日本の政治を見る上で一番大切な視点は、現在の日本の財務省官僚たちがアメリカの手先代表になっているという点にある。その親分が、いま日銀の副総裁になっている武藤敏郎である。彼は元財務次官で、財務官僚の親分ドンだった。そういう人物が日銀の中に入り込んでいって、生え抜きの日銀官僚たちとどなり合いのけんかをしている。どなり声が道路にまで聞こえるという話を、雑誌記者たちが時々書いている。おそらく、今でもそうだろう。

そして本年8月ぐらいの時点で、小沢一郎民主党は、武藤敏郎の日銀総裁への昇進反対と竹中平蔵の日銀総裁就任反対という意思をはっきりと示した。

日本の国論上、民主党が反対の意思を表明したら、いまの国会運営上、日銀総裁の人事ではもうこの2人はなれないということがはっきりした。このことはデビッド・ロックフェラー直系の2人の人間を、小沢一郎は明確に切り捨てたということを意味している。

だから、「小沢一郎を殺してやりたい」という声が、アメリカの手先系の人間たちから起こったのは、当然のことだとも言える。そのときに安倍晋三氏がとった態度が、優柔不断という言葉であらわされるものだった。一国の首相にまでなった人間は、肩の上にずしりと巨大な岩石が積み上がったような重たさを感じらしく、身動きがとれなくなるぐらい重たい責任を背負う運命にある。

そうすると、あっちの立場とこっちの立場の両方を使いながら生きていくわけだから、その重責に耐えられなかったというのが、安倍晋三氏が体と精神がガラガラと崩れるようにしてやめていった直接の理由だとわかる。けれども、安倍氏としては最後の瞬間に小沢一郎との党首会談が流れ、そのことを理由に、民主党のせいにして政権をほうり投げたというようにも見うけられたが、事実はそうではない。

また、アメリカの国務省や国防総省の意思に強く反対して、インド洋での救援活動をしない。アメリカを助けないと言った小沢の決断を、安倍晋三氏自身も実はひそかに支持していた可能性も否定できない。なぜなら、参議院議員選挙前にテロ特措法を通そうと思えば通す事はできたのに安倍氏はしなかったのだから、

それをだらだらと先延ばしにしてやらなかったので、安倍晋三氏はアメリカから疑われていた。彼はテロ特の延長をする気がないのではないかと、公然とアメリカに疑われていたのである。



安倍晋三氏は、シドニーで開かれたAPECの会合でブッシュ大統領に会っている。

そのブッシュ大統領が、シドニーの対談のときには、ブッシュが安倍晋三氏のことを“シンゾー”とこれまでのように愛称で呼ばないで、「ミスター・プライム・ミニスター」と言い放ったそうだ。

安倍晋三氏には、もう既に5月ぐらいからテロ特措法を通す気がなかったも考えられる。それは小池百合子を防衛大臣に任命したのに、彼女がさじを投げてやめてしまったというところで露見してしまった。

小池百合子というのは「不見転女」と言われているように、男の政治家の実力者を渡り歩いて今の地位を築き上げた女性政治家だ。女が権力者的な構造に入ると男化するわけで、男化した女がとる行動は男と同じ行動をとる。

女の武器を使いながら、はい上がっていくという図式が小池百合子の特徴で、細川護煕から小沢一郎、二階俊博、野中広務まで含めて、ずっと男の実力政治家たちを渡り歩いて自民党に入ってきた。

しかし、最後はアメリカの最高実力者のナンバー3であるコンドリーザ・ライス国務長官にくっついた。コンドリーザ・ライスに抜てきされて、あの首相補佐官を大臣にしろというアメリカからの命令があって、防衛大臣になったのである。

防衛省としては、こんな女に自分たちの親分になられてはかなわないという内部で大きなブーイングの意思があったと思われる。このときに出た、小池に対するさげすみの言葉が「半ライス」という言葉で、ライスの半分という意味だったのだろうが、これは防衛省の内部から使われた言葉だ。

小池自身は意気揚々と、より力の強い者に支えられた自分の権力であるから、それでうまいぐあいに立ち回って、あわよくば日本で初の女性の首相になろうと。恐らく今でもまだ思っていると思っているのではないか。

だからこそ、彼女の渡り歩き方の節操のなさもそろそろ問題になっている。同時に、自分ではライスと会談するときに、「マダム・スシ」(ライス=ご飯とスシを引っかけたダジャレらしい)と自分のことを呼んでくれと言ったらしい。

そこまで節操のない女で、コンドリーザ・ライスに「あなたならできる」とおだてられて、何ができるのかといったら、まさしくそれはテロ特措法の延長だったわけだ。

その意向を受けてアメリカに抜てきされたわけだから、その前に久間防衛大臣の首が飛んでいるのは当たり前だ。アメリカというのは、露骨にここまで内政干渉する国である。

ここまでアメリカがやっても、まだ日本国内の人事をめぐる争いぐらいにしか日本のマスコミ(テレビ、新聞)は報道しないので一般国民は真実を知ることはない。

これが日本の異常ところである。ここまで露骨にアメリカの日本支配、植民地支配という構造が見えるのに、それを言葉にあらわせないのが、日本という国の悲しい境遇である。

実は、守屋武昌防衛事務次官と小池百合子はものすごく仲がよかったらしい。親密な関係で、それは昔、守屋が小沢一郎を応援している改革派の防衛庁内の生え抜き官僚だったからだ。だから装備局長などをしていたのではないか。戦略型人間で風貌はゴリラみたいで悪いけれども、「キチガイ守屋」と呼ばれていた改革派の防衛官僚なわけです。守屋と仲よくやるかと思った途端に、どなり合いを小池が始めた。

守屋は生え抜きの防衛省官僚ですから、防衛大学出の「制服組」の連中とも気脈が通じます。それに対して防衛省内にいる「背広組」は、警察庁で採用されて警察庁から出向で防衛省に来ている連中、お金の配分、装備の配分をやる連中がいる。もう一つは財務省から出向で来ている連中がいて、この2種類の連中がいる。

制服組の防大出の連中がしゃべっているのを聞いたことがあるが、「クラ(蔵)、クラ」という呼び方をしていた。要するに、大蔵官僚が自分たちを上から抑えつけているという言い方をしていた。それと警察庁出身のやつらがいる。その2種類を背広と言うわけですが、背広組と制服組の闘いという言葉で知られている。

守屋次官は、防衛大学出ではないですけれども、外部の人間との比較では、一応は制服組に入る。彼と生え抜きの防衛省の幹部たち、それに対して外部の背広組との闘いが繰り広げられていた。

ここで特筆すべきことは、小池百合子が激しい闘いを防衛省の幹部たちとやっていたときに、同時に守屋たちをねらって特捜が動いていたという点である。東京地検特捜部が動いて、守屋たちを汚職罪で摘発するという動きを相当激しくやっていたらしい。それも東京地検に金銭の授受の証拠つきで、守屋たちをたたきのめすためにアメリカのCIAの手先どもが動いていた。守屋たちはねらわれていた。それも危機一髪で救われた形になったけれども、アメリカはこういうことまで平気でやる。

結果的に、小池百合子がアメリカのライスと話をしたテロ対策特別措置法は8月の時点でもう限界に来ていたわけで、民主党の反対を押し切ってでも衆議院で3分の1を押さえているんだから、もう1回採択して、2カ月ほったらかしで法律になるという手を使えということで小池百合子は動き回っていた。最後に安倍晋三氏に突きつけて、首相はどうするつもりだと言ったときに、安倍氏が答えなかったのだと思われる。 防衛省の人事に関しては、あなたに任せてあるという言葉を最後まで使い続けた。態度を明らかにしなかった。

それで小池百合子としては、安倍晋三に愛想を尽かしたという態度をとって辞任することになった。そして自分が防衛大臣を辞任してしまえば、ライスは怒り狂うけれども、自分の政治生命を絶たれるというほどではないと判断した。議員としての政治生命は残る。それで逃げられると思って、さっさと自分だけがうまく逃げてしまったというのが、小池百合子というしたたか女のとった戦略である。自分には法律をつくるだけの力がないから、ライスさんごめんね、で逃げてしまったのだと考えられる。

そうすると、今度は安倍晋三氏に責任判断がかかってきて、この時期からアメリカは安倍を徹底的に疑い出した。



その遠因は、岸信介が1958年に首相になったときに、最初に何をしたかというと、台湾に行って、台湾の国民党総統の蒋介石と2人で抱き合っている。蒋介石と日本のカミソリと言われた官僚のトップだった岸信介が、自分たちはアメリカにひどい目に遭った、アメリカにだまされて追い落とされたと、はっきりと2人で確認し合っている過去がある。

蒋介石が、日本軍が負けた後、たった4年間で中国共産党に一気に負けていったのは、ジョージ・マーシャル将軍が参謀総長をやっていて、こいつが毛沢東の脇にくっついていて、表面上は国民党と共産党の紛争を調停するということだったけれども、本当は共産党に肩入れして、旧日本軍の武器、弾薬をすべて毛沢東の共産軍に渡した。

それで淮海(わいかい)海戦をやって、そのときの極東司令官が鄧小平だが、淮海海戦で勝って、蒋介石たちを台湾に追いやってしまった。だからアメリカが仕組んで、デビッド・ロックフェラーたちが毛沢東政権をつくらせたということが、大体わかっていた。こういうこともおそらく、蒋介石と岸信介は知っていた。

そういうわけで、安倍晋三の愛国派民族主義者としての純粋化というか、本来あるべき民族保守の態度に戻ったと考えられる。この態度のとり方においては、何の矛盾もない。ただし、アメリカべったり派の岡崎久彦とはこの辺でけんか状態になっている。安倍晋三氏がやめた途端に、岡崎が吐き捨てるように「安倍には、もともと首相になる器も資質もなかった」と言い放って・・・知らん顔をしていた。



アメリカの手先直系派の連中は、そういうふうに人間の信頼関係をベースにしない態度をとる。アメリカに徹底的に盲従することから、自分の人格や脳を形成しているわけで、その日本民族保守派の内部の二つの対立点がはっきり出てきたことは興味深い。

安倍政権が誕生するときに、これを支えた「再チャレンジ議員連盟」を動かしていたような政治家、大臣や補佐官になった連中も一人一人対応が違っている。その中でも、山崎派の甘利明は非常に立ち回りが上手で一人だけ生き延びている。

こういう経緯があって、どうやら安倍叩きの朝日新聞をはじめとするメディアを操ったのは、「米国資本の傘下に入った電通の第9営業局」だと言われている。そこに、直接CIAからの指示がおりるようになっているという経路まで浮かび上がってきた。

日本の財務官僚や厚生官僚、総務官僚たちの中には愛国派がまだまだ残っているがアメリカの手先派で、アメリカに留学させてもらっているものが圧倒的に多い。

だから、彼等はアメリカで2年も飯を食わせてもらって、向こうのCIA、財務省、国防総省に行っているから、最後は頭の芯からアメリカの手先になり切って帰ってくるのである。

こういったことを見ていくと、安倍晋三氏は彼なりにアメリカとよく闘った、官僚とよく闘った政治家という事になるのかもしれない。



安倍氏の最大の功績は日本の保守派、愛国民族派と言われている連中内部の大きな対立点をはっきりさせたことではないかと思われる。

その対立点に楔を打ち込み、日本の民族、国民の利益を守るナショナリズムであるのか。それとも、アメリカの手先でべったりでやっていくことによって、日本が属国として生き延びることがよい国だと判断しているのか。しっかり見守っていく必要がある。



安倍氏は身体が弱く、優柔不断なところがあったが、よくよく考えれば正直な人だった?!

Sorry, the comment form is closed at this time.

© 2011 山本正樹 オフィシャルブログ Suffusion theme by Sayontan Sinha