現在の経済状況を本質的に理解するのに良い本を紹介します。

*元外交官 天木直人のプログより

「なぜ、日本はここまで対米従属なのか?」

私はよく質問される事がある。なぜ日本外交はここまで対米従属なのかと。

はっきりと「こうだ」と断言できる答えを、もとより私は持ち合わせていない。

外務官僚の出世頭はすべて対米従属者であり、日米同盟至上主義者である。逆に、外務省では米国を批判する者は中枢を歩めない。それは事実だ。

しかし、それはあくまでも偉くなりたいための保身のなせる業であり、対米従属の理由に対する答えにはならない。

米国に逆らうと失脚させられる、脅かされる、あるいは命まで狙われる、という話が陰謀論のごとくささやかれるが、それを確認出来ない以上、これまた「答え」として公言する事は出来ない。

昭和天皇とマッカーサーの歴史的会談の中で、国体護持と日米安保体制(日米同盟)が、昭和天皇の強い意向により表裏一体の形で作られた、という史実を知れば、なるほど対米従属はそこから始まったのか、と思ったりするが、戦後世代にまでそれが影響を与えているとは思えない。もはや過去の歴史の一こまだ。

日本人は米国が好きなのだ、という理由は頷けるが、しかし米国への憧憬を抱く国民はなにも日本人だけではない。そのような国民は世界中に広く存在する。

しかし、同時にまた、それらの国民は、米国の不当な政策に対しては激しくデモや抗議をする。米国が何をやっても「仕方がない」とあきらめる従順な国民は、世界ひろしといえど日本人くらいだ。



結局は米国の占領政策が日本で大成功したという事ではないのか。

この事についてはCIAの対日工作がつとに有名だ。自民党に政治資金を渡したり、読売テレビを動かしたり、A級戦犯を無罪釈放して総理に就けたりした、周知の工作である。

しかし、また一つ米国の対日工作の史実が明らかにされた。

11月17日の朝日新聞がその書評欄で「戦後日本におけるアメリカのソフトパワー」(岩波書店)という本を取り上げていた。

松田武大阪大学教授の手によるその本は、1951年に「講和使節団」の一員として来日したロックフェラー3世が、東大を頂点とする日本の高等教育機関の序列化を図り、研究助成金をばら撒くことによって日本の指導的知識人たちが日米摩擦について口を閉ざすように仕向けて行った事を、明らかにしている、という。

その本は定価6,000円もする本なので購読をためらっていたら、奇しくも発売中のサンデー毎日12月7日号で、フリージャーナリストの斉藤貴男が次のように書評していた。

・・・戦後60年以上を経てなお重要度を増す(米国の対日占領の)深層を、第一線の研究者が米国側の膨大な一次資料を駆使して描出した、刺激的な論考だ。

米国の対日占領政策は、日本および日本人に関する仔細な研究に基づいていた。暴力的な押し付けではなく、ロックフェラー3世の掲げた文化交流が、露骨な人種差別意識にも彩られつつ進められた・・・圧巻は東京大学と京都大学とで繰り広げられたアメリカ研究セミナーの争奪戦だ・・・エリートとしての生き残りを賭けて米国に認められようとする大学人たちの生態は、そのまま現代日本の指導者の生き方に通じてしまっている・・・研究者らしく淡々としていた記述が、終盤に近づくにつれて強い苛立ちを帯びていく・・・

なるほど、興味をひかれる。何としてでも読んでみたい本である

2008 11/26

「米国金融資本主義の崩壊は本当か」

100年に一度の世界金融危機の割には、世界の指導者が本気になって危機打開の新たな枠組みづくりに邁進しているように感じられないのは私だけだろうか。

書店に足を運ぶと金融危機がらみの本が溢れかえっている。

やれドル崩壊とか、米国一極支配の時代は終わったとか、そんなタイトルの本ばかりだ。

その中で、「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(神谷秀樹著 文春新書)という新書を購入して読みおえたばかりだ。

住友銀行からゴールドマンサックスに転職し、今は独立してみずから投資銀行を経営しているという金融マンが書いたこの書は、米国金融資本主義の只中に在職しただけあって、「ウォール街」という言葉に象徴される米国金融資本主義の担い手たちのモラル喪失を、見事に教えてくれている。

たとえば、ウォール街の強欲金融マンが米国政府の高官に抜擢された人事について、こんな会話を紹介している。

・・・「あんな欲深いヤツが政府の高官なんて、まったく政府の人事はどうなっているんだ」、

「いい人事じゃないか。ウォール街にいる欲深い連中を監視するには、その中でも一番欲深い男を政府高官にするのがもっとも有効だろう。ジミー・カーター(信心深い良心的な元大統領)じゃ務まらないよ」

「そりゃそうだ」・・・

こんなエピソードから始まって、興味深い話が山ほど書かれている。それはもの凄い腐敗ぶりだ。

金融界に生きる者にとっては目新しいことではない話でも、ウォール街の実態を知らない一般の我々にとっては、「ウォール街」がここまで犯罪的だったのか、これでは金融危機が起きるのも時間の問題だった、などと、あらためて思い知らされる。

この書はまた、米国の行き過ぎた金融資本主義は、モノがつくれなくなった米国の行き着く先であり、それは実体のない詐欺的錬金術でしかなかった、それを「グローバル・スタンダード」という美名のもとにはやしたて日本に導入した小泉・竹中政権の対米追従政策こそ、日本国民を塗炭の苦しみに追いやったとして、つぎのように糾弾している。

・・・(世界金融危機を招いた)真犯人はいったい誰だったのだろうか。私は、まず真っ先に世界に過剰流動性をばら撒いた二つの国の政府を挙げる。一つはレーガノミックス以降、「財政赤字」、「貿易赤字」の「双子の赤字」を垂れ流したアメリカ政府であり、もう一つは(ゼロ金利を放置し)海外の高金利資産に投資する「円キャリー取引」を促進させた日本政府である・・・

これも同感だ。

今ではメディアも、小泉・竹中政権が唱えた「構造改革」が実は米国新自由主義の手先でしかなかったという批評を遠慮がちに載せるようになった。

せめてサブプライムローン問題が小泉・竹中政権の絶頂期に炸裂し、小泉・竹中政権を直撃していれば、日本国民ももっと早く目を醒ましたことだろう、と残念に思う。

ここまではいい。

ところが、読み終わってこの書を閉じたとたんに、いいようのない虚しさに襲われた。

なぜかを考えてみた。

著者は、経済学者下村治博士の警告を引用しながら、次のように結論づける。

・・・アメリカが、世界一の生産力を背景として、世界一の健全な経済を堅持してきたからこそ、アメリカのドルが世界の基軸通貨として成立しえたのであるが、もはや米国経済が世界経済の一つとして相対化され、米国経済に節度がなくなった現在においては、IMF,世銀を中心としたブレトンウッズ体制は新しい世界経済の枠組みに変わらなければならない・・・

その通りである。

そして、今度の金融危機を乗り切るには、これまでの世界金融システム、国際通貨システムを変える程の抜本的改革が必要である、という意見は、今ではあらゆる経済解説で見ることができる。

ところが現実は決してそのようには動いていない。

100年に一度の危機を乗り切ろうとする緊張感は感じられない。

それは、単に国際政治の場において米国の覇権がいまなお衰えていない、という事だけではない。

米国という国が決して覇権を手放さないだろうと思うからだけではない。

IMF,世銀体制は終焉した、ドルの一極支配は終焉した、と唱えている人たちもまた、心の底では、米国の覇権主義は終わらないと思っているに違いないと思うからだ。

そして、世界がここまで米国金融資本主義のうまみを味わった以上、各国もまたもとには戻れないと思うからだ。

物欲主義、拝金主義に染め上げられた人々にとって、いまさらものづくりにはげめ、実物経済に戻れと言っても、それを素直に受け入れようとする者が多数を占めることになるだろうか。

テレビで世界経済状況をまことしやかに語っている人々は、いずれも米国金融資本主義のおかげで高給を手にしてきた連中ではないのか。

石川遼という少年ゴルファーの一億円プレーをメディアが騒いでいる。

それでいいのか。

彼には何の責任もないし、彼のプレーの素晴らしさは称賛ものである。

しかし、未成年の少年が何億もの収入を手にする事をここまで喧伝する事自体が、拝金主義、勝ち組至上主義を煽ることではないのか。

それが、金融危機の反省に立とうとしている時になすべきメディアの健全な姿なのか。

派遣労働で酷使されている何百万人の若者の痛み少しでも思いを馳せる必要はないのか。

経済番組で真っ先に報道されるのはニューヨークと東京の株式相場である。

見ているがいい。

もし株価がさらなる下落なしに上昇に転じていくのなら、もはや誰も金融危機の事は言わなくなるであろう。

制度改革は遠のき、あらたなビジネスチャンスのテーマが模索されるに違いない。

あれだけ金融危機が叫ばれても、株高が上昇し、資産価値が高まれば、それですべてが解決してしまうのだ。

読後感に覚えた虚しさは、みなの心に潜む建前と本音の乖離を感じるからである。

(私のコメント)

小生が7年前に書いたレポートです。その通りになりました!

*貼り付けます。

2001 12/10

「日本国という遊園地のなかで」

~構造改革の本質は日米関係の中に隠されている~

 

 日本国というアメリカが経営する遊園地の中で「構造改革ゲーム」というイベントの前売り券がライオンヘアーの小泉総支配人の名調子の前口上の宣伝効果もあって異常人気です。もともと、ネオコン派を中心とする頭のいい人たち(グローバリスト)が考案した弱肉強食の「構造改革ゲーム」ですが、最近になって手っ取り早く金の儲かる「戦争ゲーム=戦争経済」を中東で始めたので日本国という遊園地の運営はしばらく、小泉総支配人に竹中平蔵というお目付役を付けることにしたというのが現在の日本という国の状況です。

何も知らない遊園地の住人だけが、なぜだか、自分の生活が苦しくなる構造改革ゲームが始まるのを心待ちにしているというのが、現在の日本という国の状態です。

ところで、「構造改革なくして景気回復なし」、この言葉は明らかに嘘です。

その嘘は本当に見せるためにこの10年もの間、デフレ不況を懸命に演出していると言われているのがアメリカのグローバリストに洗脳された日本銀行のエリートの人たちです。その言葉を真に受け、大声を張り上げている構造改革信者の一人が小泉純一郎首相なのです。金融や経済の専門家でない国民がこの長いデフレ不況の閉塞状況を考えれば、威勢のいい小泉総理の言葉を本気にしてしまったのをもちろん、責めることはできません。

問題点は二つあります。一つは「構造改革」とは何かがちゃんと説明されていないことともう一つは当面の景気回復と「構造改革」と称するものを結びつけたことにあります。

現在言われている構造改革の本質とは何か、現時点での小生の理解を以下に示します。

「構造改革」という言葉が日本のマスコミに登場するのは1980年代半ば、日本が東西冷戦が終幕を迎える前の貿易黒字の一人勝ちを誇っていた“ジャーパンアズナンバー1”と浮かれていた時代まで遡ります。『日本は米国とは異なる社会構造を持ち、公平な貿易をしていない。公平な貿易をするためにはその社会構造を変革しなければならない。』というアメリカの一方的な主張からマスコミに登場するようになった言葉が「構造改革」という言葉です。(*この言葉は1960年代、社会主義の政策論争のなかで使われたこともあります。)これにはもちろん、冷戦終了を見越したアメリカの長期戦略が絡んでいることは言うまでもありません。

だからこそ、ブレンジスキー元大統領補佐官は「アウト・オブ・コントロール」という自著の中で次のようなことを書いているのです。

「日本は軍事大国化が世界からの孤立に繋がることを認識している。日本のリーダーたちは、それよりも同盟国で最強の米国と密接に関係を保ち、米国の主導のもとにパートーナー・シップを築くことが望ましい姿だと考えている。その先には太平洋をはさんだ日米コミュニティ=アメリッポンが見える。」

*「アウト・オブ・コントロール」より一部抜粋

この言葉は、もちろん戦後、半世紀にわたって外国軍(米軍)が駐留している国は君主論で有名なマキャベリーの言葉を引用するまでもなく、政治的にはその属国だが、経済的にもアメリカの完全な属国であるアメリッポンを作ろうとしている大胆不敵な考えを意味しています。

そして、アメリカの日本に対する金融戦略を明示した1983年9月の「ソロモン・レポート」がレーガン政権に持ち込まれます。

『円は過小評価されており、それはアメリカ産業の競争力を阻害している。円の過小評価の原因は日本経済に占める地位に見合うだけ、円が国際決済通貨や資産として使われていないからだ。そのため、ドルに対する負担が過度に重くなり、円・ドルの不均衡を生んでいる。円の国際化の遅れは日本の金融・資本市場の閉鎖性にある。したがって、円・ドル問題についての対日要求は金融・資本市場の開放に置くべきだ。』

*「ソロモン・レポート」より一部抜粋

 簡単に言ってしまえば、米国は自国の双子の赤字(財政赤字・貿易赤字)を日本の円の上昇によってカバーしようと企てたわけであります。裏返せば、日本・日本人は膨大な為替差損を被るということです。1990年代を通して日本経済が不調なのはこのことが一番の原因、二番目はプラザ合意以降、内需拡大を合い言葉にバブル経済を演出し、あろうことか、アメリカ金融資本に唆されてそれをハードランディングさせたことにあります。1980年代の日本企業の国際競争力は、(国内の)土地価格の高さ、そこから生じる含み資産の大きさに依存していたことを忘れてはなりません。その後遺症の大きさのために日本経済は不調に陥っているのであって今、言われているように日本の社会構造にその原因があるのではありません。このことをはっきり説明しないのでおかしな論議が延々と続いているのです。

兎に角、日本は1980年代半ば以降、プラザ合意、ルーブル合意、日米構造協議、日米包括経済会議、それに伴う、対日要望書よるアメリカの経済戦略によってここまで追い込まれてきました。

それでは、なぜ、アメリカはこのような経済戦略を採るのでしょうか。

一言で言ってしまえば、アメリカが世界一の債務国であるにもかかわらず、日本が世界一の債権国だからです。日本の財政赤字が666兆円あるだとか、もう、700兆円を超えるかとか言って今にも日本が潰れるかのようなことを言う馬鹿な評論家が新聞、テレビで何も知らない大衆を扇動していますが、アメリカの財政の累積赤字は恐らく、日本の3倍は軽くあるのではないでしょうか。しかも米国民の貯蓄率は異常に低く、(ちょっと前まではマイナス)対外債務も3兆ドル以上あると言われている国の財政問題を棚に上げて日本の財政状況を先進国の中で最悪だというデマをマスコミはなぜ、一生懸命報道するのでしょうか。よく考えてみる必要があります。

最近もアメリカの金融格付会社のムーディーズが日本国債の格付を下げるというニュースが大きく報道されていますが、よく考えてみれば、このことが如何に馬鹿な話かわかります。日本国債は日本人が持つ約1400兆円の個人金融資産の中で買われています。アメリカ人など一人も日本の国債を買っていないと言っても過言ではありません。それに引き替え、日本、日本人は約400兆円以上の米国債を買っているのです。この状況を考えれば現在、如何にわけのわからない報道がされているかわかるというものです。アメリカの経済は日本から資金が流入しなければ、回っていかない状態なのです。だからこそ、アメリカは日本にいろいろな注文をつけてくるのです。

身も蓋もない言い方をしてしまえば、現在言われている「構造改革」とは1980年代半ばに考え出された米国の対日経済戦略そのものだとも言えましょう。いろいろ他の改革も一緒にして今日、構造改革と言うから、その本質が見えてこないのです。もちろん、故意にそうしているのでしょうが、

すなわち、日本の構造改革を梃子にアメリカの経済覇権を維持、挽回するシナリオそのものの表題が日本における構造改革であります。

その真意は日本に構造改革なるものを進めさせ、金融、ゼネコン、大手流通、その他企業の淘汰を起こさせ、その良質な部分を日本から流入させた資金で安く買い叩き、経営権を手に入れ、経済覇権を維持、取り戻すという壮大な濡れ手に粟の経済戦略にあります。

確かにいろいろな改革は必要です。かと言って、一部の大企業、ずば抜けて能力のある人以外の大多数の日本人にとって何のメリットもない「構造改革」をアメリカの経済のためにする必要が何処にあるのでしょうか。疑問です。むしろ、宮澤内閣の時に掲げた「生活大国」を今こそ、目指すべきではないでしょうか。

「偽りの危機が本当の危機を招く」今、日本の政治経済で起きようとしていることです。永久占領状態にある国の住民は本当のことを何も知らされずに痛みだけを負担することを求められる運命なのでしょうか。

その意味で21世紀を迎えても日米戦争の戦後は終わっていないと言えましょう。

*貼り付け終わり

現在、米国=アングロサクソンの強欲金融資本主義の終幕が近づいています。

今こそ、日本を真の独立国にする気概を持った若者の出現が待たれます。

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