレスチナからアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア)を追い出してガザ、西岸、ゴラン高原を占領した。同時に米政界に食い込み、アメリカの中東戦略をイスラエル好みのものに変えることで国家存続をはかる戦略を開始した。イスラエルは、イギリスの有能なシェパードとしてアメリカに食いつき、抵抗勢力に「ユダヤ人差別」のレッテルを貼って噛みついた。



イスラエルとの暗闘

 イスラエルはイギリスから、議員への圧力のかけ方、軍事産業との結託の仕方、マスコミの操作術など、アメリカを牛耳るノウハウを提供され、数年で米政界に食い込み、1980年に当選したレーガン政権に政策立案者としてイスラエル系の勢力(のちのネオコン)が数多く入り込んだ。

 アメリカの世界戦略をめぐる資本家とイギリスの暗闘は、資本家とイスラエルの暗闘に変質した。以前の記事に書いたように、もともとイスラエルの建国をめぐっては、ロスチャイルドなど資本家ユダヤ勢力と、活動家ユダヤ勢力(シオニスト)との間に暗闘があったが、その暗闘は数十年後にアメリカで再発した。

 資本家の側は、必要以上に過激なシオニスト右派勢力をアメリカで構成して1970年代後半以降イスラエルの入植地に送り込み、イスラム側とのいかなる和平も許さない過度な強硬姿勢をイスラエルに植え付け、イスラエルが好戦的にやりすぎて自滅していく方向に誘導した。

 イスラエルの代理をつとめるふりをして実は資本家の代理というスパイ的な勢力は、イスラエル側の入植者(リクード右派)だけでなく、米側のネオコンも同様だった。ネオコンが入り込んだレーガン政権は、ソ連のゴルバチョフと談合して冷戦を終わらせ、ドイツを統合するという、イギリスの世界戦略を潰す大事業を挙行した。

 また、レーガンは2期目の最後の1988年、アラファトを亡命先のチュニジアからパレスチナに呼び戻し、パレスチナ国家の建設に道を開いた(任期最後の年にやることでイスラエルの妨害を避けた)。1993年のオスロ合意につながるこの動きは表向き、パレスチナ問題を解決してイスラエルの安定に貢献する戦略とされたが、実際には、パレスチナ国家の創設後、ゲリラが出てきて以前より有利な位置からイスラエルを砲撃する可能性があった。

 イスラエルはアメリカに引っかけられて潰される懸念があると気づき、いったんオスロ合意で結んだ和平を、その後破棄した。和平を破棄したことで、イスラエルでは右派(入植者)の政治力が強まったが、右派もイスラエルを潰そうとする米資本家が送り込んだスパイだったことは、すでに述べたとおりだ。



テロ戦争で巻き返そうとした英イスラエル

 冷戦終結は資本家の勝利だったが、その後、イギリスが反乱してこないよう、冷戦終結と並行して起きた第2次グローバリゼーションで、アメリカだけでなくイギリスも大儲けできる金融システムが採用され、ロンドンはニューヨークと並ぶ世界金融の中心となった。だが1997年のアジア発の国際通貨危機は、米英中心の金融覇権が永続しないことを感じさせた。

(通貨危機の際、IMFが東南アジアや中南米諸国に過度に厳しい借金取り戦略を採り、反米感情を煽った行為には、隠れ多極主義の臭いがする)

 その後イギリスは、イスラム側と戦うイスラエルや、軍事予算増を求める米の軍産複合体ともに「第2冷戦」的なイスラム過激派との永続的テロ戦争を画策した。アメリカでは99年ごろから「近いうちにイスラム教徒によるテロがある」と喧伝され、01年の911でそれが現実化した。この前後、マスコミを使ってイスラム側を極悪に描く、イギリスお得意の善悪操作術が展開された。

 マスコミ制御を英イスラエル側に取られ、議会では反イスラエルの言動も許されないがんじがらめの状況下で、現ブッシュ政権が採った戦略は「英イスラエルの意のままに動きつつ、それを過激にやりすぎることで、英イスラエルの戦略を潰す」という、隠れ多極主義だった(レーガンやニクソンも似た戦略を採っており、ブッシュ政権の発明ではないが)。

 ブッシュ政権の隠れ多極主義は今、成功の直前まできている。ブッシュは今年、任期末なので再選努力をする必要もなく、イスラエルに気兼ねせず好き放題ができる。イスラエルは、イスラム側との自滅的な最終戦争にいつ突入してもおかしくない。イスラエル軍が予定しているガザ大侵攻が、大戦争の幕を落としそうだ。

 金融界では、連銀のグリーンスパン前議長が先日、アラブ産油国(GCC)にドルペッグ破棄を勧めた。連銀のバーナンキ現議長は「アメリカの不況はひどくなる」と景気に冷水を浴びせる発言を何度も繰り返している。いずれも、金融とドルの覇権の大舞台を支える大黒柱を斧で切り倒そうとする、多極化誘発の言動である。かつてイギリス好みの戦争機関の一部だった米連銀は、今では隠れ多極主義の資本家の手先に成り変わっている。



イギリスをEUに幽閉する

 アメリカが金融崩壊していくと、同じ金融システムに乗っているイギリスも連鎖的に崩壊する。以前の記事に書いたように、イギリスは今年、金融財政の危機になると予測されている。スコットランドでは、イギリスから分離独立を目指す動きも続いており、独立支持の元俳優ショーン・コネリーは最近、77歳の自分が死ぬ前にスコットランドは独立すると発言している。

 米英同盟の崩壊、金融財政危機と国土縮小の末、イギリスはアメリカを操作して世界を間接支配することができなくなり、EUに本格加盟せざるを得なくなるだろうが、EUでは今、リスボン条約などによって、政治統合が着々と進んでいる。独仏はすでに軍事外交の統合で合意しており、イギリスもEUに本格加盟するなら、軍事外交の権限をEU本部に明け渡さねばならない。

 これは、イギリスが外交力を駆使してアメリカを牛耳ることを永久に不可能にする。アメリカの資本家から見れば、いまいましいイギリスをEUに永久に幽閉することができる。

 イギリスは、EUを牛耳って覇権の謀略を続けようとするかもしれないが、かつて二度もイギリスに引っかけられて潰された上、50年の東西分割の刑に処されたドイツは、もう騙されないだろう。サルコジのフランスも、親英的なふりをしつつ実際には多極化の方に乗る狡猾な戦略を展開している。独仏とも、イギリスの長年の謀略から解放されたいはずである。

 アメリカは、イギリスとイスラエルから解放されて国際不干渉主義に戻っていくだろうし、ロシアや中国や中東(GCC+イラン+トルコ)も、米英覇権から抜け、独自の地域覇権の勢力になっていくだろうから、たとえイギリスがEUを牛耳れたとしても大したことはできず、世界は多極化していくだろう。アメリカを好戦的にしていたイギリスとイスラエルが無力化されることで、世界は今より安定した状態になることが期待できる。

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