~否決された竹中郵政民営化法案とはどのような法案か~



今回の衆議院解散劇の主要テーマであり、参院本会議で否決された「竹中郵政民営化法案」とはそもそもどのような法案だったかを考えてみる必要がある。

ご存じのように、2001年4月1日に「財政投融資制度」(財投)が廃止されて、郵便貯金や年金積立金を「官から官へ」資金運用を預託する制度が廃止された。

そして「日本郵政公社」が設立されて、郵便貯金については官僚たちの国策運営ではなく、金融市場で自主的に運用されることになった。それでも郵便貯金230兆円と簡易保険120兆円の計350兆円もの膨大な資金が、官僚組織によって非効率に運用されてきたのは、紛れもない事実である。この郵政公社を当初の約束では5年間の移行期間は存立させるとしていたのを、なぜか急にたったの2年半で急いで完全に民間企業に転換しようというのが今回の法案である。

もちろん、このような急な動きの裏には、アメリカのからの強い圧力があった。

このために、小泉首相や竹中平蔵郵政民営化担当相の政府側から、また松原 聡東洋大学経済学部教授をはじめ政府の御用学者や、今や公然と米国の手先言論と化している日本経済新聞を中心とする大新聞、テレビ局の大手メディアから急速に郵政民営化=改革というアジテーションが流されることになったのである。それが今年の4月からの流れである。

政府と同調する法案賛成論者たちの専門的な用語を使った説明を聞いていると「民で出来ることは民で」と、いかにももっともらしいことを語っているように聞こえるが、実際には、こうした論理はこの問題の本質を巧妙に覆い隠しているものと言わざる得ない。

なぜなら、この竹中郵政民営化法案が基本テーマは、はっきり、言ってしまえば、米国のロックフェラー財閥を中心とするニューヨークのユダヤ系金融資本が、日本の60歳以上の高齢者3000万人の“国民の最後の虎の子”である郵貯や簡保の350兆円の巨額の国民資金を奪い取ることにあるからである。



ところで、現在、全国に2万4700個もの郵便局がある。このうち各市の中央郵便局のような大型郵便局が5000個ほどある。そして残りの1万9000個が特定郵便局と呼ばれる小規模な「町(村)の郵便局」である。こうした郵便局のネットワークが全国津々浦々で営々と営まれてきたことで高齢者から貯金や保険の形で資金を集め、それらの安全な保管機能も果たしてきた。そして、意図したわけではないが、この国民の財産が米国に奪い取られない仕組みになっている。

国会議員たちの間でこの4月ごろから、郵政民営化法案とは、ハゲタカ外資による日本国民の金融資産の乗っ取りのことなのだという意見が沸き起こるようになった。国会議員たちの中から「構造改革、規制緩和」という耳障りの良いスローガンの陰に隠れて本当に大切な論点がすり替えられている、という疑念がやっと広がり、それで今回の参院本会議では「法案の審理があまりに拙速である」という意見が起きて否決されたのである。

確かに自民党の旧橋本派の中の野中広務元幹事長につらなる「郵政族」と呼ばれ政治家たちは特定郵便局長による自分たちの集票基盤が失われることで民営化に反対していることも事実である。しかし、この法案が施行されると本当に日本国民のためになるのか、逆に不利益をもたらすのではないかという観点から信念をもって純粋に反対している政治家たちが数多く出てきたのである。



ほんとうの事を言ってしまえば、「竹中郵政民営化法案」は、竹中郵政相の背後にいるグレン・ハバード元CEA(米大統領経済諮問委員会)委員長、ロバート・ゼーリック米国務副長官主導でまとめられたのである。今度の法案では、「三分社化」という大方針の下に、郵政株式会社という持ち株会社( ホールディング・カンパニー )を設立する。

そしてその下に、郵便貯金業務、簡易保険(郵便保険)業務、窓口ネットワーク業務、それに郵便事業を行う業務を管轄するそれぞれ四つの子会社を創設することになっている。この中でも郵便貯金銀行と郵便保険(旧称、簡保)会社の株式については2017年までに、政府保有分の株式を「必ず」全て放出して手放すことが法案第7条で義務付けられている。この点がおかしいのである。

その他に日本政府からの郵便貯金銀行や郵便保険会社への法的な規制が全て排除される条文がいくつも見られる。上記の二つの会社は、会社法(今度、慌しく商法が大改正されて「会社法」となった)が適用され、特殊法人や公社でもない、「商法会社」という純然たる一般的な事業会社にならされることがこの法案の最大のポイントである。一般の事業会社ということになってしまうと、銀行法の適用さえも除外されることになる点が大事な点なのである。これが外資の狙い目である。



そもそも、金融業というのは信用業務であり一国の経済活動の根幹的な部分であるから、銀行は商法会社と同じ民間企業と異なって国家統制による制約を受けざる得ない業界である。だから銀行業は免許事業なのである。銀行法には「銀行が自らの影響下にある事業法人(一般会社)の株式を総発行残高の5%以上を握ってはいけない」(銀行法16条の3)という条文がある。銀行法の適用を受けない商法会社とはこの点が根本的に異なる性質である。

ところが、郵政民営化法で一般的な事業会社と同じ扱いになってしまうと、米国の巨大な金融法人グループが放出された郵貯銀行と郵便保険会社の株式の大部分を取得して、その50%以上を握ると完全に子会社にできる。そうすることで経営権も握ることが可能なのである。そうすれば米国資本は、日本企業(国内資本)というダミーを使わないで経営権を取得することができる。

その上で、その郵貯や簡保の膨大な資金を海外に流出させて、たとえば米国債の更なる購入(現在、日本政府は政府発表の資料だけでも85兆円の米国債を買っている、実際は、官民あわせて500兆円買わされている。)に向かわせることがいくらでも自在にできるのである。このように日本国民の資金の保全に対する歯止めが全くないのである。だから今度の法案には、竹中郵政相を介した米国の金融ユダヤ資本のそうした狙いが込められている。



今回の竹中郵政改革法案の裏側には、日本の郵便貯金銀行や郵便保険会社を、世界最高実力者であるデイヴィッド・ロックフェラー(90歳)が所有しているシティグループの子会社にするという計画が厳然としてある。もうひとつの米大手金融法人で、世界中の企業買収で有名なゴールドマン・サックスの方は、叔父デイヴィッド・ロックフェラーと対立している“本家“本元の嫡男で4世である、ジョン・ダヴィッドソン・ロックフェラー4世(通称“ジェイ”・ロックフェラー)が所有している。

だから、今回のこの計画からは実質的には除外されている。だから、ジョン・D・ロックフェラー4世とつながっている小沢一郎副代表や松下生計塾出身の若手政治家が主流を占めている民主党が、今回のこの法案に反対したのである。民主党は、郵政民営化自体には反対していないことも知っておくことも必要であろう。

また同じくゴールドマン・サックス系であるロバート・ルービン元財務長官やラリー・サマーズ元米財務長官(彼らは、強固なニューヨーク民主党員、パーチザンという。共和党とは取引しない人たち)につらなる榊原英資慶大教授(元大蔵省財務官、日本民主党政権が出来れば財務大臣だと自分では勘違いしている。)がテレビ出演して、しきりに「既に資金の“入り口”の部分である財政投融資制度の改革を行っているので、この法案を成立させて施行しても意味がない」と主張していたのである。



~しかし、郵政事業の改革自体は必要不可欠である~



それでも現行の日本の郵便制度は行政改革されなければ済まない。全国の郵便局に勤めている郵政職員27万人はすべて国家公務員である。地方の寒村の小さな郵便局の窓口にいる従業員たちは、身分上は中央官庁の官僚と同じ国家公務員なのである。 ところが、国家公務員でありながら実は19、000個ある”町の郵便局“である特定郵便局の純然たる従業員でもある。そして、この特定郵便局長というのは代々世襲であり、息子があとを継ぐケースがほとんどである。

彼らは長年培われてきた町村の“名士”の出身が多く、その多くはすでに5億~10億円もの資産を形成している。彼らの郵便局の建物は、この郵便局長の個人財産であり、それを日本郵政公社に“賃貸し”をして家賃を貰っている形になっている。郵便局ひとつあたり月額40万円の家賃を郵政公社が払っている。年間で480万円である。

この他に毎月の経費として平均37万円がこれも19、000個の特定郵便局長に支払われている。当然、郵便局長以下、全員が国家公務員としての給料も貰っている。こうした制度はどう考えてもおかしいので、やはり変革しなければ済まない。それが今後は、「窓口ネットワーク会社」という名前のコンビニのチェーン店のようなものに改組される。郵便物の集配作業である郵便事業の方は、クロネコヤマトと同じような宅配便の物流・運送会社になる。



簡易保険(郵便保険)の勧誘、販売では、これまで特定郵便局に担当の職員がおり、黙っていてもどんどん窓口で簡保が集まった。それに対して多額の報奨金が支払われてきた。民間の生命保険会社の販売社員が苦労して契約をとってくるのとは対照的に何もしなくても契約が集まる。簡易保険の場合は、民間の保険会社よりも配当(実質の金利)が良いので国民が郵便局の窓口を自発的に訪れて加入する。だから特定郵便局長たちのこの長年の利権を奪い取り27万人の郵政職員を民間企業等に移す改革はどうせやらざるを得ない。



~政府サイドの郵政民営化論推進論は間違っている~



しかし、持ち株会社の日本郵政株式会社のようなものをつくり、「3分社化」して、子会社である郵便貯金銀行と郵便保険会社の株式だけがシティグループ(ロックフェラー財閥)に乗っ取られてゆくという今回の法案は、問題点が多い。

ところで、マスメディア(テレビ、新聞)の論調は、一斉に、小泉支持一色である。「小泉首相は、信長とおなじ決断の政治家だ」とか書いて誉めそやしている。そして各社一斉で、間髪入れず世論調査を実行して、わずか1000個しかサンプル指標がないような緊急の電話調査で、「小泉政権の支持率が47%に上昇」とか「52%になった」と、奇妙な口裏あわせをやっている。新聞、テレビの政治部長たちの「談合」会議があって、ここで決まったとのことだ。

アメリカからの日本のメディア対策費(5000億円)がふんだんに使われたと囁かれている。日本の大メデイア各社もニューヨークの金融財界の買収を受けて腐敗し、売国奴と化している。まことに前途を憂うべき事態となっている。現在、アメリカの政治広告、国民世論操作専門の名うてのBBDO(ビー・ビー・ディー・オウ)という会社が小泉首相と飯島勲秘書官に直接、入れ知恵して全体を動かしていることが判明している。



国会でいったん否決された法案を「国民の信を問うたので、再度、国会に掛けて通す」という態度だと、国会(国民議会)の議員たちの前回の判断がすべてコケにされることになる。参議院の場合は前回とまったく同じ顔ぶれで再度ほとんど同じ内容の郵政民営化法案を審理することになる。これは厳密には憲法違反である。



「参議院で法案が否決されたら、両院協議会にかけて、再度、衆議院で審理して、3分の2の多数で可決しなければならない」と憲法日本59条に書いてある。それを、「参議院で否決されたから、ただちに衆議院を解散する」という暴挙に出た小泉首相のやり方は、憲法を無視したファッシズムの手法である。

ここまでの暴挙を放置するとやがて日本は、アメリカにすべてを動かされる直轄被支配国の上からのファッシズム統制国家になってしまうだろう。

特定郵便局長の利権と結び付いた郵政族、自動的にだから=道路・建設族でもある旧橋本派(今回でほとんど瓦解したと思われる)の抵抗を誇張し、小泉首相自身が、民営化後の郵便局の経営形態や資金の移動のことをまったく議論しようとしない。

国民のためにならないのだからもう少しじっくり検討すべきだといった反対意見を押しつぶしてしまい、反対論者をひとまとめにして「改革に反対する勢力」として選挙で落選させて抹殺するつもりである。大きな力が米国からかかっており、米国の意向に沿った偏った報道が続けられており、またそれに多くの国民が洗脳されて喜んでいる。

今回の法案でいえば、持ち株会社である日本郵政株式会社を一般の事業会社と同じことにして銀行法を適用しないという策略を使ったことが問題である。だからこれに銀行法を適用するようにすればよいのである。銀行業務というのは空気や水、電気、ガスといったようなものと同じ国民全体の基本的な公有財産なのだから、完全に民営化して効率化だけを極端に求めることをしてはいけない。

何でもかんでも「市場原理に任せればいい」というものではない。資本や資金の移動が自由化されている現在の世界では、弱肉強食は世界規模で起きることだ。それを国内の法律で規制をかけるということが必要である。

自由化と市場経済化が極端に進んでいる米国で、時おり大都市で大規模な停電が起こるのがその好例である。有識者の間では、それも金融業務についてはとりわけ外資系金融機関に勤務しているような人たちの間で、「民営化、市場経済化、規制緩和・撤廃を推進して競争環境をより強化すれば、消費者・利用者には利便性が向上し、より良い高度なサービスが提供される」といった一面的な理論が当然のようにまかり通っている。

それはまったく馬鹿げた議論であり、公有財産についてはそうした高度なサービスがもたらされる利点よりも、リスクが顕在化した時のデメリットをより重視しなければならない。金融機関には、ある程度の規制を維持することが絶対に必要であり、行き過ぎた自由化や市場経済化を追求してはいけないのである。



そもそも、小泉首相をはじめ郵政改革論者は郵貯業務は銀行業と同じであり、簡易保険も保険会社の業務と同じなのだから、「民でできることは民で」といった論理で民営化を正当化してきた。この論理は正しくない。米国では1962年に、ニューヨークの金融法人が圧力をかけたことで、1966年に50の全ての州で「郵便貯金 」(postal saving ポスタル・セイビング)が廃止された。

このことが原因で、今も7000万人はいるアメリカの主流派の上層国民である「WASP(ワスプ) White Anglo-Saxon Protestant 」と呼ばれる階級 が消滅を始めたといわれている。この階級は英国系(イングリッシュ)の移民たちの子孫であり、いわば米国でも最も伝統的な系統に属す立派な白人たちだ。

18世紀後半に英国から独立して以来、米国の歴史は“表”の政治の世界ではこのWASPと呼ばれる人たちが主導してきたのであり、その一方で“裏側”で暗躍していたユダヤ系金融資本の人々との対立抗争を繰り広げてきた。それが、この時期をもってWASPは決定的にユダヤ系に敗北してしまったのである。それまではユダヤ系の人々は半ば公然とアメリカ上流社会では差別されていた。

米国は連邦国家なので法律は全米50州の各州ごとに存在しているのだが、この時、州ごとに存在していた郵便貯金が全て廃止されている。そして、ニューヨークの巨大銀行は他の州には直接進出できないことになっているため、各州に子会社を設立して銀行業を運営してそれで、郵便貯金の廃止と共に田舎の州の資金までも自分たちが握るようになった。今でも米国には小規模なものを含めると2400個もの金融機関があり信用金庫のような地方の庶民向けの会社が健在である。

それでも金融業の集中化は激しい。それに対して日本には、すでに銀行とよばれる金融機関は300個ぐらいにまで急激に減少させられている。一体、何が「金融自由化」だったか分かったものではない。実際に日本に出現したのは、ちょうど、その逆の「金融統制経済」であった。このようにして1966年からWASPたちの預金がニューヨークのユダヤ系金融資本に奪い取られてしまったのである。

それにより、米国で本当の意味での保守派を形成していた「草の根」( グラス・ルーツ)と呼ばれていた健全な中産階級の勢力が弱体化してしまったのである。こうした勢力は、「どうも自分たちの本当の代表が米国を統治していない」という異議を唱え出し、ニューヨークやワシントンと牛耳っている人々対して反発する姿勢を見せた。この動き自体は今でも時々、見られる現象だ。

それが、ポピュリズムと呼ばれる言葉の真の正しい使い方である。いわゆる「ウォール・ストリートとメイン・ストリートの戦い」と呼ばれているものである。前者の「ウォール・ストリート」がニューヨークを支配するユダヤ系金融法人のことであり、後者の「メイン・ストリート」とは地方のどこにでもある小さな町の主要な通りという意味であり、地方に散在する保守的な白人中産階級のことを指している。

だからこのメイン・ストリートの人たちがウォール・ストリートの勢力に対して抗議の声を上げるのが米国の民主政治の健全な伝統でもある。こうしたアメリカ中西部(ミッドウエストと呼ばれる)の白人勢力が郵便貯金の廃止後、次第に衰退してしまった。それに代わってロックフェラー財閥の策略によって、戦後には東欧からの移民を計画的に流入させてきた。

この東欧系の貧しい白人層が「キリスト教原理主義」の主要な勢力を形成している。彼らは宗教右派(レリジャス・ライト)とも呼ばれていて8000万人ぐらいいる。この勢力が米国の対外軍事侵略を積極的に推進する“凶暴”なネオ・コン派と連携するアメリカの多数派国民となっている。ここでは伝統的にリベラル派である民主党の「反戦平和の思想」も打ち捨てられてしまった。



こうやって郵便貯金を廃止されたアメリカの郵便事業については、今も、USPS(ユーエス・ピー・エス the US Postal Service ユーエス・ポスタル・サービス)という「合衆国郵便公社」である大きな公社が運営している。これを「米国郵便庁」と訳される国家監督機関( Post Master General ポスト・マスター・ジェネラル )が上から監督している。

一国の通信事業というのは国防にも関係する重要な事業なのだからむやみと民営化してはいけないというのがアメリカの国是になっている。現在の日本では郵貯・簡保事業だけでなく、郵便事業についてもすべて民営化してコンビニのようにすべきだといった荒っぽい法律作りが今度の法案でなされている。極めて危険な考え方だといえるだろう。このように小泉政権やその御用学者たちが唱えている考えは日本国を危機に追いやるものである。

アメリカは全州で、郵便貯金を廃止したものだから、1970年代になってから、スタグフレーションやら、80年代の激しいインフレ経済やらで、ものすごく経済変動の激しい国になっていった。50年代、60年代の安定が嘘のような不安定な大国になっていったのだ。それは国民の資金をニューヨークの金融界が自分たちの投機資金(リスク・マネー)に代えてしまって、危険なマネー・ゲームに叩き込む構造を作ってしまったからだ。

それの集大成が、90年代から始まった「グローバリゼーション」 地球均一化と 呼ばれるアメリカによる世界支配主義の運動である。これでは世界各国のそれぞれの国民文化までが、アメリカ様式に統一されて、金銭欲望中心主義の世界にされてしまって、それぞれの豊かな国民文化が根絶やしにされてしまう。



今回の総選挙はアメリカの資金を使ってマスコミを総動員した小泉氏の勝利であり、最終的に泣くのは国民である。しかし、その結果、郵政資金が市場に出てくることを期待したミニバブル経済(株式市場の上昇)が発生し、しばらくは金儲けを最大目的とする人々に絶好の機会を提供することになるだろう。



<参考資料>『月刊テーミス9月号』より



『今回の衆議院総選挙は郵政民営化の賛否を国民に問うものとされている。関心が薄かった国民も、有無をいわさず渦中に引きずり込まれ、いまや最終審判の責を負わされることとなった。だが賛否を決める前にぜひとも考慮に入れて頂きたいことがある。郵政民営化には、おおやけにはほとんど語られていない側面がある。小泉総理の個人的執念とされているこの問題の背後には、米国からの執拗な圧力が存在しているのだ。

93年、宮澤・クリントン日米首脳会談で合意されて以来、米国政府は日本政府に対し、毎年『年次改革要望書』という公式文書を提示し、日本の内政課題に干渉してきた。この文書は、在日米国大使館のウェブサイトで日本語版が公開されており、いつでも誰でも無料で閲覧することができる。そのなかに、現在焦点になっている郵政三事業のひとつ、簡易保険に関する部分がある。

いまから10年前、95年11月21日付の『要望書』の15頁には、「郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する」と既に明記されている。以来、米国政府は簡保の廃止を日本に要求し続けてきた。99年10月6日付の『要望書』では「米国は日本に対し、民間保険会社が提供している商品と競合する簡易保険(カンポ)を含む政府および準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止し、現存の制度を削減または廃止すべきかどうか検討することを強く求める」とある。

これらはすべて、保険分野における要求事項として書かれている。米国が一貫して標的としてきたのは、郵政三事業のうちの簡易保険であり、郵便事業と郵便貯金にはほとんど関心を示してこなかった。なぜなら、米国政府の背後で圧力を加えてきたのが米国の保険業界だからである。これは秘密事項でもなんでもない。米国生保協会のキーティング会長は本年2月に来日し、自民党の与謝野馨政調会長と会談し、郵政民営化について陳情している。2月9日の朝日新聞のインタビューのなかで、郵政民営化についてキーティング会長は「米国の生保業界にとって最も重要な通商問題だ」と堂々と明言している。

郵政民営化問題には、日米保険摩擦という重要な側面がかねてから存在してきたのである。しかも米国は、日本に圧力を加えている事実をまったく隠しだてしてはいない。米国政府の公式文書である『年次改革要望書』に公然と記されている。にもかかわらず、どれほどの日本国民がこうした経緯を知らされているだろうか。官から民へ、民にできることは民にやらせろ、というのは『年次改革要望書』の要求そのものだ。日本の郵政事業の民営化、つまり官業としての簡易保険を廃止して民間保険会社にすることを、なぜ米国の保険会社が執拗に要求しているのか。米国の保険会社にとって郵政民営化はどんなメリットがあるのか。民営化されたあとの簡保とその資産120兆円は結局どうなっていくのか。

最新版である昨年2004年10月14日付の『年次改革要望書』には、郵政民営化に関して以下のような要求が列挙されている。

「米国政府は日本政府に以下の方策を取るよう求める。

・日本郵政公社の金融事業と非金融事業の間の相互補助の可能性を排除する。

・特に郵便保険と郵便貯金事業の政府保有株式の完全売却が完了するまでの間、新規の郵便保険と郵便貯金商品に暗黙の政府保証があるかのような認識が国民に生じないよう、十分な方策を取る。

・郵便保険と郵便貯金事業に、民間企業と同様の法律、規制、納税条件、責任準備金条件、基準および規制監督を適用すること。

・新規の郵便保険と郵便貯金が、その市場支配力を行使して競争を歪曲することが無いよう保証するため、独占禁止法の厳格な施行を含む適切な措置を実施する。」

これらの記述から、米国側の狙いがおぼろげながら透けて見える。郵政公社の三事業一体のユニバーサル・サービスを解体し、簡保・郵貯の金融事業を、非金融事業つまり郵便事業から完全に切り離す。そして金融事業については政府保証を撤廃させ、政府保有株をすべて市場で売却、完全民営化させる。民間会社となった簡保に対しては、外資系保険会社と対等の条件を要求。所管官庁も総務省から金融庁に移管させて立ち入り検査を受けさせる。さらに独禁法の適用対象とし、公正取引委員会にも調査させる。

金融庁が民間の会計事務所と連携しながら、検査や会計監査を通じて真綿で首を絞めるようにりそなを国有化へ、UFJを身売りへ追い込んでいった経緯は記憶に新しい。一方、公正取引委員会は、検察当局と連携しつつ、いままさに道路公団を追い詰めている(公取と米国との深いつながりについてはいずれ本欄でも採りあげたい)。米国の要求事項から、民営化後の簡保の苦難に満ちた行く末が見えてくる。これが日本の国益になるのか。

今回の郵政民営化をめぐる自民党内の攻防で、小泉総理が頑として譲らず、最後まで揉め続けた最大の争点が、郵貯・簡保(金融事業)の完全分離・完全民営化の一点だったことが改めて思い出される。それはまさに、『年次改革要望書』の対日要求事項の核心にかかわる部分だった。だが、真に国益を憂える反対派議員の声はかき消されてしまった。

日本の民間保険分野は、はるか以前から、米国の激烈な市場開放攻勢にさらされてきた。90年代の日米保険協議の結果、医療保険やガン保険などの第三分野は外資が優先され、米国系保険会社の独壇場となってきた。加えて2004年には、本丸というべき生命保険分野でも、業界最大手の日本生命が個人保険契約件数でアメリカンファミリー生命(アフラック)に、新規保険料収入でもAIGに抜かれ、戦後初めて首位の座から転落した。

一方、2000年前後に経営破綻した東邦生命、協栄生命、千代田生命などの中小生保は軒並み米国系保険会社に買収されてしまった。これら生保の経営が悪化したのも、もとはといえば八〇年代に米国の財政赤字を支えるために大量購入させられた米国債が、90年代にクリントン政権の円高攻勢で減価して甚大な差損を被ったことが原因だった。

日本の民間保険市場は、過去20年以上にわたって米国にさんざん食い物にされてきた。そうした歴史を学んだうえで改めて考えれば、郵政民営化の本質は、いまだ米国の手垢がついていない、120兆円にのぼる官製保険の市場開放問題だということがわかる。

「民にできることは民にやらせろ」、「官から民へ資金を流せ」というときの「民」は、日本国民の「民」でも民主主義の「民」でもない。要するに米国民間保険会社の「民」にほかならないのである。

こうした背景を、小泉総理は国民に一度でも説明したことがあっただろうか。解散を強行した直後のあの記者会見で、ひとことでも触れただろうか。郵政民営化の是非を国民に問うてみたいと主張するなら、対米交渉の経緯も含め、すべての背景について説明責任を果たしたうえで、国民の審判を求めるのが筋ではないか。それができないのなら、「郵政民営化は日本の構造改革の本丸だ」という常套句は、米国の対日要求事項を日本の内政課題に偽装して、国会を通すための方便に過ぎないと、判断されてもしかたあるまい(抜粋ここまで)。

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